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「それじゃ。今日もありがとね、清隆」
「あぁ、気をつけて帰れよ」
玄関で帰る恵を見送ると、扉を閉め、机の上に広がった教材を片付ける。
最近恵はオレの部屋に来ることが多い。加えて先日の特別試験で思うところがあったのだろうか、勤勉に勉強に取り組む姿勢が見られた。いい変化だ。
風呂や歯磨きをすませてベッドに横になる。
季節は秋に入りかけており、夜は一気に冷え込み少し肌寒い。朝起きたときに感じる温もりが恋しく感じられる。電気を消し、なんの面白みもない天井を見つめてから、目を閉じる。
佐倉愛里を退学させる。それがあの時点、あの瞬間での最適解だ。何度考えてもそれは変わらない。
だが、茶柱や長谷部の話を聞いてオレは思ってしまっている。もし佐倉愛里を退学させない、そんな選択肢があったとしたら。
『いいや…一人、最後までその生徒の退学に反対を続けたからな。その反対の一票を投じ続けたのは、他でもないこの私だ』
『大丈夫、大丈夫だからね愛里。私が絶対に反対に投票し続ける。他の誰が賛成に回ったって───!』
茶柱にとって、長谷部にとって、彼ら彼女らはかけがえのない大切な存在であった。もし仮に今のオレがその立場、親友や恋人が退学するはめになったとして。一切の迷いなく彼らを切り捨てることが出来るのだろうか、あるいは。
いや、やめておこう。こんな仮定にはなんの意味もない。薄れゆく朦朧な意識の中、そう思った。
ジリリリ、というけたたましい目覚まし時計の音で目が覚める。未だはっきりしない意識の中、それを消そうと手を伸ばし叩いた。
バキッ。
「あ」
やってしまった。お気に入りの時計だったのだが、まぁ仕方がない。
時刻はまだ午前二時を回った丑三つ時だ。セットする時間を間違えたのだろうか。しかしそんなことはどうでもよくなるくらいの激しい眠気に誘われ、オレは身を委ねた。
どれくらい寝ただろうか、小鳥のさえずりで目が覚める。カーテンの隙間から差し込む陽の光は、いつもより少し明るい。バッ、と飛び起きて時刻を確認する。
まずい、始業のチャイムまで15分しかない。
ただでさえオレは今クラスで浮いているのに、遅刻したとあれば何を言われるかわかったものではない。隣人からも小言を言われることだろう。
ふと、部屋の様子に違和感を感じたが今は気にしている余裕はない。鏡を見ながら寝癖をある程度整え、素早く制服に着替える。荷物を確認し、急いで靴を履き玄関を飛び出した。
開いた先には、男が1人立っていた。オレと同じく寝坊したのだろう。息は荒く、余程急いで出てきたに違いない。
「おし、やっと用意できたな清隆!起こしても全然起きないから焦ったぞ」
見たことがない顔だった。顔立ちは整っており、寝起きにもかかわらず目は輝いている。だが、ヨレヨレの制服と直しきれていないアホ毛のせいで、なんとも言えない。
何故だろうか。一度も会ったことがないはずなのに懐かしさを感じるのは。それは決してホワイトルームのような無機質なものではなく、どこか胸が暖かくなるようなそんな感覚。
なんだ、これは。
「なにボケっとしてんだ。時間がない、早く行くぞ」
「あ、あぁ」
しかし一年半も同じ場所で生活してきて一度も見たことがないなんて有り得るだろうか。
疑問に思いつつもオレは彼の勢いに流され、そのままエレベーターのある方へと歩こうとするのを彼が止める。
「待て待て、コッチの方が断然早い」
そういうと、転落防止のために高く設計されている手すりの柵を飛び越えた。慌てて駆け寄ると壁のくぼみや手すりを利用して器用に下へと降りていく。そうこうしているうちに、あっという間に地面へと降り立った。
「ほら、急げ!お前も早く来いよ」
そんな当たり前のように言われても困る。しかし確かにエレベーターを使うのは時間ロスだし、こうして考える時間も惜しまれる。仕方なく同じように柵を飛び越えると、柱に片手で飛びつき、そこから降りていく。
ロックライミングという競技は奥が深い。極めれば数cmのくぼみや出っ張りさえあれば、全体重を支えることが出来る。無人島試験では、七瀬と一緒に崖を上りはしたが、下りるのは久しぶりだ。
難なく下まで下り、地面に降りると不敵な笑みを浮かべたそいつが立っていた。
「さすが清隆だな」
「行こう」というそいつのあとを追うようにして走り出す。ペースは須藤とのトレーニングより少し早い程度、いずれにしても苦では無い。走り出して数分、オレはあることが気になった。
なんだこの違和感は。ベンチ、自販機、コンビニ。視界に映る景色がどんどん後ろへと流れていく。
「なぁ、変なこと聞いてもいいか?」
「ん?」
「今って西暦何年だ?」
内心では有り得ないと思いつつも、頭に浮かび上がったこの仮説を確かめたくてしょうがなかった。
「なんだよ改まって。今は西暦〇✕年だろ」
まさか…いや、そんなことがあり得るのか。
靴箱で靴を履き替え、階段を上がっていく。途中で階段を上がるのをやめ、廊下に出てひとつの教室を覗き込む。
そこは本来オレ達がいるはずの教室。中では早めにHRが始まっているが、教壇に立っていたのは茶柱ではなく、見たことがない女性教師だった。
「何してるんだー、早く行くぞ」
上の階段から降りてきたそいつにそう言われ、オレは着いてくことに決める。廊下に出て、スタスタと歩いていくと教室の扉を開けたところで始業のチャイムが鳴った。
「いやー危ない危ない」
「ふむ、今回はギリギリセーフだな、四葉」
そこに立っていたのはこれまた見たことがない男性教師。そのまま教室内をぐるっと見渡しても、やはり全員見たことがない顔ぶりだ。
「おい四葉。いい加減その朝弱い癖はどうにかならんのか」
「いやいや、そんな無茶言うなって西園寺。これでも頑張って走ったんだぜ?」
眼鏡をかけた知的な男子生徒が、四葉と呼ばれた男に話しかける。どことなく幸村のような雰囲気を感じるのは気のせいだろうか。
「しかし四葉だけならともかく、綾小路が遅刻とは珍しいな。まぁいい、とりあえず二人とも席につけ」
状況を完全には呑み込めてはいないが、とりあえず席につくことにする。がしかし、ある席の前でオレの足は止まった。
寡黙な表情に、やや鋭い目つき、そして目覚えのある髪型。
「どうした綾小路。私の顔になにかついているか?」
「いや悪い、気にしないでくれ」
教室へ入ってすぐに空席を見つけた。何の因果か、オレはこの教室でも同じ窓際のその席だった。しかし当然のごとく、隣に座っているのは堀北ではない。
「なーに?朝からサエちゃんと見つめ合っちゃて」
髪はウェーブのかかった茶髪。馴れ馴れしい口調に、こちらのプライベートゾーンに平気で入ってくる彼女には、オレの記憶の中の人物の面影があった。
「星之宮、なのか?」
「フフッ、綾小路君もしかしてまだ寝ぼけてる?いつもみたいにチエって呼んでいいんだよ?」
いつも?チエ?
次々と押し寄せてくる情報が渋滞を起こし、さらに混乱を加速させる。
「そこの二人、少し静かにしろ。今からお前たち全員にとって大事な話をする」
「はぁーい」
全く悪びれる様子のない返事をする星乃宮だが、男性教師はそれを気にする様子はない。
「お前たちの高校生活も、最後の卒業試験を残してあとわずかとなった。Aクラスとのクラスptの差はたったの73pt、Dクラスからスタートしてよくここまで登りつめたものだ。私はそこを高く評価する」
クラスはその言葉を聞いてもあからさまには喜ばないものの、少し誇らしげな様子が見て取れる。
「そしてここからが最も重要な話だ。当初は予定されていなかったが急遽、卒業試験の前に新たな特別試験を行うことが決定した」
教師のその発言により、動揺が走る。四葉が手を挙げ、クラス全員の気持ちを代弁する。
「待ってくれよ荒木先生。この時期に特別試験があるなんて話、俺たち聞いてないっすよ」
「四葉の言いたい気持ちも分かる。一部の者たちはフェアじゃないと感じるだろう。だが、これは学校側が既に決めたことだ。私一人ではどうにもならない、そこを理解してくれ」
既視感。このような状況をオレは知っている。
見慣れない生徒の存在。
記憶とは違う配置の建造物。
そして、見覚えのある生徒が二人。
今の西暦。
それらを全て加味してたどり着いた結論は。
「お前たちにはこれから行われる試験、『満場一致試験』についての説明を行う」
オレはどうやら、過去にタイムスリップしてしまったらしい。