ワートリハードモード トリオン能力1未満トリガー無し敗北即死   作:ルシエド

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※今回解説が入る宗教団体は現実に存在する・存在した、起訴済・未起訴のいくつかの宗教団体をモデルとしただけのオリジナル団体であるため、特定の団体を揶揄したものではありません


3

 なんて顔をしてるんだ、と麟児は思う。

 でもおまえはそういうやつだからな、と麟児は思う。

 "強い男"というハリボテを崩された源頼漢は、ただ母親と一緒に居たくて、ただ母親に幸せになってほしくて、ただ母親を守りたいだけの、虚しい子供だ。

 

 だから、どこかで区切りを付けなければ、彼の人生が前に進むことはない。

 麟児は懐から紙袋を取り出した。

 その紙袋には、教科書一式代金――あの日頼漢が麟児に渡した金と同額――ほどの紙幣が入っていた。

 

「あの時はありがとうな。数年越しだが、金返させてくれ」

 

 麟児がそれを渡そうとすると、泣きそうな顔で強がって、頼漢は拒む。

 

 カツアゲをしている不良から金を奪うことはできても、親友が恩に感じて渡してきた金を受け取ることができない。

 どうしてもできない。

 母親のことだけを思うなら受け取って母親に渡せばいいのに、できない。

 

 平気でそこまでの悪になれたなら、頼漢は最初からこんな人生を送っていない。

 千佳を命懸けで助けることなどしなかっただろうし、その人間離れした身体能力で、銀行強盗でも何でもやればよかっただけの話だ。

 

 返された金を拒む頼漢のその心こそ、麟児が今でも頼漢を友人だと思う理由である。

 

「返される理由がねえよ。母親が盗んで、息子が同額返しただけだろ」

 

「ヨルが自分の教科書代を渡して被害者を助けようとしただけだろ?」

 

「麟っちがプラスマイナス損しかしてねえ。受け取れるわけがねえ」

 

「どうせヨルに渡すつもりで持ってきた金なんだ。鬼退治の予算にでも使ってくれ」

 

 麟児は無理矢理、頼漢の服のポケットに金をねじ込む。

 

 頼漢は俯き、弱々しく、(かすみ)を吐くように言葉を紡ぐ。

 

「本当は……

 俺に鬼退治なんてできやしねえんだ……

 俺は……友達から金を盗んだ鬼を見逃して、黙ってて、庇ったんだから……」

 

 鬼。

 悪の象徴。

 侵略者の具現。

 "奪う者"の擬人化の一種。

 

 頼漢の人生において、友達から奪う悪鬼とは。

 

 たった一人の家族である、愛する母親だった。

 

「自分の親を鬼とか言うなよ、ヨル」

 

「麟っちから盗んだ金は教団に納められた。

 教団はその金を使ってまた活動したんだろうな。

 それで……またどっかの家が、俺の家みたいに、食い物にされるようになったんだろうか」

 

「考えすぎじゃあないか」

 

「わっかんねえよ。だけど……俺は、鬼退治される方で、鬼と言われても、何も言えねえ」

 

「ヨルは鬼なんかじゃない。俺はそれを知ってる」

 

「誰かが俺を鬼だと思ったら、それは正しいだろって話だ」

 

 頼漢は母に向けられる罵倒が許せなかった。

 けれど。

 頼漢の母に向けられる罵倒の多くが嘘でないことを、知っていた。

 

「ずっと、正しかったのは、俺の母さんの悪口を言ってた奴らの方だったんだから」

 

 陰陽術を使い、世界を守る。

 霊力(トリオン)がなくとも、武器(トリガー)がなくとも。

 それは間違いなく正しいことだ。

 けれども。

 

―――鬼ヶ島の鬼(アフトクラトル)は天下無双。

 

―――最後は、こっちから和平を申し込んで宴で毒を盛って……ま、そんな感じだね

 

―――話の分かる、和平に応じてくれる、隣の世界の角が生えただけの人を、騙し討ちにして毒を盛るなんて、どっちが鬼だったんだか……いや、ごめん、なんでもないや

 

 鬼を倒し、世界を守る人間が、"自分の方がよっぽど鬼だ"と思ってしまったなら。

 きっと悪人より、善人の方が耐えられない。

 耐えられなければ、もはや自分が幸せになるためには生きられない。

 晴明は大きな罪悪感を抱えながらも割り切れたが、頼漢は一度も割り切れなかった。

 

 日本には、『鬼』の用法が二つある。

 頭から角が生えた化物を指す用法。

 そして、心が醜い、他者に悪意をぶつける者を指す用法だ。

 『鬼』は千年以上前からずっと、()()()()()()()()()()()()()として君臨する。

 

「……ごめん、麟っち。

 俺が悪いんだ。

 母さんが悪いけど、俺も、黙ってた。

 母さんを守りたかった。

 友達を守らなかった。

 俺は、選んで……ダチの味方をするっていう、当たり前さえ、できなかった」

 

 血を吐くような、魂を吐き出すような、全身全霊が溶け出しているような、そんな謝罪。

 

「本当に、ごめん……」

 

「お前が……母親が悪いって認められたの、初めて見たよ」

 

「遅いくらいだ。

 遅すぎたくらいだ。

 ……ホントは、あの時、麟っちから金盗んだ時に、認めてなくちゃいけなかった」

 

 母を見捨てて親友を取れば、また息子に裏切られた母は今度こそ精神が完全に崩壊し。

 親友を見捨てて母を取れば、友を裏切り母に寄生される日々が悪化する。

 そして、どちらを選んでも地獄の後悔。

 当時小学生だった頼漢には、不幸になる以外の選択肢を持たなかった。

 

 それでも割り切って"俺は悪くない"と思えなかったのは、きっと、頼漢がずっと麟児のことを大切な友達だと思っているから。

 その友情を、麟児は肌身に感じていた。

 

「未来が視える奴が来た。

 未来の話ばっかりしてた。

 違う。

 そうじゃねえ。

 そうじゃなかったんだ。

 俺は未来の問題じゃなくて……

 ずっと、解決しないといけない過去の問題があって……

 過去に向き合ってない俺が未来をどうこうしようってのが滑稽だったんだ」

 

 過去に縛られた者が。

 過去によって現在を損ない続けている者が。

 未来を理想の形にすることなど、できるのだろうか?

 

「俺は最悪の未来を正すために戦いながら、最悪の母親を正す気が無かった」

 

「……ヨル」

 

「母親を悪く言うやつに言い返すために……つまんねえウソをつき続けた」

 

「……」

 

「何が『母さんは悪くない』だ……俺が一番、母さんが悪いって分かってたはずなのに……」

 

 頼漢と出会い、頼漢のことをある程度知った人間であれば、頼漢に対して好意的な者も悪意的な者も皆、誰もが頼漢のその嘘を見抜いていた。

 事実上、隠し事でもなんでもない。

 頼漢の言動と行動を紙一枚にまとめて適当な誰かに見せても、それだけのことで大抵の人が頼漢の嘘、母を守るための虚偽に気付くだろう。

 

 千佳ですら、頼漢が口にしていなかった内心を、頼漢の表情を見ているだけで大まかに察することができるくらい、誰が見ても分かりやすかったのが源頼漢だ。

 

 嘘を見抜く特殊能力など必要もない、哀れなほど薄っぺらな、愛に根ざした脆い嘘。

 

「家族……か」

 

 麟児は、ぼうっとした声色で呟き、夜空を見上げた。

 

 昔、頼漢が無邪気な顔で"星と月が好き"だと言っていたことを、思い出しながら。

 

「大変だよな、家族って。

 見捨てられないし、助けてやりたくなる。

 自分じゃどうしようもないって思っても、なんか諦めきれない。

 家族を切り捨てたら楽だよって言われても、理解できても、納得できるかは別で」

 

 麟児のその言葉には、ちゃんとした重みと滲む想いが感じられた。

 

 この一晩で何度も"妹を助けたことへの感謝"を頼漢に言っている麟児だからこそ、その言葉に嘘偽り無い本音が在ることが分かるものだった。

 

「ヨルに母親を捨てろって、無責任に言えたらよかったんだが……」

 

「言えねーだろ。麟っち家族大好きじゃん」

 

「お前もだろ」

 

 ふっ、と互いの口から息が漏れる。

 

 家族のためにバカをやる人間を、頼漢も、麟児も、否定できない。自分がそうだから。

 

 麟児の間を読み・心境を読み・流れを読んでの発言は、会話の拍子を調整し、頼漢が致命的な思考に至らないよう誘導し、けれど話が打ち切られない流れを作り、落ち込んでいた頼漢の心は徐々に持ち直しつつも、普段抱え込んだ鬱屈をどんどん吐き出したくなっていく。

 名の知られたカウンセリングの名手のような、するすると想いを吐き出させる流れ。

 

 誘われるように、心の膿が吸い出されていく。

 

「間違ってるんだ。

 俺が全部間違ってんだよ。

 矛盾しかねえしダブスタしかねえ」

 

 晴明もまた、その流れを無言で見守っていた。

 

 怨念消除。

 悪口呪縛。

 悪夢転換。

 それらは陰陽術の基本術であり、基本の導線でもある。

 悪しき想いを打ち消すこと。

 悪しき想いで呪うこと。

 己を苛む悪夢を逆転させること。

 それらを扱うには、術者が心の負の面と向き合わなければならない。

 

 陰陽術の()()()()は―――自分と向き合えない者には扱えない。

 

「母親が一番大事なら全部放ってこの街から逃げればいい。

 街なんて守る義理はねえ。

 母親が一番大事ならなんでそれを徹底できない?

 なんで母親以外のことも考えてる?

 母親以外も大切にしたところで……結局母親を選ぶなら意味ねえじゃねえか」

 

 絞り出すように言う。

 

「なんで今更正義の味方みたいなことやってる?

 街の人を守るってんなら不良殴ってんのもよくねえことじゃねえか?

 なんで戦いに命懸けてる?

 母親残して死ぬとかあっちゃいけねえことだろ?

 俺は戦って死んで楽になりたかっただけじゃねえのか?

 それとも本当は気軽に誰かを守って死んでいいと思うくらい母親がどうでもよかったのか?」

 

 絞り出すように言う。

 

「奪う奴が嫌いなのになんで俺が率先して奪ってんだ?

 宗教嫌いなのになんで宗教の手助けみたいなことしてんだ?

 クラスメイト殴って転校した俺がどのツラ下げて妖怪を否定してる?

 他人に気に入らねえ、気に入らねえ、って言ってんのに、母親だけは例外?

 晴明が千佳っちに迷惑かけたことを謝れって言えるような立場なのか俺は?」

 

 頼漢は虚空から蜘蛛切を取り出し、額に柄を押し当て、呻く。

 

 母親のためでもなんでもないもの。

 安倍晴明がくれた戦う力。

 街を守るための刃。

 3秒だけの希望。

 純然たる"母親のためのものではない"武器で、源頼漢の『矛盾の塊』。

 

 この刃の存在がそのまま、頼漢の内にある矛盾の具現であった。

 

「なんだ俺は……何がしてえんだよ……」

 

 今にも死にそうな顔をして、頼漢は自己を否定する。

 

 頼漢は空の星月が好きだった。

 

 こんなにも好きになる理由がない自分でさえ、空の光は差別せず照らしてくれるから。

 

「したいことだけ増えてって、どうしようもなくなって、最後に頼るのは結局暴力」

 

 頼漢は街に輝く地の光が好きだった。

 

 憧れを失ったのは、"いつかあそこで幸せになるんだ"という夢を見れなくなったから。

 

「自分の都合だ。

 全部俺の都合だ。

 奪う奴を殴りたくなる。

 他人が奪われるのが見たくねえ。

 奪われた人が不幸になるのが見たくねえ。

 ……どんな最悪より、母親に悪く見られることが最悪に感じる。

 千佳っちにあんな綺麗な目を向けられる資格なんてねえんだ。

 色んな感情が混ざって、俺が"いい子"な千佳っちをどう思ってるのかも分からなくなる」

 

 星空の下。

 友が見ている。

 幽霊が見ている。

 そして少年は、心をそのまま吐き出している。

 

 

 

「俺は……俺は、結局いつも、自分のことばっか考えてんだ……」

 

 

 

 麟児はそれを、穏やかな表情で見守っていた。

 

「なんか、ほっとけないんだよな、ヨルは。

 お前と千佳は、全然似てないんだが……

 いや、むしろ正反対なんだが。

 正反対のくせして、俺が放っておけない理由だけは、いっつも同じだ」

 

「……何の、話を……」

 

「だからお前に、兄貴面したくなるのかもな。ヨルは目を離すと危なっかしいしさ」

 

「……同い年だろ」

 

「12月生まれのヨルに対して4月生まれの俺は八ヶ月分年上ってわけだ」

 

「卑劣な早生まれがよ……!」

 

 麟児が笑う。

 そんなこと気にすんなよ、と言外に言いながら。

 

「ま、ヨルは頑張り屋のいいやつだってことだ。死ぬほどひねくれてるけどな」

 

「へっ、どうせ俺の好感度稼いで妹の護衛に付けようって魂胆だろ。

 分かっちまうんだよなあ、麟っちのそういう企み。

 昔から俺をいいように利用しようとするとことかあるじゃんよ、なあ?」

 

「はは、バレたか。

 今のとこ俺の妹を守れそうなのはヨルだけだからな。

 おまえには気合いを入れて千佳を守ってもらわないと困る」

 

「性格打算的すぎだろ……チッ」

 

「ヨルがアホ……というか、千佳のやつに変なところばっか似てるせいだな」

 

「えっ……」

 

 頼漢は目を丸くして、その辺に生えている草を夜の暗黒の中から見つけ、引っこ抜いて麟児に差し出す。

 

「なんじゃこりゃ。ヨル?」

 

「この雑草……目にいい栄養あるから……麟っちの目が幻覚見えてても治るから……」

 

「ガンジーがキレるレベルの煽りを生やすなよ」

 

 麟児は頼漢から取り上げた雑草を思いっきりぶん投げた。

 

「俺が言ったことはヨルも千佳もちゃんと聞くし。

 一度集中するとアホみたいに言われたことずっとやってるよな。

 母親に金出せって言われたらずっと稼いでずっと金渡してんだろ?

 あとまあ、我慢だけは得意なとことか。

 ……きっかけがあれば"助けて"って言えなくなる性格とか、な。

 "自分のことばかり考えてて恥ずかしい"っておまえも千佳も言ってたが、流行ってんのか?」

 

「流行ってはないと思うが……いやでもなあ……」

 

 麟児の見解は独特の視点からのもので、概ね正しくはあったが、頼漢には受け入れ難い要素の方が大きかった。

 

「やっぱ全然似てねえって、麟っちが催眠アプリを喰らったとしか思えない。正気に戻れ」

 

「段々ヨルの言い草が暴論になってきたな」

 

「そのくらいには受け入れ難い暴論であることを理解してくれ」

 

「おまえ達二人を見てきた人間として、一番似てるところを教えてやろうか?」

 

「ねえよそんなもん」

 

「人間の好みが一番似てる。

 たぶん、千佳が気に入る人間はお前も大体好きだよ。

 まだあんまちゃんと千佳と交流したりしてないんだろ?

 千佳の周りのやつをそういう目で見たりしてみてみろ、たぶん楽しいぞ。予想だけどな」

 

「千佳っちに男の恋人ができたら俺もそいつを好きになるって話か……?」

 

「唐突なホモ」

 

 雨取麟児は頭が良い。

 頼漢が知る中で最も頭が良く、その頭脳は高校生離れしている。

 特に"唆す"技能は群を抜いており、頭が悪い人間では、心を操られていることも気付けない。

 

 心を操るのが得意であるということは、言葉を選んで、友を救える言葉を創って、相手の気持ちを操って、救うことも得意であるということ。

 

「だからな、千佳がいい子でお前がいい子じゃないとか、俺は思ったことないんだ」

 

「―――」

 

「他の奴は知らないけどな。千佳だって俺と同じように思ってるはずだ」

 

 全てを考え全てを把握し全ての心の流れを制御する、そうした救い方があるならば。

 何も考えずとにかく助けなければと思って、教科書代を渡すような救い方もあって。

 『違う』ということが育む友情が、きっとある。

 

「麟っちと話してると、なんかいつも、分からんが、救われてる気がする。

 なんかわっかんねえけど。

 昔からいつも、お前が何か言ったってわけじゃなくても、なんか……なんだ?」

 

「気のせいじゃないか?」

 

「テメエがそう言うとめっちゃ胡散臭え。え、何かしてねえ?」

 

「ははっ。そこまで疑うのは流石に失礼だぞこの野郎」

 

 ただ、両者の間に親しみと、信頼と、感謝の心がある限り、二人はずっと友達だ。

 

「妹を助けてくれただろ、ヨルはさ」

 

「何回言うんだそれ。もういいって」

 

「そんなヨルが自分のこと否定しまくってたら、千佳のやつは悲しむんじゃないかな」

 

「……」

 

「おまえらしくちゃんと荒っぽく、自信満々に大暴れしてろよ、不良ゴリラ」

 

「はっ」

 

「なーにが自分のことばっか考えてる、だ。

 うちの妹はそんな風に思ってない。

 なら、俺はヨルを信じた妹の気持ちを裏切らないようにするだけだ」

 

「シスコンめ」

 

「お前はマザコンだろ?」

 

「………………………………」

 

「そんな言葉に困った顔するなよ……」

 

 頼漢はもにょもにょして、麟児の隣で手すりに身体を預け、高台から見下ろせる夜景、夜の光が灯る町並みを見渡した。

 

 あの光の一つ一つに、この街……三門市に住まう幸せな人々の今日が在る。

 

 頼漢が望んでも得られない、幸せな光の群れだ。

 

「どうすりゃよかったんだろうな。

 母さんは否定されただけで発狂する。

 否定しなきゃ変えられない。

 母さんはもう全肯定の夢の中でしか生きられない。

 医者にさえ匙を投げられちまった重症だ。

 夢から覚めたら、母さんはこの現実に生きてることに耐えられなくなる……」

 

 答えのない問いを、答えなどないと分かった上で、ただ愚痴るようにぼやいた。

 

 その言葉に、麟児が含みのある笑みを見せる。

 

「なあ、ヨル。たとえばの話なんだが」

 

「この流れで本当にたとえばの話を麟っちがするだろうかって思って心が身構えてる」

 

「こいつ……どっかの悪党が俺の妹を、千佳を狙ったら、俺はどうすると思う?」

 

「めっちゃ頭使って色んな人を操り始める。

 悪党を潰すための準備を完了する。

 俺とか色んな奴を呼びつけて仲間を揃える。

 俺とかを戦力として使って悪党が居る本拠地に乗り込んで潰して妹を守る」

 

「おっ。悪くないな、100点やるよ」

 

「学校のテストで取ったことない点数を取ってしまった……」

 

 そうして、麟児はポケットから取り出したスマホの画面を、頼漢に見せ。

 

 頼漢が仰天する。

 

「敵は根から絶たなきゃ解決しないよな」

 

 そこには、年単位で進行中の、『頼漢の母を食い物にしている宗教団体を瓦解させる計画』についての記載が、何十万字という単位で書き込まれたファイルがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宗教法人、モッケ会。

 頼漢の母親が参加している新興宗教である。

 

 21世紀の情報化社会は、『形を変えた詐欺師がもっとも力を持つ』とも言われる社会である。

 社会は隣の世界からの侵略者が活動しにくい形に変じているが、同時にどんな妖怪よりも厄介な社会悪が跋扈する時代にもなりつつあった。

 

 モッケ会は主に"あなたのせいではない"で人を堕とす。

 

 雨取千佳のような"私のせい"と思いがちな人間の中でも、『自分のせいだと思うことに耐えられない』人間を標的とする。

 

 自分のせいだと思わない無敵の人は避ける。

 自分のせいだと思うことに耐えられる人も避ける。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()を狙う。

 救われたい人を狙うのが、モッケ会の主要な手口である。

 

 標的を見つける方法は口コミ、SNSで特定のワードにて検索しカモの捜索、街頭アンケートやネットアンケートを使った情報収集、分析会社に金を渡して購入した個人情報や広告のターゲッティング統計などである。

 

 モッケ会の主張は様々な宗教や陰謀論を混ぜたものであるため、標的に困ったことはない。

 

 たとえば、生活に苦しんでいる人は、アンケートに応えると洗剤が貰えるアンケートや、生活苦の人がよく使う荒っぽい言葉の検索で発見できる。

 そういう人に「政府が悪い」や「あなたのせいではない」と吹き込み、適当な研究データをでっち上げに使って説得力を作り、モッケ会が作る理想社会を説く。

 

 元から宗教にハマりやすい人間を狙って集めているため、成功率はかなり高く、多くの人間が余裕のない財産を吐き出していく。

 「モッケ会の理想社会に劣る社会だからこれまであなたは苦しかったのです」という理屈を信じさせればもう離れない。

 会に入ってからの苦しみは、「モッケ会の理想社会が定着すると困る特権階級のせい」などと言っておけば、また他人のせいにできるというロジックである。

 

 また、ガンなどになった人間をSNSで探し、

 「ガンなどというものは存在しない、陰謀のでっち上げ」

 「抗癌剤はただの毒。薬でそんな苦しくなるわけがない」

 「ガンは自然治療や漢方で治る」

 「昔はガンで死ぬ人間などいなかった」

 などのデマを吹き込むことで嘘を信じさせ、信者にして金を巻き上げるのも現代の新興宗教定番の手口であり、モッケ会も愛用している。

 

 闘病中の人間は苦しい。

 救われたいと思っている。

 こんなに苦しいのになんで救われないんだ、と思っている。

 死にたくない、と思っている。

 

 そして、重い風邪でも引いたことがある人間は皆知っているが、重い病気にかかった人間は常に救いを求めながらも、判断能力が極端に下がっている。

 

 だから「貴方の治療間違ってますよ」に釣られやすい。

 「もっと楽で確実に助かる治療があるんですよ」と見せられたデータに騙されやすい。

 抗ガン剤に苦しむ人間に「このままだと死にますよ」と言う言葉に、説得力が出てしまう。

 「一年も治療してるのに治る気配がないなら別の方法を試してみるのもいいんじゃないですか」などと硬軟織り交ぜれば、陰謀論を笑う真面目な人間でも容易に堕とせる。

 

 医者が「余命一年です」と言えば、宗教は「大丈夫、貴方は必ず助かります」と言う。

 医者は真実を言うから。

 新興宗教の勧誘員は詐欺師だから。

 

 そうしたら、患者は宗教に走る。

 余命一年なんて信じたくないから。

 もっと長く生きていたいから。

 「この漢方で貴方の病気は治り、長く生きられますよ」と言う宗教を信じる。

 人は、信じたい方を信じるから。

 モッケ会は、それをよく知っている組織だった。

 

 高度な治療を受けられるのは、金を持った人間の特権だ。

 そこを狙えば、病気の弱気につけ込んで絡め取ることは容易であり、また高額の延命治療に使うはずだった金を丸々搾り取れる。

 

 故人が死んだ後の財産相続の段階で、故人が生前にほとんどの財産を教団に寄付していたことが発覚することも珍しくはない。

 難病の末期患者や、もう助けられないボケ老人を狙い、判断能力が落ちた老人の同意を得て財産を毟り取っていくのも新興宗教の定番手段である。

 そうして、教団は肥え太っていく。

 

 これら以外にもその他諸々、モッケ会はマニュアル一冊分の信者獲得手段を持っている。

 

 宗教にハマった人間は、社会から孤立する。

 家族からは絶縁。

 友人達は離れていく。

 世の中の大多数の人間からは否定され、笑われる。

 

 そうなると、ハメられた人間は居場所がなくなる。

 宗教以外に居場所がなくなる。

 褒めてくれる人も、優しくしてくれる人も、認めてくれる人も、仲の良い人も、教団の中にしか存在しないようになっていく。

 教団で褒められることがこの世で最も価値のあることになり、相対的に価値が下がった金銭をありったけ献金するようになる。

 

 「私は私の居場所を守る」と言って宗教に貢ぐようになる。

 「俺は仲間と友達のために生きる」と言って宗教に身を捧げるようになる。

 「やっぱり持つべきものはいい友達よね、格安で譲ってもらっちゃった」と言ってただの石を何十万も払って買うようになる。

 そうして出来上がったのが、じゃらじゃらと無駄な装飾で飾り付けた頼漢の母だった。

 

 だからモッケ会の人間は千佳のようで、千佳のように強くない人間を探して狙う。

 

 千佳のように内気で。

 千佳のように周りに合わせる人間で。

 千佳のように他人の頼みを聞いてやろうとする性格を持ち。

 千佳のように金に執着がなく。

 千佳のように自分のせいだと思うストレスを感じる心があって。

 千佳のように自分の居場所を守ろうとしていて。

 千佳のように友達と仲間を大切にし、決して見捨てない。

 千佳のように時に前のめりに間違った頑張りをしてしまいそうになる、そんな人間。

 それでいて、千佳よりも自分が無く、千佳よりも意思が弱く、千佳よりも他人のせいにする、千佳よりも現実を見られない人間を、モッケ会は狙う。

 

 そういう人間をハメるのは、とても楽だから。

 

 頼漢を探しに行こうとしていた千佳が、頼漢の母に勧誘されそうになっていた理由は、まさしくそれだった。

 近年の新興宗教は、勧誘の手順や"誰を狙えばいいのか"の技術が完全にマニュアル化されているために、カモを連れてくるだけなら誰にでもできる。

 

 あの日、『千佳を狙っていた外道の怪物』は、土蜘蛛と、晴明と、もう一つ。

 モッケ会という外道の怪物も、そうだった。

 

 土蜘蛛はエネルギー源として、晴明は頼漢の護衛として、モッケ会は金を吐き出させ家族も宗教に引きずり込むカモとして、千佳を狙って、その全ては失敗したのである。

 

 頼漢は物心ついた時からそれらのやり方を見せつけられ、時に子供であることを活かして勧誘に協力させられ、自分が納めた金が教団の力になるのを見てきた。

 自殺するか迷ったことも一度や二度ではない。

 頼漢が今も生きている理由は、母のために金を稼がないといけなかったから、それだけだ。

 

 頼漢の心は、そうして捻じ曲がった。

 異界の妖怪のせいではない。

 侵略者の身勝手な略奪行為のせいではない。

 

 この世界に元々ある、どこにでもある金目当ての新興宗教こそが、彼を圧し潰した。

 

 そして、モッケ会は違法ではない。

 違法ではないのだ。

 今のところ、この宗教団体から違法性は何一つ発見されていない。

 

 商品ならば、商品の説明に嘘を書けば犯罪になる。

 しかし、モッケ会の勧誘文句は大体「信者が勝手に言っている」扱いであり、教団そのものは何一つ嘘を言っておらず、『皆信じたい宗教を信じているだけ』という扱いになっている。

 『詐欺になる文面』は違法だが、『皆が信じている宗教的事実』は違法にならない。

 これは、21世紀の新興宗教や陰謀論者の元締めがよく使う、違法性の回避手段であった。

 

 教団は教義を広めて『寄付』を受け取るだけ、ガンに有効だと大嘘を書き並べた漢方を売っているのは別の会社、教団は薬会社を紹介しただけで宗教を信じればガンが治るだなんてまったく言ってない……などと言った抜け道も多数。

 モッケ会は、法に反した存在ではない。

 晴明は藤原道長を"捕まってないだけの詐欺師"と言ったが、まさにこれはその延長だ。

 

 モッケ会は法に守られた『奪う者』である。

 

 犯罪者集団、犯罪組織などではない。

 

 『合法の悪』なのだ。

 

 彼らは大手を振って、電子の世界と現実の世界にて信者をかき集めている。

 ゆえに、倒せない。

 法が変わらない限りは。

 長い年月をかけて完成した源氏の剣術が極めて強力だったのと同じように、長い年月をかけて完成した新興宗教の基本手法は、極めて強固で盤石だ。

 

 特別な力(トリオン)が無い限り倒せない妖怪。

 特別な力(トリオン)があってすら倒せない宗教団体。

 少年には子供の頃から鉄も引き千切る握力があったが、力があろうとどちらも倒せない。

 そしてそういう、力で倒せない者が、世の中には山のように存在していた。

 

 思春期に入る頃にはもう、少年は『世の中には決して倒せない"奪う者"が存在する』という世の中の真理を知り、自らの未来にも夢を見られなくなっていた。

 

 源頼漢の心の根源は、吹き出す怒りは、この世界の陰に在る構造に起因していた。

 

 千佳が見た頼漢が土蜘蛛という理不尽に向けていた怒りの正体こそが、これである。

 

 頼漢は弱者から奪う存在を許さない。

 妖怪であろうと、宗教団体であろうと。

 少なくとも自分の縄張りの中でそうしようとした者は許さない。

 許さないが、土蜘蛛と隠し神を除けば勝てたことなどほとんどない。

 

 弱者から奪うことを許さない少年が、弱者から奪い続ける宗教団体の存在を許容するしかない家庭環境こそが、彼の心のどこかを傷ませ、歪めていた。

 

 頼漢は正義を名乗らないし、善意で助けたとは言わないし、いい人ぶろうとはしない。

 

 頼漢が属するそのコミュニティこそが、頼漢が最も憎む『奪う者』である限り。

 

 己を嫌う頼漢にとって、頼漢を何一つ見下していない、むしろ敬意をもって接してくる雨取兄妹は、尊敬できるが、苦手に思うこともなくはなかった。

 自分を省みさせられるから。

 俺はそんなんじゃないと、常に思わされるから。

 

 雨取兄妹と出会い、再会したことで、頼漢の心に生まれた痛みがあった。

 

 雨取兄妹と出会い、再会したことで、終わり始めた絶望があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 信じられないものを見るような目で、頼漢は麟児の計画ファイルを読んでいた。

 

 三割ほど、その奇抜で大胆な発想に驚き。

 三割ほど、計画の実現可能性を非常に高める現実的で細かい手段に驚き。

 三割ほど、不可能にも思える事例が、既に達成されたマークが付いていることに驚き。

 一割ほど、人間の心がないような計画の数々に驚いた。

 

「最近大きくならなくなってただろ、モッケ会」

 

「え……お、俺は、下っ端会員の息子だから、組織全体の潮勢はあんまり……」

 

「新興宗教は興味がないのが衰退したり消えたりしててもあんま分かんないもんだからなぁ」

 

 既に終わったものだけでも恐ろしい。

 

 モッケ会の人望がある幹部が裏切り、告発した内容がヤフーニュースに載っている。

 

 ツイッターで"数年前から信者のふりをしていた麟児の偽装アカウント複数"が、モッケ会の問題的な信者を装ったり、他の信者に喧嘩を売ったり、現行のモッケ会の方針に反対する派閥をオンライン上で作成したりしている。

 

 何故か存在しないモッケ会信者の行方不明者の話が広まっていて、何故かまとめwikiがあり、一見して本物にしか見えない、真偽を確認できない誘拐の証拠が貼られている。

 

 現在のモッケ会の資金源になっている大企業の陰謀論者役員などが、次々と現実での不倫・着服・情報漏洩などを暴かれ、役職を解かれ、教団の資金が絞られていっている。

 

 また、ドイツで作成された精神異常カルトグループまとめであるSogenannte Jugendsekten und Psychogruppen in der Bundesrepublik Deutschlandをリスペクトした、国外団体も含めて問題カルト団体をリスト化するアメリカでの活動において、モッケ会の名が挙げられ、国外からも槍玉に挙げられるようになり、また国際的立場から政府もモッケ会への締め付けを強くし始めていた。

 

 これでもまだまだ序の口。

 現代に最適化された新興宗教は非常に強く、これでもまだ壊滅に追い込める気配はないが、麟児の計画はまだまだ終わっておらず、追い詰める方法は無数に用意されていた。

 

「目眩がしてきたぞ……麟っちならそういうこともできそうって感じがするが……」

 

「重症の信者は上手く煽れば勝手に同士討ちしてくれるから楽だったな。

 最近はまあ、似た教義の宗教に勧誘する数年前からのアカウント動かして。

 別の宗教に移ったやつを裏切り者って言う数年前からのアカウント動かして。

 両方を煽る作ったばっかのアカウント動かして。

 役者雇って数ヶ月信者演じさせて、モッケ会のデモの時に内ゲバ起こさせたりとかだな」

 

「お前人心が荒れ果てた時期の民主主義の国に居ちゃいけねーやつだと思う」

 

「コミュニティを壊す最速の方法は『誰にとっても居心地の悪い場所にする』だぞ?」

 

「……」

 

 もしも隣の世界、妖怪の世界と戦争になった時、隣の世界に工作を仕掛けないといけなくなった時……無双するのはこういう人間なんだろうかと、頼漢は思った。

 

「関係ねえ麟っちがどうしてそこまで……」

 

「ヨル風に言うなら……『気に入らねえ、気に入らねえなあ』ってやつだ」

 

「―――!」

 

「心の病気の人を食い物にする。

 末期の癌患者を食い物にする。

 ヨルみたいな頭悪い奴が解決方法を思いつかない内に食い物にする。

 ヨルは妖怪を許せなかったらしいが、俺は鬼みたいな人間を許せないと思っただけさ」

 

「おうコラちょっと余計な言い草を間に挟まなかったか?」

 

「気のせいじゃね」

 

 嘘であった。頼漢は気付かずそのまま納得する。

 麟児は鬼みたいな人間などどうでもいい。

 世の中にそういう人間や宗教団体などいくらでもあることを知っているから、ありふれたものだと知っているから、どうでもいい。

 麟児が牙を剥いた理由はシンプルだ。

 

 頼漢が何も言わず自分の前から去っていき、どこぞへと消えて何年も顔を見せなかった理由、その原因であるモッケ会を、麟児は今でも許していない。

 ただそれだけのこと。

 

「ヨルのせいで被害者増えたとかはない。

 むしろ、おまえのおかげで被害は減ったんだ。

 俺はおまえと出会ってこの宗教知るまで、関わる気もなかったんだからさ」

 

「……あ」

 

「自分のせいにすんな。

 おまえは母親のために頑張ってただけだろ?

 おまえも千佳も、自分のせいだと思いすぎなんだよ。

 自分を悪者にすんな、って……どっちのバカにも十年以上思ってる俺の身にもなれ」

 

「……バカ野朗が、それ言いたかっただけなんじゃねえのか?」

 

「かもな。ふふ、つい宗教団体の年収を半分以下にしてしまったな」

 

「こいつ~~~、やべえやつ! 俺に牙剥くんじゃねえぞ!」

 

「ゴリラは考えなしに突撃してくるから絶対に嫌だな」

 

「オメーは体弱すぎんだよ、鍛えろ鍛えろ」

 

「小学校の三階から飛び降りて帰宅ショートカットしてたヨルがおかしいんだが?」

 

 "昔から俺が何やってもこいつだけは友達やめようとしないんだよなあ"と、『麟児の所業を知って離れていった昔の知り合いたち』を思い出しながら、麟児は笑った。

 

「とは言っても、そこそこ手詰まりにはなりかけてたんだけどな。

 逆境は信者の結束を強くする。

 中核メンバーは崩せないと思ってたところだ。

 あと、ヨルの母親。

 宗教潰しても、その後どうするかが詰めきれてなかった。

 精神病院みたいなのに入れるとか嫌なんだろ?

 別の宗教にまた入られても困るんだろ?

 そのへんの解決案がどうしても無かったからな……ちょっと悩んでた」

 

「……ああ」

 

「最近までは」

 

「え? ……解決の方法が見つかったのか? 無理じゃねえか?」

 

 そして。

 

 話の流れと空気が変わった。

 

「ヨル。お前にとって陰陽術や異界の技術はどう感じた?」

 

「どうって……

 なんか思ったほど便利じゃねえな、とか。

 同じ力じゃねえと倒せねえの最悪、とか。

 探しものするのに便利なのかもな、とか……?」

 

「そうか。俺は、ようやくヨルがバカみたいな理由で苦しんでるのが終わると思ったな」

 

「え……」

 

 ただ、この瞬間のためにあったものがあり。

 ただ、この瞬間に解答へ結びつけるためのものがあり。

 ただ、この瞬間に帰結する流れを、互いの顔も声も認識できないままに、安倍晴明と雨取麟児が誘導していた。

 

「ヨル。もし俺が未来を予知できるなら、常に至力は尽くさない」

 

「……え」

 

「必要な時。

 必要な瞬間。

 必要な形で。

 最大限に"噛み合う"瞬間に、『これができる』と提示する。それが交渉だからだ」

 

「どういう意味だ?」

 

「他の国への食糧支援が最も大きな効果を持つのは、支援先が飢えている時だろう?」

 

『そうだね』

 

 晴明が声を出すと、麟児が晴明の方を向く。

 

 今日まで頼漢以外の誰にも見えず、聞こえない、そういう透明な幽霊だったはずの晴明の声に麟児が反応したのを見て、頼漢はたいそう驚いた。

 

「ん、なんだこの声……どこから……」

 

「!? 陰陽師野郎の声が聞こえてるのか、麟っち……?」

 

「まあまあ普通に?」

 

(なれ)が雨取千佳に謝れと言ったんじゃないか。

 (なれ)の体をちょーっとスピーカーにしてね、いい感じの新術式が組めたよ』

 

「いや早え早え。二時間かかってなくねえ……?」

 

『元々、霊力は声を伝える能を持つもの。

 外国人でも別世界人でも、霊力を使えば会話できるものなんだよ』

 

「へぇー……」

 

 晴明と麟児はうっすらとした笑みを浮かべている。

 

 二人は互いに分かっていた。

 

 ここからの会話は、最後の結論に到達するまで、頼漢の意見を必要としない。

 

「安倍晴明さん。

 次に言う言葉、当てますよ。

 『雨取麟児と雨取千佳の源頼漢への協力と引き換えに、全部どうにかする』ですかね」

 

「!?」

 

『うん、いいね。

 正確には(やつかれ)は方法を教えるだけなんだけど……

 その頭脳があれば、頼漢の生存率もだいぶ上がりそうだ』

 

 頼漢が驚くが、構わず二人は会話を続ける。

 

「だから待ってたんでしょう。

 俺とヨルが話す時を。

 ヨルがここまで吐き出す時を。

 "ヨルの母親"に焦点が当たる瞬間を。

 未来が見えてるなら計算尽くの暗躍はまず空振らない」

 

『いい読みだ』

 

「千佳には事前に話してあります。あいつは、恩人に恩を返したいそうです」

 

『そこは外れなくてよかったよ。頼漢が依存の可能性を刈り取ってしまったからね』

 

「ヨルはそういうやつなんですよ。いつもなんかそうなんです」

 

「え? え? え?」

 

 頼漢は二人の話に付いていこうとするが、すぐについていけなくなる。

 

 ここには"帰結"があり、ゆえに向かう結論は一つのみ。

 

『雨取千佳からだいぶ聞いているようだね』

 

「ええ。ヨルが陰陽術で初日に何をされたか、ヨルが千佳に話していたことを把握してます」

 

『ああ、いい感じに拾ってくれたみたいだね』

 

「なので晴明さんがヨルに黙ってた理由も把握してます」

 

『友達の代わりに怒るかい?』

 

「いえ、俺も似たような状況なら同じようなことすると思うので」

 

『なるほどね』

 

「できればヨルがよく分かってない内に、その件をそう片付けてしまいたいんですが」

 

『それにはあまり同意できないな。

 頼漢に黙ってやるべきでもないと思うし、(なれ)が頼漢に恨まれかねない』

 

「俺は別に構いませんよ。

 ヨルが後からこの会話の意味が分かればいい。

 それに千佳から話を聞いた時から交渉材料も……」

 

『ああ、(なれ)が出す可能性のある交渉材料は先に全て"視て"る。

 残念ながら雨取麟児、(なれ)が出す交渉材料は全て交渉の成立に足らない』

 

「……」

 

『そも、これの実行権は(やつかれ)にあるだろう?

 (やつかれ)が拒めば何も行えない。

 主導権はこちらにあるわけだ。

 その状態で(なれ)が頼漢を何からも守るのは無理というものじゃないか』

 

「かもしれませんね」

 

(なれ)が企みをしている時はそれでもいいだろう。

 それが(なれ)のやり方なら問題ない。

 悪巧みは成功するかどうかが一番重要なところだからね』

 

「はい」

 

『雨取麟児、雨取千佳。

 両名の協力をもって源頼漢の全問題を解決する。

 その前に、源頼漢の合意と決断を求める。

 最初から交渉の流れを想定していた二名の合意だ、問題はないだろう?』

 

「……仕方ないですね」

 

 そこで、聞き捨てならないことを聞いてしまって、頼漢は声を張り上げた。

 

「待て待て待て!

 俺は麟っちを巻き込むつもりはねえ!

 千佳っちもだ!

 危ないことしようとしてんじゃねえよ!

 大人しく待ってろ、一年後の百鬼夜行はお前らの力がなくても……」

 

『うるさいから静かにしててくれ』

「うるさいから静かにしててくれ」

 

「はい……」

 

 頼漢はしょんぼりしてしまった。

 

『今のままだとせいぜい二体しか倒せないと言ってたのは(なれ)だろう』

 

「うっ」

 

『ただ彼が居れば話は変わる。

 戦略的にも、戦術的にもね。

 特に頭がキレて交渉ができる生身の人間が居るのは大きい。

 城戸正宗らと交渉する段階に入るならこのくらいの駒は必要だ』

 

「城戸……?」

 

『つまり、(なれ)は頭が悪いから外付けのブレインが要るって訳だよ』

 

「クソが!」

 

 頼漢は訳の分からない話の中で訳の分からない人名を出され、訳の分からない状況でも意見表明はしたものの、頭を抱えてしまった。

 

「まあ落ち着けヨル。今のお前はさながら夏に路面に転がったセミだ」

 

「突然騒ぎ出すうるせえやつってこと???」

 

「ああ」

 

「ああじゃないが?」

 

「この合意が成れば、お前の母親の問題を、一切合切解決できるかもしれない」

 

「……え?」

 

 周回遅れでようやく、頼漢は今の話の肝を理解した。

 

「昔、メン・イン・ブラックって映画見てて思ったんだ。

 "この映画みたいな記憶消去機があれば大体どうにかできるのに"

 ってさ。思ってただけだったが……ようやく最後のピースが嵌った」

 

 霊力(トリオン)で人の記憶を消したりする装置は、この時代でももう()()()

 

 霊力(トリオン)で人の心をどうにかする技術は、()()()()()()()()()()()

 

 ならば。

 

 

 

「安倍晴明さんは、頼漢の母親の心を再生し、宗教団体全員洗脳して解散させられますよね」

 

『もちろん、朝飯前だとも。方法を教えて実行してもらう形になるけどね』

 

「俺が事前に調べ上げた組織の構成員情報と、晴明さんの陰陽術が揃えば、実現に届く」

 

「……え……」

 

 

 

 『算木の術』。

 

 感情と心を操る、安倍晴明の秘術。

 トリオンの護りを持たない人間であれば、いかなる人間であろうと、安倍晴明は心身の全てを支配してしまう。

 とてもたやすく、息をするように。

 

 頼漢は何もかもが理解できない、あるいは理解したくない会話の中、痺れて動かない脳を懸命に動かして、理解した言葉を絞り出す。

 

「ま、待て……

 つまり……

 俺の母さんの、心を……

 お前の陰陽術で、普通の人間になるまで弄るってことか……?」

 

『そういうことになるね』

 

「―――ざっけんな! 論外に決まってんだろ! 母さんは俺が守―――」

 

「ヨル。怒ったふりをするのはやめろ。話が進まなくなる」

 

「う……だけど……だけど!」

 

 頼漢は狼狽える。

 混乱に混乱が重なっていく。

 そして自分を見失いかける。

 

 そう。

 感情も心も操作できるなら、頼漢の母を、詐欺師の毒牙にかかる前の、誰からも愛された成功者の段階にまで戻すことすらできる。

 現代医学の限界を越えて治すことができる。

 宗教に一生依存しない心にしておくことだってできる。

 

 愛した母の心を()()()()()()()改造することに、心が傷まなければ。

 

「ダメだ!

 俺は母さんを守るって決めた!

 母さんの心を弄んだクソ親父のようにはならないと決めた!

 二度と誰にも母さんの心は弄ばせたりしない!

 母さん以外の信者だって、それぞれに俺んちみたいな家族が……」

 

「ヨル」

 

「なんだよ!」

 

「他に言いたいことはないのか?」

 

「……っ」

 

 熱くなる頼漢。

 許せないことがあった。

 認められないことがあった。

 受け入れられないことがあった。

 

 熱くなった頼漢を、麟児が的確な言葉で誘う。

 今、頼漢の感情と理性は、別々の答えを出していると、分かっているから。

 

「……二人が、正しい。

 あの教団はもう最悪だ。

 その手先としてしか生きられない母さんも最悪だ。

 在るだけで周りに迷惑をかけ続け、不幸を増やしていく。

 在るだけで普通の人達を喰らっていく。

 みんな、鬼だ。

 鬼を人間に戻す方法があるんなら……二人が……正しい……」

 

 これは鬼退治のための戦略会議ではない。

 

 これから鬼の毒牙にかかる人を救い、今鬼である者達さえ救うための会議。

 

 『人を喰らう鬼』さえ救うための希望を語る論議である。

 

「……もしかして、さっきの会話。

 麟っち、俺に黙って、全部終わってから言おうとしてたのか……?」

 

「ま、そうすれば、頼漢は俺のせいにしとけば罪悪感もなくて済むだろ?」

 

「悪者役背負ってんじゃねえよ! お前、ずっと恨まれる覚悟で、それで……!」

 

「ヨルにはそれがいいんじゃないかって思っただけさ」

 

(やつかれ)はそうは思わないね。

 強くなるということは、他人に押し付けず自分で背負うということだ』

 

「時と場合によるんじゃないですか? ヨルが背負わなくていいものもある」

 

『背負わなかったことでより大きく悔いることもあるさ』

 

 頼漢はここに来てやっと、先程の二人がなぜ平行線だったかを理解した。

 

 麟児は頼漢の罪悪感や後悔を減らしたかった。

 だから自分の判断で実行し、終わった後に頼漢に伝える方針を提案した。

 そうすれば、頼漢は何も気付かない内に全ては改善され、頼漢は母の心を弄んだ麟児を憎むだけで完結していたかもしれない。

 麟児は、人はそんなに強くはないと、そう思ってそうしようとした。

 

 晴明は頼漢の成長を望んだ。

 全てを知った上で、母の心を作り変えることに賛同した頼漢が、一生それを引きずるとしても、それを糧に大きく成長し、立派な男になることを望んだ。

 かつて晴明と共に戦った者達が、そうだったから。

 男はそうして強くなると、晴明は信じ、未来に繋がる最良の道を志向していた。

 

「俺は、自分勝手に母さんの心を弄ぶなんて、できない」

 

『大前提だけど……今、一番身勝手なのは(なれ)の母親だね』

 

「っ」

 

『理由はあっても、彼女はいい親じゃない。

 それは間違いのないことだ。

 彼女はどんな親より身勝手に、(なれ)に寄生している。

 それは(なれ)が許してるからだ。

 過去にどういう人間だったとしても、(なれ)に対して最も勝手をしてるのは彼女だ』

 

「俺が気にしてねえからいいんだよ!」

 

『いいや、(なれ)は内心で気にしている。

 でなければ、タイムマシンでやり直しなんて望まない』

 

「ぁ……お、俺は、母さんを愛してる! だから何も、問題は、問題は……」

 

『言い淀むのは、そうして放置した母親が親友から金を盗んだからだろう』

 

「―――ぅ、ぁ」

 

『母の悪を終わらせるとも言える。

 母の犠牲者を無くすとも言える。

 もちろん、母を自分の手にかけるとも言えるだろう。

 ただ……この問題に関して、絶対の正義はないのだ、源氏の(すえ)

 

「俺は……俺は……」

 

『これは我々が、どの罪を背負うか、それを選ぶだけの選択だ』

 

 "いい子"という、子供に向けられる判断基準があるように。

 "いい親"という、大人に向けられる判断基準もある。

 

 頼漢と頼漢の母の、これまでの人生の、決算の時が、今ここなのだ。

 

 母の、そして多くの人達の心を弄り、二度と『合法の悪』の食い物にされないよう改造し、トータルの幸福を引き上げる代わりに、心を弄んだ罪を背負うか。

 何もせず、『合法の悪』が生み出した最悪の構造を放置し、ゆったりと皆が不幸と貧困に蝕まれていくのを眺める罪を背負うか。

 頼漢には、どちらかを選ぶ権利がある。

 

(なれ)が母を勝手に弄っても、それはもう因果の応報でいい。その上で聞いてくれ』

 

 晴明は頼漢がこれを選ばないといけないと思い。

 麟児はこれを頼漢に背負わせたくないと思ったのだ。

 

(なれ)が、母親の心を踏み躙ることを肯定できるかい?

 初めて会った日、(やつかれ)(なれ)の心を弄ろうとした時、激怒しただろう?』

 

「……あ」

 

『思考を止めるな。

 自分から目を逸らすな。

 決める時は、自分の全てと向き合ってからではないと意味がない』

 

 因果は帰結する。

 

『これは試練だ。

 (なれ)には選ぶ権利がある。

 何を選んでも、その先には未来があるだろう。

 そしてその未来は、(なれ)がした選択の結果としてやってくる』

 

 見方によっては最上の善行。

 見方によっては最悪の悪行。

 心を操りでもしなければ倒せない悪、救えない人に対し、心を操り救うのは、正しいのか。

 

(なれ)は機密を守るために記憶を消すことすら嫌がる。

 そういう男だ。

 源氏の男達も皆そうだった。

 それは(なれ)が、心は神聖不可侵であってほしいと思っているからだ』

 

 人の心を大事にし、それを操るものを嫌う善性で、救えるものはいくつあるのか。

 

『その心根を尊重したいと思う。

 しかし、よく考えなければ間違えるだろう。

 なぜなら、未来は選んだ結果訪れるものであって……本当は、正しい未来など無いからだ』

 

 人を救うためであれば、人の心を操ることさえ許されるのか。

 

『人の心を操り、感情を弄び、最良を目指す。

 善を貫いて心地良く死ぬのではなく、悪も行って気分悪く皆で生き残る。

 (やつかれ)はそういう覚悟で、そういう道を選んだけど……未来は自由だ』

 

「ヨル、無理するな。

 おまえが選ぶ必要はない。

 俺に任せてしばらく休んでろ」

 

 頼漢には二人が悪鬼に見える。

 人の心がない悪鬼に見える。

 なんでそんな酷いことを思いつくのか、まるで共感できない悪鬼に見える。

 ずっと守ろうとしてきた母の心を無理矢理弄ろうとする悪鬼に見える。

 

 なのに、頼漢は二人に感謝し、負い目を感じ、申し訳無く思う気持ちしかなかった。

 

 とても優しい悪鬼だった。

 この世の誰よりも、頼漢の人生のことを考えてくれている悪鬼だった。

 頼漢が救われる以外に何も得が無い事を、真剣に考えてくれている悪鬼だった。

 頼漢自身でさえ諦めていた頼漢が幸せになる道を、0から作ってくれた悪鬼だった。

 

「二人共……ありがとな。ちょっと……ちょっと待って、考えさせてくれ……」

 

「……ひっどい顔だぞ、ヨル」

 

『礼を言われるようなことではないと思うけどね』

 

 そも、晴明が見えたのが麟児であったなら、諸問題は初日で全て解決していただろう。

 人の心を操る術を得た麟児が壊し、直し、操って、戦い以外の問題は全てが一日で解決されて終わっていたはずだ。

 かつて内裏をそうして掌の上に置いていたと伝承される安倍晴明が、それを分かっていないはずもなく、術式が何もかもを解決すると知った上で、最初に頼漢に見せただけのこと。

 

 だが、頼漢は拒絶した。

 おぞましい心操の陰陽術を拒絶した。

 自分で使おうだなどとは考えもしなかった。

 心を操ろうとした晴明に殺意を向けただけだった。

 最初の日からそうだった。

 

 源頼漢は、人の心を操り人の道を外れることなど、想像したことさえなかった。

 

 だから、未来を視て人を操る晴明や、ただ喋るだけで人を操る麟児とは、見ている世界が根本的に違っている。

 

 千佳を命懸けで守り、千佳の心まで守り、千佳の心についた小さな傷を会話中に気にしていたような男が、心を操る外道になど染まれるはずがないのである。

 

 悪者気取りの頼漢の思考は、結局のところ晴明や麟児の足元にも及ばない。

 悪の素質が無さ過ぎる。

 人の心を操る術の存在を知った時、「使える」と思ったのが晴明と麟児であり、「許されない」と思ったのが頼漢だった。

 その思考の反応がそのまま、彼らの善悪の気質の証明だった。

 

 頼漢は、他人の心を蔑ろにできない。

 

「できる……俺は……晴明と麟っちにお膳立てしてもらったんだ、俺だって……」

 

 千佳との会話で、頼漢が言った通りに、頼漢は何も恐れない。

 

―――……いやあ、まあ、俺はなんかをガチで怖いと思ったことねえしな。

―――怖いと思ったことがないやつが何にでも喧嘩売れるのは、凄いことじゃなくねえ?

 

 だが。

 晴明が算木の術で心を操ろうとしたその時だけ、ただ一度だけ、恐れに類する感情の片鱗を見せたことがあった。

 その時こぼれた言葉は、無自覚の、無意識下から漏れたもの。

 

―――怖いのはテメエだろ

 

 人の心を玩具にする安倍晴明を見て、頼漢は変則的な恐怖を、そこに感じた。

 

 頼漢は『敵が恐ろしい』などと思ったことはない。

 されど『外道に成り果てることは恐ろしい』という気持ちはあった。

 その気持ちが無ければ、頼漢はとっくの昔に外道に堕ち果てていただろう。

 

 だから。

 

 そんな彼だから。

 

 安倍晴明と雨取麟児が、時に信頼し、時に危うく見て、時に託し、時に支える彼だから。

 

 選べるわけがない。

 

「か……考えさせてくれ。明日まででいいから」

 

「ああ、急かすつもりはないさ」

 

『重たい選択だ。(なれ)の人生でも指折りに入る分岐点になる』

 

 頼漢は夜の街に向かって歩き出そうとし、ついてくる晴明に、弱々しく言い捨てる。

 

「一人にしてくれ」

 

『ふむ。わかった』

 

 その場を去る前に、頼漢は麟児に声をかけていく。

 

「なあ、麟っち」

 

「なんだ?」

 

「ダチが今でも俺をダチだと思ってくれてたことが嬉しい。

 麟っちと今でもダチでいられることが嬉しい。

 だから時間くれ。

 俺は、仲間のクソ陰陽師と、ダチのお前に恥ずかしくない結論を、ちゃんと出して来るから」

 

 ふっ、と麟児は笑った。

 

「全然変わってないなんて言って悪い。かっこよくなったじゃんか、ヨル」

 

「再会してすぐ言わなかった俺が悪いんだが……テメエの方がかっこよくなってるぞ、麟っち」

 

 弱々しく、頼漢も笑った。

 

 頼漢が拳を握って見せる。

 麟児が拳を握って見せる。

 にっと笑って、二人で拳を打ち付け合う。

 小学生だった頃、二人でよくそうした思い出のままに。

 

 そして、顔を歪ませた麟児が叫びながら地面を転がった。

 

「ぐあああああああああ手の骨折れたぁっ!!」

 

「ええっ!?」

 

『人間離れした腕力で力入れて拳打ち合わせたりなんてするから……』

 

「ギリギリ……ギリギリ折れてないがヨル……気をつけろ……! 次は訴える……!」

 

「す、すまん」

 

『どのくらいギリギリ?』

 

「お笑い芸人としてのカンニング竹山くらい……!」

 

『だいぶギリギリだね』

 

「すまんて!」

 

 そうして、三者三様に夜の街で解散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 公園で一人、頼漢はベンチに腰を預けて俯く。

 どうすればよかったのか。

 どうすればよいのか。

 まるで分からない。

 いや、本当は分かっている。

 分かっているのに何もできないまま、今ここにまで来てしまった。

 

「はぁ……」

 

 深く、深く、ため息一つ。

 

 黒髪混じりの金髪が揺れる。

 

「ダセぇ……

 なんだ今日の俺のダサさは……

 自分の人生間違えまくって……

 人生のケツをクソ陰陽師と麟っちに拭いてもらって……

 唯一無二の解決案出してもらっといて"明日まで待ってください"?」

 

 母のために母の心を弄ぶか。

 母のために壊れた母をそのままにしておくか。

 どちらにしても、母を辱めている気すらする。

 思えば思うほど、考えれば考えるほど、答えのないドツボに嵌って、何がなんだか分からなくなって、気持ちが悪くなっていく。

 

「俺ぁかっこよくなんてなんてねえよ、麟っち……」

 

 気持ちが悪くなって、悪くなって、胃の奥からせり上がってくるものがあった。

 

「うっ」

 

 公園の水道に、頼漢は思い切り吐いた。

 腹の中身を全て吐いたのに、まだ気分が悪い。

 また吐いた。

 そしてまた吐く。

 

 正義の無い問答が、頼漢の心を追い詰め、吐け、吐けと、神経に圧をかける。

 吐き出すものがなくなっても吐き続ける。

 よく分からない体内の分泌液しか出てこなくなっても、頼漢はまだ吐いていた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 母の笑顔を思い出す。

 今でも思い出せる、優しい母を思い出す。

 思い出したせいで「母さんの心を勝手に弄るな」という感情が吹き出し、思い出したせいで「母さんの心を治してあげないと」という感情が吹き出す。

 

 そして、また吐いた。

 

「う……あぁ……」

 

 地獄の連鎖。

 感情の坩堝。

 最悪の二択。

 後悔の溜池。

 

 夜の公園で苦しみ続ける頼漢に、遠くの闇の中から一人の少女が声をかけた。

 

「あんたそんなとこで何やってんの? ……大丈夫?」

 

 夜の公園に似つかわしくない、可愛らしく、幼い声だった。

 騒がしいパーティーの中でも決して聞き逃すことがないような、よく通る声だった。

 労る声色が、その少女の心根を如実に示していた。

 

「おい小南、まだ怪我の手当てが終わってないんだぞ。出歩くな」

 

「大袈裟なのよ。このくらいの怪我で。死ぬわけでもないのに」

 

 一緒に居たらしい男から離れ、少女が頼漢に駆け寄ってくる。

 

 少女はとても小柄な、おそらく小学生程度の年頃の子であった。

 ショートの髪に、寝癖のように跳ねた毛束。

 同年代の男子にモテそうなくらいには容姿は優れているものの、今はそれが目につきにくい。

 少女は頭と左腕と右足に、それなりに深そうな怪我をしていた。

 そこに巻かれた包帯は血の赤、変色した血の赤黒に染まっており、どうにも痛々しい。

 日本でこの年頃の少女がそうそう負うような怪我の度合いではなかった。

 

 にもかかわらず、少女は自分の傷そっちのけで、青い顔で吐いている頼漢を心配していた。

 

 少女は頼漢を心配し、青い顔を覗き込んで、背中をさすってやり始める。

 

「大丈夫?」

 

 吐きすぎて喋る余裕もない頼漢が一旦吐くのを止めた頃、少女は頼漢を背負ってうんせうんせと運び、近場のベンチに横にして寝かせる。

 仰向けで吐くと気道が埋まりかねないため、横向きに頼漢を寝かせたあり、こういうことには慣れているようだ。

 

 背負われている間、少女の体からは血の匂いがした。

 流血が日常である人間特有の、髪に染み付いた血の匂い。

 包帯の下から流れ出ている、治りきっていない傷の血の匂い。

 そして、雰囲気に染み付いた血の匂い。

 

 頼漢はこの匂いを、何人も殺したヤクザを殴り倒した時くらいにしか嗅いだ覚えがなかった。

 殺し合いの匂い。

 血みどろの戦いの残滓。

 まるで、戦場からそのまま出て来たかのような少女だった。

 

 少女はベンチの横の自動販売機の前に立ち、頼漢を気遣って声をかける。

 

「おごってあげるわよ。だから、死にそうな顔すんのやめなさい」

 

 その言葉が上から目線だったため、頼漢の内に対抗心がむくむくと生まれた。

 

 頼漢は真っ青な顔で、弱った身体に鞭を打ち、気合いだけで身体を立たせて、少女と並んで自動販売機の前に立つ。

 

「ちょっと、無理は……」

 

「じゃあ、そっちのは俺がおごってやるよ。お前も死にそうな顔してるからな」

 

「は? どこが?」

 

「真っ赤な包帯」

 

「……。……。すぐ治るわよこのくらい」

 

 なんだかよくわからない流れで、頼漢と少女は互いに飲み物をおごることになった。

 

 頼漢が寝かされていたベンチに二人で座って、何やらちびちび飲み始める。

 

「ちょっと、初対面の女の子の隣に座るには距離近すぎでしょ」

 

「っと、悪い」

 

 互いの名前も知らないまま、互いにおごってもらったジュースをちびちび飲んでいく。

 "心配だから"と口には出さず、二人は互いをちらちらと見る。

 頼漢は血の包帯の少女が心配だったから。

 少女は青い顔で吐きまくっていた頼漢が心配だったから。

 "心配だから"だけを理由に、その場に居続けていた。

 

 ぐぅ、と頼漢の腹が鳴る。

 

「吐きまくったら、腹減ったな……」

 

「吐いてすぐ食欲とか、体調悪いんだか悪くないんだか分からないわね」

 

「気分が落ち着いてきたのもあると思うが、腹の中身全部吐いたからな……」

 

 頼漢が深呼吸を繰り返し、体調を調整していく。

 

 ぴょん、ぴょん、と、その時跳んでくるバッタがおり、少女が"あらかわいい"と思った瞬間、頼漢がそれを掴んで食べた。

 

 むしゃむしゃと。躊躇いなく。

 

「ぎゃー!?」

 

「うわっ! なんだいきなり大声上げて、変なやつだな」

 

「いきなりバッタ食べ始める奴に変なやつ呼ばわりされる筋合いないでしょ!? ないわよ!」

 

「いや……だから落ち着いたから腹が減ってきて」

 

「『腹が減ってきて』じゃないわよ!?!?!?」

 

 少女はびっくりした。

 たいそうびっくりした。

 それはもうびっくりした。

 

 気付けば無自覚に長話の流れに入っていたことに気付かなかったくらい、びっくりしていた。

 

「こんなのまだにぼしの『ぼ』から食べる奴のほうがまともよ……」

 

「……」

 

「え、何その目」

 

「逆立ちして鼻からタピオカ食わないといけなくなった」

 

「なんで!?」

 

 この時は、互いの名前すら知らなくて。

 

 この時は、互いの身の上すら知らなくて。

 

 源頼漢と小南桐絵は、この先この者とかなり長い付き合いになることを、想像もしていなかったのである。

 

 

 

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