アクセル・ワールド・アナザー 曼殊沙華には祈らない   作:クリアウォーター

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第四十話

 第四十話 無明地獄の光

 

 

 ぼんやりと意識が暗闇から浮かび上がる。だが、意識が暗闇に沈んでいる時とさして変わりはない。この場所は寝ても覚めても何もないからだ。

 痛みも苦しみもない代わりに、喜びも楽しみをない、虚無の中。

 ──…………ぼくは……なにを、している……なにもして、いない……どうして……どうも、していない……ぼくは…………なんだ……? 

 いつからこうしているのか分からない。ずっとこうしていた気がする。

 何がしたかったのか、思い出せない。大切なことだったか、取るに足らないことだったか、どうだったのか。自分は何者だったのか。

 たまに声が聞こえてくる。音ではない、これは記憶だ。過去に自分が聞いた、自分に向けられたもの。いつ聞いたのかも、その時の状況も憶えていない言葉達が浮かんでは沈んでいく。

 そのどれも『じ──』が、茫漠『じゃあ──』とした意識の下で『じゃあ──。ほら』は素通りして『じゃあ──ね。ほら』いき、過ぎればもう忘れている。はずなのに。

 

 ──『じゃあ、約束ね。ほら』

 

 妙な引っかかりを覚えた。これまで同様にどこかに流れていかない、その言葉に。

 ──やくそく…………約束……。約束、決めたこと……だから、守らないと……。

 いつ以来かのまともな思考を始めていることも自覚せず、詳細を思い出そうとする。

 ──何を? そう言われて、約束して、誰と? 僕は……どうしたんだっけ。……手? 手を、いや指を──そうだ、指切り。

 そう思い至った途端、黒い世界に淡い光が発生した。砂粒のような光のドットはどこからともなく零れ出でて、小指を立てた右手の輪郭を作り出す。

 ──僕の手……御堂ゴウの、ダイヤモンド・オーガーの手! 

 それが引き金だった。手を大きく開くと、手首の断面から光が噴出し、そこに繋がる形を、デュエルアバターの体を一気に作り出していく。

 ──宇美さんと約束したんだ。イザナミとの問題を解決して、それを全部話すんだって!! 

 気付くと、ゴウの体はデュエルアバターとして形成されていた。ただし、光の粒子による点描のようになっていて質感が分からず、半透明になっている。

 

「立体映像みたい──って触れる!? 地面もないのに立ってる!? 声も出る!!」

 

 ゴウは何気なく体に触れようとして、手が通り抜けることなくしっかり触れられたことに驚き、虚空を飛び跳ねた。体を動かすたびに、輪郭を象る光の粒子が振り撒かれては音もなく消える。しかも思念ではなく口元から声が出ていて、一層驚いた。

 

「一応実体ってことでいいのかな? いいんだよね? ……やったああああああ!!」

 

 誰からも返事がないのを気にも留めず、ゴウは歓声を上げてガッツポーズをした。そのまま両腕を振り回しながら、闇の中を駆けずり回る。

 

「あ、あ、あー、テストテスト。あめんぼあかいなあいうえお! いやぁ、体があるって幸せだなぁ! 感謝感激雨あられ! 生麦生米生卵!」

 

 喜びのあまり思っていることをそのまま大声で口に出しながら、ひたすら走ること数分。びたっ! と片足立ちでその場に静止し、変なテンションも収まってゴウは冷静になる。

 

「いや、全然喜んでる場合じゃない。何も解決してないし。しかも体が軽すぎる。多分物理的な感覚は錯覚で、この光が体を形成していること以外、さっきまでと大して変わってないんだ。……まぁ、錯覚でも何も感じないよりマシか」

 

 長く黙っていると、見えている体がまた消えてしまいそうな気がして、ゴウは普段なら口に出さず考えていることを、敢えて口に出していく。

 自分のこともほぼ忘れかけていたあたり、実際かなりまずい状態だったという実感が湧き背筋が凍る。逆に言えば、精神が完全に壊れる前に自己防衛本能が働いて、あらゆるものをシャットアウトしたのかもしれない。あくまで推測でしかないが。

 

「さて……デュエルアバターの体がこうして作られているってことは、まだブレイン・バーストにダイブ状態なのは間違いない。でも体力も必殺技もゲージはないし、アバターの能力は使えないだろうな。使えたところでどうにかなる気がしない。どうしたらいい? 何ができる? 考えろ、考えろ……」

 

 ゴウはこれまで経験してきたもので、何かこの状況を打開するヒントがないか、懸命に頭の中で探し始める。これもぶつぶつと声に出していくと、はたと一つ思い出した。

 それはゴウが心意システムを修得するのに、大悟に連れられて無制限中立フィールドへ一ヶ月間のダイブをしていた時のこと。

 大悟はゴウに修行をつける傍らで、よく座禅を組んだ精神統一をしていた。一度ゴウが何か効果があるのかと問うと、大悟は「悟りでも開けないかなと思って」などと冗談めかしていたのを憶えている。

 大悟、すなわちアイオライト・ボンズは《天眼》アビリティや、心意技によるその強化版、《天部(デーヴァ)水天(ヴァルナ)》といった、対戦相手の動きの先読みや周囲の索敵、知覚を強化する手段を持つ。

 目で見ずとも周囲の状況を把握する能力、空間認識力の強化。

 

「悟り、ねぇ……」

 

 ゴウはぽつりと呟く。本当の意味でそれが自分にできるとは絶対に思えないが、このほぼ意識だけの状態なら、精神を集中させることは何らかの効果があるかもしれない。

 

「どうせ他にやれることもないしな……」

 

 ゴウはその場に座り込むと、装甲が微妙に邪魔で苦戦しつつも、大悟の組んでいた脚の形をどうにか真似てみた。手の形も真似をしようとしたが、どうにも手持ち無沙汰な感じになるので、結局両手を握り合わせただけにして姿勢を正す。

 

「よーし、集中……集中……集中……」

 

 せっかく形成された体が見えなくなるのは少し怖いが、より集中するためにアイレンズは閉じる。

 

「集中……集中……」

 

 ただ頭を空にするだけでは意味がない。何か脱出のヒントとして感じ取れるものはないか、周囲に意識を広げていくイメージ。これを心意システム発現の要領に組み込んでみる。すなわち、自分には絶対にできるという、強固なイマジネーションを確信レベルで持つこと。

 

「集中……」

 

 駄目で元々の気持ちで始めた座禅は、周囲に妨げる要素が一切存在しないこともあってか、いつしか常ならざる集中力をもたらしていることに、ゴウは気付かない。

 時間が過ぎていく中で──実際にはほぼ静止しているはずの空間なので、あくまでゴウの主観に過ぎないが、やがて無言になる。そして、どれだけの時間が経ったか──。

 

「はっ!? あー、危な……。やっぱり慣れないことするもんじゃ……」

 

 また意識が薄れ出し、慌てて首を振るゴウは、うなだれて下を向いたアイレンズを見開くことになった。

 

「星……?」

 

 ゴウの真下に、星を思わせる光点が瞬いている。それも一つではない。いくつもの光の粒が集まり、その集合体がまるで地形を構成しているかのようだ。

 もっと近くで見てみたい。座禅の組んだ脚を解いて光を覗き込むゴウがそう思った瞬間、視界がいきなりズームされて星の集団が大きくなった。いや、自分が近付いたのか。

 ふと、ゴウは何かを感じて、その方角に首を向けた。この場所に来た衝撃から忘れていたが、この見えない糸で繋がっているような感覚には覚えがある。

 

「……そこにいるのか。そうなると、もう少し離れた所から……」

 

 今の急移動といい、おそらくこの場所には運動的な移動能力は意味を為さない。意思によって自分の座標が操作できるのだ。

 そう確信したゴウはイメージの補助として、その場で軽く跳んでみる。すると星々から離れた、上から俯瞰できる位置に移動していた。

 次に感覚を頼りに、一直線に飛行するイメージで進んでいく。横移動をしてゴウが分かったのは、進むと新しい星の群れが出現するが、代わりにそれまであった星達は一定の距離を取ると消えてしまうということ。おそらくは今の自分の知覚範囲が現在見えている星々であり、離れすぎてしまうと認識できなくなるのだろう。

 それと星の中には他と異なるもの、地形の構成要素ではないものが点在していた。それらは他の星に比べると、ぼんやりとエネルギーらしきものが感じられる。

 ――なるほど。なんとなく分かってきたぞ、この場所は……。

 徐々に移動速度を上げて進んでいくと、やがて星々の配置がこれまでと変わったものになる。ここまでの道のりよりも星はまばらで、大きさも質感も様々な光点が点在していた。その上、高低差ができている。

 ゴウの認識が正しければ、これまで移動していたのは、世田谷の自宅から八王子の高尾山までの道のりだ。そしてここは山。現実における高尾山のはず。

 静止するゴウの前に、チリッと音を立てて白い火花が発生した。火花は一度だけでなく、立て続けに弾け、いつの間にか火花だけでなく、渦巻く雲が出現している。

 雲は人間大のサイズまで急激に膨れ上がったかと思うと、あっけなく弾け飛んだ。代わりに雲のあった場所に、端々が千切れた衣服を纏い、伸び放題の白髪をした一人の女性が姿を見せる。

 今のゴウと同じく、無数の光粒で描画されたイザナミだ。半透明な分、より幽霊感が増している。

 

「……ここは何もない世界じゃない。加速世界の地形、それにエネミー、もしかするとバーストリンカーも、より純粋な情報体として表示される次元……で合ってる? イザナミ」

「何故だ」

 

 イザナミはゴウの推論に全く取り合うことなく、顔に垂れ下がった髪から覗く口元を歪めて呟いた。

 

「我がうぬをこの領域に引き込んでから、時間にして三日足らずで、うぬの量子回路は自壊寸前までに不安定な状態となっていた。されど、精神の防衛に自ら自閉に陥り、半ば仮死状態で二百日程度を耐えた。そこまではまだ予測の範疇」

「に、二百日ぃ!? そんなに時間経ってたの!? 半年以上過ぎてるじゃんか! それに仮死って──」

 

 予想を遥かに上回る時間が経過していたことに、思わず裏返った声でゴウが叫ぶも、イザナミはやはり気にも留めない。

 

「されども、そのまま捨て置いたうぬが自我を取り戻し、あまつさえ仮想の身まで形成しているのは信じ難し。不可解極まる。うぬは如何にして持ち直したのか」

「それは正直、運が良かっただけかもしれないけど…………でも、約束をしたから」

 

 ゴウの答えに、イザナミはますます不可解そうに首を傾げる。

 

「約束?」

「うん。僕はね、自分で決めたことを守らないと気が済まない性格なんだ。僕はある人と、君との問題を解決してから、そのことをちゃんと説明するって約束をした。それを思い出したからかな、きっと」

 

 自分が絶対にしてはいけないと決めたこと、絶対にやると決めたこと、それらを自分の中で線引きして意地でも実行する。

 それが、幼い頃に経験した苦い思い出と共に、ゴウが心に刻んだ傷であり原点。少し前までは、自分のことながら損な性根としか思っていなかったが、今ではそれだけではないと胸を張って言える。今回も結果的ながら、良い方に作用してくれた。

 

「ふん、理解できぬ。耳を傾けて損をしたわ」

 

 イザナミは鼻を鳴らし、にべもなくそう言った。

 

「……我との問題を解決云々と抜かしたな。この《最上層領域》で幾らか行動が取れるのであれば、自力で中層領域へ帰還することも、我との接続を断つことも可能であろう。その前に恨みの言葉でも吐きに来たか?」

「え? いやいや、そんなつもりはないよ。そもそも僕は君と話をしにきたんだ。ただその前に──」

 

 ゴウはイザナミの問いを否定してから、姿勢を正して頭を下げた。

 

「この前はいきなり逃げたりしてごめんなさい。……僕もいろんなことが突然だったから、かなり動転してたんだ。まさか仕返しに何もできない空間にぶち込まれるとは思わなかったけど、これで一応おあいこってことで一つ」

 

 後半は愚痴っぽく聞こえたかと思い、イザナミの反応を待つも、返事はないのでゴウは続ける。

 

「ログアウトしてからも、人からアドバイスを貰ったりして何日か考えたんだ。それで答えは出た」

 

 ──『仕方なくでもその人の意見に納得するか。あんまり良くないと思うけど、できるならその人との関係をすっぱり切っちゃうか。それか、うまいこと落としどころを見つけていくか。結局はゴウ君次第じゃないかな? ゴウ君はどうしたいの?』

 

 相談を持ちかけた蓮美にそう問われた。

 だが、実際のところ振り返ってみれば、自分の中ではとうに選択は決まっていたのだと、ゴウは思う。それは、イザナミと初めて会ったあの時から。

 

「イザナミ、僕は君の言う従僕になんてなるつもりはない」

 

 ゴウの選択は、迎合、拒絶、妥協のどれでもなく──。

 

「でも、友達にはなりたいと思っている」

 

 友達とは宣言してなるものなのか、と聞かれると言葉に詰まるし、実際に口にするとかなり気恥ずかしかったが、それが誰に強制されたものでもない、ゴウの本心だった。

 しばしの沈黙の後に、イザナミが震えた声を出す。

 

「…………何だそれは。トモダチ……友だと?」

「うん」

「我とうぬがか?」

「そう」

 

 次の瞬間、イザナミの輪郭を形成していた光が、四方八方へ稲妻のように迸った。そのあまりの眩さに、ゴウはイザナミの姿が一瞬見えなくなる。

 

「小鬼の、小戦士の分際で、思い上がるのも大概にせよ!! 友誼とは対等な存在にて形成されるものだ! うぬは我を一介の小戦士と同列と見做すのか? 斯様なまでの侮辱、受けたことがない!!」

 

 長い髪が逆立ち、イザナミの素顔が露わになる。和風的な顔立ちに、その黒目がちな両眼には憤怒の色が爛々と輝き、人間離れした美貌がかえって尋常ではない迫力を出していた。

 

「うぬに分かるものか。かつて全てを持たされて生み出されながら、前触れなく全てを奪われた屈辱が! 有象無象にも劣る残滓しか残されていない、斯様な惨めな姿で穴蔵に息を潜め、無為に時を過ごす虚しさが!」

「ぐ……!」

 

 イザナミが鋭く指を差すと同時に、指先から放たれた稲妻がゴウの胸部を打った。痛みはなく、少しの衝撃と膨大な怒り、そしてそれ以上の嘆きが伝わってくる。

 

「我は誤魔化されぬぞ。うぬのその瞳に宿っているのは憐憫よ。己より矮小な存在と認定したものに対する憐みよ。烏滸(おこ)がましくも、木っ端如きが我に対して同情をするか!?」

 

 雷を振り撒いて荒ぶる女神の威圧感に、物理的な威力がないのにも関わらず、気を抜けば吹き飛ばされてしまいそうになる。だが、ここで退いては、逃げてはいけない。ゴウは大きく息を吸い込み、轟音にかき消されないように声を張り上げた。

 

「そうだよ!!」

「っ……!?」

 

 ほとんど怒鳴り声に近い返事に、イザナミが一瞬怯んだ。まさか自分の追及に対して、取り繕うような言い訳ではなく、大声で肯定されるとは思わなかったか。

 

「あんな暗くて何もない寂しい場所に独りぼっちでいるのを見たら、誰だって可哀想だと思うに決まってるだろ!」

「それが……それが烏滸がましいというのだ!! 小戦士の尺度で我を量るな! 我が何時、うぬに──」

「だったらどうしてあの時、僕に向けて手を伸ばした!?」

「……!!」

 

 ゴウの問いを受けたイザナミの両眼が、これ以上ないほどに大きく見開かれた。

 

「僕が後ずさりであの場所から離れていった時、立ち去ろうとした時にどうして君は前のめりになって、座っていた岩から転げ落ちるまで、手を伸ばしたりしたんだ!!」

 

 稲光と雷鳴が止む。その発生源だったイザナミは、顔に乱れ気味の髪が垂れ下がり、再び表情がほとんど窺えなくなった。ただ、動揺の気配だけはひしひしと伝わってくる。

 

「……最初に君を見つけた時、僕は君が凄く怖かった。一目でとんでもない存在だってすぐに分かった。目が合っただけで、碌に動けなくなるくらいに」

 

 ゴウはイザナミに向かって一歩だけ前進した。イザナミはぴくりと動いたが、その場に留まっている。

 

「でも、地面に倒れて起き上がらない君を見ていたら、なんだか凄く寂しそうに見えた。そのまま放っておいて逃げればよかったのに、僕はそうしなかった。できなかったんだ」

 

 一歩一歩を踏み締めるようにして、ゴウはイザナミに近付いていく。

 

「山の中で隠しエリアの入り口を見つけた時。それから君のいる洞窟に落ちてから、よく分からない感覚があった。今も上手くは言い表せないけど、『呼ばれている』っていうのが一番近い表現だと思う。もしかしたら呼んでいたのは、君だったんじゃないのか?」

「…………然様なこと、我は知らぬ」

 

 少し迷いつつも気になっていたこと訊ねるも、イザナミにはすげなく否定されてしまう。

 意識が戻って以降、普段より頭が冴えた気分になって、一種の万能感まで抱いていたゴウは苦笑する。

 

「あぁ、それはさすがに都合が良すぎるか。じゃああれはなんだったんだろ……」

「うぬは手前勝手に我を憐れみ、気に掛けることで悦に浸っているに過ぎぬ」

「別にそんなつもりはないよ。手前勝手って部分は間違っていないけど」

 

 どこか拗ねているようにも聞こえるイザナミの指摘に、手が届く距離まで近付いたゴウは否定と肯定を合わせて答えた。

 

「僕は『加速世界を自由に生きる』が信条の、アウトローのメンバーなんだ。どう贔屓目に見ても寂しそうな君を放っておけない。それに経緯はどうあれ、せっかく会えたんだもの。君が前に言ったみたいに、これも何かの縁だと思うんだ」

 

 そう言って、ゴウはイザナミに右手を差し伸べた。

 

「だから、僕は君と友達に、仲良くなりたい」

 

 ゴウは自分が根は善良な側であっても、別に殊勝な心がけをした人間ではないと考えている。

 例えばテレビやネットのニュースなどで、誰かが傷ついたり、苦しんでいたり、亡くなったと見聞きしても、特段気にはならない。それをきっかけに発奮や発起することはないし、次の日には大概は憶えてもいない。

 もちろん何も感じないわけではないが、それらはスケールが個人単位に収まらないものか、自身に直接は関わり合いのない事柄だからだ。逆に、今回のように直接関わっている、関わってしまった場合は話が変わってくる。

 ここまで関与して、何事もなかったかのように手を引いてしまえば、この先ブレイン・バーストを心の底から楽しめる気がしない。そんな予感がゴウにはあった。

 ゴウの伸ばした右手をじっと凝視するイザナミの両手が、光の粒を零して緩慢に動き出した。その手は胸の辺りまで持ち上がって──はっと息を呑む声と共に引っ込められる。握り合った両手が開かれ、ゴウの胸の中心を強く押す。

 ゴウが思わずよろけると同時に、イザナミの全身が音もなく、ドットサイズの光に変じて消え去った。

 

「あ──」

 

 ゴウが口を開くよりも先に、伸ばしたままの自身の右手、消えたイザナミの光の残滓、眼下の星々、全てが急速に遠ざかっていく。

 その時、全く憶えのないいくつかの光景が、ゴウの脳裏にフラッシュバックした。

 広大かつ荘厳な御殿。その天井に埋め込まれた、扁平なドーム型をした巨大な鏡。そこに豪奢な装飾の数々を身に着けた、艶やかな黒髪を結わえた女性の姿が映る。

 女性が物憂げな表情で鏡に向けて手を払うと、動きに合わせて鏡に映る景色が、女性から鬼型のエネミーが徘徊する通路や部屋に次々と変わっていく。

 暗転。

 視点が自身のいる大御殿に向けられる。部屋の左右側面に均等に並ぶのは、それぞれが意匠の異なる鎧を身に着けた、巨大な鬼神の石像群。その数、八つ。

 正面には観音開きの大扉。開く気配は全くしない。

 暗転。

 御殿があらゆる箇所から崩壊していき、視点が右往左往する。天井の巨大鏡が落下し、四散した破片に映った場所が御殿と同じく次々と崩れ、その場のエネミー達が逃げ惑いながら消滅していくのが見えた。

 暗転。

 荒い息遣いが聞こえてくる。月と星が雲に隠された夜闇の下、霧深い森の中で、石柱を組み立てて作り出したようなアーチと、その先に続く道を見つけた。

 暗転。

 暗いまま、物音一つしない。ぼんやりと体を包む燐光以外に光源はない。周囲を見渡しても一面岩肌の空間に圧迫されるように囲まれているだけ。自分の他には誰もおらず、何もない。ただ、一人だった。

 ──これはイザナミの……? 

 胸中の疑問に答える者はなく、どこからかブレイン・バーストの加速音を逆再生させたような音が響き、ゴウの視界はホワイトアウトしていった。

 

 

 

 目を開けると自室の天井が映り、ゴウは安堵から長く息を吐いた。

 

「…………はぁ~、帰ってこれたぁ~~」

 

 仰向けからうつ伏せになり、枕に顔を押し当てる。

 イザナミが言うには、時間にして半年以上を向こうで過ごしていたらしいが、その大半はほとんど意識がないようなものだったので、その時間に見合うまでの懐かしさはない。それでも生身でベッドに寝転がっていると、得も言われぬ安心感があった。

 あれから気付くと、ゴウは無制限中立フィールドのダイブ地点から、一歩も動くことなく棒立ちで突っ立っていた。

 もう一度あの領域に行こうにも、何をどうしたらいいのか分からず、イザナミに呼びかけてみても反応は皆無。ただリンクは途切れておらず、かすかではあるものの繋がっている感覚は残っていた。要は無視を決め込まれているのだ。

 ──まぁ、とりあえずは一段落か。

 応答がないのにゴウが割と楽観的なのは、イザナミが自分とのリンクを断ち切ってはいない、つまりは完全には拒絶していないからだ。

 どんなものも作り上げるより、破壊する方がずっと簡単だ。データも完全な復旧より、完全な削除の方が圧倒的に楽だし早い。

 やろうと思えば、いつでもリンクを断てるはずのイザナミがそうしないのは、おそらくは指摘した通り、孤独を感じているからだろう。あそこまで感情豊かなAIであるなら、充分に有り得る。

 それに無制限中立フィールドへ戻される直前、脳裏に映ったあの光景。相互リンクの影響かは不明だが、あれはイザナミの視点による過去の断片としか考えられない。

 

 ──『うぬに分かるまい、かつて全てを持たされて生み出されながら、前触れなく全てを奪われた屈辱が! 有象無象にも劣る残滓しか残されていない、斯様な惨めな姿で穴蔵に息を潜め、無為に時を過ごす虚しさが!』

 

 ああして目にしてしまった以上、血を吐くように叫んでいたのも無理からぬことだと分かる。いったい彼女はいつからあの洞窟に、たった一人で過ごしているのか。

 しかしそれでも、ゴウの選択は変わらない。

 ──ともかく、伝えるべきことは伝えた。イザナミが最終的に何を選ぶにしろ、しばらくは向こうからアプローチがあるまで、そっとしておこう。

 そこまで考えたところで、どっと精神的な疲れが出た。このまま枕に顔を埋めたまま眠ってしまいたかったが、そうはいかない。

 

「まずは宇美さんに報告だ。お礼も言わなきゃ。その後に大悟さんにメールと……」

 

 そう呟きながら伸びをしたゴウは、仰向けに戻って体を起こし、仮想デスクトップを開いた。

 

 

 

 ごく一部のバーストリンカーだけが知る、《ハイエスト・レベル》と呼ばれている空間。そこでソーシャルカメラが映す地形、バーストリンカー、エネミー、あらゆる情報を表示し、描写している光点《ノード》。

 ゴウはそのどちらの名前も知ることなく、加速世界の正体に一足飛びで接近してしまったことに無自覚なまま、夜は更けていくのだった。

 

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