【※設定の濃いオリキャラが登場します。お手数ですが、ご覧頂く前に、シリーズ全体の概要をご確認下さい。】
悪戯
義勇にとって様々な面で心に残った、あの夜桜の宴の夜から、一週間余り経った、とある日の昼前。いつもの行きつけの蕎麦屋の前に、義勇は居た。
また炭治郎からの文の誘いで、先日の来てくれたお礼がしたいので、久しぶりに蕎麦をご馳走したいという内容だった。
『礼などいらない。』と断ったが、『大事な話があって、直接会って話したいんです。』と返され、また半ば強引に呼び出されたのだ。
ぽかぽかと暖かい日差しが辺りを照らしていて、とても麗らかな陽気に満ちた、気持ちの良い午後だった。
『…最近は、よく呼び出されて誰かと会ってるな。』
長年、心身を削る日々を送っていて、ゆっくり食事をとることも少なく、それが当たり前になっていた。
元々出不精な上、不本意にも柱になってしまった後ろめたさから、鬼殺隊の仲間とも距離をとっていた、以前の自分からは考えられないことだった。これも、平穏な日々のおかげなのか否かわからないが、周りの変化と共に、自分も変わっていってるような気がする。
そんなことをぼんやりと考えながら、それにしても、炭治郎が珍しくやけに遅い、と不審に思った。いつも自分より先に来て待っている、律儀な弟弟子なのだが…嫌な予感がする。
「……冨…岡様?」
からん、という小さな下駄の鳴る音と、尺八の音色のような、柔らかく澄んだ声が、義勇の右耳に入り込んできた。
振り向くと、蕎麦屋から少し離れた所に、珊瑚色の着物に菫色の縦縞模様の帯を締めた、見覚えのある亜麻色の長い髪の女性が、とても驚いた表情で義勇を凝視していた。
「あ…花見の……」
驚愕を隠せず、彼女の何倍も茫然とした面持ちで、義勇は自分の目を疑った。紺碧の瞳孔が開き、いつにも増して言葉に詰まり、口元が強張る。
「…何故、ここに?」
「カナヲさんとアオイさんと、お蕎麦を食べるお約束をしているんです。この間の儀式のお礼がしたいから、ご馳走させて欲しいと言って頂きました。」
「少し遅れてしまって。」と、自分を恥じる彼女を見て、義勇は何かを察した。血の気が一気に引くのを感じる。眼前の視界が歪み、ぐらつくのを抑えるのに必死だ。
「来ません。」
「…えっ?」
「おそらく二人は来ない。俺も竈門炭治郎と待ち合わせ中だが、まだ来ておりませんので。」
「え?! そんな。でも、どうして……」
すっかり狼狽しながら混乱している彼女を凝視する中、先日の夜桜見物の御開きの際、矢鱈にやつきながら、妙に怪しい眼差しで自分を見ている、宇髄天元を思い出していた。
あの夜に何を思ったのか知らないが、色事に敏感なあの男が、何かを企んでいるのが、女性に疎い、鈍いとよく言われる自分でも分かる。
大方、炭治郎やカナヲ達を利用して、自分を嵌めたのだと察した。今度は沸騰するように、ふつふつと怒りが湧いてきたが、この女性に罪は無いと、努めて冷ややかに抑え込む。
「…どうやら俺が嵌められたようだ。貴女にまでご迷惑をかけて申し訳ない。」
とりあえず、自分への謀に、この女性を巻き込んでしまったことに罪悪感を感じ、義勇は深く頭を下げた。
「そんな! 迷惑だなんて。また貴方に会え……」
驚きと勢い余って、すずなが思わず叫んだ瞬間、ググゥー……、という腹の音が、二人の間に響いた。
「あ…すみません……」
顔を真っ赤にしながら俯いて、自分の腹を抑えるすずなを見ているうちに、怒りの波しぶきが上がっていた義勇の心が、少しだけ凪いだ。醤油と鰹出汁の混ざった、食欲をそそる香りが漂ってくる蕎麦屋の入り口を見て、少し考えた後、ふう、と息を吐く。
「ここの蕎麦は美味い。お詫びにご馳走します。」
そう言って、スタスタ、と店内に入って行った義勇を見て、すずなは思わぬ展開に戸惑ったが、慌てて後に続いた。
店内に入るや否や、店主は、常連客の義勇を笑顔で迎えた後、後ろの見慣れない女性を見るなり仰天したが、奥の特等席に慌てて案内してくれた。
いつものを頼む、と義勇は告げ、すずなも同じ物を注文する。仕切りで囲われ、窓から手入れされた裏庭が見える、個室のような席だった。
「…遠慮しなくて良い…です。好きな物を…頼んで下さい。」
「大丈夫です。きっと、一番美味しいのでしょう?」
そう言って嬉しそうに微笑む彼女を見て、義勇は、また懐かしいような、どこかで会ったような感覚に襲われた。そんなはずはない。こんな笑い方をする女性に会ったことは無かった。
戸惑う脳裏に、鬼との闘いで亡くなった、かつての仲間の女性の顔が、次々に横流れで走っていく。胡蝶カナエの、花が咲いたような華やかな笑顔、胡蝶しのぶの、どこか張り詰めた穏やかな笑顔、甘露寺蜜璃の、屈託の無いはつらつとした笑顔とも違う。姉の蔦子は、凛とした面持ちで、朗らかに笑う人だった。
一方、この女性は、瞳に憂いはあるものの、見ていると落ち着くような、柔らかい木漏れ日のように、ふわり、と微笑む。纏っている空気が、どこか違うからだろうか……
ずっと見られていることに気づいたすずなは、義勇が気を遣って、色々考えてくれているのだと思い、口を開いた。
「あの…敬語は良いですよ? 私の方が年下ですし…気を遣わないでください。」
「…わかった。」
自分より二歳下だと、栗花落カナヲの以前の説明で認識していたはずが、儀式の時の厳かな印象のせいか、自然に敬意の概念があったことに気づく。
話しているうちに注文した蕎麦がきたので、義勇は早速食べ始めた。左手での暮らしもだいぶ慣れたため、円滑な手つきで、いつものように箸を持ち、静かに蕎麦を口に注ぎ入れながら、向かいの席のすずなに視線を向けた。
彼女は、義勇が食べ始めたのを見届けてから、熱い湯気の立つ麺に、小さな口で息を吹きかけ、猫舌なのか、少しずつ冷ましながら静かにすすっていた。
『…俺の右腕のことには、一切触れないのだな。』
あの優麗な舞を披露した、神秘的で華やかな巫女の気配は、やはり感じられない。どこか浮世離れした儚い雰囲気はあるが、素朴でおっとりとした普通の娘だ。
なら尚更、片腕の無い男の事情が気になるだろう。鬼に家族を殺され、蝶屋敷にいたのなら、カナヲ達に、多少は聞いていて察しているのかもしれないが、逆に、色々と心配して気にかける素振りもない。何と言うか、警戒心や猜疑心という類いの念が、全く感じられないのだ。
「冨岡様。これ、とても美味しいです。」
口元を掌で覆って隠しながらも、まだ蕎麦を頬ばったまま、すずなは心底嬉しそうなあどけない笑顔を、義勇に向けた。
『…ああ、こういうところは、炭治郎や禰豆子に、少し似ているかもしれない。』
と、義勇は思った。自分よりも年下であって、無防備さが子供っぽく感じるにも拘らず、彼らと同じように、その場を温かく包み、邪なものから優しく守るような空気に変える。
「…そうか。」
不本意にも観察するような真似をしていたことがきまり悪く、素っ気なく返してしまったが、反面、行きつけの店の、決まって食べる同じ蕎麦が、いつもより美味しく感じた自分に、内心戸惑っていた。
食事の時間はあっという間に終わり、二人は店を出た。(食後、二階の逢引き部屋を使うと思っていた店主は、あっさり帰って行った義勇達に拍子抜けしていた。)
蕎麦屋に入る前は、詫びが終われば早々と帰宅し、宇髄らに抗議しようと考えていたが、あの時、静かに渦巻いていた怒りは、大分消えていた。
「今日はご馳走様でした。気を遣って頂き、感謝します。」
そう言って、再び、ふわりと笑みを浮かべた後、すずなは、丁寧にぺこりと頭を下げた。
「いや、本当にすまなかった……宇髄の命だろうから、栗花落らを責めないでやってくれ
「そんな。本当に美味しかったですし……おかげで楽しかったです。」
『…楽しかった…だと?』
頬を少し薄紅に染めてはにかみながら、心底嬉しそうに、顔を緩ませている彼女の言葉が、それこそ巫女が使う、まじないの呪文のように聞こえた。
その場にいた他の人間なら、誰もが社交辞令には聞こえなかっただろうが、義勇には社交辞令云々を通り越して、聞き慣れない単語の羅列にしか思えなかった。
気の利いた会話以前に、話らしい話さえしていない。ほとんど無言のまま、一緒に蕎麦を食べただけだ。それなのに、この女性は、さっきの時間に真に満足しているようなのが、義勇には理解不能だった。
「…それなら良いが。」
「はい。今日、ご一緒できて嬉しかったです。」
「…変わっているな。貴女は。」
心無しか、少し憂いの消えた、曇りの無い朱の硝子玉のような瞳で、優しく微笑む彼女に軽い眩暈を覚え、義勇は思わず本音を溢していた。
【おまけ噺】
章タイトルは、お盆が終わる頃、先祖や亡くなった方の魂を、現世から冥土に無事に送る為、其々の家の名を書いた灯籠を川に流す風習、『灯籠流し』から捩りました。京都の五つ山の送り火のような儀式です。
先に召された人々が遺してくれたものが、次々に流転し、新たな道へ導いていく様子を表したつもりの造語です。