アクセル・ワールド・アナザー 曼殊沙華には祈らない   作:クリアウォーター

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最終話

 最終話 曼殊沙華には祈らない

 

 

 いろいろなことがありすぎた日曜日の翌日。七月二十二日、月曜日。

 ゴウは昼食を済ませても自室に戻らず、ずっとリビングにいた。つけっぱなしのテレビから流れている、『恐喝行為の現行犯として逮捕された未成年グループ、その指示役と思われる学生を自宅で逮捕』というニュースを、ほとんど見ても聞いてもいない。

 ──もう着いてもいい頃だよな。連絡してみるか? 近くまで迎えに行った方がよかったかな。いやお節介か。リンカーのナビもあるし、別に迷う道のりじゃないし。でもなぁ……。

 落ち着かない気分で貧乏ゆすりをしていると、インターホンが鳴った。この音は、ここのマンション一階、エントランスのものだ。

 

「あ、来た。──はい、どうぞ」

 

 ゴウは仮想ウインドウに表示された、エントランスの映像越しに来客に話しかけてから、入口の自動ドアを解錠。来客をマンション内に通してから、自分は玄関へ移動する。

 来客用スリッパを一足用意して、待つこと数分。今度は別のチャイム音、自宅のインターホンが鳴った。

 ゴウが電子ロックを解錠して玄関扉を開けると、むわっとする夏の外気が入ってくる。

 扉の前に立つ来客は、日除けの鍔付きキャップを被った宇美だった。キャップを取った後ろの髪はヘアクリップで留め、簡素に纏まっている。

 

「こんにちはー」

「暑かったでしょう。さぁ入って」

「お邪魔します。あ、これケーキね。後でおやつに食べよ」

「おぉ、お土産まで。ありがとうございます」

 

 ゴウが宇美を連れて台所に移動し、受け取った包みを冷蔵庫に入れると、手洗い等を済ませた宇美が口を開いた。

 

「で、ゴウの部屋はどっち? そこでやろう」

「僕の部屋? リビング(そこ)でいいでしょ。今日は夕方まで、うちの親両方とも帰ってこないから邪魔にもならないし」

「却下。先週私の部屋見せたんだから、おあいこにゴウも見せてよ」

「それはあんまり関係ないんじゃ……まぁ別にいいですけど、面白いものなんてないですよ」

 

 あまり拒んでも仕方ないので、飲み物を盆に載せ、渋々宇美を自室に連れていくゴウ。一応、宇美が部屋を見たがる可能性も見越して、軽く片付けてはある。

 ──問題はない……はず。

 

「……ふーん、普通だね。男子の部屋って、もうちょっと散らかってるイメージがあったんだけど……おっ?」

 

 部屋に入ってすぐにあちこちを眺めていた宇美が、ゴウの机に目を留めた。

 

「漫画じゃん。それに今時ペーパーブックなんて珍しい」

「父が子供の時に集めて取ってあるやつを、たまに借りて読んでるんですよ」

「タイトルも知らないや。これいつのやつ?」

「さぁ……少なくとも三十年以上前です」

「へー……」

 

 今時、紙の束というものは見る機会さえ少ない。物珍しかったのか、内容に興味を惹かれたのか、宇美は立ったまま漫画のページをめくり始めてしまった。早くも今日の目的から逸れている。

 

「宇美さん? 宇美さんてば」

「んー……」

「んー、じゃなしに。宿題やりに来たんじゃないんですか?」

「分かってるって。ねえ、これ一巻から無いの?」

「読む気満々じゃないですか。じゃあ、帰りにキリのいいところまで貸しますから」

「でもお父さんのなんでしょ? 勝手にいいの?」

「一月くらい借りっぱなしにしても、返せって催促されたりしないですから大丈夫です。さぁ、ほら」

 

 ゴウがそこまで言って、宇美はようやく漫画を手放し、二人はテーブルを挟んで向かい合わせに座る。そうして互いにそれぞれの学習アプリを立ち上げ、本当に休ませる気があるのかと思う量の宿題の山を崩しにかかった。

 

 ──『一緒に宿題しよ、ゴウの家で。いい?』

 

 昨日、宇美からそんな連絡があったのが、現在の状況の発端である。

 学校も学年が違うのに個人の課題を一緒にやる意味があるのか、という考えが真っ先に浮かんだゴウだったが、そう即答するのは冷たい対応だとさすがに分かったし、友達の誘いを無下にするのも気が引けたので承諾した。

 それにどちらにせよ、十四時からの『用事』まで、宿題をできるところまで進める予定だった。また、この『用事』には宇美も関わっているので、ゴウの家に来たのはそれまでの時間潰しも兼ねている

 ゴウと同様、宇美も黙々と課題を進めるタイプだったようで、いざ始まると会話はほとんどない。手書きで数式を解き続けていたゴウは、ホロペーパーから顔を上げてみた。

 真正面の宇美は、至極真面目な表情で課題に取り組んでいる。考えてみれば真剣なのも当然だ。中学三年生の宇美には、今年は高校受験の年である。

 

「宇美さん、受験に備えての夏期講習とかないんですか?」

「うん、週に何回か塾の遠隔講義は申し込んであるよ」

「志望校とかはもう決まってるんですか?」

「えっとね──」

 

 宇美の口から出た高校の名前は、ゴウもクラスメイトとの会話の他、何度か聞いたことのある学校だった。偏差値は平均よりも、かなり高い水準に位置している。

 

「いけそうです?」

「今のままだと、ちょっと心許ないって感じかな。別に、そこでしかやれないものがあるわけじゃないんだけどね。この学力社会のご時世、いけるとこまでいった方がいいのかなって思って」

「おお……しっかり考えてるんですね」

「全然。そんな大したことじゃないよ。あと、そこに受かるかはともかくとして、高校に入ったら生徒会に入るのもアリかなって。ほら、生徒会役員だと学内のアクセス権限が普通の生徒よりも上がるでしょ? だからそれも目当てに生徒会役員になろうとするバーストリンカーもいるんだって」

「あぁ、らしいですね」

 

 現在、最年長でも十六歳までのバーストリンカーは、おそらくほぼ全員がどこかの学校に通っている。約千人いるバーストリンカーは東京の、それもほぼ二十三区に密集してはいても、同じ学校に通う確率はあまり高くはない。しかしゼロでもない。

 人口の多い学校なら、それだけ集まる確率も高まる。部活動をしていれば、他校と交流する機会も増えるだろう。要は学生という身分だけで、他のバーストリンカーとリアルでの接触をしてしまう可能性が、わずかながらに存在するのだ。

 故に自分の仲間以外のバーストリンカーが同じ学校に在籍した場合は、互いに不干渉を貫くか、形だけでも同盟を結ぶかが相場となる。ただ最悪の場合、ポイント枯渇しかけの片方が、もしくは双方がリアルアタックを仕掛ける事態も有り得ない話ではない。ゴウはバーストリンカーになりたての頃、大悟にそう聞かされた。

 だからこそ、そういったリスクを減らす意味合いを含めた情報把握に、学内のデータベースのほとんどにアクセス可能な生徒会役員の権限で、足元を固めようと考える者、実際にそうしている者もいるという。

 

「ゴウはどこか高校決めてるの?」

「いやぁ二年生ですし、まだまだ全然です」

「甘いなー、一年先なんてあっという間だよ。あ、じゃあ私と同じ志望校はどう? そこで二人して生徒会に入るの」

「それは……今の成績だとまず受かるか……。それに役員なんて荷が重いですよ。僕にはできてクラス委員が精々です」

「えー、いいじゃん楽しそうで」

「それよりまずは宇美さんが受からないと」

「う……そうなんだけどさ。さらりと痛いとこ突くね、もう」

 

 むーと口を尖らせ、宿題を再開した宇美の冗談めいた提案を、ゴウは想像してみた。

 役職は何にせよ、今こうしているように、放課後の生徒会室で向かい合わせになって作業をするのだろうか。

 ブレイン・バーストについて考えなくても、内申点的にもいくらか有利に働くメリットはある。もちろん相応の責任と労力も伴うだろうが。

 ──宇美さんと同じ高校か……考えもしなかったけど、全く実現不可能ってわけでもないのか。

 ゴウは淀みなく筆を走らせている宇美を見やる。よくよく考えれば、中学に入ってから友達を家に招くのは初めてだ。女子ともなると、小学生時代にだって一度としてなかった。

 ──ムーン・フォックスと現実の自分の部屋で、宿題しながら進路について話してるなんて、一年前、いや一ヶ月前に言われたとしても、まず信じられなかっただろうな。

 そんな宇美は家に来た当初は上に着ていた、日除け用の長袖を脱いでおり、クリーム色をしたノースリーブのトップスからは、すらりとした二の腕が露わとなっている。

 ──綺麗な肌…………ちょっと襟元広すぎないか? このままでもがっつり鎖骨見えるし、あれじゃもう少し屈んだら──はっ!? 

 この馬鹿野郎と、ゴウは自分の頬を引っ叩いた。

 バシィン! と景気のいい音に、宇美が目を丸くする。

 

「え? 何? どうしたのいきなり」

「ちょっと蚊が止まったんで」

「だからって……普通、自分の顔そんな強く叩く?」

「つい反射的に……うん、仕留めた。手洗って来ますね、あはは……」

 

 すでに少し引いている宇美に、無意識にどこを見ていたとは口が裂けても言えないので、とっさの言い訳をしながら、ゴウは部屋を出て洗面所に向かった。

 

「何やってんだか思春期め……いてて」

 

 自分に対してぶつくさ文句を垂れながら洗面所の鏡の前に立つと、ゴウの左頬にはくっきりと自分で作ったばかりのモミジの跡がついていた。蛇口から水を出して手を濡らし、赤くなった頬に当てる。跡はすぐに消えるだろうが、さすがに思いきりやりすぎたかもしれない。

 

「……遠くない未来か」

 

 宇美との会話で先のことについて話したせいか、ゴウは大悟の呼びかけで開かれた、昨晩のアウトローメンバーとの話し合いを思い出す。

 会場はプレイヤーホームでも、代表者のフルダイブ空間でもなく、とあるチャットサイト。この手の旧式コミュニケーションツールは文字でのやり取りしか行えないが、ニューロリンカーのID登録もアドレス登録も不要、指定したチャット空間にはパスワードを知る者しか参加できない等の利点から秘匿性が高く、複数人での意見交換にはうってつけの場所なのだ。

 そこでの会話内容は、土曜日に行われた領土戦後の、領土圏の大幅な変化。黒と赤、純色のレギオン同士の合併。日曜日の昼に行われていた、七王会議の顛末。

 そして、今まで正体不明だった加速研究会と白のレギオンとの繋がり。

 これらはすでに、昨晩の時点でバーストリンカーの間で燎原の火のように広まっていて、知っているメンバーもいた。ゴウも昼間に無制限中立フィールド内とその後の連絡で、大悟によって聞かされている。

 黒のレギオンが主立って活動し、これまでの暗躍が暴かれた白のレギオンは、残る純色のレギオンと完全に敵対することになった。

 調教(テイム)状態の神獣(レジェンド)級エネミー、太陽神インティの内部に閉じ込められ、無限EKに陥った王達をすぐにでも救出しようと、各レギオンメンバー達は幹部格を主軸に、目下動いていることだろう。

 だが、神獣(レジェンド)級エネミーさえも支配下に置く神器を所有している、白のレギオンが一筋縄でいくはずがない。中でもレギオンマスターのホワイト・コスモスに至っては、すでに領土ではなくなった港区第三エリアで一人、現在も常時マッチングリストに載っていると聞く。その行為の真意は、乱入をいつでも受け入れるという挑発のつもりなのか、何人連続で挑まれようが問題ないという自身の表れか。

 王達の無限EK状態にしても謎が残る。結果的には、王達は無制限中立フィールド内でのみ身動きが取れなくなっただけで、ここから無制限中立フィールドにダイブしない限り、とりあえずはポイント全損に陥ることはない。にもかかわらず尚も閉じ込めたままなのは、そこから何かしらに繋がる理由があるのではないか。

 ゴウがデーモンと戦っていた頃、なんとコスモス本人に遭遇して(ついでに片腕も消し飛ばされて)いたという大悟は、そう考えているらしい。昨日の話し合いでもあれこれ推測は出たが、結局これといった答えは出なかった。

 それでも、『何か大きなことが起こる』と以前アキハバラBGで零していたマッチメーカーと同様、ゴウも今ならば肌で感じ取れる。

 自分がバーストリンカーになる前、遥か黎明期にもきっと類を見なかった規模の激動が、加速世界で起こる予感がするのだ。その引き金が白のレギオンなのかまでは、まだ断定しかねるが──。

 

 ──『関わったところで損しかしない』

 

 デーモンが去り際に残した忠告めいた言動からして、その可能性は高いのだろう。

 ──加速世界の先行き、それに現実の進路。考えることは山積みだな……。

 生きている限り、未来には必ず誰もが直面する。まだ先のことだと思っていた物事も、すぐにやってくる。

 ゴウも中学校生活の三年間の内、すでに一年と数ヶ月を消化してしまった。まだ二年生になったばかりくらいの実感なのに、今はもう夏休みだ。振り返れば季節の過ぎ去るペースがあまりに早い。

 しかし、たとえ流れに呑まれることは避けられないとしても、自らの選択肢を掴み取っていかなければならない。その流れの中を必死にもがいてでも。

 その現実に悲観はしない。自分は一人ではなく、仲間がいるのだから。

 ゴウは来たるその時の為に、覚悟と備えだけはしておくことを肝に銘じた。

 ──まずは現実の我が身の為に宿題だ。それと……。

 水で濡らした頬をタオルで一拭きしてから、ゴウは自室へと戻っていった。

 

 

 

 自己の存在を知覚した瞬間より、全てを兼ね備えていた。

 この世界で最も雄大な山の地下に広がる、広大かつ荘厳なる領地。

 数多の従僕から成る軍勢に、傍らにはその中でも指折りの側近達。

 そして、それらを有するにふさわしい、最上位の優先度を与えられた我が身を持ち合わせ、己が魂に刻まれた、『領地に侵入した小戦士を倒せ』というプログラムの下、小戦士の来訪を悠然と待ち続けた。

 たとえどれほどに屈強な小戦士が数を揃えようとも、完璧な己を脅かす者など万に一つも存在しない。そう信じて疑うはずもなかった。

 だが、領地に踏み入る小戦士の一人も現れないまま、事態は一変する。

 自己の認識から幾らか年月が経ったある時、何の前触れもなく己が世界は崩れた。領地、配下、己自身に至るまでの全ての構成情報が、突如として分解され始めたのだ。

 訳も分からないまま自らの存在が消えていく。みすぼらしいものに変わる身なり。眼前で揺れる白いものを何かと掴めば、それは色の抜けた自らの頭髪。

 己の何もかもが根こそぎ奪われていくことに、初めて恐怖というものを覚えた。消えたくない一心から、これまで一度として離れなかった玉座から浮き上がり、遮二無二逃げ出した。

 地形データを無視し、透過できるほどに希薄になってしまった、消えゆく体で地上に到達する。情報が密集している方角を感じ取り、雲で翳る夜闇の中でひたすら東を目指した。

 次第に地面から遠く離れての浮遊も不可能になり、気付けば元居た山よりも、遥かに小さい山の中をさまよっていた。辺りに立ち込めるジャミング効果のある霧に地形情報の知覚を妨害される中、偶然見つけた石の柱でできた門をくぐり、その先の道を進む。

 開けた場所に出ると、うら寂しい庭園に建造オブジェクトが一つ。中にアイテムデータがあることは感じ取れるが、条件を満たさない限り、かかっているプロテクトを外せない。こうした情報解析もいつまで可能なのか。

 藁にも縋る思いで徘徊していると、この場所の地下に存在する空間を発見し、地面へ潜る。己から薄く零れる燐光を頼りに洞窟を進めば、最奥の一枚岩に突き立つ、一枚のアイテムデータを見つけた。

 エンハンス・アーマメントタイプ、それも優先度はかなり高めに設定されている。この地下道は、これの取得へと繋がる隠し路だったようだ。

 アイテムカードを掴むや否や、ビーイングとしてかろうじて残されていた拾得(ルート)能力によって、構成情報ごと分解──喰って取り込むことで九死に一生を得た。

 これでどうにか自己の崩壊は食い止めることに成功したが、今度は存在がある程度安定したせいで、地形の透過が不可能になり、地下空間から出る術を失ってしまう。

 こうして栄耀栄華の極みより一転、領地は岩盤に囲まれた袋小路、配下は一人もおらず、戦闘能力は皆無に等しい無力な存在となった。

 始めの内は、今まで認識こそしていたものの歯牙にもかけていなかった、この世界の創造主をただただ恨んだ。全て与えて生み出しておいて、全てを無情に奪っていった。これが憎悪を抱かずにいられようか。

 大規模なフィールドと、そこに付随する己を含めたビーイング達の抹消。その実行理由は不明だが、これらに割いていた情報リソースを、別の何か──より重要なものに当てたのではないか、といった複数の思考も巡らせた。

 だが、そうした活発な感情発露や思考運動は、数十年も経たない内に行わなくなっていった。

 消去が実行された己の残存を、創造主が検知していないはずがない。尚も己が存在し続けられている理由は、すでに目的は達成されているからか。それとも、何かの手違いで即座の抹消を免れながらも、残滓でしかない己になど、関与の必要さえなしと判断したのか。あるいは他に理由があるのか──何もないのか。

 許すつもりは毛頭ないが、厳然たる虚無感が憎悪や憤怒を湧き上がる前に押し潰していく。何より仮にこの場から出られたとて、もう己の居場所は存在しないのだから。

 せめて、創造主が定めた言語を口にはすまいと固く誓った。意味は皆無でも、この身でできるなけなしの抵抗だ。

 ほとんどの時を、最低限の知覚情報を残したスリープモードで過ごした。他にやることと言えば、時折ハイエスト・レベルに赴く程度。己を描画した光点の弱々しい瞬きを見る度に、まだ消えていないことにどこか安堵しつつ、より一層惨めになった。

 度々この山に入ってくる小戦士の存在を感知し、ハイエスト・レベルから眺めることもある。もっとも、小戦士達は滅多に訪れない。数十年から数千年に一度と頻度はまばらで、時を経るごとに期間が空くことが多くなっていった。連中には、この場に訪れる意義はほぼないようだ。

 あらゆるものを失ってから、過ぎ去った時は八千年を優に超えた。

 このままこの穴蔵で、いつか世界が閉じるその時を、何者にも知られることもなく漠然と待ち続けるだけ。そう判断して久しい己の元に、一人の小戦士が現れた。

 それまで山に入った小戦士達へ向け、気まぐれにハイエスト・レベルから干渉してみたこともあったが、実際に己の眼前まで訪れた者はこの小戦士が初めてだった。

 ひょんなことからリンクが形成されてしまったその小戦士は、額から伸びた双角がかつての従僕達を思い起こさせたが、こちらの言うことにまるで従おうとしなかった。

 あまりに不敬な態度に久方振りに怒りが湧き、ミーン・レベルからハイエスト・レベルへ強制的に引き上げもした。だが、限りなく時が止まった環境に放り出され、魂が壊れかけたというのに、小戦士は何故か自力で立ち直った。その上、再会時にはこちらへ恨みの言葉の一つも吐こうとしない。それどころか──。

 とにかく、ひどく不可解な存在だった。ハイエスト・レベルからの呼びかけについて言い当てられた際には、思わず否定してしまったし、どうも調子が崩される。

 最後には関係の清算に詫びの意も込め、襲い来るビーイングの群れを追い払ってやったというのに、リンクが消える瞬間まで納得していないことが伝わってきた。何にせよ、もう遭遇することもあるまいが。

 これで平静を取り戻せたかと思えば、新たに問題ができた。

 これまでは数十年も数百年も体感に大差はなかったというのに、あの小戦士とのリンク切断以降、時の経過がやけに緩慢に感じるのだ。

 浮かぶのは、片手で足りる回数のやり取りと、その耳目を通して記憶した世界のことばかり。

 これではまるで、小戦士との縁を切ったことを惜しんでいるようではないか。悔やんだところでもう遅いというのに。そもそも悔やむ必要など──。

 その時、地下空洞が揺れた。少し離れた場所から届いた地響きに、スリープモードが解除される。

 この手狭な領地に何者かが入ってきた。

 

 

 

 真っ暗な道を歩いていく。以前は壁に手を当てながら、おそるおそる道の状態を確認して進んだが、罠の類がないことはもう分かっている。岩肌の凹凸に躓かないよう気を付けるだけで事足りる。

 歩くペースが以前と違う分、最奥へはすぐに辿り着いた。

 平たい一枚岩の上には、儚げな青白い光を発する、女性の姿をしたエネミー。御簾のように顔へ垂れ下がっている白髪の奥からは、食い入るような視線を感じる。

 

「やあ」

 

 ゴウはイザナミに向けて和やかに片手を上げた。注視されていることでプレッシャーは感じても、もう竦むことはない。

 リンクが断たれたことを確認した直後から、ゴウはもう一度イザナミに会うと決めていた。だから昨日のアウトローで行われた話し合いの席で、ゴウは大悟と宇美以外のメンバー達にも、イザナミについて話した。

 一人だけで行くことも考えたが、それでは心許ないし、助けてくれる者達がいるのなら、遠慮せずに頼るべき時もあることはもう学んでいる。

 仲間達は協力を快諾してくれた。全員揃っているので、このまま無制限中立フィールドへダイブしようという意見も出たが、それはゴウが止めた。

 イザナミのいる場所は、隠しエリアと思われる庭園──の更に地下。遭難状態から偶然に偶然が重なり見つかった場所へ再び赴くには、アウトローの他にも協力者がいた方が良い。

 例えば、その場所を他に知っている人物。丁度ゴウには心当たりがある。

 話し合いの後にすぐ、ゴウは町田市で活動するレギオン、フリークスのトワイライト・ヴァンパイアへ連絡を取った。先週、高尾山を目指した彼らに同行したことこそが、イザナミとの邂逅のきっかけだ。

 以前交わした『協力を惜しまない』という約束の通り、ゴウの話を聞いたヴァンパイアは即座に了承し、レギオンメンバーにも声をかけてくれた。

 こうしてそれぞれの都合を元に調整し、最終的に集合時間と決まったのが、今日の十四時だった。

 かくして無制限中立フィールドで合流し、高尾山を訪れたアウトローとフリークスの一行だったが、庭園の発見は予想通り簡単にはいかず、捜索に丸二日を要しながらも、どうにか辿り着くことができた。

 そして現在、庭園の番人である天狗エネミーの相手は他の皆に任せ、主に天狗に集中的に攻撃を当てさせてできた、地面に空けた穴を通じてゴウはこの地下空洞に立っている。

 

「久し振り……になるのかな。リンクが切れたのは、僕にとっては昨日のことだけど、君にはもう三年以上前になるんだよね」

「……斯様な年月、我にとっては瞬きに等しいわ」

「ここまでまた来るの大変だったんだよ。そもそも地上(うえ)の庭園からして、前は迷って偶然来られたわけだし」

「うぬの苦労など知らぬ」

 

 イザナミは無愛想に頬杖をつき、ぷいとそっぽを向いてしまう。ゴウにはその態度がどこか拗ねているような、強がっているように見えた。

 

「君と話しに来たんだ。前は時間が足りなかったから。あ、この前は助けてくれてありがとう」

「……礼の言葉は受け取ってやろう。では失せよ。我はうぬと話すことなど無い」

「もう一度リンクを結ばないか?」

 

 探りを入れる必要はない。単刀直入にゴウは用件を切り出した。

 

「ここにずっと独りでいても退屈でしょ? そりゃ四六時中一緒にいられるわけじゃないけどさ、一人くらい話し相手がいたっていいんじゃないかな」

「…………」

「なんだったらアウトローの仲間もいる。一度集会があったから知ってるだろ? 皆良い人だよ」

「…………」

「僕を通して見た外はどうだった? 君は飽きたとか言ってたけど、まだ行っていない場所ばかりだし、同じ場所でもステージごとに景色は変わるし、対戦だって指で数えるくらいしか見せてないし……とにかく君の見たのなんて、ほんの一部だ。それから──」

「もうよい!」

 

 黙り込んでいたイザナミが立ち上がった。耐えかねたようにゴウを遮り、自身の胸に手を叩き付ける。

 

「この身は残滓、抜け殻よ。偶々消去を免れ、落ち延びただけの抜け殻よ。最下級の獣はおろか、小戦士一人とて倒すことは叶わぬ。斯様な我に、うぬは何故そこまで執心する!」

「その答えは、前にハイエスト・レベルで言った」

「はっ! 友になりたいなどという戯言か? 再び我と回路を形成したとて、うぬに利など欠片も無いのだぞ」

「それでも良いんだよ。大体繋がりっていうのは、メリットの有り無しだけが全てじゃない。いるだけでも知らず知らずに助けたり、助けられたりするんだ。ここに来られたのだって、前に僕が助けた人達が、今度は僕に手を貸してくれたからなんだよ」

「ぐ……」

 

 揺るがないゴウに、イザナミが言葉を詰まらせる。

 ──悲しい思い出になる別れなんて、僕は認めない。

 ゴウがリンクを断たれる寸前に見た、引き結ばれた口元。あんな泣きそうな顔をされて、「はいさようなら、元気でね」では済ませられない。

 自分は『加速世界を自由に生きる』が信条のアウトローメンバー。この本当は寂しがり屋の女神を放ってはおかないと、もう決めたのだ。

 

「……これも前にも言ったけど、経緯はどうあれせっかく会えたこの縁を僕は大事にしたい。だから──」

 

 ゴウは岩の上に立つイザナミへ右手を差し出す。

 

「イザナミ。僕ともう一度リンクを結んでくれませんか?」

 

 イザナミはゴウを見下ろしたまま動かない。

 ゴウもイザナミへ伸ばした腕を動かさない。

 洞窟に満ちる静寂に、ゴウは耳が痛くなりそうになった頃、イザナミがぽつりと呟いた。

 

「…………従僕では不服か?」

「それは嫌だな。対等な友人同士がいい。もうお互い貸しも借りもないし」

「ふん、結局そこは譲らぬか」

 

 鼻を鳴らしたイザナミは岩からふわりと浮き上がり、更に高くからゴウを見下ろす。

 

「つくづく剛情な小鬼よな。我に本来の力があれば、うぬなど百度は塵にしているところよ」

 

 イザナミの纏う燐光から火花が散った。

 以前のハイエスト・レベルと同じようにまた拒絶されてしまうのかと、ゴウは伸ばしていた手を引っ込めそうになるところをぐっと堪える。

 ところが、火花はすぐに収まった。

 

「──が、それは堅固なる意志故と取れなくもなし。然様な魂の在り方と行動に、いくらか興味が湧いたのも事実」

「それって要するに……」

 

 イザナミがゆっくりとゴウの前に降下する。同時に前髪が左右に分かれ、素顔が露わになった。両足が地に着かずに浮いたまま、丁度目線の高さがゴウと同じになっている。

 

「光栄に思うが良い」

 

 イザナミは両手で上下から包むように、ゴウの差し出したままの手を握った。血色の悪い青白さからは想像できない、ほのかな温もりを持った手を通して、何かがアバターの身に流れ込んでくるのを感じる。違和感や異物感が皆無なわけではないが、流れは緩やかで前回のようなショックはない。

 

「えっと、改めてよろしく」

「……精々、我の食指を動かす働きをするのだな」

 

 尊大な口調は変わらず、イザナミは大粒の黒真珠のような瞳を伏せ、ゴウから目を逸らしてしまった。

 しかし、かすかに微笑んでいる。その柔らかい表情が、ゴウには野端にさりげなく咲く花とどこか重なった。

 本人が自覚しているのかは分からない。指摘すればすぐにしかめ面になってしまうのだろう。

 だからこそゴウはリンクの形成が終わるまで何も言わず、得も言われぬ温かさを胸に抱きながら、自身もフェイスマスクの下で笑顔を作るのだった。

 

 

 

 知人、敵、仲間、友人、好敵手。一期一会のめぐり逢い、善きも悪きも繋がりの、(えにし)が道を彩って。

 これは西暦二〇四〇年代、VR・AR技術が発達した世界のどこにでもいる、しかし他の誰でもない、一人の少年の物語。

 その断篇である。

 


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