アクセル・ワールド・アナザー 曼殊沙華には祈らない 作:クリアウォーター
第十話 抗えざる感情
「どうぞ」
大悟が扉をノックすると、やや間を置いてから以前と同じ台詞が返ってきた。
「いらっしゃい」
これもまた以前のように、大悟はこのプレイヤーホームの所有者、ダフネ・インセンスから出迎えの言葉を受ける。
ダフネの手にはやはり常の如く煙管が添えられ、家中に甘い芳香が広がっていた。
「よう、久し振りだな……まぁ実際は数週間と少しだが」
「そうね。正直、もうここには来ないかと」
そう言いながらも、ダフネは座るよう片手で促し、大悟は以前のようにテーブルを挟んでダフネと対面する形で椅子に腰かける。
「なにせ約束もしていないから、もう会いようがないと思ってたんだけどね」
ダフネの言うことはもっともで、流れる時間の速度が現実と千倍の差がある無制限中立フィールドでは、示し合わせでもしない限り、意図してその人物と会うことはほぼ不可能である。
また、リアル割れを防ぐ為に必要以上に連絡先などの個人情報を周りに伝えるのは、この超高度情報化社会において、ブレイン・バースト関係なく論外なことだ。
それ故にダフネの連絡先を知らない大悟が、彼女との接触を図るのに取った行動はかなり効率の悪いものだった。
「ここ何日か、何度もこの場所に来ては何時間か待ってを繰り返してな。今回こうしてようやくさ」
「そんな頻繁にこっちにダイブを? ポイント大丈夫なの?」
「ダイブの度に十ポイント分はエネミーで稼いでいるから問題ない。俺がお前さんに会うにはこの方法しかなかった」
この港区にあるホームを購入したあたり、おそらくダフネは現実でもこの近辺に住んでいるのだろうが、以前にホームを買った理由が隠居したいからだとか話していたので、現在は対戦を頻繁にしているとは考えにくい。そうなると、こうでもしなければ大悟には、ダフネにコンタクトを取りようがなかったのだ。
「確かにね。……それじゃあ、あの日に何があったのか教えてちょうだい」
大悟が接触を図ろうとそれなりに苦労していたことに対し、ダフネは「そうまでして熱心に私に会おうとしてくれていたなんて」などといった軽口も叩かず、早々に本題を切り出してきた。
大悟はこれに頷き、デュー・ウッドペッカーのポイント全損による永久退場についてダフネに話していく。
会話の途中でダフネの相槌や質問を挟みつつでも、全容は数分で伝え終えてしまった。長々と話していたところで仕方ないのだが、自分にとって濃密で重大な出来事も、後から纏めると案外短いものである。
「──世話になった。それといろいろ迷惑かけてごめんと、お前さんにそう伝言してくれと頼まれた」
「…………こっちは向こうを知っているのに、向こうはこっちを憶えてもいないって、辛いものね。何度経験しても慣れそうにない」
事の顛末を聞き終えた、ダフネの第一声がそれだった。
「デューと直接の面識は?」
「ないわ。やり取りはメールだけ。あの日、特訓はどうだったかを訊ねたメールを送ったら、何時間も後にいろいろと書かれた返信が来てね。私のことはオンラインゲームで接点のあった人程度の認識しかなくて、メール履歴を見てもピンと来ないらしくって。困ってるみたいだから、最後にはこっちから今後連絡はしないことを伝えて、アドレスも消しちゃった」
寂しそうにそう答えてから、ダフネは煙管に口をつけた。
バーストポイントがゼロになった者は、自動でアプリがアンインストールされ、再インストールもできない。
そして、アンインストールされた者は『ブレイン・バーストに関わる記憶を失う』。
これこそが、バーストリンカーが加速の能力を失うことと同じか、それ以上にポイント全損を恐れる理由だった。
しかし、その事実は現実で面識があったり、連絡先を知っているなどの繋がりのある人物がポイント全損しなければ知ることはない。人間の記憶にまで影響を及ぼすゲームアプリが存在するという信じ難さから、実際に自分が体験しなければ眉唾と思うのは無理からぬことである
「……すまない」
「どうしてあなたが謝るの?」
「いや……《親》じゃないお前さんに言うのも筋違いだろうが、曲がりなりにも預かっていたあいつをみすみす全損させた俺に非がある」
これを受けたダフネはゆっくりと首を横に振る。
「今の話を聞いてあなたが悪いなんて、とてもじゃないけど言えないわ。強いて言うのなら間が悪かった。よりによってダイブした時間に、よりによってそのステージで、よりによってそんなエネミーが、よりによってそうした攻撃を……『よりによって』と思う事態が重なるのは、いつだって間の悪い時」
苦笑気味に、それでも大悟を責める様子もなく、ダフネは言ってのけた。
我ながら情けないと思いながらも、そう言われたことで大悟はいくらか心が軽くなったように感じる。
「よりによって、か。確かにな……」
「それよりも残されたあなたが気に病んで、ヤケを起こしてないかの方が私は心配だったけどね。その様子じゃ杞憂だったみたいだけど」
「あぁ、それはもうやったから問題ない」
「ふぅん、ならよか──ん?」
大悟の返答に、納得しかけていたダフネが首を傾げた。
「え? やったって何を? しかもどうして過去形?」
「腐った気分はさっさと発散するに限るよな」
ここ半年の努力により生来の虚弱体質が改善されてきているとはいえ、小学校へ登校もできていない現実の大悟には、二十三区内であっても別の区に足を運ぶのは容易なことではない。体調の良い日が連続で続いていることを前提に、大人達に連れていってもらっているのが現状である。その分、別の区での通常対戦はしこたま行うのが常だ。
デューの永久退場から一夜明けての翌日。そんな大悟は両親に適当な理由をつけ、新宿方面に赴いた。
この地域は元より西東京の対戦のメッカとして栄え、夏休みであることも加わって対戦相手はより取り見取り。大悟は家族の目を盗んでは、マッチングリストに載っていたバーストリンカーと片っ端から対戦していった。一日一度までの乱入制限も解除をして、普段以上に苛烈に。
短いインターバルを挟みながら、何度も現実と加速世界の行き来を繰り返し、ややあって新宿周辺に根を張る、ブルー・ナイトのレギオンに所属する上位メンバーに当たる。そこには大悟の目論見通り《観戦予約登録者》、すなわちギャラリーとしてナイト本人の姿も見られた。
大悟は暴れる理由をまともに話すことなく、メンバーをこき下ろし、更にはギャラリーを扇動することでレギオンとの《連続対戦》にこぎつけた。
連続対戦は通常対戦後に勝者とギャラリー内のプレイヤー間で合意があれば、一つの対戦後も加速停止して現実世界に戻ることなく、続けて対戦を行えるというもの。
勝利さえ重ねていけば、一度の加速でより多くの対戦が可能になり、勝利の数だけある種の箔も付くが、精神的消耗は対戦数を重ねた分だけ大きくなっていくので勝率は下がる傾向にあり、基本的に推奨される対戦形式ではない。
そんな連続対戦を大悟は挑み、相手との相性の他、ステージギミック等の運の要素も絡み、時には紙一重で勝利すること実に九度。
最後は十人目の対戦相手であるナイトの一刀の下に斬り伏せられ、その日間違いなく
それらの経緯を大悟はダフネに説明してから、更に知った事実を伝える。
「……シェルフの奴は、違法ツールを利用した対戦を行うようになっていたそうだ。それで勝率を上げていたんだと」
それがギャラリーの存在しない無制限中立フィールドで、オーク・シェルフとデュー・ウッドペッカーの《親子》について関わりを持ったいきさつを大悟が話した後、ナイトから聞かされた内容だった。これにはまだ続きがある。
「ただ、そのことを自ら打ち明けて処罰を申し出たらしくてな。ツールを渡してきた、裏でPK集団と関わりを持っていたレギオンメンバーも告発して、ナイトはそいつもとっくのとうに《断罪》していたそうだ」
レギオンの長であるレギオンマスターは、特権として所属するメンバーのみに発動することのできる特別な必殺技を持つ。
それが断罪。正式には《
効果は対象のポイント数を問わずゼロにして全損させるというもの。無論、滅多に使われるものではなく、多用するような暴君であれば即座にレギオンは瓦解するだろう。
「あのナイトのことだ。これが嘘や作り話とは俺には思えん」
「…………前に一度、シェルフがリアルの身の上を話してくれたことがあってね」
以前にシェルフ全損の理由を大悟が訊ねた際に、心当たりのある様子だったダフネは特段驚いたりはせず、少し迷うような素振りを見せてから話し始めた。
「シェルフとデューの両親はずっと前に離婚していて、去年シングルマザーだったお母さんが再婚したの。それで、それまで住んでいた新宿区から港区に引っ越してきたんだけど、新しいお父さんは教育に厳しい人みたいでね。二人を遠隔講義塾に入れて、テストの成績が悪ければ学校以外で外出はさせないし、グローバルネットにも接続させないらしくて。きっとそれで二人は……」
「学業にポイントを利用するようになったわけか」
たとえ加速世界でいくら名を馳せようが、バーストリンカーはもれなく子供。シェルフ達のケースといい保護者の影響力は強く、そうでなくとも現実ではとても無力な存在と言っても過言ではない。
境遇は違えども、その一点だけは大悟も痛いほどに理解できる。
「他にも分かったことがある。デューはナイトを《親》の仇と言っていたが……本当はシェルフが、自分から永久退場させられたことを知っていたそうだ」
「知っていた?」
これはさすがに予想していなかったのか、ダフネは寝耳に水といった様子で、アイレンズを大きく見開いた。
「どういう……それならナイトを恨むのは筋違いだって、あの子も分かるはずじゃ……」
大悟がナイトに話を聞いた時と、全く同じ感想を口にするダフネ。その困惑はもっともである。
「ナイトが言うには、断罪させられる前にシェルフはデューにメールで、メッセージを残していたらしくてな。魔が差して──といっても一度や二度じゃないだろうが、元々は生真面目な男。良心が咎めたんだろうよ。この件とは無関係な、残されるデューが自分と同じ道を辿らないように事実を知っておいてほしかったんだと」
反面教師とでも言うのだろうか。裁かれる前にデューへメッセージを作成していたシェルフの心境は、大悟には窺い知れない。
対戦以外で接点はほとんどなかったが、大悟の知る限りは安易に不正に手を染めるような男ではなかったはずだ。にもかかわらず誘惑に負けたのは、それだけあらゆるプレッシャーに追い詰められていたからか。
ちなみに件のツールもパッチが当てられ、とっくに使用できなくなっている。加速世界の黎明期の時点で、考え得る限りの『ポイントを楽に稼ぐ手段』は使用できなくなったと思っていたが、未だに逃げ道はあるらしい。そういったシステムの穴を探す集団でもいるのだろうか。
「それでもデューには納得ができなかった。正にその通り、筋違いだ。前にお前さんが言っていたように、こういうのは理屈じゃないんだろう。頭では理解していても感情は別物。理由は何であれ、ナイトによってシェルフがブレイン・バーストを失ったのは事実で、ナイトもそれを承知していた」
「じゃあ……ナイトはデューがブレイン・バーストを続けるモチベーションとして、憎まれ役を受け入れていたってこと?」
「そういうことになるな。確かにシェルフのやったことは良くないことだろうさ。それでもシェルフはデューにとっては最高の兄貴で、ナイトにとっては大切な友人だった。だから二人はシェルフの永久退場の理由を周りに口外しなかったし、俺達以外に事実は今も知られてはいない」