【※設定の濃いオリジナルキャラが登場します。お手数ですが、作品をご覧頂く前に、シリーズ全体のあらすじ概要をご確認下さい。】
源泉
ずっと沈んだまま息苦しかった心に、カナヲの渾身の言葉が染み入り、ようやく風穴が開いた気がした。義勇からずっと漂っていた、張り詰めていたような匂いが、少し柔らかくなったことに、炭治郎は気づく。
「義勇さん……」
「…皆、有難う。暫し、考え直す。」
と、義勇は礼を言った。やつれて深い影を落としていた彼の瞳に、少し光が戻ったことを確認した炭治郎達は、その後、近況報告をした後、彼を案じ、屋敷を後にすることにした。
「義勇さん!! 思い詰めないで下さいね!! 俺で良ければ、また相談に乗りますから!!」
「考えんのは良いけどよ。くれぐれも、変に抱え込むなよ。まぁ、元々色恋なんて面倒なもんさ。」
口々に義勇を励まし、労る言葉をかける炭治郎や宇髄の中、カナヲは黙ったまま、義勇をじっと見つめていた。改めて見ると、今の彼女の藤色の
食事を済ませた後、義勇は、狭霧山を訪ねることにした。考えるとは言ったものの、未だ迷路の出口が見つかりそうに無い義勇は、無性に、鱗滝師匠に会いに行きたくなったのだ。
無いと困るだろうと思い、処方薬の残りは行きしなに郵送したが、今頃、彼女はどうしているだろうかと心配になり、憂いが募る。
昼を回った頃、ようやく古巣に到着した。一年中、霧に包まれる狭霧山は、冬を越しても、どこかひんやりとした空気に満ちている。それでも木々の隙間から零れる金色の日差しや、地面に咲く野花、爽やかに薫る新緑が、春の訪れを感じさせていた。
麓にある鱗滝の家の前に着いた義勇は、師が在宅していることを願い、深呼吸した後、扉の戸を叩き、挨拶した。
「…急な訪問、大変失礼致します。ご無沙汰しております、先生。冨岡義勇です。」
慌てて出迎えた鱗滝は、ぺこりと頭を下げた義勇に驚愕した。最後に会ったのは、ちょうど半年以上前位だったろうか。蝶屋敷から退院した後、利き腕を失った彼を案じ、片腕での生活に慣れるまでの間と、この家で暫く暮らした以来であった。
ひどく疲弊し、憔悴気味の様子で、わざわざこの山まで赴いて来たことに、異変があったのは一目瞭然だったが、鬼のいなくなった世界で何かあるとしたら、仲間の不幸か、自身の何かしらの変化だろうと思い、内心、珍しくも狼狽える。
「…突然、どうした。何があった。」
部屋の中に招き入れ、急いで茶を用意した鱗滝は、間髪入れず、愛弟子を促す。
そんな師に対し、義勇は、短くも激動の連続だった、この春の一部始終の出来事を、簡素に、ゆっくりと話した。
縁あって、慰霊の儀式で一人の女性と出会い、何時の時からか情を寄せていたこと。彼女の忌まわしい過去と、自分の鬼殺隊時代の因縁。痣の寿命を承知の上で、自分の側にいたいと言ってくれたこと、しかし、そんな彼女の人生を案じ、別れたこと……
青天の霹靂とは、まさにこのことだと、鱗滝は思った。義勇の突然の告白に、宇髄や炭治郎と同じく、長年、深い悲しみと自責の念から、ずっと心を閉ざしていた義勇が、一人の女性に思慕を抱いたという状況に仰天していた。
が、同時に、非常に痛々しい様子ではあるが、今まで見たことの無い類いの、とても凛々しく逞しい表情をしている、我が子同然の愛弟子の成長を感じ、じん、とした感動が、小波のように押し寄せている。
縁談の話があると聞いた時、命を繋ぐには良い話だろう、と勧めたことはあった。しかし、実際に一度見合いをして断った後は、頑なに妻を娶ることを拒み続ける義勇が、心配で仕方なかったのだ。
そんな彼の、闘いは終わったとはいえ、未だ哀しみで凍てついたままの心を溶かし、寄り添った女性とは、一体どのような娘なのだろうと、師として並ならぬ関心を寄せた。
「…お前にとって、その娘は、どんな風に見えるのだ?」
「ど…んな風…ですか……」
恩師の問いに、隈を作った涼やかな眼を見開き、白い頬を薄紅に染め、義勇は気恥ずかしさで口ごもった。口下手な上に抽象的な表現は苦手なのだが、すずなの姿を思い浮かべながら、ゆっくりと、丁寧に言葉にしていく。
「…一見、無防備で危うく…脆弱に見えます。が、内実は、どんなに踏まれても人を案じ…光ある方を向き、慈しみを失わない。」
「直向きで…日陰に咲く、可憐な野花のような…人…です……」
彼女の印象を口にしていく度、恋慕が再燃していく自身に、不可思議な高揚と同時に、深い哀しさを感じた。
一方、こんなにも饒舌に、他人を褒め語る義勇に驚き、二人の繋がりが確かなものになりつつあることを、鱗滝は悟った。
「…その娘は、何故、お前の側で生きたいと言ったのだ?」
「…近いうちに来る…別れより、私との時間を無くす方が…辛いと……」
彼女の泣き顔を思い出しながら、辛そうに唇を噛む義勇の言葉に、鱗滝は、少し考えるような素振りを見せた後、彼を促した。
「ついて来い。見せたいものがある。」
二人は小屋を出て、共に狭霧山の山中に向かった。
山道を登り、奥に入って行ったその先は、荘厳な出で立ちの、見事な滝壺だった。昔、修行時代に、鍛練の一環として連れて来られたことがあった崖だ。
凄まじい轟音と共に、獰猛に滾る水流が蠢き、噎せかえるような水の匂いが、どしゃ降りの雨天時のように、辺り一面に溢れている。
「前にもお前と来たな。」
「…先生は、水と一つになれ、なんて仰いました。」
少し懐かしそうに呟く鱗滝を見つめ、義勇は微笑みを浮かべた。そんな愛弟子を横目に、鱗滝は語り始める。
「ここは、狭霧山の源泉だ。この滝壺があるから、此処等一帯は、水の恵みを頂ける。」
「生き物は皆、水無しでは生きられん。渇き切れば、朽ちて死ぬのみ。勿論、人間もだ。」
凄まじい勢いで打ち流れ、目線の下で激しくぶつかり合う水流の動向を、鱗滝は凝視しながら続けた。
「…だが、人はまた特別だ。心にも糧が入っていないと、心身共に荒み、衰えてゆく。厳しい試練や辛い困難と戦い、耐え、生き抜く為の力が必要なのだ。…何か、わかるか?」
そう問いながら、自分の瞳を凝視する鱗滝に対し、義勇は、師が何を言いたいのか解らないでいた。困惑したまま、目先の滝壺と師匠を、代わる代わる見つめ、沈黙する。
「…何があっても消え失せることの無い、心の源。その娘にとって、それは、お前なのではないか? 義勇。」
義勇の心の奥底で、今朝、弾け飛び、舞ったままの銅貨に、ふわりと、優しい風が吹いた。
「例え、お前自身を無くしても、共に築いた思い出や繋いだ想いは、その娘の中で生き続ける。子ができれば、尚更、その力は増すだろう。」
「…その娘は、日陰に咲く野花のようだと言ったな。」
先程、自身が語ったすずなの喩えが、改めて師の口から語られることに、義勇は、今頃になって照れを感じた。
「種を心に宿していても、清い雨が降り、水がなければ芽は出んし、健美な花を咲かすことは出来ん。勿論、命が育ち、遺すものも生まれん。」
「…その娘が望んでいるのは、そういうことではないのか? 義勇。お前の力で、今度は陽の下で咲かせてやれ。」
「先生……」
師の言葉に、浮遊した銅貨に温かな光が当たり、心の中で降下していくのを、義勇は感じた。迷い続けていた暗闇の出口に、自身も引き寄せられるようだった。
その後、鱗滝に少し一人にして欲しいと頼み、以前に炭治郎から聞いた、錆兎が現れたという、あの岩の御神体に向かった。
あの壮絶な別れからずっと、訪れることを躊躇い、二の脚を踏んでいた、かつて鍛練の一環で自分も斬り込んだ、あの巨大な丸い岩だ。
奥に進むにつれ、段々空気の薄くなる山道を、義勇は黙々と歩いて行く。鬼殺隊の現役時代よりは、さすがに体力は落ちたが、呼吸法はまだ使えるので、なんとか辿り着けた。
「…錆兎。居るか?」
記憶の中に存在する像のままの御神体を前に、緊張を抑えるように一呼吸した後、誰もいない岩に向かって、義勇は声をかけ続ける。
「炭治郎を鍛えてくれたと聞いた。礼を言う。やはり、お前は凄いな。敵わない。」
不敵な笑みを浮かべ、豪快な笑い声を上げる彼の面影が、眼前に浮かび、甦る。
「…あの選別で、お前が生きていたらと、何度も思った。鬼殺隊に入った後も、お前ならどうするかと、共に闘えたらと、無意味だと解っていても、何度も願った。」
「お前は、俺の理想だったが、源泉でもあったんだな……」
修行の厳しさに挫けそうな時は、錆兎の背中を見ることで耐え抜けた。いつか自分もこうなるのだという憧れが、足掻いて生きる力になった。
「…驚くだろうが、こんな俺にも、守りたい
「だが、彼女は俺とは違う。弱いが、強い。どんなに打たれても、また希望を見出だす。」
「…なのに、こんな未熟で、短命の俺を慕っていて、側にいたいなどという…本当何故なんだろうな…錆兎……」
──刹那、さあっ、と、至極温かな空気が、辺りを包んだように感じた瞬間、力強く響く、胸が締め付けられる程に懐かしい声が、頭上から降って来た。
“お前が、水柱だからだ。”
ざわり、とした衝撃が全身に走った。瞳孔を見開き、動揺で震える自分の耳を疑う。あの痛恨の夜以来、姿も声も、一度も見聞きしていないが、間違えるはずがない。
痛い程に哀しく、乞うように欲していた音色が、今、確かにここにあった。
「…さ…びと?…錆兎、お前なのか……?!」
狼狽える義勇に、声の主は、変わらず威厳ある低音で続ける。
“お前は、とっくに俺を超えている、正真正銘の、水柱だ。”
「違う!! 超えるなど…お前や先生に恥じぬよう闘っただけだ、俺は……」
姿の見えない主に向かって、精一杯の声を張り上げ、木々の切れ間から見える青い空に、義勇は叫んだ。
“馬鹿だな……結果、心身共に、水の力を宿す柱と化したというに、自覚が無いのか? ”
“男なら、成し遂げた事に誇りを持て!! 悲しみに負けるな!! 冨岡義勇!!”
降ってくる言葉の振動と気迫に圧倒され、義勇は息をすることを忘れた。この主は他人行儀に、自分を違うモノのように語っている。
“お前が守りたいと切望している、お前をずっと見守っていたその女は、それを解っているから、お前を慕い、信頼しているのだろうに、お前が否定するのか?! ”
頬に、鋭い痛みが走ったような気がした。叱咤するようにひっぱたかれたような、熱く、優しく、懐かしい痛み。義勇の両の目から、熱い水滴が、零れる。
「…錆…兎……」
“今度は、お前が、繋がれる番だ。”
その言葉を最後に、どんなに耳を澄ましても、声はもう聞こえなくなった。
代わりに、いつかの春宵に聴いた、小さな鈴の奏でる音色が、迷路の出口へ誘うように、優しく、軽やかに、自分を呼んだような気がした。
【おまけ噺】
様々な考え方や生き方があると思いますが、うちの義勇さんは、ようやく、過去のしがらみと向き合い、覚醒し、新たな一歩を踏み出しました。
彼が今までに紡いで来たもの、出会った人達、全てが一つの線になり、新しい道筋の羅針盤になることを願ってやみません。
表現が未熟なので、以上の思いを上手く伝えられたか不安ですが、最後まで頑張って書いていきたいと思います。(まだ結構、続きます(汗))