【本編完結】サツマンゲリオン ~ 碇シンジが預けられた先が少しだけ特殊だった県/件 作:◆QgkJwfXtqk
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「ん」
そう自分に気合を入れたのは、
腰まで伸びる金髪を手ぬぐいで纏め、動きやすい恰好となっている。
日焼け予防の長袖長ズボンは、汚れても良いベージュ色。
家事、その一番となる掃除に取り掛かろうというのだった。
とは言え家の中の事ではない。
そもそも、炊事と洗濯だけならば家電によって簡単だし、家も築10と余年ばかりの
問題は庭である。
この隼人碇家、敷地面積が優に400坪近い広さを持っていたのだ。
正方形に近い敷地には家と別棟のガレージがあり、その四方は塀と石垣で囲まれている。
元は
それ故、塀と石垣は年季の入った古風なモノであった。
とは言え見た目不相応な防犯システムが用意されてはいたが。
兎も角、地価の安い田舎の事とは言え、中々の広さと言えるのが隼人の碇家、碇シンジの実家であった。
広い隼人碇家であるが故に、庭掃除は簡単では無かった。
倉庫兼用のガレージはまだ良い。
旦那である碇ケイジと長男の碇ケンジの遊び場も兼ねているので、休みの度にせっせと掃除や整理をやっているのだ。
手を出せば失礼というものだろう。
問題は鯉の居る池、或いは林めいた庭である。
池は定期的に洗ってるので掃除の必要性は低いし、植えられた木々も園芸業者任せなのでまだ良い。
問題はそれ以外の、芝生と砂利の部分だ。
芝生は暑い日差しを受けて雑草が元気に背筋を伸ばし、砂利も隙間から顔を出して来るのだ。 常日頃からの除草や箒掃除が必須であった。
とは言え広い隼人碇家。
定期的に実家から
だが今日はそう言う訳にはいかない。
突発的な、掃除を必要とした日であった。
即ち、遠くに行ってた末の息子たるシンジがガールフレンドを連れて帰って来るというのだ。
長女も長男もまだ連れてきた事のない、異性の友人である。
であれば
竹箒を槍の様に凛々しくも掴み、玄関から門扉を睨んだ碇アンジェリカ。
シンジがガールフレンドを連れて帰って来る時間は未定として伝えられていたが、だからこそ、ちゃっちゃとせねばならぬと考えていた。
が、そんな碇アンジェリカのやる気に水を差す様に、開かれていた門扉の向こう側に人影が生まれた。
「こんにちわ?」
疑問符付きの言葉。
日本在住歴が20年にも迫ろうかと言う碇アンジェリカは、才媛らしく日本語を発音も含めて見事に習熟している。
だが、流石に掃除をしようとばかりに気合を入れた出端を挫かれては、微妙な気分になるのも当然だった。
言われた人影は、ピクっとばかりに肩を竦ませて動きが止まった。
子ども ―― 女の子だろう。
白いカッターシャツと黒いベスト、それに青いひざ下までのキュロットスカートと言う姿だ。
ショートボブの黒髪に隠れて表情は見えない。
見覚えは無い。
血統的な意味で純粋な日本人っぽいけども、ご近所さんにも、子ども達の友人でも見覚えは無い。
訝しげな顔をする碇アンジェリカ。
一瞬だけ、
それを頭を振って追い出して誰何する。
「どなたかしら?」
「
それは聞きなれた声であった。
聞き間違う事の無い声だった。
「シンジ!?」
そう、少女は
碇アンジェリカの問いかけに、渋々と言う風に頷くシンジ。
誠にもって、不本意であると言う雰囲気であった。
そんなシンジの後ろから、此方は
シンジが居る事でどんな集団であるかを察した碇アンジェリカは、笑顔を浮かべてようこそと挨拶の声を挙げた。
対する女の子 ―― 此方も変装である惣流アスカ・ラングレーも、緊張した顔で背筋を伸ばした。
「初めまして、惣流アスカ・ラングレーです」
軍隊仕込みの、敬礼めいた仕草。
それを碇アンジェリカは鷹揚に、目元だけを緩めて受け入れるのであった。
隼人碇家に到着早々、シンジは着替えて来ると言って自分の部屋に駆け込んでいった。
板張りの床を足音を立てて走っていったシンジ。
自宅故の
そんなシンジに対し、アスカはお客様だからと縁側を兼ねた様な応接セットのある場所に案内されていた。
日当たり良好であるが、常夏の日本らしい工夫 ―― 二重サッシのガラス張りであり、壁にも充填された断熱材のお陰で、エアコンの効きは良好で不快感とは無縁の空間であった。
応接空間で碇アンジェリカと一人で相対しているアスカ。
NERVからの
孤立無援と言って良いアスカ。
必死にシンジの早期の帰還を祈る程に、応接場所は微妙な空気であった。
当初、であるが。
メンタル的に好調とは言えない所に、初対面した
それはもう緊張感で目を回しそうな状態となっていた。
喉もからからになっていたが、手元に置かれたアイス珈琲には手を付けなかった。
緊張感からの
対する碇アンジェリカ。
此方も会話の糸口をつかみ切れずに居た。
得ている情報が4つしかないのだから仕方が無い。
アスカはシンジの同い年である。
アスカはシンジのクラスメイトである。
アスカはシンジの仕事仲間である。
アスカはシンジの第3東京市での家のお隣さんである。
何も知らないのと一緒であった。
否、もう1つ大事な事がある。
アスカはシンジが初めて連れて来た
母親として碇アンジェリカは、大事な息子が連れて来た人に悪い印象を与える訳には行かないと、此方も気をはって居たのだ。
これはもう仕方のない事と言えた。
そんな何とも言い難い雰囲気を壊したのは、シンジの話題であった。
当たり障りのない天気の話題。
暑さの話。
そこからアスカが寒冷化したヨーロッパから来た話題になり、碇アンジェリカも
服装の話になり。
そして、シンジの
「似合ってたけど、ジャンケンで負けた結果なのね」
「はい。男女ペアで護衛付きで出ると勘繰られるとの判断で、私の
熱戦は6回に及び、そして最終的な勝者となったのがアスカであった。
シンジは愕然として地に膝を付けていた。
其処から先、死んだような目で化粧その他を受け入れ、
流石に下の下着は尊厳を守ったが、上はスポーツブラめいた大胸筋サポーターを装着させられていた。
全力で抵抗したシンジであった。
だが、白いブラウスを着ると
尚、栗毛のかつらを被って様子を見る際、
唯一、2人を目撃したシンジであったが、それ所では無かったので幻覚を見たのだろうと頭から追い出していた。
「惣流さん、良く頑張りました」
その笑顔に、アスカの緊張も解けていくのだ。
そして第3新東京市でのシンジとの生活と言う話題を、提供していくのだった。
「
本当に困ったと言う顔でシンジが戻って来るまで続くのだった。
「碇………」
「ああ、問題ない」
「本当か?」
「ああ。多分な」
夜無きNERV本部の総司令官執務室。
その机の上には、長期療養配置に着いたシンジとアスカの両名に関する報告書があり、2人は精読していた。
否。
2人が見ているのは、添付されているシンジの写真であった。
癒しを求める行動であった。
綾波レイの非常事態に痛めつけられた心と胃とを癒したいと言う思いであった。
かつて碇ゲンドウは思い出は胸の中にあれば良いと断じ、手元にあった碇ユイの写真の悉くを燃やし尽くした。
それは、
だが、今に成れば1枚程度は手元に残しておけば良かったと悔いているのだ。
人間と言う生き物は、苦境に逢えば何かに縋りつきたくなる所があるのだから。
そこに齎された慈雨の如きモノ。
それがシンジの、女装した写真であった。
疲労だの苦悩だのの錯綜した碇ゲンドウと冬月コウゾウは、少しだけ疲れていた。
それは、あの赤木リツコが今日は搾り取るのを止めようかという慈悲の心を出す程の雰囲気であった。
久方ぶりの実家。
慣れ親しんだ空気に、それまで心の中に澱のように溜まっていた何かがスルリと抜けていくのを自覚するシンジ。
大事な人が、家族と楽し気に会話していると言うのも良かったのかもしれない。
自分の周りも仲が良いと言う事が、良い刺激となったのだろう。
手に持っていた湯飲みを口に運ぶ。
「………」
自分で淹れた緑茶も違って感じられた。
小さく深呼吸をする。
溜息と言うよりも、内側に溜まっていた何かをゆっくりと放出する仕草だ。
その仕草に合う形で、シンジは己の内側から沸々と湧き上がってくる気持ちを自覚するのだった。
振りたい。
木刀を全力で振りたいと思えたのだ。
それは第15使徒との戦いから此方、体を鈍らせない為と言う義務感ではない、正に衝動であった。
故にシンジは、隣に座って
握り返された。
目と目が合う。
アスカの目は少し揺れていた。
だが、第3新東京市に居た時よりも落ち着いていた。
チラリと外に視線を走らせる。
隼人碇家の庭には、横木が用意されているのだ。
それだけで全てを察するアスカ。
「
「
以心伝心。
そんな
と、そんな穏やかな空気をぶち壊す人間が加わった。
「シンジ!?」
子ども特有の甲高い声に誘われて振り返ったアスカ。
その青い目に飛び込んで来たのは、自分よりも小さな女の子であった。
特徴的なのは金糸と言う言葉が似つかわしい髪だろう。
それを
背負った赤いランドセルから年下である事は判る。
アスカが知っているシンジの家族構成は、両親と姉と兄だ。
妹は含まれていなかった。
親戚か誰かかと思いシンジに尋ねようとしたが、よりも先に少女は
シンジに飛びついていたのだ。
「なっ!?」
思わず目を剥くアスカ。
子どもが相手とは言え、
有り体にいって、反射的に声が出る程度には
だが、ソレよりも先に碇アンジェリカが動く。
「危ないわよ、お姉さんは何処に行ったの」
「大事な弟が帰って来たんだもの、コレはノーカンよ! ノーカン!!」
シンジも飛びついてきた女の子を大事そうに、怪我をしない様に細心の注意を払いながら床に
その仕草を、偉そうに受け入れる女の子。
親しさがある。
「元気してた? ご飯はちゃんと食べてた?」
「
「なら良し!」
ドヤっと胸を張る女の子。
だが、そんな事よりもアスカの耳孔を叩いた言葉があった。
「おねぇ、さん?」
内心の混乱をそのまま口にしてしまったアスカ。
その言葉に、女の子はドヤ顔をアスカに向ける。
胸に手を当てて、丁寧なお辞儀。
「そう、私が碇家の長女。碇アイリよ。特別にアイリーンって呼んでいいわ」
アイリーンは愛称なんだろう。
とは言え、本名よりも長い愛称って何だろう。
そんな情報過多になったアスカは、それでも気合で背筋を伸ばして挨拶を返す。
「惣流アスカ・ラングレー。アスカで良いわ」
「なら__ 」
そっと手を出して来る碇アイリ。
「ん」
その手を握り返すアスカ。
小さな、だが綺麗な子どもの手では無い、鍛錬の後が見える手に触れた事で、取り敢えず碇アイリと言う年下と思しき少女がシンジの身内である事に納得したのだった。