最後まで共に戦った唯一の存在であったサーヴァント・沖田総司は聖杯によって、彼女が幸せになれる世界へと旅立った。
トリオン体で病弱スキルを克服した沖田さんがボーダーで人斬りスキルを惜しみなく発揮する話。
「沖田さん、ありがとう」
マスターが、多くのサーヴァントと契約を交わした中、ただ一人その身に聖杯を捧げた大切な女の子に、純粋な感謝の言葉を紡ぐ。
「だけど、あなたまで地獄について来ちゃだめだよ」
ようやく人斬りから離れて普通の女の子になれたというのに。
運命を共にする必要はないと言って、息絶え絶えの少女はカルデアを出る際に魔力ソースとして預けられたケース——所有者の魔力によって保たれており、その持ち主の死に際に開く事になっているもの——に手を伸ばし、その中身、聖杯を手に取った。
従来の聖杯とは違う。なんでも願いを叶える事はできないし、多くの聖人聖女たちの祈りを受けたこの盃は悪意ある願いを叶える事はそもそもできないだろう。
できるとしたら、ほんのささいな、願いだけ。
「マスター、何を! まさか——」
「我、聖杯に願う」
桜のような薄い桃色の髪を揺らし、静止の声をあげる少女。
だが、マスターはその声に負けじと自らの願いを続けた。
「沖田さんがやさしい人たちに出会って、笑いあえる友達を作って、暖かで、ささやかな世界に、なりますように——幸せを、掴めますように」
祈りを捧げる様に、柔らかい声で、そう言った。
次の瞬間、桃色の少女——沖田総司の体を光が包む。
マスターの願いは、かなえられた。
沖田総司という存在は、世界から消えた。
滅びゆく世界で彼女が救われる事はない。
だから——沖田総司という少女は、彼女が幸せをつかむことができる世界へと旅立った。
姿を視認できなくなったものの、主従関係であったマスターだけは、それが理解できた。
「大丈夫だよね、沖田さん。きっと沖田さんなら、ノッブたちみたいに友達もできるよ」
誰もいなくなった空間で、マスターが一人つぶやく。
「もっと、いろんな事を教えてあげたかったな。もっと、女の子らしい遊びを、一緒にしたかったなあ。きっと、怒ってるよね、沖田さん。怒ってる、よ、なあ……」
徐々に脈が弱まる中、彼女との思い出を、彼女の笑顔を振り返りながら。
「まあでも、私もちょっとは頑張ったし、許してくれるよね? ……沖田さん。どうか、幸せ、に、なっ、て——ね」
マスターは、ゆっくりと瞼を閉ざした。
意識が芽生えて最初は、マスターを恨んだ。
冥府の先まで共にすると約束したのに、一人置いてかれてしまった。
だが、それもマスターに好意を抱くことになった理由なのだと再認識してからは、ただ感謝を感じるようになり、願いに応えようと思った。
そしてその次に、運命を恨んだ。
「沖田さん。落ち着いて聞いてほしい。君の病気は、治るのが難しいかもしれない」
医師がゆっくりと、相手を落ち着かせるような穏やかな声で語る。
どうやらこの体はどこの世界に移ろうとも治らないらしい。
結核と似ているという病気は空気感染のリスクがなく、現代ではすでに治療薬が確立されているという話だが、体自体が治療薬に対して重度のアレルギーを発してしまうという。ならば手術を、とするにも身体が弱く、無理強いはできないとのこと。
幸いにも症状を抑えながら病気と付き合っていくのが一番安全で無理がないという話に落ち着いた。
だが発作が起きてからは入院する事もあり、不自由な生活が続く。
「はーっ。——マスターッ! 全然幸せがやって来ないですよー! どうなってるんですかー!」
窓を開け、ここにはいない大切な存在へ恨み言をぶつける。当然ながら反応が返ってくる事はない。
この世界が元いた世界とは別な世界であるという事に気づいたのは数年ほど前の事だ。
マスターといた記憶がよみがえった時、彼女の目には見知らぬ大人二人の姿があった。その二人が両親であると気づいたのは少し先の事。
かの名をはせた剣豪と異なり、沖田はただ世界を渡っただけではなかった。体は少女のそれと同じとなり、知識はあるものの歴史や地名などは全く異なる世界が広がっていた。
きっと聖杯がここが沖田総司が幸せになれる世界だと判断したのだろうが。
今のところそんな予兆は微塵もない。
記憶が戻って数年が経つものの、むしろ再びこの身を襲う病の存在に気が滅入りそうである。まあ死ぬ心配がなさそうなのは幸いか。
「あら。沖田ちゃん、先に戻っていたの?」
「あっ。那須さん。おかえりなさい。そちらも検査終わりましたか?」
「ええ。今日は少し調子がいいみたい」
沖田が不安を募らせる病室に、相部屋である少女・那須玲がやって来た。
今日は検査の日。彼女も体が病弱であり、何か異常値が出ていないかと心配になっていたが、どうやら杞憂だった。確かに心なしか彼女の表情はいつもよりも健康的な肌色に見える。
「沖田ちゃんも大丈夫だった? 確か検査があったんでしょう?」
「もちろんですとも! 見ての通り体は全然元気ですから。何なら今からでも——コフッ!」
「きゃああああ!」
胸を叩いて健康をアピールしようとした沖田の口から血があふれ出した。
沖田の吐血により赤く染まる地面を見て、那須の悲鳴が木霊する。
すぐにナースコールを押すと、たちまちナースがやって来た。
沖田をベッドへ横に寝せると、口元の血をふき取り、呼吸音を聞いて、脈を図り、異常がない事を確認して地面の血もふき取った。
すでに何度か繰り返されている光景とあってナースの動きも慣れたものである。慣れていないのは同室である那須玲ただ一人であった。
沖田総司の病は症状は軽く、見た目は健康な人と大差ないのだが、激しい運動の後などに襲い掛かる吐血は中々収まらない。
「大丈夫、沖田ちゃん?」
「え、ええ。ご心配をかけて申し訳ないです。この程度ならばなんてことないです」
「よかった。……本当に病気と言い、名前といい、あの歴史の偉人とそっくりなのね。ひょっとして本当に生まれ変わりだったりするのかしら」
「あ、あっはははは。どうですかねえ?」
那須がかの有名な新撰組一番隊組長の名前を挙げると、同姓同名、しかし性別が異なる沖田は複雑そうに笑うのだった。
そんな日々が日常と化していた。
沖田と那須。
二人の病弱な少女たちが、お互いを気遣いながら、同じ部屋で過ごす日々は鳥籠のようだった。何をするにしても制限があり、自分の思うがまま自由に飛び回ることの出来ない籠の中。
外へ出る機会が多かった沖田が戻って来た時によく外であった話を聞くたびに、那須もこの籠から外へ出たいと、そう思うようになっていた。
「那須玲さん。我々の組織、ボーダーへ入ってみてはくれませんか?」
そんなある日。契機は突如として訪れた。
ボーダー、最近できた組織の事だ。ニュースで見た事があるし人伝いに聞いた事もある。別の世界から訪れ、三門市を攻撃した近界民という侵略者に対抗する組織。
「何故、私を?」
「はい。今我々は『体が弱い人が我々の技術によって再現する戦闘体で元気にできるのか』という研究を行っています。その研究にどうか付き合ってねがえないかと」
スーツに身を包んだ男性が冷静に語る。
要は実験体という事だろう。元気にできる、という表現が曖昧だが、それでも今感じている不自由さから解放されたいという願いを持つ那須にとっては無視できない話だった。
「さらに言えば、あなたには才能がある」
「才能、ですか?」
「ええ。我々はトリガーという専用の武器を操るための才能——トリオンというのですが、この力を数値化できる技術があるのです。あなたは、その才能に秀でている」
才能。
普通の人が言われれば嬉しい事なのだろう。誇りに思う事だろう。
だが、寝たきりが多い那須にとってはあまりにも実感の湧かない事であった。
そのため『トリオン』というものについて情報を聞こうと思ったが、これはボーダーの中でも機密中の機密事項であるため詳細は今の時点では語れないと断られてしまった。
開示できる情報はここまで、その上で判断して欲しいという事らしい。
「どうでしょう? 一度試しに来てもらえないでしょうか? それで無理なら断っていただいても構いません。しかしトリオンによってあなたが自由自在に動き回る事ができるかもしれない。チャンスだと考えて、挑戦してみませんか?」
何ともこちらの思いを駆り立てる言葉を口にするのだろう。
今まで挑戦する事さえできなかった者が多かったというのに、その機会が今あるのだというのだから。
この体の事は物心ついた時からずっと悩みの種だった。それが一時でも解決するかもしれないというのならば挑戦してみたいという思いは当然ある。
それに、実はすでに那須の身近な存在がボーダーに所属しているのだ。従兄の奈良坂、親友である熊谷。二人の頼れる人が属している組織だ。家族も承知している事だし、そういう意味では安心できそうな誘いであった。
ただ、それでもやはり未知の話とあって戸惑う心があるのは事実であった。
これまで経験したことのない技術に身を預けるという話であるという事。
そして何より、自分と同じように不自由を感じている親友がいる中で、一人だけそのようなチャンスを得るという事に対する躊躇いが。
「……条件があります」
「なんでしょう?」
相手もただ了承を得られるとは思っていなかったのか、すんなりと問いを返してきた。
「私と同じく病で苦しんでいる女の子がいます。彼女と一緒にボーダーへ行く、という事でいかがでしょうか?」
鳥籠から羽搏くならば一緒だ。
前に進むならば彼女と共に行きたい。
彼女は、沖田総司は、那須玲の友達なのだから。
その後、那須が沖田に話を通すと、彼女はあっさりと頷いた。
そして二人が都合の良い日に揃ってボーダー本部へと訪れる。
まずテストをするのは沖田からだ。より体の負担がすくない自らが先にやると聞かなかったのである。
「ほえー。すごいですね。このトリオン体? と言いましたか? 体が軽いですよ!」
「お、おお。それは良かった」
トリオン体に換装し、俊敏に駆け回る沖田をみて、説明役を担っていた技術顧問の鬼怒田が複雑そうに反応を返した。
こう見ると健康体にしか見えない活気的な姿だ。病弱とは信じがたい。
とはいえ、鬼怒田も一人娘がいるという事もあって、幼い少女が剣を手に取る姿というのは何とも言えない気持ちとなっていた。
「では、続いて運動テストをしていこう。まずはこれから街並みを再現するから、その街並みを走って少しずつ」
「ん? あれ、そっちなんですか?」
「そっち、とは?」
沖田の言いたい事が理解できず、鬼怒田が首を傾げる。
「ボーダーって、えーっと、何でしたっけ? でかい化け物みたいなやつ」
「近界民の事か?」
「それです! その、近界民? と戦うやつなんですよね? ならその戦闘訓練をするのかと思っていましたが」
沖田の疑問に鬼怒田をはじめとしたボーダー関係者がざわめき始める。
確かにもしも普通の隊員が入隊を果たした時にはいきなり戦闘訓練するのが常であった。
しかし今はまだ仮入隊でもないトリガーの体験の時間だ。あくまで沖田と那須の二人がトリガーで動き回れるかを見るだけのテストである。そのためそこまでやることは最初から想定していなかった。
「確かにボーダーとはそういう組織だが、君はまだ隊員ではないのだ。戦闘という行為自体が難しいだろうし、だから今は軽く体を慣らす程度で」
「やれますよ?」
「はっ?」
「私、やれますよ?」
説得を試みようとした鬼怒田の言葉を遮って、沖田が繰り返し告げる。
ぱっちりと開いた大きな瞳からは、なぜか鬼怒田が威圧するほどの圧が感じられた。
「……しかし」
「危ないならば止めていただいて構いません。そういう事が出来る訓練なのでしょう?」
「そうなのだが——いや、わかった」
説得しようにも、全く引き下がる様子のない沖田の素振りに、鬼怒田はため息をこぼした。
そして部下に指示を出し、やがて一軒家くらいの大きさを誇るトリオン兵・バムスターが訓練場に出現した。
ただし、戦闘力は皆無の状態だ。動きは繰り返すものの、人に反応して攻撃するような事はない。これならば万が一に彼女に危険が及ぶ事はないだろう。
「では、やってみてくれ。君が今手にしている弧月という剣を持って、好きなように攻撃をして構わない」
そう言って鬼怒田は椅子に腰かけた。
所詮はまだ戦闘を知らない、平和な日常を送って来た幼い少女だ。
少し剣を振るえば満足するだろう。
そう侮って鬼怒田は沖田の動きや表情を観察しようとじっと視線を送って。
「——わかりました」
鬼怒田は、人斬りの目を見た。
「……なんなんだよ、鬼怒田さん」
太刀川は自分を招集した幹部への文句を口にする。
突然呼び出されたと思ったら、いきなりある人物と軽く手合わせして欲しいと頼まれたのだ。
しかも相手はライバルか、と思えばそうではなかった。
言われるがまま部屋に来てみれば、そこにいたのは自分よりも小さい少女であった。
桜髪の長髪、大きな黒いリボンで後ろで束ねた、細身の女の子は、今にも消えそうな儚さがあった。
「えっ? 相手って、まさかこの子?」
「そうだ」
「ウソだー」
まさか、と尋ねたものの、鬼怒田は肯定するばかり。
何度愚痴をこぼしても意見が翻る事はなかった。
「まあいいけど。後で女の子いじめたーとか言わないでくれよ?」
仕事ならば仕方がない、と太刀川もトリオン体に換装し、先に少女が待っている訓練室へと赴いた。
「では、合図があったら始めてくれ」
「わかりました」
「りょうかい」
鬼怒田の指示に沖田はハキハキと、太刀川は力のない声で応じる。
やがて機械音が始まりの合図を告げたのだが、さてどうしたものかと太刀川は後頭部をかいた。
「えーっと、なんだっけ。沖田? だったっけ?」
先ほど見た資料を思い返し、太刀川が目の前の少女に問う。
「手合わせって事だけど、まあ軽くやってくれればいいから。俺も適当な所で」
終わらせる、と告げようとして。
太刀川の視界から少女の姿が消えた。
「ッ!」
いや、わずかに視界の右端に影が見えた。
瞬時に太刀川は弧月を右に構え、防御を試みる。
トリオン体だからこそ出来た瞬時の反応に、しかし沖田の弧月によって右腕を刈り取られ、そして返す刀で首を撥ねられた。
「斬り合いの最中に話しかけるバカで助かりました」
視界が上下反転する世界で、太刀川は数秒前の人懐っこい笑顔とはかけ離れた、冷たく、鋭い視線で自分を射抜く人斬りと目が合った。
「……おい。誰がバカだ、この野郎」
「戦闘体活動限界。太刀川ダウン」
太刀川の体がトリオン体から本体へと戻り、訓練の終了を告げる。
一瞬の攻防に、最強を退けた剣技に、鬼怒田はもちろん見ているものすべてが言葉を失った。
「……すごい」
それはもちろん、那須とて同じ。
彼女が知る沖田総司という接しやすい、明るい年相応の少女とは想像が出来ない、しかし剣士と呼ぶにはあまにも華奢な体で刀を振るう姿は、彼女の透き通るような白い肌と相俟って雪椿のようであった。
訓練を終え、元の体に戻った沖田が訓練室から戻ってくる。
なんて声をかければいいのか、那須が迷っていると、彼女を発見した沖田がいつもの大きな笑みを浮かべ、勢いよく駆けよって来た。
「イエーイ! 沖田さん大勝利ー! 見ていてくれましたか、那須さん!」
先ほどの戦闘が嘘のような、いつもの沖田の顔だった。
彼女の明るい声で緊張が一瞬で緩む。対応を悩んでいた自分がバカらしくなってきた。
「ええ。見ていたわ。すごいのね、あんな動き初めて見たからびっくりしたわ」
「でしょう? 沖田さん絶好調です!」
素直な賛辞を受けると、沖田が「そうだろう」と胸を張った。
やはり反応の一つ一つがかわいらしく、とてもではないが戦いとは似ても似つかない。
どちらが本当の彼女なのか、判断に迷う姿であった。
「ちょっと待てー!」
すると、二人の少女の他愛ない会話を遮って、太刀川の力強い叫びが耳に届く。
「お前、面白いな。もう一戦やろうぜ? 今度は本気でだ」
「おいおい、太刀川。あくまで今回はテストでだな? しかも彼女は身体も弱くて」
「ふふん。私は良いですよ? 身体は大丈夫です。まだまだいけます——コフッ!」
「きゃああああ!」
「なっ、おい君! しっかりしろ!」
戦闘狂である彼は物足りなかったのだろう。太刀川が戦闘続行を要請すると、鬼怒田の説得の声も無視して沖田が応じようとして、吐血した。
那須の悲鳴、鬼怒田の戸惑いが部屋中に広がる。
突然の変貌に、訓練を持ち掛けた太刀川は顔を青ざめて、
「えっ? 何、こいつ病気なの?」
「さっき資料で説明しただろうが!」
呑気にそうつぶやくのだった。