アクセル・ワールド・アナザー 曼殊沙華には祈らない 作:クリアウォーター
第四十八話 往々にして想定の外
七月二十一日、日曜日。
夏休み初日の天気は、梅雨など見る影もない晴天。午前中から汗ばむ陽気で、街路樹からは元気にセミの鳴き声が響く。
じっとしていると落ち着かず、ゴウは九時前には家を出ていた。普段は赴くことのない浅草まで電車で移動し、《浅草寺》で願掛けをする。内容はもちろん、対戦に勝利すること──とついでに金運や学業などその他諸々。浅草寺のご利益は所願成就。特定の願いに限っていないらしいので、これでいいのだ。
そこからはぶらぶらと歩きながら上野を経由して秋葉原の端に着く頃には、昼食を取るのに良い時間帯になっていた。空きっ腹で目に留まったのは、一軒のカツ丼チェーン店。
トンカツ。勝負事に『勝つ』と『カツ』をかけ、何十年も前から願掛け扱いされる料理。
大事なことに臨む前に大量の脂質と炭水化物を摂るのは、胃もたれなどによりパフォーマンスの低下に繋がるとも聞くが、仮想体で闘うブレイン・バーストには関係ない。ゴウは構わず店へ入る。小学校高学年でもまだ何とか通じる体格ではあっても、それでも育ち盛りの中学二年生。大盛一杯を軽く平らげた。
──ここまでして今日会えなかったから、馬鹿みたいだな僕……。
体力気力も充分に、それでも自分を俯瞰的に見る余裕を持ちながら、ゴウは電気街のメインストリートに入っていく。通りは人でごった返しており、その中にはゴウ同様に今日から夏休みなのだろう、同年代の少年少女も多く見られる。
左右に立ち並ぶビルにひしめく、無数の小規模ショップの看板は、太陽が高い昼では点灯こそしていなくとも、原色のネオン灯により充分目立っていた。これでグローバル接続をしていれば、派手なAR広告が加わって、輪をかけてカオスな景色となるのだろう。
ゴウは昼食での支払い時を除き、昼前にはグローバル接続を切っている。午前中に浅草で行った二度の通常対戦でも勝利して調子が上がっている今、次に対戦する時はアキハバラBGのローカルネット内でと決めているのだ。
──そういえば、初めて大悟さんに連れていってもらったのが去年の八月だから、もうすぐ一年になるのか。こうして人混みの中を歩いて、着いた先じゃ賭け試合なんて聞かされたもんだから慌てちゃって……懐かしいや。
厳密には加速世界で過ごした時間を足すと、ゴウの体感時間ではとうに一年以上前の話である。
バーストリンカーは長くプレイするほど、思考を加速した状態を続けているほど、肉体はそのままに、精神年齢だけが高くなっていく。ゴウの場合は、まだまだ肉体と精神が乖離するほどの年月は経っていない。弊害どころか、ブレイン・バーストによって知る機会があった雑学が、たまに授業でも役に立つくらいだ。
一方で大悟を始めとした、小学校低学年からバーストリンカーである古参達は、無制限中立フィールドで過ごした時間が、累計で軽く数十年単位になっているという。そこに含まれるアウトローメンバーも、普段はそこまで感じさせないが、時折同年代とは思えない、それこそ大人と変わらない精神の達観具合を見せることがある。
そんなブレイン・バーストに関わってきた長い時間も、永久退場によって消去されてしまう。
ふとしたことでこれが頭に浮かぶと、どんなに覚悟はしていても、やはり恐怖が頭の端をちらつく。まだまだ若い部類である自分でこれなのだ。より長く加速世界で過ごした、古参達が抱いているはずの永久退場に対する恐怖はゴウには計り知れない。
ダイヤモンド・オーガーという自分の心が作り出した分身が、データの欠片に分解されて、知り合ったバーストリンカー達と結んだ関係も、こうしてブレイン・バーストに熱中している想いすらも忘れてしまう。
その失ったものに気付いていない故に、悲しむこともなく先の人生を過ごしていくという点が、二度とこのゲームができなくなる以上にゴウにはたまらなく嫌だった。
──……やめよう、せっかくの出先でこんなこと考えるのは。
縁起でもないとゴウは頭を振り、アキハバラBGのローカルネットへと繋がるカドタワービルを目指す。
大通りの角を曲がって、高いビル群の陰になる裏路地に入る。昼でもやや薄暗いのが気になっていたのも今は昔。道を覚えていれば人通りが減る分、よりスムーズに歩ける。
とうとう目的のビルに、あともう少しで着くという所。交差点を渡るのに右側の一方通行の細い路地へ、ゴウが首を向けた時だった。
道の先には路肩に停められた、シルバーカラーのワンボックスカーが一台。その車に乗り込もうとする二人の男性。
それを見たゴウは立ち止まらずに路地を横断し、首元に装着しているニューロリンカーのグローバルネット接続ボタンを押した。コネクト確認のダイアログが視界に浮かび、数秒で完了。周囲に人がいないのも確認してから、小声でコマンドを唱える。
「《バースト・リンク》」
加速音の後、生身の体から弾き出されるようにして出現したネットアバターに、ゴウの意識が移る。ソーシャルカメラが作り出す、青く染まった初期加速空間でゴウは来た道を戻り、横道を曲がって停車している車に近付いていった。
普段はこんなことをしないが、妙に気になったのだ。
「若い……」
順番に車に入ろうとしている一人の顔を覗き込むと、少なくとも十代中間だと断言できる顔立ちをしていた。また、青一色の空間なので分かり辛いが、どうも眼の奥が淀んでいる気がする。
前にいるもう一人の、がっちりした体格の背中にほとんど遮られ、車内はソーシャルカメラの死角になってしまっているようだ。カメラの視界を借りている状態のゴウからは、のっぺりしたテスクチャが貼られているだけにしか見えない。また車の窓はプライバシーガラスで、最大の遮蔽モードに濃度が変化してスモーク状態になっていた。
こんな裏路地で。大人数が乗れる車が停まり。内部を外からは見せず。乗り込もうとしているのは、十代と思しき人物。
怪しい要素が多すぎる。犯罪か、そうでなくても法に接触しかけている行為をしているか、しようとしている可能性が非常に高い。
何より、ゴウがバーストリンカーだからこそ思い当たるものが一つ。
「まさか……《PK》?」
ブレイン・バーストでは、現実世界でバーストリンカーを襲撃する行為、又はする者自体を指して、物理攻撃者=フィジカル・ノッカーを略してPKと呼ぶ。
基本的な手口は何らかの手段でリアルを割った標的を、複数人で物陰などのカメラの死角となっている場所まで連れていき、脅して直結対戦に持ち込む。同じ相手には一日一度までに設定されている乱入制限は、直結対戦では働かないので、連続で対戦を強制されてポイントを全て失うことになるのだ。
最近では車にターゲットを無理やり乗せ、監禁した状態で対戦を迫ることもあるという。数年前から普通自動車免許の取得資格が引き下げられ、十六歳で取得可能になったことで起こるようになったケースだ。この状況が、正にそのケースに当てはまる。
「どうしよう……」
考えすぎなのかもしれない。本当は全て自分の勘違いに過ぎず、ただの取り越し苦労なのかもしれない。
だが、バーストリンカーの一人が、ブレイン・バーストを失う瀬戸際に遭遇しているのかもしれない。
そう疑念を抱いて加速までして確認をした以上、もうゴウにはご愁傷様、とその場を去ることはできなかった。たとえそれが、顔も知らない赤の他人だとしても。
これも直前まで永久退場について考えていたせいか。それとも東京に来て間もなかった一年前の春、カツアゲに遭っていた自分を助けてくれた、大悟に影響されているからか。
──やれるだけのことはやろう。
ゴウは覚悟を決め、行動を開始した。
ボイスコールのアイコンが視界に表示され、大悟は足を止めた。
着信相手はゴウ。あと数分もしない内に十三時を回るところだが、もう惨敗した相手との雪辱戦は終了したのだろうか。昨日の特訓の甲斐はあったかなと呑気に思いながら、大悟は応答のホロボタンをタップする。
『よう、どう──』
『大悟さん! いま武道館ですよね!?』
『お、おぉ? 今いる場所は九段下の駅前。昼飯食い終わって戻るところだ。どうした?』
ニューロリンカーを介して脳内に響いたゴウの問いは前置きもなく、同時に切羽詰まっているようで、大悟は少し驚きながら思考発声で返答する。
大悟は今日、《東京都中学校夏季剣道大会》の会場となっている、《日本武道館》を訪れていた。先日の都大会予選を突破した、妹の蓮美が出場しているのでその観戦だ。
蓮美は午前中の個人戦は残念ながら初戦で敗退してしまったが、メンバーに選ばれている団体戦は勝ち抜き、午後にも出場予定がある。
『PKかもしれない現場を目撃しました。確証はないですけど、アキバの電気街の裏路地で怪しい車にそれっぽい連中が乗り込んでたんです。不審車両として位置情報とナンバーは匿名で警察に連絡しました。《上》に行ってる可能性もあるんで僕はダイブしてみます。大悟さんもできたらダイブお願いします!』
『おい、ちょっ──』
矢継ぎ早で早口な説明の後、ゴウはこちらの返事を待たずにボイスコールを切ってしまった。荒い息遣いと足音が音声に混じっていたので、走りながらダイブ場所を探していたようだ。
状況を把握した大悟も駆け出した。周りの人々からの注目の視線も、今は気にしている場合ではない。
つまりPK集団がその標的を狩るのに、無制限中立フィールドでダイブしていると想定したゴウは、その現場に乗り込むつもりらしい。
メールでアウトローメンバーに一斉連絡していたのでは、メールを即既読して即ダイブしなければまず間に合わない。故に蓮美の試合の観戦に行くことを昨日話していた自分に、ゴウは連絡してきたのだろう。ここから秋葉原までの距離は二キロ強。自宅の世田谷よりはずっと近い。
──PK共がサドンデスで一度に標的を狩るつもりなら、確かに無制限フィールドに行く可能性もあるが……。
本当にゴウがPK行為の現場に遭遇していたとして、直接的な介入をするとしたら、PK集団が無制限中立フィールドで、サドンデス・デュエルによる多対一での狩りを選択した場合に限る。
その場合、デュエル開始前のやり取りが完了する前に被害者と共に逃げ切るか、被害者が狩られる前にPK集団を倒すしかゴウに選択肢はないので、非常にリスキーな行為だ。少なくとも得はない。
また、そのまま車内で有線を
その『怪しい車』が、不審な行動や様子を検知するソーシャルカメラに引っかかっていなのなら、違法ツールによる何らかの細工をしている可能性も高い。PK連中のニューロリンカーを調べれば、充分な証拠となるだろう。
しかし、いずれのPK行為も現実時間では一分もしない内に、犯行が終了してもおかしくはない。現場への警察の到着が間に合うかどうかは、かなり難しいところである。助けが来るとも知れない脅迫されている被害者が、現実でのやり取りをできるだけ伸ばして時間稼ぎをするのはまず期待できない。
──時間との勝負だな。ゴウの奴も中々な無茶をしやがる。まったく誰に似たのやら……。
大悟がそんなことを考えていると、目当ての建物を見つけた。目指すは、普段ならまずダイブには使わない、最低限のセキュリティがあって、手続きも不要なダイブスペース。そこは──。
「トイレ貸してください!」
一番近くにあったコンビニへ駆け込んだゴウは、店内の他の客も振り返る声量でそう言った。
面食らった顔をするアルバイトらしき若い店員に許諾され、一目散に『WC』の表示に向かう。絶対に違う意味でピンチと捉えられているだろうが、そこを気にしている暇はゴウにはなかった。
トイレに入ると、洋式便器の蓋が自動で開いていく。
鍵をかけたゴウは、完全に蓋が開き切らない内に便座へ腰を下ろした。そうして息も荒いまま、さすがに外の人間には届かない程度に声のボリュームを落とし、コマンドを唱える。
「《アンリミテッド・バースト》」
加速音の後、一瞬の浮遊感。続いて足が地面に着く感覚と同時に、暗闇が晴れていく。
現実ではコンビニのトイレの個室だった場所は正面の扉が消え、濡れたような光沢のある金属の壁や床に、有機的な突起やチューブが飛び出た不気味な場所に変貌していた。この特徴的なデザインは、暗黒系に分類される《煉獄》ステージだ。
普段なら生物とも機械ともつかない、メタリックな虫達に顔をしかめるところだが、壁や足元を這い回るそれらを意にも介さず、ゴウは目の前の壁を一気に蹴破った。黄緑色の空が広がる外に出て、現実でPK集団(かもしれない)のワンボックスカーが停まっていた場所へ急いで向かう。
ところが、狭い通路には誰もいない。車があった場所には中が空洞の、腫瘍に似た気持ち悪いオブジェクトがそれらしい形で地面から隆起しているだけ。
もう全て終わってしまった後か。それとも最初からこちらにダイブ自体しておらず、直結対戦で狩りが行われていたのか。
全て無駄足だったかと、ゴウがうなだれかけたその時、風に乗って何かがかすかに聞こえてきた。エネミーの発する咆哮や物音ではない。人の声だ。
声のした方へゴウが進んで行くと、前方に開けた道、メインストリートが見えた。ゴウは足音を立てず、角の建物の陰から静かに通りの様子を窺う。
──いた……!!
一気に心臓が早鐘を打ち始める。大通りの車道を挟んだ向こう側に、こちらに背を向けるデュエルアバター達が立っていたのだ。
数は六体。どの後ろ姿にも見覚えはなく、それぞれのレベルは不明だが、人数差は圧倒的だ。
──どうする? 大悟さんを待つか。でもいつ来るか。そもそも返事も聞かずに切っちゃたし……。くそ、慌てすぎた……。
一人焦るゴウは、建物を壁にして取り囲まれているらしい、PK被害者の様子を見ようと目を凝らし──更に大きく心臓が跳ねた気がした。
「なんで……」
震えた声がゴウの口を突いて出る。PKアバター同士の隙間から建物に背を付けて座り込む、一体のデュエルアバターの姿が見えた。
灰色の石か岩のような装甲に包まれた全身。頭にはねじくれた二本の角。
「どうしてそこに……」
離れているここからでも判別できるそのアバターは、ゴウが今日対戦するつもりでいた、コークス・デーモンその人だった。