アクセル・ワールド・アナザー 曼殊沙華には祈らない 作:クリアウォーター
第二十話
第二十話 僧と鋏と鰐梨
「はぁい、ではこれで本日の検査は全て終了になります。お疲れ様でした」
若い女性看護師が検査器具の片付けや測定データの送信をてきぱきとこなしていく中で、大悟はやっと終わったかと軽く伸びをした。
病院という所は何につけても、とにかく待ち時間が長い。土曜日の半日授業が終わったその足でここに来て、数種類の検査を行っただけでもう十四時を回っている。
これから自宅に向かっていては、十五時からの『集会』には間に合わないので、今回はこの辺りでどこか適当なダイブスペースを探し、そこから無制限中立フィールドに向かわねばなるまい。
──まぁ、この辺は家からダイブするよりホームに近いが……。
そんなことを考えていると、データを確認していた中年の男性医師が大悟に向かって声をかけた。
「うん、見た限りは異常ないね。詳しいデータのまとめは、いつもみたいに後日親御さん経由で送るから」
「どうも」
大悟は毎年、学校の健康診断とは別に、個人で呼吸器系の検査を受けている。虚弱体質と小児喘息が改善されてからもうだいぶ経ち、以来大きな異常が見つかったことはないものの、両親には高校卒業までは毎年検査を受けるように言われているのだ。
もうほとんど風邪も引くことさえなくなった今、正直なところ面倒ではあるが、親としてはいろいろと心配なのだろう。費用を出してもらっている以上、これで文句まで言うのはあまりに贅沢だ。
「しかし大悟君、また大きくなったねぇ」
「へへ、成長期っすから」
この医師とは、ここ《国立成育医療研究センター》で入退院を繰り返していた頃から、年月ではもう十数年来の付き合いなので、大悟の口調も砕けたものになる。
「高校入って、バスケとかバレーとかやらないの? そんなにガタイが良いと勧誘とかされない?」
「いやぁ、でかいなら勝てるってものでもないでしょう、スポーツは。それに球技系はあんまり得意じゃないもんで」
とうに声変わりを終えた、同年代に比べてもかなり低い声で大悟は苦笑する。
ブレイン・バーストを始めた頃は、生身とアバターの体格差に感覚が慣れるまで少し手間取ったが、いつの間にかデュエルアバターと同程度の体格にまで成長していた。今や身長は家族三世代の中で一番大きく、父親の背もわずかに上回っている。
「じゃあ中学と同じで帰宅部?」
「ええまぁ」
「そうかー。もう運動しても問題ないわけだし、その体格で帰宅部は勿体ない気がするなぁ……って、これはお節介か」
「いえいえ。それにこっちでも筋トレとか軽い運動くらいはしてますから」
「ん? こっち?」
「あ、いやー……フルダイブゲームの方が現実より体動かすってことです」
こちらの言い方に引っかかりを覚えた様子の医師に、大悟は説明を付け足す。
「ああ、そういう……。僕、ゲームはもう長いことやってないなぁ。この仕事してるとねぇ……」
幸い、日々忙しい医師は過去を懐かしむだけでタイトル等の諸々を追及してこなかった。
バーストリンカーでない人間には、仮に直結をしたところでブレイン・バーストのアイコンさえ目にすることはできないので、説明するのも難しい。《フィジカル・バースト》のコマンドを唱えれば、その尋常ならざる反応速度によって証明になるかもしれないが、そんなことをしたところでただの悪目立ちにしかならない。無駄なポイント消費だ。
秘匿が第一であるブレイン・バーストをごまかす言い訳を考えずに済んだ大悟は、それから世間話もそこそこに診察室を後にした。
「《バースト・リンク》」
大悟は一階ロビーの長椅子に座ると、即座に最小の声量で加速コマンドを唱えた。
衝撃音が耳を叩き、人々や周囲の景色が青一色のほぼ停止した世界、
「よし、いたいた。ん? これは……」
リストには目当てのデュエルアバターの名前は存在していた。何度か加速しなければ名前が出てこないか、そもそも今日は現れないかもしれない可能性も大いにあったので、一度目の加速で見つけられたのは運が良い。仲間達との集会を終えた後にも探すつもりだったが、その必要もなくなった。
その相手は、リスト下にあるアバターとタッグチームであることを示すマークで繋がっていた。タッグチーム相手にはソロ側からなら挑戦することは可能だが、一対二では当然ながら勝率は下がる。
「……まぁいいか」
少しだけ考えてから、大悟はマッチングリストに表示された名前を軽く叩いた。
大悟の乱入をシステムが承認し、世界が青から暗転、続けてブレイン・バーストの対戦フィールドへと変わる。
フルダイブアバターから僧兵のデュエルアバター姿に変わった大悟のアイレンズに、色とりどりの光が入り込んできた。ライトやレーザーイルミネーション等の無数の光が、低い位置で立ち込める雲と夜闇を染め上げる、《繁華街》ステージだ。建物内進入不可ステージなので、一階のロビーにいた大悟は十数階建ての屋上に座標が移動している。
おおよそ現在位置は同じ敷地内に建てられた病院と研究所の内、北の方角を上として見ると、L字の形となっている病院の直角に曲がった部分。
相手が二人なので、二つ表示されているガイドカーソルの矢印は、どちらも奥側の病棟部分を指していた。一つの方向しか指していないのは、単に同じ方角にいるからか、それとも同じ場所にいるからか。おそらくは後者だろう。
大悟はある程度の段差を登り降りしながら移動を開始した。
そこから四隅を真上に向いたサーチライトが照らす、約二十五メートル四方のヘリポートに辿り着き、中心地点で対戦者達を待つこと数分。カーソルが消え、対戦相手である二体のデュエルアバターが到着した。
片方のアバターが左右の腰に一本ずつ装備した大型ナイフの片方を手に取ると、それを金網に向けて円形に大きく一閃。切り裂いた金網を蹴破ってヘリポートに足を踏み入れた。
長身細身のF型アバターだ。リング状のグリップ部分がやけに歪曲しているナイフは腰に戻さず、体のラインが目立つ赤紫色をしたリボン状の装甲が巻かれている全身で、唯一露出している口元で唇が真一文字に結ばれている。
穴の開いた金網の向こうから、更にもう一体のアバターが続く──。
「ん!? うーん……んんん……!」
続き──。
「んんんぬ────……!」
続──。
「ん──っ……! だぁっ!!」
続いて低い唸り声と共に、穴を更に押し広げて出てきた。元々かなり大きい穴だったのだが、なにせそのアバターは規格外の大きさなのだ。
高さは二メートル半、横幅が一メートル半はある深緑色の巨大な卵形に、体と比較して短い手足が付いているという異形の──声質からしてM型のアバターは、体の真ん中あたりから横に大きく裂けた口を半開きにして、浅く吐息を漏らしている。
──はー、こりゃメディックよりも卵みたいだな。
独特なフォルムを大悟が物珍しく思いながら眺めていると、F型アバターが横に並んだ巨大なアバターの方へ首を向けた。
「チョット狭かったかしら。悪かったわね、アボ」
「だいじょうぶ。おれ、通れたから」
「初めましてだな、《マゼンタ・シザー》。それに《アボカド・アボイダ》」
視界上部に表示された、自分のアバターネームの反対側に表示されている二つの名前を大悟が呼ぶと、二体のアバター──マゼンタ・シザーとアボカド・アボイダが揃ってこちらに注目した。
「……まさかハイランカーのアナタが、こんな場所にワザワザ現れるなんて思わなかったわ、アイオライト・ボンズ」
アボカドを気遣っていた時とはまるで異なる、警戒心の込められた硬い声でマゼンタは応じた。
「こんなギャラリーもいない過疎中の過疎エリアに来てどうしたの? この病院、アナタのかかりつけなの?」
「まぁ、そんなところだ。で、都合が良かったから、そのついでにお前さんの顔でも見ておこうかと思ってな。《ISSキット》ユーザーのマゼンタさんよ。あぁ、今はもう元ユーザーか」
ISSキット。正式名称、インカーネイト・システムモード・スタディキット。
装備すれば誰でも、強力な二種類の心意技が扱えるようになる強化外装。そして使用者の負の感情を増幅させて精神にまで影響を及ぼし、更には増殖機能まで備えていることから、王達もその存在を危惧した代物。
マゼンタ達が口を開く前に、大悟は更に続ける。
「まずはポイントも使ったことだし、対戦といこう。話はそれからだ」
「……別にワタシはアナタと話すコトなんてナイわよ。何一つね」
戦闘体勢を取る大悟に冷たくそう言い放つと、ヘリポートの南東端に立つマゼンタはこちらからは聞き取れない小声でアボカドに何やら伝えつつ、もう一本のナイフを腰から外した。
「おおおおおおおおおお!!」
片やアボカドはマゼンタの指示に体ごと頷くと、雄叫びを上げながら大悟に向かって突進を開始する。向こうがレベル5とはいえ、軽い地響きを立てて迫る巨体とまともにぶつかり合えば、レベル8のこちらでも押し負けるだろう。
横に目いっぱい両腕を広げて更に表面積を増やしているアボカドを、大悟はギリギリまで引き付けてから横に跳んで躱した。そうして、自分が立っていた場所を通過するアボカドの無防備な背中に回り込み、勢いをつけて殴りにかかる。ところが──。
「あん?」
大悟は驚きと疑問で声を上げた。打ち込んだ拳がめり込むどころか、前腕部までアボカドの体に埋まってしまったのだ。粘土かパン生地のような、粘りと弾力のある感触に包まれた右腕がゆっくり押し戻される感覚がある。しかも立ち止まったアボカドの体力は全く減っていない。
「これは……随分と風変わりな装甲──!?」
ジャキキキン! という音が聞こえたと同時に、大悟は背中に鋭い痛みが数回走った。
アボカドから右腕を引き抜いて振り向くと、マゼンタが両手で持った巨大な鋏をこちらに向けている。あれは二つのナイフを交差させて重ね合わせた、二本の大型ナイフだったものだ。アバターネームの通り、鋏があのアバターの武器か。
続けて何度か開閉した鋏の延長線上に、大悟は数珠型の装甲が巻かれた手首を動かした。今度はダメージがなかったが、装甲越しに音と衝撃が響く。
──鋏を閉じると距離無視の斬撃が発生するのか。接近して一気に片付けたいところだが……。
マゼンタの攻撃を分析しながら、開けた場所を選んだのを少し後悔し始める大悟。情報通の仲間から、マゼンタがこの《世田谷第五エリア》を中心に活動していることを教えてもらっていたが、どういった戦闘スタイルなのかまでは聞かなかったし、彼女の対戦を観戦したこともない。
相手方がこうも強力な遠隔攻撃を繰り出してくるのなら、遮蔽物がある場所に移動するべきだが、ここは開けたヘリポート。それに今更簡単に移動させてはくれまい。
大悟の推測を肯定するかのように、アボカドがぱっくりと開けた大口で齧りつこうと迫る。アボカドの口内は、夜のステージながらほとんどの場所が昼並みに明るい、《繁華街》ステージの照明群にも照らされない真っ暗闇で満たされていて、本能的に入るとまずいと悟った。
ばぐんっ、と音を立てて閉じられた口元へ回し蹴りを入れるも、やはり軟らかい感覚が衝撃を包み込んで無力化してしまう。
「ぐ……!」
その隙を逃さずに、実体のない鋏が立て続けに大悟の脇腹へと喰らいつく。
それからは突進や噛みつきを行うアボカドの攻撃を避けながら、ヘリポートの端を回って延長線上にアボカドを極力キープし続け、マゼンタの斬撃にも対応するという展開が続いた。たまに大悟の避けたマゼンタの攻撃が、アボカドの巨体にも当たるのだが、装甲表面に切れ目が入るだけですぐに修復してしまう。これでは同士討ちも望めない。
打撃を吸収してしまう軟質装甲に、対応し辛い不可視の遠隔斬撃。どちらもアイオライト・ボンズには相性の悪い相手だ。
だが、大悟はこれまで相性の悪いデュエルアバターなど、腐るほどの数を相手にしてきた。
──そろそろいけるな。
戦況を変えるべく、大悟は額に意識を集中させて《
「ははぁ、なるほど。そういう……」
「だあああ────っ!」
大悟は攻撃無効化のカラクリを理解し、ボディプレスを仕掛けてくるアボカドの体に沿って、独楽のような足運びで背後へ回り込んだ。そして無防備な、しかし打撃を無力化してしまう背面に右の掌を軽く当てる。
ひゅっ、と呼気を一拍。同時に腕は動かさずに、右足をその場でぐっと踏み込む。
その見た目ではほとんど動きのない動作で、アボカドの軟質装甲が内部から弾け飛んだ。