ハジメと香織が戻ってみると、光輝が雫に何やら詰め寄っていた。香織が耳を傾けてみると、「戻ってきてくれ!」「俺達には君が必要だ!」というものだった。中身は既に紅に入れ替わっているのか、聞いている側は無表情である。しかし、無なのは表情だけであった。紅にとって、光輝は雫を苦しめる元凶である。その内心は怒りに満ちていた。
喚く光輝を黙らせようと紅が口を開こうとしたとき、光輝の顔がハジメと香織に向いた。光輝はハジメに敵意に満ちた視線を向けた。そして、魔人族の二人がいない事に気付くと、愕然とした表情を浮かべた。
「まさか……殺したのか」
実を言えば殺してはいないが、此処では隠すべきだろう。故にハジメは肯定した。
「ええ、殺しましたよ」
ハジメの表情は無。だが、演技にしてはだいぶ色々な感情が巣食っているようだ。ハジメは人を殺さざるを得ない状況を知っている。そして、戦場という場所は限りなくそれに近いという事も。今回はたまたま上手くいったが、本来は殺すよりも生かす事の方が難しい。
しかし、光輝はそれに気付かないままにハジメを詰った。
「何故彼らを殺したんだ! 殺さずとも捕虜にすれば良かった! 無抵抗な人を殺すなんて……香織、南雲から離れた方がいい! もう目が覚めただろう! 南雲は人殺しなんだぞ!」
ハジメは何も言わない。ただ、その視線を香織に向けるのみだ。しかし、香織は何やら一計を案じたようだ。光輝は人殺しという存在を嫌っている。ならば、
「その必要は無いよ。だって、私も殺したもの」
その場に、痛いほどの静寂が訪れた。光輝だけでなく、クラスメイトにとっても香織の殺人の告白は衝撃だったのだろう。実際、香織はガイストの部隊など魔人族を殺している。しかし、ここにきて殺人の汚名を被ろうとするのはハジメにとっても想定外だった。
「魔人族は二人いた。だから、コンダクターと一人ずつ殺したの」
「どう……して……」
「どうして? おかしなことを聞くね。これは戦争なんだよ。選べるのは楽に死ねるか否かだけ。捕虜になんてなったら拷問されるだろうね。爪を剥がされ、目を抉られ……女性の方は性的な拷問もされるかな? それとも、タイタス・アンドロニカスの娘、ラヴィニアのように手と舌を切り落とされるかもね」
「嘘だ! 王国の人たちがそんな事をするわけない!」
「これが現実だよ。王城に戻って牢獄でも見て来れば分かるんじゃない? さて、私は人を殺したわけだけど、それでも君は今まで通りの目で私を見れるのかな?」
これが香織の策略であった。光輝は人殺しを嫌っている。それならば、もはや人を殺した自分は愛される対象ではなくなるだろう。という魂胆だった。光輝が自分に愛とはいかないまでも執着を持っているのは見れば分かる。ここいらで、そろそろその呪縛から逃れても良いだろう。
しかし、光輝の行動は香織の予想の斜め上を行った。
「南雲!」
「……何です?」
「見損なったぞ! 香織を脅して無理矢理殺人行為をさせるなんて! 香織、大丈夫だ。一緒にこの犯罪者を突き出そう! この場合は緊急避難が適応させるかもしれない。もしされなくても、罪を償えばいい。大丈夫、俺はいつまでも待つよ。そうしたら―――」
「そうしたら、何? 言っておくけれど、殺したのは私の意志だよ。コンダクターだけに業を背負わせるわけにはいかないからね」
香織はそれ以上は言わせない、と指でその言葉を止めた。そして、ハジメが口を開いた。
「彼らは生から解放されたがっていました。この先に訪れる彼らの生きる道は業苦以外に有り得ないからです」
「黙れ犯罪者! お前は何の罪もない人間を殺したんだぞ! 然るべき裁きを受け入れるんだ!」
「それは無理ですね。この国の法が、そして、この場に残る生体反応が僕の無実を証明するでしょう。これは健やかにして善なる者の行いであると。貴方では、そしてこの国では僕の罪を計れない。もし計れるとすれば、自らの意志で人殺しになれる者だけでしょうね」
「そんなことはない! 軽蔑する。軽蔑するぞ、南雲ハジメ!」
「お好きにどうぞ」
課題だらけではあるが、哀悼者としての生き様を変えるつもりはない。とハジメは言う。駱駝の段階はとうに終わった。ハジメは背後世界に否を唱える獅子に、そして、己の力で物を創造する幼子へと歩を進めなければならない。
背後世界論者には決して理解は出来ぬであろう思想。時に義務にすら聖なる『否』を唱えなければならないのが獅子の、そして幼子の苦難である。
ハジメ達昇格者は、既に帰り支度を始めていた。これ以上光輝と話す事は無いと言わんばかり……実際無いのだが、光輝はそれで納得したわけではないようだ。更にハジメを詰ろうとするが、その前に恵里がハジメに話しかけた。
「ねえ守護天使サマ~。僕達もう疲れちゃったからさ~。地上まで同行させてくれない? 今後の身の振り方も考えたいしさ」
「同行するのは構いませんが、守護天使様ね……」
「実際そうじゃん。あのままだったら僕達負けてたかもしれないもん。どこぞのメサイア気取りの馬鹿野郎のせいで!」
メサイア気取り、を強調して話す恵里に、ハジメも溜息を吐いた。無論、光輝に聞こえるように言っているのだが、光輝はハジメのことを敵視するので忙しいのか、反応は無い。天之河光輝という人間は、転移前から南雲ハジメや園部優花という人間を敵視している。まあ、理由は分かる。正義や規律に則って生きる彼には獅子のようにそれに否を唱え、価値観を創造する幼子としての生き方を謳歌する二人は存在するだけで許せないのだろう。
加えて、南雲ハジメはこともあろうに自分の幼馴染と付き合っている。流石に、香織は永久に自分のものだとは思っていないよな……とハジメは思った。何にせよ、これから地上に戻る過程を思うと気が重い。一応、迷宮に来た過程は誤魔化したが、クラスメイトが〝影〟のことを黙っているとも思えない。最悪、光輝や檜山あたりが出会った瞬間にバラしそうだと思い至った。折角の偽装工作だが無駄になるかもしれない。
ハジメ達は迷宮内を歩いて帰る。〝影〟は使えないのだから当然ではあるが、道中の復活した魔物達も相手にしなければならない。尤も、天使が再び現れでもしない限り、ハジメ達が苦戦する事もないのだが。改めて、その呆れるほどの強さを実感して、これが、かつて〝無能〟と呼ばれていた奴なのかと様々な表情をするクラスメイト達。
檜山は、青ざめた表情のままハジメを睨み、近藤達は妬みの視線を送り、永山達は感嘆の視線を向けながらも、まだハジメと香織が人を殺したことに対する恐怖が抜けてはいない。
やがて、メルド達のもとへと辿り着いた。
「戻って来たか、光輝……て、誰だ!?」
「ああ、見た目が変わっているので分かりませんよね。南雲ハジメですよ」
「南雲ハジメ!? その見た目は……いや、まずは生きていてくれたことを喜ぼう。よく戻ったな、ハジメ」
「ありがとうございます」
メルドの言葉に、素直に感謝の意を示す。メルドは香織にも同じような言葉を送り、香織も頭を下げた。そして、話に聞いていた行方不明組である優花や清水、自分が直々に送り出した雫も再会を喜んでいた。
しかし、そんな再会に水を差す者が一人。
「聞いてくださいメルドさん! 南雲ハジメは魔人族を殺したんです!」
光輝である。だが、彼の必死の訴えも周りの騎士達には「何の事やら」という反応であった。前提条件として今は魔人族と戦争中。魔人族を殺す事に疑問を持ったことは無いのだ。中には『神の使徒なのに何故魔人族を殺す事を躊躇うのか』と敵意の視線を向ける者もいた。光輝は気付いていないが。
一方で、メルドは光輝のその訴えに、またしても頭を下げた。
「メ、メルドさん? どうして、メルドさんが謝るんだ?」
「当然だろ。俺はお前等の教育係なんだ……なのに、戦う者として大事な事を教えなかった。人を殺す覚悟のことだ。時期がくれば、偶然を装って、賊をけしかけるなりして人殺しを経験させようと思っていた……魔人族との戦争に参加するなら絶対に必要なことだからな……だが、お前達と多くの時間を過ごし、多くの話しをしていく内に、本当にお前達にそんな経験をさせていいのか……迷うようになった。騎士団団長としての立場を考えれば、早めに教えるべきだったのだろうがな……もう少し、あと少し、これをクリアしたら、そんな風に先延ばしにしている間に、今回の出来事だ……私が半端だった。教育者として誤ったのだ。そのせいで、お前達を死なせるところだった……申し訳ない」
そう言って、再び深く頭を下げるメルドに、クラスメイト達はあたふたと慰めに入る。どうやら、メルドはメルドで光輝達についてかなり悩んでいたようだ。団長としての使命と私人としての思いの狭間で揺れていたのだろう。
メルドも、王国の人間である以上、聖教教会の信者だ。それ故に、〝神の使徒〟として呼ばれた光輝達が魔人族と戦うことは、当然だとか名誉なことだとか思ってもおかしくはない。にもかかわらず、光輝達が戦うことに疑問を感じる時点で、何とも人がいいというか、優しいというか、ハジメの言う通り人格者と評してもいいレベルだ。
メルドの心の内を聞き、押し黙る光輝。そう遠くないうちに人を殺さなければならなかったと言われ、魔人族と相対した恐怖が蘇ったようだ。それと同時に、たとえ賊であっても人である者を訓練のために殺させようとしていたメルドの言葉にショックも受けていた。賊くらいなら、圧倒出来るだけの力はあるのに、わざわざ殺すなんて……と。
なお、〝影〟のことをメルドに話す者はいなかった。光輝は人殺し関連のショックでそこまで頭が回らず、他のクラスメイトも「ハジメの兵器か何かだろう」とそこまで深刻には受け止めていなかったのである。尤も、ハジメが「〝影〟については知らない方がいいですよ。今はまだ……」と釘を刺したのもある。
まあ、そのうち嫌でも知ることになるかもしれないが……
程なくしてハジメ達は無事に地上に帰還。それを、ラングランスとミュウ、そして残りの楽団死期であるユエ、シア、ロック、ミュオソティス、カイネが出迎えた。ラングランスは姿を偽装するアーティファクトで人間に見えるようになっている。流石に深人族だと今の時点でバレるのはまずい。という事なのだろう。とハジメは思った。せめてどこまでバラしていいかのマニュアルは欲しいハジメであった。
補足だが、一応ハジメ達も機械ではなく人間に見えるように偽装はされている。深人族の技術力おそるべしと言ったところか。
『一応〝影の国〟のことはバラしてはいませんが……』
『あら、そうなのですね。それはお疲れさまでしたわ。正直、暴露されたところで特に支障はなかったのですけれど』
『そうでしょうとも。あんなに堂々と〝影〟を使うくらいですものね。一応の偽装工作はしてきましたが……もしかして、余計な事でしたか?』
『計画に支障は有りませんわ。貴方が余計な気を回して勝手に疲れただけの話ですもの。聡明な方と聞いておりましたが、悪い方に生真面目な方なのですわね』
ひそひそと、ラングランスと会話をするハジメ。ラングランスが噴き出すのを堪えているのは精神分析するまでもなく分かる。意外と表情が豊かだな、この人。と思いながら、ハジメは溜息を吐いた。もう、何度も言っているが、あとはリリア―ナに何とかしてもらおう。
「そういうことですよ。僕は多少絵が上手いだけの、本質的にありふれた人間ですから」
転移前のハジメは大それたことを何度もやっていたが、それは数多の協力者の存在に助けられていたからに他ならない。交渉係、法律面に強い者、富豪など色々。絵を描く以外の〝雑務〟は彼らに任せていた。勿論ハジメはいつ死んでもおかしくない病人であったから、その辺りの清算だけはしっかりとやっておいてある。今頃はそのプログラムに従って粛々と後処理が進んでいることだろう……
『慣れない事はするものではありませんねえ』
『あら、これから経験を積んでいけば大成しそうですわ。試しに勉強してみる気はありませんこと?』
『機会があれば……ね。なるべくそういう事とは無縁でいたいもんです』
『欲の無いものですわね。お金にも権力にも興味が無い、典型的な学者タイプのようですわ』
『多少興味はありますよ。興味を持たざるを得ない環境下にいたもので。そして、結局、関わりたくないという結論に達しました。下水道のように無ければ無いで困るものですが、近づきたくはない』
そもそもリリアーナの計画も雑過ぎるだろうと思うハジメ。ウルの戦場から引っ張り出し、ラングランスに引き合わせたかと思いきや、今度は光輝達の救出に駆り出される。おそらく、恵里、鈴、遠藤の善戦はリリアーナにとって想定外だったのだろう。それでも保険としてハジメ達をあの場に放り込んだ。
三人を擁護し育てていたのも全てはこのため。勇者には負けてもらわなければならないが、あまりにも弱すぎると介入する余地が無い。だからある程度見込みのある三人を育てたのだ。
何故そんなことをしたのかと言えば、此処からは推測になるが、おそらく勇者を助ける前や、ウルの戦場から引っ張り上げる際に彼女が言っていた『幸運』という言葉。おそらく、『幸運』と引き換えに『不運』を引っ張り出すとか、そんな感じの能力だろう。神代魔法にそんな限定的なものがあるのか、それとも別の概念なのかは分からないが。重力魔法を使っても抵抗できなかった以上、神代魔法より上位の概念と見るべきか……
いずれにせよ、勇者の救出という幸運から、リリアーナが何を引き出そうとしているかと言えば、彼女が何を排除したがっているかという問いとほぼ同値である。
「あとで本人に確認する必要はありますが、まあ、そんな所でしょう……」
尤も、次にいつ会えるかは分からないが。勇者達を尻目に、ハジメは思考を巡らせる。そして、その思考はとある形で正しかったことが証明されることになる。
とはいえ、今は勇者達の事が先決だ。いまだに敵意を向けてくる勇者に、ハジメは嫌々ながらも向き合わなければならなかった。
とりあえず、これで一つの区切りは付きました。いや、まだ勇者関連はついていないんですけど、リリアーナの策謀はお見せできたかなと。いや、結果はまだなんですけどね。
ところで、ここで推測されているリリアーナの能力。元ネタが存在していますが、分かりましたでしょうか。ヒントを申し上げますと、〝影の国〟と出典は同じでございます。某呪術漫画にも同じ『運』を使った能力はあるそうですし、仮面ライダーの敵にもそんなのがいたような。一応弱点も設定はしています。
オルクスの隠れ家の作りかけのメイドロボの目が瞬く。まるで何かを伝えようとするかのように
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修理して連れていく
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見なかったことにして放置する