アクセル・ワールド・アナザー 曼殊沙華には祈らない   作:クリアウォーター

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第五十六話

 第五十六話 煉獄からの脱却

 

 

 ──待って。

 ゴウは自分の正面にいる、後ろ姿のイザナミに向かって呼びかけた。

 地に足を着けずに浮いているイザナミは振り返らず、前へと進み出してしまう。

 ──待ってよ。

 追いかけようとしているのに、どれだけ足を動かしても全く進まず、ゴウはその場に留まったままだ。その間にもイザナミの背中は、どんどん遠ざかっていく。

 ──待ってってば……。ねえ──。

 ゴウはどうにか前に進もうと強い意志を込め──。

 

「────待でっ!?」

 

 ゴヅン!! 

 

 意識が覚醒し、弾かれたように上体を起こしたゴウは、そんな鈍い音と衝撃を額に受けた。硬いものに強くぶつけたのか、不意打ち気味だったことも手伝ってかなり痛い。

 

「ぐうおお……何だ……?」

「ぐ……」

 

 自分以外の呻き声がして、痛む額を抑えながらゴウは改めて体を起こす。

 すると横には、何故だかコークス・デーモンがいた。

 

「……うん?」

 

 やや混乱しながら、ゴウは記憶を整理する。

 ここはブレイン・バースト内の無制限中立フィールド、現在は《煉獄》ステージ。PK集団との交戦後、その標的にされていたコークス・デーモンとなし崩し的に始まった、しかし死闘とさえ言い表せる戦闘の末、自分は辛くも勝利をもぎ取ったのだ。

 その死亡していたデーモンが、変遷も発生していないのに復活しているということは、最低でも待機時間の一時間はすでに過ぎているということ。つまりゴウはそれだけ長く意識を失っていたことになる。体をよくよく見れば時間経過で薄まる、《電界路(インパルス・サーキット)》の紋様もすっかり消えている。

 ゴウは失った左腕を含め、ぶり返す負傷による痛みを無視して立ち上がった。

 ところが、デーモンはゴウの額とぶつかった箇所らしい、側頭部から伸びた右角を抑えたまま、構えるゴウを前にしても立ち上がろうとはしない。

 

「よせ。勝負は着いた。どうしてもって言うなら、相手してやるが」

「……じゃあどうして、あんな頭同士がぶつかるくらい近かったんだよ」

「別に寝首を搔こうとしたわけじゃねえ。お前が何かうわ言をぶつくさ言ってるから、それを聞き取ろうとしただけだ」

 

 するんじゃなかった、と角を手でさすりながら付け加えるデーモン。相変わらず憮然とした態度ではあるが、これまでよりか刺々しさは若干薄れている。

 少なくともデーモンに戦闘の意思はないようなので、ゴウもその場に腰を下ろした。気絶前に残り五パーセント以下だった体力ゲージは、額のダメージによって更に少なくなり、虫の息に等しい。即再戦とはならずに済んだことに内心では安堵しつつ、戦闘で用いた心意技により更地となった周囲を見渡す。

 建物が軒並み破壊されて遠くまで見渡せるのに、エネミーは影も形もない。あれから一時間以上経ってもエネミーが寄ってこないのは、あの時イザナミの放ったプレッシャーの効果がまだ残っているからか。

 デーモンを倒した後、心意技に引き寄せられ、接近していた多数のエネミーは、イザナミによって追い払われた。代償に、ゴウとの間に形成されたリンクを消費して。

 意識すれば感じられていた、体の先からどこかに伸びていたような、あの不思議な感覚は消えている。意識が途切れる前のリンク切断の感覚は、紛れもない現実だった。そしてきっと、最後に見たイザナミの表情も同じく、見間違いではあるまい。

 ──……あんな顔されて納得できるもんか。

 

「一つ聞きたいことがある」

 

 ゴウがやり切れない気分でいると、デーモンが声をかけてきた。

 

「……彼女については、僕もほとんど知らな──」

「違う。あの花のアイコン、そこから出てきた妙な格好した女のホロと、お前との関係についてはどうでもいい」

 

 てっきりイザナミについて問い詰められると思い、どこまで話すべきかと先に前置きをしたゴウだったが、デーモンは興味がないと一蹴した。

 

「改めて聞く。お前はどうしてそこまで、このゲームに真剣になれる? 戦っている時、意味と価値があると言ったな。永久退場になれば記憶も残らないものに、どうして意義を見出せる?」

 

 デーモンの問いかけには、見えない壁でできた袋小路に入ってしまったかのような、どこか切実さが込められていた。

 ゴウは少し考え、整理してから口を開く。

 

「……大層な理由なんてないよ。僕はバーストリンカーになって、ここで仲間ができた。レベルを上げて、ゲーム内で強くなっていく実感がある。対戦で勝てば嬉しいし、負ければ悔しくて次は勝つぞって思える。僕にとっては、他の何より遊び応えがあって、熱中できるゲームなんだ」

「最後はその記憶が消えて終わるとしてもか?」

「あんまり考えたくはないけど、もしもその時が来たとしても、全くの無意味じゃないと僕は思う」

 

 たとえポイント全損にならずとも、このブレイン・バーストは配布時と同様に、何らかの目的を達した製作者によって、ある日前触れもなく終了してしまうことだって有り得る。サーバーのデータそのものが消去され、バーストリンカー全員の記憶が消えてしまう可能性はゼロではない。

 では、いつかプレイデータも記憶も消えてしまうゲームなら、プレイする意味がないのか。そう問われれば、ゴウの答えはノーである。

 記憶は消えたとしても、バーストリンカーだった事実までは消えない。現実も踏まえて、それまでの行動の軌跡、その結果の何もかもが無かったことになるとは、ゴウには思えないし、思いたくなかった。

 

「それは、そうあってほしいってだけの願望か?」

「まぁ、そうだよ。でもあんただって、そこまで悲観していてもブレイン・バーストを続けてるじゃんか」

「ストレス発散のツールってだけだ。目的なんかない、ただの惰性だ」

「それでも零化現象(ゼロフィル)にならない程度には、やる気があったじゃないか。それに、さっき戦っている時には『本気』だったんだろ?」

 

 ──『これが俺の本気だ』

 

 先程の勝負中に言い放った、デーモンの言葉を踏まえ、ゴウは指摘する。

 闘志なきバーストリンカーに、デュエルアバターは動かせない。理由は何であれ、デーモンが本当に無気力なら、こうして対決することなど初めからなかったはずなのだ。

 

「……先のことは分からない。でもこれから先、この瞬間を振り返った時に輝いていると感じられたのなら、今の僕はきっと青春をしているんだ…………と、思う……。うん……多分」

 

 上手いこと締めようとして、何だか恥ずかしいことを口走ってしまい、ゴウは段々と口ごもってしまう。

 しかし、デーモンはこれを笑いも貶しもせず、じっとゴウを見つめていた。

 そんな奇妙な時間はすぐに終わり、デーモンが急に立ち上がる。その視線はゴウから、その背後に移っていた。

 何事かとゴウも振り返ると、誰かが物凄い速度でこちらに接近している。

 

「あ、師匠……」

 

 その正体はアイオライト・ボンズ──大悟だった。現実でのゴウの連絡を受けて、こうして駆けつけてくれたのだ。

 移動速度拡張の心意技を発動している大悟は、こちらが視認してからあっという間に距離を詰め、ざりざりと地面を削りながら急停止する。

 

「すまん! めちゃくちゃ遅れた!」

「いえ、ありがとうございます。あんないきなりの連絡で来てくれたんですね」

「いろいろあってダイブしてから一度、戻る羽目になっちまった。しかも、あちこちにやけにエネミーがうろついててな。最短一直線とはいかなくて……そっちも諸々終わった後か」

 

 大悟がぼろぼろになっているゴウから、無傷のデーモンに首を向ける。

 

「オーガー、こいつは……」

「はい、話していたコークス・デーモンです。PK集団のターゲットだったんですけど、成り行きで戦うことになっちゃって……。あ、勝てましたよ。それから一時間経ったからあっちは無傷で──」

「おう、そのあたりは後で聞くよ。その前にデーモンよ、お前さんに聞きたいことがある。お前さん、オシラトリのメンバーなんだってな。おたくのボスが何を考えているのか、ヒラメンバーは聞かされているのか?」

「……関わったところで損しかしない。俺に言えるのはそれだけだ。それに……もう俺には関係ない」

 

 デーモンは大悟の質問をすげなく返し、歩き出してしまう。方角からして、ポータルのある秋葉原駅を目指しているようだ。

 

「あ、ちょっと……とと」

 

 立ち上がろうとしたゴウがよろけそうになったところを、大悟が肩を貸してくれた。

 そしてゴウは大きく息を吸い──。

 

「デーモン!」

 

 大声でデーモンに向かって呼びかけた。

 歩くペースが速く、すでにだいぶ離れているデーモンが足を止めたところで、ゴウは続けて言葉を投げかける。

 

「またやろう! 今度は始めからまっとうな対戦で! これで一勝一敗同士、次も負けない。また僕が勝って、勝ち越してみせるから!!」

 

 イレギュラーな勝負になってしまったが、ここまで死力を尽くしたものを、ゴウはノーカウントにはしたくなかった。だから先週の対戦と合わせて二戦一勝一敗。戦績は引き分けだ。

 そして、たかだが一度や二度の勝負で、互いの優劣が完全に着くことなどない。ましてや、まだ両方とも成長できる。ゴウはまだまだこれから先も、コークス・デーモンというライバルの一人と対戦をしていきたいのだ。

 すると、デーモンは首だけを向けて、横目でゴウを一瞥した。そうして三秒も経たない内に前を向き、また無言のまま歩き出す。

 半径数百メートルの更地の範囲を抜けたライバルを、建物の陰に消えるまでゴウは見送った。

 

「……これまた愛想の無い野郎だな。寡黙で鳴らしたグランデだって、この状況ならジェスチャーで意思表示するだろうに」

「ああいう奴なんですよ」

 

 鼻白む大悟にそう言いながら、ゴウはデーモンから返事こそ聞けなかったものの、おおよそ満足していた。

 先週の対戦では、決着後には一瞥さえくれなかったのに、今度はしっかり目が合った。あのアイレンズに宿っていたものが何なのかまでは判別しかねたが、少なくとも無関心なものではなくなっていた。

 きっとまた会える。ゴウにはそんな確信めいた予感がした。

 

「……師匠。ちょっと相談があるんです」

「俺もアウトローの全員に話さないといけないことができた。でも今はひとまずログアウトだ。お前さんその傷じゃ、何もしていなくてもしんどかろう。ほれ、ポータルまで運んでやる」

「あ、じゃあお言葉に甘えて……」

 

 いい加減限界だったゴウは、ありがたく大悟におぶさった。しかし、大悟が進んですぐにあることに気付く。

 

「あの、師匠」

「ん?」

「こっち行くと秋葉原駅のポータルですよね。もしもデーモンと鉢合わせになって即再会は、かーなり気まずいというか……」

「んーむ確かに……爽やかに別れた手前な。仕方ない、念のため《神田駅》まで行くか。それじゃポータルに着くまで、いきさつを最初から聞こうか。着いたら続きは夕方以降で頼む。戻って蓮美の試合も見ないといけないし」

「じゃあ蓮美さん、午前中は勝ち進んだんですね。いや大変だったんですよ。まずダイブするのに、コンビニのトイレに駆け込むところから始まってですね……」

 

 こうして、思いがけない激闘を終えたゴウは、大悟の背中に揺られながら現実世界へ帰っていくのだった。

 

 

 

 十七時を回って空は薄暗くなってきても、夏の太陽はまだ完全には沈まない。

 自室にて、肩掛け鞄を放ったままのベッドに座る少年が、背中から倒れ込みながら大きく息を吐く。

 ──夏休み初日から散々だ。

 ブレイン・バーストが作り出す加速世界にて、コークス・デーモンとして活動する少年──天羽(あもう)甲熹(こうき)は、無制限中立フィールドからログアウト後、ダイブ前にPK集団に連行されて詰め込まれていた、ワンボックスカーの車内で意識を取り戻した。

 それから間もなくして、駆けつけた警官に車の窓をノックされる。『奴』がダイブ前に、リアルであらかじめしていたという通報によるものだろう。

 自分達で用意したサドンデス・ルールが仇となり、全滅した『元』PK集団共々、甲熹はすぐ近くの《万世橋警察署》に連れて行かれた。

 事情聴取が個別で行われ、道を歩いていたところをいきなり複数人に囲まれて、無理やり車に連れ込まれたと、甲熹は正直に説明した。あんまり落ち着いていても不審がられそうなので、やや緊張しているふうに装い、被害者であることをさりげなく強調させる。

 対する五人の元PK集団達は、ブレイン・バーストに関する記憶を失っても、自分達の行動自体は憶えているはず。それでも、うろ覚えの行動で前科者になってたまるかと、どうにかごまかそうとした者がいたのだろう。言い分に齟齬が生じ、聴取は長引いた。

 結局、全員のニューロリンカーを調べたことによって、甲熹に他の五人との関連がないことは証明され、一方の元PK集団達はメールのやり取りだけでなく、ソーシャルカメラの映像をごまかす視界マスキングをはじめとした、違法ツールがニューロリンカーに複数搭載されていたらしく、正式に逮捕となった。リアルの現場にはいなかった集団のリーダーも、他のメンバーからのメールログなりを辿られて数日中、早ければ今日中には同じく逮捕となるだろう。

 その後は、車で迎えに来た母親と共に甲熹は帰宅した。警察から連絡があったことで、母は迎えにきた当初は心配から顔面蒼白で、様々な安全機能が備わった現代の車でなければ、事故の一つや二つ起こしていたかもしれない。そんな母を落ち着かせるのに、怪我もしていなければ盗られたものもないと、甲熹は宥める羽目になった。

 そんな計三時間以上に渡る事情聴取や、動揺する母を宥めるよりも、甲熹には今日一番に心労を感じたものがある。

 それは甲熹が所属しているレギオン、オシラトリ・ユニヴァースのレギオンマスター、ホワイト・コスモスと対面したことだ。

 レギオンの一メンバーに過ぎない甲熹が、レギオンマスターであるコスモスに、直接のコンタクトをあっさりとることができたのは、ひとえにコスモスが港区第三エリアで一人、グローバルネット接続をしっぱなしにしているからである。

 昨日の夕方、レギオン間の連絡手段を通し、レギオンメンバー全員宛てに、『今後しばらく、港区第三エリアへの継続的なグローバルネット接続をしないように』という旨の通達があった。

 昨日の領土戦と、その後のミーティング。どちらにも参加しなかった甲熹には詳細は分からないが、これらと『二十三区エリア内の領土勢力の急変動』が、この状況と関係していることは明白だ。

 ともあれ、第三エリアの範囲内に含まれている自宅で、乱入を仕掛けた甲熹がコスモスと対面するのは、これが二度目。レギオン加入後すぐに、姉に引き合わされた時以来だ。

 どこか浮世離れ、人間離れした雰囲気が全く変わらないコスモスに、ただの一人もギャラリーがいない通常対戦フィールドで、甲熹は開口一番に言った。

 

 ──『今から三年前、俺の《親》を永久退場させたのはアンタか』

 

 いきなり問い詰められてもコスモスは動じず、それどころか甲熹からの言葉を長らく待っていたかのように、即座に首肯した。

 そこからのコスモスの説明によると、甲熹の《親》だった姉は、三年前の第一回七王会議の数日後、通常対戦フィールドで、コスモスとの話し合いの場を設けた。内容は、コスモスの掲げる『大義』に繋がる計画を反対するもの。もしも計画を中止、ないしは変更を考えなければ、他の大レギオンどころか、ブレイン・バースト中の知り合いに計画をリークさせると姉は言ったそうだ。

 最終的に戦闘に発展した末、コスモスは姉を《断罪》せざるを得なかったという。

 コスモスから聞かされた内容は、甲熹の想定と概ね一致していた。

 バーストリンカーとして幹部級の実力があり、場数を踏んでいた姉が、そこらでPKに出くわすのも、無限EKに陥るのも、可能性としてはかなり低い。それでも事実として永久退場をした以上、一番考えられるのはやはり、レギオンマスターからの《断罪の一撃(ジャッジメント・ブロー)》。

 これまで行ってきたコスモスらの計画がいかに重い大義に繋がっていようが、姉の性格上、許すとは思えないものばかりだ。先月ばらかまかれたISSキットなど、いい例である。当時のコスモスも姉には諸々伏せていた行動があったそうだが、姉はそこに生じる不自然さに勘付き、一人で情報を集めていたらしい。

 きっと姉はコスモスが止まらないことも、自分が断罪の憂き目に遭うことも、理解した上で行動していたのだろう。

 甲熹のコークス・デーモンが持つ、三叉矛の強化外装《ミラー・トライデント》がその証の一つ。メインウェポンを張れるほどの強化外装の購入には、レベル一つ分を軽く上げられるほどに莫大なポイントが必要になる。つまり有用な強化外装のショップでの購入とは、レベルを一つ上げることとほぼ同義なのだ。

 自分が使うのならまだしも、いくら《子》相手でも他者へプレゼントするには、あまりに太っ腹が過ぎる。だから姉は《親》として、《子》である甲熹に自分が消えても物理的に遺せるものとして選んだのが、あの強化外装だったのだろう。

 話し終えたコスモスから、今になって《親》の敵討ちをする気になったのかと問われ、甲熹は首を横に振った。

 今回の乱入の目的は、敵討ちを含めた戦闘ではなく、自身のレギオン脱退の意を伝えること。そしてその前に、事実を推測のものではなく、はっきりと確認しておきたかったのだ。

 コスモスは甲熹といくらか言葉を交わしてから、拍子抜けするくらいあっさりと、甲熹のレギオンの脱退を容認した。ずっと籍を置いているだけも同然の身だったので、元より勢力の頭数に入れていなかったのか。あるいは捨て置いたところで、問題ないとでも判断されたのか。

 最後に甲熹はPK集団とのサドンデスで得た、バーストポイントをチャージしたアイテムカードを、コスモスへ手切れ金として渡しておいた。すでにいろいろな計画が大詰めのようだが、それまで消費した分の補填程度にはなる、あるに越したことはない品だ。

 コスモスは「律儀ね」と微笑みながらカードを受け取り、幹部は元よりメンバーへは今回の脱退を理由に、私刑めいたことはしないように釘を刺しておくと約束をした。

 それでも、所詮は口約束。破られればそれまで。少なくとも断罪有効期間でもある一ヶ月間は警戒して、グローバル接続は極力控えておいた方がいいだろう。

 ──少し、肩透かしを食らった気分ではあるな。

 寝転がる甲熹はコスモスとのやり取りを思い出しながら、ややコンプレックスの三白眼で自室の天井を眺める。

 甲熹としては、そのまま断罪されるのも覚悟の上での行動だった。コスモスの真意など完全に推し量れる気もしないが、もしかすると姉の《子》である自分に、恩情をかけたと思わなくもない。何故なら対戦フィールドで、ああ言った後の彼女は──。

 

「こおおおおくううううん!!」

「うおおおお!?」

 

 バタァン! と勢いよく部屋の扉が開けられ、考え事中だった甲熹は体をベッドから跳ね起こした。

 飛び込んできたのは、甲熹と同じ中学校の制服を着た女子。甲熹の義理の姉に当たる人物、天羽蕾華(らいか)だった。甲熹が部屋の扉にロックを掛けていないのもあるが、この姉にはノックという習慣がいつまで経っても身に付く気配がない。

 

「コーくんが警察にパクられたって聞いたから、閉会式終わってダッシュで帰ってきたんだよ! 大丈夫なの!? 仮釈放中なの!?」

「何言ってんだ落ち着け! 人聞きの悪い……やらかしたのは俺じゃねえ。俺は被害者。巻き込まれただけだし、結局何もされてない。あと近くて暑苦しい」

 

 流した前髪が汗で顔に貼り付いている蕾華を、ベッドに座る甲熹は顔をしかめて遠ざける。性格もスキンシップの激しさも、ブレイン・バーストを失った以前とまるで変わらない。

 そんな姉はようやく落ち着いたようで、安堵の溜め息を吐いた。

 

「なぁんだ、そうなの……。もー、お母さんにコールしたら、警察にコーくんを迎えに行ったなんて言うもんだから私てっきり……。閉会式中も気が気じゃなかったんだからね。打ち上げほっぽって帰ってきたんだよ?」

「早とちりするからだろ。……で、大会はどうだったんだよ」

「あ、それ聞く? 聞いちゃう? 凄いんだよ、団体はベスト6。しかも私ね、個人の部でベスト4に入ったんだから! ね、褒めて! 超褒めて!!」

 

 誇らしげにふんふんと鼻を鳴らす蕾華の姿が、お座りの体勢でぶんぶんと尻尾を振る大型犬のイメージと重なる。実際凄いが、素直に褒めるのは少し癪だ。

 

「アー、ハイハイオメデトサン」

「そんだけ? もっと嬉しそうに褒めてよぉ、自分のことみたいに喜んでよぉ」

「自分のことじゃないから無理」

 

 面倒くさくなって、甲熹は適当に姉をあしらっていく。

 剣道部に所属している姉は今日、日本武道館で開催された都大会に出場していた。三年生の蕾華には、中学最後の年である。

 甲熹ら姉弟の通う中学校の剣道部は、周辺でもかなりの強豪校に入り、蕾華はその中で一年生の時点ですでにレギュラーに選ばれ、今日までその座を維持し続けていた。

 新入生当時の蕾華が片っ端から運動部を仮入部し、その中で曰く「一番しっくりきた」と選んだのが剣道部なのは、バーストリンカー時代に剣士だったことも関係しているのかと、甲熹は考える時がある。

 永久退場した当時、小学六年生だった蕾華は時折、うわの空でどこか遠くを眺めていることがあった。何か足りないものを思い出そうとするようにも見えたその仕草も、中学に上がってからは見ていない。やはり『忘れたことさえ忘れている』状態でも、自分が何かを失ったと感じているのか。もしかすると、甲熹には見せなくなっただけで、それは今も。

 一方、そんな蕾華から結果的にブレイン・バーストを奪ったコスモスだが、先程の対戦フィールドで、蕾華のことを今でも『友人』と思っていると言った上に、こう付け加えた。

 

 ──『私のしてきたことを否定する人で、私に対して怒る人は沢山いるけど、私のためを思って怒ってくれた人は、彼女だけだったから』

 

 そう言った後のほんの一瞬だけ、コスモスの超然とした雰囲気は消え、かの女王がどこか寂しそうに見えた。

 甲熹にはあずかり知らぬことだが、きっと互いに友情はあったのだろう。最後にコスモスは「あの子は元気?」と聞いてきたくらいだ。

 それでも蕾華は断罪されるのも承知の上で、コスモスに意見し、最後は戦った。説得できなかった時点でその場は引き下がって、黙って雲隠れなりリークなりすればいいものを、そうしなかったのもいかにも蕾華らしい。

 

「コーくん? おーい」

 

 目の前でひらひらと振りながら、心配そうに自分のことを呼ぶ蕾華に、甲熹は現実に引き戻された。

 

「大丈夫? やっぱりいろいろあって疲れてるよね。はしゃぎすぎちゃってごめんね。じゃあ私、部の打ち上げに行ってくるから。あ、その前にシャワーも……」

「……姉貴」

 

 部屋を出ようとする蕾華に、甲熹は呼びかけた。普段は「おい」だとか「なあ」としか呼ばないので、振り向いた蕾華は目を丸くしている。

 

「次の大会っていつだよ」

「関東大会? えっと……八月の中旬だけど。今日と同じ会場で」

「じゃあ、見に行く」

「……ふへぇ!?」

 

 一拍置いてから蕾華は口をあんぐり開け、甲熹に再び詰め寄った。

 

「本当!? どうしたの、今まで一度だってそんなのなかったじゃん!」

「別に。気が向いたらの話だから。行けたら行くってだけで」

「いーや、もう決定事項です! 言質とったもんね。約束だよ、他の何を置いても来てね!」

 

 絶対だよ! と言い残し、蕾華は鼻歌交じりの上機嫌で部屋を出ていった。直後に玄関に荷物がほったらかしたままだと、母に怒られている声が聞こえる。

 

「……直接言わなくてもよかったか」

 

 甲熹はふとした思いつきで言い出したことを、早くも後悔しそうになるのをぐっと堪える。

 

「いや……少しは前を向く気になったんだ。これでいい……はず」

 

 自身の心境の変化を自信なさげに呟いた甲熹は、ふと右腕に目を落とす。

 六年前の事故で負った、火傷の治療に移植された人工の生体皮膚は、本来の肌と外見上の見分けはほとんどつかずとも、甲熹本人には分かる。この傷こそが実の両親が離婚してしまった原因であり、今の自分を形成している象徴。

 当時の家族を、かすがいであった息子の自分が壊してしまった。罪悪感はいつまで経っても拭い去れず、人と関係を結ぶのが怖くなった。忘れようにも火傷跡だけではなく、度々見る悪夢が記憶の風化を許さない。

 現実世界と加速世界のどちらにも、少数ながら声をかけてくれる者、歩み寄ってくれる者もいた。だが、他ならぬ甲熹自身が手を取ることを拒否した。

 そんな偏屈者を、好き好んで何度も相手にする者など当然いない。少なくとも甲熹の周りには、蕾華を除いて誰もいなかった。いなかったのに。

 

 ──『──本気で来いよ!!』

 ──『──先のことは分からない。でもこれから先、この瞬間を振り返った時に輝いていると感じられたのなら、今の僕はきっと青春をしているんだ──』

 ──『またやろう! 今度は始めからまっとうな対戦で! これで一勝一敗同士、次も負けない。また僕が勝って、勝ち越してみせるから!!』

 

 会ったのは今日で二度目、それもVR空間内だけで、歩み寄るどころか殴り合った、素性も碌に知らない奴の言葉が、まだ甲熹の胸に強く残っている。

 ──こっちの事情なんか何も知らないくせに、好き勝手言いやがって……。

 奴が自分を助けたのは、奴自身の都合に他ならない。間違ってもこちらを慮ってのものではないと、甲熹には分かる。

 ただ、あれから何時間も経っているのに、甲熹には未だ勝負の余韻が残っていた。勝ちたいと思い、本気で挑んだ勝負への敗北。そのことを悔しく思うのは、本当に久し振りの出来事だった。

 本音を言えば、勝負の後に寄ってきたエネミー共を追い払った、あのよく分からないアイコンも気にはなったが、それはともかくとして。

 最後に放たれた奴の電光に、甲熹は自分の中の鬱屈した淀みが消し飛ばされ、一時ながら心が晴れた気分になった。その後からずっと、停滞し続けた自分に対し、このままでいいのかと疑問が湧いて止まらない。

 だから、きな臭いレギオンとの関係を断ち切った。おそらくはコスモスらトップ連中は、自身のレギオンメンバーにさえも、目的の全ては明かしていない。とうに姉が去っている以上、自分も付き合う義理はない。

 だから、留めたままだったのプレイヤーレベルを、今しがた6から7に上げた。何年振りかに聞いた、レベルアップを知らせるファンファーレの効果音は、思った以上に感慨深いものがあった。ボーナスはこれから吟味して決めることにする。

 これらの行動が、一時の気の迷いから来るものなのかはよく分からない。だが、後悔だけはなかった。

 ──次は……俺が勝つ。だから待っていろ──ダイヤモンド・オーガー。

 新たにバーストリンカーとしての目的ができた甲熹は、普段からの仏頂面は変わらずとも、心は晴れやかに、一人静かに闘志を燃やす。

 この日を境に、甲熹は六年前から見続けた悪夢の頻度が大幅に減っていく。

 ずっと立ち止まり続けていた骸炭の悪魔は、金剛石の鬼との出会いにより、再び歩みを始めるのだった。

 

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