ちょっと早めに投稿します。
1995年 10月1日 午後5時。
シンジからの連絡を受けて病院を飛び出た俺の車は、堂島組長の事務所がある東堂ビルの前へと辿り着いていた。
いつもならパーキングに停める所だが、そんな悠長な事はしていられない。
(クソ、急がねえと……!!)
身を焼くほどの焦燥感に見舞われながら、ドアを蹴破るように外へと出た。
病院を出たあたりから降り出していた雨が、より勢いを増して俺の体を叩く。
傘を差す暇すら惜しい俺はすぐに車の後ろに回り込んでトランクを開ける。
そこにあったのは、鍵の付いた一つのアタッシュケースだった。
ポケットから鍵を引っ張り出し、すぐに鍵穴に差し込んで解錠してケースを開ける。
「っ!」
その中にあったモノが視界に映った途端、先程までの焦りが嘘のように消え失せた。
まるで湯だった身体に氷水を掛けられるように。
(チャカ……)
そこにあったのは、黒光りする銃身を持った一丁の拳銃だった。
数年前、堂島組で武器密輸のシノギがあった際に俺が相手の組織から仕入れていたものだ。
組の兄貴達にバレる訳にはいかないので、俺が独断で仕入れた後にこのトランクの中に保管していたのだ。
誤作動の起こりにくいリボルバー式で、弾は六発。
幸い、天下の堂島組の構成員である事が功を奏したのか偽物を掴まされてはいない。
相手の組織も堂島組を相手にナメた商売をする事は危険であることを知っているからだ。
(どうする……?)
一瞬、冷静になった頭で考える。
これは、俺が持ちうる最後の手段。
滅多な事では持ち出してはならない危険な代物だ。
これを持ち出す事とはつまり、生きるか死ぬかの渦中に身を投じる事を覚悟するという事。
決して軽々しく考える事など出来ない。
だが、
(アイツの事だ、由美を護るためならどんな無茶な事するかわかったもんじゃねぇ。それに堂島組長は"カラの一坪"の一件で桐生に恨みがある)
今から数年前、神室町再開発計画の為にたった一坪の空き地の相続権を巡った事件があった。
通称"カラの一坪"事件。
当時組織内で幅を利かせていた幹部連中や、関西最大の極道組織である近江連合の一部すら巻き込んだ一大抗争。
当時二十歳だった桐生はその一連の事件の渦中に巻き込まれ、結果として堂島組長の意向に背く行動を取ってしまったのだ。
それをキッカケに堂島組長の権威は失墜し、今の自堕落な有様へと変わっていった。
(もし桐生が由美を助ける為に堂島組長に逆らったら……)
今まで溜まっていた鬱憤が爆発した堂島組長は、きっと桐生に容赦はしないだろう。
最悪の場合、殺されてしまう。
「っ……!!」
残された時間は無いに等しかった。
意を決し、ケースに収められたチャカを手に取る。
手に感じるずしりとした重さが俺に問いかけてきた。
"覚悟はあるか?"と。
「やってやるよ……!!」
懐に拳銃をしまい込み、トランクを閉じる。
東堂ビルのドアを開けて、エレベーターに飛び乗った。機械音しか聞こえないエレベーター内では、耳元から聞こえる早鐘のような鼓動が余計にうるさく感じる。
(行くぞ……!)
エレベーターのドアが開いた瞬間、俺はすぐさま廊下へと飛び出した。
開けっ放しになった事務所のドアを尻目に部屋へと入る。
直後、手前の部屋から鬼気迫る叫び声が聞こえた。
「一馬!!」
(っ、この声は由美!)
一瞬誰か分からないくらいの大声だったが、間違いなく由美の声だった。
そしてその声は桐生の名を叫んでいる。
(ヤバい!!)
確実に俺の想像以上の事が手前の部屋で起きている。
俺は懐から獲物を取り出し、勢い良くドアを開けた。
「桐生!由美!無事か!!?」
叫んだ俺の視界に飛び込んで来たのは、血を流して膝を着く兄弟の姿。
そして、その兄弟の額に拳銃を突き付けていた堂島組長の姿だった。
「堂島組長!!」
「ちっ!!」
俺は衝動的に銃を構えた。
しかし、それとほぼ同時に堂島組長は桐生に向けていた銃口をこちらに向けたのだ。
「邪魔すんじゃねえ!!」
「っ!!」
意識が人差し指に集中する。
殺るか殺られるかの極限状態の最中、俺が引き金を引き切るよりも先に乾いた音が部屋の中で鳴り響いた。
直後。
「ぐ、っ、ぁ……ッッ!?」
一拍遅れて、俺の肩を直接炙られるような熱と痛みが襲う。
弾丸が掠めたのか、白いジャケットを着た肩に赤い傷痕が走っていた。
「錦ぃ!!クッソがぁぁああ!!」
直後、拳銃の脅威から開放された桐生が立ち上がり、堂島組長に襲いかかった。
「ハッ!オラァ!!」
「ぶがァっ!?」
堂島組長の持つ銃を手刀で叩き落とし、その反動を使って裏拳の一撃を繰り出す。
桐生の剛腕で振るわれた一撃は堂島組長の顔面をぶち抜き、その身体は組長の机の奥まで吹き飛ばされた。
「ハァ……ハァ……錦、大丈夫か……!?」
顔を腫らした桐生が俺の無事を案じてくる。
ついさっきまで殺される所だったというのに既に俺の心配をしてくるコイツには、本当に驚かされてばかりだ。
「単なる、かすり傷だよ……それより由美は?」
「あぁ、由美ならそこだ」
桐生が目線を向けた先を目で追うと、桐生のジャケットを羽織って部屋の片隅で震えている由美を見つけた。
俺は肩の痛みなど二の次に由美の元へと駆け寄る。
「由美!!大丈夫か!?」
「に……にしきやま、く……ん……?」
よく見ると由美の服が一部が破かれている。
堂島組長に強姦される寸前だったのだろう。
目には涙を貯め、身体は恐怖で震えていた。
「安心しろ、もう大丈夫だからな」
俺は爆発しそうになる怒りを無理やり押さえ込み、恐怖でパニック状態になっている由美を落ち着かせる為にその身体を抱き寄せた。
幼い頃、妹の優子にしてやったみたいに背中をさする。
「大丈夫……大丈夫だから……!」
「あ、ぁ…………いや…………っ!!」
しかし、由美のパニックは一向に収まらない。
それどころか、さっきよりも悪化しようとしていた。
「テメェらぁ……!!」
俺が原因を探ろうとするよりも早く、答えは明らかになった。
その声が耳に入った途端、反射的に背後を振り向く。
「揃いも揃って、俺をコケにしやがってぇ……!!」
桐生が殴り飛ばした堂島組長が、顔面に血管を浮かび上がらせながら立ち上がる。
由美の視界に映っていたのは、恐怖の対象が起き上がろうとする瞬間だったのだろう。
「お前らまとめてぶっ殺してやる!!」
言うが早いか。
堂島組長は机の棚から何かを引っ張り出す。
(!!)
背筋が凍り付く。
堂島組長の手に持っていたのは、サブマシンガン。
俺が決死の覚悟で持ち出したチャカの弾丸を連射することが出来る化け物銃だ。
あんなものを持ち出されたら最後、俺や桐生の身体は蜂の巣のように穴だらけになってしまう。
「堂島ぁ!!」
叫び声を上げた桐生が、視界の端で床に落ちたチャカを拾い上げるのが見えた。
「クソぉっ!!」
吐き捨てるのと同時に立ち上がってチャカを構えた。
もはや後戻りは出来ない。
肩の痛みをねじ伏せて狙いを定める。
今度こそ"殺る"為に。
「死ねやぁぁぁッッ!!!」
組長の叫びと同時に人差し指に力を込める。
引き金が引かれ、乾いた銃声が二つ。
組長室に響いた。
一瞬の静寂の中。
桐生は目の前で、渡世の親が肉塊になる瞬間を目撃した。
堂島組長の身体が、音を立てて崩れ落ちる。
「はぁ……はぁ……」
それは、どちらの息遣いだったのだろう。
荒い呼吸の音と、窓を叩く雨音が部屋の中を支配している。
「桐生……」
そんな中、最初に声を上げたのは錦山だった。
「錦……」
肩の傷を抑えながら桐生の元へ歩み寄る錦山。
その目には混乱と動揺が浮かんでいる。
「や、殺ったのか……?」
「……」
二人の視線が遺体へと吸い寄せられるように向かう。
遺体には弾痕は一発だけ。堂島組長の額に穿たれている。
即死だった。
「どっちの弾が当たったんだ……?」
「分からない……だが、一つ確かな事は」
窓の外から稲光が差し込む。
まるで、これからの彼らの運命を暗示するように。
「俺達のどちらかが……極道社会最大の禁忌を犯しちまったって事だ」
一拍遅れて雷鳴が外から鳴り響く。
まるで、逃れられない現実を突き付けるように。
「親、殺し……」
極道社会とは、組長である親を仰ぐことを絶対とする社会である。
たとえどのような事であったとしても、親が白と言えば白。
黒と言えば黒。
それが、彼らが生きる極道の世界の不文律。
絶対に破られてはならない鉄の掟なのだ。
「本当に、殺っちまった……!東城会の……大幹部を……!!」
しかし、その掟は破られた。
極道達に取って法そのものと言っても過言ではない組長に刃向かい、ましてやその手にかけてしまったのだ。
彼等の世界において、これ以上重い十字架は存在しない。
「なぁ桐生……俺達、これからどうなるんだ……?」
「分からねぇ……だが、あれだけの銃声だ。すぐに警察がここに来るだろう。」
このままでは銃を持った警官達がこの場になだれ込んで二人とも逮捕されてしまう。
そして、二人が手錠を掛けられて留置所に送られたその後は、殺人現場の捜査が始まり、やがて司法解剖の末にどちらが堂島組長を殺害したかが明るみに出て、犯人にはそれ相応の判決が言い渡されることになるだろう。
「なら、今すぐここから逃げれば……!」
「いや、無駄だ。殺人事件が起こった以上、警察は徹底的に俺たちを追ってくる。逃げ切るのは無理だ。それに俺達を追ってくるのは警察だけじゃねえ」
「それって……まさか……!!」
錦山は思い至った。
親殺しの事件を起こした極道を追う警察以外の組織など、一つしかない。
「堂島組だ。組長を殺された極道の報復は何よりも怖い。おそらく、組長を殺った犯人は絶縁を言い渡される事になるだろうな」
「絶縁……!!」
それは、極道社会の中で最も重い処罰だった。
堂島組は勿論の事、東城会傘下の全組織からその一切の関わりを絶たれ、二度と極道社会には戻れない。言わば永久追放の処分。
しかも、親分を殺された堂島組構成員からの報復に怯えながら一生を過ごさなくてはならない。
「そうなっちまえばもう逃げられねぇ……徹底的に追い込みかけられて、殺されちまう」
「…………」
万事休す。
この事件を起こした犯人にとって、逃げ場など何処にも無い。
あるのはただ、断頭台に固定されいつ刃が落ちるか分からないギロチンに震え続ける地獄の日々だけである。
「………………なぁ、桐生」
それは、絞り出すような一声だった。
「なんだ?」
「お前に、一生の頼みがあんだ」
「何言ってんだ、こんな時に!」
要領を得ない錦山の言動に苛つきを覚える桐生。
しかし、錦山は真剣な顔でこう言った。
「優子の事、助けてやってくれねぇか?」
桐生の思考に空白が生まれた。
なぜ、今この時に彼の妹の話が出るのか。
分からない桐生は記憶を思い起こす。
病気がちな錦山の妹、優子。
重い心臓病を患った彼女は、来月に手術を控えている。
そしてそれがおそらく最後になる、と。
「まさか……お前……!!」
桐生は思い至った。
隣に立つ親友が今、何をしようとしているのか。
「桐生。こっちにそのチャカ渡せ。そして由美連れて逃げろ」
錦山は、身代わりになろうとしているのだ。
全ての罪を被って己を破滅させる代わりに、未来を託す。
たった一人の妹と最愛の人の未来を、堂島の龍に。
「錦……お前自分が何言ってるか分かってんのか!?そんな事したら、お前は……!!」
「うるせぇ!!」
桐生の言葉を遮るように錦山は叫ぶ。
その目には、先程のような混乱や動揺は浮かんでいない。
「桐生よ、お前はこれから組立ち上げて東城会や堂島組。そして風間の親っさんを支えようって人間なんだ。こんな所でパクられて良い訳がねぇだろ!」
「錦、お前……!」
「これからの東城会にはお前が……堂島の龍が必要なんだよ。だから、お前はここにいちゃいけねぇんだ。」
その目にあるのは、確固たる決意。
「それに、お前になら安心して任せられるからな。由美の事も……優子の事も…………!」
そして、桐生への信頼と嫉妬。
あらゆる感情が綯い交ぜになった悲壮なる覚悟を浮かべた男が、そこには立っていた。
「錦……」
遠くから、サイレンの音が近づいて来ている。
二人に残された時間は、もう無い。
「由美……由美……!」
「あ…………ぁ…………」
錦山は、力なく壁にもたれかかった由美に声をかける。
しかし彼女の目は焦点があっておらず、心ここに在らずといった様子だ。
錦山は彼女の元へと歩み寄ると、その弛緩しきった身体を引っ張りあげ桐生にその身柄を預けた。
「行くんだ、桐生。由美と……優子の事を、頼んだぜ……!」
「錦……!」
顔を俯かせ、葛藤する桐生。
しかし、それすらも時間は待ってはくれない。
「行けぇ!!」
急かすように叫ぶ錦山。
時間にしてわずか数秒。
その間に幾度もの葛藤を経て、堂島の龍は覚悟を決めた。
「……分かった」
桐生は手に持っていた拳銃を回して銃身に持ちかえると、拳銃のグリップが錦山に向くように差し出した。
錦山はそれを受け取ると、今度は逆に自分の持ち込んだリボルバーを桐生へと手渡した。
桐生の持っていた拳銃から発射された弾丸で、堂島組長を殺したように仕向ける為だ。
「錦……お前の妹は必ず俺が助ける。だからお前も死ぬんじゃねえぞ!!」
「……あぁ」
桐生はそれを最後に、錦山から背を向けて部屋を出ていった。
足音が遠くなっていき、やがて部屋の中は再び窓を叩く雨音と轟く雷鳴に支配された。
「……」
錦山の全身から力が抜け、その場にへたり込むように膝を着く。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!!」
怒り、信頼、焦り、恐怖、嫉妬、諦念。
せめぎ合う様々な感情が彼の内側で渦巻いて、心の中を掻き乱す。
不意に、堂島組長の遺体が視界に入った。
「うっ……ぅ、っ……!!」
その途端、極度の緊張状態とショックから強烈な吐き気が錦山を襲う。
言い様のない不快感が喉を逆流し、嗚咽を漏らす。
しかし、その吐き気は床に落ちている何かに気付く事で霧散した。
(……!)
錦山は思わず拾い上げる。
それは、彼にとって見覚えのあるものだった。
(これは、由美の……)
由美がしていた指輪だった。
今から数ヶ月前。
桐生が由美の誕生日祝いでプレゼントした指輪で、由美の名を刻印する粋な計らいが込められた一品である。
おそらく、堂島組長に襲われた際に落としてしまったのだろう。
「なんで……」
それを見て彼が思い出すのは、つい昨日の夜の光景。
酒を飲んで皆と語り合っていた、幸せな時間。
もう二度と過ごす事の出来ない、失われた日常。
「なんで、こうなっちまったんだろうな……っ!」
錦山の両目から涙が零れ落ちる。
歯車がズレたのは、一体どこからだったのか。
桐生、由美、風間。そして優子。
目に浮かぶ大切な人達ともう二度と生きて会えないかもしれない悲しみに、彼は打ちひしがれていた。
(!)
サイレンの音が大きくなり、事務所の廊下方面から慌ただしい足音が聞こえ始める。
桐生と由美は、無事に逃げれただろうか?
そんな事を頭の片隅で考え始めた時。
「動くな!!」
ついに拳銃を持った警官二人が部屋へとなだれ込み、錦山へ銃口を突き付けた。
錦山は泣き腫らした顔を警官に向け、手に持っていた拳銃を床に落として両手を挙げると、酷く平坦な声音でこう告げる。
「俺が、犯人です……」
後日、新聞の見出しにはこう記されていた。
東城会直系堂島組構成員、錦山彰。
堂島組長殺害の容疑で現行犯逮捕。
これは、彼にとって長く苦しい闘いの始まり。
しかしそれは同時に、新たなる伝説の幕開けでもあった。