アクセル・ワールド・アナザー 曼殊沙華には祈らない 作:クリアウォーター
第十二話
第十二話 チョコレート・ディスコミュニケーション 前編
厚い防寒具が手放せない二月の寒空の下、手袋をした制服姿の少年が一人歩いている。
少年──
冬が過ぎれば、ゴウは東京で過ごす二度目の春を迎える。もっとも、それまで暮らしていたのは神奈川県だったので、県隣りの東京都とで何がどう違うわけでもないが。
そんなゴウの歩くペースは、心なしか常よりも少し早い。その『原因』が入っている、肩にかけた学生鞄をちらりと見やる。
──別に持ってきちゃってよかった……よな?
それが目に付いた瞬間、とっさに鞄の中に詰め込んでしまったが、もしかしたら手違いだったかもしれないと、今更ながらに思い悩み始めるゴウ。
──でも今から学校に戻るのもなんだかなぁ……。
表情と足取りは変わらないまま、ああでもないこうでもないと悩み続ける。
傍から見れば、どこにでもいる中学一年生。実際その通りである。
多くはなくとも同学年の友人達がいて、勉強はニューロリンカーによる早期教育のおかげかそれなりにできて、運動は平均から良い意味でも悪い意味でも大きく逸脱する点はない。身長はクラスで下から数えた方が微妙に早く、顔立ちは彫りが浅めな丸顔で、髪は短髪の黒(最近白髪が何本か生えていることに気付き、少しだけショックを受けた)。
そして、首元にはマットグレーのニューロリンカー。
西暦二〇四七年の日本では、どこにでもいる十代男子の一人だ。そんなゴウが周囲のほぼ全ての人間と明確に違う点を、一つだけ挙げるとするならば──。
バシイイイイッ!!
唐突にゴウの耳を、脳内をそんな音が叩いた。視界が暗転する。
この合図によって、もう一つの世界に呼ばれたことをゴウは一瞬で理解した。
何故ならゴウは世界でおよそ千人しか存在しない、思考を千倍に加速させる対戦格闘ゲームアプリ、ブレイン・バーストをニューロリンカーにインストールしたプレイヤー、通称バーストリンカーの一人だからである。
【HERE COMES A NEW CHALLENGER!!】
暗闇の中央で発生した炎が、そんな文字を象った。
視界が回復すると、それまで歩いていた街並みは、石造りの建物が並ぶ景色に変わっていた。壁の一部は朽ちて崩れ落ち、あちこちが苔や蔓に覆われている。
ブレイン・バーストのシステムが作り出す対戦フィールドの一つ、《古城》ステージと呼ばれているフィールドだ。
地形同様、ゴウの姿も生身の人間ではなく、ブレイン・バースト内で活動するデュエルアバターの体に変化している。
名前は《ダイヤモンド・オーガー》。
全身には白みの混じった透明な装甲。頭部は額の両端から二つの角が伸び、鬼を思わせるフェイスマスクを装着している、ゴウの魂から創り出されたデュエルアバターだ。
登下校中に通常対戦をするのがゴウの平日の日課となっているが、今日は自分から対戦を仕掛けようとは考えていなかった。
それでも一応グローバルネットに接続はしていて、自宅に着くまで他のバーストリンカーから対戦を仕掛けられる、いわゆる《乱入》をされるかされないか、一人で運試しをしていた。
元より挑戦を受ける姿勢は取っているので、乱入されるならそれで良し。されなくてもそれもまた良し。どちらにせよ、ゴウにとってはマイナスの無い賭けだ。対戦に負けさえしなければ。
「どれどれ相手は……」
一体誰が乱入してきたのかと、ゴウは視界上部の左側に位置する自分のアバターネームと体力ゲージとは反対側に表示された、相手のアバターネームを確認する。
知らない名前のアバターだ。レベルは4で、今月に入ってレベル5になったゴウの一つ下。いかに一つだけとはいえ、レベルが上の初対面の相手に挑むとは、それだけ自信があるのか。
世田谷住まいのバーストリンカーか、それとも他地区のバーストリンカーか。
過疎エリアとも呼ばれる世田谷エリアでも、現実で電車やバスでの移動中に、エリア内に入った他地区住まいのバーストリンカーが対戦を行うことは間々ある。そのため学生の登下校の時間帯には他の時間帯よりも、一時的かつ他地区に比べてわずかにではあるが、マッチングリストに載るバーストリンカーの数が増える傾向にあるのだ。
ただ、周囲に他のデュエルアバターの姿も気配が感じられないことから、今回はこの対戦を観戦するギャラリーはいないらしい。タイミングが合わなければ、こういったこともまた珍しくはない。
そんなことを考えていると、相手の必殺技ゲージがわずかにチャージされた。
すでに制限時間三十分の対戦は始まっている。ここに留まり続けても始まらないので、ゴウは対戦相手の大まかな方向を指す、水色をした三角形のガイドカーソルが示す方向へと小走りで進み出した。
そこから城壁の崩れている箇所を殴る蹴るで破壊しながら、対戦相手を探すゴウだったが、五分を過ぎても対戦相手の姿は見えない。それどころか、ガイドカーソルはせわしなく向きを変えてほとんど同じ方向を指さない。
どうも相手はこちらから逃げ回りつつ、必殺技ゲージの確保に専念しているらしい。
身を隠せる背の高い城壁が多く、崩れた部分を通って先に進みやすい《古城》ステージは、そういった行動をするのに適しているフィールドだ。
相手はフィールドの特性をしっかり把握している、つまりはそれなりに場数を踏んでいる者と考えた方がいいのかもしれない。
「僕のことを知ってて対抗策を用意してるのか、それとも他に何かあるのか……。よーし……」
おいそれと相手を優位に立たせるわけにもいかないので、このあたりでゴウは強硬策に出ることにした。
「着装、《アンブレイカブル》」
右手を広げ、コマンドを唱える。
すると、右手に白い光が発生し、縦に伸びていく。すぐに光は消えると、代わりにゴウの右手には、鋲のように丸い突起が規則的に並んだ、全長百五十センチほどの透明な金砕棒が握られていた。
ゴウは強化外装を両手で握ると、目の前の壁めがけて思いきり振り下ろす。
「ふっ!」
ダイヤモンド・オーガーの持つ常時発動型アビリティ、《
ゴウはすぐに穴を通ると一直線に進んでいき、その先でシステム的に破壊不可能な建物以外が阻めば、また金棒を振るって砕いていく。
力技なショートカットを続けた末に、ようやく表示され続けたガイドカーソルが消えた。対戦相手が自分の十メートル以内に入った証拠だ。
一体どこにいるのかと、ゴウが曲がり角に出たところで首を動かすと──いた。
不意の遭遇に、ゴウも相手も一瞬だけ硬直。わずかに相手の方が早く動き出し、その場から離れていく。
「あ、待て!」
さすがにこれ以上の鬼ごっこは御免であるゴウは、重いので走る分には不利でしかない《アンブレイカブル》を、自分のアイテムストレージに収容してから追いかける。
しかし、もう相手も逃げるつもりはなかったらしい。
すぐに開けた場所に出て足を止めた相手の姿を、ゴウはようやくをまともに見ることができた。
かなり小柄なF型アバターだ。ボンネットタイプの大きな鍔付き帽子に、左右に長く伸びた髪パーツ、下半身は大型のスカート装甲。
そしてその全身の装甲色は、表示されているアバターネーム通りの──チョコレート色。
「……お初にお目にかかりますわね。わたくし、《ショコラ・パペッター》と申しますわ!」
「え?」
唐突かつ堂々としたお嬢様口調の、実際にお嬢様のような出で立ちをしたショコラ・パペッターなるアバターの名乗りに、ゴウは思わず疑問の声を漏らしてしまう。
何故なら、ゴウの視界に表示されている相手のアバターネームは《Chocolate Puppeteer》となっているからだ。
「ショコラ・パペッター? 《チョコレート・パペッティアー》……じゃなくて?」
「その読み方で合っていますけれど、ショコラ・パペッターの方が可愛いし言いやすいでしょう!」
有無を言わせない物言いだった。それまで逃げ回っていたとは思えない、断固とした口振りである。
「ところであなた、ダイヤモンド・オーガーで間違いない……ですわよね?」
「そうだけど……そっちから乱入したんじゃ……」
「…………」
こちらの名前を確認すると、パペッティアー改めパペッターはいきなり黙り込んでしまった。
そちらから対戦を仕掛けてきておいて、今になって名前の確認とはどういうことなのか。
「──したの」
「はい?」
「リストの名前を押し間違えましたの! 選ぼうとした相手の一つ上にあった、あなたの名前を押してしまいましたのよ! これ、ギャラリーがいないから白状してるんですからね!」
「え、えぇー……?」
文句あるかと言わんばかりのパペッターの剣幕、あるいは開き直りに、思わずゴウは気圧されてしまう。
今まで何度も対戦を仕掛け、仕掛けられてきたゴウだったが、マッチングリストで間違えられて選ばれたというのは初めてのことだ。少なくともこれまで対戦相手にそう言われたことはない。
「わたくしだって久々の対戦で、あの《アウトロー》のメンバーを相手しようなんて思ってませんでしたわよ!」
「あ、アウトローのことも知ってるんだ」
「もちろんですわ。世田谷のバーストリンカーでアウトローを知らない人なんて、
後半の方の独り言は小さすぎてゴウにはよく聞き取れなかったが、ともかくその言いようからして、パペッターは世田谷で活動しているバーストリンカーらしい。
──住んでいる地区でも、一年足らずじゃまだまだ知らないバーストリンカーはいるんだなぁ。
「──ともかく。こうして対戦することになった以上、相手が誰であれ負けるつもりはありませんわ」
覚悟を決めたらしく、パペッターの醸し出す空気が少しだけ変わった。
ここからがようやく対戦の始まりだと、ゴウも意識を切り替える。
「もしもわたくしがひたすら逃げ回ることしかできないだけだとお思いなら、大間違いでしてよ!」
意外にもパペッターの方から先に仕掛けてきた。
ゴウの見たところ、カラーサークル上でのタイプは《遠隔の赤》と《間接の黄色》の中間なので、近接戦闘より距離を取って戦うタイプのアバターだと思っていたからだ。
「シッシッシッ!」
小柄なアバター特有の軽快さでゴウとの間合いを詰めたパペッターは、両腕を構えた状態で左ジャブを三連続で繰り出してきた。
かなりキレがある動きに驚きながらも、ゴウは右腕の装甲で受けながらジャブをいなし、出の速い左フックを繰り出す。
すると、この動きを読んでいたのか、パペッターはバックステップで回避。そのまま動きを止めることなく、今度は左脚でミドルキックを放ってきた。
「ハイイイッ!」
「ぐっ……」
気合と共に出された蹴りに今度はガードが間に合わず、横腹に衝撃と痛みが走る。
体力の五パーセントにも満たないダメージだが、初撃を本来は遠隔型か支援型と思わしきデュエルアバターとの近接戦で食らうのは、ゴウには予想外のことだった。
「まだまだですわ!」
更にパペッターは両腕でゴウの首を押さえにかかる。
──この体勢……そうか!
ようやくパペッターの近接戦闘スタイルを理解したゴウの腹部に、膝蹴りが二発続けて叩き込まれた。
もう一撃を食らう前に、ゴウは反撃に動く。
まずはこちらの首を押さえている、パペッターの両腕の内側に自分の両腕を滑り込ませる。あとはそのまま──。
「せあっ!」
ゴウが両腕を外側に大きく振り払うと、さすがにそこは腕力の差、パペッターの両腕から首が解放された。続けて一歩だけ下がって左脚で前蹴りを決めると、それだけで軽量級のパペッターを数メートル先まで吹き飛ばす。
今のゴウの蹴りがパペッターに与えたダメージは一割。
特に頑丈そうな見た目ではないのにもかかわらず、ダイヤモンド・オーガーの力でそれだけしか体力が削れていないのは、蹴りがパペッターのフレアスカートの装甲に当たったからだ。
──打点が微妙に外れた。しかも今の感触、衝撃が吸収されたような……。
あのチョコレートに似た装甲は、打撃に対して多少の耐性を持っているのかもしれない。その点は、繰り出す攻撃がほぼ打撃しかないゴウにとって相性の悪い相手である。
蹴り飛ばされたパペッターはすぐに体勢を立て直し、握った両の拳を肩より上の位置で構えた。
「その動き、ムエタイ使いか」
ゴウはこれまで、対戦の参考にメジャーな格闘技の動画を一通り目にしている。首相撲と呼ばれるクリンチ状態からの膝蹴りは、ムエタイの基本技の一つだ。
「その通り……と言いたいところですが、使い手を名乗れるほどではありません。総合格闘技を習っている友達から少し教わっていますの。その子はわたくしの一.三倍は強いですわよ」
ゴウに格闘スタイルを言い当てられ、微妙な情報を付け加えながらパペッターは頷いた。
「少しでも体力が削れれば儲けものと思いましたが、本格的な格闘戦ではあなたに勝てそうもありませんし、もう一度同じようにやってもダメージを与えるのは難しそうですわね」
そう言いつつ、パペッターは構えを解いて腕を下げた。その行為が勝負を諦めたわけではないことは、あのピンクに光る丸いアイレンズから窺える。
「ここからはこちらの本命の技でいきますわよ。《カカオ・ファウンテン》!」
声も高らかにパペッターが広げた右手から、アイレンズよりも眩いピンク色の光が