アクセル・ワールド・アナザー 曼殊沙華には祈らない   作:クリアウォーター

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第五十五話

 第五十五話 仏僧に聖書、聖女に仏典

 

 

 ドオオオオオオオオオオオオオオオ!!!! 

 

 直径二十メートルにも及ぶ大火球のエネミー、太陽神インティが雲よりも更に高度から地面へ衝突したことにより、轟音が他の音を全て掻き消し、恐ろしい震動が周囲一帯を揺らす。

 その中ではアバターの腕が落ちる音など、当人の大悟さえも聞き取ることはできなかった。

 

「……気を取られていた上で、この距離で躱せるのね。精度と速度を最優先にして、間違いなくクリティカルポイントを狙ったつもりだったのだけど」

 

 轟音が収まったところで、コスモスが感心したように呟く。

 大悟の足元には、光の欠片へと分解していく自身の左腕だけでなく、刃の根元から砕けた薙刀《インディケイト》の破片も散らばっていた。

 ライダーが作り出し、七王全員に贈られるはずだった《セブン・ローズ》。弾の出ないはずの拳銃より発射された、過剰光(オーバーレイ)を放つ心意弾が迫る中、大悟は微弱ながらも手にした薙刀の刃に心意システムを付与させていた。

 コスモスの心意弾の威力も範囲も分からず、その刃の腹でとっさに心臓部を守ったのは、ひとえに山勘である。段平な刀身は一秒に満たない時間ではありながらも、盾として機能し、大悟に回避の猶予を与えてくれた。それでも躱し切れず、命中した左肩は消し飛び、どうにか左腕を失うまでのダメージで留めたのが、今の攻防の顛末である。

 

「どういう……ことだ。インティが空からバーストリンカーを襲うなんて、聞いたことがない」

 

 大悟は柄だけになった薙刀を放した右手で、欠損部位を押さえる。

 インティは無制限中立フィールドをひたすら転がり、進む先にいるバーストリンカー、あるいはエネミーさえも焼き尽くして移動し続け、これまで誰も倒した者はいないとされている、強大な神獣(レジェンド)級エネミー。一説では帝城の四方を守護する《四神》、四大ダンジョンのボスエネミー達《四聖》にも匹敵すると言われる一方で、水属性ステージ全般や、雨の降るステージでは姿を全く見せなくなるなど、謎多き存在である。

 だが、いかに情報が少ないエネミーでも、今回の行動はあまりにも不自然すぎだ。七王会議の場となったらしい、日本武道館を全壊させたほどの心意技に引き寄せられたとしても、通常通り転がってならともかく、空中より襲来してきた。しかも大悟がフィールドにダイブしてから、この近辺は普段より空が明るいままだったので、最低でもその間はずっと雲の上に留まり続けていたことになる。

 大悟が知る中で、こうしたエネミーのイレギュラーな行動には前例がある。

 先月中旬から先月末までの半月、本来ならダンジョンの最下層にいるボスエネミー、《大天使メタトロン》が突如赤坂の《東京ミッドタウン・タワー》に陣取り、近付く者を即死させる高威力のレーザーでなぎ払い、タワーを守っていた。

 厳密には、タワー内のISSキット本体を守らされていた。他でもない、加速研究会に調教(テイム)させられて。

 

「その冠……」

 

 コスモスが頭上に戴く冠を、大悟は顎で示す。

 

「それからは、他の《神器》と同じ気配がする。それは神器……《ザ・ルミナリー》なのか?」

 

 加速世界に存在する《七の神器(セブン・アークス)》と呼ばれる最高峰の強化外装の一部は、数ある地下迷宮(ダンジョン)でも高難度である、東京の四大ダンジョンと呼ばれる場所の最奥で発見されている。

 新宿エリアの《新宿都庁地下迷宮》では、大剣《ジ・インパルス》が。

 千代田エリアの《東京駅地下迷宮》では、錫杖《ザ・テンペスト》が。

 文京エリアの《東京ドーム地下迷宮》では、大盾《ザ・ストライフ》が。

 しかし、港区エリアの《芝公園地下迷宮》の《ザ・ルミナリー》は、名前が彫られた台座を残して無くなっており、自分がボスエネミーを倒した時には、すでに何者かが手に入れていた後だったと、古馴染みの《黒の剣士》が嘆いていたのを大悟は憶えている。

 ともかく、他の三つのダンジョンをそれぞれ最初に攻略した、三人の王が神器を所持しているのに対し、《ザ・ルミナリー》だけは今日に至るまで、所有者は謎のままであった。

 

「また唐突ね。どうしてそう思うの?」

「芝公園のダンジョンの場所は港区エリア。何年も前からお前さんの縄張りだ」

「別にうちのレギオンは、無制限中立フィールドで領土権を主張した覚えはないわよ?」

「それでも領土持ちのレギオンは、領土下を活動拠点にするものだろうが。内密に攻略している可能性が一番高いのは、やっぱりお前さん達だ。何より神獣(レジェンド)級の中でも、更に上澄みのエネミーを調教(テイム)可能なスペックを持つ強化外装なんぞ、神器ぐらいしか考えられん。どういう原理か、その神器であのメタトロン同様にインティを操ってあそこに落とした。違うか? 加速研究会会長さんよ」

「…………ふふっ」

 

 大悟の推測を聞いたコスモスは、口元に手を当てながらいたずらっぽく笑った。

 

「それだけ知っていれば、そうした結論も出せるわよね。ええその通り。この宝冠(ダイアデム)こそ、《ザ・ルミナリー》よ」

「正解なら、最初からすっとぼけるなよ……。ところで、そいつは調教(テイム)エネミーにノーモーションで指示を出せるのか?」

 

 ついでとばかりに、大悟はもう一つの気になっていたことをコスモスへ訊ねた。

 エネミーの調教(テイム)アイテムは希少で、大悟の周囲に持っている者はいない。キャバリアーはペガサスエネミーを装着した手綱で御しているように見えたが、神器ともなれば所持している限り、発声も動作も不要で対象のエネミーを操れるものなのだろうか。

 

「うん? ああ、今インティを動かしたのは私じゃない。キャバリアーよ」

「……あん?」

「この《ルミナリー》は二対一組の強化外装なのよ。この宝冠から生成した荊冠をエネミーにはめて調教(テイム)状態に、そして王笏(セプトラム)でそのエネミーを操れる。その正式な名称は《王権神授(ディヴァイン・ライト)》。私の願いに無くてはならない、最重要のピース」

「まぁた悲願ってやつか。……つまり、インティにその荊冠とやらを着けたのがお前さん。雲の上で待機させた状態から落ちるように指示を出したのが、笏を所持しているキャバリアー。二人で一つの強化外装を共用していると?」

「正式な所有者は冠を持っている私だけどね。笏の方は一時的に他者に貸せるのよ」

 

 聞かれたところで問題がないのか、思いの外すらすらと答えてくれるコスモスの説明に、大悟ははてと首を傾げた。

 

「いや、待てよ。確か調教(テイム)状態のエネミーがバーストリンカーを倒せば、システム的にはそのエネミーの所有者が倒したことになるはずだ。どうしてお前さん自身がインティを操って落とさなかった?」

 

 大悟は武道館を指差しながらも、首はそちらに向けない。一瞬でも目を離せば、正面のコスモスが何をするのか分かったものではないからだ。下げている右手にはまだ、大悟を撃ち抜いた拳銃が握られたままである。

 

「あそこに集まっていた王達の何人を仕留められたか今ここからじゃ分からんが、五人を倒せばお前さんはレベル9の特別ルールで、レベル10になれていたはずだ」

「確かにね。でもそれは今日じゃないし、レベル10になってブレイン・バーストの製作者に接触することは、私にとって終着点でもない」

「それも悲願ってやつが絡んでいるのか」

 

 悲願。前人未到のレベル10さえ途中経過でしかないというコスモスは、一体どこを目指しているのか。あらゆるバーストリンカーを巻き込んで、何を為そうとしているのか。

 そんな疑問ばかりが頭に浮かぶ大悟に、コスモスが予想外なことを言い出す。

 

「知りたい? そうね……あなたが私に協力してくれるのなら、教えてあげてもいいわよ」

「……お前さんの側に付けってか? それでキャバリアーみたいなお前さんに従うだけの、『中身空っぽ』の人形になれと?」

「んー……それは彼に対してちょっと言いすぎじゃないかしら」

「あれの外面(アバター)についてじゃない。内面的な意味だよ。そうじゃなくて、いきなり勧誘されたところでだな」

「何もロハでとは言わないわ。あなたが望むのなら、永久退場したバーストリンカーを一人、蘇らせてあげましょう。ライダーのように依り代が必要なコピーデータじゃなく、ね」

「全損者の蘇生だと? そんなの……さっきの復活技とはわけが違う。いくらなんでもそんなこと……」

「確かに簡単じゃない。だからこそ私は長年かけて、その方法を研究してきた。その成功例だって既にいるわ」

 

 コスモスが左手の人差し指を立て、くるりと円を描く。

 

「この周囲一帯を包む広範囲心意技、《パラダイム・ブレイクダウン》。その使用者、《オーキッド・オラクル》を私は蘇らせた」

「……!?」

 

 そのデュエルアバターの名前に、大悟は聞き覚えがある。直接の面識はないが、かつて港区エリア辺りで活動していて、もう何年も前に全損したと風の噂で聞いた。その能力は確か――。

 

「どうかしら? 悪い話じゃないと思うけど」

「信じられる証拠もなしに言われてもな」

「疑うのは当然でしょうけど、すぐに信じざるを得なくなる。あなたくらい長く加速世界で過ごしていれば、蘇らせたい相手の一人や二人はいるでしょう。例えばそうね……《指輝官(マエストロ)》。カナリア・コンダクターとか?」

 

 コスモスに経典のアバター名を出された瞬間、大悟は自身の体温がすっと下がるのを感じた。

 

「確か彼はあなたの──」

「断る」

 

 大悟は低い声でコスモスの話をぴしゃりと遮った。

 経典はもういない。コスモスが本当にバーストリンカーの蘇生を確立していたとしても、それがどこまで細部まで再現されていようとも。それはあくまでデータに過ぎず、大悟にとっては現実世界と加速世界の両方を共に生きた弟ではないのだ。そんなものを見たくはない。ましてやそんな取引などで。

 

「煮詰めた下水より汚ねえものにまみれた手で、人の大切なものに触れてくれるなよ。《ネクロマンサー》」

「……何か地雷を踏んだかしら。まぁいいわ。十中八九、断られると分かっていたし」

 

 大悟が凄んでみせても、コスモスは肩をすくめただけで、悪びれる様子もない。

 この女はおそらく現実世界でも優秀で、その気になれば将来は一角の人物にもなり得るのだろう。もしかすると、現時点ですでにそうなのかもしれない。だが、同時に大事なものが欠けている。

 それが目の前のデュエルアバターを生み出した《傷》なのかまでは分からないが、大悟はコスモスの有り様が、ここに来てひどく気に入らなくなった。

 

「ひたすらに迷惑な話だ。せっかく人が楽しく遊んでいるってのに、お前さん達ときたら、やることなすこと全部見ていて白けるぜ」

「遊んでいる、ね。あなたまさか、製作者がただの子供の遊び場にブレイン・バーストを、加速世界を作ったと思っているわけじゃないわよね?」

「そりゃあな。製作者が何を考えてこの世界を作ったのかは知らない。いつか始まった時と同じように、予告もなく終わるのかもしれない。俺はただ、その時までこの世界を楽しむだけよ。あぁ、その時に記憶まで消えるとしたら、辛いところではあるな」

「そう? むしろ記憶を持ち続ける方が辛いでしょう。強制アンインストールと強制記憶消去は、ブレイン・バーストに関する全てを無かったことにしてくれる、救済措置と言ってもいいわ。思い出は残ったまま、もう二度と加速も対戦もできないなんて生殺しもいいところ。挙句にデュエルアバターの鋳型となったのが《心の傷》なのは憶えているなんて、それこそ残酷だとは思わない?」

 

 コスモスの言うことにも一理あるのは認める。これまで同じことを大悟に訊ねた者も何人かいた。仮に選択可能だとして、もう戻れないのならいっそのこと、加速世界の何もかもを忘れたいと思う者を責めることはできない。

 だが、大悟が現実の何倍もの時間を過ごしてきた加速世界で得たものは、バーストポイントやアバターの戦闘能力だけではない。むしろ、それ以上に大事なものは──。

 

「戻りたい過去には戻れないし、消したい過去は消えない。それは誰もが同じこと。その辛さもひっくるめて形のない財産であり、そいつを形作るものの一つ。一部であれ、『自分』を消されちまう方がよっぽど残酷だろうが。昔こんなことがあったんだといつか誰かに、できれば笑って話せる大人になれたなら、その人生は捨てたもんじゃないだろうよ」

「ふぅん、そう。前向きなのね、その考えを否定はしないわ。理解はし難いけど」

「そうかい。えらく話が逸れたが、ともかく目的が何であれ──それが大局的には善なる行為であったとしても、お前さん達のやり方はいちいち外道が過ぎる。他に手段がなかったとしてもな。外道の果てには得られるもの以上に、失うものの方が遥かに多いぞ」

「…………」

 

 コスモスは何も言わなかった。水色、桃色、紫色と、様々な色に変化して見える淡い色合いをしたアイレンズに、何人にもその内面を窺わせない超然とした光を宿らせたままだ。

 そんな中、代わりの返事とばかりに、背後から迫る風切り音がした。

 大悟が飛び退くと同時に、それまで立っていた場所を白い影が高速で通り過ぎる。一仕事終えたキャバリアーが、ペガサスエネミーに乗って戻ってきたのだ。

 屋上に着地したペガサスが蹄を鳴らして走りながら、徐々に減速してコスモスの横で止まる。

 

「あっぶねえな、轢き殺す気かこの野郎!」

「君が邪魔な所に立っているのが悪い……」

「いーや、わざとだ。あんな飛行機みたいにじゃなくても、ヘリみたいにすっと垂直に着陸できたろうが。絶対狙ってやっただろ。あと舌打ちしやがったな。ちゃんと聞こえたぞ」

 

 キャバリアーは大悟の反論には碌に取り合わず、右手に握り続けていた拳銃《セブン・ローズ》をストレージに戻したコスモスに手を貸しながら、自分の後ろへと乗せていた。

 

「……コスモス」

「さようなら《荒法師》。今日は話せて楽しかったわ」

「いつかお前さんの計画は崩れる。その掌の上から零れて、修正がきかなくなるほど根幹からな。お前さんは敵を作り過ぎた」

「忠告どうも。そうならないよう肝に銘じておきましょう」

 

 優雅にペガサスに腰かけたコスモスがそれだけ言うと、キャバリアーが手綱を振るった。

 二人を乗せたペガサスが翼を広げ、タワーの遥か上空まで駆けるように昇っていく。

 

 ──止めも刺さずに帰るか。舐めくさりやがって……。

 このままやられっぱなしで締められるのは、あまりに癪だ。大悟はその場で、両脚を肩幅よりも広く開いた。両の眼のアイレンズは閉じ、額に備わった、頭巾に隠れている三つ目のアイレンズに意識を集中させる。

 ──まずは補足。眼で見るのとは違う、この世界の流れを示すあの領域──ハイエスト・レベルのように全身で感じ取れ。

 枯れ草色の過剰光(オーバーレイ)が大悟の額から溢れ、全身に広がっていく。

 ──集中。無駄を削ぎ落せ。雑味の一切無い、必要最低限の力で。

 大悟の体表面を揺らめくオーラが、徐々に収まっていく。弱くなっているのではない。より純粋に研ぎ澄まされているのだ。

 ──捉えた。

 仮にアイレンズを開けて顔を上げていれば、もう豆粒程度にしか見えないほど遠く離れた位置にいる、ペガサスエネミーとキャバリアー、それにコスモスの現在位置を感覚で把握する。《天眼(サード・アイ)》アビリティや心意技《天部(デーヴァ)水天(ヴァルナ)》とはまた異なる知覚。加速世界と溶け合ったとさえ錯覚する奇妙な感覚に包まれながら、大悟は右脚を大きく後ろに引き、残った右腕も後ろに引き絞った。

 ──当たる。当てられる。

 今や揺らめき一つ立てていない、枯れ草色のオーラを纏う大悟は確信と共に──。

 

「喝」

 

 目を見張る速度ではなく、しかし一切の無駄のない動きで、掌底を何もない正面に向けて放った。

 

 

 

「──ん……!」

「……!?」

 

 ペガサスエネミー、アリオンの手綱を握るキャバリアーは、自分の背後で主の小さな呻き声を聞き取った。

 振り返ると横座りのコスモスが大きく前傾姿勢になり、落馬寸前となっているではないか。キャバリアーは咄嗟にアリオンを空中で静止させ、コスモスの前に腕を突き出して落下を食い止める。

 

「これは……予想外だったわ。過疎エリアで仲間と遊んでいるだけかと思ったけど、そこはオリジネーター。伊達に生き残ってはいないわね。さすがに侮りすぎたかしら」

 

 コスモスがそう呟くと、キャバリアーは遥か下方にあるボアソナード・タワーの屋上に一人残された、左腕を失い、残った右腕を前方に突き出している僧兵を睨むようにして見下ろした。

 

「つくづくあの男は…………本当に……」

「放っておきなさい」

 

 唸るように低い声を吐き、タワーへアリオンを方向転換させようとしたキャバリアーを、コスモスが制した。

 

「しかし……」

「少し強めに背中を叩かれただけよ。こっちは向こうの片腕を肩ごと吹き飛ばしたわけだし、これくらいで文句は言わないわ。今日の目的も達成したし」

「…………あなたが……そう仰るのなら」

 

 声に明らかに不満を残しながらもキャバリアーは従い、手綱を操ってアリオンを再び進ませる。

 

「こっちについてくれたら少しは手間が減ると思ったけど……案の定だったわねぇ」

 

 馬上で横座りしているコスモスは、天馬の真後ろに首を向け、じっと遠くの空を見つめていた。風に流れるようにして、長い金髪が揺れる。

 

 ──『外道の果てには得られるもの以上に、失うものの方が遥かに多いぞ』

 

「そんなこと承知の上よ。とっくの昔にね」

 

 僧兵から向けられた言葉に、聖女は今更ながらに返す。

 感情を窺わせない、その呟きを唯一聞いていた白金の騎士も何の反応は見せず、ただ黙々と愛馬を港区のある南方面に駆るだけだった。

 

 

 

 昨晩、大悟は加速世界の富士山を訪れていた。

 理由の一つは、数年前に加速世界の富士山にて、山中に湧く泉より汲んだ酒が残り少なくなっていたこと。手に入れて以来、新年で最初のアウトローの集会で出していたものだが、今月頭に晶音と宇美の加入祝いで出したこともあり、来年分には足りなくなったのだ。

 加速世界で数日をかけ、それなりに道中で苦労しながらも、無事に泉から酒を汲んだ大悟はすぐに帰りはしなかった。

 かつて一度だけ、偶発的に訪れることのできた、加速世界の情報が光の粒子で表される領域、ハイエスト・レベル。数日前に《子》であるゴウは、イザナミなるエネミーによって連れて行かれたという。

 これを聞いた大悟は、ならば自分もという思いを抱いた。別にゴウは自ら望んでハイエスト・レベルに移動したわけではないし、その点を競っているわけでもないが、周囲の行動というのは自らの刺激にも繋がるもので、今回は発奮材料になったのは確かである。

 そこで日本一大きな山の雄大さにあやかる気持ちを胸に、かの地にてハイエスト・レベルへの移動を試みたのだ。これがもう一つの、どちらかと言えばメインの理由である。

 そうして何時間も瞑想を続けていた大悟の前に、やがて《天使》が現れた。

 長時間かつ過度の集中で幻覚を見たのではない。何しろ話しかけられたのに気付かず、背中に生えた翼でどつかれ、実際にダメージまで負ったのだから。

 白銀の髪と四枚の白い翼、そして人間離れした美貌をした女神とも取れる天使は、この地で何をしているかと大悟に問うた。

 会話をしていくと、驚いたことにハイエスト・レベルを知っていた天使は、しばらく言葉を交わしてから大悟にこう言った。

 

 ──『周囲の流れを感じるのです。あらゆるものが無数の光で構成された集合体だと。自らもまた、その流れの一部であると』

 

 その助言に導かれるようにして、イメージを浮かべた脳裏に加速音が響く。気付けば大悟は、眼下で光の粒子が地形を形作る暗闇の中で立ち、通算二度目のハイエスト・レベルに訪れていた。

 ちなみに無制限中立フィールドに戻った後、大悟が天使への礼として、ストレージから出した饅頭を渡すと、その場で食べた天使はお代わりまで所望してきたので、残りの饅頭も全部くれてやった。

 何者なのか聞いても教えてくれなかったが、ゴウの話ではイザナミも人の姿をしているそうなので、おそらく正体は高位のエネミーだったのだろう。似たような雰囲気をどこかで感じた覚えがあったが、天使は東京から離れている富士山にいたのだから、それはさすがに気のせいか。

 この時の体感をヒントに大悟が編み出したのが、『対象を捉える』ことを突き詰めた、『相手との距離も位置も完全に無視した攻撃』であった。

 基本能力を拡張した、心意の第一段階。個人で独自の発展をさせた、心意の第二段階。

 これらを超えた、極限までの集中により生み出される『ハイエスト・レベルからの情報に対する直接干渉』を行う心意技。それが、大悟が長年その存在を知ってはいても、修得にはいたっていなかった、《第三段階の心意技》である。

 第三段階は、その実イマジネーションから発生したノイズである、過剰光(オーバーレイ)が収束していくので、見た目の規模はとても小さくなるものの、引き起こされる事象内容は第二段階までとは一線を画したものとなるのだが──。

 

「……浅かったか」

 

 自らの繰り出した攻撃がコスモスへ命中したと同時に、ほとんど威力のないものだったと、オーラが消えた大悟は手応えと雀の涙ほど増えた必殺技ゲージによって理解した。技としては甚だ未完成であり、実際にもう少し距離が離れていれば、攻撃自体が不発に終わっていただろう。

 第三段階の心意技は理屈上、完璧に極めれば加速世界のあらゆる事象を書き換えてしまう万能の力であり、対象の距離、規模、耐性、相性、全ての要素を無視できる。しかし、プレイヤーがそこまで至ることはまず不可能だろう。それではもう、プレイヤーの領分を超えた、ブレイン・バーストのゲームマスターの領域に踏み込んでしまっている。

 ──腹黒女め。まったく、何を考えてやがるのやら。

 空を見上げても、もうコスモス達の姿は見えない。

 それなりに人の心情を見抜くのは得意なつもりだった大悟だが、コスモスは以前に会った時と同様、終始内心を見せなかった。

 振り撒かれる清浄なオーラは、柔和な印象を抱かせるも、実際は内側を一切見通させない。一見神秘的なようで、その実は拒絶の現れ。こちらの言葉が碌に響いていなかったことだけは断言できる。

 白という色は他の色とは異なり、光を吸収せずに乱反射させているが故に、人の眼には『白』に見えているという。

 如何なるものも芯には届かせない。彼女が白のカラーネームを持ったアバターを生み出したのは、その精神性が関わっているのかとさえ思えてくる。

 ──まぁ、ここまで動いたからには、誰が何を言ったところで今更止まる気はないんだろうが……。

 大悟は東の方角へ首を向けた。

 この数十年の間で建物の高層化が進み、高さ百メートル以上の建造物も珍しくない東京だが、このボアソナード・タワーからは、同等かそれ以上に高い高層ビル群に遮られることなく、本来ならばどうにか武道館の屋根が見える。

 だが今は、そこに陣取った巨大な火球──赤々と燃え盛っているインティの上部が確認できるだけだった。

 直径二十メートルもの球体は、その周囲十メートルに近付いただけで、熱波によるダメージを受けてしまう。その範囲内は今頃、灼熱地獄と化しているだろう。

 インティの体のどこかに着けられているはずの、《ザ・ルミナリー》が生成した荊冠なるものは、この位置からでは見えない。冠というからには環状のはずだが、あの球体をぐるりと囲めるものなのか。加えて、あのインティの超高温の体に触れていて、耐久性に問題ないのか。

 またそれ以上に、大悟はコスモスから神器の説明を聞かされた時から、ずっと気になっていたことがある。

 高位エネミーさえ制御下に置ける強化外装。これをコスモスはダンジョンを攻略して入手し、『その時点で初めて』悲願なる計画の中核に据えたのか。

 コスモス、ひいては加速研究会の行動の数々は、プレイヤーの域を半ば超えている。謎だらけのブレイン・バーストプログラムそのものを、一から手探りで解明しているというよりも、元よりある程度の知識を持ち、その上で試行錯誤して計画を実行に移している印象を受けるのだ。

《ザ・ルミナリー》一つ取ってもそう。元々その存在と効果を知っていて、どこよりも先に確保へ動いたのではないか、という気さえしてくる。

 それに加え、コスモスの心意技の練度は目を見張るものがあった。本来攻撃能力を持たされていなかった拳銃で、命中部位を消し飛ばす威力。無言ならば技名を唱えた時よりも遅れるはずなのに、あの発動速度。真っ当な対戦ならいざ知らず、心意を交えた戦いとなれば少なくとも現時点では、百回挑んだとしても勝ち目はあるまい。

 そんな相手だからこそ、武道館跡地からの戦闘による爆音や衝撃に振動、果てはそれらが一切ない『力の衝突』が伝わってきても、空からインティが落下するまで大悟は彼女への警戒を解けなかった。

 

「ホワイト・コスモス……お前さんは何者だ? 何を見据えている?」

 

 返す者がいないことを承知で一人呟いてから、大悟は気持ちを切り替えた。

 まだゴウの援軍という、今回のダイブの目的が残っている。薄く輝いていた広範囲結界の心意技はすでに消えていた。

 ──これは再ダイブした方がいいか。

 大悟は一度ポータルより現実世界に帰還してから、再度ダイブして全快することを選択した。現実で覚醒してから即座にコマンドを唱えたところで、どうしても現実で一秒以上、加速時間で最低でも二十分強はかかってしまう。

 だが、いくつもの刀傷が刻まれ、片腕を失っていて、おまけに強化外装も破壊されているこの状態では、助けどころか足手まといになりかねない。

 すでに向こうの戦いは終わっている可能性が高い。そもそも、本当にPK集団と遭遇しているのかも不確定である。

 しかし、大悟はキャバリアーとの剣戟の最中に、東の方で倒壊する建物群を目撃した。相手が相手だったので悠長に眺めている暇はなかったし、外の情報を結界が遮断していたせいで武道館跡地とは異なり衝撃や振動も感じ取れなかったが、何らかの戦闘があったのは確かだ。

 大悟は自らの出せる最高速度でゴウの元へ向かうべく、手始めにタワーの屋上から飛び降りた。

 ──無事でいろよ、ゴウ……。

 体の各所に巻かれた数珠型装甲を、鎧へと変じさせる防御心意技《天部(デーヴァ)地天(プリティヴィー)》を発動して落下の衝撃に備えながら、大悟は我が《子》の身を案じた。

 

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