静寂の碧い灯影、雨上がりの虹彩。
【※設定の濃いオリキャラが登場します。お手数ですが、ご覧頂く前に、シリーズ全体の概要をご確認下さい。】
気づいたら、考える前に口から言葉が出ていた。不思議だ。彼女の憂いのある澄んだ瞳は、自分の内実を全て映し出し、隠している方が余計に気まずくなるような、妙な衝動に駆られる。
「…よく言われます。職業柄もありますけど、この世の人間ではないようだとか。」
少し寂しそうに微笑み、自嘲気味に言うすずなを見て、義勇は慌て、急いで弁解した。
「俺は、何もしていないからだ。口下手だの、言葉も足りないとも、よく言われる。楽しいなど……」
悪い意味ではなかった、と伝えたい衝動が自分を突き動かし、焦りながらも珍しく口が回る。
そんな義勇を見て、すずなは、ほっ…と安心したような表情をした後、重大な秘密を明かすかのような面持ちで、思い切ったように、ゆっくりと口を開いた。
「…私、身寄りがなくなって、蝶屋敷でしばらくお世話になり始めて、『久世』という新しい名字を頂いた頃、負傷して治療にいらした、冨岡様をお見かけしたことが、何度かあるんです。」
義勇は驚き、すずなを凝視した。そんなことは全く知らなかった。彼女の存在すら、耳に入っていない。
「あちらの方で話しましょうか。」
と、蕎麦屋の近くから離れ、小さな広場のある方へ歩き始める。
「私が、元巫女見習いだと知ったカナエ様の頼みで、恩返しをしたかったこともあり、隊員様の心の機能回復のお手伝いをさせて頂き始めました。」
「冨岡様は、こちらの方に来診されたことはありませんでしたが、いつも生気の無い、哀しそうなお顔をされているのが、ずっと気になってました。」
少しきまり悪そうに、義勇から目を逸らし、澄んだ青い空を見上げながら、当時の彼の憂いた紺碧の瞳が過って、思い切ったように続ける。
「顔色が悪くやつれ切っていて、目の下に酷い隈も作ってらしたので、あまり眠れていないのではないかと思ってました……特に、瞳に光が全く無かった。」
まるで、全てを近くで見ていたかのような口ぶりをする彼女に、少々おののきと気恥ずかしさを、義勇は感じた。
「他の柱の方も、怪我の治療にいらした時は憔悴しきっていて、何かしらの重い影を抱えていらっしゃるのは分かりました。けれど、冨岡様は、また少し違っていて……」
「影と同じく、静かに燃える灯火を繊細で硬い器に隠して、それに気づかないまま自身を痛めつけ、死に急いでおられるような、そんな危うい気配を感じたのです。」
「その器もいつか壊れて灯火も消えて、貴方の全てが失せてしまうのではないか……とても心配でした。」
広場に着くと、すずなは振り返ってまた笑顔を見せたが、何時にも増して淡く、切なげだった。
「声をかけようか何度も迷いましたが、何時の日からか、憑き物が取れたかのように、幾分か落ち着かれていたので、少し安心してました。」
「闘いが終わってからは、意気消沈しておられたようですが、段々と安定されているようだったので、本当に良かったです。」
義勇は完全に言葉を失っていた。口下手だからではなく、すずなの思いがけない話に、何も言えなくなっていたのだ。
全く無自覚で、自身でもよく解らなかった心情を、数える程、姿を目にしただけであろうに、当たり前のように言い当てて見透かしている。
また、こんなにも思いやりに溢れた言葉を聞くのは、いつ以来だったろうか。常に相手の様子を伺い、傷痕を優しく包み込む、肌触りの良い綿の布地のような、温かく真っ直ぐな善意が、彼女が纏っている柔らかな空気から、じんわりと伝わってくる。
「…柱の者も、来たのか?」
ふと、自分以外の柱は、彼女のことを知っていたのか気になった。
「柱の方含め、隊員様全てになりますが、其々の私事に関わるのと、隊の士気に影響するとのことで、カナエ様としのぶ様が勧められた方にしか、私の存在は申し上げていません。」
「あと、守秘義務がありますので、今、存命されていない方になりますが、皆様、一度も来診されたことはありませんでした。」
「霞柱様の記憶改善の為に、何度かお話をしましたが、あまりお力にはなれず……カナエ様としのぶ様が、鬼殺に加えて蝶屋敷の仕事が祟り、反って不眠気味になられた時に、生薬を処方したことはありましたが。」
すずなが明かした事実に、改めて、柱として闘った仲間の強靭な精神力に感服すると共に、皆其々、自分の知らない所で苦労を重ねていたことを察し、何とも言えない歯痒さと、自身の未熟さを、義勇は感じた。
いつの間にか、すずなの足元に、数匹の猫が集まって来ていた。どうやら野良猫のようだ。犬を筆頭に、動物が苦手な義勇は、たちまち硬直し、冷や汗をかきながら後退りし、その場から少し離れた。
「可愛い。どうしたの?」
少し警戒して震えている、茶と白の混ざった猫の前にしゃがんで、そっ、と右手を差し出し、普段よりも更に、声を和らげて話しかける。
にゃあ…にゃあ……と彼女に何かを訴え、甘えるかのように擦り寄り始めた猫と、すずなは嬉しそうな顔で、まるで対話するかのように戯れ始めた。少し離れた場所から、一匹の黒い猫までが、こちらの様子をじっと伺っている。
「…凄いな。俺は、動物は……」
「苦手なんですか? あ、でも……」
気づけば、二、三匹の雀が集まって来て、義勇の肩に乗ってくつろいでいる。
「随分、慣れていらっしゃいますね。」
楽しそうに、ふふっ、と軽やかな笑い声をあげたすずなに、義勇は気恥ずかしいような、居たたまれない衝動に駆られた。
「鴉や…鳥は、大丈夫なのだが……」
「猫は、特に警戒心が強いですから、じっとして、こちらから心を解けば、直に慣れますよ。」
気づけば、先程の黒い猫までが、彼女の後ろに隠れるように寄り添っていた。
「…これも、巫女の力なのか?」
段々と警戒を解いて、すずなに身を許していく猫達を見て、何か特殊な力の影響なのかと、義勇は問わずにいられなかった。
「…いえ。私は、巫女として大したことは出来ません。患者さんの心情や体の状態を伺って、気が休まる効果や安眠作用のある、生薬や薬草を処方したり、思い悩まれていることを聞いたりするだけです。」
巫女としては珍しいのであろう、蜂蜜色がかかった亜麻色の腰まである長い髪が、風に揺れて蜜蝋色に反射する。耳の辺りの後れ毛を抑えながら、また、少し自嘲気味に微笑む彼女を見て、義勇の心に大きな波紋が起きた。
『この感じは、どこかで……』
「私には、三つ下の仲の良い妹がいました。芹菜…彼女も巫女見習いで、もっと様々な能力がありました。霊感が強くて邪気を祓ったり、明るく賢くて、巫女らしい漆黒の髪で見目も麗しい、将来有望な後継者だったんです。」
目の前の猫と後ろの黒い猫を、同時に優しく撫でて愛でながら、少し息を飲み、強張った口調で続けた。
「…ですが、妹の方が、鬼に殺されてしまいました。」
義勇は、何故か、錆兎のことを思い出していた。そして、彼女の心境が、過去の自身と重なる。
才ある者の代わりに、自分が生き残ってしまった罪悪感と後ろめたさ。不条理な世界への怒りと哀しみが渦巻き、そんな行き場の無い塊を抱え、亡き者の命を背負って生き続ける苦しみは、痛い程、解る。
自分は、鬼殺という形にしがみついて償うしかなかった。だが、彼女は違う。自分とは違う、という熱い衝動が、心に強い波風を起こした。伝えなければならない、これだけは。
「久世。」
口数の少ない義勇の、急に改まった声色での自身への呼び掛けに、はっ、とした面持ちで、すずなは彼を見上げた。
「…俺は、神の力とやらは信じていない。だが、先日の舞は、本当に良かった。観ていて救われる人間がいるというのも、解る気がする。」
義勇の言葉に、すずなの円らな目が大きく見開き、段々、朱の光が灯っていく。
「貴女と接していると、皆心が休まり、和むのだろう。卑下することは無い。」
刹那、信じられない、気恥ずかしい、心底嬉しい、といった、様々な感情の入り混じった表情を浮かべた後、出会ってから最上級である笑みを、すずなは溢した。
まるで、雨上がりの虹のような、儚くも透明感のある、綺麗な笑顔だった。心無しか、朱の瞳に雨粒のような涙が滲んでいる。
予想以上の彼女の反応に、今度は胸元を掴まれるような衝撃、芯の奥底から湧き上がってくる不可思議な高揚という、次から次に起こる、初めての感覚が、義勇の全身に生まれては弾け、駆け巡った。
そんな二人に対して、野良猫達は無視されて面白くないのか、再び、にゃあ…にゃあ……と、強く鳴き始めた。
「…この子達、お腹が空いているのでしょうか?」
はっ、と我に返ったすずなが、心配そうに猫に向き直る。
「握り飯でも買って来よう。近くに店があった。」
「えっ…良いのですか?」
「…むやみに餌付けするのは気が進まないが、少しなら大丈夫だろう。」
気恥ずかしいのを誤魔化そうと、店のある方を向きながら、義勇は素っ気なく提案した。
「有難うございます!!」
───また、本当に嬉しそうに、笑う……
すずなから離れ、通りに向かいながら、『柄にもなく、悲鳴嶼さんや不死川のような真似をしてしまった。』と、義勇は思った。
深い理由は無い。些細な事であんなに喜んでくれた彼女に、もっと何かしてやりたかったのだ。
……ただ、それだけだった。
義勇が立ち去った後、すずなは、そのまま猫達と楽しげに戯れていた。実は、ずっと情を寄せていた彼と食事ができて、色々話せて、更に自分の行いを認めてもらえたのが、至極嬉しく、久方ぶりに溢れる幸福感を噛みしめていた。
───その時。
「あらまあ、すずちゃんやないの?」
聞き覚えのある方言の、年配の女性の声が耳に入り、瞬間、すずなは即座に青ざめ、硬直した。
恐る恐る、振り返った先には、見覚えのある顔。確か、実家の神社があった同じ村の、近所の……
「なんや生きとったんかぁ。てっきり、とっくに鬼に喰われたと思っとったわぁ。」
強烈な目眩を覚え、喉元が詰まり、寒気が全身を貫き、冷や汗が吹き出る。
──甦る、あの忘れることの出来ない、血生臭い、凄惨な夜。
家の前に鳴り響く、地割れのような轟音と耳をつんざくような雄叫び。
「きゃあぁー!! ねえさまぁー!!」「すず姉様ぁー!! 助けてぇー!!」という、幼い妹と弟が、自分に助けを乞う甲高い悲鳴。
そして、自分のいる“あの”部屋に飛び込んできた、必死な母の形相……
───視界が、また、闇に堕ちた。
【おまけ噺】
話のタイトルは、『運命の巡り逢わせ』と『心情を廻り合わせる』を掛け合わせて付けました。訳ありの二つの人生が巡り、転じて、重なり合う様子を表したつもりです。