矛盾していく波紋。
【※設定の濃いオリキャラが登場します。お手数ですが、作品をご覧頂く前に、シリーズ全体の概要をご確認下さい。】
犠牲者
手を握り合ったまま、どれくらいの時間が経ったかわからないでいた。幾分か安心したのか、すずなの息づかいが少し和らいだように見えた時、
「冨岡さん!!」
という呼び声と共に、顔面蒼白状態の栗花落カナヲが、大きな鞄を抱えながら屋敷の門に駆け込んで来た。
慌てて手を離し、屋敷の玄関まで向かい、義勇はすずなの寝ている客間に迎え入れる。二人共、今日の謀のことは、すっかり頭から抜け落ち、忘れていた。
「すずな様!!」
呼び掛けと同時に、カナヲは布団の隣に座り込むなり、直ぐに鞄の中から、注射器の入った容器、液体の入った瓶、薬草らしき臭いのする袋、昔、蝶屋敷で使用していた寝間着などを取り出した。
カナヲの対処は手慣れたものだった。注射器で、すずなの左腕に薬らしきものを投入し、襟元を緩めて聴診器を差し入れる。
「随分、汗をかいていらっしゃるので着替えて頂きます。冨岡さんは…あの……」
と、少し恥じらいながら目配せし、察した義勇が、慌てて客間を出た後、着ていた珊瑚色の着物から、寝間着に着替えさせた。
暫し後、ようやく安心した様子で、カナヲは、義勇のいる居間までやって来た。
「…鎮静薬を打ちましたので、息切れや動悸は、直に治まります。もう大丈夫です。一眠りされると思いますので、目覚められたら、こちらの生薬を煎じて、飲ませて差し上げて下さい。」
そう伝えながら、生薬の入った袋を義勇に渡し、頭を下げた。
「冨岡さんの迅速な判断のおかげで、大事に至らないで済みました。本当に有り難うございました。」
「いや、助かった。よく処置の仕方がわかったな。さすがだ。」
すずなの容態が安定したことと、カナヲの医師としての成長に感嘆し、高揚した声をあげた。
「当時の出来事を聞いて、しのぶ姉さんが記録していた、すずな様の診療録(カルテ)が残っていたので、それを見て、必要な薬を持って来ました。」
「…このような事例が、前にもあったのか?」
今回が初めてではなかったことに少し驚き、義勇は心配そうに尋ねた。
そんな彼を見て、この半日の間で、二人の関係が少し変わったことを、カナヲは瞬時に感じ、少し迷った後、口を開く。
「…医師として、本当は口外してはいけないので、内密にして頂けますか?」
自分は口が固いから大丈夫だ、と言わんばかりの、至極真っ直ぐな眼で、義勇は深く頷いた。そんな彼を凝視した後、言葉に詰まりながらも、打ち明け始める。
「カナエ姉さんづてに、しのぶ姉さんから聞いたことと、診療録の記録からなので、私も詳しくは知らないのですが……」
「…すずな様は、昔、蝶屋敷に保護されてからも、しばらくの間、かなり気が不安定で、鬼に襲われた夜のことを思い出すと、今のような状態になっていたそうです。」
ああ…と義勇は、少し納得した。今日、何があったかはわからないが、自分も姉と錆兎を殺された後は気が狂いそうだった上、鬼の討伐の際は、似たような状態に陥った遺族も、沢山見てきた。更に、人一倍気の優しい彼女なら、無理もないことだと思った。
しかし、続きを話そうとするカナヲは、明らかに躊躇っていて、何かに怯えるような声色に変わった。
「…そして、ある日『私の遺体を、鬼の贄にして下さい。そうすれば、鬼は鎮まりますから。』と、遺書を残して自害しようとされたことがあったそうです。幸い、巡回の者が止めて助かりましたが……」
「…………?!」
涼やかな眼を見開き、義勇は絶句した。あの娘が、何故、そんなことを……心の水面に、幾つもの波紋が広がる。
「当時、花柱だったカナエ姉さんが、必死に説得したそうです。『贄を捧げても、鬼が滅することは決して無い。それよりも、貴女にしかできないことがあるから、どうか生きて、私達に力を貸して下さい。』と。」
義勇の脳裏に、あの夜桜の儀式で優麗に舞っていた、すずなの姿が再生された。そして、自分に向けた、あの雨上がりの虹のような、心底嬉しそうな笑顔も。
「それから心身が回復するまでの間、屋敷の花の世話や掃除等をしながら暮らされていましたが、しばらくは、茫然自失状態だったそうです。自分が贄になっても無駄だということが、相当、堪えられたようです。」
痛ましいものを想像するような、非常に辛そうな表情で、カナヲは続けた。
「体力が戻って退院されてからは、蝶屋敷の近くの長屋に住まわれて、助けが必要な時、こちらに通って頂いていたのですが……」
二人の間に、暫し無言の時間が流れた。義勇は完全に意識が飛び、思考が停止したまま茫然としていた。
鬼殺隊にいた時、むごたらしい話や状況は、自身の心を滅却させないと参ってしまうくらい見聞きしてきた。そのような類いの話は、自分にとって日常茶飯事だったのだ。
しかし、あの素朴で弱そうな彼女が、そこまでの強く激しい思いで、我が身を犠牲にしようとしていたことが、ひどく衝撃的だった。
自分を含め、鬼殺隊に入った人間は、いつ命を落としてもいい覚悟でいた。辛く厳しい鍛練も、死地の前線で闘うのも、いつか必ず、鬼を滅するためという目的があったから、男女問わず、皆耐えられたのだ。
だが、すずなが似たような行い、しかも無駄死にしかならないことを信じて、犠牲になろうとしていたことが、義勇には、何故か受け入れ難かった。
単に、痛ましく哀しいというだけではなく、彼女にだけは、そんなことをして欲しくなかったという、自分のことは棚上げした、ひどく矛盾した思いが、心の中で大きく渦巻いている。
いつの間にか、外が暗くなり始めていた。夕焼けの暁が、段々と宵に包まれている。大切なことを言わなければと、はっ、とした様子で、カナヲは慌てた。
「…あの、もう数日は薬を飲んで、このまま安静にして頂きたいのですが、アオイに診療所を任せたままなので、すずな様の身の回りのことを、禰豆子ちゃんに来てもらってお願いしようと思うのですが、いかがでしょうか?」
「いや、必要ない。俺が世話をする。」
「えっ……?!」
カナヲは、自分の耳を疑った。有無を言わせない態度の義勇に、戸惑いを隠せない。
「あの山から下りて来て、急に何日も家を空けるのは、禰豆子も徒労であろうし、炭治郎達も困るだろう。」
「あの、ですが冨岡さん。その、すずな様は、元とはいっても巫女さんで、まだご結婚もされていない方で……」
元神職で嫁入り前の若い女性だから、独身男性の一人暮らしの家に置いていく訳にはいかない、と、カナヲは拙い言葉で必死に伝えようとしたが、義勇は、今一つ解っていないようだった。
「…………? 昔、姉の身の回りの手伝いをしていたから、多少は慣れている。責任を持って世話するつもりだ。」
女性の生活のやり方は知っているから大丈夫だ、と主張する義勇には、何故、カナヲがこんなに狼狽え、必死に止めようとしているのか解らなかった。
少しでも、この娘の力になりたいという、僅かな下心も邪念も感じさせない、義勇の曇りのない澄んだ眼差しで、何度も押し問答され、その勢いにカナヲは、とうとう根負けした。
帰り際。寛三郎に、『冨岡さんの動きを見張っていて欲しい。まずい展開になったら、直ぐに元蝶屋敷まで知らせて欲しい。』と、念のためにこっそり頼んだが、屋敷に戻ったら、早く炭治郎に相談しようと決め、元水柱邸を後にした。
「…冨…岡さ…ま……?」
夜の帷が落ちた頃、少し寝ぼけたような、掠れた呼び声が部屋に響いた。
「起きたか。具合はどうだ?」
少し離れた場所から、ずっと様子を伺いながら、昼間の握り飯を食べていた義勇は、すずなの顔を覗き込む。
先程に聞いた、彼女の衝撃的な過去は、一先ず忘れ、動揺を抑えようと、義勇は精神を凪いだ。眠る前よりもだいぶ呼吸が整い、血が通って顔色が良くなった彼女を見て、少し胸を撫で下ろす。
カナヲが置いていった生薬を煎じ、湯呑みに入れた物を、そっと手渡した。
「だいぶ落ち着いたようだな。栗花落から預かった薬湯だ。」
「…大変ご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ありません。何てお詫びしたらいいか……」
消え入りそうな声で詫びながら、ゆっくり正座した後に両手をついて、そのまま深く頭を下げた。
「気にしなくていい。もう数日は、ここで安静にしていろ。」
「えっ?! それは……」
がばっ、と顔を上げ、驚きと懐疑的な感情の混じった表情で、垂れ気味の円らな目を、更に丸くするすずなだったが、見返す義勇の眼差しは、善意と労りの念に満ちていた。
「無理をして動いて、悪化したら良くないだろう。ここには俺しかいないから、気兼ねしなくていい。」
「あの…でも……」
“義勇しかいない”、“成人男性と二人きり”という状況に、ますます激しく動揺し、困惑と驚愕のあまり、口をぱくぱくさせている彼女を見て、
「喉が痛むのか? 随分咳き込んだからな……腹も減っただろう。蜂蜜を溶かした生姜湯と、昼間の握り飯を持って来る。」
そう誤解し、彼女の瞳の曇りも消えたことに安心した義勇は、また炊事場に行ってしまった。
茫然としているうちに、すずなは、自分の顔が、段々、熱を帯びていくのがわかった。そんな彼女の側に、ずっと一部始終を見ていた寛三郎が、とことこ、と心配そうにやって来た。
「…御主、スズナトイウノカ? …大丈夫ジャ…儂モオルゾ。」
とりあえず、ぐらつく思考を落ち着かせようと、すずなは、半ば逃避するように、ごくごく、と喉を鳴らしながら、苦い薬湯を飲み干した。
【おまけ噺】
大変厚かましい概念ですが、ヒロインの喋り声、当方の脳内では、声優の石○由依さんの声で再生されております。彼女のファンなのと、イメージがしやすいので助かってます。