未実装ウマ娘SS合同企画への参加にあたって、書かせていただいたものです。
先だってpixivに、同様のお話を投稿しています。↓
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=16436679#4
私は、今日の練習を終えると、やっと自分の体になって、寮へ戻り、シャワーで汗を流したら、外行きの身支度を始めた。
練習の終わりがけに、今日は来たる有マ記念に備えて、お出かけでもして調子を整えようとトレーナーに言われたから、私はこうして、滅多に着ることのない私服を、戸棚から引っ張り出している。
私服と言っても、そうしゃれっ気を出したものではない。徳利首の黒い肌着に、無地のカッターシャツと、ジーパン。厚手のコートと、マフラー。これだけである。冬だから少し寒いかもしれないが、私ってのは、どうも背が高くって体格も良いから、着れる服が少なくて、こんな簡素な服ばかりしかない。
別段、この体に不満があるわけではないのだけれど、少し窮屈には思う。私とて、年頃のウマ娘だから、ちょっとくらいは着飾りたい。ましてや、トレーナーとの外出ともなれば、猶更そういう気持ちにもなる。
同じような体格をしているトウショウボーイも、よくよく着られる服がないと嘆いていた。終生のライバルが、こうおんなじ悩みを抱えているのは、なんだか嬉しくもあるけれど、いくらライバルたって、こういう所まで一緒にならずとも、よさそうなものだ。
化粧は、ほとんどしない。グリーングラスはもとより、多くの人々から顔が良いと言われている私だから、そう手を加えない。ただ、ほんの薄く口紅を塗るくらいで、紅顔の美少年めいた顔になるのだから、我ながらよくできた顔だと思う。
香水は、足首に付けた。クライムカイザーから薦められたこれは、由緒ある企業のものだから、こうした付け方をする。良い香水というのは、上に振りかけずとも香るもので、むやみにかけるのは、匂いを振りまくだけで下品だ。下品では流星の貴公子の名が泣く。見てくれだけ立派で、中身が伴っていないなんて、思われたくはない。
貴重品を懐にいれたら、もう出る。街で落ち合う手筈だから、さっさと行かなければならない。ただでさえ混んでるのだから、校門前で会えや良いのに、わざわざデートらしく待ち合わせしようなんて言うんだから、私のトレーナーは随分物好きだ。だから、それに何の躊躇いもなく付き合う私も、たいてい物好きなんだ。
学園からちょっと離れた所にある街の、電飾で飾り付けられた大通りで、トレーナーを見つけた。スーツを着たぎりの姿で、軟派な男ふたりも傍にいる。耳をそばだててみれば、どうもお茶に誘われているようだった。
私のトレーナーってのは、ちょっとばかり脳が悪い。私の事ばっかり考えて、自分の事なんてちっとも気にしない。そのうえに、お人好しで、頼まれたら誰彼構わず尾いて行くんだから、何だってひとりにするのはよろしくない。あれでよく今まで平穏無事に居られたもんだと、親にまで言われたそうだから、生粋不用心である。
きっとこの女は、トレーナーになるために、女であることを母親の腹の中に忘れてきたんだろう。そうでなきゃ、男に絡まれているに、ああも無邪気な笑い顔は見せまい。
「私の女に、何か用か」
近付くなり、トレーナーの腰を抱いて、こちら側に引き寄せた。男たちは呆気に取られていたが、ひとつ睨めったら、すぐにへどもどして退散した。情けない。女にちょっと睨まれただけで、そんな逃げて、それで男と言われるか。
「テンちゃん、遅いよ?」
ほとんど溜め息に近いものを吐くのと、トレーナーが不満げに頬を膨らませたのは、同時だった。こちらの気を知らないで、どこまでも呑気に言いやがる。こいつの質は嫌いじゃないが、今ばかりはこの呑気が憎らしく思えた。
「お前が早すぎるだけだろうが。それに、こりゃなんだ。お前がそんなじゃ、私がはしゃいでるみたいじゃないか」
「いひゃい、いひゃい……」
片頬を摘まみ上げて、少なくない怒りを露わにすると、トレーナーは涙目でごめんと謝った。謝ったが、これは仮に謝るので、悪気もなけりゃ気持ちも籠ってない。
「ほら。私って、あんまりにおしゃれな服持ってないからさ。スーツじゃないと、テンちゃんには釣り合わないかなって」
そのくせ、へらへらして、臆面もなくこんなことを言う。この口が、トウショウボーイを倒すまで夜も眠れないと、鬼気迫ることを言っていたなんて、にわかにゃ信じられない。
「ったく。スーツだけじゃ寒いだろう」
マフラーを外して、巻きつけてやると、トレーナーはありがとうテンちゃんと言って、満面の笑みを見せた。
ああ、ヤな女だ。
「そら、サッサと行くぞ。ケーキを食べるんだろう」
「うん。昨日ね、マルゼンスキーにおいしいケーキ屋さん、教えてもらったんだ」
私に腕を絡めて、こう言ったトレーナーの顔を、私は一瞥もせずに歩き出した。空には灰色の雲が垂れ込んでいて、微かな雪の気配を感じさせた。
マルゼンスキーってのは、あれでよく若者受けする。誰に対しても気さくで、物怖じもしないし、何より面倒見が良い。流行にも敏感だから、サテンだの、イタ飯だのと、いろんな所を知っている。ただ言葉遣いが難解なのと、車の運転が荒いのが惜しいだけだ。
そういう奴だから、トレーナーが紹介されたというケーキ屋ってのも、今時らしい場所だった。
扉を引けば、カランコロン、ドアベルが鳴る。踏み込むと、珈琲の香りと、ケーキと果物の発する甘い香りが、鼻腔をくすぐった。レトロモダンな外見の店は、内装もそれらしく、木材と暖色の照明を使ってある。雰囲気のある店だ、チョベリグだとか、バッチグーだとか、トウショウボーイと一緒になってやかましく騒ぐあいつにゃ、到底似合いそうにない。
「ここはティラミスがおいしいんだってさ」
「そうか」
窓際の、こじんまりとした席に収まったら、すぐにケーキを頼んだ。ティラミスなんてのはよく知らないが、おすすめだと言うんだから、それでよかろうと即断した。トレーナーは少し悩んで、ショートケーキと、珈琲をふたつ頼んだ。珈琲のひとつは、私の分である。
店員が去ると、それから私たちの間に、こういった身のない会話が起こった。
「そういえば、クリスマスだよね」
「そうか。道理で、街がにぎやかだ」
「うんうん。だから、ケーキ食べ終わったらさ、クリスマスプレゼント買いに行こうよ」
「それってのは、予め準備しておくもんじゃないのか」
「そうなんだけど……ほら、今月は有マ記念があるし、こんな風にお出かけする暇も、あんまりないかなって思って」
「別段、私は気にしないが」
「私が気にするのっ」
そのうち、ケーキが運ばれてきた。自分の前にあるティラミスに、フォークを通すと、するりと崩れた。存外柔らかいものだ。食べてみると、口の中で溶ける。チョコレートと、生クリームの味がした。美味いは美味いが、何だか食べた気がしない。味の付いた霞を食ってるようなものだ。こんなのなら、私もショートケーキを頼んでおけばよかった。
「どう? おいしい?」
私はトレーナーの問いに、無言のまま、ティラミスをフォークで掬って、差し出した。トレーナーはティラミスを口に含むと、十分に口の中で転がしてから、また口を開いた。
「……不思議な触感だねぇ」
気に入ったという風で、ふにゃふにゃ笑って、お返しだよとショートケーキを差し出す。苺のひときれが、ちゃんとはいっているところから、こいつの性根が見え隠れしていた。
食べたら、固めのスポンジと、生クリームの甘さが広がった。やはり私は、こっちのほうがいい。ケーキってのは、やっぱりこう形がなきゃ、食った気がしないものだ。
「交換する?」
熱い珈琲で、口の中のケーキを流し込んだら、トレーナーはくすくす笑いながら提案した。こっちの心情を見透かしたような言い方だったから、子供扱いされたみたいで──実際、私はまだ子供なのだけれど──少しだけむっとする。
「これで良い」
「そう?」
私の強がった口調を、トレーナーは苦笑で受け止めた。
結局、私は我慢ならなくって、三口目でトレーナーとケーキを交換した。
ケーキを食べ終わったら、銀行で金を下ろして、プレゼントを買いにデパートへ行く。何を買うんだと聞けば、トレーナーは何にしようと首を傾けたから、売り場を見回した。
「レースでも、身に着けられるものがいいよね」
「邪魔にならんなら、何だって受け取ってやるつもりだが」
ある程度は方針が決まっているらしいトレーナーとは対照に、私は何も決めちゃいない。なんとなく、これと考えているものはあるけれど、それだって朧げで決め手にならないから、内心では随分困っていた。
「あっ! ねえ、これなんてどうかな?」
ところへトレーナーが声を上げたから、指差したほうに眼を向けた。いったいどんな物を見つけたのかと思ったが、何の事はない宝石をあしらったアンクレットだ。
「これなら、邪魔にならないよね」
「そりゃ構わんが、お前の給料で買えるか」
「やだなあ、そんな高い訳……こ、こっちの、安いほうでいい……?」
「お前が選ぶんだろうが」
中央のトレーナーたって、高いものは高いらしい。しかし、こう煌びやかな物を選んでくるなら、私もいよいよ考えを決めなくちゃならない。にわかに覚悟を決めた私は、トイレに行くから、戻ってくるまでに買っておけと言い残して、トレーナーの傍を離れた。トイレに行くってのは、無論言い訳である。
ふらと離れたふりをして、すぐ近くにある、別のアクセサリーの売り場にはいった私は、適当に見繕ったそれを買い取った。
「おかえり。長かったけど、もしかしてうん……いひゃ、いひゃいぃ」
戻るなり、下品なことを言おうとしたんで、トレーナーの頬を引っ張ってやった。どうもじゃれ合いの一環らしいが、女がこういう物言いをするのは、私は好かない。女なら淑やかにして、言葉は控えておくもんだ。もっとも、こいつがそんな淑女然とし始めたら、気味悪くってさぶいぼが立つのだろうけれど。
「帰るぞ」
「はーい」
買うものを買ったら、もう用はない。私たちは来た時と同じようにして、デパートをあとにした。
学園に着いたら、すぐ三女神像の前で別れるのが私たちの常だが、今日はちょっとだけ違う。
像の前に来たら、トレーナーはひょいと私から離れて、ハッピークリスマスと包みを渡してきた。中身を知られている物を、わざわざ包んで渡されるのは、なんだか滑稽である。
包みを破いて箱を開ければ、はたしてアンクレットがある。ただ驚いたのは、はいっていたのが買うのを躊躇していた、高いほうのアンクレットだったことだ。
「やっぱり、妥協するのは違うかなって思って」
「そうか……」
「どう? びっくりした?」
悪戯娘の笑みを浮かべたトレーナーに、私は呆然と頷くぎりだった。
ヤな女だ。どうしても私の思い通りにならない、まったくヤな女だ。
だから、嫌いになれない。
「お前がそういうつもりなら、私にも考えがある」
「へっ?」
その場に片膝をついて、彼女の右手を取った私は、薬指にそっと指輪を通した。指輪は、小さいながらも紫水晶があしらわれている、確かな品だ。高いは高い買い物だったが、こいつへの感謝を示すには、これくらいでなければならない。私は、こいつの貴公子だから。
「私からの、クリスマスプレゼントだ」
見上げたら、呆気に取られて、鼻先を白く曇らせた彼女の顔があった。間抜けも極まっていて愉快だ。でも本題はまだ終わってない。揶揄うのは、後にしてやろう。
「あっ、えと」
「有マ記念。私はお前ためだけに、走るつもりでいる」
口をまごつかせた彼女に、私は淡々とこう聞かした。
「ここまで苦しい道のりだった。ジュニアじゃあ年度代表に選ばれたが、クラシックはひとつも勝てなくて、お前には冠のひとつもやれなかった。まったく散々に終わったものだ。臍を噛む思いってのは、きっとあれのことを言うんだろう」
皐月賞は騒動のせいで調整が上手く行かなくって、ダービーはレースの途中で骨折して、菊花賞はグリーングラスにしてやられた。そのうえ、有マじゃトウショウボーイだ。いい所なんて、ひとつもなかった。きっと私たちほど苦いクラシックを経験した奴もいないだろう。
「でも、シニアに上がってやっと一勝した。春の盾と、冠を、お前に渡せた。ああ、嬉しかったな。やっとでかいレースで勝てたんだ。……でも次の宝塚で、またトウショウボーイに負けた。三度だ、あいつに負けたのはあれで三度目だった!」
思い返してみれば、あの時の私たちは慢心してたんだ。天皇賞を勝ったからって、トウショウボーイを軽視していたんだ。いつだって、あいつは私たちの前を走っていたのに、私は後ろばっかり気にして、案の定逃げ切られた。
おかげで私は、トウショウボーイには永久に勝てないだろうと、世間に言われて、ひどいくらいに荒れた。トレーナーにまで肩身の狭い思いをさせてしまった。
だがわかるか。ライバルと比べて、一生かかっても勝てないだろうと断じられた私の気持ちが。今まで二人三脚で歩んできた、彼女の努力のすべてを、たったの一言で否定された気持ちが。
「あんな屈辱はもうごめんだ! あんなに悔しい思いを、苦しい思いをお前にさせるのは! ……もうたくさんだ」
「テンポイント……」
「だから、私は走る。お前のために勝つんだ。これはそのための、覚悟の証で、お前への感謝の証でもある」
こう言った私に、彼女はしばらく言葉を失っていた。ただ、振り始めた雪と一緒に、頬を滑り落ちてきた雫のひとつが、地面に染みを作るばかりだった。
「やるぞ、トレーナー。有マ記念でトウショウボーイを倒して、私とお前が、最強なんだと証明するんだ」
「うん……!」
私たちは、そうして決意の下に笑い合った。
降り積む雪が、街頭の明かりに反射して、星みたいに煌めいて見えた。