ワートリハードモード トリオン能力1未満トリガー無し敗北即死   作:ルシエド

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 源頼漢が黒い土蜘蛛を倒してから、二日が経っていた。

 源家があった集合住宅はガス爆発だったということにされ、事件性も含めた調査で警察の手が入ったが、ガスも電気も通っていない住宅で爆発するものはそうそうない。

 何が爆発したのか分からないまま捜査は難航した。

 当然だが、土蜘蛛(モールモッド)の死体すら揮発した今、真実に辿り着くことは不可。

 

 警察の調査はどんどん綿密になっていき、やがて調査中に経営に関わっていた反社系組織がポカをしたことで、集合住宅の発見されなかった違法性が露見することになりそうであった。

 もはや、行政が出て来て全部御取り潰しになりそうなほどに。

 

 と、警察も行政も忙しいことになったが、今となっては頼漢達には関係のないことだ。

 千佳に謝罪した晴明、チームのブレインの麟児、積極的な協力を申し出た千佳の三人は、雨取家にて作戦会議を開いていた。

 源頼漢は、ここに居ない。

 

『ありがとう、千佳ちゃん。(なれ)の霊力を使って、(なれ)の身体をスピーカーにさせてもらう』

 

「い、いえ、このくらいしかできないので……」

 

『さて、作戦会議を始めようか。頼漢は居ないけど……』

 

「ヨルはまだ呼ばなくていいと思いますね。あいつを今は、もう少し休ませてやりたい」

 

『同感だ。未来にも敵は見えないから安心……と今はもう言えないのが難点だが』

 

 苦虫を噛み潰したような顔で、晴明は眉間を揉んでいた。

 

『そう、本題はそこだ。

 そこの認知を過不足なく擦り合わせておかないといけない。

 もう(やつかれ)の発言を盲信しないでくれ。

 未来を歪める者など、想定外にもほどがある。

 いやまあ、(やつかれ)の発言を信じてる者など最初から居なかったかもしれないが……』

 

「はい」

「はい」

 

『はいじゃないが?』

 

 テーブルの上に広げられたいくつかの紙を指差しながら、晴明は語っていく。

 

『未来視の仕組みに関しては、千年ほど研究を重ねた。

 現代の物理学もかなり参考にした。

 だから解説できるけど……まあ今回は本題じゃないから今度にしよう』

 

「本題は、ヨルの親を殺したやつがどう脅威なのかという話ですよね」

 

『その通りだ』

 

 麟児が核心を口にし、晴明が頷いた。

 

 既に晴明の陰陽術にて、何があったのか、敵がどういうものだったのか、その調査はある程度完了している。

 生前は"他人の前世まで見通した"と言われる稀代の術士が安倍晴明である。

 限定的であれば、過去の情報を調査することは難しくない。

 

『金の角を生やしたアレは、時間を狂わせる。

 時間情報の連続性が崩れるんだ。

 星は大きすぎて重すぎると、自らの重さで潰れ、ブラックホールになる。

 それに近い特異的な存在だと言えるだろうね。

 宇宙の落とし穴がブラックホールなら、あれは時間の落とし穴みたいなものだろうか……』

 

「時間のブラックホール……ヨルは倒せてないと見るべきですかね」

 

『倒した瞬間、金色の角がどこかに行っていた。

 あれが本体なのか、外部操作のための受信機なのか、はたまた別のものかだね』

 

 紙に書き起こされた金色の角―――金色の珊瑚を、晴明が指差した。

 

『もちろん、時間を自由に操ってるわけじゃない。

 この敵の周りでだけ、時間が真っ直ぐ動けないんだ。

 だから見かけ上は、時間が何もかもぐちゃぐちゃになってるように見える……』

 

 時間の動きは逆行も停止もせずそのまま。

 なのに時計の動きが全部無茶苦茶になっているように見える。

 

 未来視で未来がいつも通りに見えている。

 なのに暗躍している敵や、その敵が殺した大切な人の死の瞬間が見えなくなる。

 

 未来視を持つ者が一対一で戦ったとしても、おそらく相性は悪いだろう。

 未来を歪める落とし穴が相手では、未来を読みながら戦っても効果は薄い。

 

『霊力量も膨大だった。

 かつて視た"黒い神器"の所持者、シュテンに近い……

 アフトクラトルの黒角に相当すると見ていいだろう。

 シュテンと戦って生き残ったのは頼光と金時だけだった。恐るべき敵だと思うよ』

 

「ヨルの攻撃で"帰ってくれた"のは幸運だということですかね?」

 

『ああ。

 次は十分に準備をしても勝てない可能性が高い。

 もう初見殺しで血を浴びせることはできないからね。

 再戦すればあの全方位バリアを突破する手段さえ無い。

 あの霊力量をどうにかするには……

 成長途中の千佳ちゃんの霊力を引き上げていくしかなさそうだ』

 

「責任重大だな、千佳」

 

「に、兄さん、プレッシャーかけないで」

 

「はは、悪い悪い」

 

「もう……まじめなお話の時でもわたしで遊ぶんだから……」

 

 からかうような笑みを浮かべる麟児、申し訳無さそうにぺこぺこしている千佳を見て、晴明は穏やかな笑みを浮かべていた。

 

『そして、情報が出揃った。

 これまで視てきた未来の可能性から考えて、"敵の世界"はおそらく三つだろう』

 

「えっ……ヨルカさん達が戦っている妖怪の世界って、一つじゃないんですか?」

 

『ああ、そうだよ。

 それぞれの世界から妖怪が送り込まれて来てるんだ。

 そして、それぞれに別の目的と、別の目標があると考えられる。』

 

 晴明は真面目な面持ちの千佳に見せるように、一枚目の紙を指差した。

 

『これを仮称勢力Aとしよう。

 これが(やつかれ)が頼漢に倒してほしかった本命だ。

 一年後……実際は数カ月後だが、この街を大規模に攻めてくる大勢力だ』

 

「ヨルカさんに倒してほしかった敵……」

 

「街の被害規模は試算でも甚大になる。ヨルの継戦能力の無さが課題だな」

 

『数は最多。

 地球の情報社会化を最も警戒している勢力だ。

 これ以上社会が発展する前に、大きく刈り取ろうとしてるんだね。

 そのため、来たるべき大規模侵攻の前に余計な動きはせず、力を溜め込んでる』

 

 晴明は二枚目の紙を指差す。

 

『続き、仮称勢力B。

 これは推定だけど、千佳ちゃんを()()()()()()()()勢力だね』

 

「わ、わたしですか?」

 

『そ。最初の土蜘蛛の所属集団だ。

 彼らは千佳ちゃんを見つけてしまった。

 なので続々妖怪を出して、千佳ちゃんを拐おうとしてるんだ。

 千佳ちゃんほどの才能があれば、それは強大な兵器を手に入れるのと同じだから』

 

「そ……そうなんですか……?」

 

「はは、モテモテじゃないか千佳。

 学校で告白されたこともまだないちんちくりんが、妖怪にはモテるんだな」

 

「に、兄さん!」

 

『ふふっ。このBはAとは協力してないと考えられるね』

 

「根拠はありますか?」

 

『Aの目論見を邪魔しているからだ。

 Aは大規模侵攻まで大人しくしていたいはず。

 戦力の温存もあるけど、なにより地球人を警戒させたくないだろうからね。

 油断してる地球人に奇襲で最大戦力をぶつけるのが、一番"収穫"が大きくなるはずだ』

 

「なるほど……」

 

『Aは事を起こすまで妖怪を送らない。

 人間にできるだけ油断していてほしいから。

 Bは事が起きる前に妖怪を送るだけ送りたい。

 Aに取られる前に、千佳ちゃんを確保しておきたいから。

 だから、頼漢がこれまで戦ってきたのはほぼBだと考えていいだろう』

 

「Bから千佳を守りつつ、Aを倒す方法を探る。それがヨルの目指すべきところであったと」

 

『そういうことになるね』

 

「と、いうか、もしかしてヨルが騒いだのも大きかったんでしょうか?」

 

『もちろん、大きかったとも。

 人々は妖怪の存在に気付き始めてる。

 頼漢が派手に戦ってて、こっそり見てた人も居たからね。

 妖怪の死体だって消えるまでは人の目に見えるし、写真にも映る。

 現代で誘拐に必要なのは隠密性だよ。

 Bがこっそり千佳ちゃんを拐ってたら誰も気付かなかったんじゃないかな?」

 

「でも、そうはならなかった。ヨルが千佳の窮地にそこに居たから」

 

「そう。頼漢が見つけた。

 頼漢が二回も大騒ぎしてしまった。

 大規模侵攻まで秘匿していたいAは大困りだろうさ。

 Bだってこんなつもりじゃなかっただろう。

 Bの行動を頼漢が裏目に出る形に変えて、AもBも計画にヒビが入ったわけだね』

 

「なんも考えないで全部壊してしまうのは、ヨルらしいですね」

 

「……ヨルカさん、大丈夫かな……」

 

 そして、晴明は三枚目の紙を指差した。

 

『最後に、この前頼漢の母親を殺した仮称勢力C。

 "逢魔刻"とも呼ばれた百鬼夜行だ。

 目標は不明だが、大まかな見当はつかなくもない。

 ここがだいぶ厄介だ。

 他の二勢力は未来視で見えるんだが、ここだけはどうしても視えそうにない』

 

「見当がついた目標というのは?」

 

『とりあえず現段階では"ボーダー"を狙っているのではないかと、発言から推測できる』

 

「ぼーだー……?」

 

 英語がよくわかっていない千佳が、可愛らしく小首を傾げた。

 

『今現在存在する地球唯一の対妖怪組織……と言えるもの。

 未来に頼漢と協力したり敵対したりするかもしれない組織。

 遠い未来に超大きくなってたり、完全に無かったりする組織。

 今年中に無くなってるか、数年後に地球最強の防衛組織になってたりする組織』

 

「ブレブレというか、曖昧ですね……ヨルはなんて?」

 

『"来るか分からん味方なんてどうでもいい"とのことだ。

 実際それも間違いではないんだけど……

 ボーダーは今、同盟世界に総力を上げて援軍に行っている。

 "アリステラ"という世界の救援だね。

 被害軽微で帰ってくるかもしれない。

 大勢死んで帰ってくるかもしれない。

 全員死んで帰ってこない未来も結構ある。

 アリステラも滅んだり滅ばなかったりする。

 何にせよ金の角の黒い土蜘蛛が所属する勢力は、ボーダーを狙っていたことは間違いない』

 

「それはまた……どうなるか読み切れませんね。未来が不安定な理由でも?」

 

『それは、彼らが勇者だからだ』

 

「勇者……?」

 

 ヨルカさんみたいな人ってことかな、と千佳は思った。

 

『彼らは常に綱渡りをしている。

 かつ、守り、救うことを躊躇わない。

 ボーダーとはそういう組織だ。

 この世界を守る組織にもなるだろうし、他の世界を救いに行く組織にもなるだろう』

 

「安定思考の人間や組織より、成功時と失敗時の振れ幅が大きいということでしょうか?」

 

『そういうことだ。

 彼らは約定に基づき、隣の世界も助けに行った。

 成功すれば世界を救った大英雄。

 失敗すれば多くの仲間がそこで死ぬだろう。

 そういう、人道に基づいた分岐点を、彼らは多く通るんだ』

 

「全滅するか、生き残るか、それすら結果を見てからじゃないと分からないというわけですか」

 

『その通りだ。

 加えて、未来予知の能力者がボーダーには居るようでね。

 (やつかれ)と同じ……いや、同等以上の能力があるようだ。

 それで、未来を見てから行動を変えているから、読みにくいんだ。

 (やつかれ)が見た未来をボーダーが避けていけば、どこに行くかも分からない』

 

「……未来視は、仮称勢力Cには通じないんでしたよね?

 未来視は強力です。

 ちゃんと立ち回れば味方の被害を最小限に抑えられる。

 しかし、ボーダーがそれを知らないままCとぶつかれば、最悪……

 ……今からでも連絡を届け、ボーダーの被害を抑えて後の味方を増やせませんか?」

 

『今からボーダーに伝える手段はないよ、麟児君。

 もう全員別の世界だ。

 だからこそ今、勢力Cは地球にちょっかいをかけ、勘違いで殺して行ったんだから』

 

「……」

 

『こちらは被害が出る前に知れてよかった。

 これがおそらく、未来視を擁するボーダーが全滅する可能性もある理由の根源だろう』

 

 晴明が今日まで集めてきた未来視の情報と、頼漢との会話での発言で、大まかに各勢力がどう動いているか、そしてこれから大まかどうなるかは判明した。

 

 まず、勢力Aが情報化社会化が進む地球を最後に派手に刈ることを目論む。

 勢力Aがそれを絶対にやると決めたことで、未来に大規模侵攻が起こることが確定し、安倍晴明が対抗すべく動き出し、後に源頼漢を発見した。

 

 そして、この世界の近隣世界アリステラなどが侵攻される。

 黒い土蜘蛛がアリステラを先に攻撃すると示唆していた以上、アリステラを攻めているのは勢力Cか、勢力Cの同盟勢力だろう。

 

 攻められたアリステラは同盟関係にあった地球勢力のボーダーに救援を求め、ボーダーは「アリステラの次は地球だ」と危機感を持っていたのもあって、アリステラに救援を送る。

 ボーダーがアリステラを助ける形で長引く戦争に巻き込まれたことで、ボーダーによる地球の防衛はかなり甘くなってしまう。

 

 そこで、地球の防衛が甘くなった隙に、勢力Bの土蜘蛛が千佳を発見してしまった。

 勢力Bは土蜘蛛、子蜘蛛、隠し神など、手駒を駆使して千佳を確保しようとし始める。

 そこで、勢力Aへの対抗策として安倍晴明が用意した駒、源頼漢が勢力Bの妖怪を次々仕留め、その目的を邪魔し始めてしまう。

 

 ボーダーはアリステラの戦争に本腰を入れ、頼漢と騙されやすそうな少女が楽しく話した夜の日に、怪我人も前線に投入する総動員体制に移行した。

 そしてボーダーが総動員体制に移行した、その翌日。

 総動員体制が始まったことで、ボーダーの戦闘員ほぼ全員がアリステラに向かい、地球には迅悠一とエンジニアしか残っていなかった。

 

 黒い土蜘蛛が言っていた、ボーダーほぼ全員が居ないということと、けれど迅悠一が居るということ、そしてその目的である迅悠一の母親の殺害、及び迅悠一の殺害とはこれを指していた。

 黒い土蜘蛛は、頼漢の知らない隣の世界で起こっている戦争を前提とした、ごちゃごちゃした状況の混濁を利用し、仲間のフォローが入らない状態で迅悠一を殺そうとしたのである。

 迅を殺せなくとも、その後の展開の布石にはできたはずだった。

 

 だが、失敗した。

 

 安倍晴明の人心を操ろうとした企みも。

 勢力Aの油断しきった地球人を奇襲で刈り取る企みも。

 勢力Bの千佳を拐おうとした企みも。

 勢力Cの迅を殺し、アリステラで未来視を失ったボーダーを全員殺すという企みも。

 全てが、破綻した。

 

 未来を知る晴明と、"奪う者"を許さない源頼漢の介入によって。

 

 頼漢に倒された後の捨て台詞の通り、勢力Cはそのままアリステラ侵攻にシフトする。

 今、あの黒い土蜘蛛は、おそらくアリステラでボーダーと戦っているのだろう。

 未来視を無効にするという最悪を、ボーダー相手にぶつけているに違いない。

 

 そしてここから半年以内に、アリステラでの戦争は終結する。

 これは、晴明の未来視が確定させている確かな事実だ。

 時間の落とし穴で未来視をかわされても、その事実は動かない。

 

 そこから半年以内に、勢力Aが満を持して大規模侵攻を開始する。

 千佳を拐いたい勢力Bも先んじて動くだろう。

 "アリステラが片付いた後"と言っていた以上、勢力Cも合わせて動く可能性が高い。

 

『最良はボーダーが勢力Cを倒してくれること。

 その後にボーダーと協力してBに対抗、Aを撃退することかな。

 最悪はCにボーダーが全員殺されること。

 その場合、頼漢一人でABC全部を相手にして勝たないといけなくなる』

 

「ヨルにだって限界はあるんですよ?」

 

『分かってる。だからこその作戦会議だ』

 

 今は、ボーダーの人間が一人でも多く生き残ってくれることを、できればついでに黒い土蜘蛛の一味を全滅させてくれることを祈るしかない。

 麟児は顔も知らないボーダーの行く先に思いを馳せた。

 

 人々を狙う勢力A。

 千佳を狙う勢力B。

 ボーダーを狙う勢力C。

 敵は絶望的なほどに多く、そして強い。

 アリステラでの戦いがどうなるか、誰か勝ち誰が負けるか、どれだけ生き残るか、そして帰ってきたボーダーとどう交渉するか……そこでおそらく、全てが決まる。

 

 『ボーダーとの交渉だけは失敗できないな』と、麟児が心の中で案件の重みづけを変えると、ふと、先日した会話を思い出し。

 

―――ただ彼が居れば話は変わる。

―――戦略的にも、戦術的にもね。

―――特に頭がキレて交渉ができる生身の人間が居るのは大きい。

―――城戸正宗らと交渉する段階に入るならこのくらいの駒は必要だ

 

 俺が必要とされたのは()()()と、麟児は僅かな情報から、安倍晴明がまだ明言していない意図と目的を察していた。

 

 千佳は今日ずっと、あまり発言数を増やさず、晴明と麟児の会話を聞いていた。

 

「あとはヨル次第、ですかね」

 

『頼漢に戦う理由を思い出させる方法なら、三つほど用意してある』

 

「こっちは四つです。後で擦り合わせましょう」

 

(なれ)の基本方針は? こちらは使命感を刺激する方向だけど』

 

「ヨルは子供を見捨てないんですよ。なのでそこんとこ、上手くこっちの駒を置ければ……」

 

『ふむ、なるほど……いや、悪くない。

 確かに頼漢はそういうところがある。子供の願いを無下にはできないかもね』

 

「すぐ立ち直らせること。

 ちゃんと立ち直らせること。

 立ち直った後に弊害がないこと。

 仕込みをするならこの辺りは基本事項と考えておくべきだと思います」

 

『分かっているさ。

 となると仕込みの役者より、それぞれの者が本音で喋って彼が結果的に奮起するのがいいか』

 

「そうですね。自然な形で立ち直る方が無理無く悲しみを乗り越えられるでしょうし」

 

『最近の頼漢は勘が鋭い。勘付かれないように誘導するなら慎重にね』

 

「その辺りはご心配なく。ヨルには見せたことのない手でやりますから」

 

『あまり悲しみを引きずらせたくない。

 これ以上頼漢が苦しむ筋合いもないだろう。

 (なれ)ならば親友として、頼漢がより悲しみ少なく立ち直る方策を思い付けるはずだ』

 

「ヨルがこれ以上悲しまないように……

 と、いうよりは、受け入れさせる方法で考えてますね。

 母親の死を受け入れられるように。

 母親が死後安らかに天国に行けたと信じられるように。

 あいつにとって母親こそが、最大の急所で最大の生きる意味でしたから」

 

『となると、やはりアレかな。頼漢立ち直らせ作戦は一週間後くらいから開始でいいかい?』

 

「はい。あとアレは準備中ですけど、黒木が……」

 

 何故晴明が頼漢に信用できないやつと言われたのか。

 何故麟児が頼漢に幾度となく「そういうとこだぞ」と言われたことがあるのか。

 何故晴明が頭脳面の駒として、雨取麟児を選んだ理由の八割が、この会話に凝縮されていた。

 

 千佳は麟児が"いい子な千佳には分かり難い形で"話していたため、話を全て理解していたとは言い難いものの、「ヨルカさんを立ち直らせるための話をしてる」とは、理解できた。

 幼い声で、千佳は精一杯声を張り上げる。

 

「あ、あの! お葬式とか、できないんでしょうか……」

 

 ともすれば非人道的で合理的な悪巧みを話していた二人は、会話に割って入ってきた千佳が、真っ直ぐな目で"普通にいいこと"を言い出したので、困惑してしまった。

 困惑はしても、変なことを言っているとは思わなかった。

 ただ二人の男の内心に、僅かに自分を恥じる気持ちが生まれていた。

 

 頼漢を立ち直らせるための方法を、合理性と打算だけで組み上げようとしていた二人に対し、千佳だけが、『あの人にわたしは何をしてあげられるんだろう』という気持ちで考えていた。

 

 悲しみの底にある頼漢を立ち直らせるにはどうするか、という問いに対し。

 "どうすれば人の心をミスなく操れるのか"で考えていたのが晴明と麟児。

 "悲しんでいる人に何かをしてあげたい"で考えていたのが千佳だった。

 

「死んだ人と、ちゃんとお別れするのがお葬式だと思うんです。

 ヨルカさんが……ヨルカさんが、本当にかわいそうで……

 あんなに傷付いて、泣きそうで、涙をこらえてて……

 わ、わたしもお葬式で一緒に泣きます! それで、ヨルカさんが立ち直れたら」

 

 その声には、力と、優しさと、恩人を想う慈しみがあった。

 

「ヨルカさんが悲しみを乗り越える辛いお葬式の時に、近くに居てあげたいんです」

 

 千佳の提案に、晴明は普段の彼が出しそうにもない優しい声色で応える。

 

『問題はあると言えばあるし、無いと言えば無い。

 まず死体が残ってない。

 次に源家の爆発は事件性ありと見られてる。

 死体の無い殺人事件の報告はちょっとややこしくなりそうだ。

 第一、妖怪を警察にどう説明するかって話だしね。

 だから死亡届も出せない。

 行方不明にしておくしかないだろう。

 個人の部屋で小さなお葬式を個人的にやるなら大丈夫だろうけど……』

 

 一息、晴明は深く息を吐いた。

 

『今の頼漢は、そもそも葬式を嫌がる気がする』

 

「……あ」

 

「まあ……ヨルと母親のことですからね……」

 

『葬式をすれば、死を認めることになる。

 今の彼の精神状態で、母親の死をどこまで受け入れられるか……』

 

 千佳はさあっと顔を青くして、湧いた気持ちを振り切るように部屋を出ていく。

 

「ご、ごめんなさい……ちょっと、落ち着くまで頭を冷やしてきます」

 

 千佳が階段を降りていく音を聞きながら、麟児と晴明は天井を見上げた。

 

 綺麗なものの近くでこそ、汚いものは際立って見える。

 泥中の蓮、掃き溜めに鶴、鶏群の一鶴、闇に太陽。

 綺麗なものを間近で見てしまうことで、自分を省みたくなってしまう時もある。

 

「千佳の方がずっとまともで優しくはあるんだよな、と思う時が結構あります」

 

『うん、まあ、せやなって感じだね』

 

「親友の母親が殺されたのに、戦うことばかり考えてるのも考えものですよね」

 

『まったくだ。千年くらい前に、(やつかれ)も同じようなことを考えていた覚えがあるよ』

 

 けれどそれは、綺麗なものを見て堕ちすぎないように自戒するというだけのことであって、彼らが純粋な善人になろうとするということではない。

 

 千佳を見てきた麟児も、頼漢と出会って冷酷さを失いつつある晴明も、どちらも千佳や頼漢のように真っ直ぐな人間になろうなどとは思わない。

 

「打算ばっかりしてるとよくないのかもしれませんね」

 

『けれど、(やつかれ)らが悪巧みしてないと、素直な子らはすぐに餌食にされてしまう』

 

「困ったものです」

 

『困ったもんだね』

 

 "わるいひと"同士で顔を合わせ、二人は苦笑した。

 

 とりあえず一週間は準備だけしておいて何もせず様子見にしておこうか、という話をして、晴明と麟児は作戦会議に一区切りをつけた。

 

『"あれ"の準備は明日にはできる感じかな』

 

「そうですね。教団の解散と軟着陸の準備もしとかないといけないですし」

 

『頼漢を放置してそっちの話を実行するわけにもいかないしね』

 

「とりあえず明日には黒木の調達が終わるので、おそらくそれで晴明さんの要望は揃うかと」

 

『おお、そうか、よかった。

 今の状況だと今回の儀式が一番重要だからね。

 世界を救うために一番大事な儀式がこれだよ、雨取麟児君』

 

「"あの儀式"をそういう風に言うのがこう……ヨルにまた呆れられますよ」

 

『重要だろう! 戦力には何の影響もないけど……』

 

「無いですね……」

 

『でも、要るだろう?』

 

「要りますね。儀式は要りますけど黒木要ります?」

 

『浄域を作るために組まれた靖国神社の代用仮殿なんかの構造材が黒木だよ』

 

「ああ、なるほど……」

 

 会話のノリが跳ねなくて、麟児は苦笑してこめかみを掻く。

 

「やっぱり、空気が微妙に重くてしょうがないですね。ヨルには早く元気出してもらわないと」

 

『まったくだ。妖怪許すまじという気持ちが更に強まったよ』

 

「ボーダーに話の分かる人が居たら良いんですけどね。

 交渉次第で、『戦場の偶然の流れ弾』で誰か始末してくれそうな人とか。

 いざという時ヨルの代わりに、黒い土蜘蛛の正体を問答無用で始末してくれそうな人とか」

 

『分かる分かる、一人二人は弱み握って好きに動かせる駒を持っておきたいね』

 

「助さん、格さん。

 生まれてきてごめんなさいと言うまで懲らしめてやりなさい! みたいな」

 

『拷問様かな?』

 

 麟児はハハッと笑って、頼漢が居ない空気に"あいつが居る時ほど楽しくないな"と思って、窓から差し込む光に意味もなく手をかざした。

 少しでも、自分を暗い所に置くように。

 

「うちの家族、全員無事なんですよ。

 誰も怪我してないし誰も死んでない。

 でもヨルが居なかったらどうだったんですかね。

 千佳が襲われたり、拐われてたりしたんだろうか。

 怪我した千佳を心配して付き添った両親が、怪我させられたりしたのか。

 それとも……俺が千佳を守ろうとして、妖怪に殺されたりすることもあったのか」

 

『ああ、そういう未来もあったよ。

 雨取千佳を見捨てて他の方に行くのも、選択肢ではあったから』

 

「やっぱり、そうですか」

 

(なれ)らの家族は、雨取千佳の霊力量がある限り、どの未来でも一定の危険がある』

 

「それ、千佳には絶対に言わないでくださいよ」

 

『言わんさ。あんな小さな子には重すぎる』

 

「あ……今の言い方、ヨルみたいでしたね」

 

『そうかい?』

 

 千佳は何も失っていない。

 麟児もそうだ。

 どんな妖怪でも求める資質を持つ千佳の周りで、何も失われていないことは奇跡である。

 けれど、それが意味することは。

 

「なんで不運や天罰って、俺達みたいなのじゃなくてヨルみたいなやつの方に行くんですかね」

 

『……本当に、なんでだろうねえ』

 

「俺の家族が何も失ってないのは、ヨルのおかげなんですよ」

 

『ああ』

 

「ヨルが千佳を守って敵を倒してくれたから、俺の家族は何も失ってない」

 

『ああ』

 

「でも、ヨルは家族を失ってしまった」

 

『……ああ』

 

「もし、ヨルが余計なものを背負ってなかったら……

 母親以外のものに目を向ける成長をしてなかったら……

 いつも母親にべったりだった頃のヨルだったなら、母親を守れましたか?」

 

『どう……だろうね。敵が敵だったから』

 

「……はぁ」

 

 麟児は頼漢にだけは情けない姿を見せようとしない。

 弱い自分を、頼漢にだけは見せないようにしている。

 そうじゃないと、頼漢が安心して自分を頼れないと思っているから。

 

『正直、(やつかれ)も久しぶりにだいぶこたえたね。

 未来を読み損ねた結果として誰かを死なせたのは、それこそ千年以上やらかした覚えがない』

 

「昔は結構あったんですか?」

 

『まあね。

 沢山、沢山死んだから。

 平安時代の日本なんて、現代の紛争地帯より命が軽い世界だよ』

 

「それはまた……」

 

『地獄の中で、皆笑えなくなっていく。

 皆が悪いわけでもないのに。

 皆はただの被害者なのに。

 被害者なのに笑えなくなるのはおかしいと言っても、何も変わらなくて』

 

 懐かしい記憶を思い出しながら、晴明は語る。

 

『そんな中、悲しみを抱える者達を励まし、笑顔にし、敵の悪行を数える正義の武人が居た』

 

 かつての仲間を思い出しながら、晴明は語る。

 

『どんな苦境の中でも笑える。

 どんな絶望の後でも人を笑顔にできる。

 血みどろの戦いの後に、愉快な話を楽しそうに話している』

 

 悲しみは、いつか終わらせなければならない。

 

 奪った者達だけが笑い、奪われた者達がいつまでも笑えないのでは、道理に合わない。

 

『そういう英雄に頼漢が育ってくれればと、今は思ってるよ』

 

「そうなれたら……ヨルっぽいですね」

 

 そうして二人は、また悪巧みを始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、源頼漢は。

 

「グルルル……」

 

「来い」

 

 熊と対峙していた。

 

 飢えた四足の獣に、殺意に満ちた二足の獣。

 食うか、食われるか。

 目と目が合い、野獣と野獣が誓いを交わす。

 負けた方が食われ、勝った方が食い、勝者は何が何でも生き延びる。

 どちらが喰われても文句無し。

 野獣の瞳が、原始の誓いを成立させていた。

 

 熊が吠え、飛びかかる。

 

 月輪熊(ツキノワグマ)にしては大きな体躯は、頼漢より高い2m弱の身長、頼漢の数倍重い150kgという絶対的なウェイトを持つ。

 

 車の体当たりにも迫るその体当たりをひらりとかわし、頼漢はその脇腹に蹴り込んだ。

 ライフルを何発撃っても当たりどころ次第では殺せない、と言われる熊の強靭な皮膚を突き抜けてダメージが通る。

 怒り狂った月輪熊は、人間の頭蓋骨を一撃で粉砕可能な腕力にて、腕を思い切り振るう。

 

 その腕を、頼漢が両腕で受け止めた。

 熊は人間という弱き者を侮り、そのまま押し切らんとする。

 だが、動かない。

 熊がいくら押そうがまるで動かない。

 それどころか頼漢が動き始めると、逆に腕を押し込まれていく。

 熊の腕の力を真っ向勝負で逆に押し切り、熊をひっくり返すように転ばせる。

 そして、転ばせた熊の首を極め、そのまま全力でへし折った。

 

「お前も、生きたかったんだろうな」

 

 首を折った熊を手早く血抜きし、解体し、頼漢は肉と内臓を片っ端から焼いて食っていく。

 

 頼漢の身体は、黒い土蜘蛛に付けられた傷が未だに回復していなかった。

 

 今、この熊を喰らうことで、その血肉は足りなくなっていた血肉を埋めるだろう。

 

「お前を倒した俺が、お前も食って連れて行く。黙って俺の肉になってついて来い」

 

 ここは三門市南東の山林。

 めったに人が来ない、野生動物の楽園である。

 頼漢は強くなるために、ここで走り込み、筋トレ、素振り、野生動物狩りや高所の果実を取りつつの跳躍訓練など、一日中を修行の繰り返しをして過ごしていた。

 

 全ては、強くなるため。

 母の仇を取るためである。

 

「金太郎に倣ったが……間違いねえな。このやり方なら強くなれる」

 

 平安時代最強の武士に数えられる一角、頼光四天王・坂田金時―――またの名を『金太郎』と呼ばれる彼は、幼少期を熊と相撲を取りながら大自然の中で生きてきたという剛力無双である。

 その金太郎が相撲を取ったと言われているのが、先のツキノワグマである。

 源氏の歴代に探せば、「車と熊が正面衝突すると車は壊れるが熊は死なない」とさえ言われる熊と力比べをする人間くらいなら、何人かそれらしい人間が見つかるというものだ。

 その中でも金太郎は、日本で一番有名な源氏の傘下であると言えるだろう。

 

 頼漢は源氏伝統と言える修行法で、力を更に高めていた。

 だが、まだ足りない。

 怒りで限界を超えた身体能力と初見殺しでなんとか倒せたものの、また同じ手は使えない。

 根本から、強くならなければ。

 

 頼漢は金太郎を参考にした修行をしていたため、ふと思い出す。

 金太郎は動物と会話ができたはずだ、と。

 じゃあもしかして、と。

 

「そういや、晴明は未来視。

 千佳っちは気配感知。

 特殊能力も色々あんなら、動物と話せるやつもいんのかな……

 霊力高いと特殊能力が出んだっけ?

 金太郎も動物と会話できる特殊能力持ってたりしたのか……流石に動物と会話は無理か?」

 

 その予想は大当たりで、"動物会話のサイドエフェクトを持つ源氏"として大活躍したのが、坂田金時という男であったのだが……熊肉を食べ終わる頃には、頼漢はそのあたりの思考をすっかり忘れ去ってしまっていた。

 

「……修行を再開するか」

 

 蜘蛛切を握り、力強く振り始める。

 

 頼漢は喧嘩殺法以外に戦い方がない。

 習っていないというのもあるが、頼漢の身体能力を前提とした武術がないのだ。

 たとえば普通の武術なら、足を止めてから小技を織り上げた連撃を組み、人間が出せる速度で最も巧みな技を出すのがとても強い。

 だが頼漢の場合、滅茶苦茶な身体能力で助走をつけてから飛び蹴りをした方がもっと強い。

 大抵の相手は、頼漢のその速度に反応もできないからだ。

 その身体能力を前提とした源氏の武術は、とうの昔に失伝して消え去っている。

 

 頼漢の戦い方は無垢。

 誰の色にも染まっていない。

 思うがまま戦うだけ。

 ゆえに、まだ"極めた"強さがない。

 努力すれば努力するほど、技を磨けば磨くほど、上限知らずに強くなれる。

 

「母さん」

 

 振る。振る。振る。

 

 そうして極めた先に、ようやく成る復讐がある。

 

 頼漢は完全に『自分がするべきこと』を忘れ、『自分がしたいこと』に没頭していた。

 

「母さん」

 

 振る。

 振る。

 振る。

 次に見た時、問答無用で両断するために。

 次に戦う時、何も言わせずすぐさま殺してやるために。

 次に会う時、源頼漢の母を殺したことを、心底後悔させてやるために。

 

「母さん」

 

 憎悪。

 怨念。

 復讐。

 黒黒とした気持ちが頼漢の内に巣食っている。

 母を失った悲しみを、そういった黒い気持ちで塗り潰し、それでなんとか立っていられる弱き子供が、今の頼漢の正体だった。

 

「早く来い、早く来い、早く来やがれ金の角の鬼」

 

 強くなろうとしなければ、立っていられなかった。

 母の仇を憎んでいなければ、立っていられなかった。

 剣を振っていなければ、立っていられなかった。

 

 立っていなければ、泣いてしまいそうで、泣いてしまえば、もう二度と戦えない気がした。

 

「でないとテメエを殺せねえだろうがッ……!」

 

 蜘蛛切を何度も、何度も、何度も振り下ろす。

 

 あまりにも痛々しい疾走を続ける主に寄り添うように、蜘蛛切が鈍く輝いていた。

 

 

 

 

 

 何よりも大切なものがあった。

 失いたくないと、何度も繰り返し願ってきた。

 かつての頼漢にとって、母こそが全てだった。

 だが、何よりも大切なものだからこそ、失いたくないと願うものだからこそ、運命の悪戯はそれを掌からすり抜けさせて行く。

 

 "奪う者"は、いつも頼漢の母から奪っていった。

 無情に奪われた。時間も、心も。

 人生の若い時間も、健常な心も、最後には命すら奪われていった。

 その悲劇を、頼漢は特等席で見せられた。

 奪われたものは取り戻せない。

 取り戻す(すべ)が無い、足りない。

 自分が無力であることを、頼漢は痛いほどに分かっている。

 

 

 

 

 

 無心に剣を振ろうとして、無心で剣を振ることができず、邪念だらけで剣を振り続けていた頼漢だが、木々の間から少女が現れたのを見て、流石に剣を振るのをやめた。

 

「ヨルカさん」

 

「千佳っち……? どうしてここに?」

 

「晴明さんが教えてくれて」

 

「あー……敵見つけたらすぐ連絡寄越せって場所教えてただけだったんだが……」

 

「ごはん持ってきたんです。おにぎりですけど。食べませんか?」

 

「マジ? サンキュな、いただくよ」

 

 でっかい箱。

 詰め込まれた大量のおにぎり。

 千佳が頼漢の前に広げてみせたのは、米の暴力のようなおにぎりの群れだった。

 白。

 白。

 白。

 申し訳程度に自己表現をしている海苔の黒に対し、「これオセロだったら全部白になってんな」という感想しか出てこないほどに、圧倒的な白の暴力だった。

 全てが、炭水化物だった。

 炭水化物を通り越した化け物だった。

 

「うまっ、うまっ、うまっ」

 

「すごい食べっぷりですね……」

 

 頼漢はそれをものすごい勢いで喰らっていった。

 千佳もゆっくりとだが、その小さい体のどこに入るか分からないほど食っていく。

 頼漢の人生において、最も食してきたのは素の小麦粉である。

 デフォルト小麦粉。

 ノーマル小麦粉。

 はっきり言って、そんな食生活に慣れきった人間にとって、普通に作られたおにぎり食べ放題というものは、魂が抜けそうなほどのパラダイスであった。

 

 一個、二個、三個というペースではない。

 十個、二十個、三十個というペースで食っていく。

 味付けのない熊肉を貪りくっていた舌に、熊肉でだいぶ膨らむようになっていた胃に、炭水化物の暴力が染み込んでいく。

 

 ただのおにぎりに夢中になる頼漢の姿が、頼漢のこれまでの食生活の貧相さを証明しているかのようで、千佳はかわいそうで泣きそうになった。

 

「美味すぎる。千佳っち料理の天才じゃね?」

 

「そ、そんな……ただのおにぎりですよ、えへへ」

 

 初めて料理を褒められて、千佳がてれてれと照れる。

 

「じゃあおにぎりの天才だ。めちゃくちゃうめー」

 

「おかわりいっぱいありますよ?」

 

「っし、食えるだけ食わせてもらうぜ」

 

 食って。

 食って。

 食って。

 頼漢はずっと幸せそうに食べていた。

 なのに、全く幸せそうではなかった。

 頼漢は千佳と二人で食べていた。

 なのに、頼漢はたまに、"美味しいものを食べたらつい癖で家族に教えようとする"としか解釈できないような動きを何度かしかけていた。

 "これマジで美味いよね母さん"と言いかけて、途中で言うのをやめていた。

 

 なんてことのない食事風景の中に、見過ごせない矛盾と悲しみが垣間見えていた。

 

「ふぅ、ごっそさん。ありがとな、腹一杯になったわ」

 

「え? 食後はちょっと休憩をした方が」

 

「いや、いい。今は一秒でも長く修行をしていてえ」

 

「でも……」

 

「頼むよ。修行してないと気がおかしくなりそうなんだ」

 

「……え」

 

 頼漢が修行を再会し、蜘蛛切をまた振り始める。

 走って振って、飛んで振って、しゃがんで振って、また振って。

 何かを振り切るように、剣を振ることに没頭している頼漢を見て、千佳は気付いた。

 気付いてしまった。

 気付きたくなどなかっただろうに。

 千佳は気付いた事実が口から飛び出さないよう、青い顔で口元を抑える。

 

 これは、()()()()だ。

 

 頼漢の母がしていたことだ。

 母がしていたことと同じことを、頼漢も同じように繰り返している。

 現実を見たら心が壊れるから、現実から必死に逃げる。

 現実に戻った瞬間に心が壊れるから、すがるものを探し続ける。

 そして、現実を見ていないから、周りの誰のためにも頑張れない。

 

 頼漢の父に大切なものを全て奪われ、宗教にすがり、現実から逃げたのが頼漢の母。

 妖怪に一番大切なものを奪われ、復讐にすがり、現実から逃げたのが頼漢だ。

 母は全てから逃げた結果として頼漢と向き合わなくなり、頼漢は母の死から逃げた結果として『するべきこと』に向き合えなくなってしまっている。

 

「大丈夫だ、大丈夫、そんな心配そうにすんな千佳っち」

 

 頼漢は、千佳の方を振り返らない。

 

「俺はまだ頑張れる。何故なら、俺はまだ立ってられてるからだ」

 

 頼漢は、千佳の方を振り返らない。

 

「見てろ。まだ間に合う。まだ皆の家族は殺されてねえ。まだ間に合う」

 

 頼漢は、千佳の方を振り返らない。

 

「千佳っちには同じ想いを味わわせたりしねえ、あいつを殺して、殺して俺が」

 

 頼漢は、千佳の方を振り返らない。

 

「まだ……まだ手遅れなんかじゃない……まだ……まだきっと……」

 

 頼漢は、千佳の方を振り返らない。

 

「俺は、母さんに、まだ、褒めてもらえるはずだ」

 

 頼漢は、千佳の方を振り返らない。

 

 けれど、嗚咽が聞こえた。

 

 誰が泣いているかなど、言うまでもない。

 

「……」

 

 現実から逃げようとする心を、心に根ざした意思が、無理矢理に力尽くで押し込んで、逃げる心が千佳の方を向くようにする。

 

 『泣いている子を放っておくな』という、頼漢が生まれた時から持っている根源的な意思が、頼漢を振り返らせた。

 

「千佳っち」

 

「ぐすっ……ぐすっ……」

 

「なんで……泣いてんだよ。泣くことあったか……?」

 

「違います、違うんです」

 

「何が違うんだよ」

 

「泣いてるのは、ヨルカさんなんです……」

 

「―――」

 

 誰が見ても、泣いているのは千佳で、頼漢は泣いていなかった。

 

 けれど、千佳には視えている。

 

 泣いているのは頼漢で、千佳はその涙につられて泣いているだけだった。

 

「泣いてるのは千佳っちだ」

 

「違います、ヨルカさんなんです」

 

 なぜ、泣いている千佳の方が言葉に芯が通っていて、泣いていない頼漢の方がこんなにも弱々しい声をしているのか。

 

 その答えは、二人の心の内にあった。

 

 頼漢の中身の無い言葉はどこにも届かず、千佳の言葉だけが頼漢の胸の奥に届いていた。

 

「まいったな」

 

 頼漢は、弱々しく微笑む。虚勢を張って、背筋を伸ばして、拳を握って。

 

「いつ……ヨルカさんは、いつ、どこで泣くんですか……」

 

「なあ、千佳っち。男はさ、女の子が見てる時に泣いちゃいけないんだ」

 

 頼漢は千佳にだけは情けない姿を見せようとしない。

 弱い自分を、千佳にだけは見せないようにしている。

 そうじゃないと、千佳が安心して自分を頼れないと思っているから。

 

「だから、泣けねえんだよ」

 

「ヨルカさんっ……」

 

 ぐすぐすと、小さな女の子が泣いている。

 頼漢の代わりに泣いている。

 頼漢を想って泣いている。

 頼漢の母が殺されてしまった悲しみで、泣いてくれている。

 

 その涙を拭いに行けるほど、今の頼漢に余裕は無かった。

 余裕は、無かったけれど。

 そうしなければならない、という意志はあった。

 

 頼漢は駅前で貰ったハンカチで、優しく千佳の涙を拭う。

 

「ヨルカさんはずっと泣いてます。

 ずっと泣いてるんです。

 だから……だから……ちゃんと泣かないと、泣き止めないんです……」

 

「俺は、君に泣き止んでほしい」

 

「わたしは、貴方に泣き止んでほしいです……」

 

 互いに、泣き止ませたいと思いながら。

 互いに、悲しみを拭いたいと思いながら。

 互いに、また笑顔を見せてほしいと思いながら。

 

 二人はどちらも、目の前の大事なその人を、泣き止ませてあげることができなかった。

 

 

 

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