2005年12月9日。時刻は18時。
神室町の外れに店を構えるとあるキャバクラから、一人の男が出てきた。
「ふぅ……これで一件落着だな」
群青色の柄シャツに白いスラックスを穿いたその男の名前は、海藤正治。
東城会直系風間組内松金組に所属する現役の極道だ。
「兄貴!」
そんな彼の元に一人の歳若い男が現れる。
まだ新品のスーツをぎこち無く着るその男の名は東 徹。
同じ松金組所属の若衆で、海藤の弟分だ。
「おう東」
「良かった、ここに居たんですね。いきなり電話が切れたんでビックリしましたよ。何があったんです?」
東は先程まで海藤と電話をしていたのだが、海藤が急用が入ったと言っていきなり電話を切ったのだ。
それに心配した東は事務所を出て、海藤の行方を追っていたという訳である。
「あぁ、俺のケツ持ちしてるキャバでトラブルがあってよ。それの処理をしてたんだ。痛っ、いてて……」
ふと海藤が顔を顰めて肩を押さえる。
昨日 海藤は喫茶アルプスの裏で襲われている錦山を援護した際に、拳銃で撃たれている。
幸いにも弾丸は掠っただけだったのだが、怪我をしている事に変わりはない。
「大丈夫ですか兄貴?昨日撃たれたばかりなのに、そんな無茶を……」
「心配要らねぇよ。こういう揉め事を解決する為に俺達ヤクザが居るんだ。身体張らねぇでどうすんだっつの」
「そうですか……分かりました、兄貴がそう言うなら」
極道にとって上の言う事は絶対だ。
いくら心配だとしても、兄貴が言う事なら信じなければいけない。
「あぁ。しっかし、暴れたらなんだか腹減ったなぁ」
「どっかにメシでも行きますか?」
「そうだなぁ……久々に韓来でも行くか!ちょうど今の揉め事処理でみかじめも入ったしよ」
「え?良いんですか?組に納めないと……」
「組に納める額はもう決まってる。それを越さなきゃ少しくらいは良いさ。行こうぜ東、奢るぜ」
「兄貴……はい!ご馳走になります!」
「よし、そうなりゃ善は急げだ。早速…………あ?」
そんな時、海藤の視界にふと見覚えのある人影が見えた。
「兄貴?どうしたんですか?」
「おい東、アレ……」
「えっ?」
海藤が指を指す先に東も視線を向ける。
そこに居たのは、白いパーカーを着た一人の幼い少女。
錦山と行動を共にしていた筈の、澤村遥の姿だった。
「あれ、遥の嬢ちゃんじゃねぇか?」
「本当ですね……錦山さんは近くに居ないんでしょうか?」
「そう……みてぇだな」
海藤は首を傾げた。
先日彼が聞いた話では、あの少女は錦山と同様に東城会から狙われていると言う。
そんな彼女が一人で街を歩き回っていれば、かなり危険な事になるのは間違いない。
(危なっかしいな、声かけてみるか)
松金組と錦山との間で同盟が結ばれた以上、海藤達は錦山に協力をしなければならない。
錦山が守ろうとしていた少女が危険に晒されるのを黙って見ている事などできないのだ。
そして幸いな事に、二人は遥とは知らない仲では無かった。話しかける事に躊躇も遠慮も必要ない。
「おーい、遥ちゃん!」
「あ……海藤のお兄さんに、東さん…………」
海藤の声に反応した遥の顔は、どこか元気がない。
昨日、東を相手に睨みを聞かせていた威勢の良さも今は鳴りを潜めている。
「どうしたんだい、こんな所で。錦山さんは?」
「…………おじさんなんて、もう知らない」
「えっ?」
困惑する東に、遥は不機嫌そうにそっぽを向いた。
「おじさんは勝手にするみたいだから、私もそうするってだけ」
「えっと……要するに?」
「仲違いした、ってことか?」
「…………」
黙って俯く遥。
その態度は頷くよりも如実に答えを示していた。
「ん?」
ふと、海藤は自分の携帯が震えている事に気づく。
画面に記されていたその番号は、錦山の持っている携帯のものを指していた。
(なるほど、こりゃマジらしいな)
海藤がボタンを押して電話に出ようとした直後。
くぅっと可愛らしい音が鳴るのを、海藤は耳にした。
「っ……!」
すると、遥が途端にお腹を抑えてさらに縮こまる。
勢いのまま出てきてしまった彼女は、何も口にしていなかったのだ。
「遥ちゃん、もしかしてお腹すいてるの?」
「……東さん達には、関係ないよ」
「…………兄貴」
「フッ……だな」
東の言いたいことを察し、海藤が僅かにほくそ笑む。
ちょうど彼も、全く同じことを考えていたのだ。
「なぁ、遥ちゃん。俺達今からメシ食べに行くんだけどよ……一緒に来るか?」
「え……メシって、ご飯?」
「そう!焼肉」
「焼肉……!」
その言葉を聞いた途端、先程まで元気の無かった遥の目が輝きを放つ。
まだ幼い遥にとってその単語は、とても魅力的に聞こえるものだった。
「あぁ。そこで色々食いながらよ、遥ちゃんの話を聞かせてくれや、な?」
「うん!分かった」
すっかり元気を取り戻した遥を連れて、海藤達は焼肉屋へと向かっていく。
携帯の着信は、気付かなかった事にされてしまった。
時は僅かに遡り、およそ十分ほど前。
「おかえり、錦山くん」
「あぁ、ただいま」
「おう錦山、戻ったか」
入れ墨の施術を終えた錦山は、セレナへと帰ってきていた。
既に店内には伊達がおり、合流した二人は早速情報を共有する。
「何?桐生に会いに行くのか?」
「あぁ。一人で来るように指定されてな。悪いが伊達さんは連れて行けねぇ」
「そうか……いや、良いんだ。仕方ねぇ」
伊達は錦山の言葉にあっさりと頷いた。
世良会長殺害の重要参考人とされていた桐生だったが、サイの花屋の情報提供によりその疑いの目は任侠堂島一家の現総長である堂島大吾に向けられている。
今の伊達が桐生にこだわる理由は無くなっていた。
「伊達さんの方で何か動きはあったか?」
「あぁ……それがちょっと面倒な事になっててよ」
「どうした?」
「神室署の上の連中が圧力をかけてきやがった」
「なに?」
水死体の件を調べるために神室警察署に戻った伊達は、四課の課長に呼び止められたという。
そのまま署長室に足を運んだ伊達は、署長から直々に手を引くように命じられたとの事だった。
「まぁそのまま突っぱね返したんだが……近々俺も身動きが出来なくなるかもしれねぇ」
「警察からの圧力……一体何故このタイミングで?」
「さぁな、詳しくは分からん。だが……この不自然な圧力のかけ方から察するに、警察上層部からの圧力の可能性がある。この一件、俺たちが想定している以上に根が深いのかもな……」
「そうか……」
錦山は思考を巡らせる。
警察上層部に圧力をかけられる程の勢力と言って彼が思いつくのは、東城会本家か近江連合。あるいは政財界の組織だ。
圧力をかけているのがどこであるにせよ、錦山はこれで伊達以外の警察を全く信用出来なくなった。
(となりゃ、遥をここに置いとくのも危険だな……)
風間組や松金組以外の東城会は未だに錦山を追っている状態にある。
動きは少ないが、近江連合もまた遥を狙っている組織の一つだ。
その上警察まで動き出すとなればいよいよセレナも安全では無くなってしまう。
家宅捜索の捜査令状を突き出されて遥を見つけられれば錦山は誘拐犯として現行犯逮捕され、遥は保護という名目で連れ去られてしまう可能性すらある。
「どうする?今の警察で保護するのはヤバいぞ?」
「あぁ。松金組も同盟を結んだとはいえ東城会の一組織だ。本気で上から圧力をかけられれば、遥を差し出さざるを得ない。となりゃ……賽の河原が一番安全だろう」
賽の河原。
サイの花屋が根城にしている西公園の事である。
そこであればヤクザはおろか警察でさえ足を踏み入れる事は無い。
隠れ家にするのであればうってつけと言えるだろう。
「あそこかぁ……まぁ確かにそうだろうが」
「行かないよ……私」
そこへ、その会話に割って入った人物が一人。
遥だった。
「どうしたの?遥ちゃん」
「おじさん……さっき、お母さんのこと調べに行ってたんでしょ?なのに……なんで連れて行ってくれないの?」
「…………」
錦山は黙りこくってしまう。
母親に会いたいがためにたった一人でこの街にやって来た少女に対し、彼は言葉を失っていた。
(言えねぇよ……言える訳がねぇ…………)
そんな彼女に対して"お前の母親はすでに死んでいる"等と言える程、錦山彰という男は冷酷では無い。
「私、お母さんに会いたい。会わなきゃ行けないの。ここに、遊びに来たんじゃないの」
「おい、遥……」
そんな彼の心情など露知らず、遥は言葉を並べ立てる。
伊達の静止を意に返さず、遥は銀色のペンダントを取り出した。
「このペンダントでしょ?このペンダントがみんな欲しいんでしょ」
100億の価値があると言われる銀色のペンダント。
それは、消えた100億を取り戻そうと動く極道達が喉から手が出る程欲しい品物だった。
「私の事なんて、どうだって良いんでしょ」
しかし、そんなペンダントの存在が今 遥の想いを遮っている。
東城会のヤクザ達の薄汚い欲望の為に、彼女の願いが踏み躙られようとしているのだ。
それを阻止するべく、これまで錦山は必死に戦ってきた。遥と母親を会わせ、桐生の元へと連れて行き真相を聞く。
そのために錦山は、文字通り命懸けで事に当たってきたのだ。
「おじさんだって、きっと100億円欲しいから私と居るんじゃないの!?」
遥の放ったその言葉は、それら全てを否定するものだった。
お前も、そんな薄汚いヤクザの一人なんだろう?
彼女は錦山にそう問いかけていたのだ。
「ッッッ!!!!」
直後、錦山はセレナのバーカウンターに右の拳を鉄槌のように振り下ろした。
木材を叩く激しい音が響き渡り、その衝撃でカウンターに置かれていた水の入ったグラスが倒れて中身が零れる。
「遥……お前には俺が、そんな奴に見えてたってのか…………?」
「っ……!」
ゆらりと向き直る錦山の目には、様々な感情が綯い交ぜになって浮かんでいる。
怒り、悲しみ、困惑。
彼女の放った言葉は、必死の思いで闘ってきたこれまで錦山の全てを無に帰すものだったのだ。
「お、おい錦山……!」
「俺が今まで、どんな思いをして来たか……お前に分かるのか…………?」
錦山からすれば裏切られた気分だ。
彼は優子に、遥は母親に会いたいという利害関係こそあったものの、錦山は遥の想いに答えるべくやって来たのだ。
それを当の遥本人から否定されてしまっては、たまったものではない
「……お母さんの事教えてよ。なにか知ってるんでしょ?」
「……そんなに知りたきゃ、テメェで勝手に調べろよ」
「えっ……?」
「ちょっと、錦山くん……」
錦山はここに来て、ついに限界を迎えた。
十年経って様変わりした神室町や東城会。
自分の命や身柄を狙うヤクザや警察。
行方不明の由美と優子。
そして、組を割った桐生の真相。
やりたい事、やるべき事、知りたい事、知るべき事。
それら全てに追われる日々の中、懸命に動いてきた錦山の行動。
それを、なんでこんな小娘一人に否定されなくては行けないのか?
「俺の事はもう信用出来ねぇんだろ?だったら全部テメェでやりゃ良い。出来るもんならな」
「おじさん……!」
「これ以上、お前のワガママに付き合わされてたまるかってんだよ。こっちの善意を踏み躙っておいて、知りたい事だけ教えろだ?大人をナメてんじゃねぇぞガキが!!」
「いい加減にしなさい!!」
怒り狂う錦山に、毅然と言い放つ凛とした声。
麗奈だった。
「麗奈……?」
「さっきから聞いてれば……大人気ないと思わないの!?」
「遥はもう俺の事が信じられねぇって言ってんだよ。だったらこうするしかねぇだろうが!」
「それが大人気ないって言ってるの!そんなにムキになる事無いじゃない!」
「……もういい」
そう言って遥は銀色のペンダントを叩き付けるようにバーカウンターに置く。
顔を上げた遥の瞳には、涙が溜まっていた。
「おじさんが勝手にしろって言うなら、そうする。さよなら!」
「遥ちゃん!」
「おい、遥……!」
麗奈と伊達の静止も聞かず、遥は裏口からセレナを飛び出して行った。
「おい、どうするんだ錦山」
「どうもこうもしねぇよ。勝手にするってんだから放っておきゃ良い」
「錦山くん、まだそんな事言って……!」
「仕方ねぇだろうが!…………言えるかよ」
遥の居なくなったセレナで、錦山は絞り出すように口にした。
「お前の母ちゃんはもうこの世にいねぇだなんて…………言える訳がねぇだろうがよ……!!」
「「…………」」
言葉を失う伊達と麗奈。
錦山のその意見に関して言えば、二人も完全に同意見なのだから。
「ん……?」
その時、セレナの電話が鳴り響いた。
出ないわけにも行かず、麗奈が直ぐに受話器を取る。
「はい、セレナです…………えっ、貴方は……!?」
「あ……?」
電話に出た麗奈の反応を怪訝に思う錦山。
そんなにも珍しい相手からの着信だったのだろうか。
「はい……はい……えぇ、居ます…………分かりました」
麗奈は二、三言返事をすると錦山に受話器を渡した。
電話の相手は錦山宛に用事があるらしい。
「俺に?誰からだ?」
「松重さんよ」
「何……!?」
錦山はすぐさま受話器を受け取って耳に当てた。
「錦山だ」
『お疲れ様です、錦山さん。関東桐生会の松重です』
電話越しに聞こえる声は、紛れもなく葬儀会場から錦山を助け出してくれた松重のものだった。
「どうしてセレナに?」
『セレナには自分も、東城会時代に良く寄らせてもらってましてね。会長から、錦山さんがセレナにいらっしゃると言う話を伺ったのでお電話した次第です』
「そうか…………それで、一体何の用だ?」
錦山は本題を促す。
今の彼には時間が無いのだ。
『桐生の親父から、明日の件は聞いていますね?』
「あぁ、指定された場所で会うって奴だろ?」
『えぇ。その場所と時間が決まりましたので、お伝え致します』
息を飲む錦山に対し、松重は告げた。
『時間は明日の13時。場所は芝浦埠頭です』
「芝浦だと?」
あまりにも予想外の場所に、疑問を隠せない錦山。
「なんでそんな所に?」
『いえ、詳しくは。自分も会長からの伝言を預かってただけですので』
「そうか……分かった、ありがとう」
『いえ。では、失礼します』
松重はそう言って丁重に電話を切った。
麗奈に受話器を返した錦山は、一人俯いた。
(はぁ……何してんだかな、俺)
「どうするの?錦山くん……」
麗奈が静かに問い掛ける。
その口調は、先程までのような毅然としたものでは無い。あくまでも穏やかに判断を仰いでいる。
しかし、その瞳はとても真剣だった。
「……」
しばらく黙りこくった後、錦山は静かに席を立つ。
そして。
「伊達さん、遥を探しに行こう」
錦山は結局、遥を放って置かない道を選んだ。
「錦山……!あぁ、そうだな!」
その言葉を待っていたと言われたばかりに、伊達は立ち上がる。
麗奈もまた、そんな錦山を見て満足そうに微笑んだ。
「悪ぃな麗奈」
「ううん、いいのよ。遥ちゃんのこと、必ず連れ戻してね」
「あぁ……行ってくる」
錦山は伊達と共に遥の後を追いかけてセレナを出る。
ここで、松金組と結んだ同盟の本領を発揮する時が来たようだ。
「よし、まずは海藤に連絡だ」
錦山は一番協力を仰げそうな海藤の番号に電話をかけた。
松金組の中で一番協力的な人物と言っても過言では無いだろう。
「………………………………………………」
しかし、どういう訳か海藤は一向に電話に出ない。
どうやら取り込み中のようだ。
「チッ、出ねぇな」
錦山は携帯をしまって天下一通りへと出た。
今の時間は神室町の中で一番人混みが多い夕方。
この中から背丈の低い遥を探し出すのは、中々に骨が折れる所業である。
「こうなりゃ俺達で探すしかねぇぞ」
「仕方ねぇ、地道に聴き込むか……!」
結局、遥の為に振り回される事になった錦山。
しかし、それは当然の事と言える。
何故なら遥は錦山にとってかけがえのない存在になりつつあるのと同時に、親友であり目標でもある桐生一馬を父に持つ女の子なのだから。
(無事でいろよ、遥……!)
錦山は臆せず通行人に聞き込みを開始する。
迷いはもう、とっくに消えていた。
やっぱり海藤と東は扱いやすいですね……
味方になるとつい頼りきりになってしまいます。