掛かってしまっているかもしれません!《完結》 作:室賀小史郎
ある日の昼休み―――
「ねぇねぇ、トレーナーさん!」
「はいはい、毛布ね。時間になったら起こすから」
「ん、ありがとー♪」
またある日の昼休み―――
「トレーナーさーん」
「はい、おやつのプリン。今日は併走頼んであるからサボらず頑張ってね」
「わおー、頑張りまーす♪」
またまたある日の昼休み―――
「ねぇ……トレーナーさん」
「はいよー、今日はトレーニング休みなー。お疲れさーん」
「わーい♪」
◇
「にゃああぁぁぁぁぁ! なんでこうなるかなぁぁぁぁぁっ!?」
「どうされたんです、突然叫んだりなんかして?」
セイウンスカイはトレーナーに言われるがまま本日のトレーニングが休みになり、流されるがままいつものように趣味の釣りへとやってきた。
ただ今回は近場の多摩川沿いにある有料の釣り場で、ここに来た理由はとある相談のため。
そもそも今日のトレーニングを休もうなんてこれっぽっちも彼女は思っていなかった。なのにトレーナーが変に察して休みにしたのだ。
でもせっかくトレーナーから休みを貰ったので趣味の釣りをすることにし、悩みを聞いてもらうために同じく休みで予定もなくカフェテリアで適当に茶をしばいていたグラスワンダーに『彼氏にお魚料理を作ってあげるとかどうですかにゃ?』と唆して連れてきたのである。
「トレーナーさんの好きなものを訊こうとすると、トレーナーさんが変に察して上手く訊けず終いなんだよ〜」
「……なるほど。その相談がしたくて私に声をかけた、ということですね」
「私もキングのとこやエルちゃんのことみたいに愛バ弁当渡してラブラブになりたいんだよ〜。グラスちゃんのとこはもう熟年夫婦感あるし〜。スペちゃんは本人が天然だから参考にならなさそうだし〜」
「私とトレーナーさんは将来を誓った仲ですから。それはそれとして……ひとつお尋ねしてもいいでしょうか?」
「何?」
「そもそもスカイさんは、ご自分のトレーナーさんと付き合ってすらいない、という認識でいいですよね?」
「…………」
グラスワンダーの根本的な指摘にセイウンスカイの眼は雨が降りそうな曇り空のように濁り、無言で水面の方へと視線を移す。
そう、グラスワンダーが言ったようにセイウンスカイは自分のトレーナーのことが心の底から大好きだが、なんだかんだいつもその恋心を伝えられずにいるのだ。
なので上手くいっている皆のところのようになるためのコツと、相手にアプローチをしてあわよくば告白してもらおうと考えているのである。
「……では別の質問を。スカイさんはトレーナーさんとどこまでの仲なのでしょうか? 連絡する頻度とか」
「……朝と夜には必ずメッセージアプリにメッセージが届きます」
「メッセージの内容は?」
「朝は起きてるかの確認と登校してるかの確認。夜は夜更ししてないかの確認とその日のトレーニングの良かったとこと悪かったとこの総評ですね」
「完全に手の掛かる教え子に対するアレですね……でも放置されているよりはいいと考えるべきでしょうか?」
「良くないよ! 私だってトレーナーさんともっとキャッキャウフフなやり取りしたいの!」
「キャッキャウフフって……」
そもそもセイウンスカイがトレーナーに惚れたのは、サボり癖があってアスリートウマ娘としては平凡でしかない自分に手を差し伸べてくれて、異端の逃亡者とまで周りから評されるウマ娘にしてくれたから。
サボり癖のことも注意はするが、最初から無理なく自分と対話してその都度トレーニングメニューを合わせ、趣味や悪戯にもなんだかんだ付き合ってくれる。
一緒にいてとにかく居心地がいい。まるで実家にいるかのような安心感。だからこそセイウンスカイはトゥインクルシリーズを終える頃にはトレーナーにすっかり片想いしていたのだ。
「はぁ、私もスペちゃんやエルちゃんくらい素直になれたらなぁ。でもいざとなるとどうしても恥ずかしくってさぁ……」
「その気持ちは分かります。私だってトレーナーさんの言動には、いつも恥ずかしい思いをさせられていますし、私が頑固なせいもあってトレーナーさんの優しさに甘えていることは多々あります」
「いやいや、あんなに普段からイチャイチャしてて? グラスちゃん、トレーナーさんの脚に尻尾巻きつけてるよね?」
「こほん……と、とにかく、先ずはスカイさんがちゃんとアプローチするところから始めないといけないと思います。今のままでは、とても卒業までにお付き合いすることは出来ませんよ。卒業するから告白するってこともスカイさんは出来そうにないので、こうもこじらせてしまっているのでしょう?」
「悔しいけど、ご名答ー」
グラスワンダーの的確な言葉にセイウンスカイは項垂れてしまう。
自分のこれまでの悪戯も、その都度トレーナーを巻き込むことも、すべて好意からの裏返しであり、そのお陰でトレーナーはセイウンスカイのことを念頭に置いている。
しかし好意をちゃんと言葉にしてない上に、トレーナーの真面目で世話焼きな性格上、彼にとってセイウンスカイの評価は「手の掛かるじゃじゃウマ娘」程度だろう。
「まあその第一歩として私たちのような関係になりたいと……キングさんやエルのようにお弁当をお渡しするのはいいことだと思いますよ」
「やっぱ胃袋を掴むのがいいよね!」
「スカイさんってどの程度お料理出来るんですか?」
「お魚は捌けるよー」
「それは素晴らしいですね。それで?」
「…………お魚って焼くのと揚げるのとお刺身が美味しいんだよねー」
「つまり煮付けのような手の込んだ物は無理ってことですね」
グラスワンダーの指摘にセイウンスカイはコクリと頷いた。
料理が下手という訳ではない。しかしやらないだけでそれ以上でもそれ以下でもないのだ。ザ平凡なのである。
「おむすびが結べるとかは?」
「キングじゃあるまいし、それくらいは出来るよー」
「(キングさん結べないのですね……今度それとなく教えてあげましょう)そうですか。ならば、これまでお魚でしていたことを他の食材でやればいいと考えては? そもそもお弁当に手の込んだお料理はそんなに必要ありませんから」
「それもそっか。それでどうしたらいいの?」
「お野菜をフライパンで焼けば野菜炒めが出来るでしょう? お水をちょっと足して蓋をし熱すれば温野菜に出来ます」
「ほうほう、確かに」
「それこそ野菜を洗って食べやすい大きさにカットして盛り付けるだけで、それはサラダになります」
「ふむふむ」
「揚げ物が出来るならフライや天ぷらなんかも出来るでしょう? お魚に限らず、野菜の天ぷらとかも少し勝手は違ってしまいますが、レシピを見れば出来ると思うんです。水切りとかしっかりやらないと油が飛んでしまいますが、お魚もそこは同じでしょうし」
「おー、料理が出来る人の有り難いアドバイスって感じ」
「全てはトレーナーさんに相応しい大和撫子になるためです♪」
そう言って頬を赤く染めつつも微笑むグラスワンダーはまさに恋する乙女であった。
セイウンスカイはそんな彼女を見て、素直に綺麗だなという感想を抱き、自分もいつか彼女のように相手と深い信頼関係を築きたいと思う。
「じゃあ寮に帰ったらやってみますかー。おっと」
そう言いつつ釣り竿を引き上げ、大きな鱒を釣り上げた。
「グラスちゃんのも引いてるよ?」
「あら、まあ……これどうすれば?」
「落ち着いて落ち着いてー。一先ず竿を―――」
相談も一通り落ち着いたところで、運良く釣り場の放流時間となり、二人の竿に魚が食いつく。
なのでその後は入れ食い状態で、グラスワンダーも釣りを楽しみ、食材を無事にゲットするのだった。
因みに釣れた魚を締めたり血抜き処理といったことはセイウンスカイが相談に乗ってくれたお礼としてやってくれたそう。
◇
翌日。
「昨日はありがとね、グラスちゃん」
「どういたしまして。私の方こそ頼りにしてもらえて嬉しかったですから。あとお陰で昨晩はトレーナーさんに鱒の天ぷらをご馳走することが出来ました」
「…………早速ラブラブの糧になったようで何より」
「これくらいは普通です♪」
「……凄いな〜」
朝のホームルーム前の教室内で、二人はそんな会話をする。
すると当然、
「グラスちゃん、天ぷらは衣が白? それとも黄色? どっちでもいいけど食べてみたいな!」
「あの、出来れば今度教えてくれないかしら? 私もそろそろにぃ……トレーナーにちゃんとした揚げ物を食べさせてあげたいの!」
「エルも天ぷらのレッスンしてほしいデース!」
スペシャルウィークたちが輪に加わってきた。
「今度ご馳走しますね♪」
「わーいわーい♪」
「天ぷらを揚げる時、油の温度は180℃。一気に入れてしまうと油が冷えてしまいますから、少しずつの方がいいです」
「な、なるほど……」
「デース……」
「唐揚げなんかは160℃でじっくりと揚げ、中まで火が通ってから170℃にするとカラッと仕上がりますよ」
「ふむふむ……」
「メモしマース……」
「かき揚げをする時は一気に種を入れるのはダメです。お玉で少量の揚げ種を揚げ鍋に散らす感じで入れるのがいいです。散らしたものをすぐに箸でまとめればいいだけですから。ところどころに隙間が空いているのが、かき揚げというものです。今度実際にやって見せますね」
「お願いするわ」
「デース!」
グラスワンダーの説明だけでよだれを垂らすスペシャルウィークと、メモを取るキングヘイローとエルコンドルパサー。
一方でキングヘイローとエルコンドルパサーをセイウンスカイは『乙女だなぁ』と思って微笑んだ。
因みにセイウンスカイは昨日、ニシノフラワーに監修してもらいながらお弁当を作った。
無難に塩焼きにした鱒の切り身と鱒のつみれ汁である。
つみれ汁はニシノフラワー直伝なので、かなりの自信作に仕上がり、つみれ汁はちゃんと汁物用の魔法瓶で保温済。
ただ、
(色合いが地味なんだよねー)
茶色いおかずばかりのお弁当になってしまったのが心残りである。
そもそも女子力の高いお弁当というもの自体が、セイウンスカイにとってハードルが高かったのだ。
でも―――
(美味しいって食べてくれたらいいなー♡)
―――そんなことより愛情だけはたっぷりと詰め込んだお弁当であるのには間違いなかった。
◇
そして作戦決行の昼休み。
セイウンスカイはレース前よりも緊張しつつ、トレーナー室へやって来た。
ちゃんとグラスワンダーのアドバイス通りに、今朝は事務的な連絡のあとで自分から『いい鱒が釣れたので、お昼にご馳走しますね♪』と伝えておいたのだ。
トレーナーからも楽しみにしているといった返事をされ、それだけでセイウンスカイはベッドの上でニヤニヤが止まらなかった。
「どーもー♪」
「おお、来たか」
「おやおやー? ソファーに座って準備万端って感じですなー。そんなにセイちゃんの手料理を楽しみにしてたんですかー?」
「そりゃあな。あのセイウンスカイがわざわざ俺のためにご馳走してくれるなんて初めてじゃないか」
「バレンタインのチョコとかちょいちょい手作りしてますよー?」
「いやいや、あの面倒くさがりのウンスだぞ? そんな俺の愛バが、わざわざ、いい鱒が釣れたってだけの理由で、作ってくれたんだ。嬉しいに決まってる!」
「………………泣いていいですか?」
確かにこれまでの付き合いから、自分が面倒くさがりなのは知られている。
そして率先して自分からトレーナーに手料理をご馳走したこともない。そもそもそうするのが恥ずかしかったから。
全てこれまでの自分の行いが招いたことだが、セイウンスカイはチクチクと胸が痛くなる。もっと素直になれていれば、と。
「ウンスはつよい子泣かない子ー」
「むぅ、頭撫でたら機嫌直すと思ってません? セイちゃんはそんなお手軽なお子様じゃありませんよー?」
「尻尾ブンブン回ってますが?」
「〜〜〜〜〜〜っ!!!!?」
尻尾は口程に物を言う。セイウンスカイは顔を真っ赤にして、手で尻尾を押さえた。
それも仕方ない。こうして大好きなトレーナーの温かい手で撫でられるのは、ひだまりのような心地良さがあるから。
「で、例のブツは?」
「言い方ぁ」
「腹減ってんだよー」
「もう、はいどうぞー」
セイウンスカイは持ってきた手提げ袋から自分のより一回り大きなお弁当箱を手渡す。
しっかりと事前にトレーナー用のお弁当箱を用意しておいたのだ。
「では早速オープン!」
ぱかり、と蓋を開けたトレーナーは、
「おお、美味そう!」
満面の笑みを浮かべる。
セイウンスカイはもうその笑顔が見れただけでお耳も尻尾もご機嫌に揺れた。
「ちょっと茶色いおかずばかりですけど、味は保証しますよー♪」
「色合いなんて気にしないさ。切り干し大根とかひじきと枝豆の和え物とか俺好きだし」
「それは良かったですー」
ナチュラルにトレーナーの好物が分かり、セイウンスカイはしっかりと脳内メモに書き残す。
「この白菜は……浅漬けか?」
「はい。苦手でした? 前に食べてたの見たんで、大丈夫かと思ったんだけど……」
「いやいや、好きだよ」
「ほっ……」
そんな会話をしつつ、しっかりとセイウンスカイはつみれ汁も用意し、トレーナーはそれはもう気持ちのいい食べっぷりだった。
見ているセイウンスカイが『毎日でも作ってあげたいなー♡』と考える程に。
◇
「いやぁ、美味かった。ありがとう、ご馳走さま」
「いえいえー、お粗末さまでしたー♡」
(えへへ、綺麗に食べてくれたなぁ♡ キングやエルちゃんが料理に目覚めたのも分かるなぁ♡)
しかしここで満足してはいけない。
そもそも目的は自分の好意をトレーナーにそれとなく伝えることなのだから。
なのに、
「こんな美味いもの毎日作ってもらえるなら、ウンスと結婚する男は幸せだろうな……」
「にゃ?」
トレーナーから見事な先制パンチを食らう。
当然、トレーナーにそんな意図は一切ないのだが、セイウンスカイに効果は抜群だ。
「にゃ、にゃはは……そうですかねー?」
「ああ、ウンスを見てきた俺が言うんだから間違いない」
「そ、そっか……にゃひひひひ……♡」
嬉しくて思わず笑い方が変になるセイウンスカイ。
「まあ気が向いたらまた作ってくれよ。お礼と言っちゃなんだが、お返しにどっか行きたいとこ連れてってやるからさ」
「…………それはどこでも?」
「海外とかは勘弁な。まあ遠出の海釣りとかまでならなんとか……」
「じゃ、じゃあさ……」
「うん?」
「トレーナーさんのお家とか、ダメ、ですかね……?」
消え入りそうな声でなんとか訊ねたセイウンスカイに、トレーナーは小首を傾げる。
「俺の家? 何も無いぞ? ただ寝るためだけに帰ってるボロアパートだし……」
「…………」
「……分かった。分かったからそんな泣きそうな顔するな。でもつまらないとか文句言うなよ?」
「あはっ♡ 言いませんともー♡」
「急にご機嫌になりやがったな……」
「だって好きな人のお家に行けるとか最高じゃ……あ」
「…………ウンスさん?」
舞い上がったセイウンスカイは思わず本音がぽろりと口から出てしまった。
慌てて口を閉じてもあとの祭り。故にセイウンスカイは即座にその場から逃げようとしたが、
「ウンス、ステイ」
「ッ!!」
トレーナーの指示についつい従ってしまう。
「好きってどういうことだ?」
「…………黙秘権とかは……」
「異性として好きって言ってるようなもんだと解釈する」
「で、ですよねー……にゃはは、はは……はぁ……はい、そうです」
顔を真っ赤にして白状するセイウンスカイ。
そんな彼女にトレーナーは、
「うん、知ってた」
「にょ?」
まさかの言葉を返してきた。
「ウンスとの付き合いは長いからな。ほぼ毎日一緒にいたし、ウンスがどういうウマ娘かもそれなりに分かってる。バレンタインデーに手作りチョコを渡してきた辺りから、そうかなーって」
「じゃ、じゃあ、今まで私の好意に勘付いていながら泳がせてたの?」
「人聞きの悪いことを言うなよ。まあ結果的にそうだったけど」
「…………」
「それにウンス覚えてるか? 俺がホワイトデーに渡したお返しを」
「えっと、りんごのキャンディ……」
「その意味知ってる?」
「……えっと知りません」
「だよな。だから俺は敢えて説明はしなかった。だってそれで逃げられたら捕まえるの大変だからな」
セイウンスカイは首を傾げる。
するとトレーナーは小さく笑って説明を始めた。
「仮にその時意味を伝えたら、ウンスの性格上『なんですかそれー? セイちゃんはそんな意味ありませんけどー?』とか言って逃げただろ? お前は好意を真っ直ぐに告げられると逃げ道を探すから」
「うぐ……」
「だから伝えなかった。そうすればいつかウンスの方からボロを出すと思ったからだ。だってお前、肝心なとこでポカやらかすじゃんか。今みたいに」
「あぐ……」
「んで、そうなると逃げられない。異端の逃亡者を捕まえるなら首根っこを押さえないとな」
「なんと悪趣味な……」
「それくらいこっちは我慢したんだよ」
そう言ってトレーナーはセイウンスカイの腰に手を回し、彼女の顎をクイッと持って自分の方へと向けさせる。
「やっと捕まえたぞ。俺で良ければ付き合ってほしい。もうお前に振り回されない人生なんて物足りなくてつまらないんだ」
「…………はい♡」
こうして異端の逃亡者はいとも簡単にトレーナーから愛の手綱で捕まった。
しかしそうなってしまえば、彼女は本当の猫のようにうんと彼に甘え、夢にまで見たイチャイチャを堪能する。
午後の授業が始まることを告げにスペシャルウィークとグラスワンダーが来るまで……。
読んで頂き本当にありがとうございました!