ワートリハードモード トリオン能力1未満トリガー無し敗北即死   作:ルシエド

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 ボーダー本部、別名『玉狛』。

 晴明が見てきた未来だと、「ボーダー本部」と言うと盗み聞きしている者にすぐバレてしまうがために、皆ボーダー本部のことは「玉狛」と呼んでいたらしい。

 そこが、今日の四人の目的地。

 ボーダー本部の場所など普通は分からないが、晴明であれば将来的に一回でも玉狛に出入りしたことのある人間を視界に入れれば判明する。反則である。

 

 川沿いの道を西に進んでいって、川上の水上に見えるのが玉狛らしい。

 

 四人と一人は川を右手に眺めながら、のんびり道を進んでいった。

 季節はすっかり冬。

 草も木も緑が消え、茶色い地面や枯れた木がいたるところに見えている。

 

 風が吹くたび、はらはらと枯葉が舞い降りてきて、道路に高い山を作り上げる……などということはないようで、道の枯葉はことごとくが脇にどけられている。

 きっと誰かが道行く人のために、毎朝この道を掃いてくれているのだろう。

 そこを四人が歩いている。

 この街に生きるどこかの誰かの善意で出来た、そんな道を、頼漢は温かな気持ちで歩いた。

 

 この道を行けばどうなるものか? ボーダー本部が待っている。

 千佳は不安半分期待半分といった様子。

 麟児はいつものように感情を隠した目の奥で、ボーダーに対し自分達をどう『優位』な位置に置くか、ボーダーのどこを突くと弱いかを考えている。

 晴明は大まかにほぼ全ての未来の可能性を見通し、この先の未来で、誰がどの未来を選択していくかを楽しみに待っている。

 頼漢は純粋に、新しい仲間と出会えることにわくわくしていた。

 

「突然連絡無しに言っていいもんかね?

 俺ぁボーダーがどのくらい短気かとかも知らねえんだが」

 

『あっちは(やつかれ)らが来る日を分かってるし、分かってないだろう』

 

「かいけつゾロリのなぞなぞですかね?」

「あ、兄さんが読んでたやつだ」

 

『矛盾してるのは、まあ、うん、そうだね。

 (やつかれ)らが未来を視て、"会いたい人"が居る時を狙って玉狛に行こうとする。

 それを視たボーダーの未来視能力者が、その人が玉狛に居る日をズラす。

 (やつかれ)がそれを視て、ズラした先の日に行こうとする。

 ボーダーの未来視能力者が更にそれを視て、その人が玉狛に居る日をまたズラして……』

 

「瞬間移動能力者同士で背後の取り合いを永遠にしてる構図か何かか?」

 

 頼漢はあまりによく分からない時間概念に、潰れたまんじゅうのような顔になってしまった。

 

(やつかれ)とボーダーの未来視能力者の不話の合意が得られるまではそうさ』

 

「めんどくせっ、めんどくせっ」

 

『だから時間の概念には"極点"があるんだ。"安定点"とも言うんだけど……』

 

「極点と安定点……ですか……」

 

 千佳が相槌を打ちながら、頼漢の肩に枯れ葉が乗っているのが見えたので、取ってあげようとしたものの身長差が50cm以上あって取れない。

 晴明と話している頼漢に気付かれないよう、ぴょんぴょん跳んで手を伸ばす千佳を、兄だけが生暖かい目で見守っていた。

 

『これ以上動かない極点。

 それ以上変更されない安定点。

 変更を繰り返した果てに変更が起こらなくなった一つの点。

 時間に関する能力ではそれを語らないことには始まらない。

 なにせ、そうしないと"改変の果ての一つの世界"が見えないからね。

 未来視なら、未来視全員の合意が取れた世界が極点にして安定点。

 時間旅行なら……タイムマシンが発明されない歴史になったら極点にして安定点かな』

 

「なんてぇややっこしいやつらだ……」

 

 頼漢はぼんやりと、昔晴明が言っていることを思い出した。

 

―――シュテンらは未来から来た鬼。

―――(やつかれ)は未来から来た情報を受け取る人間。

―――さて、現代の考え方だとどうなんだろう?

―――時間旅行者は歴史を変えるのか?

―――未来視能力者は歴史を変えているのか?

―――未来の情報で過去を改変してるなら、同一のものなのか、別のものなのか

 

―――都合の悪い未来を知って、過去を変えて、未来を変えてるのは同じなんだけどねえ

 

 未来視能力者が二人居て、未来の不安定な予測ではなく、未来の確定していたはずの結果を変え続けた場合、どうなるのか。

 

 それはある意味、タイムマシンを持った二人の人間が、交互に自分に都合の良いように歴史を改変し続けるサイエンス・フィクションに近い所もあるのかもしれない。

 

 頼漢は改めて、未来を変えられる未来視の恐ろしさを実感する。

 この力は、使い手がバカでなければまさに万能だ。

 ちょっとした干渉で未来を思うがままに誘導できてしまう。

 "これをした結果未来がどうなるか分からない"という、普通の人間が当たり前に持っている不安や恐怖を、何一つとして持ち合わせていない。

 

 多少昔の時代なら、人々に崇められる神にだってなれただろう。

 もっと昔なら国さえ作ることが出来ただろう。

 いや、現代でも、新興宗教を作って億単位の金を毎月得ることだってできるはずだ。

 未来視がある以上、頼漢の人生を害したデタラメな宗教などとは違う、未来を視る者の―――『本物の預言者』による宗教が打ち立てられるのだから。

 

 地震も、爆発事故も、通り魔大量殺戮事件も、全て見通す『本物の預言者』ならば、弱き人のことごとくを従わせることができるだろう。

 話に聞くアフトクラトルが鬼ヶ島の鬼ならば、未来視とは天上の神にも迫る権能である。

 神も鬼も跋扈する。絵巻物の中の世界のような恐ろしさだ。

 なればこそ、そんな未来視をすり抜けてくる、金の角の鬼が恐ろしいのである。

 

「や、俺よく分かってねーんだけどよ。

 結局ボーダーは俺らが来るの分かってんだよな?

 俺らが待ち構えられてるっつー可能性もある、ってことか」

 

『未来視があるからね。

 ボーダーの人間全員の未来を視ておけばいい。

 そうすれば、誰かが(やつかれ)らと会っている未来が視えるんだから』

 

「敵に回したら俺らが奇襲しても全部意味が無いのヤバすぎんだろ」

 

『向こうの未来視は生身もある。感触だけど(やつかれ)より未来視の能力強度が高そうだ』

 

「あー、なるほどな。

 オメーがボーダーにあんま辛辣じゃねえ理由が分かった。

 安倍晴明様より格上の未来視能力者が居るから強く出にくいとかあんだろ」

 

『いや、そういうのは関係なくて』

 

「あん?」

 

『ボーダーはいずれ(やつかれ)のWikipediaのページより内容が充実するから勝てないんだ……』

 

「Wikipediaの編集者達は筆まめなんだな……」

 

 呆れる頼漢。

 苦笑する千佳。

 麟児は"嘘つきだな"と思う。

 共存を成し遂げようと架け橋を渡した者達への敬意こそが、晴明がボーダーを見上げるように語る最たる理由である。

 

 千佳は冷えた風が吹く川の上に、ひらひらと枯葉が落ち流れていくのを見ていた。

 冬の川はとても冷たそうで、"こんなにも冷えているのに川が凍ってないのは不思議だな"と、この季節が来るたびに千佳は思っている。

 

『千佳ちゃん、寒くないかい』

 

「大丈夫です。コートがもこもこなので」

 

『頼漢はねえ、寒いって言わないんだよ。

 "真冬の俺の家に居た時の方が寒かった"なんて言う。

 寒い時や痛い時は素直に言った方がいいと思うんだけど、鼻を鳴らして我慢するんだ』

 

「あはは……そういう人なんだなって、思います」

 

『千佳ちゃんはああいう風になっちゃダメだよ』

 

「気を付けます」

 

 何気なく"気持ちや想いを吐き出さず抱え込みがちな千佳"をよき方向に誘導しようとしている晴明の心に、千佳が気付くのはいつになるのか。

 明日かもしれないし、一年先かもしれないし、十年後かもしれない。

 彼は人を操って最良を目指す者だから。

 

 晴明が長話しないように千佳と話していると、前の方を歩く頼漢と麟児が何やら話して、何やら笑っている。

 気になったので、千佳はとてとて歩いて二人に追いつき、袖を引いた。

 

「何をやってるんですか?」

 

「『一度も見たことのない作品のモノマネして原作が伝わったら勝ち』ゲームだ、千佳っち」

 

「昔からヨルとよくやってたやつさ。ヨルは娯楽作品をそんなに吸収する機会がなかったしな」

 

「なるほど……? どう遊ぶんですか?」

 

「やってみるか千佳っち。

 俺が一回も見たことない作品のモノマネをする。

 まー見たことねえからイメージだな。

 街頭テレビとか、拾った雑誌や貰った漫画特集、あと他人のスマホで見た何かが元ネタ」

 

「わたしが"伝わってない"と嘘をついても伝わらなかったことになるんですか?」

 

「ま、そのへんは千佳っちの善意を信じる。自由でいいぞ。好きにしな」

 

「ゆるゆるなんですね」

 

「遊びだからな」

 

 頼漢は真っ黒に染め直された髪先をつまんでいじって、何にしようかなと考え始める。

 

「じゃあやるぞ。何にすっかな」

 

「はい」

 

「千佳! お前の血筋はこの学校にふさわしくないフォイ!」

 

「んんっ」

 

 伝わってしまったらしい。麟児がくっくっと笑った。

 

「はい、千佳の負け。ヨルの勝ち」

 

「ま、待って……これ、ズルっ……!」

 

「ずるじゃないんだなあ」

「ずるじゃあないんだ」

 

『こういう時ばっかり結託するんだから……』

 

 一ミリも知らない作品のモノマネでわいわい談笑しながら、四人は朝の川沿いを進んで行く。

 

 ある程度進んだところで、商店が立ち並ぶ区画に入った。

 食品店、土産物屋、日用雑貨店、コンビニなど、この近辺に済む人達がまとめて買い物をしていく区画に、自然と店が密集する場所が生まれた場所のようだ。

 麟児が会話を区切りのいいところで切り、話の方向を変える。

 

「ヨル、手土産くらい買っていった方がいいんじゃないか、ボーダーへの挨拶に」

 

「確かになぁ、何にするか」

 

「晴明さん。俺とヨルで適当に色々手に取っていくんで、未来のボーダーの反応視てください」

 

『わぁ、いいねそれ。

 生前にその使い方気付いておきたかった。

 そうか、ここからの未来でだいたい手土産に失敗してなかった理由、これか……』

 

「麟っちの悪魔的頭脳に震えちまうな?」

 

「兄さんは女の人へのプレゼントで失敗したことないんです。怖いくらいに」

 

「おっと、この話は続くとヨルに殴られるやつだ……ここまでにしとこうな」

 

「なんて?」

 

 頼漢に女関係について詳しく聞かれてもなんのその、のらりくらりとかわして流し、頼漢は気付けば別の話をさせられていて、麟児の女関係を聞こうとしていたことさえ忘れた頃に、ボーダーに持っていくお土産は大体決まっていた。

 選ばれたのは成田空港でも割と人気な一品、日本の顔の一つ"米屋のどらやき"。

 購入完了。

 その流れで、ちょっとお遊び気分になったりもして。

 

「この青い花の耳飾り、千佳っちに似合いそうだな。

 落ち着いた色だし、自己主張しない形してるから結構合いそうだ」

 

「そ……そうでしょうか? 大人っぽすぎないかな……」

 

「んなことねえって」

 

『いーや、こっちの黄色い星の耳飾りの方が似合うね!

 聞いてくれ千佳ちゃん。

 (なれ)ら兄妹は五行で言う土にあたる。

 "千佳"の佳は人、土、土と書く。

 また"麟児"とは麒麟児、即ち土に分類される麒麟のこと。

 五獣でも五麟でも麒麟は土だからね。

 雨取兄妹はどちらの名も土の属性。

 そして言うまでもなく、"雨取"は水。

 そう、姓名で見る分には『土剋水』だ。

 名字から発された流れが、名で止まる。

 流れ出した雨を、土の堤防が止めるようにね。

 姓名のバランス面で見ると結構悪くないように見える。

 最初の敵が土蜘蛛だったのも、運命論の上では偶然じゃない。

 ならば姓名に合わせた装飾品を持つのが最良だろう。

 それが陰陽の道というものだ。

 そして、五行五色において土は黄、水は黒。

 千佳ちゃんの幸運は頼漢の黒によって高められてるから、後は黄の装飾品が……』

 

「は、はい……?」

「うるせえな!」

 

 頼漢が晴明に石を投げつけ、石がそのまますり抜けていった。

 

「今日は千佳を玩具にする日じゃないぞ。あとヨル、千佳はこっち付けた方が絶対に面白い」

 

「ゴリラの人形が蔦でぶら下がってるピアスを妹に薦める兄初めて見たぞ」

 

「兄さんはいつもこんななので……」

 

 素直に千佳を褒める頼漢。

 千佳を褒めてるのは同じなのにあまりにもダルい語りをダラダラとぶち込んで来る晴明。

 妹をからかって遊ぶ麟児。

 三者三様、雨取千佳のお友達。

 

「ヨルは服はアレだったが、他人が喜ぶものを選べるようにはなってたんだな」

 

「あー……まあ、な。

 んな褒められるようなことでもねえよ。

 うちには新しい入信者用のギフトブックがあったからな。

 "身近な人に感謝の意を込めてここから買って贈りましょう"ってやつ。

 その中にあったセンスいい装飾品とか、そういうの覚えてただけだ。

 それの真似っ子しただけ。

 ライトな信者がそれ使って贈り物すると、教祖様にマージンが入る仕組みになってる」

 

「唐突に重い話が転がり落ちてくるな。テトリスで下の方を歩いてる気分だ」

 

『へぇ。昔の頼漢だったら、贈り物が下手だったりしたのかな?』

 

 "昔の頼漢の贈り物"の話になり、麟児が苦笑して、頼漢がひどく嫌そうな顔をしたので、晴明は面白そうな玩具を見つけた顔になった。

 

「ヨルはめっちゃ小さい頃に好きだったお姉さんにどんぐりの芸術送るくらいにはアレだった」

 

「唐突に俺を殺しに来るな。殺人衝動持ちの殺人鬼か?」

 

「え、ヨルカさんって好きな女の人いたんですか?」

 

「居ちゃ悪いかよ。言っとくが昔の話だからな」

 

「へぇー……」

 

「その含みのある感じ何? なんなの千佳っち?」

 

「な、なんでもないです」

 

 もこもこのコートの中に、首を縮めた亀のように顔を隠そうとしたらしく、千佳の顔が半ばほどコートに隠れて見えなくなった。

 何やら全てを分かっているような顔で悪戯っぽく笑い、麟児が千佳の引っ込んだ頭をぽんぽんと撫でていた。

 

「千佳はヨルのこういう感じの昔の話もっと聞きたいか?」

 

「え……う、うん、もっと聞きたいな」

 

「そうだな……あれは俺もヨルがうんと小さかった夏の日のことだったが……」

 

「『もっと聞きたいな』は言っちゃいけなかったんだよなぁ、千佳っち!」

 

『もっと聞きたいな~~~』

 

「お前は殺す」

 

『殺しても消えない想いを信じろ』

 

 晴明に向けてぶんぶん腕を振っている頼漢をよそに、麟児は情感たっぷりに語り出した。

 

「ヨルが言い出したんだ。"外見からして強くなりゃ喧嘩も吹っかけられなくなるだろ"って」

 

「ヨルカさんが? 喧嘩する前に避けようとするのって、兄さんの影響があったのかな」

 

「やめろ!」

 

「そしてヨルが手に入れたのは化粧品。『これで恐怖のハリネズミだぜ』とヨルは言った」

 

「……え?」

 

「やめろ!!!」

 

「『肌にハリを与える』って宣伝文句を聞いて、全身針の最強人間になると思ったんだと」

 

「……あ、あー、あーっ、なるほど……」

 

「やめろ!!!!!!!!」

 

『そうはならんやろ』

 

「なってるでしょう。俺はマジで人生で一番笑ったぞ、ヨルは最高だよ」

 

「やめろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

「ヨルカさんにも、そういうかわいいところがあったんですね」

 

「やめて」

 

 塩をかけられたナメクジのようになっていった頼漢に、千佳がふふっと笑う。

 

 その千佳の肩を麟児がぽんぽんと叩き、とてもいい笑顔で微笑みかける。

 

 嫌な予感がした。とても嫌な予感が、千佳の全身を包み込んだ。

 

「よし、じゃあターンを逆転するぞ。ヨル、千佳の恥ずかしい話を聞きたくないか?」

 

「え゛」

 

「めっちゃ聞きたいね! めっちゃ聞かせろ! はやく!」

 

「に、兄さん?」

 

「そうだな……あれは夏の日のことだったが……」

 

「兄さん!」

 

「千佳っち……ここはおあいこってことにしとこうぜ。さ、聞かせてくれ」

 

「うぅ」

 

 かくして今度は、立ち位置逆転。千佳の恥ずかしい話を麟児が語り始める。

 

 "そこで安全地帯から二人で遊んでる黒幕雨取麟児に矛先向けそこねてるから君達は遊ばれているのでは?"と、晴明は思った。

 

 

 

 

 

 なんやかんや話が盛り上がると、そこそこ歩くとしてもあっという間に到着してしまう。

 楽しい道中はそろそろ終わり。

 仲間になってもらうための、あるいは仲間に入れてもらうための、交渉の時間だ。

 

「こ、ここに……ボーダーの人が……」

 

「どうする千佳、ここから北斗の拳とかキン肉マンみたいな人が出て来たら」

 

「ど……どうしよう……?」

 

 川の真ん中に、大きな建物があった。

 多少頑張れば、十数人から数十人程度であれば利用できそうな大きさの建築物。

 南北の陸側に伸びた橋からのみ、歩いて入ることができるようだ。

 

「ヨル。戦闘勘なら一番優れてるのはお前だ。お前はどう思う?」

 

「いやまあ、パッと見だと何の変哲もねえ感じだが……ここを攻めたくはねえなあ」

 

「理由は?」

 

「多分、基礎が鉄筋コンクリート。

 そんでその上に鉄板貼って、更にその上に煉瓦貼ってんのかな。

 こういう構造だと結構な爆薬使ってもキツいぞ。

 そんな珍しい補強じゃねえけど、厚いからそりゃ強い。

 窓が深く見えんのはそのせいかな、中から見てみねえと分かんねえけど」

 

『そうだね、これはもう……』

 

「『基地』だな。

 見えにくいけど上のアンテナも増設されてかなりの範囲が見れそうだ。

 窓の格子もアルミやステンレスじゃねえな。

 チタン合金っぽい。ヤクザの密売で見た覚えがある。

 こりゃ窓ガラス割っても合金切れねえから通れねえぞ。

 そもそも防弾ガラスっぽい屈折率に見える。

 ドアも……詳しくは分かんねえけど銃弾が貫通するようにはなってねえな。

 土台より出っ張った壁……

 この頑丈な壁は既存の建物を改築して基地を建てた……?

 外から二階に直行できる梯子があんのは……逃走経路として用意されたもんかね」

 

 頼漢には義務教育の知識は薄いが、グレーゾーンの世界の知識には長けている。

 暴力の化身であるからこそ、暴力で壊せるものの見分けもつく。

 "玉狛"は、頼漢の目が見る限り、地球に大規模な軍勢が来た時()()()()()()長期間の戦争を行えるよう、戦闘を前提とした作りをしていた。

 

 頼漢は"隠し神が体当りしても壊せないだろうな"と推測を進めたところで、この基地はトリオン戦闘を前提にしているのではないかと、そうも思った。

 

「仮にヨルがここを攻めるとしたらどうする?」

 

「夜に川から潜って裏手から上がって、入れそうなとこ探す。

 つっても、今は冬だから専用の装備がなきゃ凍死するかもな。

 陸からは無理だ。

 この南北の橋しかねえなら、防御側はいざという時橋を落とせる。

 橋ごと落とされるか、だらだら泳いでる内に撃ち殺されるのが怖いな」

 

「なるほど。ありがとう、よくわかった」

 

「……悪ぃことするなよ?」

 

「ははっ、まさか、するわけないだろ? 妹もいるのに」

 

「……」

 

 麟児の爽やかな笑みを、頼漢は訝しげに見ていたが、やがて玉狛の入り口に向かう。

 

 ここがボーダー本部。

 現状、地球最強戦力の本陣。

 地球唯一の異世界戦争に勝利した梁山泊。

 鬼が出るか、蛇が出るか。

 

 仲間の不安と緊張を感じ取ったのか、頼漢は意図的に自信満々に振る舞う。

 自分が強者の振る舞いをすれば、仲間を勇気付けられると知っているから。

 

「なぁにビビってんだ?

 チキンは罪だぞ。

 喧嘩に勝てねえからな。

 こういう時は俺の後についてくりゃいい。

 一番頑丈な俺が勇猛果敢に一番前に出て、後ろのお前ら守ってやるよ」

 

『思考の基本が平安の息吹を感じさせる蛮族なんだよな……』

 

「いやあ、ヨルは賢くなってもこうだと思いますよ。仲間を守る使命感みたいなの持ってんで」

 

「わたしは優しさだと思うかな……」

 

 背筋を伸ばし、胸を張り、力強く歩く姿は、まさに英雄。勇者の姿だ。

 

 ただ歩いていくその姿が、仲間達に勇気を分け与える。

 

「怯えんなよ。

 どんな時だって俺は逃げたりしねえ。

 仲間を守って、カスどもをぶちのめして、前に進み続けるだけだ」

 

 そして、頼漢がインターホンを押すと、建物の中からドタドタとした足音が聞こえる。

 

「はいはーい、どちら様?」

 

 ロングヘアの、頼漢らより少し年上に見える、目の覚めるような美人が、人当たりのいい笑顔を浮かべて飛び出してきた。

 

 その瞬間。

 

 時が止まる。

 

 頼漢の顔を見た女性が驚き、頼漢が猛烈な勢いでUターンし、早足で逃げ出した。

 

「帰ります。お時間を割いていただきありゃりゃしたー」

 

「こらこら、巻きで逃げない。お時間も何も君1秒も居なかったでしょ」

 

 がしっ、と女性が抱きつくようにして頼漢を止め、頼漢が逃げ道を失う。

 

 千佳はぎょっとしたが、頼漢の顔が真っ青になっているのを見て、さらにぎょっとした。

 

「ふふっ、背が伸びたじゃないのよるくーん」

 

「人違いです!!!!!!!!!!!!!」

 

「あら……悲しいわね。

 忘れたい記憶と出来事と一緒に無かったことになってしまったのかしら」

 

「ち、違っ……お久しぶりですゆりお姉さん! 帰るので離してくれませんか!?」

 

「あら、ゆっくりしていけるの? 嬉しいわ。お茶を出すわね」

 

「か……帰して……帰してください……」

 

『未来予知ができる奴が本部にこの人を置いていったのは完全に意図的だろうな……』

 

 その美女の名は『林藤ゆり』。頼漢にとって、忘れられない女性の名であった。

 

 晴明が愉快なものを見ている時の表情に変わった。

 千佳はあたふたして何もできず何も言えない。

 一方麟児は、目の覚めるようなその美人の顔に、見覚えがあった。

 

「なんか見覚えあると思ったら、林藤先輩ですか? お久しぶりです」

 

「あら、そっちは雨取くん?

 あらあら! よるくんだけだと思ったら!

 そうよねえ、二人なら一緒よねえ。

 あんなに仲良かったんだもの。

 数年くらいならずっと一緒に居るのが当たり前よね」

 

「ま、こっちも色々ありました。ここはボーダーの本部ということでいいんですよね?」

 

 麟児の言葉に女性は驚き、やがて納得した風に頷いて、皆を室内に招き入れた。

 

「……そっか。悠一くんが言ってたのは君達だったんだ。そこが客間だから、少し待っててね」

 

 一つのテーブルにいくつかの椅子。

 客間ではあるが、会議室を流用したような風体だ。

 そこそこの広さの部屋に椅子は20個前後用意されており、普段ここを使って話し合っている者達がどのくらいの人数であるのかが窺える。

 頼漢、千佳、麟児は、そこに並んで腰を下ろした。

 

「あの、ヨルカさ……」

 

「……」

 

 珍しく、千佳が話しかけているのに頼漢が応えない。

 頼漢が冷や汗をかいて何やら考え込んでいるので、どうやら気付いてもないようだ。

 様子がおかしい頼漢と話すのを一旦諦め、千佳は頼漢がおかしくなった原因……ロングヘアの美人について、兄に聞いてみた。

 

「兄さん、あの人は知り合いなの?」

 

「ヨルと俺が小学校一年生の時の、同じ小学校の先輩。

 麟児の臨時集団登下校の時に同じ組に入れられてて、ヨルの担当だった人」

 

「臨時集団登下校? 担当?」

 

「不審者が出ると、子供を登校班にまとめるのさ。

 で、登校班でまとめて登校させる。

 子供は結構身の程知らずだからな。

 轢かれるのも最悪だが、子供が特定の時間に車道に飛び出しまくると、道路流通が死ぬ」

 

「ああ……いるもんね、落ち着きのない男の子」

 

「だから年長組と年少組をペアにする。

 年長の子は自分がしっかりしようとして危ない行動を取らなくなる。

 年少の子は年長の子に手を握られて車道に飛び出さなくなる。

 そうやって、おてて繋いで登校させてたのさ、俺らの世代の俺らの学区は。

 俺達が小学一年生の時、林藤先輩が小学五年生だったから……今18か19だろうな、歳」

 

「あの人とヨルカさんがそうだったってこと?」

 

「ああ、そういうことだ。ヨルの初恋の人だよ、間違いなく」

 

「……なる、ほど」

 

『分かってると思うけど、たぶん偶然じゃないよ』

 

「ボーダーの未来視能力者……こりゃ思ってた以上に癖者だな、たぶん……」

 

 恐るべしボーダーの未来視―――麟児は警戒レベルを一気に引き上げていた。

 

 元より、ここで頼漢達を手駒にしたいのであれば、最善は未来視本人がここにいること。

 未来視を前提として交渉するのが、頼漢達への最善の交渉になる。

 誠実さを見せるのであれば、今日ここにはボーダーのトップ、ないしある程度の権限を持った幹部が居たはずだ。

 偉い人が交渉するのは、それだけで意味がある。

 

 しかし施設内の気配、玄関の靴などから見るに、おそらく現在玉狛に居るのはゆりのみ。

 彼女の年齢でボーダーのトップ、ないし幹部というのは考え難い。

 と、なると。

 おそらくボーダーの未来視は――すなわち迅悠一は――、頼漢にゆさぶりをかけるため、あるいは頼漢をおちょくるためだけに、最善の人物を玉狛に置いていったということになる。

 

 "そういう人間"が一番厄介なことを、雨取麟児は知っていた。

 

「おまたせ! 好きに食べちゃってね。積もる話もあるし、ゆっくりしていってね」

 

 麟児が米屋のどらやきを手渡し、お返しとばかりにゆりがお茶と羊羹を並べていく。

 

 その間、頼漢はずっと暗い雰囲気で、暗い空気を身に纏って、一言も発することはなかった。

 

「よるくんは元気にしてた? 今は、元気がないみたいだけど」

 

「その……すみません。ゆりさんはお元気でしたか?」

 

「元気も元気よ、ふふふ。叔父さんも元気ね、歳を感じさせないくらい」

 

「そう、ですか」

 

 ゆりに話しかけられ、ようやく頼漢は口を開く。

 

「随分大きくなったんだね。顔を見なきゃよるくんだって分かんなかったかも」

 

「あ、はい。ゆりお姉さんも、美人になられまして、はい」

 

「あら? あらあら? ふふ、ありがと。叔父さんにも会っていってあげてね」

 

「……」

 

「叔父さん心配してたから。

 よるくん、何も言わずにどこか行っちゃうんだもの。

 叔父さんは忙しい人だったけど、忙しい合間によるくんを探してたのよ?」

 

「……すみません」

 

「だから、ある時から心配しながら安心してたみたいだったわ。

 叔父さんは、よるくんが悪いやつをやっつける夜のヒーローになったって言ってたから」

 

「……そういうのではないです。

 カツアゲしてた不良からカツアゲした金は、例の教団に入れていたので……」

 

「……そっか。うん、でも、叔父さんは構わないって言うわ、きっと。

 だからね、叔父さんもあの日の大規模な侵攻のニュースを見た時……

 顔が映ってなくても、髪でよるくんだって分かったみたい。

 叔父さんはとっても笑って、とっても喜んでた。みんな信じてなかったけどね」

 

「……」

 

「みんな信じなかったけど……本当によるくんだった。大きくなってて、うん、嬉しい」

 

 頼漢の周りの空気がどんどん重くなっていき、千佳はこのまま源頼漢が重すぎて地面に沈みこんでしまうのではないかと、そう思えてしまうほどだった。

 

 ずっと頼漢とゆりが話していたところに、麟児が絶妙なタイミングでするりと割り込む。

 

「林藤先輩、家族ぐるみでヨルと付き合いあったんですか?

 林藤先輩の叔父さんとヨルが面識あるとか今初めて聞いたんですけど」

 

「んーと、そうね。何から話したらいいのかしら」

 

「……」

 

 ゆりは"何から話したらいいのか"を考えると言うよりは、"何を話してはいけないのか"を考えていて、黙り込む頼漢をよそに、麟児に言っていいことを語っていく。

 

「あ、悠一くんが向こうは事情知ってるって言ってたか……

 そうね。明け透けに話しちゃうけど、叔父さんは外の世界に行くボーダーの一員なの」

 

「ボーダーの構成員……ヨルも俺も、ボーダーのことは大まかにだけ分かってますね」

 

「うん、そっか。

 年々技術は進歩してるけど、遠征は大変なの。

 戦うために行く時でも、そうでない時でもね。

 昔は特に大変だったと聞くわ。

 隣の世界に行くまでの期間でさえ食料が保たないとか。

 いくつも世界を渡っていくとなると、もう地球の食料と水も残らないとか」

 

「大航海時代の食料と水の運搬の難しさを思い出しますね……それがどうかしたんですか?」

 

「だから古株の叔父さんは、色々と詳しかったらしいわ。

 食べられるものとそうでないものの見分け方。

 虫や獣、野草などを採取しての食料調達。

 水の確保に、食中毒の回避方法に……よるくんは覚えが良いと叔父さんが褒めてたわね」

 

「覚えがよかった? ……まさかヨルが食べられる虫とかに詳しかったのは……」

 

 麟児と千佳が頼漢を見て、頬杖をついている清明の横で、頼漢が頷く。

 

「出会ったきっかけは、よるくんと手を繋いで登校してた私。

 私を通して、叔父さんとよるくんは出会ったの。

 でも叔父さんとよるくんが出会ってから、二人はとても仲良さそうに見えたわ」

 

「そうなんでしょうね。なんとなく俺にも分かります。ヨルがそういう反応してますし」

 

「詳しくは知らないけど……

 よるくんはたまに、お母さんにご飯をもらえなかったみたいなの。

 児童相談所も、少なくともその頃は動けなかったらしいわ。

 だから、叔父さんに自分でご飯を獲る方法を教わってたみたい。

 獣や虫を食べられるようになったとよるくんが自慢げに言うから、苦笑しかできなかったわ」

 

「はは……それは苦笑しかできないでしょうね……当時のヨルはそういうこと自慢しそうだ」

 

 子供の頃頼漢の手を引いてくれた、頼漢の初恋の人。

 頼漢に異様な食生活でも生きられる方法を教えた男。

 そんな二人の叔父姪がボーダーに居るという奇縁。

 それは驚くべきことだが、喜ぶべきことでもあるはずだ。

 かつて仲の良かった恩人との再会でもあるのだから。

 

 なのに頼漢は、ずっと暗い顔のまま。

 

「二人はよるくんのお友達なのよね? よるくん大丈夫?

 ちゃんと食生活改善してる? ちゃんとしたご飯食べてるといいんだけど……」

 

「例の異世界から来た怪物食ってましたよ、ヨルは」

 

「雑草と素の小麦粉食べてました、ヨルカさんは」

 

「なんで悪化してるの???」

 

 ゆりは心底びっくりした。

 

「なんででしょう」

「なんででしょうね……」

 

「ちょ、ちょっとよるくん、後で叔父さんと一緒に話があるからね?」

 

「……はい」

 

 ゆりは心底びっくりしたまま、言外に頼漢を放っておかない姿勢を明確にして、それがまた頼漢の周りの空気を重くさせる。

 

 頼漢はおそらくまだ黙っていることがあって、ゆりは意図的にそこに触れていない。

 

 頼漢がゆりに向けているのは罪悪感で、ゆりが頼漢に向けているのは姉のような慈しみ。

 

 ゆりは優しく、頼漢は避けている。晴明と麟児は、会話の流れからそれを察していた。

 

「うちの叔父さんね、特に好きなものが四つあるの。

 タバコ、塩ラーメン、動物、それと釣り。でも釣りだけは本当に下手なの」

 

「……ゆりお姉さんの方が上手いくらいでしたね、釣りに関しては」

 

「だからよるくんに、釣りだけは教えられなかったんだけど……

 もしかしてまだ魚釣りとかできてないのかしら。

 よるくんはあの頃、叔父さんから習ったことしかできてなかったし……」

 

「……はい、まあ」

 

「そっかぁ……それでここまでおっきくなれたんだから、男の子は強いのねぇ……」

 

 千佳はその時、頭の中でピースがハマるような感覚を覚えた。

 

 現代で気軽に肉を食べるなら、確かに一番良いのは魚釣りだ。

 それが一番楽で法に触れる可能性もない。

 だが頼漢は虫を食べ、合間に害獣の肉を食って栄養バランスを取っていた。

 千佳は頼漢が釣りをしたところを見たことがないし、できないということも知っている。

 

―――頼漢は釣りができないだけでお魚は好きなので鮭がおすすめよ……

 

 獣肉の栄養、虫の栄養、雑草の栄養を把握して、それらと小麦粉だけで問題なく生きていけるだけの栄養知識・採取技術があるのに、釣りの技能だけが完全に無い。

 それは、改めて見れば異様なスキルツリーの形状であると言えるだろう。

 頼漢が魚自体は好きだという話があるから、なおさらに。

 

 だが、もし、その答えが、"頼漢の師が魚釣りだけはできない"というものであるのなら。

 

―――あ、ご飯変えないとだめよ!

―――虫に雑草に小麦粉なんてだめ!

―――虫や雑草の栄養を勉強したのは偉い、って思うわよ?

―――でも、見てて心配になっちゃう。

 

 頼漢の食生活に関するスキルは、ゆりの叔父の存在をそのまま示したものであり。

 頼漢の母の霊の言葉は、そもそもゆりの叔父を前提とし、頼漢にサバイバル食技能を教えたゆりの叔父に触れていたものであったのかもしれない。

 魚釣りだけ下手だというゆりの叔父と、魚釣りスキルだけ持たない頼漢。

 

 麟児は、林藤ゆりとその叔父への信用を、暫定的に確たるものとした。

 何もなければ、疑う余地も不安視する余地もないと。

 で、あるからこそ。

 いい加減、ゆりが触れず、頼漢が避けている内容に触れなければならない。

 いつまでも頼漢がこんな状態では、思い出話も同盟交渉も良くは行えないだろうから。

 

 麟児は沈黙を守る晴明が"何を見たがっているのか"を推察しつつ、そこに切り込んだ。

 

「ヨル」

 

「……」

 

「このまんまだと、お前に好意的な林藤先輩にも、仲間の俺達にも失礼だと思わないか?」

 

「……思う」

 

「林藤先輩にも関わってることなんだろ? 話せよ」

 

「………………………………………………売ったんだ」

 

「は?」

 

 心底言いにくそうに、内臓ごと吐き出しそうなほどに重々しく、頼漢は吐き出した。

 

「壊れてた母さんが、売ったんだよ。

 教団が買い取ってくれるんだ。

 学校の名簿、連作先、個人情報。

 『カモリスト』が作れるから。

 本来、カモにできる人間のリストは1件100円が相場だ。

 だけど、個人情報付き前歴無しの家庭なら安くても1件500円で売れる……

 住所・電話番号・メルアドがありゃいくらでもカモ探しに掛けられるから……」

 

「……うわぁ……」

 

「俺は……俺は……

 売られてたことに気付いてもなかった……

 気付いてたのはずっと後だった……

 ゆりお姉さん達が相談できるようにって、俺に教えてくれてた個人情報も……

 学校の……俺を心配してくれてた別のクラスの先生の個人情報も……

 クラスメイトの住所とかも全部……

 優しい人を宗教に引っ掛けるのは、マニュアルがあるから……

 "かわいそうな赤の他人の少年"を見過ごせないやつは、宗教に引っ掛けやすいから……」

 

「そうか……………………うん」

 

「たった、500円で?

 俺を、気遣ってくれた人を?

 恩人を?

 母さんが売ってた上に、売ってたことに気付かなかった?

 一生、ゆりお姉さんにも匠先生にも顔見せられるわけねえよ……どの面下げて……」

 

 ちょっとだけ、麟児は聞いたことを後悔した。

 

『ホント(なれ)の過去とか人間関係とか掘り下げるの地雷撤去作業に近いよね』

 

 部屋の隅っこで、小さな声で晴明が呟く。

 

「……」

 

 千佳は何か言いたそうにしていた。

 それは頼漢自身を肯定する言葉か。

 頼漢の言葉を否定する言葉か。

 ただの励ましかもしれない。

 されど結局、その言葉を口には出さない。

 

 ゆりが頼漢を責めるようなら、千佳は何を敵に回したとしても、ここで交渉が決裂してこの先困ることになったとしても、懸命に頼漢を弁護していただろう。

 だが、千佳が見る限り、そうなりそうにはなかった。

 ゆりが頼漢を見る目は、困った弟を見守るような、とても優しい目だったから。

 その目を千佳は知っているから、今はただ、頼漢とゆりの話の結末を待った。

 

 ゆりが頼漢を見る目は、麟児が千佳を見る目と同じだった。

 "この子は本当に生真面目で自分のせいにしてばっかりでしょうがないなあ"という、呆れの混じった優しさが、そこにはあった。

 

「ああ、やっぱりそれ気にしてたんだ。

 いいのいいの、気にしないで。忘れちゃっていいわよ」

 

「えっ」

 

「えっ……じゃなくて。

 いやそんな騒ぐことじゃなくない?

 まあ騒ぎたい被害者も居るかもしれないけどね。

 少なくとも私と叔父さんは、そんなこと気にもしてないのよ?

 私達が気にしてないのに、よるくんが気にしても……って感じしない?」

 

 ゆりは優しく微笑んで、頼漢は困惑の表情を隠せない。

 

「お、俺は、合わせる顔がなくて……な、なんとお詫びしたらいいのか……」

 

「あー、いいのいいの。いい機会だから引っ越して電話番号変えたら実害なかったし」

 

「え、あ……そうなんすか。で、でもですね、ご迷惑をおかけしてしまったわけですし」

 

「いいのよ。

 迷惑をかけたことをどうするのかは、迷惑をかけられた方が決めるもの。

 迷惑をかけた方が決める権利なんてないわ。

 だからね、あなたが宗教で迷惑をかけたことを……許す誰かが居ても、いいと思わない?」

 

「―――っ……ありがとう、ございますっ……!」

 

「うむ」

 

 "この笑顔が見たかった"とばかりに、頼漢の顔を見ているゆりが、得意げに笑った。

 

「ホント、また会えてよかったわ。

 この件に関してよるくんを許す人が誰もいなかったらと思うとぞっとするもの」

 

「……! この恩義と仁義、生涯忘れません、ゆりお姉さん!」

 

「うーむ、こういう返答が欲しいわけじゃなかったんだけど、まあいっか」

 

 ゆりに盛大に頭を下げている頼漢をよそに、麟児が千佳の頭を撫でていた。

 

「よく我慢したな千佳、偉いぞ。

 口を出しても別によかったかもしれないが……口を出さないことも勇気だ」

 

「……わたしが口を出さない方がいいこともあるのかな、って。

 出した方がいいことと、出さない方がいいことがあって……

 その人が後悔してること、その人にとって大切なことに、気軽に何か言っちゃいけないよね」

 

「ん、いいことだ。やっぱりお前は、まっすぐに他人と向き合う方が向いてるな」

 

「そうかな」

 

「それが必要な時もある」

 

 子供達が四者四様の顔を見せているのを、晴明は静かに眺めていた。

 

 こうなることを見越していた、ボーダーの未来視能力者が居て。

 細かい部分にズレを生まないために、ほとんど発言しないという形で未来を導き、子供達がここに辿り着くのを待った頼漢の相棒の未来視能力者が居た。

 

 よき未来を作る善なる者達を、未来視の者達は愛していた。

 

 

 

 

 

 旧知の仲である頼漢・麟児・ゆりには必要のない自己紹介をゆりと千佳が交わして、話はようやく最も重要な局面に入る。

 

「そろそろ、真面目な話も進めた方がいいわね。まず、これを見て」

 

 ゆりが懐から取り出したのは、二匹の猫が映った写真だった。

 二匹の猫がテーブルの上でじゃれているようにしか見えない、謎の写真だった。

 頼漢はその写真に秘められた真実が理解できず、ごくりとつばを飲み込む。

 

「ゆりお姉さん、これはなんすか……?」

 

「……ごめんなさい、これは特に関係ない写真だったわ」

 

「でしょうね!」

 

 ゆりは微笑んでごまかし、猫の写真と別の写真を入れ替えた。

 

 改めて出された写真は、青色の煙に包まれた赤色の森。

 

 あまりにもサイケデリックで非現実な色合いが、"これは異世界の写真だ"とひと目で頼漢達に理解させてくれる。

 

「今なんとか無事なボーダーの多くは、アリステラの最後の実地調査をしてるわ。

 常に無毒の煙に包まれた森、最後の決戦場となった場所。スモーキング・フォレスト」

 

「横綱の森……?」

 

「ヨル、相撲キングフォレストじゃない」

 

 頼漢が真面目な顔でコメントしても、台詞で台無しになってしまっていた。

 

「今ものすごく"ああよるくん変わってないな"って思わされたわ」

 

「でしょう? 俺もヨルと再会してすぐそう思ったんですよ。やっぱ林藤先輩は分かってますね」

 

「俺いじりに入る前に話を進めてくれ」

 

「そうね、こほん。

 最後の戦いの場を改めて調査して、アリステラの安全の最終確認を終わらせてるの」

 

「やっぱり、ボーダーは……ゆりお姉さん達は勝って、アリステラを守れたんすね」

 

「ええ。私は完全勝利だと思ってるわ。そう思ってない人もいるけどね」

 

 "思ってない人?"と頼漢と麟児が疑問を持つが、その疑問を問う前に話が進む。

 

「結論から言うと、ボーダーはあなた達と手を組む用意があるわ」

 

「!」

 

「今、ボーダーには戦力が足りてないの。

 というより、人が足りてないのよね。

 叔父さんがよるくんの人格に太鼓判を押してる。

 "何があっても善き人である奴だ"ってね。

 未来を視てる悠一くんも信用できると言ってるわ。

 実際、それでボーダーからあなた達への感情と評価は悪くないの。

 だから共闘関係までなら、今ここで私が"YES"と応える権限を与えられているの」

 

「マジですか! よろしくお願いします、ゆりお姉さん!」

 

「有事の共闘以上のことは、幹部以上の人達が全員戻って来てからかな……

 ほら、細かいところだと面倒なことが増えるでしょう?

 『有事には●●の所属隊員の命を市民より優先し、戦力を保持する』

 とかの契約を結ばないといけなくなったら面倒じゃない?

 そのあたりの細かいところを詰めるのは、偉い人が来てからにしないとね」

 

 頼漢と千佳の視線が、麟児に向けられる。

 

「麟っち、頼んだ。頭を使うのはお前の独壇場ってやつだぜ」

 

「ああ、分かってる。ヨルと千佳に任せておけるようなものでもないしな……」

 

「頑張って、兄さん」

 

 仲間の信頼を一身に受け、麟児も悪い気はしていないようだった。

 

 ゆりもまた、"よるくんが一人じゃなくてよかった"とほっとした顔をしている。

 

「じゃ、改めて、新しい仲間の皆さんようこそ! ってことで。

 この玉狛ことボーダー本部のどこに何があるかなど、この林藤ゆりが案内―――」

 

 うまくやっていけそうだなあ、と頼漢が思って。

 仲良くやっていけそうかも、と千佳が思って。

 晴明が何気なく部屋のドアに視線をやった、その瞬間。

 

 そのドアが開き、冷たい目をした少女が入ってきた。

 

「反対よ」

 

 頼漢は驚いた。

 

 その少女が、あの日の夜の公園で、頼漢を救ってくれた包帯の少女だったから。

 その少女が、ボーダーのエンブレムを着けた外套を身に着けていたから。

 その少女が、あまりにも冷たい目をしていたから。

 その少女が、あの日の少女と同一人物とは思えないくらいに変わり果てていたから。

 自分の目を疑うほどに、頼漢は驚いた。

 

 少女はいくつもの買い物袋を抱えていて、それをどさりとその場に置く。

 

「桐絵ちゃん? お買い物ありがとう、お帰りなさい」

 

「聞こえなかったの? 反対よ。そいつらと組むなんてありえない」

 

「桐絵ちゃん……?」

 

 救われたあの日。

 春の日の太陽のような笑顔だと、頼漢は思った。

 周りをぽかぽかとした気持ちにさせる、これから成長してもっと熱く強くなっていく、四季の太陽の中でもっとも優しく美しい太陽のような、そんな笑顔。

 彼女のまっすぐな言葉と、家がy区笑顔と、労る姿勢に、頼漢は救われた。

 あの日のことを忘れることなどありえない。

 

 だからこそ。

 ()()()()()()()()()()()少女の姿は、あまりにも痛ましかった。

 あの夜に頼漢が出会った少女は、心が無傷で、体が傷だらけだった。

 今日頼漢が再会した少女は、体が無傷で、心が傷だらけだった。

 戦争の中で何かを奪われて、そのまま帰って来てしまったような、そんな傷が見て取れる。

 

 少女は笑わなかった。

 少女は冷たかった。

 少女はこれまでの自分を忘れていた。

 それが頼漢の心に、拭い去れない苛立ちのようなさざ波を生み出していた。

 

 立ち上がった頼漢と、少女が対峙する。

 

「しばらくぶりね」

 

「ああ、しばらくぶりだな」

 

「名乗ってなかったわね。小南桐絵」

 

「源頼漢だ」

 

 望まぬ形の、再会だった。

 

「組むのはありえないって、どういう話だ?」

 

「弱いやつなんか居ても足手まといだけだって言ってんのよ」

 

「……あ?」

 

「映像見たわよ。

 一般人が撮影してたあんたの戦い。

 よくあんな無様な戦いしておいて、まだ戦おうなんて思えるわね」

 

「んだと?」

 

「ボーダーに武器全部置いていって、帰って普通の暮らししなさい。それがお似合いよ」

 

「喧嘩売ってんだな?」

 

「売ってないわよ。

 事実を言ってるだけ。

 あんたみたいに弱いやつの助けなんて、ボーダーには要らないわ」

 

 頼漢と小南の強い言葉が、ぶつかり合う二人の間で弾け合う。

 

 売られた喧嘩は買う。二人は元よりそういう性格だ。だとしても。

 

 こんな形で再会しようとは、思っていなかっただろうに。

 

「ボーダーと組まないとしても武器は全部ここに置いていきなさい。

 戦場に出てこようなんて思ったら許さないわ。

 流れ弾が飛んで来るかもしれないわね?

 それが嫌ならずっと大人しくしてなさい。あたし、弱いやつは嫌いなの」

 

「お前っ……!」

 

 その言葉が。

 その言葉を少女に吐かせるまでに至ったこれまでが。

 少女を歪ませためぐり合わせが。

 

―――あたしは弱いやつが嫌いとかそういうのないのよね。

―――あ、頑張ってないやつは嫌いだけど。

―――大事なのは頑張ってるかどうか。

―――頑張ってるやつなら弱いやつでも別に嫌いじゃないわよ

 

 頼漢の心の、一番奥を震わせた。

 

「俺は弱ぇよ。お前の言う通りだ。

 気に食わねえクソどもを俺一人で全滅させる、その程度のことすらできねえからここにいる」

 

「……だったら」

 

「だが」

 

 今、頼漢の瞳は。

 

 世界を見ていない。

 仲間を見ていない。

 母の仇を見ていない。

 守るべき街の人々を見ていない。

 手を組もうとしているボーダーさえ見ていない。

 

 今、頼漢の瞳は、目の前の少女だけを見ている。

 

 不器用な少年は、ただ今向き合わなければならないものに、全力で向き合った。

 

「弱ぇなりに『するべきことをする』って、他の誰でもねえ、テメエに誓ってんだよ」

 

 まっすぐに小南の瞳を見てくる頼漢に、威圧感だとか、敵意だとか、殺意だとか、そういうものとは全く違うものを感じて、小南は少したじろいだ。

 

「……そうやって、するべきことをしようとして、どっかで野垂れ死ぬんでしょ?」

 

「お前みたいなガキよりは死なねえよ。

 俺は最弱だが、するべきことをするためなら、最強にだってなってやらぁ」

 

「ガキ?」

 

 その時初めて、小南の瞳に、冷たさ以外のものが戻った。

 

「ガキ扱いされるのは嫌いって、前会った時言わなかったかしら」

 

「覚えがねえな。言ってねえんじゃねえか?」

 

「言ったわよ……! むっかつくわね……!」

 

「おうおうムカつけ。テメエがいくらムカつこうが俺は戦うことをやめねえぞ」

 

 頑固な頼漢に、小南が苛立って声を荒げた。

 

「なんで……なんで言うこと聞かないのよ! あんなに弱っちいのに!」

 

「確かめてみるか?」

 

「は?」

 

 頼漢が小南の目の前で、大きな拳を握ってみせる。

 

「ただの喧嘩しようぜ。俺はお前とダチになりてえ」

 

 もしも、戦うことしかできないと自分を評している男の子がいるとして。

 もしも、目の前の女の子を救いたい気持ちがあるとして。

 もしも、戦うことで救うことができるなら。

 

 躊躇わないことが、源氏の男の条件である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 訓練室に移動した二人は、模擬戦をする運びとなった。

 頼漢が勝てば、小南は頼漢の友達になる。

 小南が勝てば、頼漢は全ての武器を捨てて日常に帰る。

 そういう条件で、二人は模擬戦をすることになった。

 あまりにもアンバランスな条件での模擬戦であるが、これを提案したのは頼漢自身。

 小南には断る理由が無かった。

 

 訓練室の中には、既に擬似的に再現された彼らの街の一角が、精密に構築されている。

 

「トリガー起動(オン)

 

 そして頼漢は、人生において初めて、異世界の基幹技術……『トリガー』の起動を目撃した。

 

 小南が手にした棒状のトリガーから、光が放たれていく。

 体に端からうっすらとした光が走り、服装が……その奥の肉体すら、置換されていく。

 ショートヘアだった小南の髪すら一瞬で伸び、腰まで届くようなロングヘアに置き換えられ、小南が鬱陶しげに長い髪を左手でばさっと横に流した。

 風に流れるように流れた薄茶の髪が、まるで名画の一幕のようで。

 とても綺麗に、頼漢の瞳に映った。

 

 "変身"だと、頼漢は思った。

 昔、街角のテレビで見たもの。

 日曜日の朝、ヒーロー達がしていたもの。

 日常と戦闘を切り分け、必要な時に切り替える、戦う姿に変わるもの。

 ヒーローの証明。

 

 頼漢が守りたいと願った"これからの未来に向かって成長していくヒーロー"の、解答の一つのような存在が、そこに居た。

 

「なんじゃそりゃ」

 

「トリオン体。戦闘体よ。

 トリオンで出来た戦闘のための体。

 本当に、こういうの使ったこと無いのね、あんた」

 

「ねえな。で、どうすりゃ勝敗が決まる?」

 

「ボーダーのトリガーは人を殺さないように出来てるの。

 攻撃が当たれば衝撃はないけど、痛みが走って気絶するわ」

 

「それがお前の勝利条件、と。俺はどう勝てばいいんだ?」

 

「トリオンの身体はトリオンの攻撃で破壊できるわ。

 あたしの頭か胸を破壊すれば、それであたしの身体は崩壊してあんたの勝ち」

 

「なーる。理解した」

 

「ま、勝てるわけないけどね。あの程度の相手に苦戦してるやつに」

 

「イキるなよロリ。ガキンチョにあっさり負けてやる気はねえよ」

 

「……」

 

「……」

 

 頼漢は天から地に振り下ろすように、虚空から蜘蛛切を抜刀した。

 対し、小南は何も抜かない。

 ごく自然体で立っている。

 隙だらけのように見えるが、これに迂闊に踏み込むと、安易な接近に対するカウンターが飛んで来る―――頼漢にはそんな確信があった。

 長くなった髪を揺らめかせ、冷たい目で頼漢を睨み、小南はそこに立っている。

 

 小南は"お前は弱い"と思い知らせるために。

 頼漢は"俺は強い"と思い知らせるために。

 思い知らせた先に、最も大事なことを伝えるために。

 両者は戦う。全力で。

 

 訓練室の管理部屋から、審判を担うゆりの声が届き、模擬戦が始まった。

 

 

 

《 二人共、準備はいい? 試合開始! 》

 

 

 

 小南がゆらりと右手を上げ、そこに光のキューブが現れる。

 光のキューブは20ほどに分割され、光の弾丸となって頼漢に放たれた。

 

「『アステロイド』」

 

 弾速は拳銃弾程度。

 威力は戦艦をプリンのように貫くほどだが、人体相手なら破壊力はない。

 普通の人間であれば、回避も防御も不可能―――しかし頼漢は、容易くかわす。

 小南からすれば小手調べ程度の軽い攻撃であったが、余裕をもってかわされたことに、内心舌打ちせずにはいられなかった。

 

「……あんたがいっそ、本当に身の程知らずなだけだったら、話は速かったのに……!」

 

 小南が素早く走り、距離を詰めに行く。

 

 少女が瞬時に抜刀した光の剣は、光り輝く小太刀二刀。

 

「『弧月』」

 

 二刀を手にした少女が、全力疾走で頼漢との距離を詰めてくる。

 頼漢はもう少し、小南の"手"を見ておきたかった。

 よって、まず防壁を展開し、素早く動けるよう舞踏のステップを踏み始める。

 

「トリガー・ブロック!」

 

《 隠神盾・起動 残り回数2 》

 

 左手の盾から白い六角形がいくつも飛び、稲妻のような霊力(トリオン)がそれらを繋ぎ、大きな霊力(トリオン)防壁を形成する。

 陰陽術の堅固な結界。

 今日に至るまで、いかなる攻撃もこの盾を突破できていない。

 

 そんな隠し神の装甲を改造した盾を、小南は濡れた和紙かなにかのように切り裂いてきた。

 

「!」

 

「まさかあんた、こんな盾で自分の命を守れるとでも思ってたの?」

 

 これは不味い。

 小南の斬撃は、頼漢の手持ちの装備……妖怪を素材とした武器では受け切れない。

 蜘蛛切でも、おそらく3秒しか耐えられない。

 そして、千佳に補給してもらえない模擬戦ゆえに、3秒を無駄に使ってしまえばもう小南を倒す手段がない。

 

 頼漢が選んだのは、全力の跳躍であった。

 

 小南の斬撃を遮二無二かわし、そこから全力の疾走で距離を空けようとする。

 しかし、距離が離れない。むしろ距離が縮んでいく。

 小南は頼漢より優秀な武器を持ち、頼漢より遥かに高い攻撃力を持っていて、その上で頼漢より明確に速かった。

 

「アステロイド」

 

 その上で、追いかけながら正確に射撃を撃ってくるという隙の無さ。

 頼漢は舌打ちせずにはいられなかった。

 かわしながら逃げたところで、遅くなった逃げ足で小南から逃げ切れるわけもない。

 頼漢は振り向かないまま弾丸をかわし、市街地であることを利用して、各住宅を囲う塀を蹴って住宅の屋根の上へと飛び上がった。

 

 小南の予想以上の脅威度に、頼漢は認識を改める。

 この敵は、小南桐絵は、油断していた敵に初見殺しを叩き込んだ黒い土蜘蛛戦を除けば、おそらく過去最強の強敵だ。

 

「……!」

 

 小南もまた、驚きを隠しきれていなかった。

 人間離れした生身の身体能力。

 後ろから撃たれて、振り向かずに弾丸をかわし切る直感力と生存能力。

 自身の全能力を本能的に磨き上げてきた野獣のような、理外の動き。

 小南は"負けるかもしれない"とは思わなかったが、今まで戦ったことのない異様な存在に、抱いた困惑を隠しきれなかった。

 

「……クソが、こいつも奇縁だって話か?」

 

 "アステロイド"と呼ばれる光の弾丸。

 "弧月"と呼ばれる光の剣。

 どちらもこれまで頼漢を苦戦させてきた妖怪たちを撃破して余りある、非常に優秀な性能であることが見て取れた。

 

 アステロイドとは、星のこと。太陽系を巡る小天体のことだろう。

 弧月とは、月のこと。太陽に照らされる月が描く弧の形のことだろう。

 

 その二つは星と月。

 頼漢が、幼少期からずっと愛し、憧れ、大好きだと思い続けたもの。

 それが今、頼漢を阻む敵として在る。

 

 だが、頼漢が今苛立っているのは、そんなことが理由ではない。

 

 アステロイドは太陽系の小天体。

 太陽に照らされ、それで初めて観測できる。

 弧を描く月は、地球に寄り添う傍付きの衛星。

 太陽に照らされ、それで初めて空に輝く。

 そういうものだ。そういうものが、頼漢はずっと好きだった。

 

 なのに。

 

 小南桐絵の、太陽のような笑顔だけが、そこにない。

 

 月と星があるならば、そこに在るべき太陽の笑顔が、そこに無い。

 

 太陽だけが奪われた、酷くいびつな美しい空。それが、今の小南桐絵だった。

 

 頼漢が子供の頃から好きだったものが、頼漢をあの夜に救ってくれた素晴らしき少女が、最悪の形で陵辱されて、歪んだ形でそこにある。

 

 何を失ったのか。

 何を壊されたのか。

 何を奪われてしまったのか。

 頼漢には知る由もない。

 だが、それでも、許せないという気持ちはふつふつと湧いてくる。

 

 『奪う者』を許さない気持ちが吹き出す時、頼漢はいつも限界を超える。

 

「気に入らねえなあ。ああ、気に入らねえ。

 また俺の知らねえところで"奪って"いきやがったな、クソ野郎ども」

 

 小南の向こう側に見える、小南から何かを奪っていった悪を思って、怒りを吹き上げる。

 

 そうして、小南に視線を戻し、小南ただ一人を救うべく、全身全霊を研ぎ澄ます。

 

 ただ、ただ、今は小南だけを見る。

 

「―――俺を救ってくれた太陽を、返してもらうぞ」

 

 屋根上から踏み込んだ頼漢が、最高最速の斬撃を放ち。

 小南桐絵が、信念を込めた斬撃で迎え撃ち。

 

 激戦の狼煙を上げるように、斬撃音が響き渡った。

 

 

 

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