掛かってしまっているかもしれません!《完結》 作:室賀小史郎
「ねぇねぇ、ルナ?」
「なぁに、トレーナー君?♡」
シンボリルドルフはベンチで自分を横抱きにしてくれている自身の愛するトレーナーの声に、上目遣いで小首を傾げる。
「あれ、止めなくて平気?」
「?」
彼が言う視線の先には、
「ベロッベロッ……ベロ〜ッ、ベロベロッ♡」
「あの〜、エアグルーヴ? どうしてそんなに俺の顔を舐め回してるんだ?」
「ふぅ……気にするな。貴様を私の物だと皆に示しているだけだ」
ベンチで自分を横抱きさせ、顔をベロベロと舐めるエアグルーヴは平然と返した。
あの勘違いからエアグルーヴの行動はエスカレートする一方で、最近ではトレーナーの両親にすら気に入られて外堀が完全に埋まっている。
「副会長が率先して学園の風紀を乱してはいけないと思うの」
「旦那様は私にベロベロされるのが嫌なの?」
「二人きりならいいよ。あと旦那様って呼び方止めてね」
「分かった。じゃあ……ご主人様?♡」
「もっといかがわしい感じになるから止めてね」
「むぅ……」
「トレーナー室なら好きに呼んでいいから……」
「ああ、分かった♡ ベロベロッ♡」
「…………」
二人のやり取りを見ていたシンボリルドルフは、
「ルナはいいと思うよ? 担当トレーナーと仲良しなのはいいことだもん。ルナもペロペロしようか?」
「しないでくれ。いつも通りで頼む」
「はぁい♡ じゃあいっぱいナデナデしてぇ?♡」
「はいはい……よしよし。いい子いい子。午後の執務も頑張ろうな〜」
「ん〜♡ 頑張るぅ♡」
―――――――――
「…………♪」
とある日の午後。
フジキセキは歌でも歌い出しそうなくらい上機嫌に、学園内の廊下を歩く。
近頃はトレセン学園内でウマ娘とその担当トレーナーが仲睦まじく過ごすところを多く目にする機会が増え、みんなが幸せそうでフジキセキはそれが自分のことのように嬉しいのだ。
あれだけ素直になれなくて苦悩していたエアグルーヴでさえ、最近ではメーターが振り切れたように幸せそうにしている。
多感な年頃のウマ娘であるためちょいちょいトラブルはあるものの、それは彼女たちをより幸せな舞台に上がらせる演出となり、結果彼女たちとトレーナーたちの関係は良くなっていく。
「こんにちは、トレーナーさん♡」
「ああ、フジ。こんにちは。そしていらっしゃい」
当然、フジキセキもその中の一人。
ただ彼女の場合は他のカップルみたいに、自身の担当トレーナーとトラブルはなく、愛を育んでいる。
今日はトレーニングも休みのため、フジキセキは心ゆくまでトレーナーと触れ合うつもりだ。
「なんかご機嫌だね?」
「周りがとても良い雰囲気だからね。みんなが幸せそうに笑っていると、こちらまで嬉しくならないかい?」
「ああ、そうだね。幸せの連鎖というのはいいことだ」
「そうだよね♡ だから私も幸せなんだ♡」
トレーナー室は二人きりになれて、フジキセキが思い切り彼に甘えられる時と場所。
その証拠にフジキセキはデスクに座るトレーナーの膝上に腰を下ろし、横抱きされながら愛する彼の首筋に顔を押し付けるように擦り寄る。
「はぁ……どうしてトレーナーさんはこんなにもいい匂いがするんだろうね?♡」
「自分の匂いの良し悪しなんて知らないよ」
「タキオンに頼んでトレーナーさんの匂いの香水でも作ってもらおうかな♡」
「いらないと思うし、タキオンもそこまで暇じゃないと思うよ」
「残念だな……あ、それよりいつもの、いいかい?♡」
「フジは本当に好きだねぇ」
「私をこんな風にした張本人が言うセリフかい?♡ 見たところ急ぎの仕事はしてなさそうだし、してくれないかな?♡」
彼女が言う『いつもの』とは、耳のマッサージ。
ウマ娘の耳は尻尾と同じくデリケートな箇所だが、本人が心を許した相手にのみこうしたケアを任せる。
フジキセキの場合はトレーナーのマッサージの腕がいいため、もう癖になってしまって自分でマッサージしても物足りないのだ。
◇
「痛くない?」
「んっ、気持ち、いい……はぁん♡」
「あはは、フジは本当に耳マッサージが好きだね」
「うん、大好き……んぁ、あっ♡」
愛するトレーナーに念入りにマッサージをしてもらうと、思わず熱い吐息が漏れるフジキセキ。
いつもは凛々しく誰もが見惚れてしまう彼女が、今のように蕩けた顔で微かに涎を零しているところを見たら、彼女のファンは驚愕するだろう。
「トレーナーさんは、んっ、本当に、あんっ、テクニシャんんっ、だね♡」
「そんな言い方は止めてくれよ。まあ確かに俺のマッサージって評判いいけどさ……」
「…………ん?」
室内の温度が1℃下がった。
「え、ちょっと、待って」
「? どうしたの? もういい?」
「いや、マッサージをしてもらってる場合じゃないかもしれない事案が発生しているかもしれない」
「それはどんな?」
「今、トレーナーさんはなんて言ったのかな?」
死んだ魚の目の様にトレーナーに訊ねるフジキセキ。
「どうしたの、もういい?」
「その前」
「……?」
「マッサージの評判云々のとこ」
「ああ! 聞いてくれ、フジ! フジがあまりにも俺のマッサージの腕前を褒めてくれるもんだから、試しに他の人にしてあげたら本当にみんな喜んでくれたんだ!」
「へぇ……悦んだんだ?」
温度がまた1℃下がった。
「そうなんだよ! めっちゃ気持ちいいって!」
「……そうなんだ」
「そのせいって言うのも変だけど、みんながまたして欲しいって言うんだ。それで今は何故か完全予約制のマッサージ師みたいになっちゃって……みんなやっぱり肩こりとか酷いらしいからさ」
「…………ふぅん」
温度が更に2℃下がり、時間経過と共にそれは下がり続けていく。
「あれ、なんか肌寒くなってきたな……」
「トレーナーさん」
「ん?」
「ちょっといいかな?」
「なになに?」
「手品を見せてあげる」
「おぉ、お得意のやつか。今日は何を見せてくれるんだ?」
何も知らないトレーナーは純粋にフジキセキの手品をワクワクして待つ。
「私の目を見て? そう、ジッとして、私に集中して」
「…………」
まじまじとトレーナーに見つめられ、フジキセキは思わず背筋がゾクゾクと嬉しい悲鳴をあげる。
そして、
「あむっ♡」
「んむっ!?」
我慢出来ずにトレーナーの唇を貪った。
そもそも彼女はトレーナーに手品を見せる気なんてさらさらなく、ただ彼の視線を自分に集中させたかっただけなのだ。
なのにいざ見つめられると、この上ない愛情が腹の底から溢れ出し、理性が飛び散った。
「んっ、ちゅっ……ふふっ、引っ掛かったね♡」
「フジ……」
「そんな表情をされると、ますますゾクゾクしちゃうなぁ♡」
「意地悪な子は苦手だ」
「嫌いじゃなくて、苦手って言うところがまた優しいね♡」
「というか、なんでこんな回りくどいキスを? いつもなら素直に強請ってくるのに」
「……私にだって色々あるんだよ♡」
フジキセキはそう返しつつも、腹の底は嫉妬の炎で煮えくり返っている。
それも当然だ。あの素晴らしいマッサージの手腕を自分以外にも惜しげもなく披露しているのだから。
こう見えて、フジキセキは嫉妬深いウマ娘。
普段の彼女しか知らない者からすれば、彼女のトレーナーの方が彼女の周りに集まるウマ娘に嫉妬してるだろうと思いそうだが、実のところは真逆である。
信号を渡ろうとしたところで足がすくんでしまった腰の曲がった老婆にトレーナーが優しく手を差し伸べたり、親とはぐれてしまった幼い子どもに優しく語りかけて肩車をしてやりながら一緒に親を探したり、その他諸々嫉妬する場面ではないのにフジキセキはそうした場面でも嫉妬してしまうのだ。
そもそもフジキセキは常に皆を気遣う側のウマ娘で、なかなか自分の気持ちを周りに吐露出来ずにいた。
彼女自身がその立場に慣れてしまっているのあり、メイクデビューを控えていた頃はそのプレッシャーに押し潰されそうだった。
そんな自分に優しく寄り添い、プレッシャーを共に背負ってくれたのがトレーナー。
故にフジキセキのトレーナーに対する愛情や独占欲は、物凄く強い。
前にチャリティイベントで行われたオープンレースでゲスト枠として出走したフジキセキ。
見に来てくれた人々を楽しませられる走りをしようと考えていた時、一番人気である彼女を揺さぶるために名も知らないウマ娘が、フジキセキのトレーナーのことを『運がいいだけのトレーナーだ』と言った。
『才能あるウマ娘と契約すれば、誰だって名トレーナーと呼ばれる。だからあんたのトレーナーは運がいいだけのトレーナーだ。あんたも大変だな、あんななよなよした奴がトレーナーで』
そんなことを言われた瞬間、フジキセキは圧倒的な威圧感を放っていた。
そして、
『潰す』
ただそう言い残してゲートインし、先行作だったのにURAファイナルズ決勝戦のような逃げを打って2着との差を大差で制し、
『私のトレーナーさんを過小評価したくせに、そのトレーナーさんが愛情込めて育ててくれた私に一切近付けなかった鈍足ウマ娘は誰だったかな? ああ、確か君だったね。名前は覚えてないけど、その無様な顔は良く覚えてるよ』
なんて絶対零度の眼差しと声でにこやかにその者の肩を叩くと、その者は二度とターフに立つことが出来なくなった。
「…………むぅ」
「さっきからどうしたんだ、フジ?」
「なんでもない」
「なんでもないなんてことないだろ。こんなに頬を膨らませて……」
頬をむにむにと揉みしだきつつ、指摘するトレーナー。
対してフジキセキはトレーナーに頬をむにられて思わず嬉しくなってしまう。
なので自分は怒っているんだぞ。理由は自分で考えて。と告げるようにツンとそっぽを向いた。
そこへガラガラとトレーナー室のドアが開く音がし、
「どもどもー、イチャイチャタイムを邪魔してすみませんねー」
セイウンスカイが入ってくる。
フジキセキが怒気を抑えて「何か用かな、ポニーちゃん? ヒシアマならトレーニングジムにいると思うよ」と告げた。
「いやいや、私が探してるのはフジキセキ先輩のトレーナーさんです」
「…………ほう」
顎に手をあて、セイウンスカイを見据える。
もしマッサージ目的ならそれらしい理由をつけて追い払わないといけないから。
「あれ、今日だっけ?」
「はいー。なので早く来てください♪」
「分かっ―――」
「ごめんね、ポニーちゃん。悪いんだけど、彼は私のトレーナーで、今は私のマッサージ中なんだ。だから今日のところは諦めてくれないかな?」
本当なら永遠に諦めてほしいという本音を隠しつつ、フジキセキが割って入る。
しかし、
「え〜、せっかくここまで来たのに〜。困りますよ〜」
セイウンスカイは諦めない。
「というか、ここ寒くないですか? 外より寒い気がするんですけど……」
「なら早く出て行ったらいいと思うな」
「いや、ですから、予約したんですって」
「フジ、君のマッサージはいつでもしてあげるから、セイウンスカイさんのトレーナーのマッサージに向かわせてくれ」
「だからどうして……え?」
トレーナーの言葉に、フジキセキは動きが止まる。
それもそのはず、フジキセキはずっと愛する彼が自分以外のウマ娘のマッサージをすると思っていたから。
しかし実のところ、トレーナーはウマ娘のマッサージは請け負ってないし、そもそもウマ娘側もフジキセキのトレーナーにマッサージなんて畏れ多くてお願い出来ないのだ。
「おやおや〜、フジキセキ先輩はまさかトレーナーさんが私のマッサージをすると思って怖い顔してたんですか〜?」
ニヤニヤと追撃を始めるセイウンスカイに、フジキセキはたじろぐ。
「そうだったのか、フジ? 安心してくれ。俺は異性ならフジのことしかマッサージとかしない。頼まれても断るし、同じトレーナーでも女性のトレーナーの場合もしっかり断ってる」
「ほうほう、ラブラブのあっつあつですなぁ♪ さて、先輩。誤解は解けましたかにゃ?」
フジキセキはトレーナーの言葉が嬉しいやら、勘違いしていたことが恥ずかしいやらで首まで真っ赤になっているが、何とかコクリと頷きを返した。
いつの間にか室温も温かくなっている。
「それじゃあ、ちょっと行ってくるね。それともフジも一緒に行く?」
「……行くぅ」
フジキセキが小さな声で伝えると、トレーナーはすぐに彼女へ向けて左腕を差し出した。
「行こうか」
「……うん♡」
(私がいてもお構いなしですなぁ……私もトレーナーさんとここまでじゃなくても、ラブラブになれたらなぁ)
こうしてトレーナーのエスコートに尻尾ブンブン、気分もルンルンのフジキセキは今日も幸せな時間を過ごし、それを見つめるセイウンスカイは苦いコーヒーを飲みながら自分のトレーナーをどう落とすのか思案するのだった。
読んで頂き本当にありがとうございました♪