(※直接的な場面はありませんが、性的な単語や表現が出ますのでご注意下さい。)
【※設定の濃いオリジナルキャラが登場します。お手数ですが、作品をご覧頂く前に、シリーズ全体のあらすじ概要をご確認下さい。】
屋敷中に、白金色の淡い光が差し込み、義勇は眩しさで眼を開けた。やけに神々しい光だ、と感じた瞬間、左腕の柔らかな重みに気づく。
どこか艶のある無垢な表情で、安らかな寝息をたてているすずながいた。彼女の後頭部越しに、なんとか指を伸ばし、蜜蝋色に透ける柔らかな髪や、すべやかな白い頬に、そっ、と触れる。
『嗚呼……温かいな……』
と、心から安堵した途端、ぎゅっ、と目頭が熱くなった。愛しい人が、目の前で息をしている。温かい血が通っている。それが、どんなに素晴らしく尊いのかという事を実感し、視界が水の膜で揺らぎ、霞んだ。心無しか、身体の奥底からみなぎるように、熱く激しい力が、次々に湧いてくる気がする。
「義……勇さ、ん……?」
気配に気付き、ゆっくりと
「すずな。」
「君を、俺に……護らせて欲しい。」
もう、迷いはなかった。与えられた時間が、あとどれだけなのか判らない。が、残りの命を全て懸けると、自身に誓うように呟く。
一方。改まった様子の彼の言葉に、まだ意識が朧気だったすずなは、耳を疑った。
「……今、何て?」
「『幸せ』を、君に贈りたい。」
聞き慣れない言葉の連呼に、何かのまじないの呪文だろうか、と寝惚け気味の頭で、すずなは思った。反射的に、思っている事が零れる。
「……もう、充分、幸せですよ?」
何故、突然、彼がそんな事を伝えてきたのか解らず、不思議そうな表情を浮かべている彼女を見て、義勇は戸惑い、自省した。
「……いや、そうではなく…… すまない。唐突だった。」
腕の中で横になっているすずなに、自身も寝転がったまま向き合い、改めて、澄んだ珊瑚色の瞳に誓うように、口にした。心無しか、彼女の瞳の憂いは、霞む程までに薄れていた。
昨夜の蒼から何時もの紺碧に戻った、愛しい人の瞳の煌めきが眼前に迫る。そんな状況に、すずなは動揺し、見惚れた。
「君を、幸せにしたい。これから、もっと。沢山。」
花束を抱えて求婚に来た時や、初夜の床に入る前、自分に賛辞の言葉を述べた時よりも、ずっと精悍で、毅然とした顔付きをしている彼の様子と、真剣な言葉の意味を理解した瞬間、すずなの胸奥が、ぎゅっ、と詰まった。
喜びというのは、時として、心を締め付ける位の苦しみを伴うのだと、初めて知った。両の朱の硝子玉が、つうっ……、と温かな水滴を含み、伝い流す。
それを、そっと、吸い取るように義勇は口付け、温かな布団の中で、彼女を全身で抱き締めた。慈しみ、護るように素肌と素肌を擦り合わせ、一つの命をいとおしいと想うとはどういう事かを、改めて実感していた。
微睡みの中で幸福感に蕩けていた二人は、次第に空腹を感じ始めた事で、ようやく、意識が現実の領域に戻ってきた。
「……腹が空いたな。少し遅いが、朝餉にしよう。」
「あ、それは、私が……」
すずなは、慌てて起き上がろうとしたが、全身がぐったりして、手まで力が入らない。そんな彼女を見て、昨夜の自分の所為が甦り、義勇は、全身の熱が一気に上がった。
「まだ、休んでいて良い。随分……無理をさせた。」
「ですが……」
「出来たら、こちらに運ぶ。待ってろ。」
そう言って、申し訳程度に
食欲を湧かせる良い匂いが漂ってきた頃、味噌汁と卵焼き、昨日握り飯にした白飯の膳を、義勇は寝室まで運んで来た。布団から少し離れた場所で、何時かのように、二人は向かい合って朝餉を食べる。
「……そう言えば、君の事を何も知らないな。」
少し寂しそうに、義勇は呟く。自分を妻となり、これから共に暮らしていくのだから、彼女の事がもっと知りたいと思った。
「……好きな料理は、何だ?」
「えっ、と……」
あまり意識して来なかったのか、口ごもるすずなだったが、暫し後、思い出したように溢す。
「……あ、お豆腐…… 特に、高野豆腐が好きでした。」
「そうか。」
「あと、
「蕪……?」
あまり聞き慣れない食材の名に、義勇は不思議そうな声色で返した。
「……『スズナ』という花が実をつけると、蕪になります。やせた地でも育ち、とても滋養があることで、昔から神を呼ぶ食材と言われているそうです。」
「離縁した植物学者の父が、いずれ神職に就く私に、と名付けたそうで……
少し言い淀みながらも切なげに微笑み、また一つ、自分の事を明かしてくれたすずなを、義勇は嬉しく思った。
「……良い名だな。」
思わず、優しい声色で返す。厳しい地でも健気に生き、治癒をもたらす実を成す花。彼女を形容している名だと思った。
「義勇さんの名前、素敵な字面だと思ってました。由来はあるのですか?」
「……俺も父が付けたと聞いたが、意味は知らない。物心ついた頃に病死したから、未だにわからん。」
「『義を見て為さざるは勇無きなり』」
「何だ? それは……」
聞き慣れない言葉を、さらり、と口にする彼女に、義勇は呆気にとられる。
「いつか読んだ書物にありました。確か、孔子の論語だったでしょうか…… 『人として為すべき義を知りながら、実行しないのは勇気が無いからである』という意味です。」
「……確かに、俺は、意気地が無い。」
「違います。逆です。あなたは、常に忠義に溢れ、勇気ある事ばかりされてきました。避けることだって出来たのに、敢えて、茨の道を痛ましい位に歩かれて来た。そうでしょう?」
『買いかぶり過ぎだ。』という言葉を喉に詰め、照れ臭さで居たたまれなくなった義勇は、俯いて味噌汁を飲み切る。この
『違う。そうじゃない』と何度否定しても、常に真っ直ぐな、信頼の眼差しを向けてくる彼女が眩しすぎて、たまに申し訳なくなる。
「お父様の意図は分かりませんが、あなたにぴったりの名だと思います。」
至極幸せそうに、ふわり、と淡い虹のように、すずなは微笑んだ。儚いのに、
食事を済ませた二人は、汗を流そうと、交代で湯浴みをすることにした。片腕の義勇を案じ、すずなは、それとなく気を回す。
「何かお手伝いはありますか?」
「気にしなくて良い。ずっと一人でやってきた。」
「……妻として、あなたのお役に立ちたいです。」
「炊事や洗濯で、充分だ。」
「……例えば、
『……背中を、流す?』
瞬間、彼女から顔を反らし、義勇は努めて精神を凪いで落ち着かせたが、耳まで紅く染まっている。
「……着物のまま、風呂に入るのか?」
「…………?!」
自分がとんでもなく大胆な提案をしていた事に気づいたすずなは、義勇の何倍も顔を真っ赤に染め上げ、蚊の鳴くような声で、「いえ……」と答えた。
「……ゆっくり休んでろ。」
その場から逃げるように足早に去ったが、『夫婦というのは、そのような事もするものなのだろうか。』と思った。途端に、妙にこそばゆい、糖蜜のように甘い感情が、ざわめくように泡立つ義勇だった。
「急いてすまないが、祝言の日取りは、
其々、湯浴みを済ませ落ち着いた後、早速と言わんばかりに、義勇は、向かい合って提案した。時間が急いている為、少し慌ただしく無粋にも感じたが致し方ない。
しかし、別の不安材料が、すずなの内にあった。身寄りを無くした後の彼女は、蝶屋敷での臨時診察と神事の奉納代という、産屋敷家からの給金と、皮肉ではあるが、主に、自身の能力で得た金銭、宝飾品などの実家の財産を、少しずつ売却して賄われていた倹約生活だった。その為、白無垢や改まった嫁入り道具一式を、新調して持参する余裕は、とても無かったのだ。
そのことを、すずなは言いにくそうに義勇に相談すると、『全て、俺が手配する。』と即答した。
「そんな。申し訳ないです。」
「気にするな。俺の為でもある。」
「……どういう事ですか?」
「いや、少々、思うことがあってな……」
「…………?」
心配そうに自分を見ている彼女の姿に、心の中の重みが、少し掻き出されるような衝動に、義勇は駆られた。
「……以前、姉がいたと、話したが。」
「祝言の前夜に、鬼に殺された……俺を庇って。」
この話を口にする時は、まだ、心が痛む。至極辛そうな表情で語る、初めて耳にする彼の悲しい過去に、すずなは、思わず口元を押さえた。長年慕っていた人の、今も消えない心の傷が、少し解った気がした。
「……だから、せめて、君には豪華な白無垢を着て欲しい。きっと、よく似合う。」
「……はい。有難うございます。」
これ以上の遠慮は、逆に彼の気持ちに水を差すような気がしたすずなは、義勇の言葉に甘えようと微笑み、了承した。
数日後。以前、すずなと訪れた商店街に、一人買い出しに出た義勇は、何時もの食材の他に、鮭と大根を買った。明日、産屋敷邸に赴き、所帯を持つ事になった報告をすると決めた義勇は、『今夜は、以前交わした、例の約束を果たす日にしないか。』と、彼女に提案したのだ。
夕刻に帰宅して早々、張り切って調理を始めたすずなは、『今日は、火興しから全部一人でやりたいです。』と言って聞かなかった。初めて鮭大根を作るという彼女の様子を、義勇は心配そうに、ちらちらと隠れながら伺う。
宵に落ちた頃、良い匂いを漂わせながら並んだ鮭大根を、義勇は瞳を輝かせながら頬張った。よく煮込んだ鮭と大根から、醤油と具材の出汁が混ざり合って口一杯に広がり、更に、彼女らしい素朴で優しい風味が加わる。ほっ、と心が温まった瞬間、紺の着物の膝に、ぽたり、と滴が落ち、染みが付いた。
「…………?!」
自分の眼から、一筋の
「あの、何か良くなかったですか? すみません。」
「違う。とても美味い。だが、何故……」
狼狽えるすずなを他所に、ぽこん、ぽこんと、静かに湧き出る泉のように涙が止まらない。女性の前で泣くなど、男としてあり得ない、と激しい自責に駆られた。が、反面、そんな自身が可笑しく、妙に笑えてもくる。
今まで鮭大根を食べて、こんなに不可思議な状態になったことはなかった。鬼殺隊に入った後も、好物である此れを食べる時は高揚し、嬉しく思える貴重な時間だったが、こんなにも切なく、温かい想いが、次々に溢れてくることはなかった。締め付けられるような懐かしい感覚もあるが、また違う幸福感が生まれては流れ、全身に満ちる。
困惑しながらも隣に寄り添い、そっ、と手拭いを差し出し、彼の頬に流れ続ける水滴を、すずなは優しく拭った。
「……有難う。」
至極穏やかな笑顔を浮かべ、義勇は彼女を見つめた。心配そうに自分の様子を伺う、彼女の顔を見て、流星のような眩い光が、脳裏に幾つも瞬く。
──身体中に、新しい息吹を感じる……温かい……瑞々しい水流……
『もう、何かが変わる事など無いと、思っていたのにな。』
時は巡っていたのだ。確実に。あの最後の闘いで、自分の全て……人生は終わったと思っていた。後は、そのまま一刻一刻を受け入れ、ただ日々を重ねながら、命尽きるまで待ち、生きるだけだと。
この人と過ごしてゆくうちに、いつの間にか、新しい命の源に身を委ねていたのだ。側にいて欲しい、とは思ったが、ずっと探していたのかもしれない。温かく、新たな
神の存在や運命など信じていなかったが、奇跡のような確率で、彼女と出逢えた事だけは、これから何が起こったとしても後悔はしない。いや、しないよう残りの人生を精一杯生きると、義勇は、自身を鼓舞した。
【おまけ噺】
今回も、一応進展はしていますが、恋愛以外の動きも、やっぱりスローですね (苦笑) あれだけ心が壊れてしまった人が、人間らしい感情を取り戻すのは簡単にはいかないだろうなぁ、とは思ってましたが……すみません。難産というやつです。
『幸せ』は、一人一人違った形があると思いますが、義勇さんが、今までの人生の中で失ったものだけじゃなくて、散々苦しんだからこそ、実感できる温かさや、得られた幸せもあることを願います。
二人の新婚生活のエピソードなどは、もっと掘り下げて書きたいのですが、延々と続いて蛇足になってしまいそうなので、そちらの方は外伝として、別に書いていこうと考えています。