掛かってしまっているかもしれません!《完結》 作:室賀小史郎
エイシンフラッシュ。
ドイツからの留学生であり、日本ダービーと天皇賞秋を勝ち取り、トゥインクルシリーズを駆け抜けた。
当初の予定では3年間の留学だったが、まだ日本で成長出来ると感じたことで両親と相談した結果、もう少し滞在することに。両親も娘の成長を喜び、こんなイレギュラーなら大歓迎とまで言ってくれた。親とは誰よりも我が子の幸せを第一に願うのだから。
「…………」
そんな彼女は今、目の前にあるケーキを神妙な面持ちで眺めている。
彼女が今食しているのはザッハトルテ。
ザッハトルテはドイツの菓子と思う人が多いだろうが、実のところザッハトルテはオーストリアが発祥。
「…………」
ドイツでもザッハトルテは人気が高く、多くのパティシエたちが作っては、人々に笑顔を届けている。
エイシンフラッシュもザッハトルテは大好きだが、何故こうも神妙な面持ちなのかというと、
「…………負けました」
このザッハトルテの作り手が自分の愛して止まないトレーナーだからだ。
エイシンフラッシュのトレーナーは両親がお菓子作りを趣味にしている。
幼い頃から両親とお菓子作りをすることが多く、その腕前は本場の味を知るエイシンフラッシュが脱帽する程。
エイシンフラッシュからすれば、どうしてこの腕を持ちながらウマ娘のトレーナーになったのか不思議に思えるレベルだ。
前にそのことを本人に尋ねてみたが、
『え、お菓子作りはただの趣味だし、趣味を仕事にするのは違うかなって思ったから』
なんて言われた。
トレーナーが今の職に就くきっかけは、幼馴染みのウマ娘が良く走っているのを見ていて、『大きくなったら私のトレーナーになって!』なんて言われたことが大きい。
幼少期の初恋の子からそんなことを言われれば、幼いながらも男は懸命に努力した。
しかしその幼馴染みのウマ娘はアスリートウマ娘にはならず、普通のウマ娘としてのバ生を歩み、今では結婚して二児の母。
今でもトレーナーが実家に帰ると、昔の話やお互いの近況を報告し合う仲だ。
実際問題、同年代のウマ娘にトレーナーになってほしいと言われても、無理な話である。
トレセン学園のトレーナーライセンスを取るには、生半可な努力では取れないし、高等部からの編入にしても一般の男子高校生が取れるライセンスではないから。
しかしトレーナーはあの頃を大切な思い出だと語っていた。
故に現在があり、彼に出会わなければエイシンフラッシュはダービーウマ娘にはなれなかっただろう。
そして何より、初恋が散っていたからこそ、引きずっていないからこそ、自分と恋仲にあるのだから。
ただ、いくら恋仲であっても、ケーキに至っては負ける気がなかったエイシンフラッシュ。
たまたま彼がケーキも作れることを知り、試しに作ってほしいとお願いしたところまでは良かったが、ここまでクオリティの高い物をご馳走されるとは思っていなかったのだ。
(いや、これはこれで有利ではあるでしょう。両親もトレーナーさんのこの腕なら大歓迎なはず……そうですね。計画に狂いはありません)
しかし将来、共にケーキ屋を営む予定であればトレーナーのこのお菓子作りスキルは嬉しい誤算であることには違いない。
父親の作るザッハトルテとは味も形も違うが、プロの物と比較しても引けをとっていないのだ。
そう考えると段々とその表情には笑みが浮かび、尻尾も耳も上機嫌に揺れ出す。
「……フラッシュさん、ケーキ食べながらなんで百面相してるの?」
「はっ……!?」
そんな彼女に思わずツッコミを入れたのは、同室のウマ娘スマートファルコン。
因みにスマートファルコンもエイシンフラッシュのトレーナーが気を利かせて、彼女の分のケーキも一緒に渡していたので、こうして二人で堪能しているのだ。
「こほん、何でもありません。それより、ファルコンさん的に私のトレーナーさんが作ったこのザッハトルテのお味はどうですか?」
「すっごく美味しいよ! 今度お礼にライブの特等席の隣にご招待するねって伝えて!」
「特等席ではなく、その隣なのですね……」
「だ、だって……ファル子のライブの特等席はいつだってファル子のトレーナーさんの席だって決めてるから……」
恥ずかしそうに両手で頬を押さえながらもじもじするスマートファルコンに、エイシンフラッシュは「なるほど」と頷く。
スマートファルコンもまた恋する乙女。しかしウマドルであるため告白はせずにいるというなんとも難儀な運命を背負っている。
しかし担当トレーナーへの恋慕がだだ漏れなので、周りからは既に付き合ってる認定を受けていたり……。
「ファルコンさんにも気に入ってもらえたようですね。自分で作った物ではないですが、自分のことのように嬉しいです」
「そっか☆ でもホントに美味しい……。フラッシュさんのトレーナーさんのお菓子って美味しいのに滅多に食べられない激レアお菓子だから」
「私と同室で良かったですね♪」
「うん☆ 前に話したと思うけど、フラッシュさんからトレーナーさんお手製のクッキー貰って、それをライアンちゃんにお裾分けしたら、ライアンちゃんがメジロ家のお茶会でみんなと食べて、そうしたらすっごく喜ばれたんだよね☆」
「そんなこともありましたね。トレーナーさんのクッキーは確かに美味しいです。真似したくても出来なくて、本人に尋ねたら『我が家の秘密レシピだ』って言って教えてくれませんでした」
「そうなんだ〜。でもフラッシュさんはお願いすればすぐ作ってもらえるんだし、いいと思うな! だって将来を誓った恋人なんでしょ? おねだりすればすぐにでも作ってくれそう!」
「否定はしません。しかしトレーナーさんの負担も考えて、私からねだるなんてことはしませんよ」
「それもそっか〜」
エイシンフラッシュはもう既にトレーナーが作るお菓子の虜。ガッチリと胃袋を彼に掴まれてしまっている。
好き過ぎて、結婚してから彼に毎日お菓子を作ってもらって食べさせてもらうなんていう甘い夢を見たくらいだ。
「でもそのあとでちょっと大変だったんだよねぇ」
スマートファルコンが言う『そのあと』とは、彼女がメジロライアンにエイシンフラッシュトレーナー作のクッキーをお裾分けしたあとのこと。
彼女が言ったように大変喜ばれたのだが、その味に惚れ込んだメジロ家のご令嬢たちがエイシンフラッシュトレーナーの元に『是非ともまた作っては頂けませんか!?』と直談判しに来たのだ。
「ああ、あの時ですか……本当に驚きましたよ。私はてっきりメジロ家が私のトレーナーさんの手腕に目をつけたのだと思って……」
「あの時のフラッシュさん荒れてたもんねー。持ってたスケジュール帳逆さまだったし」
「恥ずかしい限りです」
「でもそれもあってトレーナーさんから『俺は君だけだよ』なんて言われちゃったんでしょー?☆」
「…………はい♡」
あの時の必死な告白を思い出すと、今でも頬が火照るほどに嬉しいエイシンフラッシュ。
メジロ家の白饅頭から『誤解を生んで申し訳ありませんでした』と頭を下げられたが、今になってみればスケジュールを大幅に短縮出来たのだから感謝しかなかった。
「そういえば、今度ドイツに帰国するんでしょ?」
「はい。トレーナーさんと一緒に今後のことを話し合うため、両親も交えて」
「フラッシュさん的には卒業したらもう日本には来ないの?」
「そのことも踏まえて話し合うつもりです。今は学院生として在学中ですが、いずれは私も次の夢に向けての一歩を踏み出さないといけませんからね」
「そっか☆ お菓子作りのことは分からないけど、二人でドイツで修行して、日本で二号店出すとかだったら嬉しいなって思っただけなんだ☆」
「…………なるほど」
スマートファルコンの純粋で率直な言葉に、エイシンフラッシュはレースで先頭を差す時のような鋭い眼差しになる。
まさに青天の霹靂と言える一言だったのだ。
そこからのエイシンフラッシュはスマートファルコンとの会話に相槌を打つのみで、脳内ではこれからのスケジュールを組み立て始めていた……。
◇
数日が経った休日。
トレーニングも休みのエイシンフラッシュは、トレーナーが住むアパートに訪れて、共にお菓子作りをしていた。
そして今日、今後二人で歩むスケジュールを報告する。
「トレーナーさん、チョコレートが冷えるまでの間、お話があります」
「ああ、いいよ。何かな?」
ソファーに互いの肩を触れ合わせながら座る二人。
トレーナーは紳士的に彼女の肩を抱き、彼女の言葉を待つ。
「今後のスケジュール確認です」
「ふむ、聞かせてもらおうか」
「はい。まずトレセン学園を私が卒業し、その後は一緒に私の実家へ移り住む予定です」
「そうだね」
「それで、当初の予定ではそのまま私とトレーナーさんで両親の店を継ぐということは覚えていますか?」
「ああ、覚えてるよ。ご両親もわざわざ俺たちのために家具を新調してくれたんだったよね?」
「はい」
頷くエイシンフラッシュにトレーナーは微笑んだまま、彼女の言葉を待った。
「実はその予定を変更したんです」
「どういう風に?」
「当初は継ぐことが大前提だったのですが、修行を経て父から認められたら、日本に戻って日本で二人だけのお店を開きたいんです」
「え……」
まさかの変更点に驚くトレーナー。
しかしエイシンフラッシュは真剣な眼差しで続ける。
「確かにドイツは私の祖国。素敵な思い出が沢山あります。でも―――」
エイシンフラッシュはそこで一旦言葉を切り、トレーナーの空いている手を両手で握った。
「―――日本は貴方と出逢い、貴方と過ごした素晴らしい思い出がある国なんです。今では私の第二の故郷と言えます。ですから私はこの国で、もっともっと貴方と幸せになりたいんです」
Ich vergesse nie unser erstes Treffen♡
あなたと初めて出逢った日を忘れない
ドイツ語の甘い言葉と共にトレーナーにキスをするエイシンフラッシュ。
対してトレーナーは驚きの連続だった。
「……はは、なんか今日は驚かされてばっかだな」
「両親には既に了承を得ています。家具を新調したのは両親が掛かり過ぎていただけなのでトレーナーさんが気にする必要はありません。それにドイツへ戻った際に過ごす部屋ではありますしね」
「なるほど……」
「それで、トレーナーさんのお返事は……?」
不安げに訊いてくるエイシンフラッシュ。
そんな彼女にトレーナーは―――
「Es war liebe auf den ersten Blick」
―――と流暢なドイツ語で返した。
これにはエイシンフラッシュも目を丸くする。
「あの日から俺は変わらないよ。そもそも俺は君と一緒ならどこに行っても幸せだから」
「…………っ♡」
エイシンフラッシュは感極まってトレーナーの胸に飛び込んだ。
Es war liebe auf den ersten Blick.
あなたに一目惚れした
「幸せになろう。そして周りにも幸せを届けよう」
「はい……はい……
それから二人で作り上げたチョコレートマカロンは『あなたは特別な人』という意味を互いに贈り合うかのように、美味しく仕上がった。
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