【※設定の濃いオリジナルキャラが登場します。お手数ですが、作品をご覧頂く前に、シリーズ全体のあらすじ概要をご確認下さい。】
記憶に無い、というよりは、義勇にとっては、かつて無我夢中に行ってきた、幾多余りの討伐のうちの一つでしかなかった。
結果的に自分が助けたという人間の中に、目の前の女性が入っていたという事実は、とても感慨深いが、深い哀しみを感じずにいられない。鬼からは彼女の命を助けられたようだが、本当の意味では救えてはいなかったのだ。この娘を、真に脅かしていたものは……
「あの時の、水飛沫と共に光るような、刀の流麗な動き、貴方の紺碧に煌めく瞳がとても綺麗で、あんな状況だったのに魅了されてしまったのを、今でもよく覚えています。」
話している間、完全に憂いがかかっていたすずなの珊瑚色の瞳に、僅かに光が差した。抑揚のなかった声色に、突然、いつもの柔らかさが少し戻ったことが、義勇には不思議だった。
「声も出せずにいた私に、貴方は、怪我は無いかと聞いて下さった後、誰かにもう一体いますと呼ばれて、『事後処理の者が来るまで、ここに隠れていろ。ここまでは鬼は来させない。』と言って、去って行かれました。」
「…不思議ですよね。鬼の贄になる為に居た場所だったのに、貴方が来てくれてから、身を守ってくれる場所に変わったんです。」
ふっと、何かを取り戻したかのように微笑み、改めて、義勇の瞳を真っ直ぐ見据え、すずなは深く頭を下げた。
「ずっと、貴方にお礼を伝えたかったんです。今回も含め…本当に有難うございました。お陰で、今、こうして生きていられてます。」
長年、彼女が抱えてきた、並々ならぬ情念と、健気な気丈さに圧倒された義勇は、返す言葉が見つからなかった。
夜も更け、二組の布団の間に衝立を挟んで、二人は床についた。が、眠れる訳がなかった。すずなは何度も寝返りを打ち、義勇は布団から出て、近くの壁にもたれたまま胡座を掻き、天井と布団、衝立を、何度も交互に見つめている。お互いの存在を、衝立越しにひしひしと感じ、意識するなというのは不可だった。
義勇に至っては、今日に限って、何故か酒が効いてくれない。少しも眠気を感じず、むしろ変に目が冴えてしまっていた。思考にぼんやりとした靄と軽い目眩だけが残り、何の為に慣れない酒を飲んだのかと、自身を呪った。
そんな中、衝立の向こうから、澄んだ小さな呼び声がした。
「…冨岡さん、起きてますか?」
「…ああ。」
「さっきは、驚かせてしまって申し訳ありませんでした。」
「いや。大丈夫だ。」
遠慮がちに微かに響く声に、壁際から衝立の近くまで移動し、そこでまた胡座をかいて座り込んだ義勇は、耳に神経を集中させ、すずなの言葉を拾おうとする。
「ご迷惑でなければ、私事を徒然と語っていいですか? なんだか落ち着かなくて……」
「…構わない。俺も眠れない。」
さっきは、告白された過去が衝撃的過ぎて、未だ消化出来ない部分や、彼女の内面について触れることを期待し、承知する。
「有難うございます……鬼に襲われてから、今まで何の為に頑張って、何を信じていたら良かったのか、ずっと判らなくなっていました。何も無い空間で必死に足を動かして、息をしているようでした……」
酒の影響で、気が緩み弱気になっているのか、今度は、声色が暗くなっている様子に、彼女の異変を感じ取る。
衝立の向こう側で、すずなは仰向けになって、虚ろな眼で天井を見上げていた。義勇に聞いてもらいたいのか、自身に言い聞かせているのか、自分でも把握出来ない感情を紡いでいるようだった。
「死ぬことが務めだったはずの私が、本当は死ななくても良くて、生きて巫女として貢献するはずだった妹が、結局喰われてしまって……何が正しかったのか、何に怒れば良いのか…今でもわかりません。」
『…………。』
「何の為に唯一の能力を極めて、金銭と引き換えとはいえ、人を助けていたのか……贄になることも、なついてくれていた可愛い妹や弟を守れるなら、ずっと認めて欲しかった母が喜んでくれるなら、婿入りした祖父が受け継いできた家を救える為なら、それでも良いと、自分で決めたはずだったのに。」
『…違う。』
「命と引き換えるのが無駄なら、せめて、心の治癒と鎮魂という形で、貴方方のお役にたちたいと、私なりに出来ることをしてきましたが……」
『…違う!!』
気づけば衝立をずらし開け、義勇は、すずなの前に姿を現し、仁王立ちしていた。見下ろす紺碧の瞳は、暗く深い悲しみに加え、どこか怒りの色を含み、炎のように揺らめいている。
突然、目の前に現れた義勇に、いつの間にか起き上がり、布団の上で足を崩していたすずなは、ひどく驚いた表情で、鬼気迫る様子の彼を見上げた。
「…巫女の役目や宿命という、その重要性は、俺には正直わからない。」
一旦、軽く息を吸い、喉奥から絞り出すように、義勇は、精一杯の言葉を吐いた。
「だが、お前だけは死ぬな! 尊厳を守れ! 何がなんでも、陽の下で生きろ!!」
「お前の力は、治癒や舞だけではない! お前と接していて救われた者も、沢山いたはずだ!!」
鬼以前に、身内や村民に存在を利用され、生殺与奪の賽を、自分一人に背負わされていたというに、まだ他者を気にかけ心を砕く所業……怒りと苛烈な自責で心を閉ざしていた義勇には、到底理解出来なかった。
しかも、彼女は、そんな自身を無能だと、本気で卑下している。そんな様々なやるせない憤りが、胸奥に激しく燃え上がり、吐き出さずにいられなかった。
一方、出会ってから、最も激しい口調で激昂し、涼やかな碧眼を見開きながら、自分に感情をぶつけてくる義勇につられ、すずなも本音が胸底から弾け出す。
「…それは、それは、貴方の方です!」
「あの時、あの場所で助けてくれたのが、貴方だったから、今日まで私は生きて来られたんです!」
突然、珍しく声を荒げた彼女の言葉が芯を貫き、義勇は、はっ、と息を止めた。脳裏に、姉と錆兎の笑顔が過る。そして、炭治郎のあの言葉も……
「他の柱の方でも、命は助けて頂けたのかもしれない。でも、その後に出会ったのが、貴方、冨岡さんだったから、少なくとも、私は救われたんです。」
「…どうして、俺なんだ?」
昔、姉に鬼から庇われて以来、ずっと知りたくて堪らなかった疑問を、彼女に代表してぶつけるかのように、義勇は呟いた。
「闘いの最中や貴方の過去の、詳しい事情は知りません。ですが、自身まで滅して叱責するかのように、懸命に努力しておられる様子は見ていました。」
当時の彼を思い出したのか感極まり、片方の朱の硝子玉から、一粒の滴が零れ落ちる。
「あの生き地獄のような中でも、気高く澄んだ“気”を放っていた貴方が、全てに絶望した私を叱咤して、負の念を浄化して生かしてくれた……」
「私一人の命じゃ足りないかもしれませんが、そんな濁流のように、貴方が生き抜いてくれたから…私は……」
全身からほとばしるような、すずなの渾身の叫びが終わるのを待たず、何時の時からか、義勇の最も柔い部分に根付いていた種火が、最高峰まで一気に猛り、燃え上がった。
気づいた時には彼女の前に膝を着き、細い腰を大きな左手で掴んで、強引に抱き寄せていた。自身の奥底から熱く滾る、何かが自分を駆り立て、そうせずにはいられなかった。
しかし、直ぐに自身の大胆な行為に驚愕し、急いで離そうとしたが、掌も腕も、必死に抵抗するように動かず、彼女の華奢な体全体を胸元に擦り付けるように抱えたまま、自身の操縦が不可になった義勇は、完全に固まってしまった。
突然の展開に、すずなは、全体重を義勇に預けた状態だった。抵抗することもまだ出来たが、抱かれた腕の強い力と、四十度近い、彼の熱い体温に憑かれたかのように、息が止まって硬直し動けなかった。
まだ乾き切っていない髪は、まだ少し湿っていて、冷たい。だが、顔は湯上がりのように火照っている。左肩を包む、大きく固い掌の感触と、眼前の太い首筋から感じる、石鹸と微かに汗の混ざった“彼”の匂い、仄かに芳る酒混じりの空気が誘うように漂い、完全に思考が停止した。
しばらくして動揺が少し治まり、今の事態を把握すると、困惑と喜びが入り混じり、高揚した想いが一気に溢れ、じわり、と瞼の下に涙が滲む。
一方、錯乱する思考の中で、義勇は、彼女の髪がまだ冷たく湿っていることが気になり、少し体を離し、何気なく左手で、後頭部の髪を掴み撫でた。
「…まだ湿ってるな…寒くないか?」
掠れた低音の声を絞り出すように呟き、陶器のような白い頬を、少し薄紅に染めながら、真っ直ぐな眼差しで珊瑚色の瞳を見つめた。
すずなは、そんな彼の意図が解らず、円らな眼を見開いたまま、何も言葉が出て来なかった。生まれて初めて向けられた類いの“気”からは、何も読み取れず、金縛りにあったように口も体も動かない。
自身の顔の火照り、どく、どく、と早鐘のように五月蝿く鳴り打つ心音、手先の甘い痺れ、鼻先を擽る仄かな酒の匂い、後頭部に感じる義勇の固い手の感触だけが、唯一分かる感覚だった。
「…は、はい…少し……」
息を飲み込み、ようやく蚊の鳴くような声を、薄紅色の唇から溢した。全身が震えるような感覚は、寒いからなのか、気が高ぶっているからなのか、最早わからなかったが、不思議と恐怖はあまりなかった。彼と触れ合っている、心地好さの方が勝っていたのだ。
いつの間にか雨は止んでいたらしく、しん、と辺りは静まりかえっていた。暗がりの中、小窓から青白い月明かりに照らされた、すずなの珊瑚色の瞳には涙が滲み、葡萄酒のような深みが揺らめいている。白い頬は薄紅に染まり、小さな唇は、微かに震えている。
それでも、必死に自分と向き合おうとしている彼女を見つめているうち、義勇の身体の奥底から、どくん、と激しくも甘い衝動が、泉のように湧き上がってきた。
『…………?!』
生まれて初めて感じる、渦巻くような熱い塊は勢いを増し、次第に、自身の吐息が熱を帯び、段々深くなっていくのが判った。しかし、どうやってそれらを静めて抑えたら良いのか判らず、『まずい。止めろ。』など、様々な思考が、ぐるぐると脳裏に過り焦りつつ、それらは全て激流に押し流され、体全体を促す熱量に変換されていく。
胸奥が苦しく詰まり、すずなの後頭部に置いた左手が、激情に抗おうと震える。が、その力は直ぐに無効化した。至極心地の良いものに触れた時のように、吸い付いて手が離れない。
──ごくり、と息を飲み込み、せめて、なるべく怖がらせないよう、傷つけないようにと、戸惑った表情で、そのまま長い指で優しく髪を鋤きながら、彼女の白い額に、ゆっくりと唇をあてた。
彼の思いがけない行為に驚愕し、一瞬、びくっ、と体を震わせたすずなだったが、額に生まれて初めて感じる柔らかな感触から、全身に甘い震えが貫き渡り、妙な高揚感が生まれて弾けた。
彼女が体を震わせたので、義勇は、一度、唇を離した。が、直ぐに薄紅に染まった柔らかな頬にも同じように押し当て、細い首筋、鼻先、額と、優しく愛でるように、ゆっくりと繰り返し、柔く口付ける。
女性への愛撫の方法など、思春期を全て鬼殺に捧げ、心身を磨り減らしていた義勇は、ろくに知らない。
ただ今は、目の前で懸命に息をしている、惹かれて止まない、温かな命《ひと》に……触れたかった。
【おまけ噺】
恋は理屈ではないと言いますが、あの義勇さんの心が動くのはどんな人物かを、筆者なりに考えた結果、こんな風になりました (汗)
生きる事に罪悪感と後ろめたさを抱えてきた二人ではありますが、やはり似て非なるものはあって、『生かされた』かどうか、という点に注目しました。
義勇さんは『自分のせいで大切な人を死なせた』という点で、自罰的意識と贖罪義務で生きてきた人ですが、すずなは『死ぬ事を望まれていたのに生き残った』という人です。
更に、その義務すら実は無駄骨だったという事で、その観念も壊れて不安定増し。唯一の大切な人との思い出やアイデンティティーすら歪んだものに変わって、死という方法で解消されるはずだった、元々の自虐的概念だけが残ってしまった。
それでも、彼女本来の気質か、自分と真逆の雰囲気醸して、同じような考えで生きてたら驚くし、惹かれるんじゃないか…?と思ったのです。(こんな事言ってますが、未だに義勇さんの恋愛観は掴めてません(苦笑)吾峠先生にインタビューさせて頂きたいくらいです。)
『自分に無いものを持つ者に惹かれる。』というのは、よく聞く恋愛語録ですが、巷の長続きしているカップルや夫婦って、考え方や世界観がどこか似ているので、参考にさせて頂きました。