アクセル・ワールド・アナザー 曼殊沙華には祈らない 作:クリアウォーター
第十一話 薫るは沈香、名乗るは師匠
「
ダフネがやるせなさそうに呟いて煙管を咥えてから、口から煙と溜め息を同時に吐いた。
出会った当初から度々見せるその仕草は、どう多く見積もっても現実では小学生だというのに、妙に様になっている。
ちなみにナイトはシェルフ断罪については伏せた状態で、ほぼ同時期にシェルフへツールを渡していたメンバーの断罪したことをレギオン内で公表しているそうなので、何となく察している者がいるかもしれない。
しかし、敢えて自分から嫌な気分になろうとする者もいないだろう。実際、ナイトも深く追及をされはしなかったと聞く。
「シェルフの時も……それより前から思ってたけど、ブレイン・バーストを失った人達は、うまくやっていけるものなのかしらね。バーストリンカーだったことも、加速世界の存在も忘れてさ。デューについてもそれだけが心配」
「まぁ、今まで通りとはいかないだろうが……案外どうとでもなるものだと俺は思うね」
気を抜くとすぐに場の空気が重苦しいものになりそうなので、大悟はそれまでと一転した調子であっけらかんとダフネの疑問に答えた。
「ブレイン・バーストの開始から二年と少し。総人口がようやくおよそ千人になった。それって日本の子供の──東京の二十三区だけでもいい、全体の何パーセントになる? まして、現実で日常的に加速を利用している奴は全体の中で何人になる? ほとんどの人間は加速なんてしなくてもやっていけてんだ。人間、無いなら無いで欠けた穴を埋めようと知恵を回すさ」
「だったら失ったことに気付いてないのは、ある意味で救済なのかもね。変に執着することもないし」
「救済……どうなんだろうな。実際のところは自分がその境遇に置かれていたこと自体憶えてないだろうから、当人にも聞きようがないが……」
依存していたものに振り回される心配がないという点は、確かに不幸中の幸いなのだろうが、大悟にはダフネの言うように救済とまでは思えなかった。
煩わしい広告収入もリアルマネーの課金もない、プレイヤーに一切の見返りを求めている様子のないこのゲームが、アンインストールした者の記憶まで消しているのは、間違ってもプレイヤーを気遣ってのことではなく、ある種の口封じのような気がしてならないのだ。
これまで運営が介入してきたことは、他のアプリを利用したポイント収集方法へのパッチ当てなど、ごく少ない頻度でしかない。
バーストリンカーならば大なり小なり、そんなブレイン・バーストの運営や製作者について気にしたことがあるだろうが、今はまだ小学生である自分達に調べる術はほとんどなく、今回のような機会がなければ栓のないことだと、大悟もほとんど考えることはない。
「ただ、デューの奴はさ……礼を言ったんだよ」
「礼?」
「消える直前で俺に『ありがとう』ってな。デュエルアバターの体が消えていく中で、シェルフの件も含めて恨み言の一つも口には出さなかった。だからきっと、あいつは大丈夫だと俺は思う」
今まで大悟が対戦相手やギャラリーとして最終消滅現象の現場に立ち会った際、中には悪態を吐き、散々喚き散らして消えていく、ブレイン・バーストを単なるライフハックツールとして、多分に利用していると思わしき者もいた。
無論、デューも全く未練がないわけではなかっただろう。第一、あんな結末を望んだわけがない。
それでも最後の最後で人に感謝ができる者であるなら、加速の力を失ってもやっていけるはずだと、大悟はそう信じたかった。
「ふーん? 短い付き合いだったのに、あの子のこと随分と信頼してるのね。お師匠さんてば、やっぱり寂しい?」
「師匠ね……」
多分に希望的観測の入った大悟の言い分に納得できるところがあったのか、ダフネは少し明るく、からかうように訊ねてくる。
確かにデューは自分を師匠と呼んでくれていたが、振り返ってみれば、自分は彼を一度も弟子とは呼ばなかったし、認識していなかった。
きっと心のどこかで、自分は誰かにそう呼ばれるような存在ではないと自覚していたのかもしれない。あるいは自ら弟子と口にしないことで責任から逃げていたのか。
「そう呼ばれるには、まだまだ未熟だったな」
「連戦重ねた上で《
ダフネの言う通り、真相を知るならそれだけで良かった。
大悟も別にデューに代わって、ナイトやレギオンメンバー達を討とうなどと考えていたわけではない。
訳がありそうだったから大っぴらに聞くのは憚られた。
仮にシェルフがメンバー内の誰かに嵌められていて、そのメンバーがまだ在籍しているのなら一度倒しておきたかった。事実は異なっていたし、とうにナイト自身が片付けていたが。
そういった理由があるにはある。
だが、結局のところは大層なものではなかった。それはただ、何ということはなく──。
「一言でまとめれば、ただの八つ当たりだよ。頭と体を──生身じゃなくても動かさないとやってられなかった。それだけ」
「えぇ……? そんな子供じみた理由なの?」
「別に良いだろ、子供なんだから。あぁ、それともう一つ話すことがあった」
予想した通りに呆れたような声を出すダフネに、大悟は開き直ってみせてから、ここを訪れたもう一つの、ついで程度の報告をする。
「何日か前、訳あって俺が一方的に離れていった、それまでつるんでいた仲間の二人とほぼ半年振りに会ったんだ」
新宿エリアで散々暴れた日から二日後。大悟はいくらか気が晴れはしても、まだいつも通りの調子とはいかなかった。
そこで経典が亡くなって以降は何となく避けてしまっていた、自分の住む世田谷エリアで対戦をすることにした。すると即座に、大悟が経典や他のバーストリンカー達とで作った、一種の《サークル》メンバー二人に乱入を仕掛けられたのだ。
後に聞いたところによると大悟の新宿での行動を知ってから、近い内に
「それでもう一度、一緒に活動しようってことになってな」
「ふんふん、その人達に慰められて傷心から立ち直ったってわけね。良い人達じゃない」
「いや、めちゃくちゃ殴られた。しかも対戦二回続けて」
「仲直りしたんじゃないの!?」
「したとも。それがあいつらとの和解の仕方だったんだよ」
ダフネの言うように、最後は大悟と仲間の二人はしっかり仲直りをしたのだが、それは約半年間の音信不通の
これを大悟は抵抗せずに甘んじて受け入れた。
心が荒んだ状態で真っ向からぶつかってくれる存在が──だいぶ物理的ではあったが、大悟にはありがたく、何より嬉しかったのだ。……決して二人の剣幕に圧倒されたわけでなく。
「──で、俺らにもプレイヤーホームがあってな。お前さんさえよければ、たまに顔を出すと良いって伝えておきたかったんだ。一人でここにいるだけじゃつまらないだろ? 場所は世田谷の第四エリアで──」
「あー……悪いけど、それは無理」
「……もちろん無理強いはしないが、そいつらも別に誰彼構わず殴ったりしないぞ? 普段は気の良い奴らだし」
「ううん、そうじゃなくてね……」
おっかない印象を持たせてしまったかと付け加える大悟だったが、ダフネは歯切れの悪い遠慮を何度か繰り返してから、言い辛そうに切り出した。
「その…………私ね、アメリカに引っ越すんだ。明日にはもう発つの」
引っ越し。しかも海外。これもまた、子供にはどうしようもない事情だ。
「親の仕事の都合でね。もう何ヶ月も前から決まってて、本当は夏休み前には日本を発つ予定だったんだけど、向こうの物件で何かトラブルがあったらしくって。それで予定が大きく延びちゃって……今回が最後の加速のつもりでダイブしたの。まさか誰かに会うとは思ってなかったけど、最後にこうして話せて良かった」
「最後って……日本には戻ってこないのか?」
「もちろん里帰りに日本に戻ってくることもあるだろうけど、両親の実家は両方とも関東圏内じゃないし、現時点だと少なくとも高校卒業までは東京にはもう……戻らないと思う」
ダフネが『最後』と言うのには理由があった。
バーストリンカーの人口が東京に集中している現状、東京から離れた分だけ対戦相手に出会う確率は低くなり、ポイントを増やすには無制限中立フィールドでエネミーを狩るくらいしか選択肢がなくなってしまう。
これを《引っ越し引退》とも言い、こうなると大抵はジリ貧になって、じきにポイント全損に陥るケースがほとんどだろう。しかも海外となると、状況はより深刻になる。
ブレイン・バーストが生み出す加速世界は、日本全土にまで広がっている。しかし、今のところ加速世界を創り出すソーシャルカメラが普及しているのは日本のみ。そして、ソーシャルカメラ・ネットワークに接続できない海外では、ブレイン・バーストプログラムの起動自体が不可能なのだという。
「デューはこのことは?」
「……いいえ。中々言い出せなくて、結局言えずじまいになっちゃった。機会はいくらでもあったのに、バカみたいでしょ?」
自嘲気味に笑ってから、ダフネは煙管を持っていない左手に鍵を一つ出現させた。このプレイヤーホームの鍵だろう。
現代日本で『鍵』という存在は、ニューロリンカーなどの端末を介した電子式が主で、実物を見る機会はほとんどない。大悟もこれまで父親の実家である寺の敷地内に建つ、道場や倉庫などの錠を外す鍵ぐらいしか直接見た憶えはなかった。
「本当はデューに渡すつもりだったけど……よかったらあげる。もう私が持ってても仕方ないし、バーストリンカー辞めるには頃合いかなって」
「…………」
差し出された銀色の小さな鍵を大悟はじっと見つめてから、やがて首を横に振った。
それを見て、ダフネは少しだけ残念そうに鍵を摘まんだ手を引く。
「……そう。まぁ、ホームがあるって言ってたし別に要らないよね」
「いや、キーは貰う。ただし一つだけ、サブキーの方をな」
そう言って大悟は手をダフネへと差し出した。
プレイヤーホームの鍵は二つあり、二つ目をホーム所有者が誰かに譲渡することもできる。ちなみに複製は不可能である。
「一つはお前さんが持っていな」
「いやでも、私は……」
「先のことはどうなるか分からない。また東京に戻ってくる可能性もあれば、もしかしたら何年かしてソーシャルカメラの技術が海外にも普及して、アメリカまで加速世界が広がるかもしれない。だからまだ、バーストリンカーであり続けてみないか?」
この加速世界はまだまだ楽しめる可能性を秘めていると、大悟は確信している。
きっかけが偶然でも成り行きでも、ここでの人物達との関わりさえ忘れてしまうというのは、あまりにむなしいではないか。
「記憶を持ち続けるのが辛くて、ポイント使い切って適当に死んでアンインストールするっていうなら、それは止めない。だが、手放すにはいろんな意味で勿体ないと思う。良い思い出だって沢山あったはずだ。このホーム一つとっても」
購入までの過程やその後のこの場所で過ごした日々。それらの時を誰かと分かち合って今がある。
その中の一部には大悟も含まれている。ダフネやデューとはもう赤の他人ではないのだ。
「お前さんがここをもう一度訪れるその日まで、俺がここのハウスキーパーを請け負おう。どうだ?」
「……っ!」
はっと息を呑んだダフネは俯くと無言になり、やがて肩を震わせ始めた。そして──。
「……………………っく」
「…………うん?」
「っあはははは! あーっはっはっはっはっ!!」
爆笑した。爆笑された。
大悟には意味が分からない。てっきり感極まってしまったのかと思っていたら、ダフネは煙管をテーブルに放り、両手で腹を抱えて大笑いしている。
「いや、笑うところじゃないだろ……ないよな?」
「だっ……だって! は、は、ハウスキーパーって……!」
「そこかよ!」
「だ、だめ……! もうその頭巾が……掃除する時の三角巾にしか見えない! あっはははは!!」
何がそこまで面白いのか、笑ってはむせて、また笑ってを繰り返すことおよそ一分。ようやくダフネの笑いは収まった。
「はーあ……ごめんって。そんなに拗ねないでちょうだいよ」
「拗ねてない」
謝るダフネに大悟は憮然と返す。人間、何が笑いのツボになるのか分からないものだ。まさかあの状況で大笑いされるとは夢にも思わなかった。
「あーあ、ったく。ガラにもないこと言うもんじゃないな」
「ううん、言葉のチョイスはともか──ふふ、嬉しかったわ。確かに……捨てるには勿体ないものね。はいこれ」
思い出し笑いを堪えながら、ダフネはテーブルの上に鍵を置いて大悟の方へと差し出した。
半ば不本意な気分になってしまったが、一応自分の言葉が彼女に響いたらしいので良しとし、大悟は鍵を受け取る。そこでふとある物が目に留まった。
「……なぁ、それ少し見せてもらっていいか?」
「え? これ? いいけど……」
テーブルに放られたままだったダフネの煙管を、許可を得た大悟は手に持ってみる。前々から面白い強化外装だと思っていたのだ。
未だ火皿から薄く立ち昇る煙の香りが、大悟の嗅覚をくすぐった。
「お前さんのアバターネームのダフネ・インセンス。直訳すると『沈丁花の香炉』ってところか?」
「正解。わざわざ調べたの?」
「知らない英単語だったからな。でもこの香りには憶えがあった」
初めてこのホームを訪れた(厳密には運ばれた)時から漂っていたこの匂いに、大悟はどこかで嗅いだ記憶があると思っていた。
その日のログアウト後に辞書アプリでダフネという単語について調べ、ようやくその理由が分かった。
園芸が趣味の祖母が育てている花の一種に沈丁花があったのだ。記憶の中の小さな花弁が寄り集まった形状は、ダフネの頭部にある花飾りの形にとても似通っていた。
「これ吸ってみてもいいか?」
大悟は煙管をためつすがめつ眺めながら、ついでとばかりに訊ねる。
呼吸器系の弱い生身でする気はさらさらないが、古い映画などで目にする喫煙の仕草には少しだけ憧れがあった。このあたりの感性は大悟も年相応である。
「どうぞ」
「どれどれ──ぶっ!? げぇっはぁっごほっ!!」
ダフネに確認を取ってから、口元の頭巾を下げて吸い口に口を付けて軽く吸うと、大悟は一瞬でむせた。
それを見てダフネがまた笑っている。
「おま゛……わがっでだな゛ぁっ! げっほっげぇほっ!」
特に迷いもせずに快諾したあたり、ダフネはこうなると承知の上だったのだ。
一杯食わされた大悟は咳き込みながら煙管をテーブルに放り、今後一生、喫煙はするまいと自分に固く誓った。
「はー、おっかしいの。ていうかさりげなく間接キスだね。てっきり裾とかで拭くかと思ったのに」
「そんなの気にするか。デュエルアバターじゃ尚のことな。子供かお前さんは」
「ふふん、子供だもーん」
開き直るダフネ。
そんなやり取りにどこか可笑しさがこみ上げて、今度は大悟も一緒に笑う。
たとえ今日がこの先、二度と会うことがない別れの日だったとしても、辛気臭い別れよりも笑顔で別れた方がずっと良いものだと、ダフネと笑い合う大悟は思うのだった。
一週間後、これまでの長い治療やリハビリの甲斐あってか、この年の九月半ばより大悟に通常登校の許可が出ることになる。
時は二〇四一年八月下旬。今までの大悟にはほとんど関係のなかった、夏休みがもうすぐ終わる。
五年後、四月某日。
紅葉が舞い散る石敷きの小道に大悟は立っている。
ここはブレイン・バーストプログラムが作り出す通常対戦フィールド。視界上部には自分と対戦相手の名前、体力と必殺技の二つゲージバー、そして千八百秒の制限時間がカウントダウンを刻んでいる。
対戦相手は三日前にひょんなことから出会った、大悟が《子》として選んだ少年である。
昨日ブレイン・バーストをコピーインストールしたのだが、詳しい説明をする前に、今朝すでに他のバーストリンカーに対戦を仕掛けられて、訳も分からない内に惨敗したらしい。
そのため再戦に備えて、加速世界での顔合わせとレクチャーも含めた対戦をすることにしたのだ。
ちなみに現実の大悟と少年は、駅前の喫茶店で有線による直結通信で対戦をしているので、このフィールドにギャラリーは存在しない。
やがて十メートル以上離れた相手の方角を示す、青い三角形の《ガイドカーソル》が消えると、すぐに一体のデュエルアバターが姿を現した。
視界に表示された名前の通り、やや白みを含んだ透明な装甲群と、額から伸びる二つの角が鬼を思わせるフェイスマスクを装備したアバターだ。こちらの姿を眺めながら不安げな足取りで歩いてくる。
「──ここは《平安》ステージって呼ばれているフィールドだ。この姿とマッチしているから俺は割と好き」
大悟はデュエルアバター姿の少年にステージ名を紹介しつつ、改めて向き直る。
「っと、改めてよろしくアイオライト・ボンズだ。加速世界ではそうだな……」
──『はい! よろしく、師匠!』
大悟の脳裏に浮かんだのは、無邪気に返事をする少年騎士。体感的には遥か昔の、されど忘れられそうにない光景の一つ。
「──『師匠』とでも呼んでくれると嬉しい」
ほんの少しだけ迷ってから、かつて一人にだけそう呼ばれた呼称を出した。
この加速世界で少年を導く存在になろうという、大悟なりの決意の表れでもある。いつか師匠などと大仰に呼ばせている理由を、目の前の彼に教える時は来るのだろうか。
「よ、よろしくお願いします、如……師匠」
そんな大悟の心情を知る由もない少年が、こちらの苗字を言いかけながら、ぎこちなく挨拶を返した。
これが大悟と少年の、加速世界におけるファーストコンタクト。
この少年と加速世界だけでなく現実でも深い絆を結び、大悟が抱え続けていた、とある悔恨を氷解させるきっかけとなるのは、これよりまだ先の話となる。