アクセル・ワールド・アナザー 曼殊沙華には祈らない 作:クリアウォーター
第三十四話
第三十四話 水面下のうねり
粘つく闇に、全身が包まれていた。
闇はどれだけ藻掻いても纏わり付いて離れず、それどころか抵抗するほどに自分を圧迫していく。
圧迫感と息苦しさを感じる暗黒の中で、またあの感覚が走る。まるで何かが、誰かが自分を呼んでいるかのような。そんな第六感めいた──。
その時、自身の姿も確認できない真っ暗闇の中で、何者かが目の前に音もなく姿を見せた。
ボロボロで薄汚れた服。潤いのない青白い肌。顔のほとんどを覆い隠す白髪。その全てが闇の空間で鮮明だった。
顔に垂れ下がった髪から覗く『彼女』の唇が動き──。
「…………はっ!?」
目が覚めた──のに何も見えない。それはゴウが掛布団に頭から包まれているからである。
夏用で薄手のものでも、これだけすっぽりくるまっていれば息苦しくて当然だと、体から布団を引き剥がす。ホームサーバーによって自動で遮光カーテンが開けられていた窓からは、すでに陽光が燦々と部屋に注がれていた。
寝転がったままベッドのヘッドボードに腕を伸ばし、手探りで掴んだデジタルクロックを確認すると、すでに九時半を回っている。今日は日曜日だが、ゴウとしては寝過ごしたと言える時刻だ。
「ぁあー……変な夢見た……」
ぼそりと呟きながらも、ゴウにはおおよその原因は分かっていた。
それは昨日の無制限中立フィールドにおける、高尾山登山での出来事。
天狗エネミーとの戦闘時に、ゴウは戦闘の影響で陥没してできた穴に落ちた。落下した。その場所は何故だか地下空洞が形成されていた。あの場所は何だったのだろうか。
街中に配備されたソーシャルカメラの映像を基に、通常対戦フィールドや無制限中立フィールドで形成されるのがブレイン・バーストの地形だ。その地形もステージによっては大きく変化するが、仮に現実でも自然によって作られた、人の手が入っていない単なる地下空洞だった場合、ソーシャルカメラが配備されていない可能性の方が断然高い。人が訪れないはずの場所にまでカメラを配備していたら、もうキリがないだろう。
高尾山の地下には人知れず存在する施設でもあるのかと、胡散臭い都市伝説めいた考えが浮かんだが、帰宅してから調べてみても、やはり特に成果はなかった。そうなるとブレイン・バースト製作者はプレイヤーが訪れるとも知れない場所に、わざわざリソースを割いて隠しエリアを作っていたことになる。もっとも、そこに繋がる庭園からして隠しエリアであったが。
その地下空洞の奥にいた謎の存在も含め、寝入る寸前まで考えていたこともあってか、これらが夢にまで出てくる羽目になったらしい。
分からないことだらけで、気分がどうもさっぱりしない。この件については、今度のアウトローの集会でそれとなく聞いてみるのは確定として、どうにか今このモヤモヤを発散できまいか。
ゴウにとっての気分転換といったら無論、ブレイン・バーストでの対戦である。寝起きの頭を働かせていくと、とある場所が思い当たった。
──そうだな、久々にあそこに行ってみるか。
ゴウは大きく伸びをするとベッドから体を起こし、とりあえず顔洗いに洗面所へ向かった。
床も壁もテーブル等の調度品も、フロア全体が金属類で構成されている、アウトローのプレイヤーホームよりもアウトローチックな場所。ここは現実世界でも加速世界でもない。電子の海に無数に存在する、ローカルネット空間の一つである。
端々が赤錆びた鋼板が敷き詰められた床を進み、フロア奥に位置する鉄板でできたカウンターに辿り着いたゴウは、カウンターの向こう側で背を向けて何やら作業をしている、ずんぐりした短躯のアバターに挨拶をした。
「こんにちは、《マッチメーカー》」
「む?」
ゴウの呼びかけに振り返ったのは、大きな蝶ネクタイを締め、鉄縁眼鏡をかけたドワーフ型アバターだった。
「おおぅ、久し振りじゃな。鬼のあんちゃんよ」
「どうもご無沙汰してます」
ドワーフ型アバター改め、マッチメーカーの低く渋めな声を受けつつ、カウンターのスツールにゴウは座った。現在のゴウの姿は、全体的に角張ったフォルムをしたロボットのアバターである。これは現在使っているニューロリンカーのストレージに初めから入っていた、フルダイブ用アバターの内の一体だ。一つだけ既存のものと異なる点として、四角い頭頂部に一本のパラボラアンテナを付けている。
『鬼』とはかけ離れた姿なのに、マッチメーカーがどうして今のゴウをそう指したのか。それは彼が、このロボットアバターがダイヤモンド・オーガーことゴウの、このネット空間で利用する際のアバターだと知っているからである。
ここは秋葉原にあるアミューズメントビル、《
ちなみに、ここの胴元であるマッチメーカーもバーストリンカーであることは間違いないのだが、デュエルアバターとしての彼の姿をゴウは知らない。
「前に来てから二ヶ月になるかね」
「そうですね、先月はいろいろと忙しくて」
「ああ……例のキットのこともあったからの」
何も言わずとも仮想ドリンクの入ったグラスを用意してくれた、マッチメーカーの声が少しだけ暗くなる。
「ここにも影響が?」
「うむ。実は常連の一人がユーザーになっちまって、試合中に使いおった。おかげでその日はここを急遽閉めることになったわい。客の対応にてんてこ舞いじゃったよ」
声を抑えてそう話すマッチメーカーは溜め息を吐いてから、懐から取り出したタンブラーを傾けて呷った。
ゴウはフロア内を軽く見渡す。日曜の午後だというのに、心なしか他のアバターの姿が少ないのはそれが理由か。
すでに装備した者が負の心意技を使用可能になり、コピー機能さえ搭載していたISSキット。何とか二十三区全体に蔓延する前に先月末に撲滅したとされているが、半月近く経っても、未だキットが残した爪痕は完全には癒えていないようだ。
妙ちきりんな味がする、ぎらぎらとした原色のドリンクに口を付けてから、ゴウはおそるおそる訊ねた。
「その、キットユーザーになった人は……?」
「それ以来、見とらんな。無事だといいがね。……ま、先週には《七王会議》でキット無力化の確認は取れた上に、おいそれとユーザーへの《断罪》もなしと決めたようじゃ。さすがに少しはペナルティも課せられるかもしれんがな。他の中小レギオンも似たような判断をしているだろうて。それに、元凶の《加速研究会》を叩こうと方針を決めたらしい」
加速研究会。
先月に開催された《ヘルメス・コード縦走レース》イベントでの大規模心意技の発動に加え、それからすぐにISSキットを広めていたという謎の集団だ。
更にはキットの本体があるとされていた建物には、《
ゴウ達アウトローも、研究会と繋がりがある、もしくは構成員だったと思しきバーストリンカーと関わることにもなった。その男の目的が、幻のダンジョンに存在したアイテムの奪取だったと推測されることから、キットの件以外にも研究会は方々で何かしらの暗躍をしていた可能性が高く、あらゆる面で底が知れない。
「とっとと潰してもらいたいもんじゃがな……」
今年の四月に発生した《ローカルネット荒らし》にも関与していたらしく、被害を受けたアキハバラBGの胴元として、マッチメーカーも加速研究会への攻撃には大いに賛成のようだが、どこか歯切れが悪い。
「どうしました?」
「いやな、最近のブレイン・バーストは……加速世界は、ちといろんなことがいっぺんに起きすぎとる。確かに《災禍の鎧》の件も、ネット荒らしも、今回のISSキットの件も、一応は解決した。それでもワシは、まだまだ何か大きなことが近く起こると見とる」
あくまで勘だがね、と付け加えるマッチメーカーはたっぷりとたくわえられた顎髭を片手で撫で付けながら続ける。
「それもあまり良くない方向のな。あんちゃんくらいの若手にゃいまいちピンと来んかもしれんが、王達による停戦条約の締結前には、大なり小なりの混乱なんぞ日常茶飯事じゃった。そりゃあもう、ワシら情報屋には良い儲けの種よ。だからこそワシらはこの手のことには、ちぃとばかり他の奴より鼻が利く。それにじゃ。混乱はいき過ぎれば混沌になり、大概は破滅にしかならんことも知っとる」
途中から神妙な物言いになり始めた、マッチメーカーの鉄縁眼鏡が鏡のように反射し、レンズの向こうの
ISSキットの存在は、すでにマッチメーカーの言うところの『いき過ぎた混乱』を通り越し、『阿鼻叫喚の混沌』を発生させかけていた。つまりは原因の研究会を早々に対処しないことには、ブレイン・バーストそのものを暗い影が覆うというのだろうか。
こちらの不安が伝わったのか、ゴウが口を開く前に、マッチメーカーがからかうように鼻を鳴らした。
「なぁに、今すぐ何がどうこうなるわけでもないわい。それにもしも大事が起きようが、あっさり潰されるほどバーストリンカーっちゅうのはヤワじゃあない。ここもまた人が戻りつつあるし、あんちゃんもせっかく来たんだから今日は盛り上げとくれよ」
親指を立てたサムズアップと髭に隠れてほとんど見えないドワーフの笑顔を受け、ゴウも少しだけ不安が和らいだ。
──そうだよな。そもそも僕は来るかも分からないものを心配しに来たんじゃない。対戦を、ブレイン・バーストを楽しむのにここに来たんだ。
ゴウが意気込んでいると、何席か離れたスツールに座った別のアバターに呼ばれたマッチメーカーが、「はいよ、いま行く」と返した。
「そんじゃ、あんちゃん。良い試合を期待しとるよ」
「はい。あっそうだ、じゃあ盛り上げるのに今度は師匠も連れてきますね」
「なぬっ!? いやいや旦那は勘弁……あっ、おい……フリじゃないぞぅ!」
ドリンクを飲み干してスツールから立ち上がるゴウに、昔に何をやらかされたのかは知らないが、大悟を呼ばれては敵わないらしいマッチメーカーが切実な声を上げる。
冗談ですと手を挙げながら、ゴウは小さく笑ってカウンターを後にした。
アキハバラBGにおける対戦の組み合わせは、ここのシステムに登録をした選手がレベルや相性によって選ばれる。対戦する選手は決められた時間までにどちらか片方が加速し、対戦相手に乱入することで対戦が開始されるのだ。ちなみに対戦者ではない他のバーストリンカーが選手に乱入を仕掛けた場合、その乱入者はここの用心棒によって対戦で叩きのめされ、ネットから締め出されることになっている。
そんな試合内容を表示するのが、現在ゴウが眺めている、フロア中央の四角い吹き抜けの天井から鎖にぶら下げられた、巨大な四面モニターである。
グローバルネットではなく、わざわざ一つのローカルネットに訪れる者達の目的は、自身で相手を選択できない対戦にスリルを求めて、より様々な相手との戦闘経験や情報を得たいから、少額なり現金での小遣い稼ぎ等々、理由は様々。
ゴウの場合は、世田谷エリアや隣接するエリア等で活動していない対戦相手に遭遇する確率が高いからで、今回の目的である気分転換にはもってこいなのだ。
この待っている間の緊張感も半ば楽しみつつ待っていると、モニターにダイヤモンド・オーガーの名前が表示された。対戦相手はレベルが同じだが、ゴウの知らない名前のデュエルアバターだ。すると──。
バシイイイイィィッ!
モニターに試合時間が予告されてから三十秒もしない内に、加速を知らせる音がゴウの脳内に響き渡った。基本的にここでは開始時間までに対戦者のどちらかが一分を切ってからするものなので、これがルール違反かどうかはグレーゾーンに当たるところである。
──なんだ? 随分せっかちな人だなぁ……。
まだ見ぬ対戦相手にそんな印象を抱きながら、挑戦者を知らせるメッセージが視界に表示されているゴウは対戦フィールドに繋がる暗闇を降りていった。