癖馬息子畜生ダービー =遥かなるうまぴょいを目指して=   作:ウマヌマ

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菊花賞、宇宙はなく、真理もない

 

 

 

 雨である。

 小雨がまだ降っていると言うのに、こんな中で走れとは。

 ヒト畜生っていつもそうですよね! 私のこと何だと思ってるんですか!

 

 なにを隠そう私は雨が嫌いである。

 雨の中を走ると私と世界が混ざり合い、ありのままの私が剥がされていくその感覚が好きになれない。

 後、濡れるとジメジメして気持ち悪いし、走ると泥がつく、つまり汚い。

 

 清楚、清潔、清廉をモットーとする私に泥がつくなんて許されざる話よ。

 

 やれやれ、ヒト畜生供は猛省すべき。

 猛省して今日のレースは中止にすべき、蛙も帰るし私も帰る。

 ゲコゲコ。

 

『そっちじゃないよ。帰ろうとしないでな』

 

 上のヒト畜生が引っ張ってくる、うざい。

 私のイライラゲージが緑色から黄色になる。

 普段、温厚で柔和な聖人君子でも助走をつけて殴りにくるレベルである。

 

 振り落としてやろうかとジャンプする。

 だが、中々に手強い。

 ジャンプしてる内に変なノリになり、気づいたらリズムに乗せて踊らされていた。

 な、何を言ってるかわからねぇと思うが、私にもわからん。

 催眠術とか超スピードだとか、そんな感じかもしれない。

 

『ハイハイ、落ち着いたらパドックに行こうね』

 

 頭に?マークを浮かべている間に歩かされる。

 

 ぼけーとしていても、視線には敏感なたちである。

 見られている。

 

 その方向を見れば、睨みつけてくる焦げ茶の馬。

 相変わらず白い変なものをつけている。

 その上にあるのは、燃えるような黒い瞳。

 

 睨まれたら睨み返す、メンチとは逸らした方が負けなのである。

 古事記にもそう書かれている。

 

『ほら、いこうか』

 

 しかし、やはり上のヒト畜生の言う事を聞いて、焦げ茶の馬は振り向くように歩いていく。

 

『……ナリタブライアン、今日は仕上がってるな。間違いなく、前より強いぞ』

 

 あの敵愾心は臆病さの裏返しだ。

 私と似て非なるもの、焦げ茶の馬の根本にあるのは恐怖である。

 相手を恐怖しているから立ち向かうために自らを奮い立たせているにすぎない。

 

 雨はだいたい止んでいた。

 まぁ、これぐらいなら走ってやるか。

 あの焦げ茶の馬に走らないで負けたとか思われるのも嫌だしな。

 

 

 大人しくゲートへ向かう。

 

 私は悟ったのだ、ゲートとはゲートであった。

 そこに宇宙はなく、真理もない。

 太陽が登り、やがて沈むように。

 ただ、そこにあるものが、ゲートなのである。

 

『うん、入ろうね』

 

 つまり量子力学を元にゲートを観測した時ゲートとは二つの意味を持つ、ゲートであるかそうでないかだ、ゲートがある時それはゲートである、だがゲートがないときでもそこにゲートはあるのである、つまりはゲートに入らなければいけないと言う結果に変わりはなく、私はゲートに入れられた。

 

 けれど、幸にして最後の方に入ったお陰か、すぐにゲートが開いた。

 

 しめたものである。

 開いたと言う脳からの電気信号が、足に届くより先に体がゲートから脱出をする。

 

 一斉に出てきた他の馬よりも僅かに速い。

 

 今日はいつもより泥が飛んできそうなので後ろを走る気はなかった。

 

 久しぶりに前の方に出る。

 先頭を取ろうととしたところで、並んでいた馬が加速して前をとられる。

 

 一瞬の隙をついた軽快な走りであった。

 

 こいつ、できる。

 敵になるのは焦げ茶の馬だけかと思っていたが、こんな奴がいたとは。

 

 ヒト畜生供の練習的にこのレースはかなりの長い距離のはずだと想定していたが、前の馬はかなりいいスピードだしていた。

 余程、スタミナに自信があるのだろう。

 やるじゃない。

 

『大逃げ……菊で逃げたら勝てない』

 

 前を走る馬を追い越してやろうとついていく。

 手綱からは、速度を落として下さいお願いします。と言っているが、それはそれである。

 

『抑えはきかないよね。そう言うやつだよ、お前は……』

 

 常に前を行くものだけが、選択の余地を持っている。

 走る場所。

 ペース。

 前に立つものだけの特権は多い。

 私が前へ出る以上、それを握られたままと言うのは許せないのだ。

 後、何より泥が飛んでくるのが許せない。

 

 前を走る馬はさらに速度を上げる。

 後続は遥か後ろである。

 

 私とこの馬の一騎打ちだ。

 なるほど、まだ未熟だが割とやりおる。

 だが、常に勝者は一人。

 

 コーナーへ入る前に競り合いに勝ったのは私だ。

 私の前を走ろうなどと、百年と四十九日は早かったな。

 抜き去った馬を尻目に走り出す。

 

 先ほどまで、前にいた馬はどんどんと後方へと沈んでいく。

 けれど、私は違う。

 ここから突き放す。

 

 軽やかにコーナーの内に入った時には、後ろとはかなり距離を離していた。

 体力はコーナーを曲がった後、直線の先にあるゴールまでならば問題なく持つ。

 これは勝った。

 

 余裕の勝利である。

 焦げ茶の馬はどうせ前の時のように来ないのだろう。どうやら、私は強くなりすぎてしまったようだ。

 

 完璧である。

 私は完成されている。

 

 そんな思考の中にノイズが走る。

 デジャヴだ。

 

『来る』

 

 影が迫っていた。

 プレッシャーが迫ってくる。これまでに感じた事のない強烈なプレッシャー。

 

 自分の時間が遅くなるような感覚の中。

 

 一歩。

 また一歩と。

 

 足音が近づいてくる。

 

 速いのだ。

 迫り来る影の方が、私より速いのだ。

 

 やはり、来るか。

 焦げ茶の馬。

 

 コーナーを曲がりきった時。

 すぐ後ろまで迫ってきていた。

 

『粘ってくれ!』

 

 直線を駆ける!

 ただひたすらに!

 余力も全て使い切って!

 

 後も先もない! 一度でも抜かれればそのまま負ける!

 本能がそう訴えかけていた!

 

 我武者羅に速度を上げて、尚、影の方が速い。

 先ほどよりはゆっくりと、だが、確実に締め殺すように影が首元へ迫る。

 

 その瞳が嫌でもわかるほどに近づいてくる。

 恐怖を超越した瞳だ。

 覚悟を灯した瞳だ。

 命を投げ捨てた瞳だ。

 

 全力を超えた肉体を飛び越して、ただ先だけを向いていた。

 

 気に入らない。

 負けるのは嫌だ!

 惰弱の証明、劣等の烙印、敗北は私を壊す!

 

 勝たなければ!

 勝たなければうまぁぴょい! に届かない!

 

 けれど、限界と言うものは存在する。

 全力の疾走は必要以上にスタミナを削り取る。

 私の体力が枯れ果てるのも時間の問題であった。

 だが、焦げ茶の馬とてそれは同じ事だ。

 互いに互いが引くまでのチキンレース。

 

 もはや意地である。

 最後に残った僅かな体力を燃やし、意地だけで走っていた。

 

 この私が無様にも、息を切らせて、ただ祈りながら走っていた。

 

 少しでも、ほんの少しでも先へ逃げる。

 被食者の如き逃走。なんと無様な疾走か。

 

 眩暈がする程の速度を保ち、全身の血を垂れ流すように走り続ける。

 息をするたびに何かが削れていく。

 

 速く!

 

 はやく!

 はやく!

 はやく!

 はやく!

 はやく! 終わってくれ!

 

 限界だった。

 足も、肺も、脳も、心臓も、振り絞った。

 それでも。

 最後の最後。

 

 目線の位置が、僅かに奴の方が先にあった。

 後、ほんの少し届かない。

 

『頼む!』

 

 そう思った一瞬の事だった。

 鞭が尻に飛んできた。

 

 あひぃん!

 

 力が抜けて限界の一歩だけ先へ踏み込んでいた。

 

 そのまま、焦げ茶の馬と並んでゴールを超える。

 

 その後はヘロヘロになって歩いているのか走っているのかもわからない歩幅になり、ゆっくり足を止めた。

 

 な、何するだー!

 走ってる途中に鞭で叩くなんて! なんたる非道!

 

 放り落としてやろうかとキレたくなるが、体が碌に言う事を効かない。

 立っているのがやっとだ。

 後日仕返しするので今すぐ降りろと、上のヒト畜生を見るが、まるで明後日の方向を見ていた。

 

『……やったか?』

 

 同じく息を切らす焦げ茶に乗るヒト畜生も同じ方を向いていた。

 目線の先。

 

 そこには、よくわからない文字を出す、デカイ板があった。

 

 

 

━━━━━━━━━━━

 

 

 

「今の……負けてそうでしたけど、鞭を入れたお陰か、最後の最後に伸びて分からなくなりましたね。どっちでした?」

 

「勝った! 今のは勝った! 間違いない!」

 

「……本当ですか? 違ったら恨みますよ」

 

「……いや、正直、わからん。しっかし、後続を何馬身離したんだ。GIだぞ、菊花賞だぞ」

 

「大差ですね。どっちも怪物ですよ」

 

「違いない」

 

「判定がでたみたいです」

 

「……」

 

「……ぁ」

 

「……よし! よし! 勝った! 勝ってる! ……! 勝ってる!」

 

「タイムは……3分3秒! ハハ……笑うしかないですね! 去年のハヤヒデのレコードを1秒以上もこえてますよ!」

 

「よくやった! よくやったよ! 初のGⅠ勝利だ!」

 

 

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 どれくらいの静寂が続いたのだろうか。

 ざわざわと小さな騒めきが、爆発するように数多のヒト畜生供の大声が津波のように響いた。

 

 歓声と怒声。

 叫声と罵声。

 

 その全てが私に向けられていた。

 

 馬鹿騒ぎである。

 あまりにも五月蝿いので耳を塞ぎたくなる。

 

 上のヒト畜生も拳を握りしめて喜んでいるのか、やたらと此方を撫でてくる。

 いや、別にお前、自分で走った訳ではないやん。

 走ったのは私だ。

 

 そんな中、何故かその声だけがやたらと耳に響いた。

 

『クソ! お前のせいで!』

 

 後ろから私の足元に何かが転がってくる。

 空き缶だ。

 

 それまで喜んでいた鞍の上のヒト畜生が一変して声をあげる。

 

『何考えてる! 物を投げ入れるな!』

 

 ヒト畜生供の群れの中。

 投げたであろうヒト畜生は年齢をいってそうな顔をしていて、何ごとかを叫んでいた。

 意味はわからないが、敵対的な目と声。

 

 なるほど。

 やれやれ、全然、届いてないじゃないか。

 まったく、ヒト畜生は喧嘩の売り方のなんたるかも知らないらしいと見える。

 よろしい、刮目せよ。

 

 空き缶を後足で止め、軽く蹴り上げ、空中で思い切り蹴る。

 

 カァンッ

 

 いい音と共に直線上に飛んでいく。

 投げてきたヒト畜生の正面だ。完璧なキックである。

 ハワイでおかーちゃんに教わったキックだ。

 返ってくると思わなかったのかヒト畜生は手で取れず、顔面でキャッチした。

 

 なんと無様な。

 

 やめてよね。

 本気で喧嘩したら、ヒト畜生が私に敵うはずないだろ。

 

 その後、そのヒト畜生は似たような服を着たヒト畜生に連れて行かれた。

 

 まあ、何だか知らないが、私は焦げ茶の馬に勝ったようだ。

 最後、上のヒト畜生になんか変な事をされたが、勝ちは勝ちである。

 

 焦げ茶の馬を煽ろうとしたら、すでにヒト畜生に連れられて、出ていこうとしている最中であった。

 

 何も言わず連れられていく。

 焦げ茶の馬。

 

 ただ、ちらりと見えたその瞳は、黒い舎弟の瞳より、更に黒く光って見えた。

 

 どこか禍々しく。

 鮮烈に。

 

 

 

 


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