ワートリハードモード トリオン能力1未満トリガー無し敗北即死   作:ルシエド

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 くたくたになった身体で、小南桐絵は自室で一人動画を見ていた。

 

 "先日、謎のトリガー技術らしきものを使う人間が街を守った"。

 "ボーダーがアリステラに集中した隙を狙った大規模な攻撃があった"。

 "奇跡的に死者は0で、その人間が人々を守った"。

 "生身でトリオン兵の体の一部を武器として扱う未知の戦闘法を使っていた"。

 "皆の家族も全員無事だ"。

 "一般人の撮影と監視カメラの記録を繋げて動画を作成した"。

 "抜けている部分があまりにも多いが、全員一度は必ず見ておくように"。

 

 びっくりするやら、困惑するやら。

 ボーダーの皆が多かれ少なかれ、どういうことなのか分かっていなかったが、地球に家族を置いてきたものがほとんどだったので、皆安心したようだった。

 街を守ってくれた人物に対する感謝も、にわかに巡る。

 源頼漢は世界の向こうで、会ったこともない者達に感謝され、それに気付いてもいなかった。

 一方、既に冷たい目に変わり果ててしまっていた小南はだいぶ訝しげだった。

 

 どんなやつなんだかわかったもんじゃない、だとか。

 たまたま侵略者と敵対してたやつが侵略者を殺しに行っただけかもしれない、だとか。

 自分が後々拐う予定の一般市民を確保してただけかもしれない、だとか。

 そんなことを思っていた小南の認識は、映像に映っていた見覚えのある後ろ姿を見た瞬間、全て吹き飛んだ。

 

「あいつだ」

 

 小南は映像を映すテレビにかじりつくようにして、源頼漢の戦いを見る。

 

 あの日名前も聞かなかった少年は、迷いなく、憂いなく、弱さなく、全ての心の問題を解決した強者らしく、恐るべき化け物達に立ち向かっていた。

 

「あいつだったんだ。……よかった、お母さんのこと、上手く行ったんだ」

 

 トリオンもない。

 トリガーも無い。

 トリオン兵から奪った体の一部を使っているだけ。

 無傷で余裕で切り抜けられた場面などない。

 常に懸命に、常に必死に、全力を尽くして切り抜けていく、生身の戦士。

 小南は手に汗握り、頼漢が3秒の刃を展開するたびに、拳を握って立ち上がり、どたどたと忙しなく動き回る。

 

「よし、よし、そこよ! よしっ! やるじゃない! トリオン全然無さそうなのに!」

 

 いつ誰が死ぬか、誰が拐われるか分からない。

 それどころか頼漢がどこで小さなミスをして死に至りそうですらある。

 サイコロで6以外を出したら即死、たとえるならそのレベルの綱渡りの連続であり、そんな目眩のする最悪の盤上が動き続けていく。

 綱渡りに次ぐ綱渡りを、小南はハラハラしながら見守っている。

 

 なのに頼漢は、身の程知らず―――否、恐れ知らずの在り方で、どこの誰でも助けに行き、血みどろになりながら死者0を目指して立ち回る。

 目指した未来以外の全てを後回しにして、全員を救うべく全力で。ひたむきに。

 だから、一般人を庇いに行って頼漢が吹き飛ばされ、血がそこら中に撒き散らされると、小南は真っ青な顔で絶叫する。

 

「ああ、何やってんのよー!」

 

 トリオン兵は地球の低レベルな自立稼働機械とは比べ物にならない知能を持っている。

 勢力Bのトリオン兵は、特に悪辣さが際立っていた。

 病院を狙い、頼漢のリソースを削り、頼漢の3秒を使わせて、根本的にトリオンの才能が無い頼漢を死に近付けて行く。

 街に人々が居る限り、街の人々を優先して血まみれになっていく頼漢を見て、小南は焦りと怒りと"助けに行きたい"という気持ちで派手に足踏みをする。

 

 だがこれは記録された映像で、過去の映像でしかない。

 助けに行くことなど不可能だ。

 分かっているけど納得はできなくて、小南はテレビをがたんがたん揺らしてその向こうのトリオン兵達に怒鳴って叫ぶ。

 

「ひっきょうものぉーっ!

 正々堂々戦おうっていう気は無いの!?

 普通の攻撃が無条件で効かない時点であんたらズルしてるようなもんでしょうがっ!」

 

 追い込まれ、追い込まれ、追い込まれ。

 

 されど、源頼漢は負けない。

 

 "後ろに死なせたくない人達が居るから"以外に理由は無さそうなのに、それだけを理由に、奪う者には決して負けない。

 

「ああっ、ちょ、ああっ!

 あんたらねえっ!

 不利なのにめっちゃ頑張ってるあいつのことも考えなさいよ!

 知ってるのよ、いいやつなのよ!

 いいやつだから頑張って人を守ってんのよ! だから、だからっ!」

 

 踊るように戦い、舞うように悪を討つ姿に、次第にのめり込むように応援する。

 

 敵に怒ることも、頼漢を応援することも、全ては今更だけれど、それでも応援した。

 

「頑張れ……頑張れっ……!」

 

 頑張っているやつが好きで、頑張っているやつを嫌いになれない、そんな彼女だから。

 

 彼女の瞳の中で、誰よりも頑張って人を守っている頼漢は、ヒーローだった。

 

「………わああああっ! やたっ!」

 

 頼漢がバムスター、モールモッドを両断するたびに、小躍りする。

 頼漢が強がって不敵に笑うたび、その強がりに思わず笑顔になってしまう。

 頼漢の血が流れ出るたび、口元を抑えて顔色が真っ青になる。

 頼漢が踊るように戦うたび、その華麗さに手を打った。

 小南は映像の途中だというのに立ち上がり、あの夜に出会った彼のことを皆に教えるべく、走り出そうとした。

 今のまま、彼が怪しい謎の戦士として扱われることが、小南は我慢ならなかったから。

 

「あいつが信じられるやつだって、みんなに教えてあげないと……!」

 

 そして。

 気付いてしまって、浮かれていた空気が抜けていく。

 まるで、穴の空いた風船のように。

 立ち上がって、元気良く踏み出した一歩の後が続かない。

 

「あ」

 

 アリステラ防衛戦における、ボーダー構成員の()()()()()()

 途中、絶望的な戦力差に、そもそもほぼ確実に死ぬと言われた状況から盛り返し、奇跡の中の奇跡を掴んで死者0で乗り越えた。

 地球・アリステラの歴史に類を見ない大逆転勝利であり、歴史上最も絶望的な戦力差をひっくり返した戦争として、アリステラの歴史の教科書に名前が載ることが既に決まっていた。

 だが、しかし。

 ボーダーに負傷者無し、というわけにはいかなかった。

 

 小南と仲の良かった子供勢は、7人中6人が重傷。

 子供以外も、11人中5人が重傷。

 その内6人が、命に別条はないものの、未だ意識が戻っていない。

 

 奇跡的に――あるいは必然的に――軽傷で済んだのは小南桐絵のみ。

 19人中11人がアリステラでの懸命な治療を受けているが、重傷であるため余談を許さない。

 死の可能性は無いと未来視で保証されているが、それが何の救いになるのか。

 

 迅悠一は切り落とされた足がアリステラの技術で上手く繋がったため、もう復帰している。

 木崎レイジは内臓破裂の治療が間に合ったため、治療を継続しつつ現場復帰。

 最上宗一は吹き飛ばされた腕が発見できなかったのもあり、隻腕のまま任務継続。

 林藤ゆりは全オペレーター虐殺事件の時のトリオン汚染が深刻であったが、痛み止めを飲みつつ一~数ヶ月ほどの療養を経て、自力での回復を行うことが本人の意思で決定した。

 

 忍田真史は戦線復帰も絶望視されたが、驚異的な回復力でリハビリ中。

 城戸正宗はアリステラ司令部全滅事件で死に至るところであったが、アリステラ騎士団長が生み出した回復能力を持つ『(ブラック)トリガー』の力で回復、命を繋いだ。

 林藤匠は敵国の戦略兵器投入によって街ごと全身灰燼にされかけたが、前述の回復の(ブラック)トリガーによって生還し、現在は任務に復帰している。

 

 残り11人全員が、回復能力のある(ブラック)トリガーで命を繋いだものの、現在活動できている8人の誰よりも酷い惨状。

 惨憺たる状態であり、死者が出なかったことは、奇跡と言う他なかった。

 

 当然ながら、アリステラ人が最も死んでいる。

 なにせ、世界を丸ごと滅ぼす侵攻―――地球でも同規模の戦争などない、本物の絶滅戦争だったのである。

 戦える者も、戦えない者も、王族も、一般人も、放っておけば全員一人残らず殺されていたかもしれないという、そういう規模の戦争だったのだ。

 小南が守れなかった人も、多かった。

 とても、多かった。

 アリステラでの総死者数は、もはや数えるのもバカらしい数に達していた。

 

 ゆえに、現在のボーダーでは人手が足りていない。

 戦える者が足りていない。

 構成員はボロボロで、アリステラからの援軍も全く望めないからだ。

 社会の混乱を防ぐために急いで各種発表などを急いでいるものの、その結果として急いた他世界が侵攻して来た場合、まるで手駒が足りないという状態だった。

 

 頼漢は十分トリオン兵と戦えている。

 そして、人を守る意思がある。

 その存在が露見すれば、確実にボーダーに招かれるだろう。

 やがてボーダーとして戦って―――死ぬか、死んだ方がマシなほどに切り刻まれるか。

 

「ダメよ」

 

 真っ青な顔で、小南は決めた。

 

 彼のことを、自分は絶対に喋らないということを。

 

 母親が大好きな彼が、こんな凄惨な戦争に巻き込まれないようにしようということを。

 

 そのために、彼のことを隠し、彼と母が生きる街を守らねばならないと。そう、思ったのだ。

 

「あいつのことを教えたら……

 こんな戦いに、あいつを巻き込むことに……

 トリオン体も使ってなかった……私達より死にやすい……死んじゃったら……」

 

 小南の表情が、その目が、どんどん冷たくなっていく。

 今の小南桐絵の心は、穴の空いたバケツに近い。

 心に温かなものをいくら注ぎ込もうとも、すぐに全て抜けていって、冷たい己が戻って来る。

 穴の空いたバケツにいくら元気を注ぎ込んでも、意味はない。

 

 穴から流れ出ないほどに大きなものを、注ぎ込まない限りは。

 

「―――」

 

 映像の中で、頼漢が長い名乗りを上げている。

 

 そして戦いが終わり、誰一人死ななかった街が、夕暮れの赤に照らされて、輝いていた。

 

 赤色。勇気の色。頼漢が流した血の色。ヒーローの色。

 

 たった一人で()()()()()()()()()()()()頼漢を、小南はまばたきもせず見ていた。

 

「―――ぁ」

 

 その日、多くの悪が頼漢に阻まれ、誰一人として傷付けることができなかった。

 その日、多くの悪が頼漢に阻まれ、誰一人として殺すことができなかった。

 その光景は、小南が成し遂げて当然だと思っていた光景だった。

 成し遂げることができなかった光景だった。

 

 小南は仲間達と共にアリステラに出陣し、アリステラの戦士達と共闘し、その上で数え切れないほどの命を奪われた。

 頼漢は仲間に支えられながらもたった一人で奮闘し、全ての命を守ってみせた。

 

 無論、それは敵の強大さの差があったからに他ならない。

 アリステラに頼漢が居ても、おそらくどこかで野垂れ死んでいた可能性が高いだろう。

 小南にもそれはわかっている。

 頼漢を過大評価していたなら、頼漢がボーダーに招かれないようにしようだなんて思わない。

 

 だが、小南にとって、そんなことは関係がなかった。

 

 どんな強敵が相手でも、勝つと誓っていた。

 どんなに絶望的な状況でも、絶対に守ると誓っていた。

 アリステラの人々を。

 アリステラで共闘してくれた戦士達を。

 みんな、みんな、小南は好きになっていたから、全て守ると誓っていた。

 

 誓ったのに、守れなかった。

 

「……そっか……あんたは……あたしと違って……」

 

 アリステラで、小南は道を歩く子供達を見た。

 子供が子供の手を引いてあげる、子供が子供を助ける光景を見た。

 その子供達と遊んであげたこともあった。

 

 飛行船の中で、老人夫婦に席を譲ってあげている姉妹を見た。

 子供が老人を助ける、譲り合いのひとときを見た。

 "今度見たらあたしが席を譲ってあげよう"と思っている内に、戦争が終わってしまった。

 

 "じけいだん"とアリステラの言葉で、拙い文字で、書いた旗を持った少年達がいた。

 友達が友達と助け合い、戦争の最中に、自分達で街の平和を守ろうとしていた。

 小南は「子供は危ないからやめときなさい」と忠告しに行ったが、その少年達と同年代だったせいで「お前も子供じゃん」と煽られてしまい、頬を膨らませて帰ったこともあった。

 

 川に流されている猫を助けてと、その少年達が小南に頭を下げに来たこともあった。

 「しょうがないわね」と小南はトリオン体に換装し、川に突っ込んで猫を助けた。

 感謝の言葉を口々に言う少年達に、小南はあんた達が猫を救ったのだと、そう言った。

 

 少年達が噂を広めて、その街で小南は人気者になった。

 食料も段々厳しくなってきているのに、食料品店の店主がアリステラ特産の果実を一個投げ渡してくれて、「いつもありがとう」と小南に言っていた。

 それが小南の好きな味だったから、この果実分くらいは守ってあげようと、そう思った。

 

 怪我したボーダーの仲間の様子を見に、病院に足を運んだ。

 傷付いた仲間をアリステラの医者が治してくれていて、小南はほっとする。

 仲間の命を救ってくれた医者を、あたしがこの手で守って恩を返すんだと、そう奮起した。

 

 アリステラの絵本でも買ってアリステラの言葉を覚えようと、そう思って本屋に入ったが、高い位置の本に手が届かない。

 そうしていたら、アリステラの騎士団長がやってきて、小南の代わりに取ってくれた。

 騎士団長は子供を戦わせることにいい顔をしない人だったが、頑張って人を守ってくれている小南に感謝しているのも本当で、本を小南に買ってあげて「いつもありがとう」と言って行った。

 

 小南が侵略者から助けた父親が、息子を連れて礼を言いに来た。

 どこか、小南自身の父親に似ている人で、だからあまり放っておけなかった。

 息子の方が、今度生まれる妹に「キリエ」と名付けると言っていた。

 小南はついつい、つっけんどんにしてしまったけれど。

 彼らを守ろうと、そう思った。

 この繋がる営みを守ると、そう誓った。

 

 世界を守るということは、大枠だけを守ることではない。

 その世界に生きる人々を守るということ。

 人々の営みを守るということ。

 この毎日が明日からもずっと続いていく、そんな当たり前を守るということだ。

 

 『あたしはこの世界を守りに来たんだ』と、アリステラの人々と触れ合うたび、小南は深く深く理解していった。

 

 けれど、もう、全員が、この世に居ない。

 

 なのに生き残った皆が、小南に感謝する。世界を救ってくれてありがとう、と。

 

 守れなかった小南に感謝する。あなたのおかげです、と。

 

 守れなかった子供達の親が小南に告げる感謝の言葉が、小南の心に穴を空けていった。

 

 戦いが終わり、目覚めない傷だらけの仲間達の姿が、小南の心の穴を広げていった。

 

「あたしは」

 

 憧れるように、恨むように、愛するように、憎むように、尊敬するように、嫉妬するように、守りたいと願いながら、守ってほしいとも思いながら、小南は自分が守らなければならない少年を、自分と違って人々を守りきった少年を、泣きそうな目で見つめていた。

 

「あたしは……あんたに合わせられる顔なんて、無いのかも……」

 

 全てを守りきって、"未来に誰かを救う英雄となる人達"の全てを傷付けさせなかった、そんな頼漢の姿を、幼い小南はじっと見つめる。

 太陽を見るように。

 太陽を見て、目が潰れていく苦しみを味わうように。

 灼け付く心に、言葉にし難い気持ちを覚えながら。

 

 『あたしはどうすればよかったのかな』と―――答えを返してくれない、映像の中の源頼漢に、問いかけ続けた。

 

 

 

 

 

 アリステラでの戦いが終わってから、頼漢と小南が戦うまでのしばしの間、ボーダーの残ったメンバーがすることは山のようにあった。

 異界での戦争は終わった。

 これからは、次の戦いに備える時間だ。

 

「―――というわけで、これから先の未来を話すから、小南には上手く動いてほしいわけよ」

 

「嫌よ」

 

「ありゃ」

 

 "迅悠一"が、小南にこれからの未来に纏わる指示を出そうとして、小南に突っぱねられる。

 

 冷たくなった小南桐絵はいつもどこかトゲがあって、以前にあった小南の美点がいくつか損なわれてしまっていて、それでもまだ、小南らしさを全て失ってはいなかった。

 

「あんたの未来予知が完璧だったら、誰も死ななかったでしょ、そもそも」

 

「……まあ、そうだな」

 

「人が死んでる時点で、あんたの未来予知は万能じゃないって皆わかってんのよ」

 

「ああ。全部、おれが悪いと思ってる」

 

「だから、もうあんたの未来予知にただ頷いて従うのはやめたのよ」

 

「悪いな。信用されないような、ダメな未来視で」

 

 小南の声は冷たく、迅に現実と、これまでの罪を突きつける。

 

「そうじゃないわよ。信じてないってわけじゃないわ」

 

 だが、突きつけるだけに終わることはなく。

 お前が悪い、などと言うこともなかった。

 

「あんたが未来見て、色々決めて、それで駄目だったら……

 なんか……全部あんたのせいみたいになっちゃうじゃない……」

 

「……ああ」

 

 納得した風に、迅は苦笑した。

 

「あんたが苦しんでないなんて、一度も思ったことないわよ」

 

「そっか。小南はいいやつだな」

 

「みんな、死んじゃったけど……

 迅のせいじゃないわ、絶対。絶対にそう。だから……」

 

 小南の冷たい目は、奪われた証であり、後悔の証であり、同時に決意の証でもあった。

 

 もう誰にも任せない。

 もう誰にも頼らない。

 もう誰にも甘えない。

 ただ冷たく、感情を殺し、二度と笑わず、最適な道を選ぶがために。

 

 笑っていた自分が、良くなかったんじゃないか?

 楽しんでいた自分が、良くなかったんじゃないか?

 人との交流を喜んでいた自分が、良くなかったんじゃないか?

 そんな風に遊んでいなければ、最初から冷たく無慈悲に、無駄なく死力を尽くしていれば……誰も、死ななかったんじゃないか?

 後悔はそういう風に、小南桐絵を蝕んでいく。

 

 冷たくなっても、小南桐絵は小南桐絵だから、仲間をちゃんと大切にしていて。

 冷たくなってしまったから、皆が愛した小南桐絵は、どこかに行ってしまっていた。

 

「あんたの未来予知で全部決めたりしない。

 あたしも自分の目で見てちゃんと決める。

 そしたら、迅だけのせいになんてならない。

 どんな未来になってもあたしのせいでもあるでしょ」

 

「お前が思ってる以上に、そいつは結構重いもんだぞ」

 

「上等よ」

 

 冷たい目。

 冷たい声。

 冷たい表情。

 膨大な数の絶望が、小南から熱と優しさを奪い去って行った。

 

「甘さなんて全部捨てる。

 あたしの要らないところ、全部捨てる。

 許せないもの、全部捨てる。

 これまでのあたしが、全部許せないから……今度こそ、全部守れるあたしに……」

 

 一人で歩いていく小南を、迅は見送る。

 

 小南は、自分の全部が許せないから、自分の全部を否定して、他者の全部を守ろうとする決意を固めてしまった。

 ここで迅が何をしても、何を言っても、小南は悪い方にねじれるだけ。

 他の仲間が何をしても、何をしても、結果は悪化しかしない。

 それは、普通なら絶望だ。

 仲間が壊れてしまって、自分達では戻せないと、そう分かってしまう未来視は、時に最悪の絶望を見せている。

 

 けれど。

 未来視は平等である。

 絶望も、希望も見せる。

 

「小南が優しさを捨てきれた未来なんて、一度も視たことないけどな」

 

 優しい目で小南の背を見送った後、迅はポケットから取り出したぼんち揚を齧る。

 

「さて、頼んだぞ源氏武士くん。君と小南の衝突次第で、未来はだいぶ変わるからな」

 

 何故か何かを確信した表情で、迅悠一は笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頼漢と小南の激戦が始まってすぐに、晴明はゆりに説明を求めた。

 

『ゆりちゃん、ボーダー製トリガーの説明をお願いできるかな』

 

「誰!? 耳元で声が!?」

 

「安倍晴明さんです」

「安倍晴明さんですね」

 

「待って、当然のように安倍晴明の実在を語っていかないで」

 

 斯々然々(かくかくしかじか)

 麟児と千佳が、ゆりへの安倍晴明の存在の解説をささっと終わらせる。

 

「そっか……噛み砕くのに時間かかりそうだけど……

 正直小学生の頃のよるくんの身体能力見てると、納得の行く解答の形ではあるのよね……」

 

「ヨルと言えばサッカーボール蹴ろうとしてミスしてゴールポスト折った事件ですからね」

 

「あったわね……そっか。純日本製のトリガー技術、になるのかな。なるほど……」

 

 安倍晴明、陰陽術、源氏、改造人間。

 頼漢の身体能力やこれまでの奮闘と合わせて、ゆりはなんとか納得したようだ。

 

「っと、そうね。

 トリガーの説明しないとよく分からないものね。

 今は仮の名前として『ファーストペンギン』という名前を付けて呼んでるわ」

 

「ペンギンさんですか?」

 

「ふふ、千佳ちゃんは可愛いわね。

 でも、うん、そうね。

 女子の意見で可愛い名前にしよう、ってなったのはそうよ。

 詳しくは調べれば分かるけど、要するに"勇気ある先駆者であるペンギン"のこと」

 

『ファーストペンギンはWikipediaに単独記事がないので(やつかれ)の勝ち』

 

「何に勝ってるんですかね晴明さんは」

 

「安倍晴明のイメージが崩れそうだわ……」

 

 純地球産、現行トリガー系統樹一号機『ファーストペンギン』。

 

 その猛威が、今頼漢を圧倒しているものだった。

 

 四人が観戦窓から見る先で、小南が圧倒的な実力を見せつけ、頼漢を追い込んでいく。

 

「ボーダーのトリガーは、汎用性と拡張性に重きを置いてるの。

 今使えるトリガーは三つ。

 頑丈で切れ味の高い刀の『弧月』。

 射程、弾速、威力、弾数のバランスを自由に変更できる『アステロイド』。

 色んなところから壁を生やして防御・陣地作成・仲間の援護ができる『エスクード』」

 

「弧月、アステロイド、エスクードの三つ、ですね」

 

 麟児と千佳は、数ヶ月かけて鍛え上げた頼漢が手も足も出ない小南に驚いている。

 対しゆりは、武器性能差があるにもかかわらず食らいついている頼漢に驚いていた。

 

「この三つからトリガーに三つセットできるわ。

 弧月、アステロイド、エスクード、とか。

 弧月、弧月、アステロイド、みたいな感じにね。

 セットした三つのトリガーを、左右の手で一つずつ使えるの。

 今後トリガーの種類も増やしていく予定だけど……

 将来的な汎用性と拡張性だけ見れば、各世界でも指折りだと太鼓判を押されてるわね」

 

『うむ。将来性もあるけど、現時点でも十分な優秀さがあるのだよ』

 

「それは分かりますね。

 ヨルがここまで封殺されてるのはそうそう見ません。

 "できること"が多い……

 トリガー、と言うんでしたっけ。あれを使いこなす人材のレベルも高く見えます」

 

 四人が見ている先で、小南がばらっとばら撒いた弾丸に、物陰の頼漢が飲み込まれた。

 

 訓練室に再現された家屋が、余波で粉砕され崩れていく。

 

「あっ、あっ、ヨルカさん……」

 

 千佳が心配そうな声を漏らす。

 しかし、頼漢は無傷で土煙の中から飛び出し、近場の駐車場に転がり込んだ。

 ボーダーのトリガーは痛みだけを与えるそうだが、頼漢が痛みを堪えた顔をしているあたり、かする程度はしたのかもしれない。

 頼漢は駐車場で軽車両を掴み、この数ヶ月で更に鍛え上げた筋力をもって、車をむんずと掴んで次々と投げつけ始めた。

 

 ぎょっとした小南がかわし、かわし、上から降ってきた数台の車を小太刀二刀にて両断、生き埋めを避けつつ走り出す。

 

「うわっ、すごっ」

 

 頼漢のトンチキな戦術を初めて見たゆりが、びっくりして口元を抑えた。

 

 頼漢は車を投げつける攻撃で小南のアステロイドの射線をこまめに切りつつ、小南を車の質量と壁で封じ込め、そこから一気に攻め立てる路線を選んだようだ。

 

「晴明さん」

 

『なんだい』

 

「あの子……かなり速くないですか?」

 

『速いね。六郡第一の名馬、花柑子(はなこうじ)を思わせる』

 

 麟児が見たところ、頼漢が小南相手に差の埋めようがないのは、スピードだった。

 初速、加速、身軽さ、小回り、走る時の鋭さに至るまで、全てが頼漢を上回っている。

 おそらく武装を同等にして、霊力(トリオン)量を同等にしても、小南のスピードに頼漢がついていくことはできないだろう。

 頼漢がどんなに考えて車を投げても、まるで当たる気がしない。

 

 加え、これまで自分より大きな相手に立ち回りでどうにかしてきたことが多かった頼漢は、自分より小さい上に素早く跳び回る小南の動きが、だいぶ目に慣れていないようだった。

 

「さながら草跳びバッタ(グラスホッパー)だ。ヨルもそりゃやり辛いだろう」

 

『警戒してるバッタを手で掴むようなものだからね』

 

 戦いの行く末を見ていると、頼漢が投げた車数台が空中を飛んでくる内に、小南は飛んできた車を次々足場にして連続跳躍。

 目を見開いた頼漢に一気に接近し、弧月二刀を抜刀していた。

 傍から見ていても、頼漢のこれまでの手慣れた戦法は通用していないように見える。

 

 一歩引いたところから見ている晴明と麟児はどこか落ち着いていて、「頼漢が負けても頼漢の負けを俺達が交渉で無かったことにしてやってこそ仲間」と言わんばかりであったが、千佳だけはハラハラしながら戦いを見守り、頼漢の勝利を懸命に祈っていた。

 

『やはり本物の才覚がある。どの未来でも生き残る可能性が高い子なのは伊達じゃないな』

 

「才能があるとやっぱり死ににくいんですか?」

 

『そうだね。だから、未来視を持っている者は、戦乱期には特にこういう力を持つ人間を視る』

 

「それは?」

 

()()()()()()だよ。切り抜ける力、生き残る力、窮地で爆発する力だ』

 

「小南桐絵はそれが強い……と」

 

『そうだね。だから彼女は、頼漢と共に生き残って共闘する未来が最も多い少女だ』

 

「俺や千佳よりもですか?」

 

『君や千佳ちゃんよりもだ』

 

 晴明は未来を視ているため、独自の力量の算出基準を持っていた。

 

 たとえば、隠し神(バムスター)

 未来の一つにおいては、標準的なボーダーのトリガーを渡し、再現したバムスターをどのくらいの時間で倒せるかを見るという試験が存在した。

 初めてなら1分以内に倒せれば上等。

 規格外の才能を持つ者達で初めて11秒、9秒、4秒という記録が出せる。

 幾多の戦場をくぐり抜けてきた強者にやらせてようやく、1.5秒、0.6秒、0.4秒という記録が出るものである。

 

 隠し神(バムスター)は最弱の妖怪であるが、それでも瞬殺するには才能が要る。

 

 だが頼漢は、初めて使った蜘蛛切の3秒以内にバムスターを仕留めてみせた。

 

 特別な血肉と遺伝子、喧嘩による簡易な実戦経験、土蜘蛛との戦闘経験、最後の3秒までの間に時間をかけて動きを見切っていたとは言え、相当な才であると言える。

 

 頼漢は決して遅くはない。

 むしろかなり素早く動ける駒だ。

 ボーダーに入れば、おそらく小南と双璧を成す速い駒になれるだろう。

 なのに、小南が速すぎる。

 頼漢がまるでついていけていない。

 

 おそらく小南桐絵は、隠し神(バムスター)と最初に戦った時、3秒以内……否、2秒と少しで倒した頼漢より遥かに早く、隠し神(バムスター)を倒している。

 1秒か、それ以下。

 純粋に頼漢の動きの倍速で動いているというわけではないが、一つの同じ結果を出すまでの遂行速度において、小南は頼漢の倍に近い速度を持っているということだ。

 無駄が無い。

 重さが無い。

 淀みが無い。

 小柄な高速戦闘者として、小南はこの歳で完成に近い領域にある。

 

 これでは勝ちの目があるはずもない。

 なのに、しつこく食い下がり、未だ撃破されていない頼漢にこそ、ゆりは驚いていた。

 

「おおっ、よるくんすごい、今の避けるんだ……えっ、これも避けるの!?」

 

「ヨルカさんは、追い込まれてからが強いんですよ」

 

 女子二人で戦いを見ていて、ゆりはしょっちゅうびっくりしながら戦いを見守っていて、千佳は頼漢のために祈りながら見守っている。

 観戦の最中、千佳がゆりに思っていたことを問うてみる。

 

「あの人、小南桐絵さんは……どうして弱い仲間を嫌がるんですか?」

 

「……色々あってね。桐絵ちゃんは今、弱い仲間に居てほしくないみたい」

 

「弱い仲間に居てほしくない……?」

 

「仲間が増えて、その仲間が死んでしまうことを怖がってるの」

 

「あ……」

 

「だから仲間を増やそうとしてる大人に反発してるのね。気持ちは、分かるんだけど」

 

 寂しそうに、辛そうに、自嘲するように、ゆりは小南を語る。

 

「今は、仲間と共に戦うことすら拒んでる。

 一人で戦おうとしてるの。

 全部、一人で何とかしたいんだと思うわ。

 でもそんなこと、できるわけがないし……

 けれど私達が何を言っても、聞く耳を持たないみたいで……」

 

 戦争が、皆に傷を残していた。

 体にも、心にも。

 治る傷もあって、治らない傷もあって、帰ってこない人もいて。

 ゆりは痛み止めで抑えている自分の内奥の痛みを強く感じ、ぎゅっと胸元を握る。

 小南の心の痛みを、その痛みから生まれる想いを、今の小南の冷たさを、ゆりは面と向かって否定することができなかった。

 

「よるくんがもし勝てたら、と思ったけど……難しいみたいね」

 

「負けませんよ」

 

「えっ……麟児くん?」

 

 麟児はいつものように、心の奥の感情が見えない貼り付けた愛想笑いで、頼漢を語る。

 

「したいこととするべきことが一致している時のヨルは、絶対に負けません」

 

 けれど、言葉には隠しきれない想いがあって。

 

「あいつは、誰かの心に広がる夜を、夜明けに導くことができる男です」

 

 "夜はお前の時間だろ"とそう言って、彼に"ヨル"とあだ名をつけた男が、笑った。

 

 

 

 

 

 これがあの死線をくぐり抜けた動きの秘密か、と、小南は心の中で独り言ちた。

 

「アステロイド」

 

 小南の手の上で光のキューブが分割され、15ほどの光弾になり、直進。

 それなりの範囲を面攻撃する、ライフル程度の速度の必殺。弾の群れだ。

 頼漢はそれを、踊るように回避していく。

 『頼漢に馴染んだやり方の回避』の特訓は、この数ヶ月、腐るほどしてきた。

 

 平安の時代、日本で武士と陰陽師が妖怪と戦っていた頃、ヨーロッパに"拐われてきた"ことで定着した、舞踏と音楽の民が居た。

 フラメンコの起源、流浪民族『ロマ』。

 またの名を、『触れられぬ民(アンタッチャブル)』。

 『触れられぬ民の踊り子』は、時に"踊り子に触れてはならない"のルールを守らせるため、酔った男の手をかわし、性欲に濡れた抱きつきをかわし、高嶺の花として踊り続けたという。

 

 頼漢の踊りは母の真似、それを昇華させた独学であり、更にその踊りを戦闘用に改造したものであるため、ロマとは一切の関係がない。

 だが攻撃のほとんどを踊るようにかわしていく彼の姿を見て、踊りを知る識者はロマの異名たる触れられぬ民(アンタッチャブル)と、ロマの踊り子のことを思い出すだろう。

 

 緩急をつけた動きで先を読ませない。

 曲線と直線の動きを織り交ぜ、巧みに相手の目を騙す。

 無駄のある動きと無駄の無い動きを最適に織り交ぜ、詐欺のようなフェイントをかける。

 

 ゆえに、撃っても当たらない。

 ゆえに、近付いて切っても当たらない。

 ゆえに、触れることができない(アンタッチャブル)

 

 小南は追い詰めているのに仕留めきれない、そんな現状に焦れていた。

 余裕ぶった踊りのような回避の連続が、小南に"舐められている"かのような感覚を与える。

 

 と、同時に、頼漢は数ヶ月の鍛錬を経てなお綱渡りになっている現状に、冷や汗をかく。

 踊るようにかわしてはいるものの、頼漢の内心に余裕は無かった。

 

「やべーやべー、ったく」

 

 頼漢は冷静に、敵戦力を分析する。

 

 まず、"弧月がヤバすぎる"、そう確信を持っていた。

 頼漢の防御手段の一切が通用しない。

 盾は裂かれ、蜘蛛切は3秒のブレードを展開していない時だと両断されてしまう。

 

 しかも頑丈で、頼漢はここまで蜘蛛切で弧月の側面を叩き弾くなどしてかわしていたが、手応えからしてこれまで戦ってきたどの妖怪の表皮より硬い。

 つまり、破壊できない。

 蜘蛛切の3秒でも、真っ向勝負をすれば折れるのは蜘蛛切の方だ。

 ブレードを展開している使用者のトリオン能力に差がありすぎる。

 

「楽しく踊ろうぜ、お嬢さん。そんなカリカリしてどうした? 嫌なことでもあったのか?」

 

「うるさいわね、遊んでんじゃないわよ!」

 

「遊んでなんかねーよ。なあ……何があったか、教えてくれねえのか?」

 

「……っ!

 なんでもないわよ!

 あんたと違って……あたしが弱かっただけ!

 仲間は死んでないだけでみんな大怪我!

 守ろうとした世界の人達はたくさん死にましたー!

 敵は倒して勝ったけど、勝ったけど、それだけで……

 はい話したわよ! これで満足!? 好きに……笑いなさいよ!」

 

 叫びのままに、小南が左手の弧月を納め、また左手の上にキューブを生み出す。

 

「あたしが悪い、あたしのせい、あたしのやらかし……それで終わりよ!」

 

 頼漢の余裕に満ちた微笑に、小南は焦りから力みが入った。

 圧倒的強者が焦れて、圧倒的弱者が余裕ぶって笑む。

 矛盾であり、駆け引きである。

 強がる以外に、頼漢が勝機を見出すための手段は無かった。

 

「アステロイド!」

 

 放たれる光弾。

 このアステロイドが、"弧月よりもヤバい"と、頼漢が評するものだった。

 

 射程、弾速、威力、弾数を、霊力(トリオン)が許す限り増やせる。

 これが示す意味を、裏社会やヤクザの銃にも触れてきた頼漢は分かっていた。

 

 アステロイド一つで、拳銃も、散弾銃も、狙撃銃も、バズーカも、徹甲弾もこなせてしまう。

 撃ち手の才能次第では、一人で弾幕防衛線が作れて、一人で携行ミサイルが撃ててしまう。

 弾トリガー一つでこの汎用性を持つということが、あまりにも法外だった。

 

 キューブを小さく小さく割って散らして撃てば、動きの速い相手にもまず当たる。

 一点集中の単発を最速弾で撃てば、硬くて鈍重な敵への必殺になる。

 鈍足の弾を大量に空中に撒き続ければ、空間を制圧して押し潰せる。

 弾速と距離に特化させれば狙撃銃代わりにもなる。

 距離だけ伸ばして空に撃てば連絡用の信号弾になり、様々な銃を持ち替えなしに交互に使うような真似も可能であり、霊力(トリオン)が許す限り弾切れが起こることもない。

 

 これは、現代の軍事概念の全てを崩壊させる規格外だ。

 

 アステロイドに頼漢が感じる脅威の全ては、後の時代に"シューターの可能性"と呼ばれるものであり、『考えれば考えるほどシューターは強くなる』と言われるものの(きざし)であった。

 

 頼漢は踊るように光弾をかわしていくが、かわしながらも冷や汗をかいている。

 

 ボーダーのトリガーはまだ大した種類がなく、拡張性も汎用性も活かしきれていない。

 種類が無いのに、現段階でこの汎用性。

 将来性で見た場合、ボーダーのトリガーはいかなる妖怪をも上回る脅威に満ちている。

 "間違いなく未来に強くなる"という脅威。

 "未来"そのものが強さの担保になっているかのような脅威。

 頼漢はその脅威を、頭ではなく、心で感じ理解していた。

 

「アステロイド」

 

「!」

 

 小南が手の上に作り、分割した光のキューブが弾丸に―――変化せず、そのまま空中に浮遊したままになる。

 同時に、小南は素早く走り、回り込むように頼漢の左斜め前を取った。

 

 おそらく一秒後、小南の小太刀二刀が左から、正面から時間差で弾丸になったアステロイドが飛びかかってくる。

 弾をかわせば小南に切られ、小南をかわせば弾が当たる。

 どちらもかわすことは不可能で、二つの回避行動は同時に取れない。

 

 一人二役、二方向からの同時攻撃を一人でやる離れ業。

 こんなことも"できてしまう"のが、アステロイド―――ひいては、汎用性を求めたボーダーのトリガーの脅威であった。

 

「それ、空中に置いとけるのかよ……トリガー・ブロックッ!」

 

《 隠神盾・起動 残り回数1 》

 

 数少ない防御手段を切り、アステロイドを広げた盾で、小南を回避で乗り切らんとする頼漢。

 アステロイドに盾が砕かれるが、十分な相殺がなされ、小南のアステロイドが消える。

 これでなんとか、剣と剣での一対一。

 ……にはならない。

 

 頼漢にとってアステロイドは絶望的な一撃であり、どういう使い方をしてくるのかまるで読めない"工夫の余地"の塊だが、小南にとってはいくらでも撃てる布石でしかない。

 撃って、切って、倒す。

 それが小南桐絵の必勝戦闘法(バトルスタイル)

 

「アステロイド」

 

「!」

 

 小南が展開したアステロイドが、細かく細かく分割される。

 そして、分割された光弾が五つずつ、1~2秒ほどの間隔を空けて飛んできた。

 

 速度は拳銃弾程度。

 頼漢は拳銃弾五発同時射撃程度ならかわせる。

 かわせる、のだが。

 そこに小南が切り込んできて、回避が間に合わず、脇腹に当たった弾丸が激痛を走らせる。

 

「ぐっ……こい、つは……!」

 

「やっぱ、あんた戦っちゃダメよ。弱いもの」

 

 蜘蛛切が素早く振るわれる小太刀二刀を斬り弾くが、無理な防御に蜘蛛切に大きなヒビが入り、飛んできた弾が頼漢の左足に当たった。

 激痛が走り、足の動きが一気に悪くなる。

 

「ッ」

 

 頼漢が右に避けようとすると、小南がそちら側に回り込み、切りかかる。

 頼漢が跳んで避けようとすると、小南の斬撃が素早く突き出され、跳べない。

 小南が最初に設定した射線から外れられない、逃げられない。

 ゆえに、擬似的に、小南と援護射撃をしている人間二人を相手にしているような、疑似二対一が作られてしまう。

 

 小南が非常に速い戦士である以上、小南に先回りして逃げ道を塞がれてしまうのを、止める手段はない。

 防御の手が回らず、回避はそもそも選べない。

 小南の超高速の小太刀二刀に切り裂かれるか?

 弾に撃ち抜かれて切り倒されるか?

 その二択を、小南は息をするように強いてくる。考える暇も与えぬままに。

 

 アリステラの正式な騎士でも、これを切り抜けられた者はそうそう居なかった。

 

「トリガー・ブロック」

 

《 隠神盾・起動 残り回数0 》

 

「!?」

 

 瞬間。頼漢の左手の盾が光と共に膨張し、頼漢と小南を吹き飛ばした。

 

 隠し神の装甲を加工した盾は、展開され、広がる。

 頼漢はこれまで自分と離れた場所に大きな盾を作るのに使っていたが、それを自らの手元で展開すればどうなるのか?

 そう、手元で展開された盾は広がり、敵も自分も吹き飛ばす。

 盾が大きくなる速度が、そのまま互いを吹き飛ばす衝撃になるだろう。

 

 しかし、これは諸刃の剣。

 霊力(トリオン)の身体を持つ肉体は、物理的衝撃では傷付かない。

 盾が敵を吹き飛ばしても、敵にダメージが入ることはない。

 だが頼漢には、吹き飛ばされた衝撃のダメージがしっかり入ってしまうのだ。

 

「げほっ、げほっ」

 

 頼漢は咳き込みながら、使い切った左手の盾を投げ捨てる。

 

 今、小南が咳き込む頼漢に追撃せず、一瞬とても心配そうな目をしていたのは、気のせいだったのか、そうでなかったか。

 

「まるでトリオン兵になったみたいよね、それ。蟷螂の斧で無茶やってたの?」

 

「俺から奪う奴から逆に奪ってたら、まあ自然とな」

 

 決着の匂いを、小南の本能が嗅ぎつけた。

 盾を失った頼漢に、この距離なら一息で詰め寄れるだろう。

 小南はいつも、斬撃を中心に戦っていた。

 射撃はあくまでサブの技。フィニッシュも大体が斬撃で、そういう癖を持っている。

 だから、頼漢に刺すトドメも、弧月による小太刀二刀以外にありえない。

 

 蜘蛛切を構えた頼漢に、真正面から競り勝つ自信をもって、小南は突っ込んだ。

 そして、頼漢は。

 虚空に、蜘蛛切を納刀した。

 

「―――!?」

 

 頼漢は全ての装備を捨て、無防備に両手を腰の左右に降ろした。

 刀もなく、盾もなく、無手で小南を迎え入れ、されどその目には未だ消えぬ戦意在り。

 

 ここで何も考えず無防備に突っ込んでいたら、小南は負けていただろう。

 だが、小南は気付いた。

 ()()()()()()()()()()()

 突如現れる蜘蛛切の位置も、軌道も、これでは見えない。

 そして、重量と威力のある蜘蛛切を防ぐには、左右どちらかに二刀を構える以外にない。

 

「―――」

 

 どっち!? と、小南は一瞬迷った。

 

 小南の体は全速力で頼漢へと突っ込んでいて、もう止まれず、思考できる時間は0.5秒あるかないかという位置であった。

 

 蜘蛛切は虚空から抜刀される。

 ゆえにどちらからでも抜刀が来る。

 頼漢の構えは、左右の刀を使う古風な武士のような、左右どちらからも抜ける抜刀の構え。

 左で抜けば小南の頭を、右で抜けば小南の胸を、それぞれ切り裂く必殺の待ち。

 

 虚空抜刀は霊力(トリオン)が固まって武器が形成されるより数十倍早く、ほんの一瞬だ。

 小南は武器を出し入れする敵を見たことがないわけではなかったが、陰陽術による虚空抜刀はそれらの誰よりも早く、ゆえに小南の戦闘経験の隙を刺す。

 "この手"を、ここに至るまで小南に想定させなかった、というわけだ。

 この抜刀は、切られてみるまで、どちらから来るかが分からない。

 

 『"勝てる"と思ってるやつは隙ができる』という摂理を、頼漢は経験からよく知っていた。

 

 ご丁寧に、小南の小太刀二刀が届かず、蜘蛛切の太刀が届く的確な距離で、頼漢は小南に二択を迫っていた。

 読み間違えれば、蜘蛛切と弧月のリーチの差でほんの僅かに頼漢が早く、3秒の刃を小南に突き立ててくるだろう。

 防御せずに後ろに下がっても、突っ込むために前のめりになりすぎている今、頼漢が大きく踏み込めば、おそらく蜘蛛切の刃先は届く。

 

 いや、違う、と小南は寸前で気付く。

 源頼漢なら、どちらでも間に合う。

 小南の筋肉の動きなど、防御の前兆を見てから、防御していない方に抜刀術を差し込める。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()なら、それができる。

 

 まるで、太古の剣豪のように。

 たった一瞬の読み合いに、勝敗の行く末を落とし込む。

 失敗すれば己が倒され、成功すれば敵を倒せる、そんな二択を迫る。

 されどその実、二択を選ぼうとしていてしまった時点で、その者は頼漢に負けている。

 そういう天然の理を備えた武。

 

 小南は、別の道を選んだ。

 

「やるな」

 

 小南は二刀を防御ではなく、瞬時に地面に投げて突き刺し、そこに足を乗せて制動。

 急停止した上で、そのまま反動を乗せて跳躍。

 後方斜め上に跳び、頼漢の蜘蛛切が届かない位置まで一気に跳び上がる。

 瞬時に頼漢の手を全て見切り、頼漢の大逆転の一手を潰し、的確な対処を繰り出してきた小南桐絵に、頼漢は素直な称賛の声を漏らした。

 

「これで終わりよ! アステロイド!」

 

 宙を舞う小南の手元で、光のキューブが分割され、光の弾丸に変わっていく。

 弾数三十六。弾速は既存のどの銃弾よりも速い。威力は戦車の複合装甲が無力なほど。

 そんな光の群れが、頼漢に一斉に殺到した。

 

 

 

 

 

 "倒した"と、撃つ直前まで、小南は確信を持っていた

 打った瞬間、その確信を撤回する。

 頼漢の左腕から左腕を覆うように、"黒い何か"が吹き出し蠢き、頼漢の身体を隠していた。

 それが小南のアステロイドを飲み込み、黒い何かの一部とアステロイドが両方消える。

 

「!」

 

「……俺もまだ一回も使ったことなかったから、使いたくなかったんだがな……」

 

 それはマントのように、頼漢の手首から吹き出し、左腕と左肩を覆いながらたなびく何か。

 それは黒い炎のように、黒い光を放出しながらゆらめく何か。

 それは(からす)の羽根のようなものが集まり、一体になっているように見える何か。

 

「……マント……黒い炎……カラス……?」

 

 それは天狗の妖怪―――トリオン兵『コラキ』を改造した新装備。

 射撃系トリオン攻撃を無効化する、黒翼の兵装。

 黒い服を好む頼漢の出で立ちに寄り添い、頼漢の黒をなお昏き黒で塗り潰す、黒の中の黒、天駆ける漆黒の翼。

 もはや空を飛ぶことさえ叶わないが、頼漢を守る盾として、その翼は生まれ変わった。

 

 これは片翼の黒。

 一つでは飛べない片方だけの大翼。

 一つでは飛べない。

 一人では生きられない。

 人は一人だけでは生きられないと、そう考える頼漢の心に根付いた、信念の具現。

 

 銘は『八咫烏』。安倍晴明の技術にて、最高の素材から打ち上げられた黒き翼の盾。

 

「これからテメエは、俺に怒っていい」

 

「なによ」

 

「戦いでお前が死なないで帰って来てくれて、よかった」

 

「……は?」

 

「戦いでお前の仲間が死ななくて、よかった。そういう結末になって、本当によかった」

 

 瞬間。小南の目から、顔から、情動から、全て冷たさが消え去って、一瞬で全てが沸騰した。

 

「―――ざっけないでよ!」

 

 怒りのままに放たれた強威力のアステロイド12発を、頼漢は跳んでかわす。

 

 その跳躍を、空中で羽撃(はばた)く翼が補助し、跳躍距離・速度が驚異的に上昇していた。

 

「子供も、大人も!

 向こうの優しかったトリガー使いの人も!

 沢山死んだわよ! ええ、あたしが守れなかったからね!

 ボーダーの友達だって、死んでもおかしくないくらいの大怪我して、今も寝てる……!」

 

 小南の叫びに、悲痛が乗る。

 

「あたしを庇って、あたしの目の前で、血も骨も肉も飛び出てた桐山さんだって……!」

 

 怒りのままに放たれる冷静さの無いアステロイドであれば、回避難易度は低下する。

 

 慟哭のまま、小南はもう一度同じ設定のアステロイドを撃ち放った。

 

「"よかった"って言えることなんて何もないのよ!」

 

「だろうな。お前はそう言う。そんな優しいお前の言葉を全肯定してやりてえ。だけど」

 

 頼漢は子蜘蛛を素材にした靴の力で壁を走り、黒翼を羽ばたかせて加速し、次々撃たれるアステロイドを振り切りながら疾走していく。

 

「そんなお前が、優しいお前が……

 もし戦争で仲間が死んだりしてたら、どんだけ落ち込んでたか想像したくもねえ」

 

「"もっと最悪の事態があったかも"なんて言葉で、結果を肯定していいわけないでしょ!?」

 

「いいだろ、別に。お前が大怪我せずに帰って来れた結果も、俺はよかったと思う」

 

「―――いいとこ探ししてんじゃないわよ!」

 

 大跳躍で接近してきた頼漢に、小南が二刀を振るう。

 その剣速は頼漢を遥かに超えていた。

 頼漢は瞬時に蜘蛛切を構え、小南の目が蜘蛛切に行ったその一瞬で、小南の視界の外を迂回するように空中回し蹴りを見舞った。

 小南の小さな体が、すっ飛んでいく。

 

「俺は今日お前の名前を知ったくらいの他人だが!

 そんな俺ですら知ってるくらい、お前のいいところが山程ある!」

 

 小南は着地から体勢を立て直しつつ、体勢を立て直す時の隙を埋めるいつもの癖で、狙いも雑にアステロイドをばら撒いた。

 雑に撒くだけで隙を消せる、これもまたアステロイドの強み。

 頼漢は雑に広範囲に撒かれたアステロイドの隙間を抜けつつ、当たりそうになったアステロイド一発を黒翼で受けて消し去る。

 

「よく頑張ったなって、褒めてやりてえんだよ!

 お前が頑張って掴み取った結果を、よかったって言ってやりてえんだよ!

 お前みたいないいやつが無事生きて帰ってきたことを喜んで、何が悪いんだよ!」

 

「人が死んでんのよ!」

 

「お前が生きてる!」

 

「あたしが救わないといけない人達は死んでる!」

 

「俺もお前に救われた人間の一人だ!」

 

「―――」

 

「なあ! お前は救えなかった人を数えてるけどな!

 俺は、そんなお前に救われた人間だ!

 お前がくれた言葉が、俺に前に進む力をくれたんだよ!

 お前に救われた俺だけは! お前の救えなかったって後悔を、絶対に許し続けるんだ!」

 

 林藤ゆりが、"頼漢の母の被害者に頼漢を許す人が居ても良い"と言ったように。

 小南桐絵に救われた者の中に、小南桐絵が救えなかったことを許す人が居ても良い。

 被害を受けた側が許す権利を持つように、救われた側もまた、許す権利を持つのだから。

 

「お前に責められる理由なんてねえんだよ! 俺が、ここでこうして、お前に感謝する限り!」

 

 失われたものばかり見ていた小南は、"自分で自分を責め続けている"ということにさえ、ここでようやく自覚を持った。

 頼漢は今、自分を責める小南桐絵を止めに来ているのだと、小南は今理解する。

 小南と戦いに来たことさえ、本質ではなく。

 小南を攻撃していることも、本意ではなく。

 頼漢は自分の強さを小南に信じさせることで、小南と共に生きる資格を得て、小南を責める小南から、小南を守ろうとしている。

 

「なあ、小南桐絵。

 お前が、自分を許せなくても……

 俺がお前が生きてたことを心底喜ぶことは、許してくれ」

 

「―――っ」

 

「許さねえのは、敵だけでいい。

 敵は、クソ野郎は許さねえ。

 奪ったやつを許さねえ。

 それでいいんじゃねえか……?」

 

 その善意が。

 その優しさが。

 その心のひたむきさが。

 彼は小南桐絵をとても大切にしてくれているのだという、その実感が。

 

 小南を更に、頑なにさせた。

 

「やっぱ、あんたを戦わせるわけにはいかないわ。ましてや、生身のやつなんて」

 

 二刀を構え、小南は必死に、冷たい自分を作り上げようとした。

 

「武器を奪って、母親のところに返してあげる。

 相談には乗ってあげるし、助けにだって行ってあげるから、病気のお母さんを大事に……」

 

「母さんは死んだよ」

 

「―――え」

 

「蜘蛛のバケモノに殺された。俺が見た最後の姿は、バラバラにされてる母さんの死体だ」

 

「え、あ、えっ」

 

「だから言わせてくれよ。

 母さんを殺された、俺に。

 母さんを死なせちまった、俺に。

 恩人が生きて返って来てくれて嬉しいって、よかったって、言わせてくれ」

 

「あっ―――」

 

 けれどその冷たさは、一瞬の内に崩れて消える。

 

「―――バッカじゃないのッ!?」

 

 なんでこいつはあたしのことばっか考えてんのよ、辛いはずなのに、苦しいはずなのに、と、小南が相手のことを想う。

 

「それであんたまでもし死んだら……お母さんが、天国で泣いちゃうでしょうがっ!」

 

 なんでこいつは俺のことばっか考えてんだろうな、辛いはずなのに、苦しいはずなのに、と、頼漢が相手のことを想う。

 

「かもな」

 

「かもな、じゃないわよ!」

 

「俺は死んだ母さんに胸を張れるように生きる。そう決めた。お前はどうだ、小南桐絵」

 

「―――っ」

 

「お前は今……いつものお前を好きになってくれた人達に、胸張って会えんのか」

 

「うるっ……さいっ!」

 

 小南が瓦礫の合間を疾走し、頼漢は右手に刀を、左手に翼を構える。

 

「乗り切るぞ、蜘蛛切、八咫烏」

 

 八咫烏。

 頼漢の新装備に付けられた名であり、日本神話に登場する神の烏のことを指す。

 三本脚の烏であり、人を導く神として、今も日本で信仰されている。

 

 今、頼漢は、八咫烏を使いこなすことで、三本目の足を得た。

 空中で一歩踏み込める。

 走行を二本の足と一枚の翼で行える。

 走行中に黒翼で壁を"蹴って"、急激な方向転換を行える。

 強力かというとそうではないが、細かな部分で非常に高い汎用性を誇る翼。

 名付けたのは晴明であろうが、なるほどこの黒翼は、頼漢の三本目の足である。

 

 『八咫烏の翼と足』を得た頼漢と小南の神速の斬撃が、幾度となく激音を響き渡らせる。

 

 "そういえば、八咫烏って太陽の化身なんだっけ"―――小南はふと、思い出した。

 

 頼漢はどこか悲しそうに、小南に微笑みかけている。

 誰がこんな顔をさせてんのよ、許せない……なんて思ったところで、小南はこの顔をさせているのが自分であると気付く。

 小南のせいで、いや、小南のために、彼はこんな顔をしているのだ。

 

 "あの夜に出会った太陽はあたしにはできなかったことを成し遂げたんだ"という、小南の中の尊敬や憧れに似た感情が、ぼろぼろに崩れて流れ去っていく。

 

 あの夜に見た笑顔がどこかに行ってしまったことに、小南は猛烈な不快感があった。

 夜明けの太陽のような笑顔だと、小南は思った。

 どんなに暗い夜でも、いつかは明けることを信じさせる太陽のような、そんな笑顔。

 二人は互いに、互いを太陽のようだと、そう思っていたのに。

 

 太陽が欠けている。

 頼漢が"いいな"と思った太陽が、小南が"いいな"と思った太陽が、どちらも欠けている。

 されど頼漢という太陽が、懸命に小南を照らそうとしている。

 またあの笑顔を見たいという、その思いだけでひたむきに。

 

「許してくれ、小南桐絵。

 お前に助言もらっといて、母さんを守れなかった俺を許してくれ。

 お前が生きて帰ってきたことを喜ぶことを許してくれ。

 お前を一人ぼっちにさせたくねえ、一緒に戦うことを許してくれ。

 お前を……精一杯頑張って人を守ってきたお前自身を……お前自身が許してくれ」

 

 頼漢の言葉に、小南は息を飲んだ。

 

 許さないのは敵だけでいいと、お前はたくさん許していいのだと、そう呼びかけている。

 

「お前が教えてくれたんだ!」

 

―――死ななきゃどうとでもなるでしょ、死ななきゃ

 

「死んだら終わりでも、生きていれば、何度でも立ち上がっていいってことを!」

 

―――だって、生きてればやり直せるんだから。やり直せたらきっと、良い明日だって来るわ

 

「俺も、お前も!

 "死なせた"後にやり直す権利は、きっとある!

 テメエがやり直す資格を、テメエの命を、俺が命懸けで守る権利を寄越せ!」

 

 あの夜に、人々を守りたいと願った小南がいて、母を守りたいと願った頼漢がいて、どちらも守りたいものを守れなかったけど勝ちはして―――そして、今に至るから。

 

 この二人の間でだけ、通じる想いが、言葉がある。

 

「こっからいっぺん……やり直せ! また可愛い笑顔を見せろッ!!」

 

「ふえっ」

 

「この天地の合間に生きる命の中で、俺が最も殺すに難い男だってことを思い知らせてやる!」

 

「こ、このっ」

 

「"こいつなら死なない"とテメエが信じられるまで、俺は絶対に折れねえぞ!」

 

 くらっ、と来た気持ちを首をぶんぶん振って追い出し、小南は二刀を構える。

 

 彼に美少女だと言われたことを、その時嬉しく思ったことを、あの夜の浮ついた気持ちを、辛い日々の中ですっかり忘れてしまっていたことを―――小南は、今更に思い出していた。

 

 

 

 

 

 戦いの流れが変わったことを、戦士ではない麟児ですら感じていた。

 きっかけは間違いなく"八咫烏"の投入。

 麟児が主に付き合っていたのは"靴"の方の特訓であり、装備に改造するのに時間がかかった八咫烏は一度も使われていなかったため今初見であったが、その汎用性はすぐに理解できた。

 

 使ったことのない装備を投入した隙を突かれ、一撃で負ける可能性もあっただろう。

 頼漢にとってもだいぶリスクのある行動だったはずだ。

 だがそこは、ぶっつけ本番で蜘蛛切の3秒を使いこなした源氏の裔。

 見事に『三本目の足』を使いこなし、小南相手に一時的な拮抗を作って見せていた。

 

「あの二人は、見ている方向が似ているのかもしれませんね」

 

『麟児君には、そう見えるわけだ』

 

「それが罪である、罪でない、というのは脇に置いといて……

 本人がそれを許されないことだと思ってたのは……ヨルも小南も同じだな、と」

 

 麟児はあまり他人に思い入れを持たない。

 晴明を自分の同種だと思っていて、千佳を家族として、頼漢を親友として大切に思っているものの、それらを除けば後は親くらいしか思い入れのある人間がいない。

 だから、小南に感情移入しているわけではない。

 極論を言えば、小南がどうなろうと麟児はどうとも思わない。

 昔お世話になった先輩であるゆりさえ、本心ではそれなりにどうでもいい。

 ゆえに麟児は、小南桐絵という人間に対し、源頼漢がどんな答えを出すかだけを見ていた。

 

 兄と妹であるというのに、千佳はそれとは対照的に、最良の結末を願っていた。

 千佳は小南にも頼漢にも感情移入して、よき結末を祈っていた。

 頼漢を信じ、頼漢が最良の結末を導いてくれると思いながら、祈り続けている。

 願う以外にできることが無い今に、ただ懸命に他者の幸を願い続けるのが千佳であった。

 

「ゆりさんはヨルカさんを許しました。

 ヨルカさんは救われた気持ちになりました。

 ゆりさんも、ヨルカさんが後悔と罪悪感を乗り越えたことに嬉しそうにしてました。

 出会うことで、あるいは再会することで、そういうものを乗り越えて行けるなら……」

 

 千佳の言葉に、晴明が頷く。

 

『それが、手を取り合った人間の強さなんだ。

 それは脆く、儚く、弱く、すぐ消えてしまう強さなのだけれども』

 

 罪は、許されて初めて、その人の幸せを邪魔しないものとなる。

 

『頼漢が語った"誰かを救える英雄はどこにでも居る"というのは、そういうことなんだよ』

 

 人が自分で自分を許せなくなり、自らを責めるのを止められなくなった時。

 

 外から誰かが、その人の心を救わなければならない。

 

 銃の引き金(トリガー)を銃自身が引けないように、自分では引けない、誰かに引いてもらわなければ動かない心の引き金がある。

 

 

 

 

 

 踏み込む小南。

 フェイント混じりに、うねうねとした直線を描いて突っ込んでくる小南に対し、頼漢はヒビの入った蜘蛛切を地面に差し込み、力を入れた。

 みちみちっ、と頼漢の筋肉に力が入り、膨らむ。

 そして、小南が乗っていた路面が丸ごと引っ剥がされた。

 

「!」

 

 地盤返し。

 路面の破損状態、入ったヒビ、強度の偏りを見切り、人外の膂力を用いた小技である。

 小南の全体重すら"誤差"程度に扱い、路面とまとめて全部投げ飛ばす。

 ゆえに、タイミングさえ合えば、相手の技能や強さを問わずに吹っ飛ばせるのだ。

 

 宙に舞う小南。

 頼漢は蜘蛛切を叩き込んで一撃で仕留めようとするが、小南はなんと空中で身を捩り、己が正面を頼漢に向け、上下逆さまのまま小太刀二刀を正確に振るった。

 正確無比な斬撃が、回避する頼漢の頬と肩をかする。

 

「っ」

 

 激痛が走り、なお踊るように回避する頼漢が、蜘蛛切を振るう。

 頼漢の豪腕に内心慄きながら、素早く跳ぶ小南が、弧月二刀を振るう。

 

 弾かれるように、両者が離れた。

 

「……ったく、なんてぇしんどい剣豪だ。ちっちぇくせに」

 

「その内背の高い美人になって、あんたがガキ扱いできないくらい、ドキドキさせてやるわよ」

 

「はっ。ガキに見られたくねえから戦闘体だと髪伸ばしてるんだろ。見りゃ分かる」

 

「大人っぽいでしょ?」

 

「胸が物足んねーな。出直してこい」

 

「……セクハラよっ!」

 

 蜘蛛切、弧月。

 三つの刃が大気を切り裂く。

 

 頼漢は小南の剣技に、ずっと心中で舌を巻いていた。

 技量と速さで頼漢を圧倒する、超高速の二刀流。

 かつ、超威力の二刀流。

 弧月は小太刀サイズになるよう長さを切り詰められていたが、それでもある程度の重さがあり、本来小南の年頃と体格で二刀を扱えるようなものではなかった。

 

 戦闘体の身体能力ブーストに加え、小南は刀の重さを最大限に利用し、重さを乗せることで斬撃の威力を高めていた。

 慣性の制御を極め、重量の掌握を極め、力の流れを最大限に殺さず、無駄なく舞う。

 小南が振っている時は羽毛のように軽く見えるのに、小南の攻撃を受け止める時だけ巨大な鉄の塊に感じる、そんな理不尽な斬撃が連続してやってくる。

 重さが小南を愛し、重さが小南を贔屓しているかのような動きだった。

 

 頼漢が踊るように攻撃を避けるのに対し、小南は踊りを連想させる流麗さで攻めていた。

 頼漢が踊りの技術を回避に転用しているのに対し、小南は洗練された動きが結果的に踊るようにも見える天才の中の天才だった。

 頼漢が天地に並ぶ者無き人の舞踏なら、小南のそれは天空に揺蕩う妖精の舞踏。

 

「しっ!」

 

 小南が振るう小太刀二刀を、頼漢が後方宙返りで回避し、逆立ちのままブレイクダンスに切り替える。

 頼漢が上下ひっくり返って全く別の踊りに切り替えたせいで、小南の二刀に迷いが生じ、小南の二刀による連撃を頼漢の蹴りの連打が捌いていく。

 生身に弧月が当たれば激痛が走ってしまうが、頼漢の靴は子蜘蛛を素材にした特別製。

 靴裏で弧月の側面を蹴る分には、痛みはどこにも走らない。

 

 ブレイクダンスの蹴りの連打に小南の目が慣れてきた頃、頼漢は跳ねるようにして上下を戻し、すぐさま弧月を抜刀した。

 虚空からの抜刀を、"お返し"とばかりに、今度は小南が蹴り弾く。

 

 小南は頼漢の粘り強さに、ずっと心中で舌を巻いていた。

 これは武術を極めた者の強さではない。

 なんだかよくわからなくて、けれど底が深くて、わけのわからない力の奥に、誰でも理解できるような感情と衝動が渦巻いている。

 

 そして、生物的に強い。

 身体能力が高く、疲労が無いかのように全力での運動を継続している。

 息が切れても、息が戻るまでが早い。

 壁に叩きつけられて呻いても、立ち上がるまでが早い。

 そして、与えられた痛みから復活のが早い。

 

 ボーダーのトリガーが与える痛みは、スタンガンより人体に無害で、スタンガンより無力時間が長い。普通は一戦闘中に回復するようなものではなく、非常に高い無力化能力を持つ。

 頼漢は足、肩、腹と、多くの箇所に攻撃を受けていた。

 普通は飛んだり跳ねたりできるわけがない。

 事実、攻撃を受けてすぐの頃は動かし難そうにしていたはずだ。

 にもかかわらず、今はもう十全に動けている。

 この桁外れのタフさと回復力が、源頼漢の戦闘力を担保しているのである。

 

 決めるには、頭か胸に攻撃を当て、一撃で仕留めるしかない。

 小南はそう確信していた。

 

「うおおおおおおおッ!!」

 

 頼漢が叫びながら、蜘蛛切を大きく振りかぶって疾走する。

 

「アステロイド」

 

 小南はアステロイドを牽制に撃つが、頼漢が左腕を思い切り振ると、振るわれた八咫烏によって全てのアステロイドが消し去られる。

 小南が舌打ちし、分割したキューブをその辺りの地面に広くばら撒き、そこから弾丸に変えて全方位から頼漢を包囲する射撃を放ったが、それも走りながら踊るようにくるりと回った頼漢が黒翼を広げると、全て黒翼に巻き込まれて消し去られてしまう。

 

「……対射撃武装使ってくるってことは、あたしに近接戦で勝てると思ってるってことよね」

 

 小南はアステロイドを補助に使う思考も切って、両手の小太刀二刀に集中する。

 あの黒翼がある限り、この戦いは剣技比べで勝負が決まるということになる。

 誘われたその土俵は、頼漢の得意な距離であり、小南の得意な距離であった。

 

「上等よ!」

 

 後一歩で蜘蛛切が届く距離に入る。

 後二歩で弧月二刀が届く距離に入る。

 そんな、剣と剣がぶつかり合う直前、ほんの一瞬の戦闘の継ぎ間。

 間合いを測る小南の眼前に、バラバラになったカラスの羽根が殺到した。

 

「!?」

 

 黒い羽根の洪水。

 視界を覆う黒の奔流が、小南の視界を遮断する。

 八咫烏の(今思いついた)奥の手の一つ、対弾防御力を一時的に全て捨て、放出した黒羽根で相手の顔を覆う、妖怪の視界は奪えなくとも人間の視界は完全に奪えるという妙技。

 小南は完全に頼漢を見失い、防御の構えを取る小南を頼漢はどこからでも料理できるという、絶好のチャンスを掴み取った。

 

 頼漢は素早く小南の後ろを取り、蜘蛛切のグリップトリガーに指をかけた。

 

「―――」

 

 この"詰め方"は、相手が小南でなければ、おそらくいかな強者であっても、ほぼ成功していただろう。

 だが、小南は誰より何より、『センス』に長けた少女であった。

 

 頼漢はどこから来るか分からない。

 しかも、足元の小石一つ踏まないようにしているらしく、音から頼漢の位置を特定することも難しい。

 前から? 右から? 左から? 後ろから? 上から?

 どこから来るかも分からない頼漢に、小南は思考を止め、決め打ちする。

 

 全方向に。

 

「んなっ」

 

 小南はしゃがみ、頭上に光のキューブを作成。

 顔に纏わりつく黒羽根のせいでどの方向も見えないまま、頭上に掲げたキューブから、全方向にアステロイドを一斉掃射した。

 頼漢がどちらから攻めて来てもいいように。

 キューブを展開してから撃つまでに必要な時間で、頼漢は急制動をかけ勢いを殺して立ち止まれたため、至近距離で蜂の巣にはならずに済んだが、もう遅い。

 

 アステロイドを弾いた音で、小南は頼漢の位置に気付いてしまった。

 

 間を置かず行われる、小南桐絵の神速の踏み込み。

 振るわれる二刀を、頼漢は左にかわそうとした―――ように、見えた。

 

 人間の体は、重力を無視できない。

 前に歩く時は体が前に傾き、左に動く時は体が左に傾く。

 傾いた体は逆側に踏ん張って多少の時間を使わなければ逆方向に倒し直せず、ゆえに一瞬の隙が命取りになる戦闘中に、左に体を倒したということは、左に向かって走るということ。

 物理法則と人体構造に基づいた先読みで、小南は頼漢が頼漢から見て左に避けると読み切り、その前提で弧月を振り被る。

 

 だが次の瞬間、頼漢の身体が頼漢から見て()()()()()()()()()()()

 左手の黒翼を、思い切り羽ばたかせたのだ。

 左に傾いていた身体は急速に右に傾いて、頼漢の回避方向を見誤った一撃を、頼漢から見て右側に避けることで回避する。

 そして頼漢の全体重をかけた蜘蛛切の一閃が振るわれた。

 

 3秒を使うか。使わないか。使わせるか。使ってしまうか。

 その一瞬に、駆け引きがあった。

 頼漢がトリガーに指をかけたその瞬間、蜘蛛切を振るう軌道に弧月が割り込む。

 割り込んできた弧月を避けて蜘蛛切を差し込めるか?

 小南にトドメを刺せるか?

 このまま弧月に防がれる可能性もあるのに、トリガーを引くのか?

 

 ほんの一瞬に目まぐるしく動く本能的な戦闘思考が、"いや倒せない"と判断し、蜘蛛切のトリガーを引かせない。

 全体重をかけた蜘蛛切の一撃は防御に使われた弧月を打ち据え、されど3秒を使っていないために攻撃力は薄く、小南の軽く小さな身体を力強く弾き飛ばした。

 

 両者の距離が、また空いた。

 

「ふぅー……」

 

「……っ」

 

 "強い"。小南は掛け値無しにそう思う。

 "強い"。頼漢は掛け値無しにそう思う。

 

 小南が見つめる先で、黒翼を備えた頼漢が軽快にステップを踏んでいた。

 そこに攻撃を仕掛けた後、彼がどんな舞踏で攻撃をかわしてくるのか、小南はもう読めない。

 頼漢が踊るように避け、小南がその動きに合わせて攻撃すると、まるで二人で踊っているようにさえ感じられてしまうのが、どこかむず痒い。

 小南はこの局面から、どう踏み込むかを考え、二の足を踏んでいた。

 頼漢が踏むステップに合わせて、左腕を覆う黒翼が揺れている。

 

 翼在る死神。

 黒翼の武技。

 太陽の舞踏。

 

 頼漢はまだ小南に、爪の先ほどの傷一つさえ付けていない。

 戦いは一方的で、小南は圧倒的な実力差を見せつけている形だ。

 なのに何故、こんなにも"呑まれている"感覚があるのか―――小南は言語化できなかった。

 

「あたしは弱いやつが嫌いなの。

 ここでボコボコにして、武器全部壊して……

 あんたが二度と戦えないように……余計なこと考えられないようにしてやるわ」

 

 "死なないで"という言葉が台詞の裏に見えそうな顔で、小南は強い言葉を紡ぐ。

 

「笑えよ、小南桐絵。俺はテメエが笑えない今が続く限り、止まったりしねえぞ」

 

「……っ」

 

 "死なねえよ"という言葉が台詞の裏に見えそうな顔で、頼漢は小南の言葉を拒む。

 

 冷たい表情はもうほとんど維持できなくなっており、喜びと悲しみと後悔がまぜこぜになったような表情だけが、小南の顔の上に残されていた。

 

「なんで……

 なんで言うこと聞いてくれないのよ……

 なんであたしなんかを一人にしないために頑張ってんのよっ……

 全部任せて平和な街で大人しくしててよ……

 あたしが……あたしが嬉しく思って受け入れちゃったら、どうすんのよっ……!」

 

 なんで、と少女が言ったから。

 

 そりゃお前、と少年は応えた。

 

「お前の言うこと聞いて、お前に全部任せたら……

 なんか……全部お前のせいみたいになっちまうだろ」

 

「―――」

 

―――あんたが未来見て、色々決めて、それで駄目だったら……

―――なんか……全部あんたのせいみたいになっちゃうじゃない……

 

 いつかどこかで、誰かが誰かに、言っていたような理屈だった。

 

「皆頑張ってる。

 皆生きてる。

 皆戦える。

 だったら、テメエのせいになるようになんてしねえ。

 誰がなんと言おうと、テメエのせいだけになんてさせてねえ。

 ありったけ、片っ端から守って、"最高の結果だな"と最後の日に笑うんだよ」

 

「……あ」

 

 人は痛みを知って育つ。

 "自分がされて嫌なことを他人にはしない"。

 "自分がされて嬉しかったことを他人にする"。

 例外はあるが、そういう繰り返しを経て、人は他人に優しくなることができる。

 

 善意の者が他人を救う時、時にそれは、自分が言われたいこと、自分がしてほしいことを、他人にしているだけだったりすることがある。

 あなたは悪くないよと言う人が、自分がそう言われたい人であったり。

 虐待された子供が大人になって、自分の代わりとして虐待された子供を救ったりする。

 人は時に、自分が言われたかった言葉を、そのまま他人に言うことがある。

 

 心理学的にはそれを、代償行為と呼称する。

 

「テメエの言う通りにして全部決めたりしねえ。

 俺が俺らしく考えて全部決める。

 そしたら、テメエだけのせいになんてならねえ。どうなっても俺のせいでもあるだろ」

 

「あ……あたしは……そんな……あたしは……!」

 

 小南が迅に言っていた言葉がもし、小南が言われたかった言葉であるなら。

 

 "君だけのせいにならないように"が、言われたかった言葉であるなら。

 

 あの夜の公園で、とても気の合った頼漢と小南が、内心で二人して同じことばかり考えていた二人が、『たまに同じようなことを言う二人』であったなら。

 

 小南が迅に言ったことを、そのまま頼漢が口にしたなら。

 

「俺を連れて行け!

 こいつはダチになるための喧嘩だ!

 テメエのダチになった俺を連れて行け!

 そうしたら―――楽しいことも、辛いことも、背負う罪も、全部はんぶんこにできる!」

 

「―――あ―――」

 

 小南桐絵を縛る呪いは、ここに砕け始める。

 

「人が死んで自分のせいだと思えるのって、キツいわよ」

 

「上等だ」

 

「あんたには背負わせたくないなあ……なんて、思っちゃう」

 

「じゃあ、俺と、お前と、俺の仲間で、誰も死なせなきゃいいだけだ」

 

 その時。小南が再会してから初めて、うっすらと、ほんの一瞬だけ、笑った。

 

「また笑って会おうって思ってたのに、あんま思った感じの再会にならなかったわ」

 

「お前が悩んでたからな」

 

「悩むわよ。死んだのよ。もう終わってんのよ。皆死んじゃった……皆……」

 

「別に……

 お前が悩むことは否定してねえよ。

 その苦悩はお前の優しさだ。

 だけど……一人で悩んで考え込んで、解決するのは頭の良いやつだけだろ」

 

―――そうそう。他人に相談して、斜に構えて、なんかいい感じにどうにかなんない?

 

―――一人で考え込んでるからじゃないの?

―――これはあたしが言わ……知り合いが言われてたんだけど。

―――一人で考え込んで解決するのは頭良いやつだけ。

―――そういうのができないやつはぼやかしてでも他人に相談した方がいい案出るんだって

 

「俺はお前が一人で抱え込んで、ゲロ吐きそうな顔してんのが、許せなかった」

 

「……そっか」

 

「ずっと頭の中で死んだやつのこと考えて悩んでんのが、見てて分かるのがキツかった」

 

「そっか。でもさ、こんな必死にならなくてもよくない? あたし赤の他人じゃん」

 

「赤の他人かどうかは関係ねえよ。だけどお前、真剣だっただろ」

 

―――期待とかはどうでもいいのよ。

―――あんたの悩みは真剣なんでしょ?

―――じゃ、あたしが適当にしてたら失礼じゃない。

―――あんたが真剣ならあたしも真剣にならないとだめでしょ

 

「真剣に生きてたから辛いんだろ。

 真剣に守ろうとしてたから苦しんだろ。

 真剣に人と向き合ったから悲しいんだろ。

 お前、いつも真剣だったじゃねえか。

 俺みたいな赤の他人も、真剣に向き合ってくれたろ。

 お前の苦しみを適当に扱って、真剣に向き合えねえようなら……俺は、死んだ方がマシだ」

 

「っ……」

 

「お前がお前を否定してんのが、見てられねえんだよ! 手なんか抜いてねえだろお前は!」

 

―――別に、なんか恐れる必要ないんじゃないの?

 

―――あんた、めっちゃ悩んでるじゃん。

―――真剣に向き合って考えてるじゃん。

―――それで、選択を間違えたから、って……

―――よくない結果になったからって、あんたが自分を否定したら、なんかムカつくかも

 

―――だって、なんか……

―――あんたのさっきまでの苦しみが、結果だけで全部否定されるの、嫌じゃない?

 

「結果だけで、死だけで、お前の全部を否定なんてさせてたまるか!」

 

「やめてよ! あたしは……あたしが悪いのよ!」

 

「いいや、悪くねえ! 絶対に、お前が悪くて人が死んだとか言わせねぇ!」

 

―――またこの公園に来なさい。

―――全部終わったらでいいから来なさい。

―――また話聞いてあげるから。

―――どんな結果になっても味方してあげるから。

―――お母さんのこととかだって、一緒に助けになってあげるから。

―――だからそんな辛そうな顔で重々しく決断とか言ってないで、ほら、笑った方がいいわよ

 

「何でも言えよ。

 何でも話せよ。

 俺は何があっても、どんなことになっても、お前の味方だ。

 お前が俺に対して、そう在ってくれたからだ。

 俺が!

 誰より、何より!

 ありのままのお前を、素晴らしい人間だと思ったからだ!

 ……笑えよ、小南桐絵。そんな辛そうな顔で、重々しく何語ってんだよ」

 

「嫌よ……それであんたがどっかで死んだら……あたしは、もう立ち上がれない……!」

 

「俺は死なねえ。

 死なねえから、何度でも立ち上がる。

 何度も何度も失敗して、やり直して。

 だけど、人を守る時、絶対に負けねえ。

 俺は死なず、何度だって立ち上がって、良い明日を作ると、他の誰でもねえお前に誓った」

 

「う、ううっ……」

 

―――死ななきゃどうとでもなるでしょ、死ななきゃ

―――だって、生きてればやり直せるんだから。やり直せたらきっと、良い明日だって来るわ

 

「なんでそこまで頑固なのよ!」

 

「お前の笑顔を取り戻すことが!

 今、俺の目に見えてる、最も大きな!

 『俺がそうするべきことだと思っていること』だからだ!」

 

 小南桐絵が泣いているように見えたのは、頼漢の幻覚か。今此処にある現実か。

 

 黒翼が、空の星(アステロイド)を地に墜とした。

 

 互いの勝利を断てるのは、少女の月と、少年の太刀のみ。

 

 両者の力と言葉の全て、尽くを尽くした先に、太陽を取り戻す戦いの終幕が顕れる。

 

「あんたの弱さを……人は死ぬってことを、思い出しなさいっ!」

 

「お前の太陽を、お前に思い出させてやるっ!」

 

 頼漢と小南は、同時に踏み出した。

 人間離れした速度で駆けていくのはどちらも同じ。

 

 頼漢の左腕の八咫烏が放出され、またしても小南の視界を塞ぎに飛んでくる。

 黒羽根の目隠し。しかし二度は通じない。

 小南の超高速の二刀流が片っ端から黒羽根を切り落としていき、その向こうの頼漢を一瞬たりとも見落とさないよう、黒き壁の向こうを凝視する。

 

 だが、黒翼は目隠し、囮でしかなかった。

 黒き壁の向こうで、頼漢の足が力強く路面を踏んで、その瞬間、右の靴が光る。

 頼漢が凄まじい勢いで"跳んだ"のを、小南は残像だけ目で追うことができた。

 

「!?」

 

 子蜘蛛(ラッド)を素材にして作った靴もまた、この数ヶ月で新たな進化を遂げていた。

 子蜘蛛の靴は、壁に吸着することで壁などを走れるようにする靴である。

 名無し(バンダー)の光線器官から、エネルギーを溜めておく器官を組み込んだ。

 天狗(コラキ)の飛行器官から、それを空中地上問わず放出する器官を組み込んだ。

 踏んだものに吸い付く機能、踏んだものと反発する機能で、二対一式。

 そうして出来たのが、右足で一回、左足で一回、両足合わせて特大の一回の跳躍を可能とする靴であった。

 

―――いや、久しぶりに感心した。ああいうことができるんだな……

 

―――だからこの靴、色んな遊び方ができて面白くて毎日遊んでたわ

 

 銘を『歩雲履(ほうんり)』。

 孫悟空の"雲を歩く"靴の名にあやかり、晴明が頼漢のために与えたもの。

 先日の対天狗戦の序盤において、頼漢が天狗と戦えていた理由である。

 手には蜘蛛、足に雲。

 かくして装備は対となる。

 "対"を作れば、互いの力は高め合う。それが『陰陽道』だ。

 

 この靴は、八咫烏の黒翼と合わせることで、空中殺法すら可能とさせる。

 小南の頭上を素早く飛び越えんとする頼漢は、黒翼ですっ飛んでいく自分の体の動きを制御し、小南の頭上を飛び越えた瞬間、口の中を噛んで溜めていた血を小南に吐き捨てていった。

 小南の頭に、弧月に、大量の口内血が降りかかる。

 

「何、何々!? ……血!?」

 

 頼漢は小南が動揺している内に、小南の背後に着地。

 着地音で、小南も気付く。

 

「トリガー・スタート」

 

《 蜘蛛切・真打起動 残り時間を表示します 》

 

 歩雲履の右足分は使ってしまった。

 残るは左足分の一回のみ。

 その一回を、頼漢はここで迷わず使った。

 左の靴が光り、頼漢の全身が凄まじい勢いで距離を詰める。

 

 凡百の敵なら、この奇襲で十分倒せる。

 だが、頼漢はここまでこの靴を使わなかった。

 その理由を如実に証明するように―――小南は初見で、その動きに対応してみせる。

 

 なんという動体視力か。

 身のこなしも反応速度も、その優れた目の動きについていっている。

 頼漢の四百倍以上のトリオンで構築された弧月が、頼漢の情けないトリオンで構築された蜘蛛切のブレードを受け―――そして、弧月が折れた。

 

「!?」

 

 ()()()()()()()()()()()()

 小南は状況を理解しないまま、瞬時に的確な判断を下し、後ろに全力で跳ぶ。

 そこに頼漢が()()()()()()()()()ため、必死で折れた弧月二刀を叩きつけ、蜘蛛切を上に弾き飛ばす。

 1秒以内の攻防の中に、無数の正解と不正解があった。

 

《 参 》

 

 頼漢は蜘蛛切を投げたと同時に走っていた。

 そして、小南が蜘蛛切を上に跳ね上げたと同時に、小南の両手首を掴む。

 凄まじい握力だ。

 小南は触れられた瞬間に、力尽くでこれを外せないことを理解していた。

 

 頼漢はそのまま、小南に頭突きを連打する。

 霊力(トリオン)で出来た身体に、そんな頭突きが効くはずはない。

 無理矢理に打ち付けられた額が、血を吹き出し、小南の頭部に更に多くの血を振りかける。

 

「そんなの効かないわよっ……っていうか頭が壊れる前にやめなさいバカ!」

 

「やってみなくちゃ分かんねえよなあ!」

 

 小南は頼漢の頭突きを避けようとして、そこで気付いた。

 頼漢の額に切り傷が付いている。

 この額からの出血は、打ち付けた傷によって出たものではない。

 頼漢の目的は、()()()()()()()()()()()()だ。

 

《 弐 》

 

「うっ……あっ……?」

 

 気付いた時にはもう遅く、小南の思考と戦闘体の繋がりが、不安定になっていく。

 霊力(トリオン)で出来た戦闘体には、生身の脳からの指示を受ける『トリオン伝達脳』と、生身のトリオン器官からのトリオン供給を受ける『トリオン供給機関』が存在する。

 前者は頭、後者は胸にある。

 ゆえに、そこを破壊することで、霊力(トリオン)で出来た身体を破壊することが可能だ。

 

 頼漢は素手でそれを破壊することはできない。

 しかし、頭部に繰り返し血を叩き込むことで()()()()()()()()()()()()()を狂わせることならば、できた。

 彼の血は毒。

 勝てない鬼に毒を盛って勝利した安倍晴明が開発した、改造遺伝子から生まれる、妖怪殺しのトリオン毒が血に流れている。

 頼漢は頭に繰り返し血を浴びせ、頭突きでそれを擦り込んで、急速にそれを浸透させたのだ。

 

 頼漢は小南の両手首を掴んだまま寝転び、巴投げの要領で小南の背を天井に向ける。

 小南の両手首を掴んだまま仰向けに寝っ転がる、そんな拘束の仕方である。

 

 小南は不具合を起こし始めたトリオン伝達脳を通し、朧気ながら頼漢を見て、気付いた。

 頼漢の手元に、黒翼がない。

 最初に小南の目眩ましをしていたはずの黒翼が、手元に戻ってきていない。

 どこに行ったのか?

 その答えは、小南の遥か上にある。

 

 弾き飛ばされて宙を舞っていたはずの蜘蛛切の下に、黒羽根が集い、蜘蛛切の柄から生えるように黒翼が形成されていた。

 そして黒翼は頼漢の意思の通りに、蜘蛛切を携え急速落下する。

 頼漢が両手首を掴んだまま動きを封じている、小南の背中へ。

 

「―――!」

 

《 壱 》

 

 このまま黒翼が生えた蜘蛛切が小南の背に落ちれば、小南の胸の奥、トリオン供給機関は破壊され、小南の敗北は確定する。

 小南はもがくが、両手首は掴まれパワーで負けている。

 アステロイドも間に合わない。

 トリオン伝達脳が破壊された今、取れる手段も多くない。

 このままでは負ける。

 丁寧に詰まされている。

 あの靴を温存していたあたり、これは頼漢が考えていた"勝ち筋"の一つであることに間違いはないと、小南は本能的に理解していた。

 

 しかし、大人しく負けることなど許さない。

 一秒あるなら、それで何かをする手を考える。

 それが、負けず嫌いの小南桐絵という少女だった。

 

「!」

 

 小南の口に、弧月が咥えられていた。

 小南レベルの霊力(トリオン)があれば、霊力(トリオン)の刃などいくらでも作り直せる。

 作り直された弧月は一本。二本作り直すのは間に合わなかった。作り直した一本も、どう見ても急に作り直されたせいでガタガタだ。

 けれど。

 頼漢の頭か首を切り、痛覚ダメージでノックダウンするには、十分な出力がある。

 

 小南はそうして、首の動きだけで咥えた弧月を振り下ろし、最後の斬撃を叩き込んだ。

 

《 零 》

 

 そうして。

 

 互いの全力、全ての力、全ての想いをぶつけ合う戦いは、終わった。

 

 

 

 

 

《 蜘蛛切・真打を終了します 》

 

《 トリオン供給機関破損 戦闘体解除 》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「晴明さん、どう見ます?」

 

『いや、予想以上だ。

 あそこで口で弧月を抜刀できる人間が何人いる?

 0.1秒単位での戦闘思考が人並み外れて優秀じゃないとあれはできない。

 弧月の優れた切れ味と攻撃力なら、確かにあれでも十分必殺の威力は出せるだろうね』

 

「あの歳でヨルより明確に、遥かに強い。窮地での爆発力も凄まじい。恐ろしい子ですよ」

 

『ああ。だけど』

 

「今日だけは……ヨルの勝ちですね」

 

 

 

 

 

 戦いの終了を知らせる、林藤ゆりの声が聞こえる。

 

《 勝者、源頼漢! 二人共、お疲れ様。すごくいい勝負だったと思うわ 》

 

 小南が振り下ろした咥え弧月は、()()()()()()()()()()()()()()

 頼漢の歯が、弧月を白刃取りしていた。

 ()()()()()()が。

 最後の弧月を、真っ赤な歯が噛み止め、黒翼が生えた蜘蛛切が小南の背中に刺さり、小南の戦闘体を破壊して、そうして模擬戦は終了した。

 

 紛れもなく、頼漢の勝利で。

 

 3秒を使い切った蜘蛛切と、疲れ果てた小南と、精根尽き果てた頼漢が、環境再現状態を終了した訓練室の床に転がっていた。

 

「……俺の、勝ちだ」

 

「……うん。あたしの、負け」

 

 頼漢が口の中を噛んで血を口の中に溜めていたのは、血を出すためだけではない。

 血を出すだけなら手の平を切ってもいいし、その方が正確に小南の頭と弧月に血を投げつけることができただろう。

 口の中を噛んだのは、()()()()()()()()()()()()()()()だった。

 

 霊力(トリオン)殺しの猛毒の血。

 これで歯をコーティングしておけば、『人体に対して攻撃力を発揮しない』ボーダーのトリガーは頼漢の身体を傷付けられず、与えるはずの痛みも血に阻まれて届かない。

 

 頼漢はいくつか決着の形を想定していたが、おそらくはその中でもこの形が最も最良だった。

 まず、天狗の外套を温存して渡り合い、小南に頼漢の素の強さを見せつける。

 続き、天狗の外套の性能を見せつけ、アステロイドが有効でないことを印象付ける。

 これでアステロイドが使われない流れを作ることが肝心だった。

 

 実際のところ天狗の外套の防御性能はそう強力ではなく、小南がアステロイドで遠くから削ることに専念すれば、天狗の外套もさっさと消し飛んでいただろう。

 だが、頼漢はそうはならないという確信があった。

 小南はあくまで斬撃主体の近接戦闘者。

 アステロイドはあくまで牽制。トドメは必ず弧月で来る。

 アステロイドの脅威に幾度となく負けかけながら、頼漢は冷静に『小南の癖』を見切り、アステロイドを過大評価せず、それを戦術に組み込んでいた。

 

 天狗の外套を使った誘導に誘われ、小南はアステロイドが有効でないと判断し、弧月一本に絞った戦いを選んだ。

 その時点で小南は、頼漢にブレードを刺しに行った最初の土蜘蛛(モールモッド)や、黄金の角の黒い土蜘蛛と同じく、"血をかけられてしまう間合い"に入っていた。

 

 頼漢が小南の頭上を飛び越えながら血をかけていったのは、ただ正面から血をかけようとしても小南の速度ではかわされてしまうという確信があったから。

 二回しか使えない靴の跳躍をここで使ったのも、散発的に使ったところで意味はなく、回避に使っても無駄撃ちで、一瞬だけ小南の想像を超える速度で跳んで攻撃に繋げる必要があったから。

 

 それも、必殺の流れで使わなければならなかった。

 靴の加速だけでは小南に見切られるだろうという頼漢の想定は正しく、事実小南は初見の靴の加速に反応し、防御を成立させてみせた。

 それまでの頼漢の速度に目が慣れていたからこそ、靴での急激な加速は小南の虚を突き、ここで小南の想定を超えられたのである。

 

 頼漢は一貫して、小南のスピード、細かい動きの速さ、それらを十全に使いこなす判断速度、そして高速戦闘に難なくついていく動体視力を警戒していたと言える。

 

 小南の背を天井に向けていたのも、小南が何かしらの形――たとえばとっさの咥え弧月――で急所への攻撃を弾いて来るかもしれないのが、怖かったから。

 黒翼の目眩ましなど、小細工が一度しか通用せず、二回目にはもう対応してくる小南のセンスは桁外れで、だからこそ選べる選択肢は多くなかった。

 

 だが、勝った。

 

 頼漢は"小南桐絵ならこうする"という読みを立てられるほど小南のことを知らなかったが、"小南桐絵ならこれができる"という想定を積み上げ、細い綱を渡り切った。

 

 自分は小南にも勝てるのだと。

 自分は小南より強いのだと。

 自分は小南と共に戦っても死なないのだと。

 そう、()()()()()()()を、真実であるかのように証明した。

 

 憑き物が落ちたような小南が、そんな頼漢に問いかける。

 

「なんでそんな強いのよ」

 

 "弱いはずなのに強い"という矛盾を立証した頼漢に、小南は疑問をぶつけた。

 

「世界が、良くなるといいよな。ちょっとずつでも」

 

「はい?」

 

 だが、返ってきたのは、ふわりとした理想論。

 

「いいもんばっかじゃねえ。

 悪いもんも多くある。

 クソみたいな人間だって多い。

 だけど俺は、この世界を好きになった。

 好きだった、って言うとなんか違う。俺は、この世界を好きになったんだ」

 

 頼漢の心が言葉に乗っているかのようで、小南は適当に聞き流すことができなかった。

 

「でもよ。

 世界が良くなるといいよな。

 この世の全ての人間が今すぐ幸せになる、とかじゃなくて。

 些細なことでもいい。

 ちょっとずつでも、世界が良くなるといいよな。

 だって、俺達が生まれた世界なんだから。

 だって、俺達が守る世界なんだから。

 だって、俺達が生きていく世界なんだから。

 ちょっとずつでも、誰かの手で、ささやかでも、良くなっていくといいよな」

 

 小南桐絵は、太陽を見た。なんてことのない日々を生きる人達のための太陽を。

 

「そう思ったらさ。

 俺よりもずっと凄え奴らが。

 俺よりもずっと素晴らしい奴らが。

 そこら中で、俺より沢山の人を救ってんのに気付くんだよ。ははっ」

 

 人を照らして、照らした人を見て、無性に嬉しそうに笑う、そんな太陽を見た。

 

「みんなが、俺の願いを叶えてくれてんだ。みんなが世界を良くしてくれてんだ」

 

 その太陽が、小南桐絵の太陽の笑顔がなければ太陽になれなかったことを、小南桐絵だけが知らなかった。源頼漢だけが知っていた。

 

「普通の子を見て、思ったんだ。『彼だけが己をヒーローだと知らないんだな』って」

 

 そうして、小南桐絵は知った。

 

 頼漢が街の人達を誰も死なせず守りきった、その理由、その奇跡の源泉を。

 

「敵は俺を最弱の雑魚かなんかだと思ってるが、負けられねえんだよ。負けてられねえんだ」

 

 守りたいと。

 助けたいと。

 抱きしめてあげたいと。

 彼が行き着く先を見届けたいと。

 震える足で立ち上がる頼漢を見て、心の底から、小南桐絵は思った。

 

「お前もきっと、俺の願いを叶えてくれる一人だ。放っておけるかよ」

 

 頼漢は震える足で立ち上がり、弱々しく手を伸ばし、小南に手を差し伸べる。

 

 戦闘体が解除され、ロングヘアからショートヘアに戻った小南が微笑んで、その手を取った。

 

 ぐっ、と力を入れて、頼漢の腕が小南の身体を助け起こす。

 

「じゃあ……あたしがその背中でも守ってやらないといけないわね」

 

「そうしてくれると助かる。お前はちっこいが強いからな」

 

「ちっこいは余計」

 

 小南は服の胸元に手を入れ、ペンダント状に加工した小瓶を頼漢に見せる。

 その小瓶は、あの日頼漢が小南に手渡したもの。

 "ドーマンセーマン"―――『異界から無事に帰ってこれる』、魔除けのお守りだった。

 

「お守り、ありがとう。たぶんこれくれたあんたのおかげで、みんな帰って来れるから」

 

「バカ、魔除け渡したくらいで俺のおかげになるかよ」

 

 照れたように頼漢が頬を掻き、小南の肩をぽんぽんと叩いて、その奮闘をねぎらう。

 

「頑張ったな桐っち。お前は頑張って、仲間と自分の命を守りきったんだ。尊敬する」

 

 母の命を守れなかった頼漢は、心からの尊敬を込めて、そう言った。

 

 小南はようやく、頼漢が言う"よかった"を受け入れられた。

 自分が頑張って守った命のことを、誇れるようになった。

 死の汚泥に蝕まれた心を奮わせ、全員で生還できたことを喜べるようになった。

 全ての人が無傷で終わる結末を100点、全てが死して終わる結末が0点とするなら、小南桐絵が掴み取った結末は間違いなく90点以上であり、その事実を、心が受け止められるようになった。

 死した人の数だけを数える日々は、今日此処まで。

 

 小南桐絵は、太陽のように笑った。

 

「ありがと。ふふっ」

 

 戦争が残した傷と呪いは、ここに終着点を見た。

 

「ああ、なんかあたし……やっと今、"終わった"って……そう、思えたな……」

 

 幼い小南の屈託のないその笑みが、頼漢が本当に見たかったもの。

 

「ああ、お疲れ。よくやったな、肩揉んでやろうか?」

 

「セクハラ」

 

「なんだガキがいっちょまえに。そこそこうざいぞ桐っち」

 

「ガキ扱いすんなって言ってんでしょ!」

 

 相手を太陽だと思っている二つの太陽が、自分が照らしたことなんて覚えてないまま、相手が自分を照らしてくれたことだけを覚えている。

 光り輝く二重太陽。

 ゆえに、陰った方の太陽が、未だ輝き続ける方の太陽に照らされる。そういう摂理。

 苦渋の決断を迫られ折れかけていた頼漢が小南に照らされていたように、今また苦しみの坩堝の中にいた小南が頼漢に照らされて、そうして光が循環する。

 

 二つの太陽は、未来を善くする軌道に乗って、笑い合った。

 

 

 

 

 

 魔を断つ剣、蜘蛛切。

 黒き翼の盾、八咫烏。

 舞踏踊る靴、歩雲履。

 ここに、安倍晴明が頼漢のために与えた三種の神器が出揃った。

 犠牲の大小を考慮しないのであれば、頼漢はこの三つが揃った時点で、次の本番の大規模侵攻をこの三つの武装で乗り切ることができる。その可能性がある。

 未来の道筋は、そういう風になっている。

 だが犠牲者を0にしたいのであれば、それらを更に使いこなし、もっと強くならねばならない。

 

 仲間達と、共に。

 

 

 

 

 

『終わったね』

 

「終わりましたね」

 

「兄さん」

 

「うん? どうした、千佳」

 

「前に宗教の話、してたことあったよね」

 

「ああ、したな」

 

「その時言ってたよね。"信じたいものを信じるのが人の本質だ"って」

 

「ああ、言ったな。って言っても、ひねくれたやつなら誰でも言ってるようなことだぞ?」

 

「うん、でもね。

 それが人の本質なら、わたしも信じたいからヨルカさんを信じてるのかな、って。

 あの人……小南桐絵さんもわたしと同じで、信じたいものを信じてるのかなって」

 

「そういうものだ」

 

「なら、あの人は最初から、ヨルカさんの言葉を信じたかったのかな」

 

「……かもな。お前がそう思うなら、そうなのかもしれん。それこそ……」

 

「わたしがそう信じたければ、信じていい……みたいなこと、なのかな」

 

「そういうもんだろ。『信じる』なんて、曖昧なことはさ」

 

「……うん」

 

『さて、行こうか。

 頼漢を存分に褒めてやろう。

 その後、思い切りからかってやろう。

 (やつかれ)が未来視で保証するよ。

 この結果が……彼が掴める中で、最良の未来だ』

 

「はい」

「うん」

 

 

 

 なにはともあれ、めでたしめでたし。

 されどここから、また始まり。

 世界を救う御一行に、頼もしい仲間がちょっと増えたとさ。

 

 

 

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