【※設定の濃いオリジナルキャラが登場します。お手数ですが、作品をご覧頂く前に、シリーズ全体のあらすじをご確認下さい。】
「…冨岡様。あの、昨日の昼間あったことなのですが……」
「無理に話さなくていい。今は養生することだけ考えろ。」
義勇らしい、簡素で突き放すような口調だったが、至極有難い言葉が心に沁みて、すずなは涙が出そうになった。
話せるようになるまで待ってくれているのだろうか。同じような経験をしたからとはいえ、なんて思いやりのある人なのだろうと、改めて心が震えた。
そんな彼に応える代わりにと、ある覚悟を決め、すずなは、側に置いてあった自分の巾着を手に取る。
「…私も、形見があるんです。」
白地に紅椿柄の巾着から、大切そうに白い布包みを取り出し、中身を開いた。
「巫女見習いとして稽古を始めた時、祖父が特別に仕立ててくれた、記念の髪紐です。」
深紅と菫色の糸に、所々に金の糸を織り混ぜた、美しい組紐だった。あの夜桜の舞の時にも着けていたが、女性の装飾に疎い義勇は気づかないでいた。
しかし、改めて見て、彼女の亜麻色の髪に良く似合いそうだと思った。本当に祖父が好きで、大事にされていたのだろうと、温かな気持ちになる。
「それから数年後に、祖母と共に流行り病で亡くなりましたが…大切な御守りです。」
少し哀しそうな眼差しを向けながらも、いとおしい思いを込めるすずなを見て、思わず言葉が零れた。
「…ずっと、お前を守ってくれたのだな。」
自分の羽織と同じように、その髪紐は、彼女にとって生きる為の支えだったのだろうと思った。それでも、贄になる為とはいえ、自害を選ばなければならなかった事情が、気になって仕方なくなっていたが、聞けばすずなを苦しめるのが予想できるので、迂闊に尋ねることができないでいた。
「あ、髪……」
髪紐を見て、ふと、自身の身なりのことを思い出したすずなは、後頭部付近に手をやり、慌てた。昨日、倒れてからであろう、耳周りの髪を後ろに結び、まとめていたのがほどけ、散り乱れていたことに気づいたのだ。恥ずかしそうに俯き、とりあえず手櫛で整えようとする。
「お見苦しいところをお見せしてすみません。直ぐにとかします。」
急いで、巾着から竹細工の櫛を取り出したすずなを見て、彼女に対して、親しみの情を抱き始めていた義勇は、ゆっくりと口を開いた。
「良ければ、俺が鋤くが……」
「え?! あの……」
自身の耳を疑う。何かの聞き間違いだろうかと、すずなは、眼をぱちぱちさせた。
「昔、姉の髪を結うのを手伝っていた。片腕だが鋤くくらいならできる。」
「そんな。一人で大丈夫ですよ。」
ようやく彼の言葉の意味を理解したすずなは、目を見開きながら動揺し、思い切り手を振った。未婚で男性経験も無く、若い男性に髪を触れられたことなど無い上、こちらは彼を意識しているから緊張する。
自分のことを女性として、彼の方は少しも意識していない故の発言なのだろうけど、それでも躊躇するのは当たり前だった。
「…嫌か?」
また、少し悲しそうな不満気な目で、義勇は尋ねる。こんな風に言われると、もう断り切れなかった。何故、こんなに優しくしてくれるのだろうかと、嬉しい反面、すずなは彼の意図が解らず、また混乱する。
半月形の櫛を借り、義勇は、すずなの後ろに回り膝をついて、亜麻色の髪に差し入れた。ゆっくり、ゆっくりと、少しずつ丁寧に、櫛を通し解きほぐしていく動作が、とても心地良い。
随分と慣れているようだったので、姉とこんな風に頻繁に触れ合っていたのだろうかと、すずなは思った。
ふと、視線だけを後ろにやると、ちょうど耳の辺りを鋤いている様子が目に入った。義勇は、とても穏やかで楽しそうな表情をしている。
幼子が大切な宝物を発見したかのように、涼やかな紺碧の瞳が、きらきら、と輝いているのがわかった瞬間、温かい閃きが弾けた。
『嗚呼…お姉様との思い出に、浸っていらっしゃるのね……』
心の奥が、切なくもじわりと温かくなる。女性として意識してもらえていなくても、自分の髪の手入れなんかで、少しでもこの人を癒し、救えるのなら、それでも良いと思った。
「有難うございました。冨岡様は、何でもお上手ですね。」
至福の時間は、あっという間に終わってしまった。動揺した気持ちを抑えながら、丁寧に礼をするすずなに、身だしなみを整えたいだろうと考えた義勇は、更に提案した。
「…汗も流したいだろう。風呂も貸すが、まだ安静にしていた方が良い。手拭いと湯を張った桶を持って来るから、それで体を拭け。着替えは、姉が着ていた浴衣しか無いが、それを出すから使ってくれ。」
「とんでもないです!! そんな大切な物を使わせて頂く訳にはいきません!!」
今となっては、もう大抵のことには驚かないと思ったが、さすがにそれは良くないと、すずなは珍しく声を荒げ、とても困った表情をしたが、義勇は微塵もぶれなかった。
「使わずに生地が劣化していくよりは、お前が使ってくれた方が、浴衣も姉も喜ぶだろう。」
「私になんて、恐れ多いです。」
と、続けて断ったが、「そんなことはない。」「気にするな。」と、真っ直ぐな眼差しで何度も説得され、結局、根負けして使わせてもらうことになった。
本当に、この瞳には敵わない……と、すずなは改めて、自嘲気味に愕然とする。
少し経って、湯を張った桶を左手、手拭いを右肩にかけて戻って来た義勇は、押し入れの奥から浴衣の入った包みを取り出し、すずなに渡した後、自分は縁側にいると言い残し、客間を出て行った。
浴衣の包みと、枕元の湯桶、そして義勇が出て行った襖を交互に見つめ、すずなは迷い、困惑する。近くに人の居る気配は無いとはいえ、若い男性の家で裸になるのは、さすがに躊躇した。
暫く考えた後、蝶屋敷の寝間着を脱ぎ、手拭いを湯に浸し、少しずつ自身の体を拭き始めた。今までの彼の言動を振り返ると、不思議と信頼感が湧いてきたのだ。
顎辺りの首の付け根に、赤黒い紐状の痣が薄く浮かんでいる箇所に、すずなは手をあてた。自害しようとした時のものだ。髪を鋤いてもらった時はうつむいていたので、彼に気づかれなかったようで、本当に良かったと思った。
巫女としての責務を果たす為とはいえ、蝶屋敷で療養していた時に髪を結っていた、まさか、あの組紐を使って贄になろうとしたなんて、とても言えるはずがなかった。
あの時は、最期のお役目の為だから祖父はわかってくれると思い、あんな所業をしたけれど、今となっては、自虐的な虚しさと後ろめたさに駆られるだけだった。
そんな品を、彼の大切な形見と同列に語って良いのか憚られたが、せめて、大好きだった祖父が遺してくれた唯一の物だと、義勇に聞いて欲しかったのだ。この痕だけは、彼に知られないようにしなければと、自身の首を押さえた。
体や髪を丁寧に拭き、桃色の浴衣に着替えたすずなは、そっと、居間に顔を出した。
義勇は、縁側の近くで胡座を掻き、将棋盤を前に、眉間をひそめながら難しい表情をしていた。時折、パチリ、パチリ、という、駒が盤の上で動く、軽快な音が聞こえて来る。柔らかな午後の春の陽射しが射し込み、彼の青みがかかった艶やかな黒い髪に反射し、まるで、一枚の絵のようだと、すずなは思った。
視線に気づき、義勇はすずなの方に顔を向けた。薄桃に白梅柄という、愛らしい模様の浴衣が、彼女の白い肌に映えて、とても似合っていると思ったが、口には出せず目を反らし、代わりに違う言葉を発した。
「…起き上がって大丈夫なのか?」
「はい。お陰様で、もうだいぶ平気です……こんな大切な物を貸して頂いて、本当に良いのですか?」
「構わない。さすがに、それは羽織れない。」
彼が、珍しく冗談めいたことを言うので、円らな目を更に丸くして驚いた後、すずなは、ふふっ、と笑い声を上げた。盤の近くに寄り、少し離れた所に正座する。
「…将棋をされるのですか?」
「少し、嗜む程度だ。」
彼女の軽やかな笑い声に、内心気を良くしながらも、盤からは目を離さず、義勇は言った。
「お祖父様も、将棋が趣味で、よく指していました。懐かしいです……対局出来る者が近所にいない、とぼやいていましたから、冨岡様に会われたら喜んだでしょう。」
笛の音のような喜びの声をあげるすずなに、義勇は、ずっと気になっていたことを、気づけば口にしていた。
「…様呼びは止めろ。俺は、もう柱でも、鬼殺隊でもないのだから。」
終始、優しく穏やかでありつつも、どこか近寄り難い距離があった彼の心が、急にすぐ側に入り込んできたような気がしたのが嬉しく、すずなは「解りました。」と言って、微笑んだ。
この人と過ごしていると、過去の楽しかった事も、辛かった事も、失ってしまったものも、全てが今までと違って見えてくることを、二人はお互いに対して感じていた。
恐ろしい面影や忌まわしい過去に、怯えて嫌悪していた夜は、相手の存在を気にかけ、優しい思い出と共に過ぎていく。どんなに辛く悲しくても、無理矢理迎えていた朝は、今日一日を始めるため、生きるために動き出す時間に変わる。
理由はわからない。ただ、心の奥底のしこりが融けて変化し、明るい方に移ろいでゆく……それだけは、はっきりと実感していた。
夕暮れ時。何時ものように、弁当や食料を抱えてやって来た、輝利哉の使いの者達が、“あの”冨岡義勇の屋敷に見知らぬ若い女性がいる、という状況に遭遇した。
それだけでも衝撃だったが、更に、女物の寝間着や襦袢の洗濯を何気無く頼まれた事に、まるで超常現象にでも遭ったかの如く、内心ひっくり返ったのは、言うまでもなかった。
【おまけ噺】
ここまでで、二人が段々惹かれ合っていく過程を描いたのですが、義勇さんの心情表現は、本当に難しいですね…(苦笑)
増して、恋に落ちる様子なんて摩訶不思議な領域です……毎回、義勇さんに全集中憑依して考えてますが、恐らく始終、ヒロインの子とタッグを組んで、彼女をアシストするようなスタンスでいると思います(汗)