アクセル・ワールド・アナザー 曼殊沙華には祈らない   作:クリアウォーター

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第三十九話

 第三十九話 向き合うということ

 

 

 対戦が終了し、ゴウが現実世界の宇美の自室にて意識が戻ると、カリカリカリ、という音が始めに聞こえた。

 宇美の飼っているフェレット、フレキスが固形フードを食べている音だ。食事中の二秒にも満たない間に、自分のご主人様が仮想世界で戦っていたことなど知る由もあるまい。

 

「…………あの時、ゴウが落っこちた穴の中で、何か普通じゃないことがあったのはすぐに分かった。穴の底から引き上げても、皆で呼びかけても、全く反応しないし」

 

 首元に装着したライトブルーのニューロリンカーからケーブルを引き抜いて、宇美が開口一番にそう切り出した。

 

「それでも何分かして目を覚ましたら『大丈夫です』って言うから、それ以上はもう聞かなかった」

 

 用意した菓子の入った盆に手を伸ばし、菓子の包装を剥く宇美は、ゴウを見ようとしない。

 

「そりゃ、自分の行動を逐一誰かに報告する筋合いなんてないけどさ。でも……こっちから聞いても何も言ってくれないなら、何の力にもなれないじゃんか……バカ」

 

 かすかに鼻をすする音がした。宇美はそれをごまかすように、やや大げさな仕草で菓子を齧る。

 理由はどうあれ、抱えているものがあるのに打ち明けない。

 それはほんの少し前まで、宇美が晶音に一年以上されていたことと同じだ。

 晶音にもそうした態度を取るだけの事情があったのだが、すぐ近くにいる者の助けになれないことの悔しさ、寂しさを嫌というほど宇美が経験したことに変わりはない。

 宇美がわざわざ心意システムを使ってまで、今回の対戦を行った理由。その内の一つにはきっと、少なくとも自分達がブレイン・バーストの上では対等で、ブレイン・バースト関連で悩んでいることがあるのなら、話してほしいと考えてくれているからなのだ。

 にもかかわらず、安易にその場をやり過ごそうとしていた自分に対し、ゴウは一気に罪悪感が込み上げてくる。

 ゴウは意を決し、そっぽを向いたままの宇美の隣に移動して正座に座り直した。

 

「宇美さん」

 

 対戦終了後から目を合わせなかった宇美がようやくこちらを向いた。潤んだ瞳は少し赤い。

 

「心配させてすみませんでした」

 

 ゴウは両手を膝の上に置き、宇美に向けて深々と頭を下げた。

 

「宇美さんを信頼してなかったわけじゃないんです。ただ、今回はいろいろとイレギュラーな事態で……。しかも僕のその後の対応が悪かったばっかりに話がこじれまして……」

 

 肝心なことを明言していないので、どうにも要領を得ない言い分になってしまい、ゴウは言葉が詰まる。それでも顔を上げて、宇美の目をしっかりと見てから再度口を開いた。

 

「この件は今日中に、何らかの形で解決するつもりです。その後に何があったか、宇美さんにも全部話します」

「それは、私じゃ手を貸せないことなの?」

「というよりも、これは僕が一人で向き合わないといけないと思う……いや、いけないんです。だからそれまで待っていてもらえませんか?」

 

 お願いします、ともう一度頭を下げるゴウ。

 顔を上げても、宇美はしばらくこちらをじっと見つめたまま押し黙っていたが、やがて小指を立てた右手を伸ばしてきた。

 

「じゃあ、約束ね。ほら」

「ゆ、指切りですか?」

「他に何に見えるの。何か不満?」

 

 宇美がむっとした声を出すので、ゴウは慌てて指の形を作った。小指同士を絡ませ、上下に動かして口上を述べながら「指切った」で離す。

 

「一説だと指切りげんまんの『げんまん』って、約束破ったら握り『拳』で一『万』回殴るぞって意味なんだって」

「へー、知らなかっ――何でそれをやってから言うんですか」

 

 物騒な豆知識を宇美から聞かされ、ゴウは丸テーブルに向かい合わせに座っていた位置まで戻ろうとしていたところで硬直した。

 ゴウの反応に宇美はようやく表情を緩め、空になっていた自分のコップに茶を注いでいく。

 

「別に約束破らないなら気にしなくていいでしょ。あ、でももし破ったら、今度は本当に燃やすからね」

「はい絶対破りませんですはい」

 

 ぴんと背筋を伸ばしてから、ゴウは気になっていたことを訊ねる。

 

「……心意システム、いつから使えたんですか?」

「昨日から。晶音にちょっとね。元々教わる約束はしてたんだ。で、無制限フィールドに何週間か入って覚えた技がアレ」

「今の口振りだと、さっきみたいな熱くない火の玉じゃない、普通の炎も出せるんですね?」

「うん。でも今の私じゃ、本当はもっと溜めが必要なんだ。それが足りないとああいう感じになるの」

「不完全でも心意技自体は発動されるものなんですね。不思議だなぁ、あれはあれで実用的だと思いますけど。……それでですね、あの、僕は宇美さんにその、手を抜いて対戦していたわけじゃ――」

 

 仲間になったことで、思い返せばどこか無意識に加減していたことは否めず、弁明しようとするゴウを、宇美が手を上げて制した。

 

「謝るのはこっちだよ。あれじゃ、ほぼほぼ言いがかりだったものね。ごめんなさい」

 

 ぺこりと頭を下げてから、宇美は続ける。

 

「ここ最近で、ゴウがぐっとレベルアップ――数字の上じゃなく、経験値的な意味でね。してるから、私も今のままじゃいけないと思ったんだ。まぁ、結局負けたけどさ。心意に関しては、さすがにそっちに一日の長があったね」

「そんなこと……実際ギリギリでしたし」

「謙遜しなくていいよ。でもそう言ってもらえるなら、苦労した甲斐はあったかな。……ねぇ、ゴウ」

 

 改めて名前を呼んだ宇美は、少しだけ考えるような表情をしてから口を開いた。

 

「待っていてくれなくていい。私ももっと強くなるからさ」

 

 ヘーゼル色をした宇美の瞳に、自分の顔が映っている。ここで返す言葉は、「充分強いですよ」だとか、「力量差なんてありません」なんて、励ましや気休めではいけないとゴウはすぐに悟った。

 

「……分かりました。僕は待たない。これからの対戦も一勝だって譲るつもりはありません」

「うん、望むところ。すぐに追い付いてみせるよ。幸い足は速い方だから」

 

 ゴウの返答に満足したのか、宇美は微笑みながら冗談交じりに返し、コップを傾けた。

 

「ところで、何もこの部屋じゃなくたって、普通にリビングで対戦じゃ駄目だったんですか?」

「んぶっ!?」

 

 ゴウがふと思ったことを何気なくした質問した直後、宇美が飲み物を噴き出した。

 

「宇美さん!?」

「んな、なん、いぎなり変なごど、言うがら……!」

「べ、別に変じゃないでしょ。だって心意ありきの対戦だから、ギャラリーを抜きにした直結対戦するのも含めて、人目を気にしないでブレイン・バーストの話ができる家に呼んだのは分かりますよ。でも親御さんもいないなら、別にリビングでよかったじゃないかなーって……」

 

 景気よく気管に入ったようで、ひどく顔を真っ赤にしてむせる宇美に、ゴウは勝手知る自宅ではないので拭くもの一つ用意できず、おたおたと質問の補足をすることしかできない。自分のハンカチを渡すべきか迷っていると、咳き込み続ける宇美は部屋を出て行き、すぐに厚手のタオルを顔に当てながら戻ってきた。

 

「言われてみれば……別にそんな……。深くは考えたつもりは……別に、別に――そう! フレキス!」

 

 丸テーブルやフローリングに噴き出した茶を手早く拭きながら、ぶつぶつと何かを呟いていた宇美は、いきなりペットケージを指差す。

 中では食事を終えたフレキスがもうひと眠りしようとしているのか、ハンモックへもぞもぞと戻っているところだった。今日初めて見た人間が来ているのにもう動じていないあたり、中々にマイペースな性格をしている。

 

「可愛いでしょ?」

「へ?」

「か・わ・い・い・で・しょ?」

「はい、それは……まぁ」

「飼い主ってのは自分ちの子が一番可愛いくて、機会あれば直接見せたくなるものなの。それだけ。だからこの話はこれで終わり。OK?」

 

 前のめりになった宇美が有無を言わせずにまくし立てるので、ゴウはこくこく頷くことしかできなかった、その時。

 がちゃり、と扉が開く音がした。おそらくは玄関。どうやら宇美の家族が帰ってきたらしい。

 

「うっそ、なんで今日に限って早いの……!」

「あぁ、親御さん帰ってきたんですね。じゃあ僕はこのへんで……」

「待った! 動かないで! あぁでも、もう靴で人が来てるのは分かってるか……」

 

 何故か小声で宇美が慌てている。それがゴウは理解できずに首を傾げながら、宇美につられて小声で訊ねた。

 

「あの、何をそんな慌てる必要があるんですか? 普通に――」

「普通に何? クラスどころか、学校も違う男子との関係性ってなんぞやって思われるでしょうが。ブレイン・バーストのこと話すわけにもいかないし。ゴウだって変な勘繰りされたら嫌でしょ? あーもう、どう乗り切るか……」

 

 こちらの事情を知るはずもない足音が近付いてくる。うろたえていた宇美は、溜め息を一つ吐いてからゴウを指差した。

 

「こうなったら私に話を合わせて。余計なことは言わずにね」

「えぇ!? でも僕アドリブは苦手で……」

「対戦でもちょくちょく機転利かせるでしょ。大丈夫、いざとなったらホロペーパーでカンペ用意するから」

 

 ゴウに反論させる暇もなく、部屋の扉がノックされた。

 

 

 

 結論から言うと、あれから普段より早く帰ってこられたという、宇美の母親と鉢合わせになったハプニング(宇美にとって)は、どうにか乗り切ることはできた。

 ゴウは以前知り合った宇美の友達の友達で、無類のフェレット好きなので宇美の飼っているフレキスをどうしても一目見てみたくて押しかけたという、かなり無茶な設定を宇美から押し付けられた。

 これに対して宇美の母親は深く追及はしてこなかった。

 ただし、いかにも『そういうことにしておいてあげますよ』といった様子で、こちらの浅知恵を見透かした上で面白がっているようにも見えたが、深くは考えないことにする。さすがにそう何度も顔を合わせることはないだろう。ちなみに帰り際に「また遊びに来てやってね」と言って微笑んだ時の顔は、娘の宇美とそっくりだった。

 そんなこんなで帰宅し、夕飯、風呂、ついでにトイレを済ませたゴウは、時刻が二十一時を回った頃には寝間着になって自室にいた。イザナミと再度向き合うのに、無制限中立フィールドへ向かう準備は万端である。

 自動切断セーフティは十秒後に設定。加速世界でのおよそ三時間もあれば、時間は充分すぎるほど足りるだろう。今回は戦闘の予定はないので、連続で死亡する事態にはならないはずだが、一応の保険だ。

 丸二日かけて自分なりに選択は決めた。それについてイザナミがどう反応するのか、これはもうその時になって見ないと分からない。ともかく宇美に宣言した手前、このまま何もしないで引き摺ることはしない。

 深呼吸を一回。二回。三回――。

 

「《アンリミテッド・バースト》」

 

 バシイイイイイイッ! と加速音。

 横になって体を預けていたベッドの弾力が消失し、一瞬の無重力に包まれると、すぐに足裏が硬いものに触れる感覚があった。視界が明るくなっていき、まずはどうやってイザナミの姿を現してもらおうかと考えていたゴウは――。

 

 ――報いを受けよ。

 

 目が覚めるように鮮明で、ひどく冷淡に発された声を聞いた。続けて、重い風邪の症状よりもひどい悪寒がした。

 得体の知れない、何か恐ろしいことをされるという直感。同じ感覚をゴウはたった二日前に経験している。これは――。

 

 バシイイイイイッ! 

 

 ――加速しているのに、また加速音!? 

 理解が追い付かないゴウの内部で加速音が轟き、明るくなり始めていた視界が再び暗転していく。感覚が消失していく。

 そして、いつまで経っても消えた五感が戻ることはなかった。

 

 

 

 何もない。

 見えない。聞こえない。匂わない。触れられない。おまけに味もしない。

 何も感じない、闇の中。

 ――ここはどこなんだ。どうしてダイブ中に加速音がした? ここはブレイン・バーストの、ゲームの中にいるのか? 無制限フィールドにダイブしたままなのか? だったらどうして自分のゲージが表示されない? どうしてインストが開かない? どうして、どうして体の感覚がないんだ。

 同じような思考をゴウは何度も繰り返している。

 ゴウこれまでブレイン・バーストをプレイしてきた中で、いや生きてきた中で、このような状態に陥ったことはない。

 強いて挙げるなら、プールや海など水中で目を閉じて潜った時に近い。だが、その時だって水の冷たさや流れに音、水面へ顔を向ければ、瞼を通して光だって感じられる。数値化したとして、それらの五感がゼロになることは有り得ない。

 しかし、今はまるで自分が肉体を持たない、本当の幽霊になっているかのような感覚だ。無制限中立フィールドで死亡した際の幽霊状態とは訳が違う。あの状態は視界がモノトーンに染まり、死亡地点から十メートルの範囲しか移動もできないが、体を動かしている感覚はしっかりあるのだから。

 唯一分かっているのは、イザナミが何かをしたということだけ。ダイブ直後に聞こえた声は間違いなくイザナミのものだ。同様のことを、以前自分が逃走を図った際にも行おうとしていたのだろうか。

 ゴウもこの状態になって何度もイザナミの名前を呼びかけてみた――もとい、声も出ないのでひたすら念じてみた。しかし、これまで返事や反応らしきものは一切ない。

 もう何時間もこの場で過ごしている気がする。それでいて五分も経っていない気もする。どちらもするだけだ。すでに体内時計(体がないが)もまともではない。

 ――もしかして、ずっとこのままなんじゃ……。

 考えないように努めていたことが頭に浮かんでしまい、ゴウの心に一気に焦りが噴き出す。

 仮に加速中に更に加速している状態であるとして。思考が千倍に加速している状態で、更に千倍加速しているとして。思考は現実の百万倍に加速されていることになる。

 現実での一秒が百万秒=およそ一万六千六百六十六時間=およそ六百九十四日=およそ一年と十一ヶ月になってしまう。

 今回ゴウは自動切断を十秒後に設定してダイブした。つまりはおよそ十九年と二ヶ月経過するまでこのまま、現実世界には戻れない計算になる。

 ――いや、それだって推測だ。もし、もしも加速倍率がそれ以上だったら? こうしている今が、完全に時が止まっている状態だとしたら……? 

 人間はあらゆる感覚情報をシャットアウトされた状態を継続し続けたら、どうなってしまうのか。その人間の精神は、一体どこまで耐えられるのだろうか。

 ――僕……僕はまだ……! 

 思っているそばから恐怖が爆発的に膨れ上がり、パニックに陥ったゴウはたまらずに声なき絶叫を上げた。当然いくら叫んでも実体のない声に応える者は、誰一人として現れることはない。

 散々叫んでから助けを求めた。家族、友人、知り合い程度の関係に至るまで、思いつく限りの人達に。

 次にイザナミに許しを求めた。自分が悪かった、何でもする、どうかここから出してくれ、と。

 やがて、平時なら間違っても考えすらしないことまで頭に浮かんでくる。このまま戻れずに生き続けるなら、もういっそのこと――。

 最悪のことまで考えたところで、ゴウは唯一残されていた意識さえも闇に呑まれた。

 

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