少女の微睡、月香の夜。 作:かなしいな
※第三十九話、物理的に暗いです。
帰還しました。
じゃあまた半年後に……
油断大敵を具現したかのような死に様で夢へ舞い戻った狩人は、顔を赤くして目的の正面へ歩み寄る。
何処と無く不安そうな、しかし人形であるが故に表情など変わりようも無い顔が、狩人を見下ろす。
「お戻りになられましたか、狩人様」
「はい……その、ですね。さっきは逃げて、ごめんなさい……」
「……?はい」
"理解していない"というより"謝る必要があるのか"といった雰囲気を、己の顔が見られない程度に頭を下げた状態で、旋毛に向けられる視線のみで狩人は感じ取った。
無論本人は謝る必要があると思ったが故に謝っているのであり、人形とてそれを汲めない訳では無い。
だからこその首肯で、納得出来ないからこその疑問符。
或いは狩人が「勝手に恥ずかしがって勝手に逃げてごめんなさい」と全て曝け出して頭を下げたのなら、きっと人形は根掘り葉掘りと聞いていただろう。
元より人形は狩人が何処へ向かっていたのかを気にしていた。
つまる所、気にするだけの何かを既に感じ取っていたのだから。
「あの、そのぉ……外でちょっとしたミスをしたというか」
「でしたら、私に謝る必要など無いのでは」
「えっと、人形さんに似てる人に会って……ぁぅ」
火炎瓶を顔面に喰らいでもしたのかという程に赤く、熱くなった顔を狩人はなかなか上げる事が出来ない。
そんな無様を晒す狩人の両肩に人形の手が触れ、そしてそれを押される事で顔が僅かに持ち上がる。
「……愛しい人。貴女が何を見て、何を感じようと、それを咎める事を私はしません」
「い、いとし────」
「ですから」
「はひ……」
常であれば、人形がこのような強硬策に出る筈も無い。
人形とは所詮世話役であり、世話以上の事をする訳も無いのだ。
だがどういう訳か此度は違い、人間性に近しいものを獲得している。
人形は狩人を愛し、そして愛されようとしているのだ。
狩人が以前、自分に愛の先行投資をして欲しいと言ったように。
人形は今の今まで、その愛を注ぎ続けて来た。
「貴女が私に気兼ねするような事は、何も無いのです」
狩人が"少女"から"狩人"となった時。
酷く弱った狩人を人形が癒しきる事は出来なかった。
狩人がこの夜で見付けた初めての友を、己が"狩人"であるが故に狩り、そして壊れてしまった時。
人形の手は届かず、ただ見送るしか出来なかった。
結果として今があり、狩人の心は治りこそすれ完治はしていない。
一度刻まれた罅は、塞がる事など有り得ない。
人形であるが故に持っていなかった感情。
"罪悪感"にも似たそれが、人形を苛んでいるらしい。
「それはその……愛してるから?それとも、世話役だから?」
「何方もです。貴女の世話役であるが故の事であり、愛しているが故に貴女の全てを受け入れたいのです」
晴れた夜空と作り物の眼球の光が交差し、狩人の赤がほんの少し落ち着く。
何となしに思い返した人形の性格、性質と言っても良いそれに"納得した"と言うのが適切か。
「……ごめんなさい」
「ですから────」
「そっちじゃなくて、謝りたい事がまだあるんです」
頬に触れる冷たい白磁が、体温など無いその手こそが、狩人に"温かみ"を錯覚させる。
思考に浮かぶのは、以前狩人の方から提案した"先行投資"。
未だその理を、言うなれば愛に返す為の愛を、狩人は手にする事が出来ていない。
さりとて愛など不確定的な、存在し得ぬと言えるものを手に入れる手段など、内に見出す他に無い。
人ならざる者を目指した者達が、人を越えよ、超えよと定め造った器。
それこそが狩人ならば、愛する心足る"人間性"を獲得する事は難しいと言える。
「まだ、愛が何なのかわかってなくて」
ただ見出すだけならば、その為に造られた狩人は得意としても良い筈ではあるが。
無意識的に人である事に固執する様は、或いは人でなし以外に出来る素振りでも無いのだろう。
「それを何故、謝るのです?」
「え……?だから、まだ返せなくて……」
「何がいけないと言うのですか」
だが"謝りたい事"などと言って並べても、人形の愛に届く事は無かった。
"どうでも良い事"と切って捨てるようにすら聞こえる声音は、ただ狩人からの愛を受け取らないという事でも無く。
「一晩程度も待てない程に、追い詰められるものではありません。私は人形……夢の中で貴女を待つ、人形なのです」
「だから、時間は気にしない……?」
「貴女であれば、悠久でも」
「……流石に、そんなに待たせたくはないかなぁ」
くすり、と笑みが零れる。
正気を取り戻した、或いは狂気に堕ちる事が出来た時のあの笑いとは、まるで違う。
ふにゃりと緩んだ頬は、ある意味では人形がこの顔に求める最たる形。
狩人は微笑を浮かべながらその頬に触れたままの手を取って、甲に添えた手で更にぐいと押し付けた。
人形の手を枕にするように頭を預け、残った片手で腕を抱き締める様は、牙の抜け落ちた飼い猫のようでもある。
「僕だけの愛を見付けて、最初に人形さんに渡します。すぐにとは言えないけど、きっとこの夜が明けるまでに」
「貴女が夜明けを迎えても、そこに私が居なくとも……貴女を愛し続け、必ず貴女の愛を受け取ります」
「……ふへ、なんか堅苦しいですね、こういうの」
気の抜けた笑いを一つ漏らして、狩人は一歩後退った。
時計塔のマリアが狩人にそうしたように、名残り惜しさを隠さない手付きで、人形の手をそっと置き去りにして。
「行ってきます、人形さん」
「はい。行ってらっしゃい、狩人様」
先程の歩みよりもずっと迷いの無い、確固たる足取り。
この夜で何を求め、何に縋るのか。
狩人では無く我らが、光球が決めていた道筋だったが、今はもう示す程度しか出来ない。
故にここからは狩人の道行であり、彼女が決めた事こそが目標となる。
"愛の形を知る事"と、"夜明けを見る事"。
願わくばその二つが成される時、我らの悲願に相見えん事を。
走行に淀み無し。
端的に言えば絶好調の様子である狩人は、聖剣を握り上層を駆ける。
軽い足取りが踏むのはただ真下にある石畳だけで無く、足場と出来るものなら塀だろうと壁だろうと、迫る敵だろうと踏み付けて行く。
駆け抜けた先で狩人を待つは、脳喰らいが一体。
途上に居た使い達を蹴散らしての行軍だったが、狩人は息一つ切らさず聖剣を構える。
両手で佩いたそれを踏み込みと同時に薙げば、脳喰らいもまた獲物を捉えんと飛び掛かった。
「ヴォォォッ……!」
「しっ!」
が、しかし。
薙ぎ払われた聖剣による一撃で、顔を出した食道が先から二つに枝分かれする。
そのまま鈍が肉を割り、一閃。
脳喰らいは跳躍の勢いごと剣を迎え、両断される事で命を落とした。
「……ふぅ」
ともあれ流石にここまでの進撃と、たった今の全力で行った斬撃もあって、狩人はその場で息を入れる。
妙に肌に合う空気を吸い、そして吐く一度の深呼吸の内に、目にしたのは傍に落ちていた装束が一つ。
白一色と言って良いそれは、処刑隊のものより頼り無い布だ。
ある種我らと同じ道を行き、然して辿りはしなかった者達。
"聖歌隊"の装束だ。
この地に捨て置かれた上位者を祀り、迎えとなる星の徴を共に待ち、探し続ける事を超越的思索とした会派だ。
「軽いけど……ここで着替えるのはなぁ」
敵地であり、先もわからない小さな一室。
道こそ見えているものの、そこに何が潜むかを知る術は進む事以外に無く、それを出来ていない現状はまだ安全とは言い難い。
着替え始めて獣が現れたとなれば、瞬時に反撃には及べないだろう。
「……進もう」
結局着替えはせず、狩人は歩みを進める事とした。
腰に手を伸ばし携行ランタンを灯して、そろそろと部屋を出る。
見た限りでは動く影も無く、だからと言って派手に動けば何が起こるかもわからないが故に、足取りはこれまでと違い慎重なものとなった。
小部屋を出た先は左右への長い廊下が続いており、狩人は何と無しに右の道を選ぶ。
突き当たりは歩き始めた段階で視認出来た為、後はその左右に道があるか否か。
閉じられた窓は木板が打ち付けられている事もあり、閉塞感は廊下の面積よりも狭苦しく感じる。
そうして辿り着いた先には、突き当たりの壁に凭れ掛かった死体が一つと、左手側に扉が一つ。
扉の向こうからは何者かの気配が漂っており、開けようかと迷った手が何度か空を切る。
数秒の思考の末に意を決した狩人の手が扉へと掛かり、そして────
「ガァァアアアッ!!」
「ひゃあぁぁああっ!?」
扉を正面にした狩人の真横、つまりは突き当たりに存在していた窓を突き破ってそれは現れた。
黒い毛並みの獣は両眼を青く染めており、これまで見て来た獣より力強さを感じさせる。
────…とは言っても、この狩人からすればどの獣も未だ恐ろしいものなのだが。
「グォォゥッ!」
振るわれる爪牙を避け、いなす事で襲撃自体は乗り切り、構えた聖剣で前肢の節を刻む。
人形やマリアと居る時とは違った意味での早鐘を打つ心臓を、一旦はそういうものとして息を整える事に集中しつつ、思考に浮かべるのは先程自分で上げた叫び声に獣が釣られる可能性。
今も噛み付こうと寄って来る大狼は、一匹でも相当に強力な相手だ。
これまで狩って来た強者達とは比べ物にならないとは言え、狩人が数の力に弱いというのは夜の常識である。
二匹三匹と増えようものなら、直ぐに形勢は逆転し、どころか一方的に押し切られての夢送りも容易い。
「こ……んのぉっ!」
膂力に任せた爪を技によって弾き、周囲の警戒に費やしていた集中を目の前の獣だけに絞る。
都合四度もの攻撃を許す程の時間があって尚、続く影は見えないまま。
故に狩人は最早続手に目を向ける事などせず、有り得るかも知れないそれらの為、今戦いの場に居る獣を屠る事とした。
「グルォッ!」
短い雄叫びは、ただ獣が閉口した訳では無い。
威嚇よりも重視せねばならない一手が、か弱い筈の獲物から指された事で、牙をも動員する必要が出来たというだけの事。
獣が掴み掛かろうと大きく広げた前肢を前にして、聖剣の剣先は前を向いていた。
「────…っふ、ぅうっ!」
両手に固く握った聖剣を、まるで槍で突くかのように左胸に構えれば、自然と右肩が前に出る。
だが獣が目にしたのは迫り来る細身の上体だけ。
下半身が何を成していたのか、知る由など無い。
「ガ……ァ」
直後、獣の顎は縦一文字に斬り分かたれる。
右肩を出すと同時に強く踏み込んだ右足によって再加速した体は、上体の捻りと左足での姿勢維持を全力で活用し、踏み込みに続く一撃を放つ。
眼前の敵を打ち上げんばかりに振るわれた真上への斬撃は、古びているとは思えない斬れ味をした聖剣の威力をもって、獣の命を刈り取った。
襲い来る敵の鉾を恐れない構えと、恐怖の克服から更に一歩先を行くような、自ら危険に飛び入る踏み込み。
残念な事に狩人自身が恐怖を捨てた訳では無いのだが、大剣を扱うに相応しい技量は得ているらしい。
少なくとも今使った技は、内に棲んでいた狩人達の幾人かに見られたものだ。
であれば我らも彼らも、ただ弾かれたという事にはならない。
得た経験も、磨き抜いた技も。
余す所こそあるのだろうが、確かにこの少女の中に残っている。
「ふーっ……」
聖剣を担ぎ直しつつ息を整え、狩人は目的であった扉を見遣る。
一度決めた心は思わぬ襲撃により瓦解、ないし霧散してしまったが、かと言って道は急ぐ。
ままよと手を掛け、力を込めるものの、扉はびくともしない。
押し、引き、上げ、下げ。
結局どの方法でも開かない扉に徒労を知ったか、狩人は来た道を戻る。
溜息を吐きながら向かう先は、先程選んだ二択のもう片側。
小部屋の出入口から見て左側の、現状正面に見える真っ暗な通路だ。
小心者の狩人としては携行ランタンがあれど不安な道行であり、左右の壁どちらかに明かりが一つでもあってくれればと、いつの日にかこの廊下を設計した者に恨み言を垂れている。
無論心中での話であり、獣に気取られる事の無いように口は閉じ、周囲の警戒は怠っていないが。
ランタンのささやかな明かりだけを頼りに歩けば、左通路の突き当たりも見えて来る。
右手側に道が続くのみのそこで一度立ち止まり、する事と言えば道と壁の向こうにあるやも知れない気配の確認。
暗闇に目を凝らせど影も闇に溶けて見えはしない。
「……行くしか、無い」
声と息によって発された音の震えは、確かに獣の息遣いを拾った。
が、しかし、狩人が止まる理由とするには弱いもの。
獣狩りの狩人なのだから、獣が居るからと止まる事も無いだろう。
そう離れない所で暗闇に途切れるだろうと予測されていた視界は、今までとは一転して明を保っていた。
踏み入ったそこは柱が立った広間であり、天井からはシャンデリアが吊られている。
狩人の脳裏には何処ぞで見たような記憶もありはするのだが、当人としては最早それが自分の記憶か他者の記憶かはわからない。
明かりがあるからと安心しきる事はしない。
獣の息遣いは今もこの広間に存在し、そしてそれは一つだけでは済まないのだから。
感じ取れる範囲のものは二つか三つ、天井や広間の更に奥にはまだ気配の掴めない獣も居るやも知れないのだ。
とは言えここで足踏みをしていても何も変わらない。
ただ立ち止まって対策や抜け道を考えるには上層の空気は落ち着かず、狩人は肌に合う事よりもざらつくような違和感を厭い、今居る出入口から正面に見える扉の方へ歩き出した。
当然のように扉は開かず、残る道は広間の奥。
さんざ悩んで出した結論は、結局の所広間への道行だった。
聖剣を握る手に軽く力を込め、肩に担いだそれを右手だけに任せて、左手は長大な剣を振るうより早く反応出来るであろう短銃へ伸ばす。
「オ゙ォォ……!」
「ひっ」
聞こえて来た唸り声に小さく悲鳴を上げつつも、左手はしかと短銃を掴み、引金へと指が添う。
身構えた一瞬は、しかし何事も起きずに過ぎ去ったかに思えたが───────
「ガゥゥァアアッ!」
「ひぃぃぃっ!?」
既に奇襲を受けた後にも拘わらず、狩人がこうまで怯える理由。
それは獣が襲って来たからでは無く、また別の事象によるもの。
言ってしまえばそれもまた獣の襲撃なのだが、狩人は頭上で激しく揺れるシャンデリアにこそ恐怖していた。
大きく音を鳴らし揺れるシャンデリアは、恐らくは狩人の頭上でそれに飛び掛かり、のし上がったであろう獣の重さに耐え切れず軋む。
そのまま数秒の揺れによって広間の隅々へと光をばら撒いた後、ついにシャンデリアを繋いでいた鎖はちぎれ、獣ごと落下した。
「ゥルルル……!」
振動する空気の波は、獣が鳴らした喉の音。
威嚇とも取れるそれが正面から聞こえた瞬間、狩人の体は恐慌の中にある精神すら置き去りにし、聖剣を振るった。
狩人が正気に戻ったのは、剣先が硬い肉を斬り裂いたのとほぼ同時。
「っ……ぁあっ!」
反射での一撃に理解が追い付き、確実に獣を捉えた聖剣をそのまま振り抜く。
床に弧を描いて撒かれた血に反応したか、周囲からはのそりと起き上がるような音も聞こえて来た。
どうやら先の一撃で大きく開いていた顎から喉までを真一文字に斬られていたらしい獣にトドメを刺し、狩人の足はそのまま広間の奥へと走り出す。
「ふーっ……!」
細く吐いた息に柔らかな獲物の気配を知った他の獣も、狩人の足取りを追うようにして広間を駆ける。
背負うように担いだ剣は光源が失われた今だけは、その異常性を持ち主に伝える。
淡い光が、まるで聖剣の鞘としてそこにあるように瞬いているのだ。
今の今までずっとそうであり、現在の持ち主である狩人だけがそれに気付かなかったのか。
はたまた月と星の光を喪った事で、月光の聖剣たるものとしてその光で何かを照らそうとしたのか。
或いは、その剣身を輝かせるに足る何かに近付いているのか。
どんな理由であれ、光に気付いた事で柄を握る右手に伝わる熱を、狩人は煩わしくなど思わない。
温かな、暖かな光を強く握ると、駆ける足は段々と遅くなる。
やがて伸ばされる爪が背に届くのではという所で、狩人は右足を杭のように二歩分奥の床へ突き出し、上半身を聖剣の重さに任せて大きく捩った。
「────…っらぁっ!!」
淑女に似合わぬ力強い掛け声は、細い喉を通ったソプラノの声によって音となる。
尤もそれを聞いた者は、直後に頭を上下で両断された訳だが。
腹に穴が空いて死なない者は居ても、頭を潰されて生き長らえるような者はそう────…いや、それなりには居ただろうか。
しかしどうやら運が良く、狩人が先程から狩っている大狼は、頭の両断で確りと死を受け入れてくれる獣だったらしい。
「んぐぅぅぅっ……!」
続いて襲い来るもう一匹の狼に焦点を向け、急旋回で浮いた左足を床に叩き付け、聖剣に振り回されるまま変わって行く体勢を無理やり制止する。
間髪入れずに込められた力によって駆動する関節部は悲鳴を上げ、部位によっては嫌な音を立てはするが、それすら無視した逆方向への旋回。
「ぅぁぁああっ!」
「ガギャァッ!!」
短銃に添えていた左手も動員しての斬撃は、獲物を頭上から組み伏せる為に立ち上がった狼の腹部を割り裂く。
倒れ行く狼へのトドメは、そのまま続く旋回に任せての同高度への一撃によって落下する頭部へ炸裂し、広間での狩りは一先ず片付いた。
────…が、それで終わりでは無い。
ここはまだ道の途上であり、目的地に辿り着いた訳でも無いのだ。
それを理解している狩人は、休憩も取らずに歩みを再開した。
暗闇の中を歩く狩人が思うのは、ランタンの利便性と致命的なまでの欠点。
それは周囲が見易くなると同時に、周囲"から"見易くなるという、明かりであるのだから至極当然と言える部分だ。
しかしこうも暗ければ、特に後者が顕著になる。
「……消そうかな」
やや遠い所にぽつんとある息遣いを感じ取ってか、まだ接敵はしないと悟った狩人は、小さな呟きと共にランタンへと手を伸ばす。
明かりがふっと消えた事で、ここまで来ても治らない狩人の臆病さが刺激されたか、足取りも少しばかり遅々とし始めた。
そうして再び暗澹に包まれた空間を一人歩く狩人は、やがて一つの扉に辿り着く。
鍵が掛かって開かないその扉は狩人の記憶が間違いで無ければ正面大門の方向であり、ここさえ開けば今後夢に戻されたとしても道程は楽になるだろう。
「ヴォォォ……」
「あぁ……うん」
と、目的地に近付くかはわからないものの道行としての目標に足るものを見付けた狩人の耳に、あまり聞きたくは無い音が届く。
つい先程も殺し殺されをした脳喰らいの声だ。
狩るべき対象という程では無いにしろ、見付けたなら狩りたいくらいには煮え湯を飲まされている。
────…飲んでいるのは寧ろあちら側であり、煮えているのも狩人の頭の内なのだが。
兎も角として、狩人は探索を再開した。
周囲は暗いだけで特筆すべきものも無く、故に道程を正す為にも一度階段の方へと足を進める。
その途中で横に見えたのは、何やら細い通路の入口。
「……声の方向、だよね」
脳喰らいが居るであろう通路であり、内心的には最も選びたくないであろう択。
だがしかし、得てしてこういう択にこそ、求めるものは置かれているのだ。
運命的な何かに決定付けられているのでは無いかという程、今までの道程では"そう"だったのだから。
故に歩き出した狩人を、一つの小さな影が歓迎する。
人面が掻き混ぜられて出来た汚泥のような様相をしたそれは、小さな四足を持ってカサカサと音を立てていた。
悪夢で何度と目にし、そして今では有用性をした血石を内包したその生物らしきものに、狩人は直ぐ様聖剣を突き立てる。
「あ、石だ」
あまりにも軽い発言で狩られた彷徨う悪夢が転がした血石の塊を二つ懐にしまい、狩人は前へと向き直る。
あれだけ警戒と疑いの重要性を知ったにも拘わらず見事目の前の宝に釣られて見せた狩人を、それが当然とでも言うかのようにそこに佇んでいた脳喰らいが、白光での攻撃によって出迎えた。
細い通路を真っ直ぐに飛来する光の弾丸は、以前聖堂街でその身に受けたもの同様、着弾と同時に拘束を働くものなのだろう。
どの程度の範囲なのかを記憶、ないし理解している訳では無いが、少なくとも掠める事も許容出来ない攻撃だという事は確かだ。
であれば聖剣でもって打ち払うのかと言えば、否。
広範囲に影響を及ぼすもので無いとは言い切れず、打ち払った途端に拘束となっては手の打ちようが無い。
つまり回避一択となるのだが、この狭い通路では左右に避けようにも難儀する。
故に狩人は、上へ避ける事にした。
「そぉ……れっ!!」
掛け声と共に聖剣が壁へと投げ付けられ、その切っ先が壁を貫く。
聖剣を即席の足場とする暴挙を一瞬にして思い付き、そして実行した狩人は、その柄へと足を乗り上げ跳躍した。
この夜が始まってから何度か機会はあったが、どうやら狩人は立体的な動きを得意とするらしい。
真下を通った白光を、だが目で追う事はせず、狩人は壁から聖剣を抜き放つ。
対する脳喰らいは両手に再び白光を収束させており、今にも次弾を放つと言った所。
であるなら、"次の策を"などと考えている暇は無い。
「ヴォォォッ!!」
聖剣を片手に引き摺り走る狩人は、最速を出すにはやや足りない。
重い聖剣を手にしているという事もあるが、そもそも着地直後に聖剣を抜いた事で、姿勢が出来上がっていないのだ。
故にここから全速で詰めて斬撃を繰り出すなど、到底出来ようも無い。
だからと言って白光が止まってくれる事も、脳喰らいが加減を効かせてくれる訳も無いのだから、狩人はどうしても行動を強いられる。
思考は間に合わず、回避の隙も無く、だからこそ狩人は反射による最善手を取った。
「ふっ!」
しまっていた筈の短銃、それを左手に持ち、しかし構える事無く前へと放る。
直後に白光が着弾したのは、やはり投げられた短銃だった。
白光は空で弾け、両者の視界は一瞬ホワイトアウトする。
ここからは速度が物を言うのだから、狩人が負ける事なぞ有り得ない。
「せいっ!!」
未だ数歩分空いていた距離を一息に詰め、狩人は聖剣を横一文字に薙ぎ払う。
壁の装飾ごと斬り裂く一撃を防ぐ術を脳喰らいは持たず、ついに辿り着いた刃を迎え入れ、その胴を両断された。
戦闘の起こりこそやや間抜けではあったが、最中を見るだけならば狩人自身の能力の向上を理解出来る内容だ。
「────…やっぱり、気が抜けてるのかなぁ」
気合いを引き締めた直後に油断し、血石を拾っている間に見付かったのが余程ショックだったのか、本人は喜べようも無さそうだが。
兎も角として、狩人は目の前に見付けた新たな道を見遣る。
脳喰らいが居た小部屋には、上へと続く梯子が一つあり、進むのならばこの方向しか無いだろうという事もわかっていた。
少し間が空いて、狩人は短銃を拾うと梯子に手を掛ける。
奇襲の可能性はあれど、進まなければ何も始まらない。
帰る場所すら無いという事が明かされた時点で、狩人の中に狩りに対する意欲など無いに等しかったが、かのマリアめに言われた通りにすれば何かが起こるという予感があった。
実際その予感は正しいのだが、それが望む所であるかは、きっとその時にならなければわからないのだろう。
梯子を登り終えた先は、今までと変わらぬ暗闇。
狩人の手は携行ランタンに伸び、だが明かりを灯す事無く手は短銃を構え直す。
聞こえて来た息遣いは三つ、背後の道に一つと右前に見える道の向こうに二つ。
狩人は数秒悩み、前へと進んだ。
息遣いは明らかに脳喰らいのもので、それが三つも聞こえて来たのだから、トラウマ持ちの狩人であれば後ろを選んでいてもおかしくな無かった。
だと言うのに前を選んだのは、何かに惹かれたからだろうか。
短い階段を一つ上り、吹き抜けから下を見渡せる廊下に出た狩人は、柵に凭れ掛かる脳喰らいを見付ける。
その更に奥、先程開けられなかった扉がある場所にも一体の脳喰らいが立っており、且つ足場は狭く二対一には不向き。
地形からして奥の一体に気付かれる訳には行かないと悟った狩人は、そっと息を潜めながらその場で屈む。
機を見計らいながら動く狩人を目敏く見付けたか、奥の脳喰らいが身動ぎをした瞬間、狩人は左手の短銃を発砲した。
暗がりとは言えまだ警戒の段階にあるだけの標的を相手に外す程、狩人は動転していない。
見事奥の脳喰らいに水銀弾を命中させた狩人は、発砲音によって振り向いた柵側の脳喰らいに向かって大きく踏み込んだ。
片手に構えた聖剣の狙いは一点、振るう事も出来ない程に重くとも、今回ばかりは当てさえすればそれで良い。
結果として狙い通り切っ先は脳喰らいの頭に命中し、僅かだがその刃は肉を割り裂き食い込む。
そうして怯んだ隙を見て、狩人は脳喰らいに蹴りを見舞った。
「落ちろっ!!」
突きによる仰け反りに合わせた蹴りは、確りと脳喰らいの上体を捉え、柵を乗り越え向こう側に叩き落とした。
これで残るは一体、先程水銀弾によって行動の起こりを咎められた者のみ。
「ヴォイィィッ!!」
一体を突き落とすのに掛かった時間を利用し飛びかかって来る脳喰らいに向けたのは、聖剣では無く短銃だ。
ヤーナムの狩人の業の中でも、この狩人が特別得意とするであろう一つ、パリィだ。
短銃による銃撃は脳喰らいの左肩を撃ち抜き、その体勢は崩れる。
「グヴッ……!」
「お前も……おやすみっ!!」
パリィによって崩れた姿勢を立て直す間も無く、聖剣が脳喰らいの首を刎ねる。
彷徨う悪夢に釣られた者と同じとは思えない鮮やかな手際で、一先ずこの場の脅威は凌いだ。
後は背後に居たもう一体をと振り返ろうとした狩人の足に、かちゃりと小さな金属が当たる。
「これ……鍵?」
脳喰らいが持っていたらしいそれは、どうやら鍵のようだった。
思い当たる節と言えば、下階にあった大扉だ。
向かう先が決まった事で他に無いかと辺りを見回す狩人は、真左の暗がりに扉がある事に気付く。
鍵などは掛かっていない様子の大扉の向こうに何かを感じ取ったか、狩人は聖剣を壁に立てると一つ気合いを入れて両扉に手を添えた。
「ふっ……!く、重……っ!!」
今まで開いたものの中でも中々な重さをした扉は、狩人の細腕が全力で押してようやく中心に隙間を空け、地響きのように重い音を立てながらゆっくりと開く。
隙間からはただ外へと繋がるだけでは無い光が差し込み、視覚で判断出来る程度に開いた頃には、明らかな異常が狩人の瞳に飛び込んだ。
端的に言えば"交信するミイラが光っている"のだが、狩人から見ればミイラ自体が光っていると言うより温かな光がミイラを包んでいるような様子であり、そもそも狩人は何故自身の内に"交信"という考えが浮かんだかすらもわからない。
ただ狩人はそのミイラを恐れはせず、今は背中しか見えないそれの正面まで歩いて回り込んだ。
そのまま何を思ったか、狩人は再び壁に聖剣を立て掛け、ミイラの正面でぴんと背筋を伸ばした。
両腕共に指先までを真っ直ぐ伸ばし、片腕は天を衝くように真上へ、もう片腕は天秤でも載せるかのように真横へと伸ばす。
腕の角度は直角を描き、交信が完成した。
十秒が経ち、何も起きない。
二十秒が経ち、狩人は身動ぎもしない。
三十秒もすれば片腕は疲れ始め、狩人もそこでようやく両腕を下ろした。
「……何してるんだろ」
阿呆らしくなったらしい。
今はまだ肌寒いヤーナムに於いて、現在は夜であり、ここは聖堂街の上層。
それもかなりの高層にあたる為、空気は冷えるし風は冷たい。
今し方外に出たばかりとは言え、狩人もそれを充分に思い出し、馬鹿げた真似をしたと反省して聖剣を手に取る。
かつてカインハーストの騎士達が着ていた装束は、確かにごく貴族的な華美な装飾をしているものの、機能で言うならば防寒には優れているだろう。
それでも狩人の顔は赤らみ、吐く息は白んでいる。
「……まだ、良いや」
もう少し暖かな装束を持っていないかと懐を探す事も考えたが、一先ず進む事としたらしい狩人は、再び室内へと戻って行く。
そのまま右手から梯子を下りると、次に狩人は扉の右手側にある筈の通路へと向かった。
「うわぁ……」
そこで漏れた言葉通り、どうやら嫌なものを見付けたらしい。
狩人がこの上層で嫌がるものと言えば、それは脳喰らいが筆頭であるのだが。
先程梯子のある通路で戦った時同様、脳喰らいは白光を飛ばし狩人に攻撃する。
「ヴォォォッ!!」
その攻撃の起こりを見た狩人は、白光が発せられる直前から真っ直ぐに走り出しており、直後上体を狙って打ち出された光を回避する。
横でも上でも無く、足から前に飛び込むようにして下へ避けたのだ。
床に一筋の線を刻み、火花と金属音を散らしながら奔った聖剣は、線の続きを脳喰らいの胴へと繋げた。
打ち上げるように繰り出された斬撃に下から頭を叩かれた脳喰らいは、白光に続く連撃すら許されずに体勢を崩す。
ここに来て著しい成長を見せる狩人の手でもって、いよいよ敵で無くなったらしい脳喰らいは、胴と頭に聖剣による穴を一つずつ空け絶命した。
床に積もった埃を盛大に巻き上げた狩人は、小さく咳き込みながら立ち上がり、尻に付いた埃を手で払う。
スカーフにまで舞い上がっていたものも払い終えた狩人は、奥まで歩く最中に気になるものを見付けたようだ。
道の傍らに座り込む死体の首元、ペンダントのように提げられたそれは、"星の瞳の狩人証"。
「綺麗……」
光の少ないこの場でも、瞳のような飾りの中心に嵌められた夜にも似た宝石は星を湛えており、光の反射こそ無くとも美しさは色褪せない。
気に入った様子の狩人はそれを狩人証と知らずとも手に取り、死体に祈ってその場を歩き去った。
そうして辿り着いた一階の扉の錠前に、先程拾った鍵を差す。
やや錆があったか回り難い鍵は、折らないようにと慎重に何度か力を篭める事でようやく回り切った。
錠前が外れた扉を狩人が押せば、二階のもの程重くない扉が埃を落としながら開いて行く。
その先にはレバーと正門が見えており、左手には上へと続く階段があった。
数歩外へ出て振り向けば、扉の横には表札が一つ。
"孤児院"と書かれたそれに、狩人は納得の行ったような、或いは納得が行かないような顔をする。
どちらも内心にあるが故の微妙な顔付きは、仕掛けのレバーを動かした後に言葉となって口から漏れた。
「孤児院……か」
金属の扉が擦れて開く音が止んで、狩人の視線は門の前に群がる赤子達へと向く。
寂し気な憐れみは、きっと彼らの内一つを葬った狩人が向けて良いものでは無い。
それを知る狩人は直ぐに憐れみを捨て、灯りへと歩いて行った。
"もう泣かない"と何度も決意したにも拘わらず、今はどうしようも無く泣きたい気分で居るらしい。
「人形さん」
夢に戻って直ぐに、狩人は人形のもとへ歩み寄る。
先程まで顔に貼り付いていた今にも泣き出しそうな表情は、もう何処かへ鳴りを潜めて。
「はい、狩人様」
何も言わずに伸ばした片手を人形がそっと受け止め、要求も肯定も挟まずに遺志の変換が始まる。
その最中でそう言えばと狩人が取り出したのは、孤児院で拾ったペンダントだ。
人形は遺志を変換しながらも、狩人が何ぞと問うまでも無くそのペンダントの正体を告げる。
「それは……恐らく、狩人証ではないでしょうか」
「狩人証って、水盆の品揃えが増えるってやつですよね?」
「はい。星の瞳の狩人証……こうして見れば、狩人様の瞳によく似ています」
その言葉に照れ臭そうに笑いながら、狩人は星の瞳の狩人証を懐へ戻す。
「そっか、狩人証かぁ」
"さっさと買ってしまって、狩人証は人形さんに渡そう"などと考えながら、遺志の変換が終わった事で人形から離れた手を二、三度握り直す。
やはり力の変動などは感じられないようだが、確かに狩人の中には神秘が蓄積している。
しかしそれを当の本人は感じ取れないようで、人形に礼を言うと今度は水盆の方へと歩き始めた。
狩人の存在を感じ取ってわらわらと盆の中から姿を現した使者達に挨拶をしつつ覗き込んだ水盆の中には、確かに幾つかの物品が増えている。
狩人の記憶で並んでいた覚えの無いもので言うなら、薬品が塗られているらしいメスと鎮静剤、そしてもう一つ。
横に取っ手の付いたバケツ、或いは放水機能の無い如雨露のような形をした何か。
見覚えだけはあるそれは、狩人が一度気分を悪くする程度には苦しめられたもの。
ビルゲンワースとメンシスの悪夢で二度に渡って狩人を苦しめた"ロスマリヌス"だ。
気になりこそするものの、一度ならず二度までも自身を襲った不可視の一撃、それも不快感を主としたものを手に持つ気にはならないらしい。
結局狩人はどれも買わずに水盆を後にし、懐から再び星の瞳の狩人証を取り出し、人形へと駆け寄った。
ペンダントの金具を外しつつ寄る狩人の方へと人形が視線を合わせると、狩人は大きく背伸びをしながら両手で摘んだペンダントを人形の首へ伸ばす。
「……狩人様?」
────…が、届かない。
両名の70cmに及ぶ身長差は、この手の事を成すには少々大き過ぎる。
故にこそ狩人は精一杯の背伸びを見せ、人形は合わせるように膝を折った。
「うん、よし!行ってきます!」
「あ……行ってらっしゃい」
かちりと音を立てて金具が噛み合い、星の瞳の狩人証は人形の首へと渡った。
満足した様子の狩人は一つ頷いて出立し、後に残されるのは訳もわからないままペンダントを贈られた人形のみ。
渡された理由すら知らない人形に対して、狩人はそも理由を話すつもりも無い。
ただ、狩人は気を良くしただけなのだ。
星の瞳と自身の瞳が似てると言われ、ならば星の瞳は人形に渡そうと、そう考えただけで。
同じ瞳のように思うのならば、その瞳でもって見守りたいとして。
少女狩人
名前:不明 性別:女性 年頃:若年(詳細不明)
過去:過酷な運命 カレル爪左導狩
レベル 58
体力 10
持久力 12
筋力 20
技量 15
血質 5
神秘 46
孤児院の鍵
聖歌隊の前身となった孤児院にして実験場、その正面扉を開く鍵。
密かな頭脳たる彼らが何を思索していたのか、もう誰も知りはしない。
ただ狩人は孤児院であった事そのものに心を痛めるばかりだ。
きっと悪夢に見た実験棟のように、苦しんだ者達が居たのだろうと。
苦しんだ筈の彼らには、マリアのような救いが居たのだろうかと。