アクセル・ワールド・アナザー 曼殊沙華には祈らない 作:クリアウォーター
第七話 樫に啄木鳥、鉱床に金糸雀
大悟は一人、来た道を戻っていた。もう帰っている可能性も高いが、彼女に話を聞きたかったのだ。
幸いなことに大悟が着いた時には、プレイヤーホームからダフネが出てくるところだった。丁度帰るところだったらしい。
「あら、一人でどうしたの? 出かけてそのままログアウトするって言ってたのに。デューは一緒じゃないの?」
「ポータルから先に帰らせた。少しお前さんと話したいことができてな」
デューと一緒に登った巨木には、木の中腹辺りにできた
「そんなに私と二人で話したかったの? やだ、告白でもされるのかしら……」
いかにもわざとらしい動きで、両手を頬に当てて首を振るダフネに取り合う気はなく、大悟は単刀直入に話を切り出す。
「デューの《親》について知りたい」
途端にダフネがぴたりと動きを止め、こちらへの視線が真剣味を帯びた。
「……中で話しましょうか」
ダフネに促され、本日三度目のホームへの入室をする大悟。
椅子に腰かけると、テーブルを挟んで対面する形になったダフネが先に口を開いた。
「あの子が……デューが何か話したの?」
「熱心に強くなろうとする理由が、《親》の敵討ちだと」
「それを聞いて止めなかったの?」
「別に止める理由はないからな。本人相手に根掘り葉掘り聞く気もなかった。そこまで野暮じゃない」
「そう……」
少しだけ憂鬱そうに、ダフネは煙管を取り出して口につける。どういった仕掛けか、火皿から勝手に煙が出始め、室内に甘い匂いが薄く香っていく。
「……《オーク・シェルフ》って名前のバーストリンカー、聞いたことある?」
「シェルフ? あぁ、何度か対戦したことはあるな」
唐突にダフネが出した名前を、大悟は知っていた。
オーク・シェルフ。カラーは防御に秀でる緑系で、木刀を用いた打撃をメインに、
「去年の年末頃だったか。その時期くらいからほとんど見なくなったが、そうか……もういないのか。あいつ……」
「そう、デューの実のお兄さんで、《親》……だったの」
ダフネが溜め息と同時に煙を吐く。
大悟には分からないことがいくつかあった。
デューの《親》であるシェルフは、新宿周辺で主に活動するブルー・ナイト率いる《レギオン》に所属するメンバーの一人だったはずだ。
レギオンとは、四人以上のバーストリンカーが特別なクエストによりシステムから承認された、他のゲームでいうところのギルドなどに該当する集団。必ずしも誰もがそうではないにしても、メンバー間の仲間意識はそれ以外の者達に比べて強いものになる。
その上ナイトは、現在のブレイン・バーストにおいて最強とされる《
にもかかわらず、ナイトがシェルフをポイント全損に追いやった、とデューは言っていた。
バーストポイントを全て失った者は、ブレイン・バーストがニューロリンカーから自動アンインストールされ、二度とインストールすることができなくなる。
加えてもう一つの『ペナルティ』も合わせて、バーストリンカーとしての完全なる『死』であることは間違いない。
「シェルフがどうしてナイトに全損させられたのか、お前さんは知っているのか?」
「直接は知らないけれども、理由は……なんとなくはね。でも……」
「デューが慢性的なポイント不足なのと、何か関係があるのか?」
大悟の質問を受け、ダフネがライムグリーンのアイレンズを大きく見開いた。
「どうしてそれを……ううん、いつから分かっていたの?」
「初めて会った日の対戦。対戦開始から、終始あいつは必要以上に張り詰めていた。負けが込んでポイントが枯渇した奴の典型だ」
あの時のデューは対戦開始直後から無駄口を叩かず、余裕がなかった。こちらの方がレベルは上であったし、いくらか緊張すること自体は別段おかしなことでもないのだが、それを加味しても大悟の目にはやけに過剰に映ったのだ。
特に片脚を斬り落とされてから見せた、あのパニックにも近い狼狽振り。あれはもはや異常と言っても差し支えない。
この理由について、大悟は確信に近い形で見当が付いていた。
「日常生活で加速能力を使っているんだろう? で、ポイントを稼がないといけない焦りから、プレッシャーで負け越しが続いていたと」
「…………」
ダフネは何も言わない。その沈黙が正解と言っているようなものだった。
バーストリンカーはニューロリンカーを装着状態で《バースト・リンク》のコマンドを唱えることで、一ポイントを消費し、一度で最大一.八秒間の思考を千倍に、つまりは体感でおよそ三十分間にすることができる。
この際に《
そこでは肉体の現在位置からネットアバターの体で、ソーシャルカメラの映る空間であれば移動が可能であり、外部プログラムを立ち上げることもできるのだ。テストの答えを知ることなど造作もない。
あるいは自身の思考のみを三秒間のみ十倍に加速する、《フィジカル・バースト》のコマンドを使えば、体感時間が三十秒に伸ばされるので、スポーツではとっさに下さなければならない判断を、余裕を持って行うことができる。それは取っ組み合いのケンカにも通じるだろう。その引き換えは五ポイント分の消費。
どちらのコマンド使用によるポイント消費もわずかな損失だ。それが一度や二度で済めば。
多用すれば、ポイントなどあれよあれよと消費していってしまう。そして、人間は一度得た利便性を手放すことは非常に難しい。
だからこそ、バーストリンカーの中にはこれを理由に、ブレイン・バーストを失わないように必死でポイントを稼ごうとする人間が一定層存在する。
それはこれから小学校高学年、中学生、高校生と成長と共に年齢層が上がるにあたって、更に増えていくのだろうという懸念も大悟にはあった。
「あぁ、いや。話したくないのならいい」
沈黙するダフネを、大悟は小さく手を振って制した。リアルに関わる言いたくもないことを、無理に聞き出してまで知ろうとは思わない。だが、もう一つのことについては別だ。
「分からないのは、どうしてそれだけポイントに余裕がない奴が、ここに足を運んでいたのかってことだ。そこだけはどうにも気になってな」
この無制限中立フィールドへダイブする為の、《アンリミテッド・バースト》のコマンドを唱えるには、十ポイントを必要とする。エネミーを倒して補填はできても、口で言うほどに容易ではないし、通常対戦に比べればコストパフォーマンスは遥かに悪い。
「……エネミーの群れと戦うあなたを見つけたのは、パトロールの最中だったって、前に言ったでしょう?」
「パトロール……あぁ、この辺りを見回っているってやつか。そういえばそんなこと言っていたな」
「ほぼ毎度あの子はそれをするんだけど……要するにデューは《親》の、シェルフの背中を今でも追いかけているの」
ようやく口を開いたダフネの説明を受けても、まだよく分からない大悟は首を傾げた。
その様子が可笑しかったのか、小さく笑ってからダフネが続ける。
「シェルフも同じことをしてたの。週に一度はこっちにダイブして、どこかにエネミーに倒されそうなデュエルアバターがいないかどうかって見て回る。以前にエネミーに襲われてピンチだった自分が、他のデュエルアバター達に偶然助けられたからだそうよ。そんなことを、デューは駆け出しの頃から話にだけは聞いていたみたい」
「なるほど、《親》の影を追っているわけか」
──《親》なしの
なるほど、とは言いつつも大悟にはあまり意味のある行為には思えなかった。千倍の加速空間で誰かと出会う確率はおそろしく低い。それでポイント枯渇に近付いているのなら、元も子もないだろう。
「聞いても意味不明って顔ね」
そんな気持ちが頭巾を纏った顔にも出ていたのか、大悟の考えはダフネに読まれていた。
「私も同感。でも利益とかに関係なくても、そうしたいって気持ちはきっと誰にも止められないこともあると思う。人は感情で生きることも多いから」
「…………」
その言葉に何故だか反論ができず、今度は大悟が黙る番となる。壁掛けのアナログクロックの秒針を刻む音だけがホーム内に響く。
「──自分で言うのもなんだけど私ね、結構モテるの」
「あん?」
しばし流れた沈黙を破ったのは、ダフネのそんな発言だった。
「本当に自分で言うのもなんだな。藪から棒にどうした」
「まぁまぁ、ちょっとした雑談だと思って聞いてよ。小さい頃から家族も周りの大人達も友達も、みーんな私を可愛いって言ってくれるのね。謙遜もかえって嫌味みたいに受け取られるから、そのうち上手く流すことを覚えたんだけど、それはブレイン・バーストでも同じ。このデュエルアバターも、結構な美人の部類に入ると思わない?」
「んー……まぁそうだな」
じっと目の前のダフネを眺めてから、大悟はそんな生返事をする。
イブニングドレスに纏った装甲兼装飾品の他、光沢のあるセミロングヘアー、細身ながらしっかりと女性的ラインが目立つプロポーション。その容姿とさして乖離しない、大人びた立ち振る舞い。
魅力があると言って差し支えないのだろう。ただ、それ以上の感想を大悟は抱かなかった。何も出会いを求めてブレイン・バーストをやっているわけではないので、そんなことは正直どうでもいい。
「で、そんな私は学校でも一部の男子にはちやほやされて、一部の女子にはやっかみを受けるわけ。気付くとリアルで友達と思えるような人はいつの間にかいなくなってた」
「やっかみねぇ。そういうものか?」
「女の子は特にそのあたり早熟だからね。加速世界でもリアルほどじゃないにしたって似たようなものでね。でも別に《親》や《姉妹》達がいたから寂しくはなかった。いつも一緒に行動しているわけじゃなかったんだけど、全員がF型で花の名前が付いていたこともあったからなのかな、性格はバラバラなのに妙に馬が合ったの」
これまでブレイン・バーストのコピーインストールは回数制限がなかったのだが、今年の春過ぎ頃から一回のみしかできなくなったらしい。プレイ人口が千人ほどになって、この数が『あらゆる意味』での上限なのではないかというのが、バーストリンカー間で一番多い定説となっている。
つまりブレイン・バーストでは現状、もう新たに《親》を同じとする《兄弟》や《姉妹》という存在が増えることはないのだ。
「……でも一年以上前に《親》が全損して、しばらくは頑張って彼女の夢を継いでいこうと活動もしたけど、拠点になる領土も確保はできなくて、結局《姉妹》もバラバラになっちゃった」
「それで一人か……《子》は作らなかったのか?」
「話ちゃんと聞いてた? 女子からは敵意持たれて、そうでなくとも一緒にいて目を付けられたくないから関わってこないのがほとんどで、男子に至っては直結なんてした日には、面倒くさいことにしかならないでしょうが。別に進んで好かれようとは思わないけど、自分から嫌われにいく気もないの」
「お、おう悪い……」
むっとした様子でまくし立てるダフネに圧倒され、大悟は思わず謝ってしまう。特殊学級に籍を置き、同年代と集団生活をすることがない大悟は、このあたりの機微には基本的に疎い。
「で、それからしばらくして私は隠居生活をすることに決めた。プレイヤーホームを買ってのんびり過ごして、たまに対戦してポイントを補填するようなね。でもホームって高いじゃない? 保有ポイントだけじゃ、とてもじゃないけど足りなかった。だから対戦をして稼ごうとしたんだけど、それでも中々貯まらない。このか弱い細腕じゃあね」
「毒入り弾撃ってくる奴が何を言ってんだか」
少なくとも大悟はこれまで、か弱い『だけ』のF型になど会ったことがない。
たとえ腕力では劣る華奢なアバターであっても、その他の何かで補われているものがデュエルアバターであって、そこに男女の差はないと大悟は思っている。
鼻で笑う大悟に対し、ダフネは軽く肩をすくめるだけだった。
「それでも常勝とはいかないのは分かるでしょ。そんなこんなで去年の秋の終わり頃には、当初の目標ももう諦めかけてた。そんな時に対戦相手としてシェルフと初めて会ったの」
ここで再びオーク・シェルフの名が出てきて、さすがに大悟でもこの後の展開が読めてくる。
「それからもちょくちょく対戦するようになって、ある日ギャラリーで一緒になって話す機会があった。ホーム購入について話すと、彼は手伝うと言ってくれてね」
「そうしてこのホームを買ったと。それまで誰かに協力を頼んだりしなかったのかよ」
「確かに他のプレイヤーに手伝ってもらうこともあった。というより向こうからタッグに誘われることの方が多かった。私が遠距離攻撃や支援系の必殺技が使えるから、近接系アバターには特に。でもね……」
いきなりダフネの歯切れが悪くなるので、大悟は不思議に思いながら続きを促す。
「でも?」
「んー……自意識過剰? って言われればそれまでだけど、組んで何度か対戦していくとその人の私を見る目が変わってくるというか……態度が必要以上に慣れ慣れしくなるというか……なんだかイヤな感じになっていくの。一番ひどいものだと、対戦開始早々にいきなりハグしてきた上に顔を近付けてきたバカがいてね」
「それはまた……とんでもないのがいるもんだな」
ご愁傷様です、と他人事のように(実際そうだが)大悟は苦笑いした。
ダフネは直接的な言葉を使わないが、要するにタッグパートナーから惚れられてしまうらしい。しかもダフネにはその気がないのに一方的に。
それだけ向こうの頭がおめでたかったのか、はたまたダフネの仕草が向こうに勘違いをさせてしまっていたのか。
「それでその後どうした」
「大事なとこ蹴り上げてから、ありったけの銃弾をそこにぶち込んだわよ。それからそいつとは二度と組まなかったし、話もしなかったし、会っても逃げた。探せばそんな人ばかりじゃないんでしょうけど、私はもう嫌になっちゃって。そんなことのあった後だから、最初はシェルフの申し出も断ったんだけど……『困っている人をみすみす放っておけない』だとか、『君の力になりたい』とか言ってくるわけ」
そういえばそういう奴だったと、大悟はシェルフの人となりをより詳しく思い出す。
融通の利かない超がつくほど真面目な男。そのくせ、対戦では柔軟な対応や多彩な動きをするのだ。個人的にはかなり対戦しがいのある相手だった。
「あんまりしつこいからこっちが折れて、何度か一緒に戦ったらコンビも自然解消しようと思っていたんだけど……」
「そうはしなかったわけだ」
「いやまぁ……うん。実際に勝率はぐんと上がったし、戦い方のアドバイスとかもしてくれたし、それまでの人達みたいに接し方が変わることもなかったし? 悪い人じゃないかなって。それでこうしてホームも買えて、デューとも知り合って──」
煙管を手の中で
「……なによ?」
「別に。それでお前さん、結局何が言いたかったんだ?」
「別に? オチなんて求めないでよ、芸人じゃないんだから。そんな損得勘定なしに動く人もいて、そんなことがあったってだけの話。言ったでしょ、ただの……雑談よ」
そう言ってから煙管を咥えつつ、窓に顔を向けたダフネの横顔が、大悟には泣きそうになるのを堪える少女のそれに見えた。
石ころだらけの坂道をひたすら走る。
これが夢であると、すぐに理解していた。デュエルアバターの体ならいざ知らず、生身の姿である自分が、こんな急勾配の荒れ道を走り続けていられるはずがない。
目線の先、一羽の鳥が先を飛ぶ。
鮮やかな黄色い羽毛をした小鳥だ。必死で足を動かしていても、距離は段々と遠くなっていく。一本道を鳥が真っすぐに飛んでいることだけが、未だに見失っていない理由だ。
やがて坂道が終わった。
目の前には岸壁が左右に見渡す限り広がっていて、正面に人ひとりがどうにか通れそうな裂け目があった。その裂け目の中に鳥は入っていく。
鳥を追いかけて、裂け目の中に入る。
日光が届かなくなる寸前の場所に一本の
分かれ道がいくつか続いていても、足が勝手に道を選んでひたすら進んでいく。いつしか時間の感覚も曖昧になっていった。
道が途切れた。
通り道の天井から地面までを、一つの大岩が塞いでしまっている。いくら叩こうが押そうが微動だにしない。仕方なく来た道を戻ろうと振り返る。
黄色い鳥が地面に落ちていた。
松明を放り捨て、慌てて鳥に駆け寄って両手で拾い上げるが、瞼を閉じた鳥は全く動かない。どうしたらいいのか分からずにいると、鳥の体は淡い輝きを放つ光へと変わり、消えてしまった。
何故だかひどく悲しくて、胸に疼くような痛みが走ると、背後を風が撫でた。
それまで道を塞いでいた大岩が消えている。
大岩の向こうは暗闇ではなかった。六畳程度の広さの空間、そこの至る所から発光する鉱石が突き出ている。透明に輝く六角柱型のそれは水晶だ。
空間の中心には一際大きな水晶があった。その水晶の奥に人影が見えて、思わず手を伸ばす。
水晶が触れる寸前に砕け散った。
連鎖するように周りの水晶群も砕けていく。まるで自分に触れられるのを、拒否しているかのように。
周囲が完全な闇に包まれた。
背後に置きっ放しだった松明もいつの間にか消えていて、何も見えない真っ暗闇の中、足元の地面が消えたことを感覚で理解する。
奈落の底へと頭から落下していく。
上の方で誰かと誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、助けは求めなかった。勝手に離れていった自分には、そんな資格がないと思ったから。
汗だくになった大悟が自室のベッドの上で目を覚ますまで、あと三秒。