好きだったよ、ミラ   作:まなぶおじさん

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近界民の女③

 一月の最後の日は、どこまでも白い曇り空に覆われていた。

 真っ白く薄暗い翌朝。制服に着替え階段を降りてみれば、ミラがちょうど朝食を作り終えていた。

 

「おはよう」

「おはよう」

 

 メニューは白米に味噌汁、ホッケに漬物。

 林田はミラと共に、リビングにあるテーブルの傍に腰かける。同時に手を合わせ、いただきますと一礼して、そっと白米を食していく。

 いつもの流れだった。

 ずっと続いて欲しい風景だった。

 それでもミラは、元の世界に戻りたいと願っている。今日に至るまで、婚約者に向けて恋の情熱を向けていた。

 

 ――私のことは忘れて、あなたはこの世界で生きなさい

 

 そんなこと、できるわけないよ。

 自分が何を言おうが、どんな顔をしようが、ミラは表情を変えない。

 ひどいくらい、寂しかった。

 

 □

 

 通学路は寒いはずなのに、体はすこしも震えない。頭の中でずっと、ミラのことばかりを考えていたから。

 目は覚めているのに、まるで夢を見ているかのような感覚。

 あながち、的外れな表現ではないと思う。ミラは遠い遠い世界の住人でしかなくて、本当は触れあう事すら不可能に近いのだから。

 ――なにが「近い」だ。不可能なんだよ。

 いったいどうすればミラと結ばれるのか、どうやれば婚約者に並びたてるのか、自分の何が足りないんだ。そんなことばかり考えていたら、いつの間にか校門を潜り抜けていて、教室の引き戸を開けては自分の席に腰かけていた。

 

 まだ早いからか、教室には数人のクラスメートしかいない。

 両腕を机の上に置いて、うつむく。

 ふたたび、思考をじりっと回し始める。

 今日で一月も終わり。ミラと出会って半月ほどが経過していたが、何も起こることなく、何も起こることなく、無事に二月を迎えられそう。

 なのに、何やら悪寒めいたものを感じる。月を越えた瞬間に何か変化がやってくるんじゃないのか、もしかして迎えが来るのかも。

 何を馬鹿な。そんなことない、そんなことはないはず。世界を越えるには、沢山の準備が必要で――半月もあれば十分じゃねえのか――自分は、なんて無駄な時間を過ご、

 

「おはよー」

 

 体が震えてしまったと思う。

 

「あっごめん、驚かせちゃった?」

「いや大丈夫。おはよう、宇井さん」

 

 教室に入ったばかりなのだろう。右手に学生鞄がぶら下げられていた。

 そして宇井の口元が、にんまりと大きく曲がって、

 

「聞いてくださいよ。最近、超うまくいってるんです、ボーダー」

「! まことか」

「まことだ」

「そうかー!」

 

 ハイタッチを交わし、教室全体に軽やかな音が響き渡った。周囲からは「あいつら何かやってら」という目で見られる。

 今にしてようやく、意識が目を覚ました気がした。

 

「チーム全体も盛り上がってるし、いやホントよくなってます。やりましたわ~」

「でかした宇井さん」

「えへへ。いやはや、君がいなかったら一体ぜんたいどうなっていたことやら」

「そんな大げさな」

「大袈裟じゃないです真実です~」

「またまた」

「またまたまた」

 

 そして、林田と宇井はからからと笑いあった。

 ――思う、つくづく思う。

 宇井真登華という女の子がいなければ、今ごろはさぞ荒みきっていたに違いない。こうして真面目ぶってはいるが、根は単なる色ボケ野郎に過ぎないのだ。

 始めて抱いた恋心が上手く進展しないとなれば、そりゃあもう燻りもする。そんな中で、明るく気楽に接してくれる宇井の存在は本当に助かった。お礼とともに吉報を伝えられると、林田もついついほっこりしてしまう。

 

「いやホント、色々ありがとね。今度、何か奢っちゃうよ~」

 

 だからこそ、ボーダーである宇井には申し訳なさを抱いている。

 だって自分は、ボーダーの敵を匿っているのだ。

 しかもその敵は、宇井の住まいを破壊したという経歴もある。そんな仇敵を己が色恋でひた隠しにするなんて、本当に許されざる話だと思う。

 

「宇井さん」

「なあに?」

「本当におめでとう。これなら、猫と暮らすことも夢じゃないのかな?」

「えへへ~そだねえ」

「そうか」

 

 だからこそ林田は、心の底から言う。

 

「宇井さん」

「なに?」

 

 そして林田は、心の底から言った。

 

「――これからもどうか、幸せに生きていてほしい。もし困ったことがあったら、いつでも呼んでね」

 

 林田なりの、償いの言葉だった。

 嘘なんて、何一つとして口になどしていない。宇井からは数えきれないほどの癒しを提供してもらったのだから、体を張って応援し続けるのは当然といえる。

 一生、宇井には頭が上がらないだろう。それでもいいと、林田は思っている。

 

 そして宇井は、驚いたように目を丸くさせながら、己が左手を口元に添えていた。

 

「……あ、あれ。もしかして、失礼なことでも……」

 

 宇井が、頭をぶんぶん振るう。

 

「いやいや、いやいやいや、そんなことないない」

「そ、そう……」

「むしろ、そこまでしてもらうのは申し訳ないっていうか……今度は私が、林田君に何かしたいっていうか」

 

 それはいけない。償いでなくなってしまう。

 

「宇井さんは何もしなくても……ああいや、強いて言うならこれからも話ぐらいはして欲しいかな? 宇井さんと話すのって、本当に楽しいから」

「え、えっ? マジ?」

「ま、マジ」

 

 マジである。宇井の人柄もあってか、宇井が相手となると口がよく回るのだ。

 猫談議や恋愛漫画についての語り合いは、本当に良い気分転換になってくれた。良くも悪くも、想い人の前となると言葉を厳選してしまう。

 

「……そっか~」

 

 林田の言い分を受け入れてくれたのか、宇井との間に静寂が訪れる。

 宇井は何かを考えているのか、口に手を当てながら無言で何かを考えはじめた。明らかに手を出してはいけない空気になって、林田はつい体を力ませてしまう。

 

「林田君」

「は、はい」

「じゃあこれからも、沢山お話をしましょうか~」

「あ、ああ。そうだな、頼む」

 

 宇井は、うんうんとうなずいて、

 

「あのさ、もし失言とか口にしちゃったら、遠慮なく言ってね?」

「そんな。宇井さんに限って、それはない」

「いやあ、あるよ。よくあるから」

「……わかった」

 

 そして宇井は、なんでもない様子で携帯を前に出し、

 

「あと、これ連絡先」

「ほう……え!? 連絡先っすか!? いいの!?」

「え~当たり前だよ~。それに言ってくれたじゃない、いつでも呼んでって」

「まあそれはそうなんですが」

 

 心臓が跳ね上がりそうだった。女の子から連絡先をいただくなんて、初めてのことだったから。

 本当にプライバシーの一片を受け取ってもいいのかと、目で話しかける。

 

 宇井真登華は、にっこりと返した。

 観念するほかなかった。

 

 確かに自分は、宇井の夢を応援すると誓ったのだ。受け入れるしかない。

 

「わかった。じゃあ俺も――」

 

 連絡先を交換しあうと同時に、チャイムが鳴った。

 教室がざわつきはじめる、宇井が「こんな時間か~」とつぶやく。

 

「それじゃ、またお昼に会いましょ~」

 

 おどけるように言いながら、宇井が手をひらひら振って退散していく。林田も、ばいばいと返した。

 机の上に、数学の教科書とノートを広げる。

 朝に抱いていたはずの脱力感は、今となってはすっかり霧散していた。それもこれも、宇井のお陰だ。

 ちらりと、宇井の方を見る。

 すると、宇井と目が合った。それもピースサインつき。

 なんだか可笑しい気持ちになってしまって、林田もひっそりと親指を立てていた。

 

 □

 

 放課後。ホームルームが終わると同時に、林田は席から立ち上がる。一刻も早く、あの人に会いたいから。

 窓から空を見る。そこにはうっすらと暗い冬空が映っているだけで、近界民の気配なんてまるで感じられない。そのことに胸をなでおろしていると、窓際の席から宇井が近づいてきていて、

 

「おつかれー林田君」

「ああ、お疲れ。今日はボーダー活動とか、あるの?」

「あるのよ~」

「そうか。ほんと、いつもお疲れさん」

「ども~」

 

 ほんとう、よくボーダーを続けられるなあと感心する。

 日常と戦いを行ったり来たりして、よく精神が持ちこたえられるものだ。落ちた身で言うのものなんだが、自分だったら安寧の日常を歩むことしか出来ないと思う。

 だって怖いじゃないか、死ぬかもしれない実戦に備えるだなんて。

 なのに宇井は、楠木葵は、間宮佳三は、今日も明日も三門市を守るために日々ボーダーとして戦い続けている。

 すごいものだった。尊敬すら覚えていた。

 

「じゃあ、俺は先に帰るよ」

「……それなんだけどさ」

「え、何?」

 

 そのとき、宇井に躊躇が芽生えた。

 珍しいな、と思う。宇井は、言いたいことははっきり口にするタイプだから。

 それから宇井は、口元に手を当てながら小さく唸る。どうしたらいいものか、林田は本気で考えはじめて――待つことにした。

 

「……あのさ~」

「ああ」

「よかったらさ~……」

「おお」

 

 宇井は、どこかぎこちなく微笑んで、

 

「ボーダーまで、一緒に歩かない? なんて……」

 

 放課後になると、教室は例外なく賑やかになる。街に出ようと提案するクラスメートが現れたり、引き続き雑談に興じる女子グループがいたり、時には彼氏と彼女が家デートを持ち掛けることもある。

 そして林田と宇井の間は、嘘みたいに静かだった。

 冗談など一切口にしてはならない。はっきりとした返事を言わなければならない瞬間。そんな中で、林田は、

 

「それくらいならいいぜ」

 

 もちろん、快諾した。

 そんな林田に対して、宇井は口元をにやりと曲げ、

 

「おお~ありがとう~。いやあ、君ともっとお話しとかしたくてさ~」

「そうなん? でも俺、トークスキルが特別優れているわけじゃないしなあ」

「気は合ってるでしょ?」

「合ってる」

 

 そう返答してみせた時、林田はとても珍しい光景を目にした。

 宇井が、ほっと胸をなでおろしていたのだ。

 

「……宇井さん?」

「お、おお~なんでもないよ~。ささ、行きましょうぞ」

「おお、行くべ行くべ」

 

 こうして林田と宇井は、ボーダー本部まで足を進んでいく。

 ――帰りは遅くなるけれど、宇井からの誘いとあれば断れるはずがない。宇井との対話は、良い感じに気晴らしになってくれるし。

 願わくば、こんな日常が繰り返されますように。

 

 □

 

 宇井と雑談を交わしあって数分後。暗く染まってきた空から、雪がそっと降ってきた。

 林田と宇井は「おお」と声に出すが、それだけだ。雪なんてとっくに見慣れてしまっている。

 それよりも目につくのは、ビルよりも高くそびえるボーダー本部だ。まだ数メートルほど離れているはずなのに、その外観ははっきりとよく見える。

 ボーダー本部なんて試験を受けて以来、まるで縁がなかった。

 けれどあの人と出会ってから、今まで以上にボーダーの存在を強く意識するようになった。

 

「もう少しで着くね~、なんだか早く感じるわ~」

「そだなあ。にしてもでっけえなあ本部」

「だよね~。ほんと、いくらかかってるのかしら」

「わかんねえ……今度聞いてみて」

「おっけ~」

 

 宇井と触れあい始めて、何をやっているんだろうと薄々気にもなったりした。

 ――ボーダー本部に近づくたび、体の内から緊張感が湧いて出てくる。

 壁のようにそびえるボーダー本部は、自分の秘密などとっくの昔に暴いてしまっているのでは。

 そんなはずはない。あの人が敵に見つかるだなんて、そんな失敗をするはずが。

 ボーダーほどの巨大組織となると、泳がせだのオトリだのは得意なのでは。

 敵の幹部を遊ばせる理由があるものか。あの人のことだから、気配を察するのは得意であるはずだ。

 いやしかし、

 

「あ」

 

 混濁する林田の意識に、宇井の声が差し込まれた。

 たまらず体が震えてしまったが、上着のお陰で宇井にはバレていないようだ。

 

「ど、どしたの、宇井さん」

 

 宇井の視線を追ってみれば、向こう側から若い男女が歩み寄ってきていた。腕を組みながら。

 

「ああ、なるほど」

 

 つまるところが、カップルだった。

 心の底から羨ましくも思うが、とくべつ印象に残るわけでもない。三門市の街中にハシゴしてみれば、カップルなんてよく見受けられる。

 改めて、宇井に顔を向けてみる。

 ――宇井は両足を止めてまで、ぼうっとカップルを見つめていた。

 

「……宇井さん?」

「あっ。な、なにかな~?」

「どうしたの? 何かあった?」

「い、いやあ、なんでもないよ。ただちょっと、気になっただけ。恋愛漫画の影響かな?」

「ほお」

 

 何事もなく、カップルとすれ違っていく。

 さて、

 一歩ごと進むたびに、ボーダーが大きく見えてくる。どうか連行されたりしないことを、心から祈るばかりだ。

 そうこうしている内に、林田はとある違和感を覚える。

 先ほどから、宇井が沈黙を貫いているのだ。

 一体どうしたのだろうかと、林田はおそるおそる宇井の方を見て、

 

「あっ」

「あ、」

 

 目と目と、声と声が重なった。

 宇井をよく見てみる。宇井の手の平が、林田の左手めがけそっと伸びているような――そんなわけあるか。恋人じゃあるまいし。

 事実、宇井の手はひょいっと引っ込んでしまった。

 

「いやほら、なんでもないから、なんでも」

「そ、そお」

 

 ――手くらい、つないでみようかしら

 じわりとフラッシュバックする。変な顔つきにならないよう、ごまかすように自分の頭をはたいた。

 

「ど、どうしたの?」

「い、いやあ、雪を払ってた」

「あ~、そっかそっか。いやあ、はやく春にならないかしらね~」

「なー、早くこないかなあ春。好きな季節なんだよね」

「おっわかるー。あったかいもんね」

「ね。あと、この季節に読む恋愛モノは格別でなぁ」

「あー、わかるわかる。やったことないけどわかる」

「今度やってみなさい、何なら春を題材にした恋愛漫画も教えるから」

「助かるっす!」

 

 林田と宇井が、感情丸出しで笑いあう。

 やっぱりこの人と一緒にいると、どこまでも気が楽になれる。色恋を抜きにするのも、時には必要だ。

 

「あ――」

 

 宇井が、急に足を止める。

 なんだろうと思えば、既にボーダー本部の付近にまで近づいていた。やはり、楽しい時間という奴はすぐに過ぎていく。

 

「じゃあ、俺はこのへんで」

「そう、だね~」

 

 宇井が、どこか気まずそうに微笑む。どういうことだろうと推測しようとして、

 

「ねえ、林田君」

「なに?」

「その……近界民には気をつけてね」

 

 心臓から音が鳴った。

 

「もし近界民が侵略してきたら、全力で逃げて。捕まらないように、気を付けてね」

「あ、ああ、わかってる」

 

 捕まらないで。その警告は、今の林田にはよく突き刺さる。

 だって自分は、悪魔に魅入られた最低の男だから。

 

「それじゃあ、またね」

「ああ」

 

 手を振り、そのまま背を向け、

 

「ねえ」

 

 声をかけられ、立ち止まる。

 

「なに?」

「……その」

 

 ボーダー本部の照明に薄く照らされる中、宇井は口元に手を添えながら、わずかにうつむき続けている。

 何か、言いたいことでもあるのだろうか。

 自分には、待つことしかできない。

 ――暗くなった夜空の下、雪に振られながらで宇井はそうっと顔を上げる。

 

「また、会おうね」

「ああ」

 

 宇井は、にこりと笑い、

 

「――恋太郎」

 

 ――、

 

「……また、お喋りしよう。真登華」

「……うん」

 

 それから言葉を交わすことなく、恋太郎と真登華は別れていった。

 

 □

 

「ただいま」

「おかえりなさい」

 

 遅くに帰宅したからか、リビングのテーブルの上には夕飯が用意されていた。今日のメニューは牛丼に味噌汁、それと漬物。

 ミラは、それを食べながら恋愛映画を試聴していた。タイトルは「グランド・フィナーレ」、出会いから結婚式までに至る話。

 ミラは表情を変えないまま、映画の行く末を真剣に見届けている。それを横目で見つめながら、林田も映画に視線を向けていた。

 ――結婚、か。誰と、添い遂げるのだろう。

 寡黙な婚約者か、派手な方か、もしかしたらもしかすると自分かも――味噌汁を飲み、あったまってきた頭を仕切り直す。

 

 そして数十分後、結婚式をラストに幕が閉じられる。笑いあり、ケンカあり、挫折あり、抱きしめあってキスありの大長編だが、いつ見ても充実感に浸れる映画だ。

 いいものはいい、うん。

 満足気な気持ちに至って、林田はミラの方に首を向ける。ミラは、「いいわね」とつぶやいていた。

 

「いい映画だったでしょ」

「ええ」

 

 ミラは、すっかり冷えてしまった味噌汁をそっと口につけて、

 

「……私も、あんなふうに結婚したい」

 

 その言葉に抗う術など、恋太郎が持ち合わせているはずがない。

 表情を変えまいと、恋太郎は必死に歯を食いしばる。嫉妬心なんてミラに見られたら、あまりにも惨めすぎて死んでしまうだろうから。

 恋太郎は、なるべく音を立てずに深呼吸する。ミラの目をはっきりと見つめながら、恋太郎はあえて問う。

 

「どんな暮らしがしてみたい?」

「そうね。……穏やかな暮らしがしてみたい、争いとは無縁の」

「そうか」

 

 それが、ミラの本音なのだろう。

 けれどミラは、婚約者の為なら戦地にまで赴き、婚約者の名誉を守る為に必ず生き残ろうとするのだろう。時には、敵に頭を下げてまで。

 それは間違いなく、愛そのものだった。

 それにとやかく口を挟むよな奴なんて、馬に蹴られて死ぬべきなのだ。

 恋愛ドラマ大好きな恋太郎だからこそ、そんなことは痛いほどわかっていた。

 

「ミラ」

「なに?」

「……幸せになってね」

 

 ミラは、表情を変えないまま、

 

「ええ」

 

 やがて、ミラが食器を洗い始める。恋太郎はそれを無言で眺め、しばらくして風呂に入って部屋に戻り、宿題を片付けた後に布団をかぶった。

 

 □

 

 世界がぴくりと震えると同時に、恋太郎は目を覚ます。

 次の瞬間、地響きめいた衝撃が部屋全体を覆いこみ、恋太郎は声にならない声を上げながらベッドにしがみつく。ベッドから落ちたら死ぬんじゃないかと思う、「来た」と確信する。

 徐々に揺れが止まっていく、完全に収まるまで恋太郎は動かない。それから数秒後、世界はそうっと静まり返り、恋太郎は体を無理やり奮い立たせ部屋から飛び出す。

 家の電気が点いている、一階から気配が感じられる。恋太郎は走り、階段で転倒しそうになるも必死にバランスを整え、玄関前に躍り出て、

 

「ミラさんッ!」

 

 恋太郎は見た。足音も立てず、出入り口まで歩んでいるミラの背中を。

 

「世話になったわ」

 

 黒い服に着替えていたミラが、振り向きもせずに言う。

 

「本当に、行ってしまうの?」

「ええ」

「そう、か。そうなんだ」

「契約は守るわ」

「わかった」

 

 自分とミラとは、そもそも住む世界が違う、本来は敵同士でしかない、それに婚約者だって居る。

 そんなミラと結ばれるだなんて、夢物語にも程があるのだ。だからこのままお別れして、綺麗さっぱりミラのことなんて忘れ、元の日常に戻って新たな恋でも探せばいい。

 それが、己が人生における真っ当な選択だ。近界民からも身柄まで保証されている、万々歳じゃないか。

 これでいいじゃないか。

 これで、

 

「ミラさん!」

 

 一歩、前に進んでいた。

 

「お願いします、俺も連れて行ってください!」

 

 ミラは振り向かない。

 

「言ったでしょう。あなたが私の世界に来たら、ただただ痛めつけられるだけだって」

「――そ、それでもかまわない。そんなの耐えてみせるからッ!」

「悪あがきはやめなさい」

「そ、それでもっ」

「あなたとの交流はこれでおしまいよ。あなたなら、この世界で話し相手ぐらいは見つけられるでしょう」

「……あなたは、ただの話し相手じゃない」

「何」

 

 恋太郎は、叫んだ。

 

「好きなんだ、ミラさんのことがッ!」

 

 ミラは振り向いた。驚いたように、目を丸くさせながら。

 そんな顔を見るのは、はじめてだった。

 

「出会った時から、君のことを美しいって思っていた」

「……そう」

「君のいない世界なんて、耐えられない。だから俺は近界民に手を貸す、この世界の敵になってやるッ!」

「あなたに出来ることは、なにも無いわ」

「俺には何をしてもいい、痛めつけられてもいい! でもいつか、必ず、俺はミラさんの婚約者になってみせるからっ」

 

 つまらない嘘ばかりついていた。

 痛みつけられるなんて、そんなの怖い。自分の身が好き勝手にやられるなんて、あまりに恐ろしすぎる。

 ――婚約者に勝てる気なんて、全くない。

 

「ミラさん」

 

 それでも俺は、ミラに手を伸ばす。だって、好きだから。

 それを見たミラは、そっと、俺に歩み寄ってくる。香りが、感覚をくすぐりはじめる。

 

「ハヤシダ」

 

 名前をぽつりと呟かれ、俺はそっと笑って、

 

「あなたは、この世界で幸せになりなさい」

 

 後ろに回り込まれていた。

 その事実に気づいた瞬間、首筋に重たい刺激が鋭く伝わってきて、俺はすとんと意識を失った。

 

 □

 

 雪が降り続ける深夜の三門市は、近界民とボーダーが争う戦場と化していた。

 そこかしこで銃声と轟音が響き、剣筋が闇の中で閃く。屍と化したトリオン兵を横目に、沢山の一般人が避難シェルターへと駆ける。

 勢いはボーダーの方が上だが、数は近界民が圧倒的に有利だ。バムスター、モールモッド、バド、アイドラといったトリオン兵が「派手に」散開しているお陰で、ボーダー側は忙しなく対処に追われている。

 一部のボーダーは、「あの女を回収しに来たのでは」と察したが、女の姿が見えないのではどうしようもない。

 

 そして、その女――ミラは、市街地へと走っていた。監視カメラを、無表情でかわしながら。

 どこかで銃声が反響するが、ミラは動揺することなく市街地の中へ突っ切っていく。残骸と化したバムスターを通り抜け、ボーダー隊をやりすごし、待ち合わせスポットである猫の像を通り過ぎて、市街地の真ん中で女は突っ立つ。

 見上げれば、光の輪が目立つ飛行型トリオン兵、バドの姿がある。

 バドはじいっとミラのことを見つめ、ミラもバドを見返す。そうして数秒ほどが経った頃、遠くからミラへ駆けていく人影が一つ。ミラめがけ、空から落下してくる大柄な人影が一つ。

 変わらず戦闘音が反響し続ける雪の街で、角の生えた三人が一同に会する。

 

「すまない、遅れてしまった。無事だったか、怪我は?」

「大丈夫、問題ありません。詳しいことは後にしましょう」

「おう、そうだな。じゃあ、今日のところはとっとと帰るかッ!」

 

 角が生えた男――ハイレインは、黒く染まった手鏡をミラへ返す。

 ミラは無表情のままそれを受け取り、懐かしむような手つきで黒い手鏡を覗う。

 ――そして、ミラは手鏡の引き金を引いた。

 

「窓の影、再起動」

 

 数週間ぶりに、ミラがトリオン体へ換装する。この瞬間からミラは、近界民に戻った。

 

 □

 

 三門市もそうだが、ボーダー本部も泣きそうになるくらい忙しかった。

 何せ、敵が本部へ侵入してきたのだ。敵は少数精鋭(ガロプラ)で、A級ボーダーすら手を焼くほどの実力者揃い。もはや外も中も戦場だった。

 そんな中でオペレーターの一人が、「あの女」を発見したと大声で報告する。場所は市街地の真ん中、オペレーターが捕縛せよと命令しようとした瞬間、「動物男」が女に駆け寄ってきて、更に「爆撃男」が女の傍に着地し、間髪入れず女からトリオン反応が検知される。トリガー反応のログから察するに、黒トリガーが発動したらしい。

 いよいよもって、ボーダー本部は泣きそうになるくらい忙しくなっていった。

 

 □

 

 数十分後。ミラがアフトクラトルの船に帰還したとの報告を受けて、ヴィザも早急に船へ戻る。後のことはガロプラに任せれば良い。

 艦内に戻ってみれば、ハイレインとランバネイン、そしてミラが席についていた。「いつもの」メンバーを目にして、ヴィザはほっと微笑む。

 

「よくぞご無事で」

「ええ。助けてくれてありがとう、感謝します」

 

 そしてミラは、間髪入れず、

 

「隊長に渡した泥の王はどうなりました?」

「それなら、我が領土にしっかり保管してある。お前のおかげで、泥の王は敵に奪われずに済んだ」

「そうですか。それはよかった」

 

 ヴィザは、以前の侵攻について思い起こす。

 ミラの重要性に気づいた敵勢力は、とにかくミラを潰さんと全力で食ってかかってきた。その時には既に負けが込んでいた状況だったから、ハイレインは指定されたメンバー全員に帰還を命じた――が、寸前のところでミラは間に合いそうになかった。身を守り続けるがあまり、ワープを行う為のトリオンが切れていたのだ。

 そこでミラは、「回収」しておいた泥の王と窓の影をハイレインめがけ躊躇なく投げてよこし、真顔のまま「ご武運を」とまで言いのけてみせた。

 あの時に見せたハイレインの顔を、ヴィザは未だに忘れられない。

 これでも長生きしてきたつもりだが、ミラほど尽くす者は他に思いつかなかった。

 どうしてハイレインとランバネインがミラのことを内心怖がっているのか、よく分かった気がしたものだ。

 

「一つ、質問してもいいですか?」

「なんだ」

「私を救出してくださったことは、本当に感謝しています。ですが、この戦力はすこし過剰気味ではないでしょうか。ガロプラまで使役して、貸しを作ってしまうのでは?」

「問題ない。お前の救出はもちろん、ガロプラには他にやってもらう仕事があったからな」

「そうですか」

 

 ハイレインが淡々と告げ――そこでランバネインが、「待った」と一声かける。

 

「一つ、報告させてくれ」

「何?」

「……俺はガロプラの連中に『最優先でミラを助けて欲しい、今後の処遇も考える』としっかり頼んだ。だから、お前がこの件を気にする必要はない」

 

 ミラは、「まあ」と微笑む。

 

「どうして、そこまで?」

「そりゃあ……まあ、婚約者だからな」

「そう」

 

 柔らかい声色だった。ランバネインは、子供のように笑う。

 

「待て」

 

 そこで、ハイレインの声が重く響く。

 一同の視線が、ハイレインに向いた。

 

「ランバネイン、一つ訂正させろ」

「何だ?」

 

 ランバネインの表情は未だ明るい。まるで、ハイレインの腹の内を読んでいるかのように。

 

「それは、俺が先に言った」

 

 間。

 先ず最初に吹いたのは、ヴィザだった。ハイレインといえば冷静沈着の野心家というイメージだが、やはりオトコ心には抗えないということか。

 ミラも、口元に手を当てながらで微笑している。ランバネインに至っては、どっかんどっかんと笑っていた。

 

「そうだったそうだった。いやすまない、隊長」

「別にいい」

 

 ハイレインとランバネインの争いを見ていたら、なんだか自分も混ざりたくなってきた。

 ヴィザは、心の中でにたりと笑いながら、

 

「ミラ殿。このお二人は、あなたのことをたいそう心配しておられましてな」

 

 ミラが、興味ありげにヴィザを見る。

 

「ミラ殿の救出を行うために、まずはイルガーの使用を禁止しました。ミラ殿を巻き込まないための措置ですな」

「あら」

 

 その時、ハイレインがヴィザのことを無表情で睨みつける。しかしヴィザは止まらない。

 

「それと、雷の羽を使用する際はくれぐれも狙撃モードのみで扱うようにと、ハイレイン殿が真っ先に厳命しておりました」

「……余計なことを言うな」

「申し訳ありません。重要な要件であると思いまして」

 

 ランバネインがわははと笑う、ミラがちらりとハイレインを見つめる。

 

「そうでしたか。道理で爆発音が聞こえなかったわけです」

「……ミラを巻き込んだら、色々と面倒なことになるからな」

「そうですね」

 

 ハイレインの建前など気にもせず、ミラは楽しそうに口元を曲げていた。

 

「隊長、ランバネイン、ヴィザ翁。今回は本当に感謝しています、家の者にも報告します」

「わかった」

「ま、お前が無事で何よりだ」

 

 話にひと段落がついて、一同が肩の力を抜き始める。帰った後も色々と忙しくなるだろうが、せめて今だけは。

 ひと眠りしようかなと、ヴィザが思いかけた時、

 

「隊長」

「なんだ」

「ひとつ、わがままを言っても良いでしょうか?」

 

 ぼんやりとしかかっていた意識が、再び硬直化する。ミラにしては珍しい物言いだ。

 ハイレインとランバネインも、無言でミラの素振りを覗っていた。

 

「まず、この写真を見てください」

 

 ミラが、ポケットから一枚の写真を取り出す。海を背景に、ピースサインをしている水着姿の青年が一人、その左右には父と母らしき人物が映っていた。

 ハイレインが、目で「誰だ」と質問する。

 

「この青年ですが、敵である私のことを善意で匿ってくれました」

「ほう!」

 

 ランバネインが腕を組みながら、青年のことをまじまじと見つめる。

 ハイレインは無表情のまま、「それで?」と促す。

 

「快適な環境を提供してくれたばかりか、玄界の文化や料理を教えてくれました」

 

 そう言って、ミラが数枚のメモを取り出す。アフトクラトルの言語で書かれたそれには、「カレー」なる料理の調理法が書かれていた。

 なるほど。ミラが言っていることは事実らしい。

 しかし、その青年とやらは近界民の事を知らなかったのだろうか。或いは、「我々」の存在は隠ぺいされているのかも。

 ――何にせよ、その青年のお陰でミラは生き延びれたというわけだ。ヴィザは、心の中で感謝する。

 

「彼は、とてもいいひとでした」

 

 ハイレインもランバネインも、口を挟まない。

 

「ですから、彼の一族には手を出さないで欲しいのです。彼とも、そう約束しました」

「……そうか」

 

 ハイレインは、そっとうつむく。

 玄界の住人に例外的な処置を施しても良いものか、真面目に考えているのだろう。

 

「ミラが約束したのなら、俺もそれに賛同しよう」

 

 ミラが、ランバネインに目をやる。

 

「匿うことだって簡単じゃないだろうに、そいつは見事やってのけてくれた。同じ男として、賞賛を送りたい」

 

 ランバネインが言い切る。

 口には出さないが、ヴィザもランバネインの言い分には同意していた。恩を仇で返すなど、武人としての名がすたるというものだ。

 あとは、当主の決定を待つのみ。

 ミラは、ランバネインは、ヴィザは、無表情でハイレインの出方を待っている。

 

「……わかった」

 

 ハイレインが、皆を見る。

 

「ミラの言う通りにしよう」

 

 ランバネインが、ふっと笑う。

 

「ほかでもないミラの命を救ったのだ。候補にならない限りは、手を出さないことを誓おう」

「そうですな、それが妥当でありましょう」

 

 ヴィザの言葉を機に、艦内の空気が緩和していく。ヴィザの内心も、ほっとしていた。

 そして肝心のミラはといえば、深く両肩で息をして、胸に手を当てはじめ、ゆっくり、ゆっくりと、ハイレインとランバネインへ視線をやって、

 

「ありがとうございます」

 

 ミラが、顔いっぱいの笑顔を咲かせていた

 

 そんなミラを前に、ハイレインは、ランバネインは、ヴィザは、もはやどうすることもできない。

 ヴィザの男心がつい揺れはじめ――持ち前の精神力でなんとか食いしばる。相手は上官の婚約者なのだ、やましい目で見てはいけない。

 

「あ――や――その」

 

 ランバネインの顔は、完全に真っ赤に染まりきっていた。すっかり見惚れてしまっているのか、言葉がおぼつかない。

 ハイレインはといえば、相変わらずの無表情を貫いていた。まあ、呼吸は止まっていたのだが。

 

「……こりゃあ、あれだな」

 

 未だ顔を赤くしながら、ランバネインが照れ隠しに頭を掻く。

 

「男として、いよいよ負けていられませんな。なあ、兄者?」

 

 ランバネインが、嬉しそうな顔をしてハイレインの方を見る。

 ――顔をそっぽ向かせているハイレインは、実に苦しそうな声で、

 

「……うるさい」

 

 そんなハイレインを見つめているミラは、とても楽しそうな顔をしている。

 

 □

 

 真っ暗だった。

 地に足はついているから、きっとあの世ではないのだと思う。けれど左右を見渡してみても、ひたすら黒のみが見えるだけだ。

 どうしよう、無暗に歩き回ってもいいんだろうか。

 恋太郎は、両腕を組んでうんうんと唸りはじめ、

 

『ハヤシダ』

 

 後ろから、聞き慣れた女の声が聞こえてきた。

 考える前に振り向くと、そこにはミラの姿が闇の中ではっきりと映っていた。

 ――恋太郎の口元が、思わず曲がる。

 

『ミラさん! 戻ってきてくれたの!?』

『ええ。あなたは、見込みがある男だと思ったから』

 

 相変わらずの無表情で、さらりと大事なことを告げてくる。

 そんないつものミラが、とても愛おしい。

 

『ほ、本当なのかい?』

『ええ。あなたの頑張り次第では、三人目の婚約者として見るかもしれない』

『! そうか……お、俺、頑張るよ、やるよッ!』

『そう言ってくれると思ったわ』

 

 ミラが、闇の奥を指さす。

 

『ここを歩けば、私の世界に辿り着けるわ』

『本当に?』

『ええ。ただし、この先を進めば二度とあなたの世界には戻れない』

『行くよ』

 

 食い気味だった。

 

『俺は、ミラさんの傍にいる』

『……そう』

 

 恋太郎の言葉に対して、ミラはふっと笑った。笑ってくれた。

 

『じゃあ、行きましょう』

『……はい!』

 

 ミラが背を向け、闇に向かって歩き始める。

 恋太郎も、ミラについていこうとして、

 

 ――お知らせします。近界民はボーダー隊によって完全に撃退されました。繰り返します、近界民はボーダー隊によって完全に撃退されました

 

 拡声器を通したような大声が、闇の中で大きく反響する。恋太郎が戸惑うなか、ミラは構わず闇の中に消えていく。

 

「ま、待って!」

 

 ――避難された市民の皆様は、どうかお気をつけて帰路についてください

 

 追おうとした瞬間、真上から白い光が覆いかぶさってきた。

 これはいったいなんだ。自分はミラさんについていかなければならないのに。

 恋太郎は、ミラめがけ手を伸ばし、

 

 □

 

 恋太郎の手は、白い天井めがけぼうっと伸びきっていた。

 

 跳ねるように身を起こす。見渡してみれば、ここは家のリビング。先ほどまでソファで横になっていたらしく、茶色の毛布が下半身にかけられていた。

 時計を見れば、午前1時くらい。

 遠くから、ボーダー本部からの避難解除宣言が重く響いてくる。

 テーブルの上には、恋愛ドラマのDVDパッケージがぽつんと置かれている。

 家の中から、人の気配などまるで感じられない。

 

 夢が、終わってしまった。

 

 力なくソファから立ち上がる。今にして思うと、あの人はわざわざソファにまで運んでくれたのだろうか。

 ほんとう、律儀な人だ。

 はあ。

 あの人は、無事に帰ることが出来ただろうか。

 婚約者から、温かく出迎えられますように。

 ――二度と会えない事実が、ひどくひどく悲しい。

 

 寝よう。

 途方もない脱力感を引きずりながら、恋太郎は二階にある部屋までのろりと戻っていく。階段の一段一段が重い。静かすぎて、とても寂しい。

 部屋のドアをゆっくりと開ける。真っ暗な部屋の中に入り、そのまま布団に倒れようとして、机の上にある携帯から軽やかな音が鳴る。

 あれ、

 眠たげな目を携帯に向ける。画面に明かりが点いた携帯を、ゆっくりと手に取ってみれば、

 

 真登華>大丈夫? 怪我してない?

 

 メッセージアプリに表示された名前を見て、恋太郎の意識に火が付く。

 とても忙しい状況だろうに、時間を割いてまで自分の心配をしてくれたのか。自分は大慌てで返信をする。

 

 恋太郎>大丈夫、生きてるよ

 

 つづけて、恋太郎はこう発言した。

 

 恋太郎>活動お疲れ様。近界民をやっつけてくれて、本当にありがとう

 

 我ながら、うすら寒いメッセージをよこしたと思う。

 色恋を理由に、近界民の味方になろうとしたくせに。

 ――そして、「入力中……」のテキストが流れ始める。真登華はずっと、画面を見てくれている。

 

 真登華>どういたしまして! これもお仕事ですからVV じゃあ明日、また学校で会おうね~、おやすみなさい

 恋太郎>お疲れ様でした。おやすみなさい

 

 携帯を閉じる。暗い部屋の中で、恋太郎は大きく息を吐く。

 何もかも失ったと思い込んでいた。けれども嘘みたいなタイミングで、宇井真登華という話し相手が自分の身を心配してくれた。

 ほんとう、自分にはもったいないぐらいの話し相手だと思う。

 三門市を裏切った身でありながら、自分は今もこうして恵まれてしまっている。

 

 改めて、宇井からのメッセージを見つめる。

 宇井は三門市の為に、今日も戦ってくれた。そんな宇井を欺き続けてきた自分なんて、それはもう酷いという他ない。

 せめてこれから出来ることはといえば、三門市への罪滅ぼしだろう。

 そうだよな、うん。

 携帯をポケットにしまいこみ、部屋の電気をつけては私服に着替え、上着を羽織り、急いで家から出た。

 もしかしたら、人命救助の手伝いが出来るかもしれないから。

 

 □

 

 数時間後。手伝いを終えた恋太郎は、家の鍵をそっと開け、玄関に立って、ぽつりと、

 

「ただいま」

 

 、

 

「……ただいま」

 

 




次回、最終回です。
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