アクセル・ワールド・アナザー 曼殊沙華には祈らない 作:クリアウォーター
第三十七話
七月十五日。一学期最後となる、週の始まり月曜日。
朝の日差しを浴びて登校する、ゴウの足取りはやや重い。
その原因は、昨日起きた出来事に他ならない。一昨日の時点でゴウもとい、ダイヤモンド・オーガーと何らかのシステム的な繋がりができていたという、イザナミと名乗る高位エネミーについてだ。
『端末』なる状態で姿を見せたイザナミに、従僕になれと命令されたゴウが当然断ると、イザナミは大層不機嫌になった。
ゴウとしては状況を整理する時間が欲しかったのだが、今回のところはひとまずお開きにしようと脱兎の如く逃げたのがまずかった。
しかも心意技を発動して一瞬なりイザナミを怯ませたことで、火に油を注いた状態になってしまい、去り際に「次会ったら覚えてろよ」と同義の思念を浴びせられるという、第一印象は互いに非常に悪い結果に終わった初対面であった。
――つっても、最初から話通じなさそうだったもんなぁ。基本こっちの事情お構いなしだし。そこはやっぱりエネミーというか……。
イザナミの何らかの報復を恐れて、これからずっと無制限中立フィールドに入らない、というわけにもいかない。その上、耳鳴りにしか聞こえなかったものが、接続の深度が強化されたことで声として認識可能になり、アイコンとして具現化までできるようになったのだ。
となると、いずれ無制限中立フィールドのみならず、通常対戦フィールドでさえもイザナミはこちらに干渉してくるようになるかもしれない。さすがにエネミーとして対戦フィールドに出現することは不可能だろうが、あの電気ショックもどきを四六時中食らうようになったら、対戦どころではなくなってしまう。
「はい、背筋を伸ばーす」
「うっ」
どうしたものかと考えながら、学校の校門を通り抜けたところで、ゴウは背中をべしりと叩かれた。
下を向いていた顔をびくりと上げて振り返った先には、ゴウよりもやや小柄なショートボブの女子生徒。片手には学生鞄、右肩には竹刀の入った細長いバックを掛けている。
「おはよ。下向きっぱなしだと背骨がひん曲がっちゃうよ」
「あぁ、
背筋をぐっと伸ばしてからゴウも挨拶を返す。
彼女は如月蓮美。大悟の妹であり、ゴウのクラスメイト。
一年生の時は隣のクラスで、体育などの合同授業くらいでしか接点はなかったのだが、去年の夏休みに偶然会い、ひょんなことから自宅に招かれ、そこでゴウは蓮美と大悟が兄妹であることを知った。
蓮美もゴウが大悟と知り合いだったと分かってからは、以前よりも話しかけてくる頻度も増え、以来ゴウにとって女子の中では特に気心の知れた相手である。
また先月末あたりから、些細なきっかけで下の名前で呼び合うようになったことで、はじめは男子の友人連中にからかわれたりもしたが、他には互いにそれまでと何ら変化があるわけでもなく、ゴウとしてはありがたいことに、七十五日どころか一週間もしない内に沈静化した。
「暑い日は荷物が多いと大変だね」
「まーね。昨日はちょっと手入れするのに持って帰ったんだ。週末は大会だし」
「テストの次にすぐ大会ってハードじゃない?」
「あたしとしては、テスト終わってぐっと気が楽になったよ。テストの結果は……終わった話はよそう、うん。ゴウ君もなんか部活入ればいいのに。剣道はどう? やんない?」
「いやぁ、二年の二学期から運動部入るのはハードル高い……どうしたの?」
並んで歩きながら話す蓮美が、どこか訝しげな視線を向けてきたので、ゴウはそう訊ねた。
「んー。違ってたらごめんなんだけど、ゴウ君なんか悩んでる?」
ずばり言い当てられた。大悟といい、兄妹揃って人の心情を見抜くのが上手い。それとも、それだけ自分が顔に出ているだけなのかと、ゴウは心中で唸る。
蓮美はバーストリンカーではない。大悟の話ではニューロリンカーの装着時期が遅かったそうなので、ブレイン・バーストのコピーインストール条件を満たしておらず、これからもバーストリンカーになる機会はないだろう。
昔からゲームよりも、生身の体を動かして外で遊ぶことが好きだったという彼女は、大悟がゴウとの関係を、単なるゲーム仲間だと説明しただけで納得していた。しかし、その説明を完全に鵜呑みにしているのだろうか。と言うよりも、それだけで納得できるものなのかと、ゴウは考えることがある。
何故なら蓮美は以来、その件については全くと言っていいほど触れてこない。大悟との仲が悪いわけでもないので、実際に自分もプレイしてみたいと思わなくとも、会話の中でゲームタイトルくらい聞いてきてもおかしくないのに。
一人っ子のゴウには分からないが、バーストリンカーの兄弟姉妹は同じ屋根の下で生活していて、身内との間に何らかの隔たった部分があると察しているのだろうか。もしかすると、あえて触れないでくれているのかもしれない。
しかしだからと言って、全てをさらけ出さなければ、その人と分かり合えないとはゴウは思いたくなかった。
相手の何もかもを知っていなければ、友人たり得ないという理屈では、加速世界の御堂ゴウを知らない現実世界のクラスメイト達も、現実世界のダイヤモンド・オーガーを知らない加速世界のバーストリンカー達も、どちらも本当の友人ではないということになってしまう。
何にせよ、交友に適度な距離間は大事である。
本来ならブレイン・バースト関連の相談は、バーストリンカーでない人物にはできないところだが、今回の件はむしろ外部からの意見の方が参考になるかもしれない。
それでも自我めいたものを持ったスーパーAIとひと悶着あったとは言えないので、ゴウは少し考えてから切り出した。
「えっと……実はその、僕の友達についての話なんだけど聞いてもらえる?」
「ふんふん、その手の導入って、大抵自分についてのカモフラだけどいいよ」
「……やっぱ僕の話なんだけど」
申し訳程度に張った薄っぺらな予防線を蓮美にやすやすと見破られ、ゴウは観念した。
「知り合いとちょっと言い合いになって、最後にはこう……喧嘩別れっぽくなっちゃって」
「あたしの知ってる人?」
「ううん違う、学校の人じゃない。でもその内その相手と、また顔を合わせないといけない。そのことについて考えてたんだ」
「次に会う時が気まずくて気が重くてどうしたもんかと。なるほどねー……」
そこまで話している内に、二人は昇降口に着いた。蓮美は思案顔のまま上履きに履き替え、一度下駄箱に立てかけた竹刀入りのバッグを肩に掛け直す。
「あたしだったら、いつまでも引き摺ってたくないから謝っちゃうけどな。こっちがつい勢いでひどいこと言ったりしたらね。ずるずる長引くと余計に声かけにくくなるし」
「うんまぁ、それはそうなんだけどね……」
今回は謝っただけで根本的にはどうこうなる問題でもない。しかもイザナミの過ごす加速世界では、現時点で別れてからすでに二年以上は経っているので、とうに長引くどころの話ではなかった。それともエネミーの体感時間は、やはり人間とは違うのだろうか。そうであってほしいところだ。無論、早く感じている方で。
「うーん……状況がよく分かんないから何とも言えないけど、仕方なくでもその人の意見に納得するか。あんまり良くないと思うけど、できるならその人との関係をすっぱり切っちゃうか。それか、うまいこと落としどころを見つけていくか」
二階にある教室を目指し、隣で階段を並んで上っていく蓮美にゴウは訊ねられる。
「結局はゴウ君次第じゃないかな? ゴウ君はどうしたいの?」
──僕は……どうしたいのかな、本当。
この日のゴウは、教室に着いて蓮美に相談に乗ってもらった礼を言って別れて以降、授業中も休み時間も、放課後になって家に帰っても、自室で調べものをしていても、寝る時になっても、蓮美の助言を頭の中で反芻し続けた。
翌日、七月十六日。
つつがなく今日の授業を終えて帰途につくゴウは、道端で後ろから肩をがっしりと掴まれた。心臓が跳ね、いきなり何だと思い振り返ると、水色の半袖シャツに白のベスト、灰地のスカートと茶色のローファーという学生服の女子が、鞄を掛けた肩を上下させている。その髪は金髪のポニーテール。
「ど、どうしたんですか宇美さん」
息を切らせて立っている宇美に、ゴウは目を丸くして訊ねた。
宇美は目黒区の端に住んでいて、通う学校も同じく目黒だと聞いている。その学校までの道のりで一時的に世田谷区に入るらしく、その際の対戦がゴウとの出会いだった。
それがリアルで直接会うとは、一体全体何事だろうか。
「学校終わって、すぐに、タクシー、対戦の時にカーソル、が、よく指す方面に走らせて、で、見つけた」
「タクシー? 金持ちな……じゃなくて、それならなんだってそんな息切らしてるんです?」
「見つけて、タクシー停めたまでは、いいけど、ゴウ歩くの、速いんだもん。赤信号にも捕まるし、いったん見失うし」
「何もわざわざ追いかけなくたって、呼び止めるとかコールとかすればいいじゃないですか」
「だって、それだと驚きが、半減しちゃうじゃん」
「えぇー……?」
よく分からないサプライズに困惑していると、徐々に息が整っていく宇美がずいと顔を近付けてきた。長い睫毛の一本一本がはっきりと見える距離に、ゴウは少しドギマギする。
「な、なんです?」
「この二日間、朝も夕方もグローバル接続してないのはどうして?」
「……!」
顔がすぐさま強張ったゴウの表情の変化に、宇美は「やっぱり」とだけ短く呟いた。
「ゴウ、今から時間ある?」
「え? はい、まあ。急ぎの予定はないですけど……」
「じゃあ付いてきて」
突拍子もなくそう言って歩き出した宇美の背中に、ゴウは慌てて呼びかける。
「ま、待ってくださいよ、どこ行くんですか? 目的地は?」
「私んち」
「はい?」
「あぁ、今の時間は親両方ともいないから大丈夫」
「……はい?」
何がどう大丈夫なのかとは問えず、ゴウは宇美の後ろを付いていくことしかできなかった。
徒歩移動の間にEVバスを挟むこと二十分足らずの道のりを、ゴウと宇美の二人はほとんど会話もなく進み、世田谷区からさして離れていない目黒区のとあるマンションの一室、宇美の自宅へと辿り着いた。ちなみにバス料金は、宇美がゴウの分まで払うと言って譲らなかった。
宇美がドアを開けると、すでに帰宅時間に合わせて起動していたらしい空調により、屋内からは涼しい空気が漂ってくる。
「まぁ、上がってよ」
「お邪魔します……」
玄関で靴を脱ぎ、出されたスリッパに履き替え、洗面所で手洗いうがいを済ませる。一連の流れの後、宇美はゴウを連れたまま廊下を一直線、扉が閉まっている一つの部屋の前で止まった。
「ここは?」
「そんなの決まってるじゃん。私の部屋」
宇美は事もなげに即答し、何のためらいもなく扉を開ける。
女子の自室に入った記憶がないゴウは一気に緊張するも、すぐに顔をしかめた。
――なんだろこの匂い。
別に女子にもその部屋にも幻想を抱いているつもりはなかったが、部屋から漂ってきた匂いは、お世辞にも良い香りとは言えないものだった。その答えは宇美によってすぐに明らかになる。
「あ、そういえば動物って大丈夫だった?」
ベッド、鏡台、学生机、丸テーブルに座椅子が一つ。そして、ワイヤーメッシュのペットゲージ。その隣に置いてある空気清浄機と、諸々の用品が入っていると思われるカラーボックスが部屋の一角を占領していた。ゴウは感じたものがペットショップに似た匂い、ある種の獣臭だったのだ。
部屋の主が帰ってきた音を察知したのか、ゲージ内に吊るされているハンモックがもぞもぞと動き出し、とんがった鼻づらをした生き物が顔を覗かせた。
「おお、フェレットですか。名前は?」
「《フレキス》っていうの。三歳の男の子」
鞄を置いた宇美がチッチッチッ、と舌を鳴らしながらゲージの扉のロックを外し、中にいたフレキスと呼ぶフェレットをひょいと持って、フローリングの床に降ろした。
目元以外の顔回りは白、四肢と尻尾は黒っぽい茶色、後は全身茶色がかったクリーム色の体毛。大きさも体型もかけ離れているが、その毛色と目元の模様から、どことなくタヌキを思わせる。
起き抜けのフェレットは、くあっと欠伸をしてから宇美の足下をうろちょろする。そこでようやく知らない生き物が、自らの行動圏内にいることを認識したようで、黒目がちな瞳で扉の前に立つゴウを見つめてきた。
「アレルギーとかは?」
「特に無いですけど、この子、知らない人が来ても大丈夫なんですか?」
「それを今から見てみるの。はいコレ」
そう言って宇美から渡されたのは、棒の先に短めの紐で繋がった球が付いた、ペット用のおもちゃだった。持ったゴウが軽く左右に動かしただけで揺れる球に、フレキスは釘付けになっている。
ゴウが試しに球を揺らしながら近付けると、フレキスが勢いよく飛びかかってきたので、届く寸前に引いてみる。そのまま猫じゃらしの要領で振っていくと、その動きに合わせてフレキスは球を追い回しだした。
その様子を見ながら、クローゼットから座布団を取り出した宇美がうんうんと頷く。
「大丈夫そうね。悪いけど、そのままちょっと遊んでてあげて。トイレ片付けるから。あんまりシャーシャー鳴いてる時に手ぇ出すとマジ噛みされるから、そこだけ気を付けてね」
それから宇美がベランダに出てトイレ容器の中身を片付けている間、ゴウはフレキスの遊び相手になっていた。
フレキスは紐で繋がった球を前肢で捕まえてはこねくり回し、ゴウが軽く引けば長い胴体を丸めながらぴょんぴょんと飛び跳ねて追いかけるという動作を繰り返す。宇美が言うにはこれがフェレットの遊びの動作らしい。
やがてゴウ自身に興味を示したのか、膝や足に飛びかかったり、甘噛みながら歯を立ててきたりと、アクティブにじゃれてくる姿は見ていて面白く、とても愛くるしい。
「もう仲良しだね」
飲み物の入った容器とコップ、いくつかの包装菓子を盆に載せ、キッチンから運んできた宇美が笑顔を見せる。
「ゴウはペットとか飼ってないの? それか飼ったこととか」
「昔は金魚とかメダカとか飼ってましたけど、今の家は何も。あ、小学校だとウサギ小屋があって当番制で飼育してましたね」
「そっか。この子、男の人はお父さんくらいしか見たことなかったから、ちょっと心配だったんだけど、問題なさそうで良かった。ほーら、帰るよー」
盆を丸テーブルに置いた宇美が、下から掬うようにしてフレキスの胴を持ち上げ、ケージへと戻そうとする。
フレキスはまだまだ遊び足りないと抗議するようにケージからの脱出を試みるも、「あーとーで」と宇美に扉を閉められ、やがてケージに設置されたボトルから渋々と水を飲み始めた。
ゴウは渡された除菌用のウェットティッシュで手を拭き、小型の粘着ローラーで衣服に付いたフレキスの抜け毛を取った後、宇美がコップに注いでくれた飲み物に口を付ける。
「これ何のお茶です?」
「ジャスミン茶。あ、駄目だった?」
「いや、そうじゃないんですけど、ただ麦茶と思って飲んだんで」
「お母さんが好きでね。私はどっちかって言ったら麦茶の方が好きなんだけど。……で、グローバル接続してなかった理由は?」
丸テーブルで向き合う宇美が、水出しパックのジャスミン茶を一気に飲み干してから、先程外で訊ねた時と同じ質問をしてきた。それまで穏やかだった表情が、やや鋭いものへ変わっている。
「それはまぁ、たまたまですよ。別に僕も毎回通学路で対戦するわけじゃないですし」
「じゃあ、どうしてそれをさっき道で即答しなかったの?」
「う……」
宇美は別に責めている口調でもないのに、ゴウは何故だかテレビドラマで見るような、刑事の取調べを受ける容疑者の気分になる。
「日曜日の夕方にさ、対戦のギャラリーで会った知り合いに、アキハバラBGでダイヤモンド・オーガーがボロ負けして、その後の試合には出なかったって話を聞いた。それと昨日、蓮美にそれとなーく学校でのゴウについて聞いてみたら、ちょっと相談事されたって話も聞いた。その内容までは話してくれなかったけど」
「…………」
無言となった部屋に空調機器の他、ペットケージからフレキスが固形フードの食べる音だけがする。
「他に思い当たる節がないから聞くけどさ、土曜日……高尾山で穴に落ちてから何かあった?」
「と、特には何も」
とっさに白を切ってしまい、ゴウはしまったと思った。全然ごまかせていないのが自分でも分かる。宇美が明らかに核心を突いている以上、意味のないことなのに。
途端に宇美の目つきがすっと細まった。初めて見る表情。ただしそれは生身での話で、加速世界のムーン・フォックスとしてでは、何度かこの眼差しを目にしたことがある。
「へぇ、ふぅん。あっそぉ。そんなに言いたくないことなんだ? さようでございますかー……」
「う、宇美さん?」
宇美は立ち上がって鏡台の前に移動し、引き出しを開けた。引き出しの中に手を入れ、すぐに戻した右手には、XSBケーブルが一本。
「じゃあ体に……いや、アバターに直接聞こっかな」
その迫力に、ゴウは首を横に振ることはできなかった。