ワートリハードモード トリオン能力1未満トリガー無し敗北即死 作:ルシエド
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https://twitter.com/Ryuryugu07fu06b/status/1447173577556389891
駅前でモッケ会が勧誘活動をしている。
ほとんどの人は怪しげな新興宗教に辟易し、近づこうともしていないが、聞こえの良い言葉に引き寄せられる人間も数人、僅かに居る。
勧誘とはこれでいい。
99%の人間にバカにされようとも、1%の苦しみの中に居る人間に刺さればいい。
たとえば日本の1%を信者にできれば125万人の養分が出来、それらの人間に月5000円の会費を払わせるだけで、毎月60億の収入ができるのだから。
SNSでアカウントフォロワーが1~2万程度の新興宗教が、毎月億に届くほどの収入を得ているのは、そういう仕組みがあるからだ。
数撃ち、僅かな共感者を捕まえられれば、ビジネスは成立する。
通りすがりの少年と小さな女の子が、歩きながらそれを見ていた。
小さな女の子が道路に飛び出さないよう、少年が位置取りを考えている。
小さな女の子は宗教勧誘をしている大人達も、勧誘に引っかかった大人達も、等しく冷めた目で見ていた。
その表情には、隠しきれない軽蔑が見て取れる。
「なんで宗教も、それにすがりつく人も、居なくならないんですかね」
「おやおや、双葉ちゃんにはお気に召さなかったかな?」
「別に……小学生の私から見ても情けない大人は何を考えてるんだろって、それだけです」
「厳しいねえ」
「澄晴さんはああいうの見て気持ち悪くならないんですか? 私はなります」
「うーん」
むすっとした女の子に爽やかな笑みを返しながら、少年は思案する。
「信じる心があるからだろうね」
「信じる心……? 神が居ると信じてるとかそういう話ですか?」
「間違ってはないかな。
信じることには、色んな形があるんだよ。
それでね、信じるって気持ちであることだけは、全部同じなんだ。
たとえば……『信じたいから信じる』という心は誰の中にもあるから厄介だよね」
「よくわかりません」
「友達にだって上下はあるだろ?
真面目だけど好きになれなくて信じられない人。
ちゃらちゃらしてるけどなんだか信じられる人。
恋をした相手だから信じてる人。
人は信じたい人を信じて生きていくものなんだよ、たぶんね」
「宗教に関係があるんですか?」
「あるよ。
変な水とか、変な石とか、変な壺とか、変な神とか。全部そうだろう?」
「……確かに」
「人はみんな、何かを信じたいんだよ。
そして、信じたいものがあるんだよ。
詐欺師や宗教は、それを学んで人が信じたいものを作る人達だ。
過去にあった、人が信じたいと思った事例の真似や模倣をして騙すんだね」
「それじゃ……何を信じればいいんですか?」
「信じるべきものなんてないよ。信じちゃいけないものはあるんだけどね」
「……」
「だから、双葉ちゃんが信じたいものを信じればいいんじゃない?
裏切られない保証がある信用って、案外無いよ。
"信じたいものだけ信じてる"って、悪口に使われやすいけど……
実際そんな悪いものじゃないさ。
誰かを信じて騙されることも報われることもあるのが、人生というゲームなんだ」
「大人は、子供にはヒーローでも信じていてほしいんでしょうか」
「どうだろうね。今時、子供に無条件で信じられるヒーローも結構難しいと思うけど」
普通に生きている普通の少年と女の子は、街の雑踏に紛れていった。
晴明が急いで頼漢の修行場に向かうと、そこはだいぶ凄いことになっていた。
低い位置で蹴り折られた木。
ボコボコに殴られた大岩。
強大な力で何度も踏まれたことで禿げ上がった草原。
ふわふわした腐葉土に近かったのに、踏み固まれてガチガチになった地面。
修行の痕跡が、物凄いことになっていた。
三日四日でここまで環境を塗り潰すのは、並の人間の身体能力では不可能だろう。
晴明が来た時、頼漢は岩を砕いて石つぶてを100個前後作り、それを空に投げてかわすという訓練をしていた。
100個同時に投げて全てかわしたり、1個ずつ100回投げてから1個ずつ100回連続でかわしたり、そうして回避能力を鍛え上げていた。
頼漢はやってきた晴明を見て、仇と時が来たのかと思い、期待とほぼ同義である殺意をその全身に漲らせた。
『うわっすごっ……熊とか猪の骨かい、これ』
「敵か?」
『敵だね。8時間後、おそらくは15時あたりに、川沿い、かなり駅に近い位置だ』
「遅ぇよ、もっと早く言えねえのか? それともまた隠してたとかか?」
『すまない、視えたのは本当に今さっきなんだ。
おそらくは黒い土蜘蛛が一人殺した影響だ。
逢魔刻が誰かを殺せば、おそらく未来の不安定性が増すんだろう』
「……あの黒い土蜘蛛か? 黄金の、枝分かれした角の」
『違うね。千佳ちゃんを襲っていた土蜘蛛の方の手合いだ』
期待とほぼ同義である殺意が萎んでいく。
頼漢は露骨に、とてもわかりやすく、がっかりしていた。
『黒い土蜘蛛が相手じゃないとやる気が出ないとか、千佳ちゃんの前では言わないようにね』
「―――」
『
「……」
『今回、おそらく敵は複数だ。
「……俺は」
『
晴明はまたどこかへ飛んでいった。
勢力Cの影響で変わった未来を、細かく確認しに行ったのだろう。
今、晴明や麟児は急に現れた未来に奔走していた。
レンタカーを借りて、役所の車に偽装してスピーカーを付け、「不発弾が発見されたため近隣の住民の皆さんは避難してください」とデマを流すなど、麟児はいくつか住民を逃がす方法を考え始めるが、妖怪の破壊範囲はあまりにも広い。間に合うか分からない。
頼漢が自分より速いと麟児に語った土蜘蛛、頼漢が怪獣みたいだと表現した質量の暴力である隠し神、どちらが複数来ても避難が遅れた人が犠牲になる可能性が高い。
真っ昼間に妖怪を複数出して来たことから考えて、おそらく敵は勢力B。
狙いは千佳だ。
推測される動きは、妖怪複数体が街の中に出現し、千佳を探して散開。
ついでに街を破壊し、人を襲いながら、本命の千佳を発見次第全ての妖怪で千佳を包囲し、千佳を捕獲次第撤収……という流れだろうか。
勢力Aは大規模侵攻の準備を急いでいるのだろうが、どう見ても間に合わない。
もうそうなってしまえば、地球人にある程度の警戒が芽生え、奇襲は成立せず、予定していた数は刈り取れないだろう。
それでも、かなりの数は刈り取れてしまうだろうが。
頼漢は近くの岩に拳を叩きつけ、粉々にした。
『あの黒い土蜘蛛じゃないのか』と思ってしまった自分への怒り、憤り、やるせなさ、情けなさが、彼を苛立たせていた。
晴明の言葉は冷水を浴びせられたような気持ちを頼漢に与え、千佳との会話で現実に戻りかけていた頼漢の心を一気に引き戻す。
「……一旦、街に戻ってどこかで待機しておくか」
8時間後。
あまり時間はない。
頼漢は必要なものを取りに行くのも兼ねて、街に戻ることにした。
頼漢は無言で街を歩く。
何を見ても色あせて見えて、何を眺めても虚しいばかり。
まるで、世界の全てが色を失ってしまったかのようだった。
世界で一番大切なものを失って、それより価値が低く見えるもの全てが、何の価値もない空気のように見えてしまう。
胸の奥に空いた
「こんな視点で周りを見てはいけない」だとか、「もっとしっかりしろ俺」だとか、感情が心の表面に浮かんでは、虚無に飲まれて消えていく。
母をどうするかという問題に直面した時も、感情と理性は乖離した。
今もまた、感情と理性が乖離している。
頭は動いている。
頭は使命を理解している。
だが、心が立ち上がってくれない。
心の引き金をどう引くか、頼漢の魂は忘れてしまっていた。
「大丈夫ですか!?」
その時。とても聞き覚えのある声がした。
―――大丈夫ですか!?
あの時、最初の土蜘蛛を倒した後、助けてくれた少年の声と同じ声。
頼漢がそちらを向けば、喚いて暴れる老人と、その老人が道路に飛び出さないように抑えている幼気なメガネの少年が居た。
「うー、うー、うー!」
「ど、どうすれば……」
顔を向けた先で、老人が着ている服に見覚えがあって、頼漢は心底嫌な顔をしてしまった。
"老人ホームで着る服"というカテゴリがある。
老人ホームに入る人や、精神病の施設に入る人に勧められる服、もしくは入る人の家族が検索で見つけて購入する服だ。
介護担当が脱がしやすく、着替えさせやすく、老人が漏らしてしまった時も洗濯しやすくて、買い替えやすい肌着とセットで販売されていることが多い。
今喚いて暴れている老人が着ている服は、まさにその系譜だった。
知らない人は知らないが、知っている人は死ぬほど見たことがある。
たとえば、そういう服のセットを偽装したオンラインショップにて、比較的高額で販売している宗教の関係者とか。
あの老人は振る舞いと服を合わせて見れば、何らかの施設から抜け出してきた可能性が高いと、頼漢は死ぬほど嫌そうな顔で気付いてしまった。
介護ビジネスは現代の準グレーゾーンの代表格だ。
当然、新興宗教……モッケ会もひと噛みしている。
よって頼漢も、昔母の代わりのボランティアノルマでそういう施設に何度か行ったことがあり、ランドセルを背負うような子供が一人でどうこうできないものであることを知っている。
脳のリミッターが外れた老人は、子供の腕力ではどうにもならない。
認知症になった親を介護する大人は疲弊する。
何にもすがりたい気持ちになる。
そうして疲弊した人間を、宗教が救う。
「自分の親なんだから自分で世話する責任があるでしょ」と言う人々のようにはしない。
「貴方は悪くない、貴方は頑張ってる」と言うのが宗教だ。
そうして教団に招き入れた人間が多額の献金をすれば、「信心深い素晴らしい人は好かれるのです」と言われ、多くの信者が『何故か』慕ってくれるようになる。
信用度が高く介護経験のある人間が、自宅介護の親の面倒を見てくれるようになる。
そして、介護に殺されかけた親子が救われる。
介護疲れの人間は救ってくれなかった社会を見限り、宗教に没頭するようになり。
感謝したその人は、
金を出せなくなった人が一ヶ月後、自殺したという噂を、頼漢はよく覚えている。
事件性は無いと判断されたという話も、よく覚えている。
そういうものを見る毎日が、頼漢の心を腐らせていった。
そうなってまで親を生かそうとする気持ちを、かつての頼漢は理解できなかったが、母を亡くした今となっては、"どんな形でも生きていてほしかった"という気持ちが強くて、壊れた老人を生かそうとする人達の気持ちを、理解できるようになってしまった。
"誰かの親"であるかもしれない老人を、頼漢はもう見捨てていけない。
命の恩人である少年も、見捨てていけない。
二つの理由で、頼漢の目はようやく逃避を止め、現実に向いた。
「手伝うぞ、少年」
「え? 貴方は……あの時の?」
「あの時は助かった。おかげで命を繋げたぜ」
「ご無事でなによりです」
「う~! う~!」
頼漢は喚く老人を手早く抑え込む。
ただ力任せに抑え込めばいいというものではない。
脳の制御がまともに効いていない老人の大暴れは、ともすれば自爆で自分自身を傷つける。
上手く抑え、上手く疲れさせ、上手く落ち着かせるにはコツが必要だった。
呆気に取られる男の子の前で、頼漢は流れるように老人を無力化し、そのまま引きずって危険な車道から離れさせていく。
頼漢はこういう、頭がおかしくなり自分が誰かも忘れてしまった、わけもわからず暴れる人間への対処に慣れていた。
母が、時々そうだったから。
懐かしい感覚が母を思い出させて、頼漢は思わず顔を顰めてしまった。
「俺が抑えておくから、君は近くの交番に連絡行くよう電話して。
近くの交番の番号分からなければ110番で住所言えばいい。
徘徊老人の対処は警察の生活安全課の管轄だから、無視はされない」
「は、はい!」
かなり早くに来てくれた警察官たちがにこやかに二人にお礼を言い、老人を連れてパトカーで去っていった。
「お二人共、ありがとうございました! 善意の市民の協力、心より感謝します!」
「うー! うー! あー! うー!」
これから警察側でどこの施設から出てきたのか調べるのだろう。
ひとまずは一安心ということだ。
頼漢はほっとした様子のメガネの男の子の肩をぽんぽんと叩き、その労をねぎらう。
「おつかれ、少年」
「助けていただいて、ありがとうございました」
「いやあ、助けてたのはお前だろう。
俺は通りすがっただけだしな。
中々できねえよ、ああいうキチじみた老人助けに行けるの。普通の人は見捨てるしな」
「いえ、ぼくが助けられたので。本当に助かりました」
「命の恩人にそこまでかしこまって礼を言われるほど偉い身分じゃねーよ」
「命の恩人……? あ。
あの時のことなら、それこそかしこまって礼を言われるようなことではないです」
「お前の止血がなきゃ助かってなかった。恩義を軽んじる気はねえよ」
礼を固辞するメガネの少年に、頼漢は名前も知らない内から好感を持った。
公園で出会った包帯の少女のような、気安さゆえに気が合う相手とはまた違う、頼漢と違うまともな世界で育った、芯の強い善性と倫理観がある。
その好感を言い換えるならば、"人間的な尊敬"という言葉が一番近くなるだろう。
―――人間の好みが一番似てる。
―――たぶん、千佳が気に入る人間はお前も大体好きだよ。
"じゃあ俺が気に入ったこの少年とか、千佳っちも気にいるんだろうか?"と、特に意味もないことを頼漢はぼんやり考えていた。
頼漢の心が命の恩人の勇姿に緩み、そして。
「通りすがりの人も皆ちょっと様子見てたろ。
はは、身内に爺ちゃんとか居たりして見知らぬ爺でも放っておけなかったのか?」
「深い理由はありません。僕が、そうするべきだと思ったからです」
「―――」
油断していた頼漢の心が、ガツンと殴られた音がした。
殴られた心が音を立てる。声を上げる。
何をしている、と。
いつまで情けない顔してんだクソザコ、と。
このまま現実逃避続けるならいっそここで死ね、と。
自分に、世界に、母の死に、敵に、ちゃんと向き合え、と。
魂が叫んでいた。
この街で源頼漢が守るべき数多くの営みは、まだ全て終わったわけではない。
「ああ、そうだよな」
メガネの男の子は、背の高い頼漢を見上げるようにして、その顔を見る。
先程までなんだか泣きそうだったから、聞いていいものかと、男の子は思っていた。
それが気のせいだと思えるくらい、頼漢の表情が変わった。
弱々しさが無くなったわけではなく、強さが増したようにも見えないが、目に見えて気合いの入った表情に切り替わっていた。
頼漢は深く深く呼吸し、背筋を伸ばす。
「いい子だな、メガネくんは。俺がめちゃくちゃ褒めてやろう」
「な、なんですか」
「いやー偉ぇな! あの爺さんもボケてなかったらお前を命の恩人だと思ったはずだ!」
「お、おおげさですよ!」
頼漢は笑って、メガネの男の子の頭をくしゃくしゃと撫でる。
メガネの男の子は照れた様子で、けれど悪い気はしていないようだった。
ヤバめの老人相手に共闘したことで、妙な仲間意識が芽生えていたようだ。
この男の子もまた、頼漢の目には"いい子"に見えていた。
ころりと、口からこぼれ落ちるように、心から絞り出した言葉が、頼漢の口から出ていく。
「なあ、メガネくん。
するべきことをしなくちゃな、ってなって。
するべきことをしようとして、それで失敗して、後悔したら……君ならどうする?」
メガネの男の子はよく分かっていないようだったが、彼なりに真剣に、真面目に、頼漢の絞り出すような声色の言葉に応えた。
「ぼくは、すごい人間じゃありません。
誰もが納得するような結果は出せないと思います。
ぼくさえ納得できない結果も、きっと沢山出してしまうと思います。
けれどその後も、ただその時やるべきことを、後悔しないようにやるだけだと思います」
「―――ああ、まったくだ。
まったくもってそうだ。
当たり前かもしんねえけど……そう思えるってのが、一番大事なんだよな……」
その言葉が。
何故か、どんな言葉よりも頼漢の心の奥深く、とても深くまで、染み渡っていた。
彼が命の恩人だからか。
彼の言葉が頼漢の肌に合うからか。
それとも―――名も知らぬ普通の男の子が、平和な世界に生きている男の子が、頼漢に当たり前に大切なことを、『するべきこと』を思い出させてくれるからか。
「あっ……母です。すみません、ぼくはもう行きます」
「ああ、気をつけて行くんだぞ……いや」
頼漢は、ほんの少しだけ、言おうとした言葉を訂正する。
「お母さんを大切にするんだぞ、メガネくん」
「はい。そうします」
「お母さんを守ってやるのが……子供の『するべきこと』だからさ」
去っていくメガネの男の子。
少し遠くに見える男の子の母親が、頼漢に遠くから頭を下げる。
二人が助けた老人を乗せたパトカーの走行音はもう聞こえない。
頼漢はヒビの入った心を打ち直すように、心に熱を入れ、心を打つ。
気合を入れろ、と、心に熱を入れる。
しっかりしろ、と、心に槌を打つ。
そうすれば、まだ現実に向き合ったまま、もう少しだけ前に歩いていける気がした。
『あの母子を守れるのは俺だけだろう』と思えば、もう少しだけ戦える気がした。
「俺からすりゃ、お前こそがヒーローだよ、メガネくん」
頼漢は昔、街角のテレビで視たものを思い出した。
その日は日曜の朝。
みんなが当たり前に毎週見られるヒーロー番組を、頼漢は望んでも見られなかったけれど、その日はちゃんと一話丸々見ることができた。
テレビの中では、ヒーローが子供に色んなことを語って聞かせていた。
あれはしてはいけない。
そうするべき。
自分がどう思い何をしようとするかが大事。
ヒーローが語って聞かせる内容は、子供が悪の道に進まないように、間違っていない道の上で子供達が自由に生きられるよう導くものだった。
導き手にして守護者である男、それがヒーロー。
そして、子供達が悩んでいると、ヒーローはどこからともなく颯爽と現れ、子供が解決できない事態を解決し、子供の心を救って、どこかへ去っていくのだ。
悩む子供の心の暗雲を晴らす、真っ赤なヒーロー。
「母子を引き裂く"奪う者"が来たら……許しておけねえよな……なぁ……源頼漢」
小さなヒーローが居た。
メガネをかけた小さなヒーロー。
あの日見たテレビの中のヒーローも、今日再会した小さなヒーローも、どちらの名前も頼漢は知らないけれど、そんなことは構わない。
名を知らなくとも、頼漢が抱くその敬意は、間違いのない真実だから。
頼漢は必要なものを回収し、その後は街を見て回ることにした。
無性に、誰かが誰かを助けるところを見ていたかった。
"この世界を愛する理由"を、彼の心は無自覚に求めていた。
千佳との会話で心が揺れた理由、晴明の言葉で冷水をぶっかけられた気になった理由、メガネの男の子との再会で割れかけの心が奮起した理由。
全ての理由は、彼の心に根ざしていた。
その彼の心が、美しいものを探していた。
「……こんな気分で街を歩くのは、初めてだな」
頼漢は深呼吸し、自分と向き合いながら街を見る。
ずっと、おぞましいものを見てきた。
ずっと、狭い世界の外をちゃんと見るのが怖かった。
夜に街の光を見て憧れることはしていたのに、昼に街の中を生きる人達を見ようとはせず、正しく街を見るということをしてこなかった。
これまでの頼漢がこの世界に、この社会に、全肯定の意志を持っていたかと言うと嘘になる。
母を壊した"奪う者"がのうのうと生きる社会に憎しみを持っていなかったと言えば嘘になる。
街の光ばかりを見てきた。
街の営みを正しく見てこなかった。
守るべき幸福の光だけを見てきた。
光と共に在る人々の毎日を正しく見てこなかった。
夜に街の光を眺めて、「あそこに混ざりたいなあ」とは夢見るくせに。
昼に街を歩いて、そこに生きる人達の顔を、ちゃんと見ることはしていなかった。
母に向き合おうとした数日前、頼漢は初めて、そうではない向き合い方をした。
迷いを断ち切るため、街を巡って、多くの人の顔を見ようとした。
すなわちそれは、母への想いから間違ってしまっている――と、頼漢が思っている――自分を、叩き直すための行動だった。
頼漢は歩き出す。
数日前の自分が直観的に選んだ選択を、そのままなぞるように。
もう一度、母への想いから間違えている自分を、叩き直すために。
これまでの頼漢が見てきた街と、これからの頼漢が見る街は、きっと別物だ。
「行くか」
交通量が多い横断歩道で、小学生の上級生らしき女の子達が、下級生らしき子供達の手を引いて横断歩道を渡らせてあげている。
子供が、子供を助けている。
「あーめんどくさっ」
「葉子、下級生が聞いてる時はそういうのよして」
「うっ……はいはい、そうしますそうします。華はまじめよねえ」
ちらりと見えたバスの中で、子供の姉弟が老人夫婦に席をゆずり、しきりにお礼を言われているのが見えた。
子供が、老人を助けている。
「ありがとねえ。ご姉弟かしら? 仲が良さそうで何よりだわ」
「見上げた子達じゃ、お小遣いやろうかのう~」
「そうなんですよ~、仲良しこよし文武両道の三輪姉弟と言えば私達のことです」
「姉さん……」
「秀次、ほら、姉さんに残った最後の席を譲りなさい。男の子でしょ」
「姉さん………………」
通りがかった公園を覗いて見ると、木陰のテーブル付きベンチに子供達が集まり、一人の少年が呆れた顔で皆に宿題を見せていた。
友達が、友達を助けている。
「こでら~ん、宿題見せて~」
「頼む! このままだと俺達は廊下に立たされてしまう! この時代に!」
「俺達もう後が無いんだ!」
「『先生は僕達を廊下に立たせるけど先生は老化で勃たないんですよね』って言っただけなのに」
「古寺……お前が最後の希望だ」
「次は自分でやりなよ、ホントに」
腹をすかせて死にそうになっている子猫に、少年達が駆け寄って、それぞれが持ってきた食べ物を食べさせている路地裏があった。
子供が、猫を助けている。
「ヨースケってなんかふとした時に優しさ見せるよなあ」
「そういう優しさをお友達の俺達にも分けてくれませんかね、米屋先生~」
「はっはっは。
オレはかわいい子に優しいだけなんだなこれが。
むさくるしいお前らが子猫くらいかわいくなったら考えてやろう」
おいしそうな匂いにつられて歩いていくと、『お好み焼・かげうら』と掲げられた看板の下、おそらく店主の息子であろう子供が、上手く焼けない客を不機嫌そうに手伝ってあげていた。
店員が、お客を助けている。
「雅人くん、ちょっと上手い感じに焼いてくれない……?」
「あんた週イチでうちに来てんのに上手くならねえな……ちょっと貸してみろ」
「ありがと~!」
歩いている内に麟児に包帯などを買って来ることを頼まれていたことを思い出し、近くの病院内の売店で買えることを想起し、病院に向かう。
売店からすぐそこに見える中庭では医者と看護婦が、患者の少女と話していた。
医者が、患者を助けている。
「那須玲さん。今日は少しだけいい報告ができますよ」
「玲ちゃん外出許可出るんだよ!」
「あっおばかっ先生より看護婦が先に言ってどうすんの!」
「ふふふっ。ありがとうございます」
普段は行かない場所ばかり回っていたので、普段畑を荒らす猪などを狩りに行く方の区画へ向かって見ると、本屋で小さな女の子が背伸びをして上の列の本を取ろうとして、それを取ってあげる母親の姿があった。
大人が、子供を助けている。親が、我が子を助けている。
「はい、栞」
「ありがと、お母さん」
過去最大の侵略が始まるまでの数時間を、頼漢は街を歩くことだけに使った。
ただ歩いた。
ただ見た。
ただ知った。
その行動が、どんな修行よりも大切で、どんな覚醒よりも価値のあるものだった。
また一つ。
また一つ。
また一つ。
頼漢はこの街を守る理由を、この世界を守る理由を見つけていく。
数日前、母が死ぬ前に街を回った時は見落としていたものも、見つけていく。
物心ついた時からずっと、頼漢は母が一番大事で、母の存在を前提として世界に触れてきた。
友達が金を盗まれた時ですら、"でも母さんが"としか思えなくて、だからこそ魂が腐ってしまいそうなほどの後悔に見舞われてしまった。
けれど、今はもう違う。
母が死に、それでようやく、彼は自由な人間として、世界に触れられた。
"でも母さんのためを考えれば"などという思考を、頼漢がもうすることはない。
色眼鏡無き瞳で見つめた世界は、清濁全てが混ざり流れて行く世界は、美しかった。
「そうなんだよな。
見れば見るほど分かってくる。
色んな人が色んな生き方をしてる。
それが折り重なって街が、世界が出来てる。
意味の無いものなんてない。
本当は、全部必要なものなんだ。
誰かが欠けたら、この世界はこの世界じゃなくなる。
ここにある全部が、世界の模様を作ってるんだ。
それは"自分達の利益のため"に、妖怪どもが奪っていいものじゃなくて……」
数日前、自分と、世界と向き合おうとした。
そして今日、自分を、向き合った世界を知った。
『この世界で自分が生きている』ことを、魂の底から理解した。
「大人が子供を助けてる。
子供が友達を助けてる。
警察官が老人を助けに飛んでくる。
猪を倒せば農家が助かる。
農家が作ってくれた食べ物で皆助かる。
食べ物屋で作られる食べ物で皆助かる。
服を作る人。
道路を作る人。
家を作る人。
玩具を作る人。
沢山の人が、沢山の人を助けてる。
俺も知らない内に、ずっと助けられている。
俺が、俺が見たつもりになってた世界の、人々の、本質ってのは……」
かちり、かちりと、頼漢の中で様々なものが噛み合っていく。
―――なんでもない普通の男の子が俺を救って、俺があの男の子を含めた皆を救えたら
―――どこにでもいそうな子の手が、回り回って数え切れないほどの命を助ける……
―――そんなことが起きるくらい、この世界はいい世界なんだぞって、言えるんだ、たぶん
数日前、頼漢はそう言った。
その結論は、頼漢の内から生まれるものの中では、限りなく正解に近かった。
もし黄金の角の黒い土蜘蛛が現れていなければ、この結論を抱えたまま、母親と向き合い何かしらの決着をつけることができていただろう。
しかし、その結論は未完成だった。
―――この街にあるものを。
―――俺がずっと欲しかった日常を。
―――当たり前にこの世界にある素晴らしい幸福を。
―――あの男の子が生きてる平和で普通な当たり前の毎日を。
―――『守るべき』だと思ったものを、『戦うべき』だと思った俺が、守るってことなんだ
この結論にはその先があった。
メガネの男の子が頼漢を救って、頼漢が皆を救って……数日前に辿り着いていた結論はそこまでであったが、この結論は完成に至るまで、本当はあと一歩足りていなかった。
今、頼漢はその最後の一歩を踏み出し、この結論を『源頼漢の命の解答』として、完成させるに至った。
安倍晴明の最良の想定より数ヶ月早く、一足飛びにそのゴールへと到達した。
「俺が守った沢山の人達が、更にもっと多くの人を救っていく可能性も、ある……?」
守った人が食べ物を作る。
その食べ物が、誰かを救う。
守った人が薬を作る。
その薬が、誰かを救う。
守った子供が戦士に育つ。
育った子供が、誰かを守る。
戦える、戦えないということは関係ない。
守ること、救うこと、助けることは、無限に連鎖していく。
助けられた誰かがまた誰かを助ければ、そうして無限に繋がっていく。
「人はいつか死ぬ。
必ず死ぬ。
俺もいつか死ぬ。
どっかで敵に殺されたりもするかもしれない。
けど……俺の後の人達に、『繋ぐ』ことは……できる……」
過去は変えられない。
頼漢にその力はない。
けれど、未来なら変えられる。
それは、既に過去になってしまった死人の救いを、この世界に創るということだ。
「俺が……
母さんのことをずっと覚えてて……
母さんが生んでくれた俺が、人を助けて行けば、母さんから繋がっていくものもあって……」
頼漢はようやく、『復讐なんてものよりずっと正しく母への愛を証明する方法』を、自分の中から生み出すことができた。
「母さんが生きた証を、後に繋いで一番大きな形で残せるのは、俺だけ……」
ぐっ、と拳を握る。
「下、見てなんて、いられねえよな」
心に熱を入れ、心を叩き、ヒビの入った心を打ち直す。
もっと強くなるように。
もっと強く立派になるように。
もっと、大切な人に恥じない自分でいられるように。
晴明という、過去から力を受け継がせてくれた信用できない相棒に恥じないように。
麟児という、ずっと自分のために動いてくれていた親友に恥じないように。
千佳という、自分のために泣いてくれたとても大切な女の子に恥じないように。
包帯の女の子、メガネの男の子、今日見てきた街の人々、全てに恥じないように。
母という、誰よりも大切だった家族に恥じないように。
そんなことを思いながら歩いていると、頼漢を見つけた親子が居て、頼漢に小走りで走り寄ってきた。
「ま、待ってくれ、君!」
「あん?」
頼漢はその親子の親の方には見覚えがあったが、子の方に見覚えが無かった。
見覚えがあったが、すぐに思い出せそうな気がまったく無かったため、、眉間を揉んで指をくるくる回して必死に思い出そうとする。
「確かあんたは……クソどもにカツアゲされていた男の人」
「嵐山だ。こっちは息子の准」
「こんにちは! 今日はいい天気ですね、いいことがありそうです」
「お、おう」
嵐山親子の善のオーラ、光の圧、陽の者の雰囲気に、頼漢は一瞬気圧されてしまった。
特に息子の准の方は爽やかの風圧で頼漢を押し流してしまいそうなほど。
息子の方の嵐山は心底感謝した顔で頼漢の肩を掴み、思いっきり顔を下げて、頼漢に全身全霊で全力の感謝の気持ちを伝えていた。
「俺からすれば、父を助けてくれた貴方がヒーローです! ありがとうございます!」
「最近こんなんばっかだな……ヤンキー同士が喧嘩しただけだ、礼は要らん要らん」
「妹の誕生日プレゼントを買うお金まで守ってくれたとか」
「こいつ……そこそこ人の話聞いてねえやつだな……」
「今度妹と一緒にお礼に行きます!」
「家はこの前木っ端微塵に爆散したから今はホームレスなんだわ」
「えっ」
「……冗談だよ冗談」
嵐山親子と別れて、頼漢はほっとしたように深く息を吐き、また歩き出す。
多くの人が助けるのを見てきた。
多くの人が助けられるのを見てきた。
直接的に、間接的に、人は皆繋がって世界を作っていくのだということを知っていった。
そして、最後には。
自分が助けた人を見つけて、自分もその中の一部だと、そう体感した。
源頼漢は特別な世界にただ一人の存在ではない。
この世界に組み込まれた、この世界の中の一人なのだ。
「まだまだ、知らないことが多すぎんな。
俺が人を救うんじゃねえ。
俺が救った人も、またどこかで人を救って、それが続けば、その先にきっと―――」
頼漢の中で、様々なものが噛み合っていく。
特別な一人ではなく、多くの人々の影響が、彼の中に"それ"を組み上げていく。
それは、世界最強の存在ではなく、絶対無敵の守護者というわけでもなく、永劫不敗の戦士というわけでもなかったが―――『"奪う者"にとって史上最悪の存在』として完成する道だった。
歩む足が、自然とどこかに向かっていくのを頼漢は感じていた。
適当に歩いているつもりが、自分の足がどこかに向かっていくことを感じていた。
本能が、身体に流れる血が、頼漢を自分でもよくわからない目的地へと導いていた。
「なんだ」
沸き立つ血が、頼漢をどこかに向かわせる。
「こっちに、何かあるのか……?」
そうして辿り着いたのは、少し前まで人気のない広場であったはずの場所だった。
だが、違う。
根本が違う。
そこは浄域だった。
そこは聖域だった。
戦後の慰霊のために作られた神社の仮殿と同じ方式で作られた、簡易組みの祭壇があった。
黒木で組まれた祭壇が、この場所を通常の世界と区切った"疑似近界"としている。
ここは現世と冥界の境界すらも怪しい異界。
通常兵器の一切が通用しない妖怪が"普通の物理法則の外"に居るのと同じように、この領域もまた、物理法則の外側に在る空間となっていた。
そう。
ここは。
陰陽師が本気の大儀礼を行うために用いる、大祭祀のための領域である。
「晴明?」
『来るか来ないか、正直言って、未来を見ていても、どちらになるかは読み切れなかった』
「?」
『ここに
「どういうことだ?」
『自分と向き合うこと。
特に、自分の負の感情、心の傷、内なる闇に向き合うこと。
それこそが陰陽道の呪を扱う修行の常道だ。
己の中の、己自身を呪う心、自らを蝕む呪いに立ち向かう道を得た』
「それが……それが、なんだよ」
『他者の心を呪いから守る。
自身の心を呪いから守る。
呪いを知り、呪いを否定し、呪いを乗りこなす。
後悔、罪悪感、自責……全ての呪いを越えてこその陰陽師。
怨念消除。
悪口呪縛。
悪夢転換。
晴明のように性格の悪さで他人を呪うことに躊躇いが無かった者もいれば、頼漢のように自身への呪いを乗り越えるものもいて、それぞれに道がある。
ゆえに陰陽"道"。
『
この世とあの世の境界を越え、異界の真実を見つめる目。
それこそが
「……よくわかんねえけど、ここに血を垂らせばいいのか」
頼漢は手の甲を切って、祭壇の術式の中央に血を流す。
祭壇の準備は麟児がした。
霊力の準備は千佳がした。
頼漢が街を巡っている間、雨取兄妹が未来の見える晴明の指示で準備を完了してくれた。
陰陽術の発動媒体は、頼漢の血がある。
必要なものは全てが揃っている。
『―――』
晴明が詠唱し、頼漢の成長した心と血を前提とした祭壇との共鳴が発動し、浄域にして聖域である空間に、光が満ちていく。
この祭壇は、
力を流す大きな
大きな力を流すことで、この世界には無い理外の現象を引き起こす。
平安時代からずっと、そういうものとして機能してきた、ただ一つの機能を持つ
光が流れ、光が周り、光が満ち……全ての光が一点に集まり、凝縮され、そして。
集められた光が、頼漢の母の姿になった。
『……私のこと、見えてる? 頼漢』
「―――母、さん?」
『よかった……また、頼漢に会えた』
息が止まりそうなほど、頼漢は心底驚いた。
「せ……晴明! どういうことだよこれは! 幻覚だったらブン殴るぞ!?」
『招魂祭・禁術屈原之式』
「は?」
『陰陽道の
「―――は」
『あんまり使えるもんでもないんだけどね。
加えて、日本だと死者に使うのは禁術だ。
中国では禁術でないけど日本では禁忌になっている。
理由は……ま、いいか。
日本だと千年くらい前に中原の小倅が使った時以外のは、記録に残ってないんじゃないかな』
「じゃ、じゃあ……この母さんは……」
『間違いなく本人だ。焼き尽くされた肉体から抜けた魂そのものだよ』
あまりにも唐突で、あまりにも望外の、奇跡のような死後の再会。
この領域は、既に伝奇の世界のようにすら見える。
『元気にしてた?』
「あ……うん……母さんが殺されてからは……そんなに……」
『そっか』
「ご……ごめん、母さん!
俺、母さんを守れなくて!
母さんを守るって約束したのに!
いや、それだけじゃない、俺は母さんに謝らないといけないことがたくさんっ……!」
『待って、頼漢』
頼漢は矢継ぎ早に謝罪と懺悔を繰り返そうとするが、母に制止される。
母は優しく微笑んで頼漢を落ち着かせ、一つ一つ、丁寧に言葉を紡いでいく。
『久しぶりに、凄く頭がすっきりしてるの。
壊れちゃった頭が無いからかしら。貴方と話すのも久しぶりな気すらするわ』
「母さん……」
『ずっと、夢を見ていたみたい。
すぐに壊れそうな頭で……
正気になったら全て終わってしまいそうな中で……
私でもどうにもできない私を抱えて、貴方に甘え続けていた。本当にごめんなさい』
「そんな……母さんは悪くないよ! 悪いのは……」
『いいえ』
本人の意志すら無視して心を食い潰す、ゆえに心の病と言われるのである。
ストレスや障害による脳の枷と損傷は、物理的に心を破壊したままにする。
投薬治療を受けた精神病患者が「世界が全く違うものに見えるようになった」と言うことも、大して珍しくはない。
本人が頑張ってもどうしようもないからこそ、そういう人間を食い物にする新興宗教もまた生まれるのだ。
だが、一度死んだことで、そのハンディキャップから解放されたとしたら?
源親子は、ともすれば今初めて、頼漢の父が残した負の遺産の影響が全くない状態で、素の状態で会話できているのかもしれない。
『頼漢。これからお母さんが言うことを聞いてくれる?』
「……うん」
『これまでの人生で貴方に起きた悪いこと、全ては私のせいよ』
「え」
『そう考えて、これからの人生を生きて』
「な……何言ってんだよ母さん! そんなことできるわけないだろ!?」
『そうしないといけないの。
だって、私は貴方のお母さんなんだから』
「意味分かんねえよ!」
『子供が大人になる前にしてしまったことの責任は、親が取るものなのよ』
「―――あ」
『だって、子供は悪くないもの。
子供が悪いことをしたのは、親のせい。
親がちゃんと子供を育ててあげられなかったせい。
頼漢は、私なんかにはもったいないくらいの子だったわ。
そんな子に悪いことをさせてしまったのは……壊れた私が悪かったの』
頼漢の母は、心底申し訳無さそうに、罪悪感に濡れた表情をしていた。
膨大なストレスで心が壊れてしまう前は、どれだけ繊細で、どれだけ優しく、どれだけ他人を想える女性だったのか……今になってようやくそれが分かるということが、最悪だった。
『だから、もう自分のせいだなんて言わないで。
貴方のせいなんかじゃないの。
それだけが本当に心残りで、それだけは正したかった』
「……」
頼漢は、はいともいいえとも言わなかった。
言えなかった。
はい、と言えば全て母のせいになる。
そんなことは受け入れられない。
いいえ、と言えば母の願いを否定することになる。
そんなことができるわけがない。
もごもごと何も言えない口を動かしている頼漢を見て、母は思わず笑ってしまった。
『本当に頑固で、家族思いで……誰に似たのかしら』
「母さんでしょ」
『あらあら、ふふふ』
母は笑うが、その指先がほどけ、母の身体を構成する
頼漢の母の身体を構築するのは霊体、トリオン体と呼ばれるものだった。
不安定な彼女の身体からは常にトリオンが漏れており、トリオン漏出過多になった時点でその身体にはヒビが入り、崩壊して消滅してしまうのである。
「!」
『ああ、話したいこと、たくさんあるのに……時間は無限じゃないのかしら』
「か……母さん……」
『伝えておかないといけないこと、ちゃんと伝えなくちゃ。
あ、ご飯変えないとだめよ!
虫に雑草に小麦粉なんてだめ!
虫や雑草の栄養を勉強したのは偉い、って思うわよ?
でも、見てて心配になっちゃう。
それと、それと、あとは、ちゃんと教えておかないといけないことは……』
頼漢の母は慌てて、年齢不相応に可愛らしい動きであたふたしながらあれやこれやと考え、そして自分の言うべきことに気がついた。
『頼漢、貴方の名前はね、幸せの木の名前なの』
「幸せの、木?」
子の名前の由来を教える。
親が子にどんな願いを手向けていたかを伝える。
それもまた、『親のするべきこと』の一つ。
『ヨルカって言うのはね、ロシアでのクリスマスツリーの名前なの』
「クリスマスツリー……?」
『海外遠征の時に教えてもらったの。
クリスマスツリーはね、雪の国だと信仰されてるのよ。
冬でも枯れることがないから。
降り積もる雪から木に寄り添う人間を守るから。
吹雪から人間を守る盾にもなってくれるから。
クリスマスに飾り付けられて、皆を幸せにしてくれるから』
「俺の名前は、そこから?」
『ヨルカという名前には、そういう祈りを沢山込めたわ』
源頼漢の、誕生日は。
―――12月生まれのヨルに対して4月生まれの俺は八ヶ月分年上ってわけだ
―――卑劣な早生まれがよ……!
麟児も覚えていたように、12月25日である。
その名前には、母が込めたありったけの祈りがあった。
名に込められた意味の数、名に込められた祈りの強さが、そのまま母の愛だった。
『誰もが頼れる男の子になってほしかったから、頼漢。
誰だって幸せにできる男の子になってほしかったから、ヨルカ。
あとね、お坊さんに教わったんだけど。
苦しみや欲望を乗り越えて絶対に地獄に落ちない人を、
「母……さん……」
『ふふふ。
生まれる前から期待し過ぎちゃいけないって思ってたんだけどね。
でも、生まれてくる貴方が立派になって、幸せになってくれたらなって願っちゃったわ』
ここまで我が子を愛し、我が子のための祈りを持っていた母だったのに。
―――母親が、
奪う者に、最終的に薬でも抑えられないほどの不可逆の破壊をされてしまったから。
こんなにも手遅れになってようやく二人は、普通の親子のような会話を交わすことができた。
母が死ぬまで、母が息子に伝えることを許されない愛の言葉があった。
『どう、頼漢。幸せになれそう?』
「そんなの……わかんないって」
『大丈夫よ、貴方は自慢の息子だから。私にだって幸せはあったのよ?』
「え……だって……母さんの人生には……」
『貴方が居たわ』
「―――」
『貴方が居たの、頼漢』
理不尽に何もかも奪い尽くされた頼漢の母が、最後に残された命と壊れた心さえ奪われて、魂だけになってようやく、息子にちゃんと伝えられる想いがあった。
『ね、胸を張って。
貴方は世界で一番の息子よ。
私にとってそうだから、そうなの!
貴方が大好きな家族で居てくれたから、私の人生の最後に救いが出来たのよ』
「かあ、さ……」
『どうか、沢山の人の笑顔を守れるような、素敵な男の子に育ってね』
「母さん!」
頼漢が悲痛に母を呼ぶ。
母の身体が、光になってほどけていく。
頼漢の瞳から、透明な雫が流れ落ちていく。
源氏の
『だって貴方は、いつだってとってもいい子で、私の自慢の息子なんだから』
頼漢には、母に言われたかった言葉があった。
母から貰いたかった言葉があった。
欲しかったものは全て手に入った。
母が、それを全てくれた。
こんなにも手遅れになってから。
『貴方のとっても素敵なダンス、最後まで見れなくてごめんね!
お母さんなのにショック受けちゃって、壊れちゃってごめんなさい!
でもね、とっても素敵だったと思うわ。
今度はお母さん以外の誰かを喜ばせるために、踊ってあげなさい?
そして、大切な人とずっと仲良く暮らしなさい。
いい、覚えておいて。一つだけ、ずっと。
貴方の"するべきこと"なんて本当は、貴方が幸せになることだけなのよ』
「っ、か、かあさ」
『貴方のおかげでずっと私は報われてたって言えるくらい、ずっと自慢の―――』
「母さ―――」
頼漢の母が、母だったものになっていく。
頼漢は叫んだ。
二度目の死別に、思い切り叫んだ。
その叫びの大きさが、そのまま彼が母に向けていた愛の大きさだった。
見守る晴明は、感情を噛み潰し、内心を読ませない作った表情を保っていた。
されど、動かないのは表情だけ。
その内側には、頼漢と出会い掛け合いを繰り返す内に蘇った熱い感情が、黒い土蜘蛛への怒りがふつふつと煮え滾っていた。
『頼漢は、間違ってなかったのかもしれないね。
無論、彼の母への動かない愛が障害になっていたことは確かだけど……
本来の頼漢の母君は、頼漢にそう愛されるに相応しい心を持った、愛深き母親だった』
晴明同様に陰から見守っていた麟児が、口を開く。
「ヨルのお母さんは、どうなったんですか」
麟児もまた、思うところが多大にあるようだが、それを露骨には表に出さない。
『禁呪の招魂祭は、復活の儀式じゃない。
死者の魂を呼び戻し昇華するためだけの儀式だ。
呼び戻された魂は"鬼から転じ子孫を守る守護霊となる"……と、中国の文献にはあったね』
「守護霊、ですか」
『招魂祭で鬼から守護霊に変えられた魂は、子孫の幸福と安全を守るらしい』
「じゃあ……子のヨルも守る、ってことですよね」
『そういうこと』
麟児の陰から頼漢と母親の会話を見守っていた千佳が、目尻の涙を拭う。
「よかった」
周りの話を聞きながら、"本当によかった"と、千佳は掛け値なしに思った。
「ヨルカさんがお母さんとちゃんとお話しできて、本当によかった……」
麟児は柔らかい表情で、小さい千佳の頭を撫でている。
千佳はなんで撫でられているのか分からないという顔をしていたが、心地良さそうに素直にされるがままにしていた。
母との別れを済ませた頼漢がこちらに向かってくるのを見て、三人は背筋を伸ばした。
麟児がいつも通りの不敵な笑みを浮かべ、誘うように語りかける。
「ヨル。俺は……お前となら何にだって勝てると思う。それは、お前がお前だからだ」
もう、あまり時間はない。
ほどなくして、勢力Bが千佳を狙って過去最大規模の手勢を送りつけてくる。
「ああ、俺もだ、麟っち。見せてやろうぜ」
だが、この場に居る誰一人として、負けてやるつもりなどない。
今ここに在った親子の愛を、敗北と破壊などという結末で終わらせてなるものか。
四人の心と想いは、凸凹ながらも、確かに一つになっていた。
「この世界を人間牧場かなんかだと勘違いしてるクソカスどもに……俺達が、何なのかを!」
やりたいこととやるべきことが一致し、"するべきこと"がより一層強い意志で願われる。
願うは未来。
頼漢の母が、愛する我が子が生きてほしいと願った、幸多き輝ける未来だった。
予知の時刻が、刻一刻と近付く。
麟児の工作で市民は出現予定位置からどんどん離れていっているが、それでもまだ何も気付いていない人間や、他の地区からこちらに来る人間、危機感が薄い人間は残っている。
戦場から人を無くすことは不可能だ。
戦いは相当考えながらの立ち回りを強いられるだろう。
頼漢は不安そうにあっちへふらふらこっちへふらふらしている千佳の肩を優しく掴み、不安そうな千佳を落ち着かせていく。
「千佳っち、あんま皆から離れるなよ。どんと構えとけ、どんと」
「は、はい。……『門』って、どういう風に開くんでしょうか?」
「どうだろうな。俺も開いたところ見たことねえし」
『門』。
それが開く時、そこから敵が現れるというのが、晴明からの説明であった。
元々『門』は日本でも中国でも首都の北東に開く事が多く、そこから現れた鬼が最大の脅威となったため、北東を『鬼門』と言うようになったという。
妖怪が這い出る闇の門。
それが開く時、鬼が出るか、蛇が出るか。
「ヨル、これ持ってけ」
「なんじゃこら。耳栓? 川ん中入れってか?」
「違う、インカムだ。これを耳に付けると俺と常に通信ができるから……」
《 こんな感じに、通信音声として俺の声が届く。ちゃんと聞いておいてくれ 》
「オッケーグーグル」
『それ
高そうなインカムの構造がよく分からない頼漢がインカムを千佳に付けてもらっていると、麟児が高そうなバイクを引っ張り出してきて跨ったので、頼漢は思わず突っ込んでしまった。
「バイクって何歳から乗れるんだったっけ……」
「ヨル。バイクに乗るために必要な資格はたった一つ、勇気だけだ」
「それっぽい胡乱な理屈をぶっこんでくるな」
「ま、俺器用だから。バイクもそれなりに乗れて晴明さんよりは活躍できるさ」
『Wikipediaに単独記事もない分際で……肉体さえあれば……!』
「なんで日本歴代最高の陰陽師がこんなに自尊心をWikipediaに依存してんだよ」
空間がみし、みし、と、音も振動もなく軋む。
真っ先に気付いたのは、"気配"を察知する力を持った千佳だった。
千佳が不安そうに頼漢の袖をぎゅっと掴んだことで、千佳に続き頼漢も気付く。
「気に入らねえなあ。ああ、気に入らねえ」
袖を掴む千佳の手をぎゅっと握ってやり、頼漢は千佳を落ち着かせようとする。
だが、千佳は怯えていたわけではなかった。
心配していただけだった。みんな怪我なく終わればと、それだけを願っていた。
「あの……無理、しないでくださいね」
「悪ぃ、無理はするわ。俺の血は切り札だしな」
しょんぼりする千佳の手を握ったまま、頼漢は熱を孕んだ声で語りかける。
「俺の勝ちは、俺が無事なことじゃねえ。お前が無事なことだ」
「……あっ」
「兄貴の言うことちゃんと聞いとけよ。
そしたら、お前の最高の兄貴と最高のダチが、お前を息をするように守ってやるから」
「……うん……はい。信じてます」
「よし」
「信じてます」
「二回も言わんでも。俺と蜘蛛切の勇姿を見とけよ?」
「何回だって言いますよ」
ゆるい笑顔になった千佳の手を離し、頼漢は虚空に手を伸ばす。
虚空から流星のように現れた蜘蛛切を、頼漢は俊敏に掴み取った。
千佳は麟児に渡されたヘルメットを被り、麟児の後ろに乗ってバイクに跨る。
「来たな」
「来たね」
『来たぞ』
そして、世界に穴が空いた。
現れる敵。妖怪の群れ。群れ、群れ、群れ。
一瞬で両手の指で数えられないほどの妖怪が現れて、まだまだ穴から這い出してくる。
そう、妖怪は単体では極大の脅威ではない。そんなものでは歴史に残らない。
これが、これこそが、妖怪の本質。強い駒の一つや二つでは防ぎきれない、脅威の洪水。
源氏の強兵が安倍晴明と協力しても、なお一度に数え切れない一般人を喰らわれた大災害。
『百鬼夜行』だ。
「な、なんだ……!?」
「SNSでフェイク扱いされてたやつじゃん!」
「やべーこっち来るぞ!」
街は一瞬で大パニックに陥った。
隣の県からでも見えるというレベルの大怪獣ではない。
だが、三階建ての家屋にも匹敵する
隠し神の体当たりは木造住宅を押し潰し、土蜘蛛は全速力で逃げるバスに取り付いていく。
他の妖怪達も、次々と人に襲いかかっていこうとする。
そうはさせじと、彼らが動いた。
『さて、新装備のお披露目と行こうか』
《 ヨル、序盤だけでいい、派手めに動いてお前の方で注意を引いてくれ 》
「りょーかい。トリガー・スタート」
《 蜘蛛切・真打起動 残り時間を表示します 》
隠し神が、北と南から大勢の人を挟み込むように動いている。
逃げ道を塞いでしまえば、一気に沢山殺せる、あるいは拐えるからだ。
怪獣二体に挟み撃ちにされた人々は焦り、嘆き、泣き、混乱しながら思い思いの叫びと共に逃げようとする。
けれど、逃げられない。
「助け―――」
「お母さん……!」
「わああああああああああ!!」
そんな風に人々の心を追い詰める妖怪達を、光り輝く刃の使い手が強襲した。
《 参 》
ビルの壁を走って"高さ"を確保し、隠し神の弱点と頼漢の高さを合わせて、平行に跳躍して隠し神の口内にある弱点を切断。
これまでの頼漢のどの動きより遥かに優れた身のこなしで、南から迫る隠し神をあっという間に死に至らしめた。
《 弐 》
倒した南の隠し神を足場にし、そのまま全力の跳躍を実行。
挟み撃ちにされていた人々の頭上を飛び越え、空中で身体を捻り、すぐさま高速斬撃を放つも、北の隠し神は素早く反応、身をよじって斬撃が急所に当たらないようにする。
斬撃は惜しくも、急所でない頬辺りに命中した。
だが、この斬撃は誘導の一手。
《 壱 》
頼漢は頬に刺さった蜘蛛切を基点に身体を動かし、蜘蛛切を足場に一歩踏み込み、隠し神の口の中にあえて踏み込んだ。
三階建てサイズの敵なら、口内に滑り込むのは十分に可能。
流れるように突き刺さった蜘蛛切を引き抜き、そのまま口内の弱点を素早く両断した。
北の隠し神もそうして、二度と動けない妖怪だったものとなる。
《 零 》
あまりにも速い、超高速の二連撃破。
あまりにも速かったがために、北と南の隠し神が路面に倒れたのは、ほぼ同時のことだった。
超重量の怪獣が倒れるだけで、街の路面は軽く揺れる。
《 蜘蛛切・真打を終了します 》
頼漢は隠し神の挟み撃ちにあっていた人達に逃げるべき方向を示し、その不安を拭うため、笑って適当なことを言った。
「怯えるなよ、通りすがりの皆さん。
こんな図体デカくて戦えるだけのカスより、皆さんの方がずっと強いんだぜ?」
頼漢は走る。
敵が多すぎる。
守るべき人間が多すぎる。
拐おうとするだけならいい。
胸の奥まで抉られ殺された場合が最悪だ。
殺された人間を蘇生することは叶わないのだから。
《 そのまま北進……急いでくれ! 》
頼漢しか戦える者がいない以上、頼漢が三面六臂の大活躍をするしかない。
いや、違う。
三面六臂程度では足りない。
どう考えても、この戦局では三十面六十臂はなければ余裕ができない。
頼漢一人に、三十人分の仕事量が求められていた。
「急いでるっつの! ああクソ、気合い入れろや俺の体ァ!!」
遠くで、頼漢が見たことのない大型妖怪が、三体同時に光線を吐いた。
光線は一直線に直進し、駅前に密集した人間に向け飛んでいく。
死なない程度に全員をズタボロにするために。
光線が迫って、迫って、迫って。
「トリガー・ブロック」
《 隠神盾・起動 残り回数2 》
頼漢が左手をかざすと、左手の装備が起動した。
いくつもの白い六角形が稲妻のようにバチバチとした
それが、妖怪の光線を弾き散らした。
これは黒い土蜘蛛が使っていたバリアとは基幹技術からして違うもの。
京都で御所を守るために使われた、陰陽結界の一種であった。
展開を終了すると、分散して巨大な盾結界を作っていた六角形は、折り重なって頼漢の左手の上に戻る。
「あの光線撃ってくるやつは?」
『"名無し"だ。
命名者は源頼光の息子、頼国。
現代だと尾張徳川系の資料に記録されてるはずだ。
現在では角の生えた、鱗の胴体と、光線を出す珠をもった妖怪として伝承されてるね。
まあそれは、平安以降にアフトクラトルの鬼の伝承と混ざっちゃったからなんだけども』
頼漢は視線を一瞬動かし、敵勢力を確認する。
高速近接戦闘型の土蜘蛛。
そして人間捕獲型の怪獣、隠し神。
後衛として光線を吐き出しているのが名無し。
それと、空にも何体か見覚えのない妖怪が見える。
頼漢が知っている妖怪で、居ないのは子蜘蛛くらいのもの。
数秒無駄にしただけで、住人が何人かは殺されそうな陣容だった。
駅前の人達が避難を始めたのを横目で確認し、頼漢はすぐに移動を始める。
「遠距離型だよな? 今の光線何度も撃たれたくねえぞ、こっち飛び道具一個もねえんだ」
『連射はできない。立ち回りを工夫すればなんとかなるはずだ。次の一斉掃射まで2秒』
「おっけ」
また飛んできた光線は、今度は頼漢を狙っていた。
しかし、それは妥当な悪手。
人を狙っていないのであれば、頼漢は防ぐ必要が無い。
空へと跳んだ頼漢の体が、発射された数本の光線の間をくぐり抜け、空で踊るかのように、鳥より自由であるかのように、頼漢は空でくるくると舞う。
身のこなし一つで建物の上に器用に着地し、ふぅと一息。呼吸を整えた。
『土蜘蛛の刀。
隠し神の盾。
子蜘蛛の靴。
ただし忘れないように。
靴は二時間は使えるけど、盾は刀と似たようなもので……』
「三回までしか使えない、だろ? 分かってる!」
モールモッドの爪は、加工されて頼漢の刃に。
バムスターの装甲は、圧縮加工されて頼漢の盾に。
ラッドの表皮と足は、靴に加工されて頼漢の足となった。
殺しの刃。守護の盾。壁走りの靴。
源氏の
これこそが頼漢が山を降りてまでわざわざ回収しに行っていたもの。
妖怪の一部を使って足りない戦力を補い続けるその姿は、まさに奪う者から奪う者。
人間から一方的に奪い続ける化け物から全てを奪う、因果応報の化身である。
《 ヨル、5秒後に北側に一つ隣の大通りに移れ。土蜘蛛は連れてくるな 》
「気楽に言いやがって!」
屋上に上がってくる土蜘蛛が一体。
移動までの制限時間5秒。
しかし麟児の指示に反せば、きっとどこかで誰かが死ぬ。
頼漢はリスク覚悟で、屋上に上がってきた土蜘蛛に捨て身で突っ込んだ。
振るわれる猛攻。全てが必殺。蜘蛛の足は数、速度、威力の全てを伴っている。
「しっ!」
複数のブレードが頼漢の全身に切り傷をつけ、その惨殺空間のど真ん中をぶち抜くように、3秒を使い切った蜘蛛切の突きが土蜘蛛を吹っ飛ばした。
吹っ飛ばされた土蜘蛛は川に落ち、頼漢はとにかく急いで指定地点へと向かう。
頼漢が道路に転がり込むとほぼ同時に、バイクがそこに走り込んできた。
麟児が運転し、千佳が後ろに乗っている。
麟児が少し速度を落とし、頼漢が掲げた蜘蛛切と、千佳が掲げた手が触れた。
「私の力、使ってくださいっ」
「助かる!」
《 武装 臨時接続 霊力吸収 》
千佳の膨大な
これこそが切り札。
これこそが打開策。
先日の戦いで頼漢がした黒い土蜘蛛のトリオンを奪ってもう一度3秒を使うやり方を、晴明が調整した蜘蛛切と千佳で再現し、幾度となく3秒を叩き込むという戦術である。
過去は消えない。
過去は無かったことにはできない。
頼漢の母が殺されたことで、頼漢は真の意味での成長を迎え、その時の交戦が新たな戦術構築のヒントになった。
悲劇を越えれば、人は様々な形で強くなる。
「麟っち!」
《 分かってる 》
そして、
此処が、麟児の巧みで悪辣なところであった。
妖怪を倒せるのは頼漢だけ。
妖怪の主目的は千佳だけ。
頼漢を倒せば以後安全に千佳を狙える。
千佳さえ確保すればもう帰ってもいい。
ついでに地球の霊力が高い一般人を拐う必要もまるでなくなる。
だが、頼漢を狙えば千佳がチラつかされ、千佳を狙えば頼漢がチラつかされる。
千佳を夢中で追えば頼漢に後ろから攻撃され、頼漢を警戒して動くと千佳を見失う。
そういう駒の動かし方を、麟児はしていた。
そして、その二択に振り回されている時点で、妖怪は術中にハマっている。
頼漢と千佳のどちらを狙うにしても、麟児に誘導され、三門市の特定範囲にのみ妖怪が集まっていくようになる。
"普段より一般人を襲えていない"自分達に、妖怪はまるで気付いていなかった。
街中そこかしこで妖怪が暴れていれば、妖怪は仕事をしていると言える。
しかし頼漢か千佳を追い、この二つの駒におちょくられてほとんどの妖怪が仕事をできていないのであれば―――大半の妖怪は、遊んでいるのと同じ。
数の差は、戦略によって埋められる。
《 よし、悪くない。頭のいい指し手ほどの知能レベルはないな、妖怪には 》
「妖怪と知能レベルで大差あるとは思ってねえから複雑な気分だぜ……」
頼漢は麟児に感心し、頼れる親友に二ッと笑う。
そして、次の3秒をどこにぶつけるべきか考え、視線を動かし始めた。
『頼漢、あっちを先に片付けよう。
空を見ろ、『
偵察型の妖怪だね。
アレを先に片付けておかないと、この先の未来で確実に詰む』
「了解」
空を舞うは小型飛翔偵察妖怪、
空に浮き、上から戦場を見下ろして、仲間達に敵の位置を送信している。
頼漢は壁を走って、空へと跳んで、展開3秒全てで空を舞う敵を膾切りにした。
まるで、空飛ぶ鳥の群れを刀一本で、かつ一瞬で、全て首を落とすに等しい妙技。
3秒で飛び道具のない頼漢が空飛ぶ敵を殲滅するのは難行だったが、頼漢は容易く達成した。
『街を大きく西回りに移動しながら戦おう。それが一番勝率の高い未来に向かっているから』
《 現在地を定期的に呟いてくれ。最適な移動ルートをこっちで指示するから 》
「俺の代わりに二人が余分なこと全部考えてくれんのめっちゃ楽~~~」
『おい』
《 こら 》
「ヨルカさん、楽しそう……じゃなくて、嬉しそうですね」
「分かるか? ああ、楽しくはねえが、今、俺の人生の幸運ってやつを噛み締めてる」
千佳が引きつけ、隙を見て頼漢にトリオンを渡す。
麟児が考え、動かし、千佳を守りながら戦いの流れを作る。
晴明が未来を見ながら情報を出し、妖怪知識、陰陽術でのサポートを行う。
そして、頼漢が倒す。
四人で一つの、戦うチーム。
戦士と、お姫様と、幽霊と、オペレーター。
常にひいひい言いながら、四人でできることをして、"奪う者"をぶん殴る。
頼漢にできることは、敵を倒すことだけだけれど。
みんなが居るから、全てを守れる。
信じられるから、支え合える。
"支え合うのがこの世界"であると、頼漢は己が深奥の答えに到達しているから。
人間を喰らおうとした隠し神の口の中に車を一つ投げ入れて、人間を食べられないようにして、何体もの妖怪が何百人という人を喰おうとする公園を、犠牲0で頼漢は乗り切る。
「俺は1人じゃねえ。仲間が居る。チームだ。そして」
頼漢がマンホールの蓋を踏み、構造的に起こらないはずなのに、どういう力学か跳ね上がったマンホールを掴み、頼漢は全力でぶん投げる。
重量40kg、時速200kmの速度で投げられたマンホールの蓋は土蜘蛛の顔面に直撃するが、大してのけぞりもしない。
しかし『一枚目』を目眩ましとして投げられた『二枚目』は土蜘蛛の歩行足の一本に衝突、人を襲おうとしていた土蜘蛛を転倒させた。
「俺が1人じゃねえってことは、テメエらの見る全ての人を―――1人にしねえってことだ!!」
新たに発動された3秒が、転倒した土蜘蛛の急所を横一文字に両断する。
まだ、まだ。
妖怪が狙える
元より、今回の敵の首魁は勢力B。
千佳を主に狙っているが、千佳のように強力な人間を狙っているということは、千佳以外の才能ある人間もついでに獲れるなら獲りたいと思っているということだ。
この街の一角で友達と遊んでいたある少年も、"ついで"で回収された。
友達と離れてしまったところを、隠し神の大きな口でひとくち、バクン。
飲み込まれて消化されるかと少年は思っていたが、非常に狭い密閉空間の中に閉じ込められ、ぎゅうぎゅう詰めにされて動けなくなってしまう。
友達から肝が太いと言われる少年であったが、光も差さない暗闇の中、物か何かのように押し込められる扱いは、流石に心に恐怖が芽生えた。
捕獲性能が高い隠し神は、そうして千佳の"ついで"を捕獲、能力が低い人間は殺害してトリオン器官だけを回収しようとしていく。
―――"ついで"で人を拐い、人を殺そうとするなど、今の頼漢が許すはずがないのに。
隠し神の腹が裂かれる。
腹が一瞬でバラバラにされ、解体された腹から喰われた人達が露出する。
腹の無数の裂け目から光が差し込み、そこから伸びてきた手が、少年を妖怪の腹の中から引っ張り出した。
引っ張り出したのは、黒髪混じりの金髪の男。その右手には、輝きの消えた大太刀があった。
「もう大丈夫だ。よく頑張った、よく泣かなかったな、少年。それでこそ男だ」
「……やー、なんか暑苦しい人が助けに来たもんですね」
「文句あんなら次助けてやんねーぞ」
「いやいやいや! 感謝してますって!」
「冗談だ。無事でよかったよ。ほら、あっちで友達が呼んでんぞ、一緒に逃げとけ」
「出水ー!」
「た、助かってる……!」
「消化されてなかった……! よかった……!」
「そうしときます。どっちが安全ですかね?」
「北西に走れ。あの化け物みたいなクソカスどもは、俺が全員ブチ殺しておく。はよ逃げろ」
「あざす!」
少年が逃げていくのを見送り、頼漢は妖怪の腹の中から喰われた全員を助け出す。
運良く死者無し、怪我人無し。頼漢は心底ほっとする。
頼漢が額の汗を拭いながら周囲を見渡すと、先程の少年が逃げ遅れた老人を背負って走って逃げており、頼漢は思わず笑んでしまった。
「いいな。かっこいいぜ、少年。そういうのが……本物の勇気ってやつなのかもな」
『今の流れは危なかったが、なんとか立て直した。ギリギリだったね』
「妖怪に喰われたら能力低いやつは胸抉られて殺されるしな……運が良かった」
『未来視で危険な方から回るようにしているからね。
だが確実なことはなにもない。
この戦いの結末は、まだ何も決まっていないんだから』
《 ヨル、東側の避難集団をカバーしてくれ。かなり危険そうだ。三丁目からが良い 》
「分かってる、走るぞ!」
頼漢は走る。
麟児の
戦力差に圧殺を回避できているのは、六割ほど戦場をコントロールしている麟児のおかげであると言っていい。
だが、じりじりと押され始めていた。
頼漢らが避けたい妖怪の殺人も、だんだんと"運良く人が死ななかった"くらいの案件が連続するようになってきていて、暗雲が立ち込め始めている。
元より、戦士は頼漢一人。
手が足りない。
武器も足りない。
守るものが多すぎて、奪う者が多すぎる。
頼漢が避難集団の者達を視界に入れた時、既に人々に
「くそ、土蜘蛛が……駄目だ、間に合わねえ!」
虎の子の、補給できない三度の盾を急場しのぎにここで切る。
「トリガー・ブロック!」
《 隠神盾・起動 残り回数1 》
いくつもの白色の六角形が飛び、展開された結界が避難集団の盾となる。
頼漢は飛ばした盾を土蜘蛛が突破しようと夢中になっている内に、土蜘蛛の背中に飛びつき、蜘蛛切を振り上げた。
「トリガー・スタート。
《 蜘蛛切・真打起動 一秒のみ展開します 》
一秒のみ展開し、その一秒で急所を貫き、土蜘蛛を永遠に沈黙させた。
1秒使い、残り2秒分残し、ギリギリの領域で無補給で戦える状態を維持する。
顎下から垂れそうになった、血なのか汗なのか分からない液体を袖で拭き、頼漢は避難集団に逃げ道を提示した。
「こっからなら北上して逃げてくれ。そいつが一番あのゲロカスどもから逃げやす―――」
「ん? あら、久しぶり、中学中退くん」
「ほげっ加古っち……じゃなかった知らない人ですね」
「ちょっと」
「失礼します!!!」
が、なんか昔の知り合いが居たので逃げ出す。
元宗教信者の家だった頼漢には、この街に顔を合わせたくない人間がだいぶ居た。
言ってしまえば、この前まで麟児ですら顔を合わせたくない枠だったのだから、それと同枠の人間と考えればどんな因縁があるかは想像に難くない。
「やべーやべー、流石に顔合わせたくねえ知り合いと顔合わせる回数が増えてきたぞ」
『
「学校で俺に優しくしてくれたのに、母さんが宗教勧誘かけて絶縁された人も居るんだよクソ」
『うわぁ』
「あー! クソ! 全てがクソ! そして一番クソなのは過去の俺なんだよなぁ!!」
《 真面目に戦えMr.黒歴史パラダイス 》
「ウッス」
《 南下してくれ。砲撃持ちの名無しの動きがおかしい 》
「おかしい?」
《 この移動先だと射角が取りにくいはずだ。だがここからでも狙える場所がある。病院だ 》
「!?」
《 地球人だったら病院爆撃は戦争犯罪だ。だけど異界の妖怪に、戦争法なんて関係ない 》
「クソが次から次へと! ちっとは大人しく無難な動きばっかしてやがれッ!」
頼漢は走った。
ここまでの連戦で傷んだ足が強く痛む。
隠し神の突撃の余波で打った足が、土蜘蛛の斬撃で切り傷がいくつもついた足が、もう動きたくないと悲鳴を上げている。
それでも、生き残った最後の
「嘘だろマジで狙ってやがる……!」
『盾はラスト一回だ!』
「分かってる! こんなの
砲撃を止められず、病院も守れない。
頼漢は最高最速の走りで名無しの射線に割って入り、最後の一回をここで使った。
否。使わされた。
「トリガー・ブロックッ!」
《 隠神盾・起動 残り回数0 》
放たれた極太の砲撃を、最後の盾が防いで散らす。
盾の使用回数アナウンスは頼漢の脳内にしか響いていない。
使用回数制限はバレてはいなかったはずだ。
それでも、妖怪達が"頼漢のリソースを削る"戦術を有効だと判断し始めたのは……頼漢の
頼漢はトリオン弱者である。
その事実は変わらない。
ゆえに、頼漢一人が相手なら、妖怪達はいくらでも取れる手段があった。
盾の残数は既に0。
頼漢は使えなくなった盾を、デッドウェイトとして投げ捨てた。
「クソッもう新装備一個無くなったぞ! クソが! 死ね! いや、俺が死ぬ!」
『困ってしまうねえ』
《 走れヨル! ここで名無しにもう一度砲撃光線を撃たせると病院が終わる! 》
「分かってる! とっととルート示せやカーナビっ! 次の交差点をどっちだ!」
《 カーナビ!? 》
『今から走って間に合う……間に合うか……間に合う未来確率は二割だ!』
盾を捨てての全力疾走。
ラッドを改造した子蜘蛛の靴で壁を走り障害物を無視できるとはいえ、足が速くなるわけではない以上、彼我の距離はどうにもならない。
間に合うか。
間に合わないか。
次の砲撃までに距離は詰められるのか。
……間に合わない、かもしれない。
ほんの少しだけ、距離が遠すぎた。
「捕獲が目的の妖怪が殺害が目的の砲撃備えてんの矛盾してんだろ! クソが!」
『あれで施設を攻撃して、怪我だらけになって逃げてくる人間を待ってるんだ。クソだね』
「マジクソ。病院狙うのは……外道だろうがやっちゃぁいけねぇことだろうがァッ!!」
あと二秒。
あと二秒早ければ、届いたかもしれないのに。
あと少しだけ、頼漢に疲労と負傷が蓄積していなければ、間に合ったかもしれないのに。
口を開ける
発射時点での距離が近すぎる。これでは、どうやっても回避のしようがない。
《 間に合わ――― 》
『いや、これは』
「らァッ!」
その瞬間。
頼漢は跳び、けれどかわしきれず、子蜘蛛の靴で、光線を"蹴った"。
《 !? 》
トリオンは通常物質を一方的に破壊する。
トリオンはトリオンで受けられる。
それがルール。
頼漢は粉々になっていく靴、衝撃で血まみれになっていく足、衝撃でぐわんぐわん揺れる自分の中身を代償に、病院を撃たせず、己も生存を勝ち取った。
空中の蚊を片手で叩いて、衝撃で殺すのは難しい。
頼漢は上手く衝撃を殺し、頑強さで全てに耐えた。
走ることも再開し、今度こそ発射直後のバンダーの隙をつく。
だがバンダーは口を閉じ、口の中の急所を守りに入った。
頼漢のブレード展開最大時間は3秒。
3秒であればしのぐこともできる、という判断か。
「トリガー・スタート、
《 蜘蛛切・真打起動 一秒のみ展開します 》
頼漢はグリップトリガーを引き一秒発動、そして蜘蛛切の柄を
右手は名無しの上顎、左手は名無しの下顎を掴んで、名無しの口を力尽くでこじ開ける。
そしてこじ開けた隙間を通すように、足で持った刃を振るった。
あまりにも馬鹿げた動きを一秒以内に完遂してきた源氏の化け物に、名無しはまともに反応することすらできず、口内の弱点を両断され、大地にその身を横たえた。
『冗談みたいな動きをするな……』
「ハァッ、ハァッ……」
平安時代の剛僧、天台宗実因は足の指の間に八個のクルミを挟んで割った。
つまり、足の指の挟む力だけで、最上層の格闘家の握力に匹敵するということ。
ならば剣も握って振れるはず。
平安の僧ができるのに、源氏の
『新装備両方無くなってしまったね』
「ハァ、ハァ、だいぶしんどい……いや、しんどくねえが? 平気だが?」
《 今効いてないアピールいる? 》
『頑張るね。その意気だ』
頼漢は靴さえ無くして走る。
麟児は頼漢の動きを利用し、千佳を上手いこと囮に使って妖怪の動きを誘導、遊んでいる駒を増やして頼漢に有利な形を作っていたが、ここに来て方針を迷っていた。
頼漢の消耗が激しい。ダメージも大きいが、武装の損耗が激しすぎる。
蜘蛛切まで壊れれば、その時こそ、もはや打つ手はなくなるだろう。
《 ヨル、市民を守りたいのは分かる。
だが無理は禁物だ。
お前さえ無事ならいくらでも立て直せる。
時には多少の犠牲を前提で動くくらいでも…… 》
「違ぇ、違ぇんだよ麟っち。全員同じだ。全員等しい。全員対等なんだ」
《 ヨル? 》
「みんなみんな、この世界の一部なんだ。
欠けちゃいけねえ。
奪わせちゃいけねえ。
俺が世界の一部で、みんなも世界の一部なんだ。
特別なやつも特別じゃねえやつも居ねえんだ。つまみ食いなんかさせるかよ、なあ―――」
文学少女風のメガネの少女を丸呑みしようとしている隠し神を発見し、その背に飛びつき、素足で頼漢は駆け上がる。
「―――この世界の全ての人が、俺の生きる理由だ! 勝手に取ってくんじゃねえコソ泥ッ!」
隠し神が頼漢の存在に気付いた時には、その頭部に最後の一秒を突き立てていた。
「トリガー・スタート、
《 蜘蛛切・真打起動 一秒のみ展開します 》
頼漢は自分が生き残るためでなく、誰かを救うために最後の一秒を使ってしまった。
麟児、晴明は地味に厳しい顔をする。
妖怪が集まってきていた。
ここを切り抜けるのに、最後の一秒が無いのは厳しい。
だが、それを受け入れられる程度には、晴明も麟児も頼漢のやり方が嫌いではなかった。
「俺がここで!
このクソどもから人を守るってことは!
人のためって話じゃねえ!
俺が感謝されるようなことでもねえ!
もっと大事で、もっとデカくて、あのクソどもが理解できてねえ話なんだよ!!」
《 またなんか面白い結論を出したんだな、後でじっくり聞かせてくれ 》
「飯食ってからなっ!!」
妖怪が街の合間を縫うようにして、頼漢の現在地周辺にぞろぞろと現れ始める。
《 待て、3秒使い切ってるだろ? 一度逃げて千佳と合流してから…… 》
「あのメガネの子が喰われたらどうする? まあ、見てろって」
《 ああ、もう 》
『頼漢、路地を上手く使うんだ。路地を使う戦いが一番生存の可能性が高い』
「へっ、晴明は話が早えな。助かる」
『もう慣れたよ。さあ来るぞ、5秒後に隠し神がフェイント一度入れてから突撃開始だ』
「しのぎきって立て直すぞ!」
頼漢は名も知らぬメガネの女の子を逃がすために、多くの敵を引きつける選択をした。
一旦劣勢に追い込まれれば、狩る方と狩られる方の天秤は容易に逆転する。
かわし、逃げて、跳んで、走って、窮地は終わらず。
「次は!」
『右端の隠し神、次に左端の隠し神、姿勢を崩させたところで土蜘蛛が来る!』
《 ヨル、このまま素直に北に追い込まれると包囲される。無理してでも西に抜けよう 》
「西……いやキッツ!」
避けて、転がって、傷付いて、屋根から落ちて、なお状況は動かず。
霊力攻撃以外は全て無効である妖怪は、数を減らすことさえ不可能だ。
次から次へと来る波状攻撃に、頼漢は余力を残さない覚悟で跳び回る。
「次は!?」
『……どこも生存の目が薄い! 十割惨殺だ! ……いや、トラックを盾にすれば僅かに!』
《 ヨル、千佳を連れて動く。こっちに妖怪の意識が逸れた瞬間を見逃すな 》
『! 未来が偏った、これなら……トラックの陰に、そこからは妖怪の裏を取って!』
『こっちだな、走る』
綱渡りして、生き残って。
綱渡りして、生き残って。
綱渡りして、生き残って。
それをずっと繰り返して。
いつしかそれが死の導火線となって。
疲労のピークが来て、息切れの隙がそれに重なり、頼漢は隠し神の突撃をかわし損ねた。
「ぶっ」
されど、生身に対しては暴威となる突撃。
誰も使わなくなって久しい廃屋と共に、頼漢は蹴られたサッカーボールのように吹っ飛んだ。
『くっ……駄目か、これ以上は……』
吹っ飛んだ頼漢は路面で一回、二回とバウンドし、マンションの壁に叩きつけられる。
マンションの壁に頼漢の血の跡がびっしょりとつき、頼漢の身体がずるりと倒れた。
「……ぅ」
頼漢は気力で立ち上がるが、立ち上がった頼漢の左腕はだらりと垂れたまま。
持ち主がどんなに力を入れても、下がったまま上がらない。
誰がどう見ても完璧に折れているか、ヒビが入ってしまっている。
動かせるようになるまで、おそらく一時間はかかるだろうと、頼漢は目算した。
「……ま、二本あるんだ、一本くらい折れたって変わりゃしねえか」
『何言ってるんだね
妖怪達は情け容赦無く、頼漢に対する包囲を崩さず、確実に殺せるように詰めの手順を機械的に進めていく。
このルーチンが、勢力Bの特徴なのだろうか。。
最初の戦った土蜘蛛もそうであったが、勢力Bの
『どうにかして蜘蛛切を抜刀できなければ、状況を動かせないな』
《 サポートする、包囲を抜けてくれ。包囲の中に千佳を行かせることはできない 》
「妥当だな」
『3秒はもう残っていないが、右方の雑木林に入るのが生存未来可能性が最も高いだろうね』
「おっけおっけ、へっ、メガネの子は……ちゃんと逃げたか。最高の結果だな」
へっへっへ、と力なく頼漢が笑う。
《 一つ言いたいんだが 》
「あん?」
《 心配性の千佳にその姿で会うつもりなのかね、お前は 》
「………………………………………………」
《 バカ 》
『バカ』
「俺は……天才だが」
《 バカ 》
『バカ』
「結果的にこのクソボケ外道ども全滅させて生還すりゃ結果オーライだろ! 見てろ!」
頼漢はとん、とん、と軽くステップを踏む。
足はまだ動く。
腕が折れただけ。
ならまだ舞える。
まだ跳べる。
そう思っていたところで、また誰かを見つけてしまった。
「……! クソ、まだいんのか逃げ遅れた子供……! 包囲は後で抜ける、いいな!」
頼漢はそう言い、包囲を抜けることを諦めた。
敵を倒せばまた次の敵。
誰かを助けてもまた新たな要救助者
ずっとその繰り返しで、そのたびに頼漢が損失していく。
これでは勝てるものも勝てやしない。
敵が頼漢を寄ってたかって殺そうとする分、他の地区で人が襲われることがなくなっていっているが、言ってしまえばそれだけだ。
晴明も麟児も、心底呆れてしまった。
呆れてしまったが、諦めてはいなかった。
『まったく』
《 ……しょうがない。ヨルを選んだ俺達の責任ですしね 》
『まったくだ』
《 ヨル、聞こえるな? 指定時間に煙幕を打ち込む。時間稼ぎだが上手く利用してくれ 》
『煙幕から分岐する未来について簡潔に言うよ。
とにかく南だ、南に走って。そっからしか生存できる未来はない』
「おーらい、おーらい」
空から降ってきた煙幕が頼漢の身体を一瞬隠した隙に、頼漢は走り出した。
妖怪がセンサーを切り替えて、煙幕の中でも構わず頼漢を襲う。
しかし、一手遅い。
妖怪達が攻撃を振り下ろしたその時には、頼漢は遮二無二跳んで煙幕を抜け出していた。
抜け出した頼漢に一瞬で追いついたのは、三体の
後方から一体、右から一体、左から一体、同時に頼漢に斬りかかる。
頼漢は後方宙返りで初撃をかわし、片手で地面を押し、もう一度跳ねて第二撃をかわす。
「しっ!」
足元を刈りに来た蜘蛛足を跳んでかわし、そのまま空中で身体を捻って回し蹴り。
空中で放った頼漢の蹴りが更に放たれていた追撃の斬撃の軌道を逸らして、それが別の土蜘蛛の身体に深々と突き刺さっていた。
「ざまあみさらせ」
そのまま軽快なステップで、右に、左に、小刻みに跳んで追撃をかわす。
流れるようにステップの"高さ"を移行し、土蜘蛛が突き出してくる数多くの足の上を跳び回り、足の上から土蜘蛛の上に飛び乗った。
土蜘蛛の上に乗った頼漢に向けてブレードが突き出されるが、頼漢はそれに全体重をかけた踵落としを全力で見舞う。
踵落としによって叩き落されたブレードはそのまま、頼漢が乗っていた土蜘蛛の表皮を切り裂いて、内部深くまで食い込んでいった。
「足があれば、まあまあ踊れる。さあ、一緒に踊ろうぜ。0時の鐘が鳴るくらいまで」
舞うように。
踊るように。
頼漢は食らいつく。
母のような文句を言って、母のように踊っていく。
それは倒せぬ敵に対するただの苦肉の策だったが、それにしてはしぶとかった。
湖で踊る妖精に手が届かぬように、踊る彼には手が届かない。
頼漢がそうして注意を引いている間に、逃げ遅れた子供達が逃げることに成功し。
「きれい」
その中の誰かが、そう言った。
たん、たん、たん、と小気味の良い音がする。
それは靴さえなくした頼漢の素足が、軽く路面を叩く音。
「テメエらが」
舞うその姿は、さながらガラスの靴無くして壇上に上がったシンデレラ。
ただ勝つために、ただ負けぬために、踊り続ける舞踏武士。
「テメエらが理解できないものを、俺達は、守ってんだよ―――!!」
子供を逃がすためだけに、無駄なリスクを何度も何度も背負っていく頼漢のやり方は、妖怪とその主にはまるで理解できないものだった。
妖怪は『数』と『無敵』で蹂躙することが許されている。
それこそが妖怪の絶対性である。
敵が抵抗できないほどの数を揃えて、敵の攻撃が絶対に効かない無敵を張って、一方的に蹂躙しながら人を殺して拐っていく。
それができる特権者こそが妖怪である。
もう身体から余計な血の一滴すら出ないほどの血みどろになって、そこまで痛めつけられてようやく、頼漢はそういう話があったことを思い出した。
思い出したが、忘れた。
どうでもよかったから。
無敵気取りのクソ野郎が他者から何かを奪おうとした時、それをブン殴ってブッ倒す。
頼漢の胸に残るのは、そういうシンプルな原理である。
「おう、おう、派手にやってくれやがってよ。クソが。
今日は重傷喰らうつもりなかったんだぞ。
千佳っちがあんな心配した後にデカい怪我とかしたら、心労になっちまうだろ……」
まだ行ける。
心がそう叫び、魂が同意し、体がそれに追随した。
妖怪の包囲網はまだ解けず、頼漢はとにかく食らいつく。
弱っていく頼漢の前に、またしても土蜘蛛が立ちはだかった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
頼漢はどんどん痛めつけられ、余裕を失い、弱っていく。
されどそれに反比例するかのように、戦闘の拍子の取り方が上手くなり、妖怪の動きの先読みの正確性が上がっていき、技のキレが冴えていく。
生と死の狭間を掌握してこその陰陽師。
生の白、死の黒、二つを司って初めて陰陽。
「こいやクソども。俺は気に入らねえやつに殺されてなんてやらねえぞ」
『白と黒の境界線の上』でこそ、死に追い込まれた窮地でこそ、頼漢は太極の本質に接近していき、死の向こうの強さを呑み込んでいく。
陰陽の黒、太極の黒、"黒トリガー"の黒。
死の黒から汲み上げられる力の片鱗が、ギリギリのところで頼漢を生かしている。
一般的に火事場のクソ力と呼ばれる、臨死から湧く力だった。
《 踏ん張れヨル。壁際に追い詰められていい。無理なく受け流して後退しろ 》
「勝機は?」
《 ある。お前ならな 》
『頼漢、右端の土蜘蛛だけでいいから弱らせられるかい?
この後15分以内に
「うちの頭良い勢は無茶振りしかしねえもんだからムカつくぜ……やるから見てろやぁ!」
他の土蜘蛛を利用して四苦八苦、三面六臂の大奮闘。
指定された土蜘蛛をなんとか弱らせてみるものの、どんどん建物の壁へと追い込まれ、逃げ道を失って封殺されていく。
背がビルの壁に触れた時点で、頼漢はじとっとした冷や汗をかいた。
「……へっ、絶望的だが。
仲間が勝機はあるっつってんだ。
勝てて当たり前、負けたら俺のせいってことにしといてやるっ……!」
土蜘蛛二体が同時に襲いかかってきて、かわしても潰すための隠し神が一体、その後ろから走ってきている。
その向こうにも妖怪が数体。
将棋でもそうそう見ないような、逃げ道のない完全な詰み。
『頼漢、もう二歩右』
「は?」
『もう二歩右』
「お、おう」
晴明は余裕たっぷりに、もう勝ったかのような顔をして、そんなことを言い出した。
言う通りに二歩右に移動すると、ちょうどそこに。
「ヨルカさん!」
「!?」
上から、千佳が落ちてきた。
頼漢の右腕は蜘蛛切を持つのに使ってしまっている。
頼漢は上に上がらない折れた左腕に力を入れて、折れた腕にて根性で千佳をキャッチした。
「ッ」
痛みに耐えて、しっかり千佳を受け止めて、深呼吸で痛みを飛ばす。
落ちてきた可愛い女の子を落としては、男などとても名乗れまい。
頼漢は妖怪に包囲されていた。
そこに千佳を連れて行こうとしても、頼漢と合流する前に捕まるのがオチだ。
よって、妖怪の包囲網を突破して助けに行くことは諦め、麟児は千佳を連れて妖怪に気付かれないよう上から迂回して、頼漢がキャッチできるように上から落としたのである。
妹をモノ扱いする、情の薄い、ともすればサイコパスじみた合理性。
千佳の同意と、頼漢への信頼がなければとても実行はできなかっただろう。
晴明が飛行偵察妖怪だった
未来予知には、そういうことができた。
《 武装 臨時接続 霊力吸収 》
「これで、いけます」
「ああ、いけるが……」
妖怪は皆、千佳を見ていた。
もう頼漢すらまともには見ていない。
妖怪の狙いが千佳である以上、これは鴨が葱を背負って来たようなものだ。
「……千佳お嬢さん」
「え? え? あ、はい」
「俺と一曲踊りませんか?」
「えっ」
「こんな台詞、昔見た教本くらいでしか見たことねえな、ケッ」
千佳に触れていれば、
されど千佳を狙い続ける敵が、常に千佳を奪いに来る。
頼漢は覚悟を決め、千佳と踊った。
正確には、踊るように見える動きで、千佳を守りながら戦い始めた。
「適当でいいぞ、適当で」
「わっ、わっ」
「そうそう、筋が良いな。素直でいい子だ」
「えへへ」
千佳を狙って確保しようとする土蜘蛛を、土蜘蛛が千佳に触れそうな瞬間千佳を引き戻したりして、おちょくるように千佳を守る。
頼漢は千佳を左腕で抱きかかえ、千佳を殺したくない土蜘蛛が手を止めた瞬間、その本体を蜘蛛切の切り上げで真っ二つとした。
「たん、たたん、たん、たんたん、だ。ゆっくりでいいぞ」
「たん、たたん、たん、たんたん……」
舞踏会で、シンデレラと王子様が踊るような、可愛いのに踊り方を知らない少女と、踊り方を知る男のダンス。
二人をまとめて飲み込もうとする隠し神が跳んできて、頼漢が跳び、千佳を抱き寄せ、ワルツを踊るようにかわす。
折れている左腕で千佳を抱きかかえ、千佳を抱えたまま隠し神の背に飛び乗る。
蜘蛛切から展開した光刃で、頼漢は頭頂から隠し神の弱点を刺し貫いた。
倒れた隠し神から、千佳を抱えて飛び降りる。
頼漢を刺し殺そうとする土蜘蛛達がブレードの先を向けるが、頼漢はあえて不規則で読みにくいリズムで千佳と一緒にくるくる回り、うっかりすれば千佳を刺し殺してしまう状況を作って、見えない盾で攻撃を封じた。
「あんま危ないことすんなよ。こういうの、あんま何度も成功するとは思えねえ」
「危ないことは……ヨルカさんの方がしてるんじゃないですか?」
「ま、そりゃな」
「怪我とか……痛くないんですか?」
「まあまあだな」
「まあまあ……ですか……?」
「自分が痛い分にはいい。
自分が我慢すりゃいいからな。
他人が痛いのは駄目だ。
どうすりゃいいのかさっぱり分からん。
だから自分が痛い分にはマシだなって感じなんだが……あんま共感されねえ」
「……はい、分かります」
「お、同志か? いいな、ダチレベルが上ったぞ」
「ふふふ……なんですか、それ」
千佳を抱えて、くるりくるりと一回り。
回りながら振るった蜘蛛切が、二体の土蜘蛛の急所を同時に切り裂いた。
"人間のダンス"を理解できない妖怪に、この動きは読み切れない。
千佳を絶対に傷付けてはならないというコマンドがあるなら、なおさらに。
《 ヨル。一分後に千佳をバイクで回収する、合わせてくれ 》
『タイミングは
「お、いいタイミング。流石にこんな一発ネタがずっと通じる相手でもねえしな」
まだ舞踏殺法が通じる内に、妖怪の合間をくぐり抜け、木々の合間で千佳を受け渡す。
頼漢の手から、麟児のバイクへ。
手近な布を拾ってシルエットを隠しつつ、頼漢が木々の間から飛び出せば、頼漢がまだ千佳を抱えているという勘違いが少しの間その場に発生し、麟児は比較的安全に離脱していける。
一体二体に麟児が千佳を連れていると気付かれても、気付いて追おうとする妖怪を後ろから頼漢が倒しに行けばいいだけの話。
「ヨルカさん、頑張―――」
千佳の最後の言葉が聞こえたようで、聞こえない。
バイクと一緒に遠ざかっていってしまったようだ。
《 妹と踊ってどうだった? 》
「高い霊力よりガラスの靴が似合うと思ったね」
《 お前が買って贈ってやれよ 》
「金が無い」
《 悲しいくらい虚しい返答…… 》
「俺が千佳っちにやれるのなんて、勝利と平和くらいしかねえな」
《 武士か? 武士だったな。じゃ、そいつで頼んだぞ、ヒーロー 》
そして、戦いは最後の局面へ。
戦いが始まってから、もうだいぶ時間が経っていた。
逃げ損ねた人間もしばらく見ていない。
妖怪も随分数を減らした。
最も摩耗したのは頼漢だが、一番弱った彼が一番元気に挑発の言葉を吠えている。
「へっ、こりゃ、いいな。だいぶ数減ったんじゃねえの、テメエらよ」
頼漢は近場の建物の屋上まで一気に駆け上がり、見渡し、敵の残数を確認する。
残る敵はたった8体。
土蜘蛛が3、隠し神が5。
要所で千佳から
「……フゥー」
複数相手では押し切られる、環境を作って引き離してできれば一対一に、そんなことを考えていた頼漢の耳元で、晴明は"何故そうなるかはわからないがいい未来に繋がるようになる言葉"をささやいた。
『頼漢』
「なんだ、助言なら、早めに頼む」
『後回しになったが、ここで儀礼を果たそう。名乗りを上げる時だ』
「は?」
『源氏の戦の作法さ。さあ、声を張り上げるといい』
「んなバカなこと誰がやるんだよ」
『
名乗りを上げれば、遺伝子から最後の力が湧いてくるはずだ』
「マジか……? あと戦友の遺伝子改造したことは反省しろよマジで」
平安時代に、名乗りは生まれた。
源氏が戦の作法として名乗るようになったのは、平安時代になってからだった。
名乗ると決めた瞬間から、頼漢の中で何かがカチリと噛み合った。
頼漢の血が沸き立っている。
魂が胸を内から衝いている。
なのに頭は冴え渡っていて、人生で一度も使ったことのない言葉が次々湧いてくる。
「遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ」
頼漢は己が内の血に従い、気取った言葉を、格式に沿う言葉を、想いのままに口にした。
声に力が乗り、空気が揺れて、
「聞くが良い、天下に仇なす百鬼夜行。我が名は源。貴様らを討つ源氏の
頼漢が宣いたいことが、頼漢の先祖達に近い言葉で、ハッキリとした形で出てくる。
「これは始まりに過ぎない。
この身は先駆けに過ぎない。
この身は武士。
戦うと決めた者。
ただそれだけの一振りの刃。
ただの人の間より現れ、ただの人間として、ただ全ての人間を守らんとする凡庸な弱者」
とてもよく通る声だった。
妖怪が街の喧騒を破壊した。
人々は息を殺して妖怪から逃げ回っている。
電車も車もバスも止まった。
動いている店は一つもない。
あるのは静寂。
壊された日常の後に残された静寂だけ。
無音の街に、静かながらも非常に大きな声で宣う頼漢の声が、とても綺麗に響いていく。
逃げ回る人達の耳にも、その言葉は届いていた。
「これは終わりではなく、始まりだ。
これから誰もが立ち上がる。
これから誰もが立ち向かう。
貴様らその尽くを、討ち滅ぼすために。
男も女も。大人も子供も。病人も老人も。
貴様らを、"奪う者"を許さない。
不真面目な不良も。
ゆるい婦女子も。
真面目なガリ勉も。
怯え引きこもるか弱い少女も。
拳を握ったことのない大人も。
ベッドから起きられない病人も。
誰もが『何一つとして奪わせない』という原始の正義を抱えて、お前達を許さない」
強き者も、弱き者も、大人も、子供も、男も、女も。
この街でごく普通に生きている皆が皆、その声を聞いている。
最強の
至上の
仲間を助ける
誰もが、何かの
「いつかどこかで、俺を殺したところで無駄だ。
俺は人々の代行者に過ぎない。
人々の日々を愛しただけの通りすがりでしかない。
この世界は強い。
この世界は美しい。
たった一人の英雄にしか救えないような世界じゃない。
俺は信じた。
人々を信じている。
ただの人の間から、英雄たちは現れると。
戦う英雄も、戦えない英雄も、支えるだけの英雄も、応援するだけの英雄も、現れると」
それは英雄への讃歌。
未来を信じる英雄の唄。
世界と人々の可能性を知る先駆けの語り。
これから先の未来にも、食べ物を作る英雄がいて、服を作る英雄がいて、家を作る英雄がいて、戦いの才能がある英雄がいて、戦うと決めた英雄がいて、誰かを守ろうとする英雄がいて。
人が巡る循環の中から、英雄は無数に現れると、頼漢はそう語る。
いつかの未来に。
この街に生きる、たくさんの人が。
尊いものを守るため、戦う者に成り得ると、頼漢の心が信じていた。
「俺が『するべきこと』は、そんな未来の英雄たちの明日を守ることだ」
この街に生きる未来の英雄たちを、未来に結実する全ての光を守り切る。
未来に誰かの笑顔を守れる者、その尽くを守り切る。
それが、頼漢が掲げる『今の自分がするべきこと』だった。
「俺が、ではなく。奪う者を許さない全てが。世界と未来が、お前達を叩き潰す」
未来が視えているかのように、頼漢は語る。
未来視がなくとも視える未来はあるのだと、そう言わんばかりに、頼漢は語る。
「ただの人の間から、立ち向かうと決めた人間は現れ続ける。
俺のようなものでは足元にも及ばない、人を守る英雄たちが現れ続ける。
それが未来だ。
それが明日だ。
俺には見えている。
貴様らには見えていない。
ただそれだけのこと。
だがいずれ判るだろう。
この世界は、俺ですら救ってくれるこの世界は……沢山のヒーローが守る世界になる」
頼漢は信じている。
今日助けた人達が、子供達が、今日は何もできない子供でも。
いつかの未来に、自分など足元にも及ばないような素晴らしい者となると。
そうして、母に産んでもらった自分が誰かを助け、助けた誰かが誰かを助け―――その連鎖の先にだけ在る、皆が笑える未来はあるはずだと。
そう、信じている。
だから。
奪う者は、許さない。
この日誰もが気付かぬまま、遠い遠い未来にまで影響を及ぼす、世界の引き金が引かれた。
影響は微弱。ほとんどのものはそうであるとも気付かない、ささやかな変化。
それは、特別な誰か一人の覚醒ではなく、世界に生きる一人一人の意識に芽生えた光。
「震え、慄き、怯えて待て。―――俺達全てが、未来の
晴明は未来が猛烈な勢いで"可能性の低い未来"に向かっているのを視ていた。
可能性が低い未来が可能性の高い未来に移り変わり、希少な未来から更に希少な未来に分岐し、しまいには未来視で視えていなかった未来まで飛び出してくる。
先の先まで続く今が、はちゃめちゃな可能性の渦に飲み込まれている。
本来、それはありえない。
未来視はもっと確度の高い能力だ。
低い可能性も高い可能性も、ほぼ全てが視えている。
だから、未知の未来が雨後の筍のように生えてくることなど、本来はありえない。
だが、例外が存在する。未来視の全てを無効化、超越する存在が。
そして、例外に母を殺され、規格外の心の成長を遂げた者がいる。
未来視を歪める特異存在が、未来を歪め、頼漢の母親を殺し、
―――おそらくは黒い土蜘蛛が一人殺した影響だ。
―――逢魔刻が誰かを殺せば、おそらく未来の不安定性が増すんだろう
頼漢の母が殺されたことで未来が不安定になるのであれば、その影響、その恩恵を最も受けるのは、母を殺され黒い土蜘蛛を倒した頼漢だろう。
そこに疑いはない。
今、未来視が不安定なのは当然のことだ。
未来が不安定なのは当然のことだ。
今現在、源頼漢は一時的にかつ無自覚に、母の仇から運命を揺らがす時の天秤を奪い取っていたのだから。
だから、遠い未来まで、一気に大きな影響が出る。
『……! 視えた……!
ほんの僅かな可能性だけど……!
本当に、ほんの僅かな確率だけど……!
大規模侵攻、その先も……誰も殺されない未来が視えた……! 頼漢っ……』
晴明は笑った。大いに笑った。
『はは、ははっ。死人が明日の希望を喜ぶなんて……まったく、こんな滑稽なことはない』
晴明の企みも含めて、悪人の企みのことごとくが、頼漢に関わると全て破綻し裏目に出る。
善人は悪人の毒牙から守られ、先んじて人を刈り取ろうとする悪は失敗し、刈り取られなかった者達は未来のどこかで、誰も知らない何かになる。
それがなんだか、とても愉快であった。
『悪くない気分だ。
気を抜けば成仏してしまいそうなほど、満足感のある今の気分を投げ捨てて。
安倍晴明は気を引き締め、仲間達と共に立ち向かう。
「トリガー・スタート」
《 蜘蛛切・真打起動 残り時間を表示します 》
そうして。
未来は、もう動き出している。
一週間後。
「金髪も黒髪もかっこいいですよ、ヨルカさん」
「照れもせずそういうこと言える千佳っちをマジ尊敬できんなぁと常々思ってる」
「えへへ」
髪を黒に染め直した頼漢が、素直な千佳にヨイショされていた。
『なんで髪を染め直したんだい? うずまきナルトと色が被ってるから?』
「ジャンプキャラとの色被り気にするやつが居たら見てみてーよ。
いやなあ……だってよ、あれがこれじゃん……わかるだろ……?」
『抽象的選手権で優勝目指してそうな台詞だね』
頼漢が指差した先、雨取家の居間のテレビに、騒がしいニュースが流れていた。
先日の大事件のニュースである。
どこのチャンネルもてんやわんやの大騒ぎ。
放送局はどこも一日に一回は何かしらの形で報道しているほどだ。
頼漢らの顔は映されていなかったが、蜘蛛切を握った頼漢の黒髪混じりの金髪が映った写真が一枚だけ、メディアに流れていた。
そう。
頼漢が染め損ねた恥の塊のような髪が、全国ネットに流れてしまったのである。
地元で他人に見られるくらいならいいが全国で晒し者にされるのは無理、という程度の事案は実際のところ割とある。
頼漢は全国に拡散された失敗頭を見て、顔を覆って座り込んでしまった。
「つーわけで俺があの髪にしとくのはアウトってことよ。
さすがに髪そのまんまだと赤の他人でもわかっちまう。
髪の毛真っ黒にしたら俺の顔見たやつらも俺のこと分かんなくなったりしねえかな?」
「ちょっと、難しいと思いますけど……」
「ヨル特有のアホ丸出しの発想。いやアホ特有のヨル丸出しの発想」
『今日生まれて初めて脳味噌使った人かな?』
「ここまで言われる謂れはねえだろ! チッ、グラサン買ってくるか」
千佳は携帯電話の画像を選択し、それを皆に見せる。
「ヨルカさんもすっかり謎のヒーローみたいな扱いですね。
ほら、見てください、このニュースの想像イラスト。すっごくかっこいいですよ」
「実際は全財産2280円でホームレスで保護者も後見人も居ない15歳なんだがな俺……」
『みじめがすぎる』
「ヨルは黒い土蜘蛛に損害賠償請求していいだろこれ」
世の中は謎の敵、謎の事件、謎のヒーローだのと報道しているが、実際のところ昨日は雑草しか食べていないのが頼漢の悲惨な現状であった。
家はない。
親もない。
金もない。
実際これからどう生活すればいいのかちょっと、いやかなり面倒なことになっていた。
「ヨルをうちに泊めたらどうだ?」
「兄さんが説得できるならいいけど……できるの?」
「最近は父さんも母さんも言いくるめられないよう警戒してるしなぁ。できなくもないが」
「できなかったらヨルカさんはどうなるの? またホームレス?」
「セーフハウスでもあるといいのかね……? ま、言うなれば秘密基地だが」
「……男の子って、そういうのいつまでも好きだね」
頼漢の生活について真剣に語り合ってくれている兄妹の姿に、頼漢は想われている実感を得て、ほんわりほわほわしていた。
語り合っている兄妹をよそに、晴明と頼漢も駄弁りだす。
『いい仲間が出来たじゃないか』
「そうだな」
『
「……」
『救ってほしかった。
助けてほしかった。
守ってほしかった。
だから救い、助け、守った。
「さて、どうかね」
『助けてほしかった者が、助け合う未来を望む。
いいことじゃあないか。
「俺なんてすぐ要らなくなるさ。この世界には、数え切れないくらいのヒーローが居るんだ」
『さて、どうかね』
「まねっこしやがって」
『ふっ』
未来を視る者が、未来を信じる者と話し、未来への希望を感じていた。
「今回の戦いは……ううむ。
『自分のルールの押し付け合い』って感じが結構あったな。
俺が得意なダンスの領域に引きずり込んだり、名乗って流れを作ったり……」
『陰陽道の基本でもあり、戦いの基本でもあるね。
名乗りで領域を作る。
結界で呪いが通用しない世界を作る。
ワイヤーで自分に有利なフィールドを作る。
地雷で自分達にだけリスクのない戦いの場を作る……という風に』
「なるほどなぁ」
『麟児君と相談してみるといい。色々できると思うよ?』
「山に罠とかは結構ありか……自治体にバレたら犯罪者だが……クソ条例め」
『条例にクソと言って良いのは犯罪者とツイッターの問題児だけだぞ!』
ぐだぐだ話していると、すぐに昼飯時になってしまう。
昨日雑草しか食べていない頼漢を発見した時から、千佳と麟児の意見は頼漢に何かしらのまともなものを食べさせるということで一致していた。
「ごはん、用意しますね。おにぎりですけど……」
「おにぎり! マジか! いやー、嬉しいわ! 千佳っちのおにぎりマジ美味いしな!」
『はぁー、生者マジクズ~。女の子の手料理食えない
「ほーん? 千佳がそんな料理上手だったとは知らなかったな。ふーん」
「よ、ヨルカさんがおおげさなだけだから……」
台所でせっせせっせとおにぎりを作っている千佳を、男三人で黙って待っていた。
「麟っち、お握りを握りちょいと詰めて、ってあるじゃん?」
「は? 何言ってんだヨル、お握りお握りちょいと詰めて、だろ?」
「は?」
「は?」
『なんだこのくっだらない流れ……』
暇そうだと楽しそうだなあ、と千佳は微笑んで男達を見ていた。
「ヨルカさん、おにぎりの具だと何が好きなんだろう……?」
おにぎりを作りながら、千佳は可愛らしく小首を傾げる。
『千佳ちゃん……聞こえますか……今貴方の心に語りかけています……』
「! これは……天の声……?」
『頼漢は釣りができないだけでお魚は好きなので鮭がおすすめよ……』
「ありがとうございます! うん、よし。しゃけ、しゃけ」
「母さん!!! 早く成仏して!!! 俺の涙がギャグになる前に!!!!!!!」
なんだかんだで。
その日もみんなで笑って過ごせて、笑って終われて。
頼漢はちょっとだけ、自分が幸せな人間じゃないかと、そう思えた。
次から二章です
以下、1876年発行、「富裕層に奪われ続ける貧困層を痛烈に風刺した短編」と評価された『キリストのヨルカに召された少年』より、要約。
昔々、病気のお母さんと貧しい少年がいました。
少年は何も持っていません。
貧しさの中でずっと生きてきました。
暖かいものもなく、不良にはなんべんも殴られて、夜に灯りを灯した家に憧れて、素晴らしい街の普通の人達の生活に憧れるも、何度も雪の中に蹴り出されていました。
少年はずっと泣いていました。
クリスマス・イヴの夜、少年は母の声に導かれ、大きな樹の下に辿り着きました。
木の名はヨルカ。
誰もが知っている名前で言うと、クリスマスツリー。
救われない子供達の魂が救われて、樹の周りでくるくると踊っています。
子供達を苦しめて死んだ親の皆も祝福され、子供達に許され、子供達を抱きしめます。
『私達はこんなにも幸せにしているから、どうか泣かないで』と、子は親をなだめます。
少年の母は死んでしまい、少年もやがて死んでしまいました。
けれど、救われぬ者達の魂はヨルカに導かれ、皆救われていきます。
救われぬ者達の向かう先は『神の国』。
ヨルカは神の国を指し示す祝福の木であったのです。
救われぬ母と救われぬ子は楽園へと導かれ、そこで再会し、幸せになりました。
めでたし、めでたし。