(※直接的な場面はありませんが、性的な表現をする単語が出るので、念のために R-15タグ付けしました。)
【※設定の濃いオリジナルキャラが登場します。お手数ですが、作品をご覧頂く前に、シリーズ全体のあらすじ概要をご確認下さい。】
どのくらいの時間が経ったのだろうか。木々のざわめきと、鳥のさえずりだけが残った御神体の前で、義勇は、暫しの間、その場に立ち尽くしていた。
が、夕焼けが宵に落ち始めたのに気づき、急いで鱗滝の待つ、麓の小屋に戻った。
「先生、有難うございました。」
茶を入れ、自分を待ってくれていた師に向かって、丁寧に頭を下げる。
「…良い顔になったな。」
やつれてはいるが、どこか清々しい、晴れ晴れとした表情に変化した義勇を見て、鱗滝は『ああ、もう大丈夫だ。』と確信した。
長年引き摺っていた、古傷の痛みを乗り越えた様子に、愛弟子の多大な成長を感じ、芯から感動を覚える。
「…錆兎が、“冨岡義勇”を叱ってくれました。」
目元を細め、嬉しそうに微笑む義勇に、鱗滝は、少し驚く素振りを見せたが、「そうか。」とだけ返し、今夜はここに泊まり、休むよう促した。
「いえ、このまま戻ります。玉砕になるかもしれませんが……やらなければいけない事があるので。」
「そんなぼろぼろの状態では、向こうが気にする。」
と、鱗滝はなんとか説得し、取り敢えず精をつけろ、と何時かの前夜のように、鍋や焼き魚などを振る舞い、愛弟子の健闘を祈った。
狭霧山から戻った翌朝。自分の屋敷に戻り、身支度を整えてから、宇髄天元の屋敷を、義勇は駆け込むように訪ねた。
突然の来訪に、当然、宇髄は仰天したが、義勇は息を荒げながら、既婚者である彼に、必死の形相で問いかける。
「…宇髄。求婚とは、どのようにしたら良い?」
いきなり訪ねて来た挙げ句、このようなことを藪から棒に尋ねてくる、相変わらずなかつての戦友に、宇髄は戸惑い、呆れた。が、ようやく腹が決まったのだろうと察し、
「ったく。ド派手に世話の焼ける奴。」
と、悪態をつき苦笑しながらも、どこか嬉しそうに、にやり、と笑った。
皐月晴れの夕刻。カナヲの診療所近くの、小さな住宅街にある一軒の長屋では、久世すずなが、無気力に日常を送っていた。義勇と別れてから数日、案の定と言うべきか、食事も喉を通らず、まともに眠れていなかった。
雨宿りの夜、彼と肌を重ねた記憶と感触が心に焼き付き、まだ胸元に薄く残る、幾つもの小さな紅い跡が、悲しみを煽り、心を抉る。思い切り泣き叫びたいのに、そんな力すら出て来ない。生きる希望が消え失せて、時が止まってしまったようだった。
彼と会う事すら叶わなくなった今、これから何を支えに生きていけば良いのか……こんな状態にも拘らず、発作が起きていないのが、せめてもの救いだった。
そんな時、コンコン、と扉を叩く音がした。来客など滅多に無い為、びくっ、と驚く。
「…突然、すまない。俺だ、冨岡だ。」
あり得ない呼び声に硬直し、すずなは耳を疑った。とうとう、幻聴が聞こえ始めてしまったのかと、自嘲する。
人の気配はあるものの、返事の無い扉の向こうに、すずなが無視しているのだろうと思ったのか、声の主は、遠慮がちな声色で続けた。
「…俺の顔など見たくないだろうが……そのまま聞いてくれないか…?」
間違いない。彼だと確信したすずなは、反射的に、急いで扉を開けると、目の前に、最後に見た姿と変わらない、愛しい人の姿があった。見慣れない洒落た柄の紺の着物に、いつもの水色の羽織を着ていて、大きな紙袋を下げている。
数日ぶりに見る義勇に、激しく動揺すると共に、不覚にも胸が高鳴る。しかし、別れを告げられたのに、何故、再び自分を訪ねて来たのだろうと、不可解な気持ちは否めず、自然と心に予防線を張っていた。
一方、目の下に酷い隈を作り、すっかり憂いのかかった
「この間は、一方的な形になってしまい、本当にすまなかった……」
「今日は、君に言わなければならない、大切な事があるから来た。」
頭を丁寧に下げた後、続けて本題に入ろうとしたが、脳と口を懸命に動かそうとすればする程、喉が詰まってしまった。緊張で、妙な汗が吹き出る。
あれだけ最善な
「…体の方は、どうだ? 昨日、薬を郵送したが。」
「…あ…はい。幸い、発作は無いです。薬は、まだ……」
『違う。気になってはいたが、これではない。』
と、義勇は改めて自身に苛立つ。案の定、彼女は、困惑した表情を浮かべている。長く立ち話になりそうなのを察し、周りの目を気にしたすずなは、提案した。
「…場所を変えますか? 近くに、静かな小川があります。」
「…あ、ああ…助かる……」
家の鍵を閉めて、すずなは義勇と並んで歩き出した。また、こんな風に共に歩けるとは思わなかった為、不意討ちにあったように、心が波打っている。
一方、義勇は、これから話す内容の重大性に押し潰されそうだったが、懸命に精神を凪いで落ち着かせていた。
少し歩き、住宅地から開けたような場所に、さらさら、と小川が流れている、静かな川辺に着いた。近隣住民の散歩に使われているのだろうか、わりと綺麗に整備されていて、所々に、濃い桃色や赤、白のツツジ等、季節の花が咲き誇っている。
「ここなら、あまり人が来ませんので、ゆっくり話せます。」
そう言って、すずなは義勇と向かい合った。そして、ずっと気になっていた彼の手元の紙袋から、華やかな良い香りが漂っていることに気づき、視線を送る。
「あの、それは…?」
「あ…君に……」
気づかれてしまった為、左手に下げていた大きな紙袋から、大きな球体を取り出し、義勇は、そっと手渡した。
白百合、青と黄と紫の
「綺麗……」
「以前、花を嬉しそうに見ていたから、好きなのかと思った。」
「だが、詳しくないから、花売りに求婚向けの花を聞いて、君に似合いそうなのを、俺が選……」
緊張と照れ臭さでまごつきながらも、言い終わる前に、義勇は言葉を止めた。すずなの片方の朱の硝子玉から、雫が一筋の線を描き、流れ落ちていたからだ。
「どうした。やはり、嫌だったか…?」
また泣かせてしまった。何か口走ったような気はしたが、失言したかと、義勇は焦った。
「…求…婚って…あの、本…当です…か? でも、何故…良いの…ですか……?」
『求婚』という思わぬ単語が飛び込んで来たことで、自身の耳を疑い、喜びと戸惑い、猜疑心の混ざり合った、至極複雑な感情に襲われ、すずなは支離滅裂な言葉を溢していた。
「ああ、本当だ……もっと、上手く渡すはずだったのだが…すまない。」
「…十分で…す…有、難う…ご…ざいます……」
涙声になり、花束で顔を隠しながら、本格的に泣き出しそうな彼女に、義勇は慌てた。
「待て。まだ、ある。」
懐に忍ばせていた小箱を取り出し、左手に握らせる。肌触りの良い上質な布の感触に、すずなが気づいたことを確認し、蓋を開けた。
「きっと、よく似合う。」
中で煌めいているのは、小さな紅珊瑚と金剛石(ダイヤ)の付いた、美しい指輪だった。宇髄に紹介してもらった宝飾店で、懸命に選んだ品だ。
「最近は、宝石の付いた指輪を贈ると聞いて、君の
義勇の説明は、既に、彼女の耳に入っていなかった。右手に花束、左手に小箱を持ったまま、石と同じ珊瑚色の両の眼孔を見開き、大粒の水滴が零れ落ちている。
先程まで絶望の底にいたところを、いきなり極楽に引き上げられたような心境だった。状況の振り幅の大きさに、心が追いつかないでいたのだ。
「気に入らなかったか…? すまない。不甲斐ないな、俺は……」
「違…います! だって急に…こんな…嬉し……」
「…辛い思いをさせたな。本当に済まなかった……俺はこんな風に、神とは程遠い、未熟で至らない男だ。それでもいいのか…?」
こくり、と頷き、すずなは止めどなく溢れる涙を流したまま、何時ものように、ふわり、と微笑み、義勇の紺碧の瞳を、真っ直ぐ見つめた。
「…貴方は、私の、清廉な水の神様です。だから、貴方が良いんです。」
鱗滝師匠や錆兎の見解通りの、彼女の純粋過ぎる答えに、頬の熱さに加え脳の芯が、くらくら、と揺らぐのを覚え、義勇は息を飲んだ。
その清廉な神が、今どんな事で苦悩しているのか、この娘は理解しているのだろうか。変わらず、無垢な好意に溢れた、澄んだ眼差しを向けて来るすずなに、妙な罪悪感と背徳感を感じた。
「…出来るなら、祝言まで避けたいのだが…時間が惜しむのでな…けじめが無く、申し訳ないのだが……」
既に紅色に染まった顔を、急に左手で覆い隠し、義勇は今まで以上に口ごもっている。そんな彼が、何を言わんとしているのか、今一つ解らないのであろう、曇りの無いすずなの朱の
骨張った大きな左手で、戸惑う彼女の左手を指輪の箱ごと包み取り、涼やかな目元を泳がせながら、ついに口にした。
「このまま共に屋敷に戻って、俺と暮らしてくれないだろうか…?何時までの
終始、驚きと喜びで見開いていた、すずなの涙で滲む珊瑚色の
「…申し訳なく…ないです…冨岡さん……幸せです…宜しくお願いします……」
涙に濡れた顔で、すずなは極上の笑みを浮かべていた。いつか見た、雨上がりの虹のような、淡くも貴い、何よりも愛おしい笑顔。
歓喜と至福に溢れ、思わず見とれてしまったが、義勇は握っていた手を離し、少し不満そうに言った。
「…義勇だ。君も、冨岡になる。」
はっ、とした表情に変わったすずなは、少し俯き、澄んだ声を躊躇うように、微かに溢した。
「…ぎ、ゆう…さ…ん…義…勇さ…ん、義勇さん……!!」
後半は叫ぶように、何度も愛しい人の名を呼びながら、すずなは感極まり、義勇の胸に飛び込んだ。懐かしく心地好い"彼″の香りが、ざわめいていた心を落ち着かせる。
ずっと、ずっと……口にしたい言葉だった。ようやく呼ぶことを赦されるのが嬉しくて堪らず、水色の羽織を掴み、広い背中にしがみつく。
そんな彼女を、義勇は、片腕でしっかりと受け止め、頬を亜麻色の頭に擦り寄せた。
「…す…ずな……すずな……!!」
「義勇さん……義勇さん……」
愛しい人が自分の名を涙声で呼ぶ度、比例するように、きつく
至極乞いていた“彼女”の香りが鼻腔を擽り、心の奥底に溜まっていた、一番伝えたかった想いが、熱のこもった低音の声に乗って、唇から零れる。
「…側にいて…欲しいのは……俺の方だ…すずな……」
もう拒絶しなくて良い、という赦しが、心の蓋を外した。絶対に離しはしない、離したくないという、確固たる決意と熱い激情が、関を切って泉のように湧き上がってくる。
いつの間にか、辺りは宵闇に包まれ、夜の帷が降りていた。
頭上の夜空には、
【おまけ噺】
自分の気持ちを言葉にするのが(そもそも、錆兎の件で感情の起伏すら乏しそう)、大の苦手な義勇さん、頑張りました!!
元々、言葉は拙くとも、脳内と肝心な時の行動がすこぶる格好良いのが、彼の魅力だと思っているので、こんな風になるかなと考えました。
最推しの義勇さんに対して、『作者なりのご褒美+好みの詰め合わせ』で、今回生み出したヒロインでしたが、彼女について考えているうち、愛着が湧いて仕方なくなりました。
物語の着地点が段々定まってきましたが、義勇さんだけでなく、すずなにとっても、幸せな結末を用意したいと考えております。
にしても…所謂ムズキュンを意識して書いたとはいえ、本当に初々しくて甘酸っぱいですね……
殺伐とした時代や環境で、ろくに恋を知らないまま大人になった純粋な男女が出会い、初めて知った人の温かみや色恋が、一世一代の純愛に昇華するという設定は、筆者の大好物なのですが、自分が書いたものを、正気に戻って読み返していると、毎回爆発します……
何はさておき、こんなスローに長々と続く物語を、ここまで読んで頂けている方々には、本当に感謝しかございません!!(泣)