「クソが……」
騒がしい店内、自分の座っているカウンター席の後ろでは4,5人の大学生らしき集団がくだらない話で盛り上がっている。
「ラストオーダーですがいかが致しますか?」
「あー……大丈夫です」
「かしこまりました」
そのまま別の卓へ注文を取りに行く。ジョッキに少し残った酒を喉に流し込み伝票を持って席を立つ。店員の見送りの声を背中に受けながら店を出ると、冷たい秋の風が頬を撫でる。もうすぐそこに冬が迫っていることを実感する。
久しぶりに飲みすぎたらしく、少し足取りがおぼつかない。家までそこまで遠くはないので歩いて帰ることにした自分を恨む。
近道をしようと路地を進み公園を通り過ぎようとしたところで、街灯の下で制服の少女が座り込んでいるのが目に入った。
透きとおるような髪に、触れたら消えてしまいそうな柔い肌。瞳までも透明と形容できる、そんな少女だった。
「……おい」
つい声をかけてしまった。普段なら面倒ごとに巻き込まれることを嫌って絶対に声をかけたりはしないのだが、酔いが回っていたことやストレスが溜まっていたこともあり自分の喉を止める暇もなく口から声が漏れてしまった。
「…………」
「行くところがないなら家に来るか?」
違う。酔いやストレスもあるのかもしれないが、それよりも彼女の色や存在があまりにも透明すぎて自分の色で塗りつぶしたくなった。白いキャンバスを自分の絵で染め上げたい。絵を描きたいという欲求が心のうちからあふれ出てくる。
「いいの?」
「あぁ」
透明な瞳でこちらを見つめてくる。そんな少女に手を立ち上がらせた。
「ただし一つ条件を付けさせてほしい」
「…………」
「君の絵を描かせてほしい」
「……え?」
驚いた顔でこちらを見つめてくる。
このおそらく家出をしてきた少女はもっと別の要求をされると思っていたのだろうが、そんなことよりもこの子を自分の作品に落とし込みたい。描くことでこの少女を自分のものにしたい。
「そんなことでいいなら……」
「ありがとう」
少女を連れて家に帰る。普通の1LDK、他の家と違うものを挙げるとするならば、最低限の家具しかないことと一部屋を丸々作業部屋にしていることだろう。親の遺産のお陰でしばらくはこの家で絵を描きながら生活できる。
少女は緊張した面持ちで部屋に入ってくる。
「荷物はてきとうなところに置いてくれ」
「うん……」
「水でも飲むか? それ以外って言っても酒しかないから買ってきてもらうしかないけどな」
「水で大丈夫、ありがとう」
少女は透明な水を飲み、水よりも透明な喉を鳴らしている。飲み干してコップをテーブルに置いたことを確認してから声をかける。
「それじゃあ始めようか」
「え、今から?」
「あぁ、今すぐ描きたいんだ」
「うーん、先にシャワーでも浴びたかったんだけど……いいよ」
困った顔をする少女だが、少し悩んだ後首を縦に振ってくれる。揺れる髪が照明を反射して美しい。
「ありがとう。 作業部屋はあっちだから移動しようか」
「わ、すごいね。 ほんとの画家の部屋みたい」
床に散乱したキャンバス、壁には絵の具が飛び散り、参考資料はバラバラに散らばっている。しかし机の上だけは綺麗に整理してある。
「散らかってるけど気にしないでくれ……あ、そこの椅子に座ってくれるか?」
「よっ……うん、ここでいい?」
部屋の真ん中に座る少女。それを正面から捉え、キャンバスノートに鉛筆を走らせていく。だがうまく筆が乗らない。
「あまり動かないでもらえるか……」
「え、動いてたかな?」
少女は動いていない、動いているのは自分の意識だ。少女を見ていると自分の色の汚さが見透かされているようで心がざわつく。
「あああああ……!」
「大丈夫?」
「…………あぁ」
描いていた紙を丸めゴミ箱に投げる。とっくに容量を超えたゴミ箱に入るはずもなく床に落ちる。そのことが余計に苛立たせる。
その後も十数枚の紙を無駄にして休憩を入れることにした。
「好きに冷蔵庫のなかのものでも食べていいぞ」
「うん……」
煙草とライターを持ちベランダへと出る。
すでに東の空は明るくなっており、時間が思っていたよりも経っていたことに気が付く。煙草の先端に火をつけ、煙を吸う。肺に入れた煙を感じながら朝焼けを眺める。
後ろでベランダの戸を開ける音が聞こえる。
「体に悪いから戻れ」
「冷蔵庫にあったご飯でおにぎり作ったんだけど食べるかなって……」
「後で食べるよ」
返事を返しても一向に戻る気配がない。少女の方を振り向くと思ったよりも近くにいた。
「戻らないのか?」
「……それ吸わせて」
少女の目は指に挟んでいる煙草に向けられていた。透明な瞳で言われると拒否できなくなる。
持っていたものを少女に渡すと、少女はそのまま口へ持っていき咥える。息を吸うと同時に少女の口へと煙が流れて、出ていく。
白い喉が有毒な煙に犯されている姿が、朝焼けに照らされて赤く染まっている。
「……描ける気がする」
「じゃあもどろっか」
二人で作業部屋に戻り再びキャンバスへ鉛筆を走らせる。瞬く間に白いキャンバスに少女の姿が浮かび上がる。先程まで滞っていたのが嘘かのように透明な少女に色を塗っていく。
休憩の前と何も変わっていないはず。少女は透明で自分は汚い。少女は美しいまま何も変わってはいない。艶やかな髪に、指を這わせたい首筋。色素の薄い瞳は自分のことを見つめている。
何も変わっていないはずなのに、何かが違う。そんな違和感を抱えながらも、腕は少女を描くことに喜びを感じ一切の淀みなく筆は進んでいく。
「完成した……」
「ほんと? よかった……それじゃあ少しベッド借りるね」
そう言い残し少女は作業部屋を出ていこうとする。そんな少女の手首を掴み、抱き寄せる。
勢い余って下書きが散乱した床に少女を押し倒し、その拍子に周りにあった絵の具もひっくり返してしまう。
「条件は一つなんじゃなかったっけ?」
「…………」
絵の具で汚れた指で少女の頬を撫で、首筋へと這わせていく。掴んでいた手首を一旦離し指と指を絡め合わせる。
白い少女の首筋と頬の一部、指先が黒く染められた。
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