ワートリハードモード トリオン能力1未満トリガー無し敗北即死   作:ルシエド

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 頼漢の第一声が詰まった理由を、頼漢と麟児だけが知っていた。

 

「あの……俺は……あの……いや、なんでもねえ」

 

「言わなくても良い。ヨルが何言いたいかなんて分かってるさ」

 

「……俺は、俺は……」

 

「ヨルのその顔、見覚えがあるからな」

 

「……っ」

 

「あれは木々が紅葉に染まり残暑もすっかり終わった10月」

 

「ん?」

 

「腹を冷やしたヨルは、授業中に手を上げた。『先生、ちょっとトイレに』」

 

「黙れ、そしてちょっと路地裏までツラ貸せ」

 

『なんてことだ、小学校の同級生が小学生時代の雑談の続きを始めてしまった』

 

 麟児が笑う。

 頼漢の強張った肩から力が抜け、すっと緊張がどこかへ行った。

 晴明は薄ら笑いを浮かべながら、二人を……正確には雨取麟児を見つめる。

 

 昔話から始め、バカ話でスタートし、"昔のような空気"を再現し、雨取麟児は頼漢の戸惑い・警戒・距離感などを、一瞬で取り去ってみせた。

 頼漢は言おうとしていたことを引っ込めて、麟児におちょくられ始める。

 かつて、小学生の頃、二人でそうしていたように。

 

「クソが……!」

 

「待てよヨル。クソをしたのはお前じゃないか……」

 

「お前じゃないか……じゃねえんだよ! 今更蒸し返すことじゃなくねえ!?」

 

「悪い、悪い。いや、ヨルがどんくらい変わってたのか確かめておきたくてさ」

 

「たっくよぉ、相変わらず会話の主導権握りっぱなしな奴だぜ」

 

「トイレに辿り着いた頼漢は気付いた。なんということだ、トイレに紙がない……」

 

「過去語りを続けるな続けるな続けるな!」

 

 からからと笑う麟児。

 眉間を揉んで、けれどどこか楽しそうな表情をしている頼漢。

 晴明だけが、"(やつかれ)より人を騙すのが上手くて人望を集めるのが上手い(やつかれ)の同種だな"と、麟児を評していた。

 

 『人を操ることで結果を得ようとする』という一点において、安倍晴明と雨取麟児は相当に近い近似存在だった。

 頼漢は、そのあたり全く気付いていないようであったが。

 

「ヨルが変わってなくて安心したかな。妹に聞いてた通りだった」

 

「やっぱあの子は麟っちの妹だったのか……雨取って名前から疑ってはいたんだが」

 

「いや、うっすら気付いてたんなら確認とかすればよかったんじゃないか?」

 

「お前に連絡取る方法なんてねえよ」

 

「小学校の時の連絡網あるだろ」

 

「………………………………………………………」

 

「アホの中のアホウドリ」

 

「それはクラスのアホがお前に言ってたあだ名だろアマトリもじったやつ!」

 

「テストで100点以外取ったことなかったんだけどな俺」

 

「だからアホが嫉妬したんだろ。どうせ俺は0点ばっかだよケッ」

 

「拗ねるな拗ねるな、体育の授業では代わりに俺が役立たずでお前が無双してたじゃないか」

 

「……まあな! あれはまあ、俺の数少ないガキの頃のいい記憶だ、へへっ」

 

「……分かりやすいやつめ」

 

 懐かしそうに、楽しそうに、麟児が笑った。

 "頼漢を親友だと思っているかどうか"も、晴明と麟児の違いなのかもしれない。

 

「ありがとな、妹を守ってくれて」

 

「別に……善意でやったわけでも、麟っちの妹だからとかでもない。適当にそうしただけだ」

 

「はっはっは」

 

「なんだその顔は……」

 

「いやな、変わってないなって。安心した」

 

「は? 変わっただろ。

 だからお前も最初俺だって分からなかったんだろ?

 特に見ろよこの髪。

 見るからに喧嘩の強いヤンキーって感じの威圧感が滲んでるだろ」

 

「染め損なったアホに見える。すごく見える」

 

「………………………………………………………」

 

『野郎……タブー中のタブーに触れやがった……!』

 

 シュン……とした頼漢は、染まりきってない髪の毛をいじいじと弄り始めた。

 

「懐かしいよな、ヨルとのこういう掛け合い」

 

「ああ。麟っちには……一日一回なんか叫ばされてた気がする。あれなんかおかしいぞ」

 

「ガキ大将が下級生のお菓子奪って行って、ヨルが取り戻しに喧嘩売りに行ったことあったろ」

 

「煽ったのはお前だろ。泣いてる子がいるよーって俺に言ってよ」

 

「はは、そうだっけか?

 まあとにかく喧嘩が強かったよな、ヨルは。

 六年生のガキ大将でもあっという間に倒して、お菓子取り戻して、元の持ち主に返して」

 

「先生が叱りに来た頃にはお前だけ居なくて怒られなかったんだよな……

 いやなんか思い出したら怒りが蘇ってきたぞこの野郎。器用に逃げやがって」

 

「そうだっけか? 覚えてないな」

 

「この野郎……」

 

「まぁまぁ。その後お菓子取られた子を連れてきてお前の弁護してやっただろ?」

 

「……釈然としないが、まあそうなんだよな……」

 

「おかげでお前は先生に許されて、ちょっと暴力を叱られるだけで済んだよな?」

 

「そう、だったけど……」

 

「じゃあ俺はお前の恩人だろう。そういえば、あの時おまえに感謝の言葉言われてなかったな」

 

「……ありがとう?」

 

「よしよし、ちゃんとお礼が言えて偉いな、ヨル」

 

「釈然としねぇ~~~!」

 

『これだいぶ見習うところがあるな』

 

 懐かしい昔話を思い出して語り合っているように見えて、麟児が楽しそうに頼漢で遊び、頼漢も"そういうやつだから"で許す、そういう関係の確認作業であるように見えた。

 へんてこな関係が固定化された親友。

 そういう形の心の繋がり。

 

 なんでもない日に一緒に遊んだ。

 なんでもないことを一緒に一生懸命やった。

 なんでもないことでも二人で助け合った。

 なんでもないようなことを達成した喜びを二人で分かち合った。

 互いに口には出さないが、紛れもなく親友で。

 別れの言葉さえ言わずに頼漢がどこかに転校して行ってから、もう何年も経っていた。

 

 だから麟児は、頼漢の口から聞くことにこだわっていた。

 友の口から聞くことにこだわっていた。

 そこに、打算も企みもなかった。

 

「妹から、色々聞いた」

 

「……そうか」

 

「話せよ、今やってること。妹が狙われてるんだ、俺だって他人事じゃない」

 

「そう、だな。麟っちは知る権利がある」

 

 懐かしい気持ちが、心の殻を揺らがせる。

 かつての親友が、心の殻を揺らがせる。

 楽しい会話が、心の殻を揺らがせる。

 

 抑え込んでいた色々な気持ちが吹き出しそうになって、頼漢は感情的に関係のない何もかもを語ろうとしてしまう自分を押さえつけるのに、本当に必死になっていた。

 

 

 

 

 

 大まかに経緯を聞き、麟児は夜空を見上げて何やら考え込み始めた。

 

 麟児の視線がちらっと空中を彷徨うのは、その辺りに浮かんでいそうな陰陽師・安倍晴明を探しているからか。

 

 実際の晴明は麟児の横で気まぐれに――というよりは煽り気味に――踊っていたので、頼漢に冷たい目で見られているのだが。

 

「お前が蜘蛛とか怪獣とか倒して妹を守ってくれた、ってことだな。感謝してもしきれん」

 

「あんなにいい子なら俺が居なかったところでどっかの誰かが助けてただろ」

 

「はは。次は鬼ヶ島に鬼退治か?」

 

「あー……まあ、そんな感じだな。鬼ツエー勝てなさそーみたいなこと話してたわ」

 

 冗談に真剣味のある返答を返されて、麟児は目を丸くした。

 

「おいおい、マジで鬼退治か?

 ヨルに似合いすぎだろ……倒したら写真撮っといてくれ、インスタに上げとく」

 

「鬼のようなインスタ意識の高さ、これが雨取麟児……

 いや、まあ、いいけどよ。そんなに似合うか? 俺と鬼退治」

 

「お前以上に悪党ボコボコにするのが似合うやつは見たことないぞ」

 

「……」

 

 鬼。

 悪の象徴。

 侵略者の具現。

 "奪う者"の擬人化の一種。

 麟児の中で、頼漢は悪い奴に片っ端から噛み付いて行く狂犬だったから、異界から鬼が侵略して来て頼漢がそれを倒したら、きっと最高に笑えるだろうと、そう思えた。

 

「ヨル、覚えてるか? 一年生の授業の時。

 道徳の授業で昔話とか読んでた時のやつだ。

 お前はすぐに影響受けてたよな。

 『ダチは何からでも俺が守る!』って言っててさ」

 

「ウゲェー黒歴史! や、やめろ……」

 

「いいじゃん、かっこよかったぜ」

 

「やめろ! ……マジでやめてくれないすかね?」

 

「これから鬼と戦うかもしれないんだろ? らしくないな。

 鬼なんて雑魚に決まってるぜブチ殺してやる! くらい言わないのか?」

 

「……」

 

 何故か、麟児の予想の外側にある理由で、頼漢が一瞬、口ごもった。

 

「……ハハッ。おもしれーな。

 俺がそういうのじゃねえのは覚えてんだろ。

 お前は、俺が小学校で貧乏人の暴力ヤローって言われていじめられてたの知ってんだから」

 

 言葉の色に、血を吐くような色が混ざった。

 

「ま、ヨルが暴力に頼りがちだったのはよくなかったが。あれは周りの子供も悪かったろ」

 

「……」

 

「家の事情で貧乏人呼びすんのはよくない。

 貧乏人は泥棒だって言ってたのもよくない。

 一番良くなかったのはヨルのお母さんの悪口言ったことだったな」

 

「……母さんの悪口だけは駄目なんだ。どうしても我慢できない」

 

 小学校に通う子供達の父母達は、"ちゃんと"大人だ。

 ちゃんとした大人が悪口を言わないということはないが、ちゃんとした大人はちゃんとしていない大人を見分けられる。

 頼漢の母が"おかしい"ことは、周りの大人にとって一目瞭然の事実だった。

 それは、周りが囁く言葉に形になって顕れる。

 

 淫売。

 泥棒。

 貧乏人。

 ヤクザの家。

 いつも小汚い。

 母親が身体を売っている。

 理由もなく暴力を振るう息子。

 男に捨てられた性格の悪い母。

 住む家もないホームレスで給食費も払っていない。

 

 幾多の言説の、半分ほどが事実で、半分ほどが想像から生まれたデマだった。

 

 子供達は、親が大好きだ。

 だから、頼漢は母を守ろうとした。

 他の子供達は、親の真似をした。

 ()()()()()()()()()()かのように、子供達の間に憎しみもないもないまま、頼漢は親を守りたいだけの気持ちで、他の子供達は親を信じる気持ちで、地獄を作った。

 

 そして最後には、最も多くの暴力を振るった頼漢が悪者になって、話は終わった。

 

「母さんは悪くないんだ、俺が、もっとしっかりしていかねえと」

 

「本当にそうか?」

 

「んだよ、何が言いてえんだ?」

 

「言わなくても分かるだろう」

 

「……」

 

「よくならないのか、ヨルの母さん」

 

「……うん」

 

 "ああ"ではなく、"うん"と返した頼漢の姿が、晴明には、とても小さな子供に見えた。

 

 

 

 

 

 頼漢が生まれる前、頼漢の母は有名なダンサーだった。

 スポンサーが金を出し、海外留学させてやったこともあるくらい、有望なダンサーだった。

 彼女は幼少期からダンスに打ち込み、日本を代表するダンサーになるのは間違いないと、そう言われていたほどのダンサーだった。

 

 人格は温厚で善良。

 まず他人を信じるタイプで、まず他人に優しくするタイプの人間だった。

 やや内気なところがあるが芯のある子で、とにかく我慢強い頑張り屋。

 背が小さく、小柄でかわいい、やや自罰的な、他人に助けを求めるのが苦手な少女。

 白いごはんが大好きで、食事のたびにお米を山盛りにして食べていた。

 秘められた才能は"モンスター"と言われたほどに強力無比。

 誰からも"いい子"と言われ、誰からも愛される小動物のような子であったという。

 

 そして、大怪我をして、踊れなくなった。

 

 あまりにも酷い大怪我だった。

 ダンスのトレーナーは教え子の前で軽く踊って見せたりするものだが、そういうことさえできなくなるほど、あまりにも酷い怪我だった。

 奇跡的に日常生活は送れるレベルに回復したが、ダンサーとしての復帰はもちろんのこと、多くの職業の仕事ができないくらいに、足は壊れていた。

 

 "我慢強い、いい子"は。

 我慢強いがゆえに我慢をしすぎて、いい子であるがゆえに他人に迷惑をかけることを避け、結果的にパンクし、夢を終わらせてしまった。

 

 そこからが、最悪だった。

 

 彼女は運命の人と出会う。

 初めての恋に、これでもかとのめり込む。

 周りが何か怪しいと言っても、家族が違和感を覚えても、スポンサーが雇った探偵の調査結果を見せても、彼女は止まらなかった。

 初恋を信じた。

 自分で見たもの、自分が信じた人を信じた。

 幼少期からダンスしかやってこなかった少女に、人の善悪を見分ける能力はなかった。

 

 "いい子"は学校で褒められる。

 "いい子"になれと大人は言う。

 だが、"いい子"が詐欺師や宗教の狙う最も()()()()()カモであるということを教える学校や教師は、実際のところあまりない。

 

 そして。

 頼漢の母は、何もかもを失った。

 

 駆け落ちしたのに、駆け落ちの先が無かった。

 結婚は書類の申請すらされていなかった。

 好きになった人も、その人の友人という人達も、連絡先は全て嘘だった。

 若い頃に築いた財産は、一円も残さず奪い取られていた。

 それどころか、彼女の名義で借金まで背負わされていた。

 ダンスと初恋以外何も知らなかった少女は、手に職もなく、働き口もなく、頼漢を妊娠し大きくなった腹を抱えて、社会の中に放り出されることになった。

 

 頼漢の父は、黙って消えていったわけではなかった。

 最後に彼女に会って、彼女を嘲笑っていった。

 そう、頼漢の父親は、金銭目的型の詐欺師ではなく、愉快型の詐欺師だった。

 金を得るためではなく、"気に入らないものを壊す"ために、奪う人間だった。

 

「オレと違って人生上手く行ってた奴が何もかも無くす瞬間を見る時だけ、安心するんだ」

 

 頼漢の父は、彼女にそう言って。

 

「『ざまぁみろ』って感じがするだろ?」

 

 頼漢の母の心を粉々にして、どこぞへと去っていった。

 

 後日、頼漢の父の死体が発見されたというニュースが流れた。

 

 胸を深く抉られて殺された死体は、まるで殺すことが目的ではなく、胸の奥から何かを抉り取るために殺されたかのようだったと、専門家にコメントされていた。

 

「信じられない……誰も信じられない……」

 

 彼女の世界は、そうして壊れた。

 詐欺師は彼女の名前で彼女の身内に次々と詐欺を仕掛けていたため、かつての友人も、かつての恩師も、かつての家族も、もう彼女を見限っていた。

 それでももしかしたら関係修復の可能性もあったかもしれないが、彼女はこの世の誰よりも信じられた男に裏切られたことで、もう誰も信じられなくなっていた。

 ゆえに、家族にすら助けを求められなかった。

 

 成功者である彼女から何もかもを奪おうとした詐欺師は、まず彼女から"人を信じる心"を奪い取っていたのである。

 

「大丈夫……大丈夫よ……お母さんが守ってあげるからね……」

 

 けれど、それでも。

 頼漢の母は、これから生まれて来る子だけは信じていた。

 自分がこれまで生きてきた世界が、壊れ、奪われ、全てなくなっても、これから生まれて来る子が"幸せな世界の中で生きられる"なら、それで十分だと思えたから。

 

 大きくなったお腹でせっせと働き、頼漢を生んだ。

 ダンス以外何も知らなかった少女が、せっせとパートで働いた。

 何も知らないのに、誰も信じられないのに、あばら家の狭い一室で子を育て続けた。

 

「まま」

 

「そうよ~ママよ~ふふふ」

 

 妖怪達も。

 異界の鬼(アフトクラトル)も。

 頼漢の父親も、その所業の根底にあるものは同じだ。

 

 "お前達から奪うなんて、いつものことだろう?"

 

 昔から奪っている。

 いつものように奪っている。

 自己の利益のために奪っている。

 奪われる側がかわいそうだからやめよう、なんて言いもしない。

 悪党は、自分の世界と関係ない他の誰かの世界からなら、いくらでも奪っていいと思っていて……そして、奪われた者達の人生は、奪われた時点で終わるか、奪われた後も続くのだ。

 

 誰かが生きる小さな世界を平気で壊す者達が、壊した世界の成れの果てから、源頼漢は生まれ、育った。

 

「おかーさんはおれがまもるかんねー」

 

「あらあら、ふふふ」

 

 頼漢は父のことを知り、父を憎んで育った。

 大好きな母を傷付け、奪い、母の世界を壊した父親を……そして"奪う者"への漠然とした怒りを抱えて育った。

 いついかなる時も、他人から奪い、他人の世界を踏み荒らす人間を許せない気持ちは、そうして頼漢に植え付けられたのである。

 

 母は優しかった。

 母は愛してくれた。

 母はたった一人の家族だった。

 だから、頼漢は母が大好きだった。

 

「おかあさん、絵本描いたから見て見て! 『最初から鉄の家の三匹のこぶた』」

 

「狼の勝ち目を徹底的に取り上げないであげて?」

 

 霊力(トリオン)を扱う世界の話、と頭に付くが。

 "手法"さえ知っていれば、非常に優れた霊能力者が命を引き換えにすれば誰でも作れるという、『黒い神器』というものがあった。

 その力は凄まじく、人の命すら救うことができるために、大昔からそれを作った人の親は何人も居たという。

 息子や娘を救うため、彼らは自分の命を捧げた。

 『親』というものは――例外こそあるが――我が子に対して、時に自分の命を引き換えにしてでも救おうとする、理屈を越えた情愛を持っている。

 

 頼漢の母もそうだった。

 頼漢がもし死んでしまうとして、自分の命を引き換えにしてでも救おうとするくらい、深く大きく頼漢を愛していた。

 

「貴方が……私の人生で一番の宝物だわ、頼漢」

 

「じゃあ俺の宝物は母さんだ!」

 

「ふふふ」

 

 頼漢は父のことも知っていたし、母が昔どんな夢を追っていたかも知っていた。

 酔った母が泣きながら近所の主婦に話した内容が、井戸端会議によって流れ、回り回ってそれが頼漢の耳にまで届いていたから。

 

「母さんは俺が守るからね」

 

「ふふ、ありがとう」

 

「何があっても俺は母さんを裏切らないし、見捨てたりしないから」

 

「……ありがとう。貴方は、本当に自慢の息子よ」

 

 母と同じことがしたかった。

 母の夢を継いであげたかった。

 母に褒められたかった。

 母に一度でいいから"いい子"だと言われたかった。

 

 だから頼漢は、陰でコツコツ練習し、ある日母にダンスを見せた。

 

 母が好きだったものを自分も好きになったよと、それだけを言うために。

 

 そして。

 

 母は壊れた。

 

「うううぅ……あああぁ……」

 

「母、さん?」

 

 結局の所、頼漢の母は乗り越えていなかったし、立ち直ってもいなかった。

 ただ息子のために、頑張って壊れていないふりをしていただけ。

 粉々になった心を、無理矢理に糊で貼り合わせたような心をしていた。

 誰かがひと突きすれば、その場で崩れてしまうほどに。

 

 頼漢が母に『自分はもう踊れない』という事実を突きつけてしまった。

 『凄惨な夢の終わり』を思い出させ、現実に引き戻してしまった。

 

 信じていた息子に、自分が最も見たくないものを見せつけられたショックは大きく、不意打ち気味に心を壊された母は、すぐに発狂はしなかったが、段々とおかしくなっていった。

 

 一年経つごとに、母の症状は酷くなっていった。

 最初はまだ普通だった。

 だが一年、また一年と時間が経つごとに、どんどん正気でなくなっていく。

 "現実に居られる時間"が減っていった。

 "夢を見ていないといけない時間"が増えていった。

 ()()()()()()()()()()()()()という最悪の状況に、頼漢の母は陥った。

 

「母さん? 母さん?」

 

「うふふふ、ふふふ、ふふふ」

 

「母さん……?」

 

 投薬無しには正気を保てない。

 宗教に走って、宗教に現実逃避させてもらわないと生きていけない。

 パートをすると現実に戻ってしまって気が狂う。

 だからずっと宗教に浸かって、働くのも辞めて、一生夢の中に居るしかない。

 母が働けなくなった時点で、頼漢は年齢を誤魔化してのバイトや、カツアゲをする不良を逆に狩る日常を始めた。

 

 そうして頼漢は、大好きな母の世界を壊した父親と同じことをした自分に気付いた。

 

 父子揃って念入りに母の心を壊して、もう二度と治せないほどに叩き潰した自分に気付いた。

 

 "遺伝した"と、そう思ってしまえばもう、二度と自分を好きにはなれない。

 

 母から全てを奪ったのが頼漢の父なら。

 母に残されたもの全てを叩き潰したのは頼漢自身だった。

 母に褒められたかったダンス、そしてダンサーの夢は、呪いになった。

 

 頼漢はそれ以後、夢を追いかけるのを辞めた。

 天と地の光が好きで、光に夢を見ていた自分を捨てた。

 

 踊りを喧嘩にしか使わないことを決め、低俗な喧嘩に使うことで、自分の踊りを、自分の夢を、一生貶め続け、それを罰にすることを決めた。

 

―――たとえば……

―――親が居て……

―――その親が、悪意あるクソ野郎のせいで心を壊して……

―――色んなこと忘れて、投薬でやっと安定してて……

―――その上で宗教にすがってないと正気を保ててなくて……

―――タイムマシンでその親が心を壊される前に止めるとか……できるかな?

 

 あの時。

 頼漢が望んだ過去改変とは。

 父が母を壊す前、つまり頼漢が生まれる前からの改変を前提としている。

 母が父に騙されず、母が父に孕まされることもない世界を望んだことを意味している。

 それは、つまり。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という、切なる願いに他ならない。

 

「母さん、お金持ってきたよ」

 

「あら、ありがとう! これで今月も教祖様にお金を還せるわ」

 

 愛した人と愛した息子に壊され、奪われ、空っぽになった彼女にはもう、何も残っていない。

 

 頼漢はもうどこにも向けられなくなった感情を、"奪う者"への攻撃性として発露させる。

 

 頼漢は母を幸せにしようとし、頼漢は母を幸せにできない。

 そして頼漢が幸せになれない原因は、頼漢が幸せにしようとする母にある。

 

 だから救われない。今のままでは。

 

 

 

 

 

 論理的に人生が詰まされている源頼漢が万が一にでも救われる可能性は、源頼漢が『雨取麟児』と再会し、『雨取千佳』と『小南桐絵』と『木崎レイジ』と出会う未来の先にしかない。

 

 未来の全てを視た安倍晴明は、そう結論付けている。

 

 二人の話の前半に晴明の発言回数が過剰に増えると、理想の未来が潰えてしまう。

 

 ゆえに、晴明が選択したのは沈黙だった。

 

 

 

 

 

 頼漢が母の今の現状を粗方話し終えると、麟児は「そうか」で終わらせた。

 

 頼漢の母の状態が変わっていないと分かれば、かつての頼漢の学友であれば、誰でも今の頼漢の状態や生活には想像がつく。

 悪い意味で有名な母親で、その酷さは周知の事実であったから。

 

「ヨルは甘え下手だよな。赤ちゃんエアプなのが一発で分かる」

 

「赤ちゃんエアプのやつとか実在する?」

 

 麟児が笑って頼漢が笑う。楽しい。ただ話しているだけで楽しい。

 

 それが小学生の頃の頼漢の救いで、今も頼漢の心を救っているものだった。

 

「観念しろ。

 エアプは"言動"に出る。

 気付いてないのは本人だけだ。

 親にすら甘えられないおまえは赤ちゃんエアプ野郎確定なんだよ……」

 

「俺はエアプなんかじゃねえ……!」

 

「エアプはいつもそう言う。まとめサイトでしか知らないんだろ?」

 

「赤ちゃん体験をまとめサイトでしか知らねえ奴とか逆に見てみてえわ」

 

 周りに甘えて良いんじゃねと、麟児は暗に言っている。

 

「甘えてなんていられねえよ。俺がなんとかしなくちゃいけねえことが多すぎる」

 

「なんとかなってるのか?」

 

「…………………………………………まあまあだな」

 

「まあまあかぁ」

 

 ダメそうだな、と麟児が笑う。

 なんだとテメー、と頼漢が笑う。

 

「ヨルの母さんのこと、俺はそんなに嫌いじゃないんだよな」

 

「そう、なのか?」

 

「ヨルを女手一つで育て上げた人だから、根はいい人なんだろうなあとは思ってる」

 

「……」

 

「ヨルがさ、みんなで教科書買う日に助けてくれたことあったろ」

 

「……あー」

 

 頼漢と麟児が小学生だった頃、授業開始前に小学校に現金を持っていき、体育館に集まった出張書店で教科書を買い揃えるという慣例があった。

 

 しかし、問題が起きた。

 麟児が教科書を買うために親から預かったお金が消えてしまったのである。

 どこかで落としたか。

 それとも何かの本に挟まってどこかへ行ったのか。

 今日中にお金が無ければ教科書が買えない。

 困り果てた麟児の元に、仏頂面の頼漢が無愛想に救いの手を差し伸べた。

 

「あの時お前がくれたお金で、俺は親に怒られずに済んだ。ずっと感謝してる」

 

「……別に、優しさとか正義感とかじゃねえよ。ただ金があったからやっただけだ」

 

「まあその金はヨルの教科書代だったんだけどな。

 ヨルはそれで教科書買えなくてずっと俺の教科書見ながら授業受けてたわけだが」

 

「ぐっ」

 

「いやー面白かったな。先生に頼んでずっと俺ら隣の席にしてもらってんの」

 

「面白くはなかっただろ! 面白い要素なんもねえよこの野郎」

 

「おいおい……授業中に一緒ににぼしのにから食べてたこと忘れたのか……?」

 

「にぼしのしから食べてたんじゃなかったか?」

 

「ヨル……にぼしのように細かいことを気にするなよ」

 

「テメエから振った話題なのに……?」

 

「あと、歳を重ねて気付いたんだが。

 にぼしの頭を『に』。

 にぼしの尾を『し』って呼んでるの日本で俺達しか居ないかもしれん……」

 

「それは……麟っちだけじゃなくて俺もひしひしと感じてる……」

 

「『ぼ』から食うやつも結局居なかったな。

 いやそもそもにぼしの『ぼ』って言ってるやつがいなかった……」

 

「そんなん言ってるやつが居たら逆立ちして鼻からタピオカ食ってやるよ」

 

「まーたヨルは変な誓いを立てる」

 

 何年も前の、頼漢が自分の教科書代を譲ってまで麟児を助けてくれた話、そこから続いた日常の話を、麟児は誇りのように語る。

 小学生らしからぬ自己犠牲と他者救済。

 不器用でも他人を救うために手を伸ばし、金を渡した頼漢こそが、麟児にとっては身近な最小のヒーローだった。

 

 頼漢はその語りを、今にも死にそうな顔で聞いていた。

 

「ヨルは、いつも"友達だけは裏切らない"って言ってたもんな。

 そして、有言実行した。

 あの時からだ。俺はヨルだけはどんな時でも信じられる奴だと思った」

 

 雨取兄妹がずっと揺らしていた心の殻に、ヒビが入る。

 

「そんな」

 

 感情が理性を上回って、心の殻が砕け散っていく。

 

「そういうのじゃねえ、そういうのじゃねえんだ、麟っち」

 

 絞り出した言葉が震える。頼漢の声が、弱々しくなっていく。

 

「宗教信者の家の喧嘩っ早い貧乏人と仲良くしてくれた麟っちの方が、ずっといいやつだ」

 

「俺は面白そうだから付き合ってただけさ。

 実際、ヨルに付き合ってると面白いことだらけだった。

 親にヨルに近付くといいことないぞって言われてたけど、そんなこともなかったもんな」

 

「……違う」

 

 青い顔で、泣きそうな顔で、頼漢は不安定な言葉を紡いでいく。

 

 その顔にはもう、"奪う者"の尽くを倒して回る豪傑の名残は微塵もない。

 

「違う、違うんだよ麟っち、俺は……俺は……」

 

 ただただ、途方もない罪悪感と、果てしない自己嫌悪と、目を逸らし続けた矛盾と、どうしようもない苦しみだけがそこにあった。

 

「あの時、麟っちの金が無くなったのは、俺と話してたところを母さんに見られたから」

 

 頼漢にとって、麟児は何よりも大切な友達だった。

 頼漢にとって、母親は何よりも大切な家族だった。

 だから、そこから生まれてしまう最大最悪の矛盾とは、たった一つ。

 

 

 

「……お前が教科書のために持って来てた金を盗んだのは、俺の、母親なんだ……」

 

 

 

 何よりも大切な母親を優先し、何よりも大切な友達に真実を告げず、嘘と虚飾で母親を守ろうとした罪に他ならない。

 

 頼漢が苦しそうに俯く。

 

 息も。

 

 心臓も。

 

 止まってしまいそうなほどに苦しい。

 

 そんな、告白だった。

 

「知ってたよ」

 

「―――え」

 

「もうちょっと話していこうぜ、ヨル。話したいことが何年分もあるんだ」

 

 頼漢が驚いて顔を上げる。

 

 息も。

 

 心臓も。

 

 止まってしまいそうなほどに驚く。

 

 そんな、告白だった。

 

 

 

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