掛かってしまっているかもしれません!《完結》 作:室賀小史郎
「このたわけがぁぁぁぁぁっ!!!!!」
練習コース場にとあるウマ娘の怒号が響く。
声の主は女帝エアグルーヴ。
彼女が叱責することはままある。
なので周りの人々は『またか』程度であるが、それを全身に受ける者は思わず身が縮む。
「貴様はどうしてそうなんだ! 何故学習しない! 何故同じ過ちを繰り返すんだ!」
「す、すみません……」
エアグルーヴに叱られているのは彼女のトレーナー。
今のエアグルーヴはトレーニングでコース場にいるのではなく、生徒会と美化委員合同の清掃活動のためにいる。
そして彼女のトレーナーは清掃活動に遅刻してきたのだ。
前々からエアグルーヴが『私のトレーナーである以上、貴様も参加してもらうぞ。人手がいるのでな』と伝えていた。
なのに遅刻したのだから、エアグルーヴが怒るのも仕方のないこと。
なのでトレーナーも言い訳することなく、土下座する勢いで彼女へ頭を下げている。
「エアグルーヴ、もうその辺にしておいたらどうだ? 皆の目の前でそうも声を荒げるのは彼にとっても、君にとっても良くない」
「……分かりました。今回は会長の顔を立ててこれ以上は言わないでやる。会長に感謝するんだな」
「はい……ルドルフ会長、ありがとうございました」
「いや、気にしないでほしい」
「遅刻してきた貴様は私と共に来い」
こうしてトレーナーはエアグルーヴに首根っこを掴まれ、一番ハードな清掃活動に励むのだった。
◇
その日の帰り道。
「はぁ、全く……あやつには困ったものだ。近頃は特に遅刻や物忘れが酷い」
「トレーナー君も忙しい身だ。そう目くじらを立てていては彼の気が休まらないんじゃないか?」
「どうして会長はそんなにも甘いのです?」
「……甘い、か。経験者だから、と言っておこう」
シンボリルドルフの言葉にエアグルーヴは首を傾げる。
「君は今やトリプルティアラのウマ娘だ。そして君を育てあげたトレーナー君もまた注目を浴びている。ドリームシリーズに進出した今、周りの期待やプレッシャーが一番のしかかってくる。私のトレーナー君もそうだったように」
今でこそ皇帝を育てたトレーナーとしてベテランと言われるシンボリルドルフのトレーナー。
しかし彼はシンボリルドルフのトレーナーになった当初は中堅止まりだった。
それがシンボリルドルフのお陰でベテランへと大成出来たまでは幸運だったが、その分周りからのプレッシャーが肥大化し、最終的には食事も喉を通らなくなるくらいになってしまった。
シンボリルドルフはそんな彼の苦悩を彼が病院に担ぎ込まれたその時まで知らなかった。いや、薄々勘付いてはいたものの、自分と共に成長してきた彼なら大丈夫だと思っていたのだ。
自分に彼という支えがあったように、彼にも支えとなるものが必要だということに気付かずに。
そんな経験をしているシンボリルドルフだからこそ、エアグルーヴが自分と同じ過ちを犯さぬよう釘を刺しているのだ。
「今は友として話そう、エアグルーヴ。もしも君が何か失敗をして、多くの人の前で怒鳴られたらどう思う?」
「……いい気分はしません。同時にもう二度と同じ過ちを繰り返さぬよう反省します」
「なら、エアグルーヴは同じ失敗をしたことはないのか?」
「……あります」
「誰にだって失敗はある。遅刻した君のトレーナー君にも落ち度があると私も思うが、注意の仕方は考えた方がいい。いくら気が立ってしまっていても、一度冷静になることだ」
「……ありがとうございます」
「明日になったらちゃんと謝るように。鉄は熱いうちに打て、だ」
「はい」
エアグルーヴはシンボリルドルフの言葉を胸に刻み、明日は花を持ってトレーナーの元へ言い過ぎたと謝りに行こうと誓うのだった。
そもそもエアグルーヴがトレーナーに厳しくあたってしまうのは、彼女の恋心にも大きく関わっているのだから。
◇
「……ふぅ……」
翌日の朝。
エアグルーヴはいつもより早く起き、自身の花壇へ寄って花を摘んで、花束にしてきた。
(トレーナーだって努力している。だからこそ、私のトレーナーであり続けてきた。会長が仰ったように、私が寛容にならなくてどうする。トレーナーがいたからこそ、私は私のまま夢を叶えられたというのに……)
冷静さを取り戻し、反省したエアグルーヴ。
(そもそも私のトレーニングメニューの考案やメディア対応、様々な補佐や生徒会の仕事まで手伝ってくれているトレーナーに、人手が必要だからと雑用のようなことまで……トレーナーに甘えているのは私の方ではないか)
思えばトゥインクルシリーズ中、トレーナーは己の時間すべてを自分に注ぎ込んでくれた。
なのに近頃遅刻が目立つようになったくらいで、それもレースのような重大なことではない時の遅刻で、腑抜けていると決めつけるように怒鳴ってしまった。
(謝ろう。鉄は熱いうちに打て、だ)
トレーナーが使っているトレーナー室の前へやってきたエアグルーヴ。
彼はいつもこの時間にはトレーナー室で仕事の準備をしていることを把握している。
その邪魔にならないよう、素早く丁寧に済ませるつもりだった。いつも自分に非がある際にはそうしてきたのだから。
「む?」
なのにトレーナー室の鍵が開いていない。
不思議に思ったエアグルーヴが彼から預かっているトレーナー室の合鍵を使って中へ入った。
「……いない」
珍しく彼の姿がない。鍵が掛かっているのだからそうだろうとは思っていたが、実は昨日泊まり込みしたのではという思いもあった。が、そうではなかった。
「トレーナーにしては珍しい」
花束をテーブルにそっと置き、換気をしておいてやろうと彼のデスク方へ向かう。
窓を開けると、そよ風が朝の香りを運んできた。
するとデスクから何枚かの用紙が落ちる。
しまった、と思ったエアグルーヴがすぐにそれを拾い上げると、
「…………え」
ある用紙を目にした途端に息を呑んだ。
何故ならその用紙は『担当契約解消届』だったから。
記入欄にはご丁寧にしっかりと両者の名前とトレーナーの判子も押されている。
エアグルーヴは目の前が霞み、膝から崩れ落ちた。
遅かった。やり過ぎてしまった。という後悔が彼女の心に広がっていく。
しかし反省した。そもそも自分がトレーナーとの契約解消を望んでいない。だから心から彼にそのことを伝えようと気を強くもった。
(このままトレーナー室にいれば、トレーナーがいずれ来るはずだ。その時に―――)
『生徒の呼び出しをします。エアグルーヴさん、エアグルーヴさん。学園内にいましたら、生徒会室までお越しください』
するとそこで放送が流れ、生徒会室に行かねばならなくなった。
エアグルーヴは思わず舌打ちをしながら、しっかり戸締まりをしてから、花束を持ってトレーナー室をあとにした。
更なる絶望が待っているとも知らずに―――
◇
「…………は?」
「今伝えた通りだ。エアグルーヴのトレーナー君は暫く実家へ帰省することになった」
「…………」
シンボリルドルフから告げられたことに、エアグルーヴは目の前が真っ暗になる。
「今朝理事長の秘書殿から知らされてね。理事長もお忙しいようで私から伝えるようにと頼まれた。帰省理由は彼の個人的なことであるから、私も聞かされていない」
「花束を渡し損ねてしまって、残念だったな」
ナリタブライアンが珍しく気を遣って軽くエアグルーヴの肩を叩くが、エアグルーヴにはもう誰の声も届いていない。
(私がいけなかったんだ。私がトレーナーを追い詰めたんだ。私のせいで……私が……)
「ああぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
涙を流し、発狂したエアグルーヴ。
シンボリルドルフはすぐにナリタブライアンと共に彼女を押さえ付けた。
しかしウマ娘の……女帝の狂気から来るパワーは皇帝と怪物の二人掛かりでも止められない。
シンボリルドルフが「誰か!」と叫ぶと、生徒会の前を通り掛かったウマ娘たちがその異変に気付いて入室し、二人に言われるままエアグルーヴを押さえ込む。
結局、エアグルーヴが大人しくなるのに6人のウマ娘の力が必要だった。
◇
「…………ここは……?」
「目覚めたようだね。気分はどうかな?」
目覚めたエアグルーヴに声を掛けたのは彼女の友達であるフジキセキ。
その隣には同室のファインモーションも心配そうに彼女の手を握っていた。
「私は……」
「落ち着いたようだね。残念なことに君の花束はどうしようもなくなってしまったから処分してしまったけど、君に怪我がなくて本当に良かった」
「昨日から心配だったの。それで担任の先生から早退したことと、フジキセキから今朝のことを聞いて……」
エアグルーヴはあれから事切れたように気絶し、ナリタブライアンとその姉ビワハヤヒデによって寮まで運ばれた。
寮長のフジキセキが寮へ戻るまでは寮の管理人がちょくちょく様子を見に来ていたが、エアグルーヴは今の今まで眠っていたのだ。
「……私は女帝失格だ」
「エアグルーヴ、自分をそんなに責めないで。きっとあなたのトレーナーも何か事情があったんだよ……」
「そんなの、私以外にないじゃないか」
いつも物事の終わりというのは突然にしてやってくる。
その物事が自分にとって大きいか小さいかで、受けるショックは変わるのだ。
エアグルーヴにとって、そのショックは計り知れない。
こんなことになるなら、昨日電話でもして謝れば良かった。次もまた当然のように会えるなんて考えていた自分の甘さ、そしてトレーナーに強いてしまった厳しさに嫌気が差す。
「何ならトレーナーさんの実家にお邪魔したらいい。彼の実家の住所は知ってるんだろう?」
フジキセキの言葉にエアグルーヴは耳がピクリと動くが、表情は更に影を落とす。
「実家まで押し掛ければ、余計に愛想を尽かされるではないか」
「でも仮に契約解消をするつもりだとして、何も告げないのはトレーナーとして責任能力が欠如していると思うよ? いくら相手と反りが合わないとなっても、最後はちゃんと話し合うのが私たちウマ娘とトレーナーの決まりだからね」
「フジキセキの言う通りだよ。それに一緒にトゥインクルシリーズを走り抜けた仲なのに、こんな終わりってないよ。実家へ押し掛ける理由は十分だと思うな」
二人にそこまで言われると、エアグルーヴも覚悟を決めた。
今の関係が終わるにしろ何にしろ、きっちりしておくことに意味がある。
そして自分の恋心のためにも。
◇
次の日、エアグルーヴは学園を休んでトレーナーの実家へとやってきた。
その手には昨日用意した物よりも大きな花束と、トレーナーの家族に渡す菓子折り。
彼の実家はトレセン学園の最寄り駅から乗ることの出来る急行列車で一時間程のところにあり、駅からはウマ娘が軽く走って20分のところにある。
どこにでもある普通の二階建ての一軒家。URAファイナルズを終えたあと、家族に紹介したいと招待されたことがあるからしっかりと場所を覚えていた。
「……よし」
意を決してインターホンを鳴らす。
すると奥からトレーナーの声がしたことで、エアグルーヴの手に汗が握られた。
ガラガラ
「はいはい、どちらさ……エアグルーヴ?」
「ああ、私だ……」
「とりあえず上がりなよ」
「邪魔させてもらう」
エアグルーヴは内心で困惑する。
何故ならてっきり嫌悪感をぶつけられると思ったのに、彼からはいつもの柔らかい雰囲気しかなかったからだ。
困惑したままエアグルーヴが居間へ向かうと、
「散らかってて悪いけど……」
「いや気にする……なっ!?」
その光景に目を疑った。
何故ならそこには―――
「きゃうん」
「きゃんっ」
「はっはっはっ」
「きゅーんきゅーん」
―――ずんぐりむっくりとした動く毛玉がうごめいていたから。
「実は1ヶ月前にポチ子が出産してね。この通り……今日から両親が前々から楽しみにしてた海外旅行に行ってその間面倒見る人間が必要だから、俺が休んで見に来たんだ。丁度エアグルーヴも暫くはレースもないし、トレーニングメニューは渡してあったから。実は2ヶ月くらい前から実家にはほぼ毎日顔出してて、子犬たちも俺に懐いてるから俺がいれば両親も安心だからさ」
「なるほど……」
トレーナーが言うポチ子とは数年前にエアグルーヴが保護した雌犬。
その後はトレーナーの実家が引き取ってくれたのだが、元々飼っていた雄犬との間に子を授かった。
トレーナーは大の動物好きであり、最近はポチ子の出産や産後の経過観察のために実家とトレセン学園を往復していたのだ。
因みに雄犬の名前はポチ雄。
どちらの犬も雑種犬であるが、北海道犬っぽい見た目をしている。子犬たちは雄犬3匹と雌犬1匹で、皆両親に似て茶色い毛。
「……そうか。そうだったのか……」
「? 可愛いだろ?」
「ああ……」
エアグルーヴは自分がどうしてここまで会いに来たのか分かっていないトレーナーに口元を緩めながら、ポチ子がエアグルーヴに見せるように咥えてきた子犬を優しく受け取った。
トレーナーの遅刻が目立ってきたのは約2ヶ月程前から。
しかしそれはそれでエアグルーヴの胸に罪悪感が募る。
理由を知らなかったとはいえ、腑抜けていると決めつけて叱責していたのだから。
自分がもし彼の立場であれば、自分だって何度か遅刻してしまうだろう。
なのに『最近遅刻が目立つが、何か悩みでもあるのか?』と彼に気を配れなかった。
いつもそうだ。自分の理想を追い求め、最も信頼する相手のことがおざなりになる。付いてきてくれるものだ、と当然のように考えてしまう、自分の悪い癖。
「くぅん」
「はっはっはっ」
「ポチ子、ポチ雄……ありがとう」
彼女の悲しみを察した敏い犬が慰めるように寄り添ってくれる。
エアグルーヴはそれに感謝を伝えた。
「トレーナー、今度からはどんな些細なことでも私にちゃんと話してほしい。私は……貴様の愛バなのだから」
「エアグルーヴ……」
「私を狂わせるのはいつだって貴様という人間しかいない。私に何も告げず、学園を去ったと知った時……私がどれ程の絶望に落とされたか知らないだろう?」
「え」
エアグルーヴはここに来るまでの経緯を説明した。
反省したこと、後悔したこと、トレーナーと離れたくないということ、すべて。
「……いや、あの用紙はエアグルーヴから受け取ったものだぞ? それもまだエアグルーヴと契約を結んだばかりの時に」
「…………ん?」
「だから、エアグルーヴが今まで結構な数のトレーナーと契約解消してきたから、エアグルーヴが自分から『もしそうなった時のために預けておく。貴様もそのつもりで励め』って。目の前でサインもしたし」
「あっ……」
「それで実家に戻る前に実家に持って帰る仕事の資料をまとめてたら、出てきたんだ。それが懐かしくて、でも初心を忘れないでいられる俺の宝物なんだ」
「そうだったのか。それにしても出しっぱなしは良くないのではないか?」
「いや、その日の内に実家に帰る予定だったし、電車の時間も迫ってたから……それにトレーナー室なら泥棒も入らないだろうし……」
しどろもどろになりながら、誤魔化すように側にいた子犬をもふもふするトレーナー。
いつもの彼らしいその仕草に、エアグルーヴはキュンっと胸が高鳴った。
「たわけ♡」
「すみません……」
「許してほしければ、明日から私がここに通うことを許可してもらおうか」
「え」
「座学が終わったらトレーニングがてらここまで走ってくる。生徒会の仕事がある場合は遅れるだろうが、今は比較的忙しくない時期だからな。寮長には戻り次第明日から帰りが遅くなる旨を伝えて、許可を貰う」
「いやいやいやいや!」
「何? 貴様だけ、このもふもふパラダイスを満喫するというのか?」
「いや、そうじゃなくて! わざわざ通わなくてもいいだろ!」
「……私がしたいんだ。いいじゃないか、私と貴様が周りからどう思われようと、いい方向にしか思われないのだから」
それとも、私の存在はトレーナーの邪魔になるのだろうか?……そう悲しげに問われれば、トレーナーは頷く他ない。
「最初から素直に頷け、このたわけが♡」
こうして二人の間にあった黒い影は綺麗に消え、エアグルーヴはもうこんなことにならないように先ずはトレーナーの私生活に関与しようと決めた。
今年初更新です!
今年もよろしくお願いします!
喪中の身ですので、新年のご挨拶は控えさせてください。
今年も楽しんでもらえるお話が書けるよう頑張ります!