好きだったよ、ミラ   作:まなぶおじさん

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近界民の女①

 ミラという黒猫を探しています。

 数日前の近界民大規模侵略から、姿を消してしまいました。

 名前はミラ、性別はメス、性格はやや人見知り、首輪は真っ赤。

 連絡先は000-0021-0000。

 楠木葵より。

 

 早朝。三門市立第一高等学校の掲示板にて、林田恋太郎は捜索願のポスターを貼り付ける。

 多くの人が関心を持って欲しいな、生徒会の一員として切実に思う。早く見つかればいいな、三門市の住民として願う。

 まだ人気が少ない、1月の静かな廊下の中で林田は息をつく。

 ほんとう、近界民ってやつらは迷惑だ。いったい何を理由に街を破壊して、人々を誘拐したりしているのだろう。

 その中には、愛し愛される人も混ざっていたに違いない。そのことを思うと腹が立つし、ボーダーの一員として戦いたいという熱も湧いてくる。

 ――まあ、落ちたんだけどね。

 まあいい。

 いまの自分にできることをやって、今日もなるだけ善行に励もうじゃないか。

 そう積み重ねていけば、きっと自分にも、

 

「あー、まだ見つかってないんだ~」

 

 突如の声に、体ごと跳ね上がる。

 振り返ってみれば、のんびりした顔をした女子生徒が、

 

「あ、ごめんね、驚かせちゃったかな?」

 

 同じクラスの宇井真登華が、申し訳なさそうに両手を合わせた。

 まだ焦りが生じたままの林田は、「あ、いや、いや」とあたふたしながら、

 

「いや、大丈夫、ぜんぜん。というか、早いね」

「やー、今日は朝早く目覚めちゃっただけだよ」

 

 そして宇井は、黒猫の写真付きポスターに歩み寄る。

 宇井とはあまりなじみがない関係なので、こうして話をするだけでだいぶ新鮮に思える。

 

「それにしても、このポスターは誰が作ったの?」

「俺」

「まじ」

「まじ。昨日、生徒会のお悩みボックスに楠木さんから猫探しの依頼が届いていてね……それで、みんなに知ってもらいたいからとポスターを作ったんだ」

 

 楠木葵はボーダーの隊員で、隣のクラスメートでもある。

 生徒会として、生徒からのお悩みはしっかり受け止めなければならない。だから林田は、依頼を承諾すると同時に楠木から猫の写真を取得し、家でポスターを作ってみせた。

 慣れない作業だったが、やれるべきことをやれて本当に良かったと思う。

 ――林田の話を聞いた宇井は、深刻そうな真顔を浮かべて、

 

「うーん、早く見つかって欲しいねえ……へこんでたもんなあ楠木ちゃん」

「うん? 知り合い?」

「そう、同じ猫好きつながりでね。……だからねえ、楠木ちゃんの気持ちはわかるんだよ。おかげでボーダーの活躍も芳しくないし」

「それだけ大切なんだろうね、猫のことが」

「ほんとだよ。私だったら寝込んじゃうかも」

 

 宇井が、落ち込んだように苦く笑う。

 

「私も探してあげたいんだけれど、今日はボーダーとしてのお仕事がね」

「大丈夫、俺が探すから」

「え、ほんと?」

「本当。これも生徒会の仕事だからね」

 

 外から、部活動に励む男子達の声が響いてくる。朝練の一環か、グラウンドを何周も走っていた。

 そして宇井は、まるで感心したように目を丸くしている。異性からじろじと見られて、どきりとした。

 

「さっすが林田君、生徒会の鑑だねえ」

「そんなこと」

「あるよー、この前だって犬助けしてたじゃん。やるねー」

「ッ、新聞読んだのかっ」

「読んだ読んだ」

 

 宇井が、ご機嫌なピースサインを披露する。

 数日前、小説の新刊を買いに行こうとしていたところで、ふと用水路に流されていた犬を目撃した。

 見るからに溺れていたのを確認したと同時に、林田は1月の寒空の中で服を脱ぎ、そのまま用水路に飛び込んだ。めちゃくちゃ寒かったし冷たかったけれど、救出はできたからそれでよし。そのあとは一部始終を目にしていた通行人から介抱され、後に警察署の方々に表彰までしてもらった。

 犬は野良だったらしいが、現在は新しい飼い主に愛されているとか。ちなみに名前は「コイタロー」だそう。

 これは小さなニュースとなったのだが、まさか宇井に見られていたとは。なんだか恥ずかしいような照れくさいような。

 

「ほんと、いつもいつもお疲れ様です」

「いや、俺はやりたいことをやっているだけだから」

 

 嘘は言っていない。やりたいことをやっていれば、いつか「願望」が叶うと信じているから。

 ――そんな林田のことを、宇井は静かに「へえ」とつぶやき、

 

「かっこいいねえ。よっ、いい男」

「な、なにをっ」

 

 宇井はいたずらっぽく笑う――宇井真登華というクラスメートは、こんなにも可愛かったっけ。

 そのとき、廊下の向こう側から生徒の姿が見えた。窓を覗いてみれば、校門をくぐる生徒が多くなってきている。

 そろそろ賑やかになる頃合いか。

 

「じゃ、二階にもこれ貼ってくるよ」

「そう? じゃあ私が三階を担当しようか?」

「いやいや、これも生徒会の仕事なんで」

「まーま」

 

 宇井がダンボールに立てかけておいたポスターを、画鋲数個をかすめとってしまう。

 なんて速さだろう。これもボーダー隊員のなせるワザか。

 

「じゃ、いてきます」

「……ありがとう」

「いえいえ~」

 

 宇井が、そそくさと階段へ向かい、

 

「あ、でもさ」

「うん?」

 

 背を向けたままの宇井が、横顔だけをさらして、

 

「暗くなったら、すぐ帰るんだよ。もしかしたら、近界民がやってくるかもしれないから」

 

 三門市にとっての、切実な警告を耳にした林田は、

 

「わかった」

 

 しっかりと、うなずいた。

 

「じゃね」

「それじゃ」

 

 それから、宇井は階段を駆けていった。正直、手伝ってくれるのはありがたい。

 ――それにしても、それにしてもだ。

 

 宇井のほうは大丈夫なんだろうか。最近の宇井は、ぼうっとしている事が多いから。

 ずっと見せてくれた含み笑いが、嘘でなければいいのだけれど。

 

 □

 

 それから数分後。授業開始のチャイムが響き、林田と宇井は教室に戻った。

 宇井は林田より少し離れた、窓際の席に着き始める。特に目を合わせることもないまま、国語の授業が始まった。

 

 黒板を刻むチョークの音を背景に、宇井は無関心そうな横顔で外をそっと眺めている。

 

 □

 

 放課後が訪れて、林田はアテもなく三門市を歩き回った。街中から路地裏、破壊された閉鎖箇所の間近まで。その途中で、自分すら知っているA級ボーダー隊とすれ違ったりもした。

 探して数時間は経ったが、野良猫すら一匹も見つからない。誰かに保護されたのだろうかと不安になるが、そんなマイナス思考は首を払って振りほどく。

 念のために犬が溺れていた用水路にも目を配ってみたが、今日の用水路は何事もなく音を立てて流れているのみ。

 遅い時間だからか、ずいぶん寒くなってきた。曇り空もすっかり薄暗い。

 宇井の忠告通り、今日のところはこのあたりにしておこう。帰路につこうと、振り返り――腕を組んでいる男女が、視界に入った。

 見た感じ、年齢は自分と同じくらい。慣れないのか、二人とも視線がうわの空だ。目と目が合ったりもしたが、ごまかすようにして目を逸らしあっている。

 ――それを目の当たりにして、林田はぽつりと一言。

 

「……いいなあ」

 

 男女に対して、林田は猛烈な羨ましさを覚えていた。

 林田がこうして生徒会活動に励んでいるのも、なるだけ人助けをしようと心掛けているのも、すべては異性から告白されたいがためだから。

 

 ――なぜ「告白される」に限定しているのかといえば、林田から告白して、そしてフラれる展開に心底ビビっているからである。

 

 まず林田は、とにもかくにも恋愛沙汰に興味と憧れを抱いている。そうなった引き金(トリガー)として、まず恥ずかしくも微笑ましいラブラブ状態の両親がそばにいたことが一つ。

 そしてもう一つの引き金は、子供の頃にたまたまラブドラマを見たこと。ドラマの内容に林田は時に笑い、またある時には未知の興奮に満ちたり、挙句に幸せな結末に大泣きして両親から心配されたりもした。

 そんな経験をしたからか、林田は今に至るまでずっと恋愛モノにハマり続けている。

 ――そうして数々の恋愛映画や恋愛小説などを見届けていった結果、林田は失恋の痛みや苦しみを身を以て学んだ。

 だからか、恋愛に興味はあれど絶対にフラれたくはないという、非常にくそ甘ったれな人格が形成されてしまったのである。

 

 そんなわけで林田は、今日もモテるためにあれやこれやの活動を行っている。おかげで周囲から信頼されてはいるが、異性からの評価は総じて「いいひと」なのであった。

 

「……がんばれ」

 

 少しさみしい気持ちに浸りながら、林田は雪にまみれた歩道をくしゃりと歩んで、何度も渡った横断歩道を抜け――そのとき、自分すら知っているA級ボーダー隊が横を通り抜けた。今日はずいぶんとボーダーに縁がある日だ。

 さて。

 自宅がある住宅地に着いて、ほっと安堵を覚える。どの家の窓からも黄色い明かりが照らされていて、うっすらと母親らしき声が聞こえてくる。夕飯の話でもしているのだろうか。

 そうして何事もなく自宅の前に辿り着く。今日は何を食べようかと考えながら、ドアまで歩いていって、

 ――にゃーお。

 反射的に感覚が震えた。耳をすませる。

 もう一度、猫の声が聞こえてくる。近い、再び鳴いた、もしかしたら庭にいるのかも。暗がりの中で、刺激しないようにそっと裏庭へ歩み寄る。はっきりと声が聞こえてきた、当たりだ。

 黒猫が観測されることを祈りつつ、林田はようやく裏庭までにじり寄り、

 

 女の人が、眠っていた。

 

 そして猫は、黒猫は、女の人に何度も呼び掛けている。ふいに黒猫と目が合うも、黒猫の関心は女の人へすぐ戻った。

 正気を取り戻す。

 どうしよう。

 こんな寒空の中じゃあ、風邪をひいてしまうだろう。

 介抱しなければ、ならない。

 だから林田は、高価なガラス細工へ近寄るような足取りで、ゆっくりと近寄っていく。そうして女性の全貌が明らかとなる。

 暗めがかった赤い髪、角のようなアクセサリー、すべてを吸い込みそうな黒い服、闇の中であやしく艶めくパンスト、

 頭を振るう。

 林田はそっと姿勢を屈めていって、女性の横顔を確認し――呼吸が止まったと思う。

 嘘みたいに白い肌が、先ず目に焼き付く。その両目は永遠のように閉じられていて、その鼻先は嘘みたいに整っているように見える。口紅がついていない唇は、控えめな麗らかさを主張していた。

 

 ――いけない。

 はやく病院に連絡しないと。

 正気を取り戻した林田は、大慌てで携帯を取り出し、ボタンを押そうと、

 手首に痛みが生じた。

 女性が、自分のことを睨みつけていた。

 女性が、いつの間にかその身を起こしていた。

 気づけば、手首が握りしめられている。

 

「余計なことを、しないで」

 

 女性が、声を発した。

 その外見に連なった、鋭い声色だった。

 冗談では済まされない殺意を真正面から浴びて、林田は従うように動きを止める。それからしばらくは無言のにらみ合いが続いて、

 女性が、その場で横に倒れた。

 慌てて女性の手首に触れてみると、脈はある。気を失っただけらしい。

 ――腰を下ろす。

 

「……家まで運ぶ?」

 

 黒猫に提案してみると、黒猫は「にゃーん」と返答してくれた。

 ――あ、

 そういえばこの黒猫、赤い首輪をつけてる。まちがいない、この子は探し猫のミラだ。

 

 □

 

 女性をリビングまで運び、ソファの上にそっと寝かせつつ毛布をかける。介抱のし方なんてわからないけれど、これが正解であることを祈るほかない。

 あとは体を温めるために、緑茶でも作っておこう。

 ――手を動かしながら、林田はつくづく思う。

 惚れた。

 俺は失恋というものがとても恐ろしいが、そんな甘えなんて捨ててやる。俺はいつか、この人に告白するんだ。

 なんて、この人が何者かもわからないのだけれど。

 でも、惚れてしまったものは仕方がないじゃないか。

 そのとき、黒猫が足元に擦り寄ってきて、にゃあんと鳴いた。

 

「おお、おお、お前も応援してくれるのか」

 

 にゃーんと肯定してくれた。

 緑茶を作り終えて、あとは女性の目が覚めるまで恋愛小説を読むことにする。

 ――数分後、

 

「う、ん……」

「! あ、ああ、目が覚めたかい?」

 

 女性がゆっくりと起き上がる、ふたたび目と目が合う。

 その表情は無に近い。先ほどの衝撃もあってか、全神経に緊張が走り回る。とても怖い。

 けれど、気圧されてはならない。

 林田は、なけなしの男気をかき集め、

 

「こ、これ、緑茶。温かくしておいたから」

「……この緑色、お茶なの?」

「うん」

 

 そっと、湯気が立った緑茶を差し出す。女性は緑茶のことをじっと見つめていて、みたび視線が合って、音のない気まずさが漂いはじめ、

 

「にゃーん」

 

 そのとき、黒猫が女性の隣にまで跳ねてきた。

 女性は真顔で黒猫のことを見つめ――撫でる。黒猫は、心地よさそうに声を発した。

 そんな流れに、力でも抜けたのだろうか。女性は、小さくため息をついて、

 

「……毒は入ってないでしょうね」

「……飲んでみる?」

「いいわ」

 

 そうして女性は、湯呑みをそっと手にして、ふうふうと息を吹きかけて、口につけ、

 

「ッ! にがっ……」

「ご、ごめん。合わなかった?」

「いいえ、大丈夫」

「でも……」

 

 それでも女性は、緑茶を味わうことを諦めなかった。

 最初こそしぶい顔をさらけ出していたものだが、しばらくすると慣れてきたのか、

 

「いいわね」

「そ、それはよかった」

 

 やがて緑茶を飲み干した女性は、湯呑みをテーブルの上に置いて、両肩で息をする。

 

「とりあえず、助けてくれてありがとう」

「い、いや。当然のことをしただけだから」

「そう」

「あと、通報とかもしていない」

「……なるほど」

 

 女性の太ももに、猫が寝そべってきた。

 対して女性は、猫の体をそっと撫ではじめる。

 

「私が何者か、知りたいでしょう」

「……まあ」

「お茶を与えてくれたお礼に、教えてあげる」

 

 女性が、にやりと笑って、

 

「私はミラ。あなたたちの敵、近界民よ」

 

 え、

 黒猫ミラと目を合わせる。

 

「この前に大規模な侵略があったじゃない? あのときに私としたことが大失敗してしまって、いったんこの世界に置いてけぼりになったの」

「え、」

「それから数日間ほど、私はお尋ね者としてこの街に潜伏してた。監視の目をなんとかごまかしてきたけれど、結局は疲れのあまりに倒れちゃったわけ。無様なものよ」

「は、はあ」

 

 三門市で最も忌まれている単語を耳にして、その「本物」を目の当たりにしてしまって、林田はなんと答えていいのかまるでわからなくなる。

 けれども、頭はごく冷静に回っていた。

 どうしてA級ボーダー隊員が数多く巡回していたのか、なぜ宇井真登華が「はやく帰れ」と警告してくれたのか。たぶん、この()を探し回っていたからだろう。

 ミラを見る。

 近界民ってやつは、特撮に出てきそうな怪物のことだと思っていた。けれど実際は、自分たちと何ら変わらない人間そのものだったなんて。

 

「言っておくけれど、余計なことをしたらあなたを殺すわ」

 

 心臓が止まりそうになった。

 たぶん、本気で言っているのだろう。敵を殺すことに、何のためらいが、

 

「……なんて言ってみたけれど、それは悪手ね」

「えっ」

「あなた、学徒か何かかしら? それでも労働者?」

「が、学徒」

「そう。――もしもあなたを殺してしまえば、あなたの『無断欠席』を不信に思った学友や教師が、ここに訪問してしまう。そうして死体を発見されてしまえば、真っ先に私の犯行と疑われて、私はこの寒空の中でふたたび逃亡生活を強いられるでしょう」

 

 思う。

 近界民も、寒いのは苦手なんだな。

 

「だから、あなたは殺さない。このまま匿ってもらった方がいい」

 

 ということは、この人と一緒に住むことに――住めるようになるのか。

 それは願ったり叶ったりだが。

 

「……とかいって、無償で匿えって言ったら反発もするわよね」

「いや、そんなことは」

 

 即答したが、ミラは首を横に振るい、

 

「気遣わなくてもいいのよ、私だって同じことを思うから」

 

 きっぱりと言い切り、

 

「だから、一つ契約をしましょう」

「え」

 

 ミラの口元が、そっと歪む。

 

「――迎えが来るまでに匿ってくれたら、あなたと、あなたの親族を捕獲対象から外す」

 

 一瞬遅れて、平常心が揺さぶられた。

 三門市住民にとって喉から手が出るほど欲しい権利を口にされて、林田の判断力が遠くに飛びそうになる。

 これが本当なら、両親が安心して暮らしていける事になるじゃないか。

 ――頭を振るう。いったん大きく息を吐く。

 

「……そんなことが、本当にできるの?」

「できるわ」

 

 そしてミラは、こう言った。

 

「私、近界民の偉い人の婚約者だから」

 

 婚約者。

 その単語を耳にして、思わず歯を食いしばってしまう。

 いきなり大きな壁が立ちふさがったが、ミラへの熱意は少しも冷えない。完全に惚れてしまっていた。

 

「私もね、近界民の偉い人なの。だから、ここでみすみす死んだりしたら婚約者の面子は丸つぶれ。婚約者としてもそれは避けたいから、私のことを助けに来てくれるでしょう」

 

 そしてミラは、「だから」と続けて、

 

「私は生き延びてみせるわ。汚点になんて、なりたくないもの」

 

 ミラは、表情の変化がとても控えめだ。

 けれども、恋に対する熱意は本物。

 そんなミラの一途さに、林田の想いはいよいよもって燃え上がってしまう。

 

「――さあ、どうする? この契約を、受けてくれるかしら?」

 

 近界民から提案された悪魔の契約を前に、自分は長く長く思考する。時計の針が、はっきりと聞こえてきた。

 ――そして、

 

「わかった」

「賢明な判断ね」

「……ここで見捨てたら、後味が悪いから。だからあなたを、ミラさんを匿う」

 

 最初から、ミラ(初恋の人)を匿うことに迷いはなかった。

 けれどもミラはれっきとした近界民であり、しかも幹部級だ。そんな重要人物を三門市の住民が惚れた弱みで保護するだなんて、重罪に決まっている。確実に私刑モノの愚行だった。

 ほんとうに契約を成立させてしまっても良いのか、冷静ぶって考えてはじめようとして、

 

「にゃーん」

 

 ミラが無表情のまま、猫の体をそっと撫でる。

 ――そんなミラを見れば見るほど、恋への一途さを思い起こせば起こすほど、ミラをボーダーへ売るだなんて、()()()()()()()()

 

「……本当にいいのね?」

「ああ」

「それじゃあ、契約は成立ね」

 

 そしてミラは、ふとリビングを見回しはじめ、

 

「……あなたが出かけている間、家事ぐらいはしておくわ」

「え、え!? いや、それは別に」

「何もしないのは性に合わないの」

「で、でも……」

「いいから」

 

 ミラから睨みつけられて、林田は力なく「へい」と答えるしかない。

 そんな林田を見てどう思ったのか、黒猫ミラは「にゃーん」と鳴いてくれた。

 

「……あ」

「どうしたの」

「その黒猫、ミラっていうんだけれど」

「あら、私とおなじ」

「うん、そうなの。……で、まあ、その黒猫には別の飼い主がいてね、その人に返さないといけないんだ」

「そう」

 

 ミラは、黒猫ミラの頭をぽんぽんした。

 

 □

 

 ――もしもし、楠木さん? ああ、生徒会の林田恋太郎だけれども……黒猫のミラちゃん、見つかったよ

 ――ほんと!? じゃあ今から行く! 行って大丈夫?

 ――え!? いや、俺はいいけど、もう暗いし……

 ――大丈夫! 友人と一緒に行くから! じゃあ待っててね!

 

 それから数分が経って、

 

「おーよしよしよし! お前どこいってたんだよー! 探してたんだぞーッ!」

「にゃーん」

 

 玄関はとても賑わっていた。

 楠木葵が黒猫ミラを抱き上げ、何度も何度も頬ずりしている。楠木の隣に立っていた男友達と目が合って、なんだか「たはは」と笑いあってしまった。

 

「いやあ、こんな夜遅くに来てごめんね。こいつうるさいでしょ」

「いえ、そんな……見つかってよかったです」

「そうか。まあ俺の方も、猫が見つかってくれてホッとしてるよ。マジでへこんでたしな、こいつ」

「そうでしたか……」

 

 よーしよしと、頬ずりしまくる楠木。これほどの愛でっぷりなのだから、猫が失踪した時はさぞ落乱したことだろう。

 ほんとう、見つかってよかったよかった。

 

「ホント、君には頭が上がらないね」

「いえ、とんでもない」

 

 茶髪の男性が、「あ、そだ」と言い、

 

「俺は間宮圭三、ボーダーやってる。もしも困ったことがあったら、いつでも呼んでくれ」

「そうそう、何でもしちゃうからさ~」

 

 ボーダー。

 その名前を聞いて、家の奥めがけ気配りをする。心の内から、気まずさが溢れ出そうになった。

 自分は悪魔に魂を売ったくそ野郎なのだから、ボーダーの守護を受ける資格なんてない。

 

「いや、いいよそんな。俺はただ、生徒会としての義務を全うしただけだから」

 

 そう言ってみるものの、楠木は上機嫌全開の笑顔を崩さない。

 

「君」

「え」

「――とっても、いいひとだね!」

 

 間宮も、「うむ」としみじみ頷く。

 

「遠慮しなくていいんだよ。なんたって君は、家族を救ってくれたヒーローなんだから!」

「ヒ、ヒーローって……そんな器じゃないよ」

「ヒーローだって!」

 

 間宮が、苦笑いする。

 

「林田クン、あきらめなさい。こいつは、受けた義理は忘れないタイプだから」

「は、はあ……」

「そういうことだから、何かあったらすぐ連絡して! 生徒会の手伝いも、近界民の撃退も、なんでもこなすから!」

 

 そう言って、楠木はスマホを前に突き出す。正義の戦隊ヒーローを象ったキーホルダーが、林田の視界に容赦なく焼き付いた

 

「まあ、何か物をなくした時にでも呼んでくれよ」

 

 何も言えなくなった林田のことを気遣ったのか、間宮がそう呟く。

 己が視線を、地にそらす。

 いま自分は、正義の善人に囲まれている。そんな状況に、いやに体温が上がっていく。閉じた口の中で、歯を食いしばった。

 

「で、で」

 

 楠木は、一歩近づいてきて、

 

「何か、困ったこととかは、ある?」

 

 家の奥を一瞥しそうになったが、何とか堪えて、

 

「いや、今のところは何もないよ。うん」

 

 愛想笑いをする林田に向かって、黒猫がにゃあんと鳴いた。

 

 □

 

 楠木と間宮を帰したあと、林田は何事もなかったかのようにリビングへと戻り、一言。

 

「もう帰ったよ」

 

 そう言い終えた瞬間、キッチン越しからミラがゆっくりと立ち上がった。

 

「君のことは、何も言っていない」

「賢明だわ」

 

 そう言って、ミラが林田のもとへ歩んできた。

 そして林田は、人生で一番といってもいいくらいの安堵を覚える。

 

 ミラの靴は玄関からきちんと回収しておいたし、下手な言動だって漏らさなかったはず。手振りも不自然ではなかったはずだ。

 ミラが近界民に帰るまで、神経を張り詰めた生活が続くのか。

 けれども、それにとやかく言える資格などはない。自分は悪魔に魅入られた、三門市最低の男なのだから。

 

「とりあえず、えーと……」

 

 真顔のミラと向き合いながら、林田はなんとか話題を探す。

 

「眠たくなった時は、二階の両親の部屋を使っていいよ」

「いいの?」

「うん。両親は今、そろって海外に出張中だから」

 

 デキる大人は忙しいものである。

 林田の言葉に、ミラは「わかった」とうなずいた。

 

「あとは……基本的に自由にして構わない」

「そう。じゃあさっきも言った通り、基本は家事に励むわ。――ああそうそう、入っちゃいけない部屋とかは、ある?」

 

 意識がしっかりしているなあ、と思う。

 偉い人ということで、厳しい教育などが施されているのだろうか。

 

「うーん……いや、特にはないと思う」

「そう」

 

 何かほかに、聞くべきことはないだろうか。

 林田のことをじっと見ているミラに対して、ううむと唸り、

 

「あ、そうだ。何か欲しいものとか、ある?」

「だから、そんなに気を遣わなくても」

「家事をし終えたあとは、暇になるだろうし」

「……まあ、そうね。じゃあ本とかは……だめね、カンジ(漢字)がむずかしい」

 

 文字『は』ということは、言葉なら通じるわけか。

 よく考えなくても、ミラとはこうして日本語で通じあっているわけだし。

 ――何故なのだろうかと、ふと考える。それから間もなく、二つの心当たりが思い浮かぶ。

 捕らえた三門市の住民から、言語を教わっているのだろうか。

 そして三門市の住民は、すべてを教える代わりに元の世界へ返して欲しいと懇願しているはずである。

 けれどもその願いは聞き流され、こちらの世界の文明を洗いざらい吐き出されて、用済みとなれば恐らく――

 首を振るう。

 きっと近界民には、自動翻訳機みたいなものが開発されているんだ。そうだと思いたい、そうだと。

 

「じゃ、じゃあ、映像作品はどう?」

「映像?」

「そう。ほら、これ」

 

 テレビをリモコンで点けてみれば、ミラは「まあ」と驚きの声を発した。

 どうやら向こう側の世界には、テレビというものは存在していないらしい。

 

「テレビは色々な映像を見せてくれるんだけれど、ドラマ……ストーリーものは決まった時間にしか見られないんだ」

「へえ」

 

 テレビからは、明日の天気予報が映し出されている。明日は雪が降ってくるらしい。

 この番組が終われば、長らく放送されている人気刑事ドラマが放送されるはずだ。

 

「そこで俺が持っている映像媒体を使えば、いつでもストーリーものが見られるわけ」

「なるほど」

 

 そしてミラは、無表情を保ったままで、

 

「どんな話が見られるのかしら」

 

 興味ありげな声で、問うてきた。

 そう聞かれてしまって、林田の鼓動は嘘みたいに音を立て始める。

 

「そ、それは……その」

「なに、何か言えないものなの?」

 

 首を思いっきり横に振るう。

 

「れ、」

「れ?」

「れ……恋愛もの」

「ふうん……」

 

 判断にすごく困る返答だった。

 「あからさまね」と思われただろうか。それとも、純粋に見てみたいと思考しただけなのかも。

 

「と、とりあえず。面白いと思ったものを厳選してあるから、時間潰しにはなると思う」

「悪いわね、何から何まで」

「いや、家事をしてくれるだけでありがたいから」

 

 君のことが好きだから、なんて言えるはずがなかった。

 ――さて。

 話もひと段落ついたところで、急に腹が鳴った。そういえば、まだ夕飯をとっていなかった。

 

「作るわ」

「いや、今日は」

「慣れておきたいの」

 

 そう言って、ミラは主導権を握らんばかりにキッチンへ移動してしまった。

 

「さあ、キッチンの使い方を教えて。あと、作れる料理も」

「わかった。じゃあ作れる料理に関しては口で説明するから、メモなりにまとめておいて」

「わかったわ」

 

 文字が読めないというのは、本当に不便なものだ。とてもではないが、外国なんて行けそうにない。

 そう思うと、海外でバリバリやってる父と母は凄いんだなあとつくづく思う。

 

「……そういえば」

「はい?」

「あなたの名前、なんていうのかしら」

 

 そういえば、名乗っていなかったような。

 なぜだか制服の襟首を整え、無駄に背筋を立たせながら、言った。

 

「俺は林田恋太郎、好きに呼んでほしい」

「そう。わかったわ、ハヤシダ」

 

 そしてミラは、己が胸元に手を置いて、

 

「私の事も、どう呼んでもいいから」

「そ、そう。じゃあミラさんで」

「わかったわ」

 

 それから、ミラとの共同生活が始まった。

 ――ちなみに、ミラが作ったシチューはとても美味しかった。本人曰く「説明された通りに作っただけ」とのことだが、林田はオトコとして「でも、おいしかった」と言い切った。

 

――

 

 翌日、午前六時。

 はっきりと目覚めて、最初に考えたことは「本当にミラさんはここにいるんだろうか」。

 白い日差しに照らされた自室の中で、林田はゆっくりその身を起こす。タイマーをかけておいたストーブのお陰で、室内は温かい。

 カーテンを開けてみれば、窓の向こう側では雪がそっと降り注いでいた。こりゃあ帰ったら除雪だなあと思いながら、林田は寝巻から制服に着替え、ドアを開けて。ゆっくりゆっくりと階段を下りていって、

 

「あら、おはよう」

 

 エプロン姿のミラが、キッチンに立っていた。

 服装は先日のような真っ黒ではなく、白いニックネットに青いジーンズの組み合わせ。母の私服を借りたのだろう。

 瞬間、昨日のことは夢などではない、という現実を強く認識する。

 ミラは無表情のままで、白米と卵焼き、味噌汁までもを要領よくトレイへ乗せていく。メモを手渡すだけでここまで学べてしまうとは、やっぱりミラはいいとこのお嬢様なのだなと実感せざるを得ない。そしてエプロン姿のミラをじっと見て、またしても惚れ直す。

 

「食べないの?」

「あ、食べるっ」

 

 トレイを受け取り、林田はリビングにあるテーブルへとそっと移動する。続けてミラも、自らの分の朝食をトレイに乗せてリビングへ。

 林田と、向かい合うように腰かけた。

 

「では、いただきます」

 

 朝食を前に、林田は両手を合わせて感謝の言葉を述べる。そしてミラは、林田の所作をじっくりと眺めていて、

 

「いただきます」

 

 同じく両手を合わせ、礼をした。

 

「……うん、うまい」

「そう、よかった」

「いやほんとう、おいしいよ。すごいなあ、こっちの料理を見るのは初めてなはずなのに」

「本を見ただけよ。それに、調理自体は私の世界とあまり変わらないし」

「いやそれでもだよ……」

「そう」

 

 いつもは自分で朝食を作り、テレビを見ながら一人で朝食をとっているのが日課だった。

 けれども今は、テレビすらつけずにひたすら朝食を味わう事に没頭している。好きな人の料理を前にすれば、食欲は湧いて出てくるものだ。

 ――ちらりと、ミラの方を見る。ミラは相変わらず真顔のまま、箸をつかって少しずつ白米を食べていた。

 

「ところで」

「な、なに」

「これを食べたら、あなたはどうするの?」

「あ――ああ、学校へ行くよ」

「学校――ああ、学舎(がくしゃ)のことね。わかった、家事はやっておくから」

「ありがとう。暇になったら、テーブルの上にある映像作品を見てもいいから」

「わかったわ」

 

 そうしてミラとの会話は終わる。朝食を余さず食べつくした林田は、念入りに両手を合わせて「ごちそうさまでした」と礼をする。

 同じく朝食を口にし終えたミラも、「ごちそうさまでした」とつぶやくのだった。

 

 そうして林田は、久々に「いってきます」と告げて家から出る。薄暗い曇り空から白い雪が降り注いでいたが、林田の心中は真夏のようにご機嫌そのものだった。

 

 □

 

 まだ人気が少ない学校の中で、林田は猫探しのポスターを掲示板からぺりぺり剥がしていく。一日限りの付き合いだった。

 改めて見てみると、我ながらよくできたポスターだとは思う。個人情報の都合で、処分しなければいけないのが何だか寂しい。

 ポスターを丸め、画鋲を画鋲入れのケースにしまう。次は二階の分を剥がそうと、

 

「おはよー、林田君」

 

 急に背後から聞き覚えのある声。振り向いてみると、手のひらで挨拶をする宇井の姿があった。

 

「ああ、おはよう。宇井さん」

「ども。で、で、楠木ちゃんの猫が見つかったんだって?」

「おお、情報が速い」

「やー、楠木ちゃんから電話がかかってきてさ、見つかったやったやったの大騒ぎでしたよ」

「そうかあ……」

「君が猫を見つけてくれたんでしょ? やるねえ、すごいねえ」

「いやいや、たまたまウチの庭にいただけだよ」

 

 庭。その単語を発して、林田の脳裏に熱が生じる。

 宇井真登華というボーダーの一員を前にして、下手なことは言わないようツバを飲み込んだ。

 

「庭? まじで?」

「まじまじ、本当に庭にいた」

「へえ~、猫に好かれやすい家なのかなあ、君ん家」

「そうかなあ、そうかもなあ」

 

 すこし冷たい廊下の中で、宇井はにっこりと微笑み、

 

「いやほんと、今回は世話になりました」

「え、いやいやそんな」

「威張ってもいいんだよ。君は楠木ちゃんを救った上に、間宮隊の不調を整えてくれたんだからさ」

「大袈裟なー」

「よっ、いい男」

「やめなよ」

 

 宇井と林田が、わははと笑いあう。

 ――そのとき、廊下の向こう側から生徒が歩んできた。気づけば、学校が賑わう時間帯にまで差し掛かっていたようだ。

 

「じゃあ、俺は二階のポスターを剥がしにいくよ」

「三階は任せなさい」

 

 林田が苦笑いする。

 

「じゃあ、頼むよ」

「うむ、任された」

 

 宇井が、えへんと胸を叩いてみせた。

 今日も、宇井は元気そうに見える。仕事の手伝いをする程度には、余裕があるように思える。

 ――それでも、

 

「なあ、宇井」

「うん?」

 

 こうして話し合えた今なら、言える気がする。

 

「その、何か困ったことがあったら、俺でよければ話ぐらいは聞くよ」

 

 明確に、間が生じたと思う。

 宇井の顔から笑みが消え、目と目とが交差した――のは一瞬だけで、宇井はいつもの微笑みをつくり、

 

「ありがと。ま、そのうちね」

 

 否定は、しないんだな。

 宇井の返答に林田は小さくうなずき、二階のポスターを剥がしに足を動かし始める。

 

 そうして授業がはじまる。そっと宇井の方を覗き見してみれば、宇井は頬杖をついて教師の方を眺めていた。

 

 

 思った以上に生徒会の仕事が遅くなってしまった。

 気づけば午後四時、空もすこし薄暗い。今ごろミラは何をしているのだろうか、ちゃんと家で過ごせていればいいのだけれど。

 若干早足気味に帰路を歩む、だのにいつも以上に道が長い気がする。ならばと走ってみせて、途中で凍ったアスファルトに滑りそうになり、べちゃべちゃ雪道を踏んづけながら何とか家の前にまで辿り着き、

 

「ただいまっ」

 

 ドアを開けて、何事もなかったかのように挨拶をする――家の奥から、ゆっくりと足音が反響してきた。

 

「あら、おかえりなさい」

 

 ミラが、リビングからひょっこりと姿を現した。

 ミラの姿を確認することが出来て、ほっと胸を撫で下ろす。ボーダーに拘束されていなくて、本当に良かった。

 

「遅くなってごめん。誰か来たりしなかった?」

「いいえ」

「そうか……それで、今は何をしてたの?」

「ドラマを見てたわ」

 

 林田の意識が、瞬く間に強張った。

 林田は靴を脱いで、ミラに先導される形でリビングへ立ち寄る、

 

「これ」

 

 ミラがテレビを指さす。画面には高校生の男女が文句を言い合っているシーンが一時停止で表示されていて、それを目にした林田は「ああ」と声を出し、

 

「ベターストーリーを見てたんだね。超王道の名作恋愛映画」

「ええ」

 

 そしてミラが、ソファへ腰を下ろし、

 

「面白いわね、これ」

「! そ、そうか……それは何より」

 

 言葉は平静を、内心はいよっしゃあと躍りながら、林田はミラの隣へ座ろうと、座ろうと、座ろ、

 

「別にいいのよ?」

 

 ミラが、ソファを軽く叩く。

 直々に許可が下りたので、林田は少しビビりながらもミラの隣へ座り込む。そんな林田のことを特に気にもせず、ミラはリモコンのスイッチを押す。

 ドラマの時間が流れ始める。男女がああだこうだと文句を言い合っているが、原因はデートコースについてあれやこれやと意見しあっているだけ。

 微笑ましいなあ、いいなあ。何度も見たシーンだのに、林田の口元は緩んでいる。

 ふとミラの方を見てみれば、相変わらずの真顔。ただ、その二つの目はテレビへ釘付けとなっていた。

 ――意外と、こういうのが好きなんだろうか。

 ――好きなんだと思う。愛に対して、一途なところがあるし。

 

 それからベターストーリーは、両想いの男女がああだこうだといがみあったり、手を繋ぐか繋がないかでドギマギしたり、観覧車に乗って互いに思い出話に浸っては、やっぱり相手のことが異性にしか見えなくなって――観覧車が地上に戻る瞬間に、男と女はキスを交わしあう。

 平日に戻ってみればやっぱりケンカしてばっかりだけれども、女の子のスケジュール帳には第二回目のデートが記載されているのでした。おわり。

 ――スタッフロールが流れ始める。いい話だったなあと余韻に浸りつつ、林田はミラの横顔を覗き見しようとして、

 

「いいじゃない」

 

 無表情で、ミラはぽつりと言った。

 その一言だけで、何だか勝った気になってしまい、

 

「そうか、恋愛モノはいける感じみたいだね」

「そうね、そうみたい」

「他にも色々あるから、是非見てみてよ」

「ええ」

 

 その時、ミラが壁掛けの時計に目配りする。

 

「そろそろ夕飯ね」

「あ」

 

 ミラがそっと立ち上がる。

 

「今日は一人で作ってみるわ。カレー、という料理に挑戦してみる」

「手伝うよ」

「家事をする、それが契約の内容よ」

 

 そう淡々と言い、ミラはキッチンへ出陣していってしまった。

 ほんとう、律儀な人だ。

 だが、それがいい。

 

「もしわからないことがあったら、すぐ聞いて欲しい」

「わかったわ」

 

 ――それからミラは、一度も質問を投げかけることがないまま料理を完成させてしまった。

 エプロン姿のミラが、カレーの乗ったトレーを手に持ちながらでリビングへ戻ってくる。そんなミラの姿を見て、林田は当然満たされた気分に陥った。

 

「これはうまそうだ。いただきます」

「いただきます」

 

 ミラの分のトレーもテーブルの上に置かれ、互いに感謝の言葉を述べたあと、林田とミラのスプーンがそっと動き出す。

 白米をルーに浸し、そのまま口につけてみれば、舌に甘さが伝わってくる。ミラの方も、無表情ながら食が進んでいるようだった。

 

「とてもおいしいよ」

「そう、ありがとう」

 

 やっぱり淡々とした口ぶりであるが、話しているうちに「これがミラなんだな」と段々慣れてきた。

 話を途切れさせないよう、林田は口を動かし続ける。

 

「カレーって、そっちの世界には存在していないんでしょ? それなのにこれは……流石ミラ」

「あなたの説明が上手かっただけよ」

「出来るかどうかは本人の能力次第だから」

「そう」

「ミラの料理、もっと食べてみたいなあ。もちろん俺も作るけどね」

「ふうん」

 

 そしてミラは、水を一口飲んで、

 

「……これなら、あの人たちも喜んでくれるかしらね」

 

 ぽつりと、けれども確かに聞こえた。

 あの人たちとは、まちがいなく婚約者のことだろう。

 ――たち?

 

「え、ちょっと待って。婚約者って、一人だけじゃないの?」

「ええ、二人いるわ」

「……そうなの……」

 

 呆然しかけたが、ミラの地位を考えてみればとくべつ不思議な話でもないと思う。

 むしろ、それくらいモテなきゃおかしいだろうな、とさえ考える。

 ――閉じられたカーテンに視線を向ける。

 

「迎え、来るのかな」

「来るわ。面子がかかってるもの」

「……そうだね」

「それに」

 

 ミラは、かしゃりとカレーを掬って、

 

「信じてる、来てくれることを」

 

 ミラは改めて、そう宣告した。

 目の前でこうも言われて、林田の心中に黒いもやがかかる。何ひとつとして理不尽なことを口にしていないから、なおさら。

 もっとアプローチしろ、自分。

 せっかくの出会いを、このまま終わらせるな。

 何かこう、ミラに関心を抱かれるような何かを行わなければ。

 焦る林田のことなどつゆ知らず、ミラはカレーを食べ続けている。小さく「いいわね」と呟いたのを聞き逃さない。

 ――そういえばこの人、どんな料理が好きなんだろう。

 

「あの」

「なに?」

「何か、好きな食べ物とかはある?」

「べつに、このままでもいいわ。贅沢は言わない」

「まあまあ、言ってみてよ。そろそろレパートリーを増やしてみたいと思っててさ」

「……そう」

 

 観念したのか、ミラは小さく息をついて、

 

「パンケーキ」

「おお、なるほど」

「言っておくけれど、気を遣う必要はないわ」

「違う違う。俺が食べてみたいってだけ」

「……そう」

 

 会話はここで終わった。

 ごちそうさまと礼を言い終えたあと、ミラが食器を片付けようと――林田が迅速な速度でミラの食器をかすめとり、そのままキッチンへ早歩きしては水を流し始める。

 そんな林田の姿を見て、ミラは「はあ」とため息をつくのだった。

 

――

 

 休日。昼へさしかかった頃に「ちょっと出かけてくる」とミラに声をかけ、晴れ空に恵まれながら街まで歩んでいく。

 信号待ちが長い交差点を渡り切ってみせれば、ずいぶんと賑やかな街並みが林田のことを出迎えてくれた。この雰囲気はけっこう好きだったりする。

 待ち合わせ場所で有名な「猫の像」を通り抜けようとすれば、「待ったー?」「今きたとこー」のやりとりが林田の耳に飛んできた。すごくうらやましい、自分もミラとあんな関係になりたいものだ。

 気を取り直す。

 雑談と店の宣伝がひっきりなしに飛び交う街並みに足を踏み入れ、なんとなく風景を一瞥してみればバーガークイーン三門市本店が目につく。最近は寄っていなかったなあと思うが、またしばらくはジャンクフードを口にしない日々が続くだろう。それよりミラの料理が食べたい。

 それから数分ほど歩んで、街一番の本屋に辿り着く。三階まであるビル状の建物で、新刊から中古まで揃っているオススメスポットの一つだ。

 

 ――よし。

 

 息を吐く。そのまま自動ドアを潜っていって、人がまばらに要る店内を何となくちらりと一瞥しつつ、「料理」のコーナーへと足を進めていく。

 本棚を見てはあれじゃないこれじゃないと目で探していって、約数分程の時間をかけたのちに、

 

「あった」

 

 本棚から「デキるパンの作り方」という本を引っこ抜く。表紙の煽り文句を見てみれば、クロワッサンの作り方、ナイスなサンドイッチはこうだ、パンケーキの世界について、

 これだ。

 瞬く間に上機嫌顔になった林田は、早速とばかりにレジへ行、かなかった。

 二階へ昇り、慣れた足取りで「恋愛小説」のコーナーに飛び込んでいっては、何か掘り出し物とか無いかなあ前に見たばっかりだしなあとうろつき始め、戦果は当然ゼロ。

 まあ、そりゃあそうだよね。

 力なく両肩をすくめ、そのまま一階へ戻ろうと――

 

「あれ」

 

 意識に余裕が生じていたからか、本棚と本棚の合間を通りがかる際に見知った顔を捉えることができた。

 間違いない、あの子は、

 

「宇井さん」

「あっ。ああ、林田君」

 

 本を物色している宇井めがけ、そっと声をかけてみた。それでも宇井から驚かれたあたり、真剣に本を物色していたのだろう。

 林田は、「あー」と気まずそうに声を漏らす。

 

「ごめん、邪魔しちゃったね」

「ううん、気にしないで気にしないで」

 

 宇井はにっこりと笑みをつくり、

 

「偶然だねえ、こんなところで会うなんて。何かお探しの本でも?」

「うん、まあ、これ」

 

 宇井に問われ、自然と「デキるパンの作り方」の表紙を前に出す。

 心臓がばくりと鳴る。秘密の一端を思わずバラしてしまったような、そんな不安が体の中を渦巻き始めた。

 

「へえー」

 

 宇井の反応に、林田は口の中で歯を食いしばる。

 

「君、料理作るんだ」

「え――ま、まあね、一応」

 

 瞬間、宇井の目と口がぱあっと開く。

 

「すごーい、難しそうなのによくやるねえ。好きなの? パンとかそういうの」

 

 ボーダーの隊員から、そう離れていない距離から注目される。

 下手な嘘をついても、鍛えられているであろう判断力で見破られるかもしれない。

 だから、嘘はつかない方がいい。

 あくまで、本当のことを言え。

 

「そう、だね。こういうのを作れたら、後々役に立てるかなって思って」

「へえ~、ちゃんと考えているんだねえ」

 

 嘘は言ってない。材料を買って家に戻って、ミラに向けてパンケーキをつくる。嘘はついていない。

 神経を張り巡らせている林田に対して、宇井はほうほうと声を出し、

 

「やー、まさか君が料理もできるなんてねえ」

「それほどでもないよ」

 

 林田は、あまり考えることなくそう返した。

 対して宇井は、口元をゆっくりと曲げてみせながら、

 

「君、モテそうなオーラが出てる」

 

 宇井は、そんなことをいきなり言い出した。

 言われたことのない言葉を真正面から食らって、思わず一歩ほど引いてしまう。そんな林田の反応を見て、宇井は「冗談だよ」とは言わなかった。

 ――首を小さく振るう。

 女性の宇井からそう言われて、己が行為が保証されたような気がする。好きな食べ物を通じて距離を縮めようという魂胆は、そう間違ってなどいないわけだ。たぶん。

 

「そ、そうかな?」

「うんうん、出てる出てる」

「そうかあ……うん、パン作り頑張るよ」

「いいねえ~、今度食べさせてよ~」

「合点」

 

 宇井は林田は、本屋の一角でひそひそと笑いあう。

 凝り固まっていた緊張はすっかり溶けて、今や気楽な気分に浸れている。そうなれたのも、林田の行いを肯定してくれた宇井のおかげだ。

 手前勝手に宇井を警戒するなんて、自分としたことが。

 己が胸を、そっとさする。

 ふと、宇井が本を持っていることに気づいた。

 

「宇井さんは、どんな本を探しに?」

「え? あ、あー……それはねえ……」

 

 宇井が目を逸らす。そんな宇井に、林田はあたふたと手のひらを振るい、

 

「ご、ごめん、失礼なことを聞いた」

「あ、いや、そういうわけじゃない。そういうわけじゃないよ? ……これ」

 

 宇井はぽつりと言って、そっと本を差し出す。

 白い表紙に、やわらかいフォントで書かれた、「メンタルの整え方」。

 そういえばこの本棚のコーナー名は、「癒し、リラックス」だった。

 ――宇井の憂鬱げな横顔がフラッシュバックする。

 宇井が抱えている問題とは、恐らくはとても切実なものだろう。それに対して自分は、ひとこと気安い言葉をかけて宇井と別れ、なんでもなかったかのように日常へ戻ることもできる。

 

「――宇井さん」

「ん?」

「今までずっとさ、宇井さんのことが気になってた」

「へ――」

「教室の中にいる宇井さんは、時々眠そうな目をしていたり、窓の外をずっと眺めていたり、時にはうつぶせになることもあったよね」

「……まあ、ね」

「そんな宇井さんのことが、ずっと気になってた。……だから、だからさ」

 

 宇井と林田とは、同じクラスメートでしかない。

 

「俺でよかったら、話ぐらいは聞く。生徒の悩みを聞くのも、生徒会の仕事だから」

 

 そして自分は、生徒会の一員だ。

 だから宇井のことが、どうしても放っておけなかった。

 ――林田の言葉に対して、宇井は口を開けたままで微動だにしない。まったく予想外の言葉をかけられた、そんなふうになっている。

 

「……そっか」

 

 宇井は、そっと言葉を発する。

 

「そっかぁ」

 

 そして宇井は、ふっと微笑んだ。

 

「や、ごめんね。心配かけさせちゃったみたいで」

「いや、俺のことはいい」

「うん。……ええとね、そうだね」

 

 そのとき、客らしき若い男性が林田と宇井を横切っていく。

 本棚の前で立ちんぼなんて、邪魔以外なにものでもない。だから何者にも干渉されず、かつ話しやすいよう腰を落ち着けられるような場所といえば――

 

「なあ、宇井さん」

「うん?」

「バーガークイーンで悩みを話してくれないか? さすがにここだと、邪魔になるし」

「え、」

「奢るよ」

 

 ここまで踏み込んだからには、すこしでも宇井の悩みを取り除きたい。

 それはまちがいなく、林田の本音だった。

 

「――ごちになります」

 

 林田の言葉に、宇井は白い歯を見せて笑い返してくれた。

 

 □

 

 バーガークイーンのカウンターで注文を受け取り、二階まで登っては室内の端にまで林田と宇井は移動していく。

 やがて林田と宇井は向き合う形で席に腰を下ろし、四角いテーブルの上にトレ―を置いて、どうか話してほしいと林田は頷く。

 

 ――そう、だね。まあボーダーのことなんだけれど……あ、詳しくは話せないんだよねえ~……わかりづらかったらごめんね。

 まあ私はさ、隊員のサポートを行っているわけ。オペレーターっていう役職についてるの。

 ……ついているんだけれど、ここ最近は上手くいってないんだ。おかげで隊全体の結果があまり芳しくないというか。

 ああでも、みんなはちゃんと動けてるんだよ。利点も欠点もわかってる。すごい頑張り屋さんで、とても優秀なんだ。

 だのに結果がコレってことは、要は指示が悪いってコトだと思う。オペレーターは隊の目であり耳でもあるんだから、それが悪くちゃ思うように戦えないのは当然だよね。

 ……とまあ、そんな感じでへこんでるわけです。私はだめなオペレーターだ~……ってね

 

 言い終えたあと、宇井は「ありがとうございました」と一礼した。あくまで、苦笑いを崩さないまま。

 ボーダー上における宇井にポジションは、だいたいは把握した。きっと宇井は、戦闘中の隊員たちに忙しなく指示を与えたり、時には変更を強いられたりしているのだろう。

 めまぐるしく戦場の中で、忙しなく。

 「敵」という標的が容赦なく動き回る世界の中で、宇井は常に判断を整えなければならない。

 恐らくは宇井も隊員も、最善を尽くしているのだろう。自分なんぞに発想できるような事は、すべて実行に移しているはずである。

 それでも結果が芳しくないというのであれば、それはもう、どうしようもない何かが立ちはだかっているはずだ。

 その、どうしようもない何かってやつは――

 

「宇井さんは、ダメなんかじゃない」

「え?」

 

 宇井の目を見る。きっぱり言う。

 

「みんな、やれることはやっているんだよね?」

「うん」

「じゃあきっと、運が悪かったんだと思う」

「え、運? え?」

 

 想定外の言葉だったのだろう。宇井がめずらしく、目を丸くする。

 

「最善を尽くしてもダメだったのなら、それはもう運が悪いとしか言いようがない」

「でも、二度も三度もふがいない結果で終わることってあるかなあ?」

「戦場って不確定要素が多すぎる空間だと思うんだよね。場所とか、敵との相性とか、天候とか、とにかく天に任せたい箇所が山ほどある」」

「ぬ~ん……仮に運のせいだとしても、あんまりそういうのに甘えるのは……」

 

 正直言って、林田の論はボロボロだ。素人の思い込みにすぎない。

 しかし、幾度考えても「運のしわざ」としか思えないのだ。実力差がありすぎる相手と戦っているのなら、いの一番から「敵わなかった」という本音が漏れるはずだろうから。

 実力はきっと、拮抗している。ただ、不運がたまたま重なって勝てていないだけで。

 

「甘え、なんてことはないと思うよ。運も実力のうちって言葉もあるくらいだし」

「まあ、そうだけどさあ」

 

 そう簡単に責任を投げ捨てようとしないあたり、宇井は生真面目なんだなと思う。だからこそ、そんな宇井には自責で潰れて欲しくはない。

 ――何か言える事はないか、何か、

 

「……俺さ、このまえ猫探してたじゃない?」

「ああ、うん。探してた探してた」

「あれさ、最初は街中を探し回ってたんだよ。心当たりがありそうな箇所は、ほとんど見て回ったと思うけど結果はダメだった」

「うん」

「でもラッキーなことに、猫は俺の家の庭にいた。猫が見つかったのも、運が良かったからだよ」

 

 林田の言葉に、猫好きの宇井はそっと沈黙した。

 

「いまの宇井さんはさ、きっとツイてない時間に陥っちゃってるんだと思う。でもその分だけ、運に恵まれてくるんじゃないかなって」

「ぬ~ん……そう言われるとそう……かも」

 

 ――林田はさらに、同じクラスメートの宇井にたいして、

 

「それに宇井さんは、隊のみんなは、まだ成長途中なんじゃないかな」

「え?」

「だって宇井さんは、まだ16でしょ?」

「……あ~……」

 

 同じクラスメートの宇井は、まだ高校一年生だ。これから背も伸びる、新しいことも学んでいく、もしかしたら素敵な出会いが待っているかも。

 こんなにも若いのに、自分のことをダメだの何だの言うのは時期早々すぎると思う。林田だってモテるために最善を尽くしているつもりだが、それでも失敗してしまうこともあるし、賞賛の目を浴びる事だってある。

 不運にも未だ「いいひと」どまりの自分ではあるが、「幸か不幸か」ドラマチックな出会いを果たすことはできた。

 ――いや本当、単に運が良かったからこそ彼女と巡り合えたのだと思う。

 

「だからさ、宇井さんと隊のみんなは、まだまだこれからなんだと思う。時間をかけて成長していけば、多少の不運は地力で跳ね返せるようになる」

 

 語尾を曖昧にしないよう、心を強く張り詰める。

 

「勝てば実力、負ければ運が悪かった。そんなふうに考えちゃってもいいんじゃないか、自分が潰れるよりは全然マシだ」

 

 宇井は、生徒会の活動を二度も手伝ってくれた恩人だ。そんな人が苦しむだなんて、見過ごせるはずがない。

 

「もし不運が続いたら、これからも話は聞く。ボーダーじゃないから専門的なことは言えないけれど、気分転換ぐらいにはなってみせるから」

 

 言い切った。

 林田と宇井に、沈黙が訪れる。

 近くの席に座っている若い男女がお堅い教師について明るく愚痴りあっていて、サラリーマンらしき男がドリンク片手に携帯電話を操作し、何があったか二人組の女の子が真剣な顔でじゃんけんし始め、

 

「そっか」

 

 そして、宇井が返事をした。

 力なく、顔をほころばせながら。

 

「そうだね、運のせいかもね、うん」

 

 そして宇井は、己が頭を手でさする。

 

「まだ育ち盛りのトシだもんねえ。そういえばそうだったな~」

「そうそう」

「よしっ、食べて背を伸ばすぞうっ。いただきますっ」

 

 林田に両手を合わせ、宇井がSサイズのハンバーガーを口にしはじめる。

 メンタルが整ってきたのか、その食べっぷりは明るいように見える。ここは宇井のことを信じて、林田もチーズバーガーに手を伸ばすことにした。

 

「いただきます。……うまいっ」

「ね~、うまいねえ」

 

 宇井が左手でバニラシェイク入りの紙カップを掴み、そっと中身を吸っていく。そうして宇井の味覚にシェイクが浸りはじめたのか、宇井は嬉しそうに「ん~~」と唸るのだった。

 そんな宇井を見て、林田の思考がようやく弛緩する。

 宇井の問題が解消されるには、今しばしの時が必要となるだろう。けれども宇井はまだまだ若いのだから、時間なんていくらでもかけてもいい。

 そうだ、そうなのだ。

 自分も焦ることなく、ゆっくりとあの人へ歩み寄ればいい。できることをやって、時には大胆になってみせて、いつか必ず「三人目」になってみせ、

 

「ね」

 

 宇井から声をかけられて、決意表明が霧散する。

 

「な、なに?」

 

 宇井は、面白いものを見るような顔つきになって、

 

「ほんとありがとね。助かった、マジで助かった」

「そうか」

 

 宇井が、にこりと笑う。

 

「君ってば、ほんといい男だよね~」

 

 そう言われてしまい、林田は本能的に「えー」と言う。

 

「いやいや、いい男なんてそんな。まだまだまだまだ」

「そうかな~そうだと思うんだけどな~」

「まだ修行中だから。ほら、食べた食べた」

「ほいー」

 

 そう、自分はまだいい男になどなれていない。

 まだ、なれていないのだ。

 

 それからハンバーガーとシェイクを平らげたあとで、林田と宇井は少しばかり学校についてあれこれ会話する。友人のこと、生徒会について、ほんとうに他愛の無い話ばかり。

 やがて林田と宇井は、トレーを片付けて一階へ下り、バーガークイーンを出る。ここでお別れというところで、林田も宇井も機嫌よく微笑んでいた。

 

「今日はありがとうございました」

 

 宇井が深々と頭を下げる。

 

「じゃあ、私はこれで」

「ああ。また何かあったら、呼んでくれよ」

「あいよ」

 

 そして宇井は、手をひらひらと動かして、

 

「またね、林田君」

 

 林田と宇井は、賑やかな街の中でそっと別れていった。

 

 □

 

 家に戻ってみれば、ミラが真剣な顔つきで恋愛ドラマを試聴していた。

 

 小さく「おかえりなさい」と言われて、林田も「ただいま」と返す。何を見ているのだろうかとテレビを見て――戦争で離れ離れになった主人公とヒロインが、長い苦境を越えてようやく再会を果たす名作恋愛映画、「生きる」だ。

 なるほど、ミラが見入るのもよく分かる。

 今の状況なんて、まんまだもんな。

 恋愛ドラマに浸るミラを覗き見するのは、とても楽しい。けれどもドラマの内容を考えてみると、心の中に黒いもやが生じ始めてくる。

 やっぱりミラは、二人の婚約者のことが好きなんだ。

 そんな一途さが愛おしくて、もどかしい。ミラとは、結ばれたいだけに。

 でも、どうしたらいいんだろう。そう深く考える前に、簡単な答えがすぐに閃かれた。

 けれど、それは――

 

 映画がハッピーエンドを迎え、スタッフロールが流れ始める。それでもミラはソファから動かない。スタッフロールすらも映画の味であると感じているのだろう、いい傾向だ。

 そして数分後、スタッフロールが流れ終える。気づけば時刻は17時、そろそろ夕飯だが、

 

「今日は、俺が夕飯を作るよ」

「どうして、別にいいのに」

「たまには俺が作りたい。というか、これからは交代で作っていこう」

「気遣いは不要よ」

「まあまあ、ミラさんは恋愛映画とかを見ていていてよ。これとか面白いよ」

 

 テーブルの上から、ポップなフォントで「スマイルスマイル!」と描かれたパッケージを差し出す。ヒロインの笑顔に胸キュンした視聴者が数多く生まれたという、大人気恋愛ドラマだ。

 学園が舞台だから、初心者にも大変ススメやすい一本とされている。

 ――林田の押しに負けたのか、ミラが「はあ」とため息をついて、

 

「わかったわ」

 

 そう言って、パッケージを受け取った。

 さて、今日は気合を入れるぞ。

 

 ――それから数分後、リビングのテーブルの上に夕飯が飾られていく。白米にシャケの切り身、味噌汁に漬物少々。そして、

 

「これは」

「作ってみたんだ、パンケーキ」

 

 丸く象られたパンの上に、ハチミツがてろりと流れる。パンの真ん中には、クリーム色をしたチーズがこてりと乗っかっていた。

 ミラは表情を変えないまま、小さくため息をつく。

 

「あなた、私が敵だってことを忘れてない?」

「忘れてないけど、今は同居人だし。これぐらいはね?」

「捕虜に肩入れしすぎるのは、危険よ」

「そうは言っても、家事をしてくれる貴女のことをぞんざいに扱いたくはない」

 

 本当のことは言った。好きだから、という本心は口にできなかったけれど。

 

「そういうわけだから、どうぞ」

「……そうね。食べないのはよくないものね」

 

 林田のプッシュに根負けしたのか、ミラが仕方がないとばかりに両手を合わせる。

 

「いただきます」

「召し上がれ」

 

 そうしてミラは、先ずは白米に手を付け始めた。それから味噌汁を少し、漬物も食べてみて――少し苦い顔をした――続けて切り身を、あとは白米を続けて食す。

 時計の動く音しか聞こえない、今のテレビに電源はついていない。このままでは何も進展しないままで一日が過ぎ去ってしまう。

 ミラの迎えが来るまでに、自分はミラのお眼鏡にかなうような男にならなければいけない。

 

「最近は、恋愛ドラマや映画にハマっているみたいだね」

「そうね。なかなか面白いわ」

「そっちはどうなの? 恋愛モノとか、あるの?」

「映像はないわね。演劇とか、本とか、それで物語を楽しむ」

「へえ……どんなのがあるの?」

「そっちの話とあまり変わらないわ。違うのは服と言語だけ」

「似通るんだねえ」

「そうね」

 

 思う。

 あまり感情を表に出さないミラだが、恋愛に一途という点は明らかになっている。

 じゃあミラは、いったいどんな恋をしてみたいのだろう。

 どんな男が、ミラにとっての理想なんだろうか。

 時間がない、だから聞け。

 

「ねえ、ミラさん」

「なに」

「ミラさんは、その……どんな恋がしてみたいのかな?」

 

 ミラから、じとりと見つめられる。まずいことを聞いたかなと、つい苦笑。

 

「……私は政略結婚をする予定だから、恋愛の自由なんてないわ」

「う――そ、そう」

「でも、不満はない」

「どうして?」

「婚約者に、恵まれたから」

 

 聞け、ぐずるな。恋敵として、婚約者のことは知っておかなければならない。

 

「どんな、人なの?」

「そうね。一人目は真面目で冷静、二人目は豪快で派手」

「正反対だ」

「そうね。共通しているのは、私を怖がっていることだけれど」

 

 え。

 顔に出ていたのか、ミラは「ふう」とため息。

 

「まあ、怖がられることに心当たりはあるけれど、それでもやっぱり気になるものよ」

 

 小林の箸が止まった。だってミラが、「はじめて」不機嫌そうな声を発しながら味噌汁を飲んでいたから。

 ――それにしても。

 ミラが恐れられている理由ってなんだろう。深く考える前に、林田はすぐに答えを導き出せてしまう。

 ひとつは、感情が読みにくいところ。とにかくミラは表情をつくらないものだから、婚約者としてもどう話していいか困りがちだっただろう。

 もうひとつは、その気になれば命を奪えてしまう一面。邪魔になる存在ならば、この人は自らの手でそれを殺せてしまうのだろう。現に自分も、その一人にされかけた。

 婚約者もハラハラしているに違いない。つまんない冗談を言ったら刺されるんじゃないか、気が利かないことをほざいたら抹殺されるかも。

 なるほど。ミラが怖がられるのもよくわかる。惚れている自分すら、それは分かってしま、 

 

「まあ、それでも二人のことは嫌いじゃないけどね」

「そ、そうなの?」

「おそるおそる話かけてくれたり、これまで何度も守ってくれたから」

 

 そう言うミラの口元は、くすりと緩んでいた。

 ――強靭な精神力を抱えているミラだけれども、やっぱり婚約者の感情には揺さぶられてしまうものなのか。そんなところも良い、嫉妬もしてしまうけれど。

 だから林田は、勢いでこんなことを口走った。

 

「俺は、ミラさんのこと、怖いとは思ってないよ」

「本当? 私はあなたを殺せるのに?」

「……怖くなんか、ないよ」

 

 強がる林田を前に、ミラは「そう」と静かに返事をした。

 

 ――それからミラは、フォークでパンケーキの一切れをそっと突き刺す。それをおそるおそる口に近付け、音もなく口の中に入れてじっくり味わいはじめ、

 

「おいしい」

 

 ミラが、こっそり微笑んでくれた。

 林田はもちろん、めちゃくちゃ喜んだ。

 

「おかわりもあるよ」

「……いいの?」

「もちろん」

「……もらうわ」

 

 これからは、必ずパンケーキを用意しようと思う。

 ミラのスマイルを見届けられたからか、今日はよく眠れそうだ。婚約者のことが、頭から離れてくれなかったけれど。

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