『明日、家に遊びにきませんか?』

 四葉が風太郎に送信した一通のメールは、お家デートの招待状だった。
 姉妹全員がそれぞれの用事で自宅を留守にし、風太郎と二人きりになれるチャンスを見出した四葉と、招待状を受信して中野家に招かれた風太郎。
 はたして初々しいカップルのお家デートの行方は……って上杉さん、家庭教師モードですか?
 
 さらにはそんなこんなで四葉は風太郎に手作り料理を振る舞うことになってしまい――?


 風四がお家デートをしたらこんな感じかな? と想像してみたので、とりあえずデートさせました。

 

 


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四葉推しです!


五つ星ディナー

 

『明日、家に遊びにきませんか?』

 

 ――私はそうメールを送ったはずなんだけどな。

 

 四葉はリビングのテーブルに広げられた、筆記用具や大学受験対策の教材といった勉強道具を眺めながら、浮かない顔をして昨晩に送信したメールの文面を思い返していた。

 彼が家に訪れたのは、お昼ご飯の時間がすぎた午後のあたり。

 それからずっと現状はご覧のありさまだった。

 四葉の心の内を表しているかのように、新緑の色をした頭のリボンはしおれている。蜜柑色の髪を片手でくしゃりと掻いてから、彼女の蒼海色の瞳はテーブルの向かい側に座る彼――上杉風太郎の姿を映した。

 風太郎の勉強に望むまなざしは真剣そのもので、彼がノートにシャーペンを走らせる音は図書館のように静かなリビングによく通っている。

 

 かりかりかりかり。

 

 シャーペンで紙に文字を書く音が、四葉の耳朶を触る。はたしてこの音が心地よいと感じられるようになったのはいつからだったか。彼が五つ子の家庭教師を務めるようになってからもうじき二年が経ち、勉強嫌いな五つ子たちはみっちりとしごかれた。そのせいで、ずいぶんと耳馴染みな音になってしまったものだ。

 四葉は勉強に励む風太郎をじいっと観察する。

 少し目つきの悪い瞳には黒髪が掛かっていて余計に暗い印象を与える。頭頂部には二つにわかれた癖毛があって、ともすれば四葉のリボンと似ているような形をしている、と言えなくもない。容姿は……、

 

(私は、かっこいいと思ってたりしてなくもないような……)

 

「ん? どうした四葉。手が止まっているが問題はもう解けたのか?」

 

 風太郎の黄金色の瞳が四葉に向けられた。

 じっと見つめていたことがバレたと思い頬が赤くなる四葉だったが、風太郎はそんな彼女には気づかず、四葉のノートに興味を奪われていた。

 

「どれ見せてみろ、……ってなんだこの回答は! ここはもう千回は教えただろ! 何回間違えたら気がすむんだ!」

「ご、ごめんなさーい!」

 

 風太郎は怒り心頭で四葉に詰め寄ると、むんずっと彼女の頭のリボンを掴んだ。彼はもう何回四葉を叱責しそのたびに何回このリボンを乱暴に扱ったのか覚えていない。四葉はそれほどまで勉強を苦手とし、家庭教師である風太郎の頭を悩ませてきた。

 ただ、彼に怒られてリボンをわしづかみにされた回数は、四葉がめげずに勉強に取り組んできた努力の証と言えなくもないだろう。

 風太郎はくしゃくしゃにしたリボンを、ぴんっと太陽に向かって伸びる若葉のように整えてから、四葉が間違えた箇所をまた丁寧に教え直した。ここまでがテンプレートだった。

 

「まったく……」

 

 風太郎は一通り教え直したあと、また自分の勉強を再開した。

 四葉は、今度はその姿をちらりと盗み見る。

 四葉は風太郎とならなんだって最高に楽しいと言い切れる。彼と勉強をしている今この瞬間だってもちろん楽しい。楽しいのだが――この状況に限っては少なからず不満がある。

 

(せっかく、二人きりなのにな……)

 

 そう。この五人の姉妹の父――マルオが与えてくれた高級マンション三十階の一室。中野家宅は現在、四葉と風太郎以外に誰もいなかった。

 長女の一花は女優業で。次女の二乃と三女の三玖はそれぞれアルバイト。五女の五月は下田の塾の手伝い。このように四葉を除く姉妹の皆が珍しく家を留守にしていた。

 ようするに、今日はお家デートなのだ。

 四葉は昨晩、いやらしい女だと思われないかな、というもやもやした気持ちと、好きな人と二人きりになりたいな、という純粋な衝動に板挟みになりながら、勇気を振り絞って風太郎にメールを送信したのだった。

 彼を自宅に上げた時点で二人きりだということは伝えている。それにこうして中野家におじゃましていれば、この家に自分たち以外に誰もいないと、風太郎自身も理解できているはずだ。

 

「う、上杉さん。いったん休憩しませんか。ほ、ほら、もうけっこうな時間勉強していますし」

 

 四葉は別に深い男女の仲になりたい――大まかに言ってしまうと恋人として愛し合う行為をしたいわけではない。四葉にはまだ、それをする心の準備が足りていない。そもそもデートの選択肢として存在していなかった。四葉はただ、風太郎の隣に座って話をしたり、彼の手に少しだけ触れてみたり、普段では自分の姉妹がいてすることができない恋人としての距離感で、彼をそばに感じていたかったのだ。

 

「何言ってるんだ。まだ勉強をはじめて一時間しか経っていないだろう」

「で、ですよね」

 

 四葉はしゅんとうなだれる。

 一時間も勉強すれば十分だ。高校の一コマの授業時間だって五十分だというのに……、とは言っていられない事情がある。大学入試がすでに目前まで迫ってきている。風太郎にとってこの時期は志望校に合格するために勉強を詰めなくてはいけない大事な時期だった。

 四葉もそれは重々承知している。なら出不精な彼が、休日わざわざ家に来てくれたことに満足するべきなのだろうか。

 

「四葉」

「あ、はい。ちゃんと問題集に取り組んでますよ」

 

 彼に名前を呼ばれて顔を上げる。四葉は怒られた手前、この家庭教師の勉強管理の目も厳しくなっているのか、と思ったがそうでもないらしい。風太郎は照れくさそうに自分の前髪を手で触り、視線を泳がせていた。

 

「どうかしました?」

「いや、そのな。……俺には、おまえらに高校を卒業させる義務がある。それに大学……いや、おまえらに自分の進路を決めてもらうことも、俺の使命だ。おまえは体育会系の大学から推薦をもらっているとはいえ、最低限の学力が必須であることは理解しているはずだ」

「それはもちろん、わかってますが……」

「けっして油断できない状況だが、俺だって……、お、おまえの彼女だし、その……、誘ってもらった意味もしっかり理解はしているつもりだ。だからせめて、あと一時間は勉強を頑張れ。それが家庭教師として、俺が譲歩できる最低限だ。そ、そのあとは彼氏として、その……」

「あ、はい。わ、わかり……、ました」

 

 四葉と風太郎はお互いに耳まで真っ赤にして、逃げるように教材に視線を移した。

 だが、風太郎の言葉はまだ終わりではなかったらしい。

 

「その……、で、でもな、いくらなんでも、俺たちはまだ高校生なわけだし……、そ、そういうことはまだ早いんじゃないか……、と思う。もう少し、お互いのことをちゃんと知ってからでも、遅くはないと思わないか……?」

「そういうことってなんですか?」

 

 四葉の頭に本気で疑問符が浮かぶ。

 まだお子様パンツなので仕方がないと言える、のか?

 

「い、いやだから、家で二人きりで会うっていうことはようするに、そういうことだろ……。おまえが俺のことをそこまで好きでいてくれていることはうれしいんだが……、せっ……、性……、肉体関……、いや、なんだ……。あ、そうだ! 保体の実技はまだ早いと思う! 家庭教師としてもそこは範囲外だからな。健全にいこうぜ!」

「は、はあ!?」

 

 四葉はすさまじい瞬発力で背後に跳ねた。

 さすが体育会系の大学から推薦をもらうだけあるな、と風太郎は場違いな関心をする一方で、四葉はもう気が動転していた。

 

「ううう、上杉さんの変態! えっち!! すけべ!!! そんなことをしたいだなんて、私がいつ言いましたか!? というかドン引きです! なんですか保体の実技って! シンプルに言ってもらったほうがまだマシです!!!」

「ど、ドン引きだと!? いやだって、おまえの挙動がさっきからおかしいから、俺はてっきりそういうことかと……」

「わ、私は大好きな人と二人きりになれたか……、その……。それなのに上杉さんが全然かまってくれなくて、さ、さみし……くて」

 

 リビングに沈黙が流れる。

 二人は心臓の鼓動がどくんどくんうるさくて居心地が悪かった。

 

「勉強、やめるか……」

「はい。きっと私、今やっても集中できません」

 

 

 テーブルにのった勉強道具一式を片付けてから、二人は並んでソファに腰を掛けた。どこかふわふわと気持ちが浮つきながら、テキトーな話題で盛り上がる。ときおり緊張しながら彼の肩にこつんと頭をのせてみたり、普段より長く彼女の瞳を見つめてみたり、恋人としての時間が緩やかに、けれどあっという間にすぎていく。

 これはそんな初々しいカップルの一幕。

 

「もうじき卒業ですね」

「そうだな」

「上杉さんが一番思い出に残っている学校行事はなんでしたか?」

 

 四葉は学校でイベントが実施されるたび、後悔のないものしましょう、と風太郎に再三声を掛けてきた。それは風太郎に最高の思い出を作ってほしいという四葉の一途な想いであり、勉強以外は不要と切り捨ててきた風太郎の考えを、改めさせた要因の一つでもあった。

 

「ちなみに、テストとか言ったら怒りますよ。確かに皆で力を合わせてお父さんに認めてもらったという意味では思い出深いですけど、私が訊きたいのはそういうのじゃありません」

「まだ何も言ってねぇだろ……」

 

 風太郎は瞼を閉じてから少し思案する。

 そうすると、ぶわっとたくさんのフィルムが再生される。

 

「どれが一番とは決められないな。どの行事も最高に楽しかったが、どの行事も一筋縄じゃいかなかった」

 

 四葉は目をまん丸に開いてから、にこりとはにかんだ。

 

「あはは、思い返してみればそうですね」

「そうだろ。林間学校は最後に風邪を引くし、修学旅行はおまえら喧嘩してるし、学園祭はクラスの男女が仲違いするだけならまだしも、挙げ句にはたこ焼き屋が燃えたんだぞ」

「思い返すと本当に災難続きですよね……。私も上杉さんをだいぶ振りまわしちゃいました」

「まったくだ。おまえらといると他人よりも苦労が五倍増しだからな。まあその分、楽しさも五倍増しなんだが……。振り幅が大きすぎて体力がもたん」

「それは上杉さんの体力が人並み以下っていうことも、関係していると思います

 ――でも、上杉さんが楽しいと思ってくれていたなら私はうれしいです」

 

 四葉はしししと口元を抑えて笑うと、風太郎もそれにつられて自然と笑みがこぼれた。そんな風太郎の頭に、突拍子もなくこんな疑問が浮かんだ。

 

「そういえば、四葉って料理できるのか?」

「え、なんですかいきなり。というかどこらへんがそういえばなんですか。私が国語教えてあげましょうか?」

「……ほう。そいつはおもしれぇ。ぜひ教えてほしいもんだ。この全国模試三位の俺に教えられるほど、おまえの頭がいいならな……」

 

 熱い! 風太郎? がメラメラと炎で燃えている。その形相は阿修羅に変貌し、いつの間にか勉強星人、いや鬼神か? 勉学の権化が隣に座っていた……!

 

「わー! ごめんなさい! 嘘ですから、怒らないでください!」

 

 四葉が必死に謝ると鬼神は人間に戻り、人間の風太郎は呆れたようにため息をついた。

 

「たんに四葉が料理しているとこを見たことがない。林間学校のときもずっと薪割ってたろ。そのあとは俺の肝試しの準備を手伝ってくれてたし、おまえあの日カレー作ったのか?」

「あー、思いのほか薪割りが楽しかったんですよね。なんていうかこう、気持ちがすっと晴れていくような……」

「それで、実際のところどうなんだ。二乃と三玖の腕前は知ってる。一花はそういうの面倒くさがってデリバリーに頼りそうだ。五月は食べることが専門で論外。四葉だけ予想がつかん」

「私ですか……。うーん」

 

 四葉は難しい顔をしながら何度も唸り、首を傾げてから、やがて意を決したように唇を震わせた。

 

「もし……、私が料理をしたら、えっと、その……、食べたいですか? 手作り……」

「え、あ、ああ。そうだな、食わせてもらえるなら……」

 

 風太郎は、四葉が頬を朱に染めながら予想と斜め上の返答をしてきたので、返事がぎこちなくなった。

 

「じゃあ今日、姉妹の皆は帰ってくるのが遅いので、夜ご飯……、い、一緒に食べましょう。私が作ってあげます。何か、リクエストとかありますか」

 

 四葉は隣に座る風太郎の顔を上目遣いで覗き込む。その天然のあざとさを前にして、たじたじとなってしまった風太郎の頭が回転するはずもなく、ぱっと浮かんだ料理の名とは……。

 

「カレー」

「カレーですか、それならなんとか……」

「うどん」

「……へ?」

「カレーうどんが食いてぇ」

 

 四葉は耳を疑った。

 

「ちょ、ちょっと待ってください。彼女に作ってもらうはじめての料理がカレーうどんって正気ですか!? それと参考までに言っておきますが、私にも一応得意料理があるんです。なんだと思いますか? 正解は焼き魚です! なんでかわかりますか? 焼くだけだからです! この意味わかってもらえましたか!?」

「り、リクエストがあるかって訊いたのはそっちだろ……」

「ううう……、それはそうですけど。上杉さんは女子高生が彼氏にカレーうどん作ってあげましたなんて話を訊いたことがありますか?」

「女子小学生にカレーうどんを作ってもらった経験ならあるぞ」

「J!S! らいはちゃんを引き合いに出さないでください! というか、絶対にらいはちゃんと比べられちゃうじゃないですか! やっぱり作るのやめます! 出前にします。ウーバーにします!」

「そ、そんな……」

 

 四葉はぷんぷんとほっぺたを膨らまして風太郎に背を向けた。

 料理初心者の自分が、カレーうどんなど美味しく作れるかわからない。それに彼氏にはじめて振る舞った手料理が、自分より年下の女の子が作った料理と比べられるなんて納得いかない。それにらいはは上杉家の胃袋を支える主婦のような存在。そんな相手と比べられて、勝てる自信もとうていなかった。

 しかし、風太郎は四葉の手料理を期待している。それは先ほどから四葉の背中に当たっている、風太郎の意気消沈としたどんより暗いオーラが、その事実をひしひしと物語っているのであった。

 四葉のお人好しな性格は、やっかいなことにそんな風太郎を無視することができなかった。

 

「もう、そんなにしょぼくれないでください。……いいですか。絶対にらいはちゃんと比べない……、あ、あと二乃とか三玖とか……と、とにかく他の人とは比べないこと! あと美味しくなくても文句を言わないで残さず食べてくれること。この二つを約束してくれるなら、作って……あげます」

「あ、ああ、もちろんだ!」

 

 風太郎の表情が子どもみたいにぱあっと晴れる。

 四葉は彼のよろこぶ顔が好きだった。

 

「はあ……、少し待っていてください」

 

 四葉はテーブルの上に置いていた自分のスマホを手に取った。風太郎がオーダーしたカレーうどんを作るにしてもレシピが必要だ。こういうとき頼りになるのは万能叡智グーグル先生。

『カレーうどん レシピ』検索。

 ずらりと表示された検索結果のなかから、テレビ番組で取り上げられていたサイトを見つけたので、四葉はそのリンクに指を這わせた。そのサイトではユーザーが投稿したレシピと、実際に調理している様子が十五秒という短い動画でアップロードされていた。四葉はサイトページにざっと目を通してからぼそりと呟いた。

 

「以外と簡単……? これならなんとか作れそうかも……」

「俺にも見せてくれ。ふむ……、材料は牛肉にたまねぎ。それとめんつゆ、片栗粉、水……、当たり前だがうどんとカレールー。……よし、買いに行くか」

「これくらいなら家にだいたい揃ってますよ。なさそうなのは……うどんくらいです」

「それはおまえらが自分で食うために買ってきた食材だろ。自分で食うもんくらい自分で買ってくる」

「そうですか。ならここは割り勘にしましょう! 私だって食べるわけですし、それに上杉さんのお財布事情は知っていますから。

 

 ――それでは、お買い物に出発しましょう!」

 

 

 四葉と風太郎は最寄りのスーパーで必要な食材を調達して帰ってきた。

 台所に買ってきたものを置いて一息ついてから、四葉は「ちょっと準備してきます」と風太郎に一声掛けて自室に引っ込んでいった。

 料理をするには相応しい正装というものがある。好きな人の前で料理をするならなおのこと。普段はあまりお目にかかれない乙女のドレスコード。ときに裸のままその身に纏うものならリーサルウェポンにもなりうる。――うんぬんと御託を並べたが、ようはエプロンだ。

 四葉は衣装ケースからエプロンを引っ張り出して鏡で合わせてみる。緑を基調とした、橙色の花柄模様が目印の鮮やかなエプロンだ。ふうっと口の隙間から息を漏らす。

 夢はお嫁さん。それはベタだけどだからこそ眩くて輝かしい。未来の旦那さんに美味しい料理を作るため、これは花嫁修業の一貫だと言えなくもない。なら気合いも入る。

 服の上からエプロンを着けて、腰あたりに帯をきゅっとリボンで結ぶ。

 

 ――さあ、準備は万端。いざ、実践のとき!

 

 

「お待たせしました! さあ、戦いのときです!」

「……何と戦うつもりなんだよ」

 

 両手を胸の前でぐっと握りしめて、すでに闘志を燃やしている四葉に風太郎のツッコミは聞こえていない。

 

「ところで、どうせなら俺も手伝いたいんだが……、俺にもエプロンを貸してくれないか。……? 訊いてるか、四葉」

「え、あ、すみません。エプロンですか。探して来ますね」

 

 だが四葉は足を動かす前に、ぴたりと硬直してしまう。

 

「上杉さんは見てるだけでいいですよ」

「いや、せっかくだし。一緒にやってみたいんだが」

 

 四葉の眉間に皺が寄る。

 風太郎と一緒に料理をすることが特に嫌だというわけではない。むしろ四葉にとっては魅力的な提案だと言える。だが四葉が二つ返事で首を縦に振らない理由は、ある懸念があるからだ。

 それは彼と同じバイト先に務めている、次女の二乃から訊いてしまったから。

 

「大変失礼なんですけど、訊いたところによると上杉さんの料理の腕前は初期の三玖レベルだとか」

「本当に失礼な話だな。三玖の料理の腕前は今でこそ依然と比べものにならないほど上達しているが、おまえが言う初期レベルの三玖ってのは、完成した料理が黒焦げで炭のようだったときの三玖ってことだろ。つまり俺の料理の腕前がその域だと? そう言いたいのか?」

 

 四葉は無言だった。それは肯定を意味して風太郎に先の言葉を促している。

 

「はっ。舐めてもらっては困るな。俺のはちゃんと料理になっている。バイト先では、誰がどう見てもパイだとわかるパイを作ったこともあるくらいだ!」

「味は?」

「……味、だと?」

「はい。上杉さん、見た目がよくてもパイの味はどうでしたか?」

 

 風太郎の額に汗がつたい、視線が左右に泳ぐ。

 

「見た目は良くても味は壊滅的だったと、二乃が店長さんから訊いたらしいです。上杉さん、バイト先で厨房に立ったことはありますか?」

「……くそっ! どうして俺の料理は三玖なんだ!」

「料理が三玖ってパワーワードすぎませんか……。とにかく、意地張ってないで最初から正直に言ってください。今回は上杉さんのお料理練習回じゃないので私が一人で作ります。へたしたら夜ご飯食べられなくなっちゃいますからね」

 

 言ってから、サイトページを開いたままの状態の自分のスマホを風太郎に渡した。

 

「はい。上杉さんはこれ見て、レシピ読み上げてください。わかりましたか?」

「わかった……」

 

 風太郎は四葉の手料理をみすみす逃すなんてことは避けたいので渋々と頷いた。

 さて、四葉はぐいっと袖を捲ってから石鹸で手を洗う。

 かくして、晩ご飯作りスタートである。

 

「それでは上杉さん。指示をお願いします」

「まず……牛肉100グラムとたまねぎを半分切る。牛肉はテキトーなサイズに、たまねぎはスライスだ」

「100グラム……フィーリングでいいですよね」

「焼くことしかできない初心者なんだからちゃんと計れ」

 

 風太郎の指導の下、牛肉はしっかり計ってからフィーリングカット。たまねぎは皮を剥いてから縦に半分に切る。切った片方の芯をぶっきちょに切り落としたら、端から繊維にそってスライスに切っていく。目から涙が出るまでお約束。

 

「うう、次は、なんですかぁ。ずびっ……」

「鍋に水を450グラム、めんつゆを150グラム入れて火にかける、だと」

 

 鍋が沸いてきたら、先ほど切った牛肉とたまねぎを鍋に投入。

 

「たまねぎなんて溶けるまで煮尽くしてやります……!」

「落ち着け四葉。完成写真ではたまねぎを溶かしてないからな」

 

 あくが出てきたら取り除いて、牛肉に火が通ってきたらカレールーを3かけ入れる。しばらくしたらカレールーが溶けてくるので、片栗粉と水をそれぞれ大さじ一杯づつ合わせた水溶き片栗粉でとろみをつける。

 

「あとは、うどんを湯がく」

「ゆがく? どういう意味ですか」

「沸騰させた水で加熱するんだ。しゃぶしゃぶみたいな感じだ」

「へぇ、それってだいたいどのくらい加熱するんですか。フィーリングですか」

「なんでもフィーリングに頼るな。……調べてみるか」

 

 風太郎はスマホを操作してグーグルの検索バーをタップすると――「うわー! 勝手にいじらないでください!」四葉は悲鳴をあげて、風太郎からスマホを奪い取った。

 

「これ私のスマホです! プライベート詰まってるんです!」

「別にそれくらい見たっていいだろ。それに検索しようとしただけで変なとこ見ようとはしていない」

「予測変換履歴だって何出てくるかわからないから嫌です! というか、変なとこなんてないですから!」

 

 けっきょく四葉がスマホで検索して、うどんは一分から二分ほど湯がいた。

 湯がいたうどんをどんぶりに入れ、そこに出来上がったカレーをかければ――赤茶色に輝くカレーうどん二人前が完成した。

 

「できました!」

 

 カレーのスパイシーな香りが鼻孔をくすぐり、主張の強いごろごろした具材は視覚から食欲を刺激してくる。香りと見た目に圧倒されて風太郎は感嘆していた。

 

「普通にできたな」

「ですよね! はじめて作ったにしてはけっこうな出来栄えだと思います!」

 

 二人は食卓にそれぞれランチョンマットを敷いて、夕飯の準備を整える。カレーうどん二人前、四葉セレクトのオレンジジュース。箸を二膳とれんげを二本用意。

 それから四葉と風太郎は向かい合いながら席に着いた。しかしあとは食べるだけというところで、四葉はもじもじと身体を揺らしていた。

 

「どうした?」

「その……、ぜっっったいに他の人と味を比べないって約束してください」

「おう。そんなことはしねぇ」

「もし比べたら、今後上杉さんには一生ご飯を作りません」

「おう。安心しろ、そんなことにはならねぇ」

「いいですか、約束ですからね。……あとは、」

「おい。飯を食わせろ」

「ううう……。わかり、ました」

 

 四葉は深呼吸してから「どうぞ、お召し上がりください」

 

 風太郎は合掌をして、いただきますと一言。箸をカレーに沈めてうどんを引き上げる。うどんはカレーと絡みあい薄く赤茶に光る。はじめて食べる彼女の手料理に生唾を飲み込んでから、うどんを口に運び、汁がはねないように丁寧に啜った。うどんのもちっとした食感に、めんつゆを混ぜたカレーが和風のコクを引き立てカレーの辛みとマッチする。ぜんぶ飲み込む前に、牛肉とたまねぎを追加で口の中に放り込む。牛肉の旨みとたまねぎの甘みが広がって、食感も変化する。それらをいっぺんにカレーつゆで流し込んだ。

 

「……うまい」

「ほ、本当ですか!」

「ああ、すげーうまいぞ! 四葉も早く食ってみろ!」

 

 風太郎に笑顔で促されて、四葉もカレーうどんを啜った。

 

「……あ、本当だ。美味しい! 上杉さん、私天才かもしれません!」

「ああ、天才だ! まさか四葉を天才と呼ぶ日がくるとはな!」

 

 二人してどんぶりにがっついて、アンバランスな組み合わせのオレンジジュースをこくこくと飲んだ。こうしてカップルのディナーは大成功に終わったのだった。

 

 

 腹の満たされた二人は、しばし小休憩。

 椅子の背もたれにぐでーっと寄りかかりながら、一方で四葉は静かに想いに浸かっていた。

 彼氏に振る舞った料理が大成功を収めたこと。気合いのこもっていた分、その達成感も実に大きいこと。何より、風太郎の満足そうな表情が見られただけで、四葉は十分うれしかった。

 

「……ん? どうかしましたか、上杉さん」

 

 夕飯時とは一変して、風太郎は少し表情が固くなっている。

 何か、考え事でもしているのだろうか……?

 

「あ、いや……」

 

 彼の歯切れの悪さに四葉の不安が煽られる。

 

「私、何かやらかしてしまいましたか!? もしかして腹痛とか!?」

「いや、そうじゃない。ただ――

 

 ――結婚したらこんな感じなんだろうなって、思ってた」

 

「――へ?」

「お互い、毎日一生懸命働いて、それで夜帰ってきたら二人で夜飯作って、こうやって一緒に食べるんだろうなって、考えて……た」

 

 風太郎はそこまで言って、自分が何を言っているのか気づいたようだった。

 真向かいに座る四葉の表情がぐにゃぐにゃになっている。目はかっぴらいて、開いた口はふにゃふにゃと曲がり、顔色は真っ赤っか。

 風太郎もつられて顔色が真っ赤になる。

 

「別に、今さら言われても驚きはしませんけど! でもそういうことは恥ずかしいのであんまり口に出さないでください!」

「わ、悪るい……」

「もう、食器洗ってきます!」

 

 あたふたと立ち上がった四葉は案の定、足がもつれて――「あぶねぇ……っ」あわや転倒しそうになる四葉を風太郎が受け止めると、二人はそのまま倒れ込んでしまった。

 

「あ……」

 

 二人の声が重なる。

 彼の身体に乗った四葉。彼女の下敷きとなった風太郎。

 そして、互いの顔が近い。

 あと少しその顔を前に出せば、唇が触れそうな距離。

 心臓が飛び出そうなほど跳ねた。

 好きな、人と……今、するのか?

 思考が思うように働かず、正常な判断ができない。

 なら、このまま。

 もう少し倒れ込んでしまおう――

 

 がちゃり。

 

 …………がちゃり?

 

 音の方向は部屋の入り口からだ。

 

「……あれ。もしかしてお姉さんお邪魔しちゃったかな?」

 

 そこには中野家の長女である一花が立っていた。

 いや、一花だけではない。

 

「ちょっとフー君何してるの!? 四葉あんた今すぐそこ私と変わりなさい!」

「二乃言ってることめちゃくちゃ。てか二人とも、私に何か失礼なこと言ってなかった?」

「そ、そんなことより! 二人の交際はかまいませんが、不純異性交遊を認めた覚えは断じてありません! そっこくやめてください!」

 

 二乃と三玖、そして五月。用事で家を留守にしていた中野家の姉妹が全員帰ってきた。

 それからはもうてんやわんやの大騒ぎ。

 ちょっぴり過激な光景を目撃してしまった四人が四葉と風太郎を問い詰めて、うんざりするほど賑やかな時間がすぎていくのだった。




こんにちは。やっぴと申します。

久しぶりに五等分の花嫁を読み返して、勢いそのまま執筆してみました。
読んでくれた方はありがとうございます。

四葉も可愛いですが、やっぱり姉妹全員可愛いです。


それでは、ありがとうございました。








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