長い雨宿り、永い追憶。
【※設定の濃いオリジナルキャラが登場します。お手数ですが、作品をご覧頂く前に、シリーズ全体のキャプションをご確認下さい。】
暫し歩き、一軒の小さな民宿を見つけた二人は、全身ずぶ濡れ状態で、入り口の扉を開けた。店主らしき初老の男が、人の良さそうな笑顔で出迎えたので、すずなを玄関付近に待たせて、義勇は男に歩み寄る。
「急ですまない。一泊で、単部屋を二つお願いしたい。」
「お兄さん、すみませんねぇ。生憎、この嵐で、一人部屋が満室なんですよ。二、三人用なら少し空いてますが。」
「……?! いや、一人部屋でないと困る。」
申し訳なさそうに詫びる店主の男の言葉に、義勇は、血の気が引くような感覚に襲われた。
「お二方、御夫婦か何かじゃないんですか? 可愛らしい方ですねぇ。」
宿主の男は、不安そうな顔をしながら辺りを見回している、すずなの方をちらりと見て、茶化すように尋ねた。
「ふうっ……?!」
切れ長の眼を、此れでもかという位に見開き、義勇は小さく叫んだ。妙な冷や汗が、全身から吹き出る。
「違う! 彼女はただの連れだ。」
「そうなんですか? 失礼しました。いやぁ、大変似合いですから、てっきりそうかと。」
複数用の部屋を、二部屋借りる程の現金は持っていない。やむを得ない、背に腹は変えられないと、義勇は覚悟を決めた。
「…わかった。では、二、三人用を頼む。」
「衝立がありますから、それを使って下さいませ。」
せめてものと気を利かせたのであろう、宿主の言葉が、却って義勇の心に小波を起こす。自分とあの娘は、他人からはそんな風に見えるのかと、非常に動揺していた。
また、相部屋だということに、今更ながら狼狽えている自分にも疑問を抱く。この二日間、彼女と一つ屋根の下で、普通に寝食を共にしていたではないか。就寝は別室だったが、場所が変わっただけなのに、何故、変に意識し慌てているのだろう。
この事を伝えたら、彼女はどんな顔をするかが気になったが、案の定、すずなも同じく狼狽し、複雑そうな表情を浮かべ、白い頬を薄紅に染めてうつむいた。
とりあえず、休息を採らなければと、二階の奥部屋の襖の扉を開けた途端、二人共、力が抜けてしまった。
複数用とは言うものの、簡素で小振りの和室の部屋だった。小さな小窓からは、建物が震えるような雷鳴と共に、水の蠢く音が聞こえてくる。
ずっと雨に打たれ続けたせいで、二人共、頭から爪先までずぶ濡れだった。髪や着物の裾から、ぽたぽた、と雨滴が滴り落ちている。
「あの……これ、有難うございました。すぐに乾かしますね。」
動揺している心が、なるべく露呈しないよう平静を装い、すずなは、頭から被っていた、義勇の水色の羽織を外し、窓際に吊るそうとした。
「待て。」
彼女の首筋に水滴が滴り、長い髪が貼りついているのを見て、義勇は、すずなの肩を大きな左手で掴み、半ば強引に引き止めていた。
「随分濡れている。冷えるぞ。」
彼女の体調を案じ、すっかり水浸しになった髪から滴り落ちる、冷たい雨雫を受け止めるように、毛先を握るように手に取る。
「先に、これで拭け……」
肩にかけていた宿主から借りたタオルで、濡れた髪ごと頭を包んだ時、義勇は、すずながうつむき、両手で羽織を抱えながら、耳まで顔を真っ赤にしていることに気がついた。
予想外の反応に、つられて自身の頬も強張り、熱くなっていくことに気づいたが、ぎこちない手つきで、そのまま彼女の髪を拭いた。
「…有難うございました。先に、湯浴みさせて頂きます。」
もう、限界だった。いきなり髪や肩に思い切り触れられ、更に優しくされたことが引き金になり、うっかり感情が零れて露呈してしまった。
自分の気持ちが、とうとう彼にばれてしまったのではと、すずなは内心、血の気が引いていた。押し隠していた想いが溢れ返って、胸が苦しくて堪らない。こんな時なのに、頭から濡れ鼠になっている彼に対して、妙な艶を感じ、触れられた肩や頭部だけが、雨で冷えた体の中で、熱く脈打つ。
この状況に耐えかね、とりあえず風呂に入り、温まって落ち着こうと思った。ずっと平穏に過ごせていたのに、それすら壊れてしまう。変に気まずくなってしまうのは、絶対に嫌だった。
一方、義勇は、羽織を吊るし、着替えの浴衣を抱えながら、すずなが自分から逃げるように部屋を出て行ったことに、少しショックを受け、茫然としていた。またそんな自身を持て余し、どうしたら良いのか分からず、途方に暮れている。
心音が妙な波動で脈打ち、息が胸奥で詰まる。外の雨音に合わせるかのように、心の水面にまで雨がひっきりなしに降り注ぎ、幾つもの波紋が生まれては、不規則に揺れ動く。
このような状態になるのは経験が無く、最早、何が原因なのかもわからない。このまま明日まで過ごせるのかという、生まれて初めて感じる類いの感情に襲われていたが、とりあえず、自分も湯浴みして精神を落ち着かせ、温まることにした。
風呂から上がった後、義勇は、宿主に夕餉と共に冷酒を頼んだ。得意ではないが、飲むと大抵酔いつぶれて寝入ってしまう。この状況を何とかやり過ごすために、義勇は酒の力を借りようと思ったのだ。
冷えた体はすっかり温まり、浴衣に着替えた二人は、改めて部屋で向かい合うや否や、お互いの姿を思わず凝視していた。
『…こんなに小さく、色のある娘だったか……?』
『…こんなに大きくて、艶のある方だったかしら……?』
同じ白地に水色の縞模様の浴衣。同じ仕様の服を着ると、お互いの身長や体格差など、性の違いが比較されるように露呈し、妙に意識してしまう。
「…お酒、飲まれるのですか?」
いつの間にか運ばれていた、夕餉の膳と共に並んだ冷酒を見て、すずなは少し驚いた。
この状況で酒を頼んだ、彼の意図が読み取れず困惑したが、伝わってくる“気”が、邪心や色欲ではなく、自分と同じく動揺や不安であることがわかったので、至極申し訳ない気持ちになった。
「…下戸だが、たまには良いかと……お前も飲むか?」
という、義勇の言葉に、彼なりの気遣いを感じ取ったすずなは、「…はい。少しなら。」と頷き、彼の盃に酌を始めた。
明日になったら、このまま別れるかもしれないと思い詰めているすずなは、夕餉を食べながら、自分も冷酒を口に含んだ。自分の恋情がばれてしまったなら、もう彼の屋敷には居られないし、二度と会ってもらえないかもしれない。
素面では、“あの過去”を最後まで話せる自信がなかったが、自分も酒に弱い。酔っていれば、勢いで話せそうな気がした。気まずいまま別れるくらいなら、どうしても伝えたいと、覚悟を決めて、口を開く。
「…冨岡さん、突然ですみませんが、私が倒れた時のこと、お話していいですか?」
「……? 構わないが……」
突然、神妙な面持ちで語り始めたのが不思議だったが、気になっていたことでもあった為、耳を傾ける。酒が回り始めた二人は、幾分か気が軽くなっていた。ほろ酔い気味ではあるが、意識や思考ははっきりしている。
「一昨日の昼過ぎ、冨岡さんが握り飯を買いに行かれた後、昔、実家の近所に住んでいた方と、偶然再会したんです。」
「私は、鬼に喰われていたと思っていたらしく、とても驚いていらっしゃいました。そして、まだ喰われていなかったことにも……驚いていました。」
話の中に、何かしら仄暗い違和感を感じ取った義勇は、酒の手を止め、すずなの顔を思わず凝視した。珍しく表情が無く、他人事のように冷めている様子だ。
「覚えていらっしゃらないと思いますが、私、蝶屋敷の前にも、一度、冨岡さんとお会いしてるんです。」
驚いて、彼女の姿を記憶から探し始めた義勇を前に、出来る事なら封印してしまいたい、哀しく忌まわしい過去を、すずなは話し始めた。
「…実家が鬼に襲われた夜の二日後、私は贄として献上され、いずれにしろ、鬼に喰われて死ぬ予定でした。」
「…………?!」
突如明かされた、あまりに残酷な真実に、義勇は青ざめ絶句した。そんな彼を見て、なるべく重苦しくならないようにと、すずなは淡々と口にする。
「あの頃、私の故郷でも、村人が何者かに殺される事件が、何度か起こりました。鬼か物怪の仕業だ、鎮めなければならない。生け贄が必要だと、村中で騒ぎになりました。」
「神に仕える巫女が献上されたら、鬼も満足して鎮まるだろうと、私と妹が候補に上がりました。ですが、妹は巫女らしい黒髪で多才、私と同じ治癒能力の素質もある後継者だから、鬼になどやる訳にはいかない。それで、異質な髪色で長女でもあった、私が選ばれたんです。」
『贄』という単語に、昔、蝶屋敷で自害しようとしたという、彼女の過去を思い出した。鬼から助けられたはずなのに、自ら命を投げ出そうとした理由が解り、何とも言えない深い哀しみが、義勇の心に過る。
「当時、私の力を高額な金銭と引き換えに利用していた得意様と、実家の長であった母は渋りましたが、鬼に殺されては元も子も無いので、最終的に両者共に納得しました。これが、お前の巫女としての最後の役目だと言って……」
「…………!!」
耳にしたことはあっても、実際に存在するのか半信半疑だった、これは所謂、“人身御供”、“人柱”の話かと、義勇は、ぎりっ、と奥歯を噛んだ。酒の酔いは、既にどこかへ飛んでいる。
先程、自分の右腕の痛みを緩和させた、あの力を利用する者がいないはずが無い。この娘は、家の為に自分の力を売っていたのだ。身体に多少の代償がくることも厭わず……
心を深く抉るような、あまりに理不尽でむごい所業を、至極当たり前の事のように語る彼女に対し、驚きと同時に、強い憤りを感じた。
「贄として献上するため、私は屋敷の地下部屋に移ることになり、そこで数日、寝泊まりしました。そんな時、鬼の方が、先にやって来たんです。」
「地鳴りのような轟音と、妹達の悲鳴で異変にすぐ気づきましたが、何が起こったか分からず狼狽えていると、血相を変えた母が飛び込んで来て、鬼が来たから早く出て来て、直ぐに喰われるよう言いました。」
「いよいよか、と覚悟を決めた瞬間、母が絶叫しながら倒れました。後ろから現れたのは、私の何倍もの大きさの、恐ろしい目や血塗れの牙をぎらつかせた、鬼でした。」
当時の恐怖に耐えるかのように、すずなは、一度、息を飲み込み、きつく目を瞑った。が、すぐに放心状態の義勇の方を見返し、一番伝えたかった事を、必死に喉奥から絞り出す。
「恐怖で固まってる私を見て贄だと気づき、雄叫びを上げながら、鬼が覆い被さってきた瞬間、目の前の首が、血飛沫と共に消えました。」
「その時、代わりに現れたのが……貴方でした。」
【おまけ噺】
ようやく、ここまで進展できた……という感じです (苦笑) 大体、折り返し地点になるかと予定してます。