神喚ぶ鈴に慈しみの雨を   作:夢臥水

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 もう片方を、探し求める。

【※設定の濃いオリジナルキャラが登場します。お手数ですが、作品をご覧頂く前に、シリーズ全体のあらすじ概要をご確認下さい。】


表裏一体

 同日の就寝。寅の刻。今夜もなかなか寝つけず、義勇は、何度も気だるげな寝返りを打っていた。

 居間の柱時計の音だけが、カチ、カチ、と響いてくる寝室。片付けた客間からは、当然、彼女の寝息は聞こえない。鬼殺に忙殺されていた日々の夜は、いつ出動命令があるか判らない為、まともに眠れることは少なかったが、今は異なる理由だった。

 少しでも気を緩めると、すずなは、無事に家路に着いただろうか、飯は食えただろうか、また発作を起こして苦しんでいないか、悪夢にうなされていないか等、様々な事が心配で落ち着かない。

 

 瞼を閉じると、ふわり、とした優しい笑顔が脳裏に浮かぶ。続いて、尺八の音のような澄んだ呼び声が耳に鳴り、心がほぐれる。

 掌にまだ残る、さらさらとした長い髪と、しっとりした滑やかな肌の感触、野花のようなほのかに甘い香り、柔く甘い唇…昨夜、彼女と触れ合った時の記憶が、生々しく甦ってくる。

 このように、何かに憑かれたような熱い情を何と称するのか、対人に疎いと言われる自分でも判る。生まれて初めて、胸奥に渦巻くほろ苦さに、義勇は途方に暮れた。

 彼女の為にと、自分から突き放したのに、今にも壊れておかしくなりそうな自身に呆れ、くっ、くっ、と自虐的に喉奥を鳴らし、乾いた笑い声を上げた。

 

 

 ──翌朝。寝不足の重い体を動かし、食欲不振の中、義勇は、何時もの暮らしの営みを始めた。彼女と出逢う前の生活に戻っただけなのに、何もかもが色褪せて見える。

 昨夜までは、このまま姿を見ず時が経てば、この苦しい痛みも、ほとぼりが冷めて落ち着くはずだと考えていたが、おそらく戯言にしかならないだろうと予感していた。むしろ、共に過ごした記憶が遠退けば遠退く程、痛々しさは増すだろう。既に、脳内から爪先までの全てが、気がふれたかのようにすずなの面影を求め、乞うように叫び出している。

 もしや彼女は、何年もの間、こんな身を焦がす想いで過ごしていたのかと、改めて、罪悪感を募らせた。だからと言って、自分の運命に巻き込む決心はつかない……

 

 その時、コン、コン、という、屋敷の門を何度も叩く音が、室内まで聞こえてきた。まさか、彼女が戻って来たのかと思い、義勇は、急いで開けに駆けた。

 扉の向こうにいたのは、ひどく慌てた様子の、竈門炭治郎と禰豆子、栗花落カナヲ、我妻善逸、嘴平伊之助、宇髄天元だった。意外な来訪者に戸惑い、目の下に青い隈を作った顔で、沈んだ声色で問いかける。

「…なんだ、お前達か……何かあったのか? こんな朝から、揃いも揃って……」

 彼らに罪は無いと解ってはいたが、落胆した思いを隠せなかった。

「なんだとは随分だなぁ、おい。……誰だと思ったんだよ?」

 気分を害したように憤慨する反面、にやり、とした笑みを浮かべ、宇髄が意味ありげに問う。彼は、義勇の今の状況を、大体把握しているかのようだった。

 

 気まずくて堪らない思いだったが、取り敢えず、彼らを中に招き入れ、居間に通した。茶を持って来ようとした義勇を引き止めるかのように、炭治郎が、息巻くように話し始めた。

「義勇さん!! カナヲから全部聞きました! 急いで文を送ったのに、全然返事が無いから、直接来ちゃいましたよ!」

 どうやら家を空けていた間に、炭治郎の鎹鴉が、寛三郎に文を届けていたらしかった。昨日は心労で憔悴しきっていて、目を通す余裕がなかった為、気づかなかったようだ。

 とは言うもの、文の返事が疎かなのは、今に始まった事ではない。何故今回に限って…と義勇は本音を漏らす。

「だからと言って、こんな急に……」

「何言ってるんですか?! 義勇さんの一大事じゃないですか?!」

 事の始まりの、宇髄による謀の事は、お互いすっかり忘れている。夜桜の宴以来に顔を合わせ、二人は、一方通行な会話を始めた。

「ところで、あの巫女さん…すずなさんは? いないんですか?」

 きょろきょろしながら、辺りを見回す炭治郎に、現状を思い出した義勇は、また顔を曇らせる。

 

 そんな彼の様子と、女の影が屋敷の中から完全に消え失せている事で、元忍の宇髄は、何かに勘づいた。

「…冨岡。お前ら、暫くここに帰らなかったんだなぁ。二人揃って、どこでしっぽりやってたんだよ?」

「…………?! 買い物に出て、急な嵐に遭った為、一晩雨宿りをしただけだ。」

 『何故、この男にばれてしまったのか。』と、義勇は、どきり、とした。思わず、一昨日の情事が脳裏に過って狼狽えてしまい、顔の熱が上がる。

 そんな珍しい様子の、“あの”元水柱を見て、また俊敏に察した。

「…お前。まさか、あの巫女さんに…手を出して……」

 『接吻でもしたのか。』と、宇髄は問うつもりでいたが、先に、ひどく口ごもりながらも、後輩の前にも拘らず馬鹿正直に、義勇は全てを暴露した。

「…所謂、未遂だ……情に呑まれてしまった……救いようの無い未熟者だ…俺は……」

「み…す…って、おまっ……?!」

 掌で額を抱え、真っ赤な顔でうなだれている彼を凝視しながら、何かの聞き違いか、と疑いたくなる単語に、宇髄は仰天した。

 焚き付けたのは自分だった上、温泉での様子を見るからに、多少は女と遊んだ方が良い、あの娘とは相性が良さそうだったし、あわよくば恋仲に…ぐらいには考えていた。

 しかし、今までハイハイしていた赤子が、いきなり二本足で走り出した位の展開に驚愕し、彼らしかぬ羞恥心で真っ赤になってしまった。

 

 ずっと二人のやり取りを聞いていた善逸は、嫉妬と怒りが頂点を振り切り、血管を浮き出し泡を吹きながら、仰向けに倒れた。始終、異次元の話としか思えないでいた伊之助は、「おい。大丈夫か、紋逸。」と、善逸を介抱している。

 年頃を迎えていた禰豆子は、その場を想像してしまい、顔を赤く染め震えながら、『きゃー!!』と叫び出しそうな口元を、両手で塞いで必死に我慢していた。

 最も青ざめているカナヲは、この屋敷にすずなを置いてきた責任がのし掛かり、顔面蒼白状態になっている。

 そんな中、炭治郎は、禰豆子と同じく、茹で蛸のように耳まで真っ赤になりながらも、ずっと心を閉ざしていた尊敬する兄弟子が、一人の女性に特別な情を抱いたという事態に、どこか感動を覚えていた。

 

 暫し経ち、ようやく、少し冷静さを取り戻した宇髄は、続きを促した。

「…で、怒らせて、あの子は帰ったってことか?」

「違う。俺が、帰るよう頼んだ。」

「はあ? なんだそりゃ。」

「…俺を受け入れてくれた。痣のことを知っているのに、ずっと慕っていたと言ってくれた。そんな彼女には、手を出してはいけないと思った。」

 意味わかんねぇ…と言わんばかりに、宇髄はため息をついた。

「有難てえ話じゃねぇか。もう、一緒になれよ。お前だって気に入ったんだろ?」

「だからこそだ。いつ死ぬかわからない痣者の男が、彼女の貴重な人生に関わってはいけない。」

 痛みを堪えながらも、大事なものを必死に守ろうとしているかのような面持ちで、義勇はきっぱりと言い放つ。『…これは、馬鹿みたいに本気で惚れているやつだ。』と、彼の真剣な眼差しに圧倒され、宇髄は息を飲んだ。

 柱仲間でいた頃、普段は、地味に気配を消して黙り込んでいたが、この男の剣技の実力は認めていた。しかし、あの頃とはまた違う、凛とした気迫を帯びた、雄々しい表情をしている。あの冨岡が…こんなに絆されるとは……

「…お前、またそんな地味な事考えてんのかよ。本当、筋金入りだわ。」

 心底呆れた反面、妙な感慨深さを感じる宇髄は、柄にもなく、熱く吐き投げた。

「そこまで惚れた女一人、残された余生分、全て賭けて幸せにしてやるってぐらいの、覚悟はないのかよ!!」

「生を共にしても、何もしてやれない!! 時間が無さ過ぎる。無責任に置いて逝くのは、御免(こうむ)る!!」

 声を荒げ叫んだ後、少し言い淀みながら、義勇は続ける。

「…割愛するが、あの娘は、酷い目に遭ってばかりだった。これからは穏やかに、笑って生きて欲しい。」

 少なからず事情を知っているカナヲは、彼の気持ちが解る気がした。しかし、自分にとって唯一無二の男を愛した、一人の女としての、すずなの想いと覚悟も、同時に痛い程、沁み入る。

 

 そんな時、ずっと黙って話を聞いていた炭治郎が、思い切ったように、口を開いた。

「…義勇さん、俺も痣者です。」

「お前は、まだ十年近くあるだろう。俺はもって後、数年……」

「いつ死ぬかわからないのは、俺も同じですよ。」

 義勇は、はっ、とした。すずなのあの言葉が甦る。

「むしろ、俺の方が、短期間で呼吸法に加えて、境地にまで達したので、体がいつ衰えるか判りません。」

「…義勇さん、実は、俺とカナヲは、婚約します。」

 炭治郎の突然の吉報を要約すると、かつてから情を通わせていたカナヲと、初夏に婚約することにしたので、二人で報告に行く予定だったという事だった。

 ただ、まだお互い年若い為、炭治郎がもっと暮らしを落ち着かせ、カナヲが医師として一人前になり次第、なるべく早く結納し、祝言を挙げるという。

 あの雪降る日に出会ってから、共に闘い、一度は命を落としかけた弟弟子と、その彼を身を粉にする想いで救った、柱仲間の大事な継子が、家庭を築き、幸せになろうとしている。

 義勇にとって、これほどめでたく、嬉しいことはなかった。犠牲になった仲間達の想いを繋ぎ、懸命に生きようとする姿に、疲弊していた心が高揚し、柄にもなく目頭が熱くなった。

 

「…迷っていた俺の背中を押してくれたのは、カナヲなんです。」

 義勇は、炭治郎の隣で少し恥じらいながらも、凛とした面持ちでいる、カナヲを見た。彼女の藤色の瞳は、どこかで見たような強い光を宿している。

「…冨岡さん。これを。」

 カナヲは、一枚の銅貨を差し出した。蝶屋敷に引き取られた頃、自分で何も決められなかった彼女に、胡蝶カナエが渡した物だ。

「炭治郎と生きていくと決めた事に、これは使っていません。無限城での闘いでも、です。」

 失明するのを承知で、姉二人の仇討ちと炭治郎を救う為に、終の型を使ったことは、後に義勇も聞いて知っていた。

「自分の心が判らない私に、カナエ姉さんは、始め、表と裏の結果で、物事を決めるよう言いました。炭治郎は、以前、最初から表を出し続けると決めて、これを投げてくれました。」

「ある時、気づいたんです。どちらが出たとしても、これは、私の心だと。」

 彼女は、一体何を言いたいのだろうと、義勇は、怪訝そうな表情を浮かべていた。

「冨岡さんは、裏を望んでいらっしゃって、すずな様は、表を求めている。けど、お二人は違うようで、同じではないでしょうか?」

「根が繋がっている、表と裏は切り離せないんです。どちらが欠けても、その魂は存在出来ないから、求め合って……惹かれ合う。矛盾していますが、今だからこそ、お互いが必要なのではないですか…?」

 

 ずっと、暗闇の中で動けないでいた心の奥に、カナヲの言葉が響いた瞬間、義勇の脳裏に何かが弾け飛び、ふわり、と舞った。




【おまけ噺】

 ヒロインが、花の呼吸由来の神事の舞を踊り、蝶屋敷の世話になった過去があること、当方の推しの一人なことから、カナヲが、よく義勇さんに絡んで登場しましたが、どうやら、この物語の陰のキーパーソンになりそうです。
 愛した人の寿命が短いという運命を、どう受け入れるか……自分が、カナヲやすずなの立場ならどう考えるか、かなり悩みながら書きました。そして、そんな相手の想いを、負い目を感じる側はどうするのか……炭治郎は決断したようですが、義勇さんは、如何に。

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