【※設定の濃いオリジナルキャラが登場します。お手数ですが、作品をご覧頂く前に、シリーズ全体の概要をご確認下さい。】
暫し後、蜂蜜入りの生姜湯を持って来た義勇は、一緒に握り飯の包みも渡した。
「他にも何か食べるか? …差し入れで貰った大福餅くらいだが。」
また立ち上がり、奥の戸棚へ向こうとする彼を見たすずなは慌てた。これ以上、手間をかけるのが心苦しく、思い切り両手を振る。
「そんな。もう十分です。気を遣わないで下さい。有難うございます。」
そんな彼女を、義勇は少し眉を潜め、困ったような表情で見返した。
「食欲が無いなら無理強いはしないが……足りないなら遠慮なく言え。体に悪い。」
若干、彼が悲しそうな気を醸し出したのを、すずなは瞬時に感じ取り、逆に申し訳なくなった為、結局、大福も頂くことにした。
「美味いか?」
布団の横に、盆に乗せた大福の器を置き、義勇は胡座をかきながら問う。
「はい。美味しいです。餡子は好きですし…このくらいの量なら食べられそうです。」
握り飯一つに続き、餅をゆっくり頬張りながら、子供のように顔を綻ばせるすずなを見て、ようやく満足した様子を見せた。
しかし、義勇自身は、あまり大福に手をつけていないでいる。目の前の人間が美味しく食べているかの方が、よほど大事なようだった。
この人は、本当に情の深い、優しい人なのだと、すずなは思った。きっと素敵な家族に愛されて育ったのだろうと、自分まで幸せを分けてもらったような温かい気持ちになる。
ふと、片腕で独り暮らしの、彼の日々の食事が気になった。部屋はわりと綺麗に片付いているし、外には洗濯物も干してある。
もしかしたら、良い女性がいるのかもしれないし、お節介かもと思ったが、満足に栄養が摂れているのかが心配になり、すずなは、恐る恐る尋ねた。
「あの、食事は、普段どうされているのですか?」
「時々、輝利哉様の使いの者が、手製の弁当や食材を届けて下さっている。簡単に調理したり、あとは近くの店で食べている。」
ちなみに、洗濯や掃除で一人では難しいことは、その使いの者に任せているのだと、特に気にする風でも無く、義勇は淡々と言った。
「良かった。お料理されるんですね。」
様々な面で安心し、思わず感嘆の声をあげた。義勇は、何故そんなに感心するのか解らず、不思議そうな表情を隠せない。
「あの、よろしければ、明日から私がご飯を作りましょうか。今回のお礼もしたいので……」
大したことは出来ないが、せめて、恩を一泊一飯で返したいと、張り切る素振りを見せたすずなだったが、義勇は、ぴしゃりと止めた。
「礼などいらない。明日は、一日中安静にしていろ。無理は危険だ。」
「でも…このまま何もお礼をしないのは、居たたまれません……」
彼女が予想以上に辛そうに呟き、項垂れたので、義勇は慌てた。困らせるつもりはなかった為、激しく動揺する。
「わかった。なら、明後日の夕飯に、何か馳走になろう。明朝は、俺が作る。夕刻には、先程話した、輝利哉様の使いが来るから大丈夫だ。」
これを聞いて、彼女が、ようやく心底嬉しそうに安心した表情を見せた為、この話は終わり、そのまま其々の部屋で就寝することにした。
深夜の丑三つ時。部屋の中も外も、不気味なくらい静かな夜だった。すずなは客間、義勇はいつもの寝室に布団を敷き、床についていた。
しかし、すずなは、なかなか寝つけないでいた。今日一日の間に、あまりに様々なことが起き過ぎていて、思考が回り巡り、気が高ぶり興奮している。暗闇が怖いならと、義勇が少し離れた場所に置いてくれた、ランプの仄かな炎が、今の慰めだった。
何より、襖一枚の向こうに若い大人の男性…しかも、“あの”彼がいると意識すると、気になってますます眠れない。こちらの部屋にまで、規則正しい静かな寝息が、微かに聞こえて来る。
一方、義勇は、昔の全集中常中を使って、半分は意識を覚醒させ、彼女の容体が急変しないか気にかけていたのだが、そんなこととは知らないすずなは、また症状が発生しないか不安で、何度も寝返りを打ちながら、今日一日を降り返り、一喜一憂していた。
しばらく経ち、ようやく眠りに落ちたすずなは、また同じ“あの夜”の中にいた。
──目の前で母が血塗れになりながら倒れ、恐怖で動けない自分を、舐めるように値踏みした鬼が、鋭い牙を剥き出しながら、卑しい笑みを浮かべている。
自分に向けて悪臭の漂う口が向けられた瞬間、鬼の首が激しい血飛沫と共に消えた。代わりに、周囲に霧雨のような水飛沫が降り、血の臭いを一気に浄化していくようだった。その切れ間に自分を見つめたのは、あの哀しくも美しい色を含んだ、深い紺碧の瞳……
『暗くて、澄んだ海底……』
そんな風に感じた瞬間、その揺らめきに吸い込まれるように、意識が遠退き、悪夢は掻き消えた。
窓から、金色の光が射し込んで、どこかからか鳥のさえずりが聞こえてきたことに気づき、すずなは目を覚ました。ゆっくりと体を起こして、辺りを見回す。
『…家じゃない。ここは……?』
朦朧とする思考の中で、昨日の出来事が急に蘇ってきた途端、顔の熱が上がる。
『そうだ。あの方の屋敷に……』
その時、炊事場から温かい空気と共に、味噌のような香りが部屋に漂って来たことに気づいた。食欲を優しく湧かせる匂いが、不安で狼狽える心に沁みて、泣きたい気分になる。
「…起きたか? 入るぞ。具合はどうだ?」
鼠色の縞模様の浴衣の上に、藍染の羽織を羽織った姿の義勇が、心配そうに尋ねながら、小振りの鍋らしき物を盆ごと左手で支え、客間に入って来た。
「お、お早うございます。 お言葉に甘えてすみません。」
緊張をなるべく抑えながら、せめて感謝の意は伝えなければと、すずなは心を奮い立たす。
客間に移したちゃぶ台の上に、湯気のたつ小鍋を置くと、義勇はすずなの方を向いた。
「簡易な物で悪いが、朝飯だ。食えるか?」
「はい。お腹は空いていますし…大丈夫です。」
その言葉に安心し、義勇は布巾越しに小鍋の蓋を開ける。ふわぁ…と、辺りに味噌の香りが広がり、すずなは感嘆の声をあげた。
「わ…良い匂い……」
義勇が作ってきたのは、味噌で煮込んだ、鍋焼きうどんだった。卵、白菜、ネギ、豆腐などが、ぐつぐつと、まだ煮発っている。
「温まるし、滋養にも良いだろう。これは、片手でもなんとか作れる。」
「有難うございます……」
控えめながらも、至極感動したように、薄紅に染まった頬を綻ばせるすずなを見て、
『何故、この娘は、こんな些細な事で、ここまで喜ぶのだろう。』
と、義勇は、また不可解を隠せず、怪訝な表情を浮かべた。
「頂きます。」
両手を合わせ、昨日の蕎麦と同じく、少しずつ息を吹きかけ冷ましながら、麺や具材を頬張るすずなは、高級料理を食べるかのような、本当に幸せそうな、恍惚な表情をする。
食欲が戻ってきたのかと安心したが、そんな彼女を見ていると、修行時代に、錆兎と笑いながら食事をしたことや、姉が作ってくれた料理を喜んで食べる自分の姿が、次々と脳裏に蘇ってくる事に、義勇は戸惑っていた。
『楽しかった分、悲しくて思い出したくなかったのに、何故だろうか……』
「とても美味しいです。お料理お上手ですね。」
昨夜苦しんでいた時の曇りどころか、いつもの憂いの消えた瞳と、ふわり、とした笑顔を向けられ、はっ、と我に返る。
「鱗…昔、剣技を教わった師匠が作ってくれたのを、真似ただけだ。」
そう。錆兎と共に、三人で鍋を囲んで食べた……修行は厳しくきつかったが、あの時間は楽しかった。
そんな思い出話を聞き、すずなも自身の記憶が甦り、思わず言葉にする。
「私も、年の暮れやお正月は、母も祖母も神社の行事で特に忙しかったので、祖父が、私達姉弟によく雑煮やお汁粉を作ってくれました。」
「…父は、私が物心つく頃に母と離縁したので、祖父が父親代わりだったんです。」
昨日、苦しみのあまり、彼女が譫言で祖父の名を呼んでいたことを、義勇は思い出していた。自分も幼い頃に父親を亡くしたけれど、鱗滝師匠が父のような存在だったのかもしれない。彼女の心境に通じるものがあった。
自身の最も深い場所に閉まっていたものが、吸い寄せられるように、喉奥から解れて零れ出す。
「…俺は、幼子の時に、両親が病気で死んだ。それからは姉と二人だった。」
「…そうだったんですね。」
ずっと情を寄せていた人と、何かしらの不思議な縁で再会し、何気ない会話をして、同じ物を美味しく食べて、お互いのことを語り合って、一日のありきたりな時間を共に過ごしている。
きっと、これから何があっても、この尊く貴重な時間は、一生忘れないだろうと、すずなは思った。彼との会話、彼の仕草、彼の表情を、脳裏に刻み付けて、しっかりと覚えておきたい。
この数日間の幸せな思い出さえあれば、この先の自分の人生に、どんなに辛く苦しいことや、耐え難い孤独が待っていたとしても、最期まで生きていける気がした。
ふと、居間の隅に大切そうに吊るされている、亀甲柄とえんじ色の半々模様の羽織が、すずなの目に映った。彼の姿と共に、何度も目にした羽織であり、年季が入っていて繕った跡もある為、相当思い入れのある品なのだろう、と察した。
「あれも、お師匠さんか、大切な方からの贈り物ですか?」
うどんを食べ終わり、処方された薬湯を飲みながら、すずなが尋ねる。
「…鬼に襲われて亡くなった、姉と友の形見を合わせて作った、昔の隊服の羽織だ。無惨との闘いでかなり破損したが、炭治郎…弟弟子の妹が直してくれた。」
哀しく切なそうに眺めながらも、どこか懐かしいような思いで、するり、と口にする義勇だった。こんなに穏やかな気分で、他人に話せるようになった事が奇妙でありつつ、そんな自身に驚き、どこか安堵する。
「も、申し訳ありません…私……」
一方、迂闊にも余計な事を聞いてしまったと、すずなは自分を責めていた。湯呑みを持って俯いている。
「構わない……お前も家族を亡くしたのだろう? 襲われた後の病の件も、昨夜、栗花落から聞いた。」
労りに満ちた眼差しで言う、義勇の気遣いに感謝しながらも、彼が、自分の過去をどこまで知ってしまったのかが、ずっと気になっていた。
あんな自身でも受け入れ難い事実は、彼にだけは絶対知られたくないけれど、ここまで世話になった以上、話さない訳にはいかない、と腹を括る。詰まる息を飲み込み、恐る恐る、すずなは口を開いた。
【おまけ噺】
タイトルは『ろ過』の漢字表記です。花の他に水が好きなのですが、執筆にあたって様々な表現方法を提供してくれるので、とてもありがたい存在です。最推しが水属性キャラで、本当に嬉しかったです。