真剣で旭に恋しなさい!〜月鏡、朝日に照らされて〜 作:夢迷月
九鬼家、トレーニングルーム。
バレエ教室のように壁の一面を鏡張りにされた部屋の中心で、相馬巴は坐禅を組んでいた。
「…………」
坐禅とは言うが、内心は禅問答を繰り返す訳でも、また空でもない。
ただ体内の気の循環を感じ、部屋全体に同じ感覚を拡大する。気を起こし、気を練り、そして技と成す。
思考以外の部分で気を操りつつ、思考の中では相馬流の型を反復する。
脳内で思い浮かべた自分の型と、実際に鏡越しで見る型の齟齬を発見するため、鏡を使う鍛錬の前にはこうして一度確認するのを習慣化していたのである。
元々イメージと違う動きは存在せず、そして型通りの動きが出来ること自体にこの相馬流当主は拘泥していないのだが。
「……よし」
久方ぶりに旭との"接触"なしで眠った男は、色ボケしていない明晰な頭脳を回転させつつゆっくりと目を開ける。
部屋中に充満させていた気を回収し、巴が自分自身の肌と同じ形まで収めたところで、部屋の隅から快活な声が響く。
「おはようございますっ! 相馬先輩!」
「ああ、おはよう。源さん」
正座の状態から、ポニーテールを可愛らしく揺らしてぺこりと頭を下げてきた後輩にして恋人のライバルへ、巴は柔らかい笑顔で挨拶を返す。
「別に声かけてくれてもよかったのに」
「いえ、凄まじい精神集中でした。こちらも身が引き締まる思いです!」
両の拳を固く握り、鼻息荒く気合を入れた義経に先輩は問いかける。
「源さんも、朝から鍛錬かい?」
「はいっ! そう、思っていたのですが……その」
打って変わってもじもじとしつつ、義経は話を切り出した。
「普段はヒュームさんを相手に鍛錬していたのですが、ご入院されていまして……」
「……なるほど」
老人の腕を切り落とし、意識不明の重体に追い込んだ男は内心の複雑さを隠そうともせずに相槌を打つ。
九鬼財閥の武術指南役として重責を担っていたヒューム・ヘルシングを叩きのめしたツケか、と思いつつ巴はこう応じた。
「つまり、稽古相手になって欲しいというわけだね」
「はい。ご指導お願いできますでしょうか」
上目遣いをする後輩のお願いに、先輩は戸惑う。
「ふむ……」
腕を組み、眉根を寄せる。それから、男は色々な事情を飲み下した上でこう返答した。
「いいよ。やろう。短い時間でよければ」
武の道でも先達である男の承諾に、義経はぱあっと表情を輝かせた。
「はいっ! ありがとうございますっ!」
ペコリと頭を下げ、飛ぶような足取りでポニーテールを快活に揺らしながら三歩距離を取る。
「―――では、よろしくお頼み申す」
そして刀を抜けば、そこには英雄の姿があった。
(腑抜けてたら、初対面の時みたいに殺気の一つでもぶつけてやろうかと思ってたけど……まあ、流石に俺を相手取って気は抜かないか)
巴も腰の二刀のうち一本、月鏡を抜いて晴眼の構えを取る。
二刀流にしないのか、などという妄言を源義経は吐かなかった。
最強を打倒せしめた男の見事な立ち姿。巨木というよりはやはり一本の刀が意志を持ってそこに存在しているとでも言うべき鋭利な威圧感。
「……来い、源義経」
ほんの一瞬だけ目を切り、次に瞼を開けた瞬間には義経のはるか後方へ視線という刃を貫かせた修羅に、古代の英雄は集中を保ちながら飛びかかった。
「参るっ!」
源義経の初撃は、フットワークで敵の視点を左右に振ってから大上段の一撃、逆落とし。
(うん、まあ源さんならこれが正解かな)
駆け引きの面で難がある、と彼女の戦い方を評価していた巴だったが、さりとて義経側が初めに切ることの出来る手札を知らないので沈黙する。
その代わりと言わんばかりに、迫り来る刃を修羅は皮一枚で避ける。空気を切り裂き、刀を制御できない位置まで振り下ろした義経は無防備な姿を晒した。
「さあ、そこからどうする?」
反撃の準備は万端。背後を取った巴が躊躇なく死角から白刃を振り下ろすと、軌道が見えていないはずの義経は自分の勘を頼りに身を翻してそれを避ける。
男は一度距離を取り、戦慄すべき一撃を凌いだばかりの後輩へ穏和な声で語りかける。
「随分俺のことを信用しているね」
「相馬先輩なら、狙ってくると思いまして」
もちろん寸止めする気ではあったが、視認もせず真っ先に回避を選択し実行した、義経の感覚と身体能力を巴は内心で称賛した。
「じゃあ、次だ」
今度は巴からの接近。袈裟に一度、横薙ぎに一度。月鏡が音もなく空間へ二回閃くと、義経は羽毛のように軽快なステップでそれぞれ堅実に避ける。
ここで修羅は刀から放した右手を、腰に差した極楽蝶の柄へ添えた。
たったそれだけの動作だったが、反撃に移ろうとしていた牛若丸は一歩後退する。
「観察眼も悪くない。でも君はそっちだけじゃだめだぜ」
「……っ!?」
その後退を相馬流当主はすかさず咎める。一歩を踏み出すだけで距離を潰し、片腕で振り下ろした白刃を義経の前髪に触れるか触れないかの位置で寸止めした。
「二本目を抜くかもしれない、とちゃんと見ていたところまではいい。しかし君の場合であれば俺の右手をそのまま抑えるべきだったね」
「は、はいっ!」
「じゃあ次いってみよ〜」
緩いかけ声が続き、英雄のクローンと剣豪は一進一退の様相で稽古に励む。
「見てから動く部分と、勘だけで動く部分の意識。それが出来たら次は両立させること」
「はいっ!」
「ここら辺は流派関係なく使えた方がいい技術だからね。塩梅は人それぞれなんだけど」
「はい、精進しますっ!」
そこからまた十五分ほど経過し、攻める番が続いていた義経は高速で動きながら内心で巴への評価を修正していた。
(相馬さん、やはり完成度が義経とは段違いだ。全てが合理的で、隙なんてほとんど見当たらない……!)
さらに言えば、隙を発見して好機とばかり打ち掛かった四回のうち三回は返しの一撃を喰らい、残り一つは一瞬の躊躇いを見抜かれて接近、そのまま投げ飛ばされてしまっている。
理合という深く広い沼に沈められるような感覚が、義経を包み込む。もがけばもがくほど、さらなる深淵へと引きずり込まれる。
「はあっ、はあっ……でやああああっ!」
「技は全て崩しからだよ。打突の練度も上げた方がいい」
端的で、容赦のない指導。しかし、才溢れる後輩には光明となる助言。
義経は膝に力を貯めて、もう一度本気の逆落とし……と見せかけて着地、横薙ぎの一撃を放つ。
「うん、悪くない。虚実は本気で見せないと意味ないからね」
素直に教えを吸収する生徒の攻撃を難なく捌く巴は、思わず懐かしいという感情を抱く。
(旭さんと源さん、やっぱり似てるなあ)
出会った頃、今より少しだけ幼かった恋人を男は思い出す。
洗練とはほど遠いが、才能の底知れなさを窺わせる剣筋。実力が上である相手との稽古に怯まない気概。そして巴が木曽にいる間は気付かなかった、英雄の名を継いだ者としての自負。
義経、義仲が共通して持つ気質を肌で心地よく感じつつも、青年は二人の相違点を言語化していく。
(うーん、水清ければ魚棲まず、というか。旭さんの方が俺は好みかなあ)
源義経の清流のような澄んだ心に対し、大海のごとく清濁を併せ吞む度量を持った最上旭の在り方。
それらは決してどちらに優越があるわけでもないが、巴にとってはやはり旭のおおらかさが、より心惹かれるものだった。
余談だが、剣聖黛大成を巴が慕うのも同じ理由からである。数多の達人がいる中あの若さで十段、そして人間国宝。剣のみではなく権謀の面でも才を持っていることは疑いようもない。
潔癖なのではなく、物事の裏の面を知った上でなお高潔であり続けることの難しさを巴はよく知っている。故に、かの剣聖に対して青年は敬意を払うのであった。
義経と巴の稽古が始まって一時間と少し。そろそろ切り上げ時か、と思案した修羅は二つフェイントを入れながら、相馬流の技を一つ披露する。
「相馬流、山藤」
「っ、わっ!?」
月鏡が義経の構えに対し裏から攻める動作を見せる。それと同時に気で足と左半身を抑え付けた。
思わず太刀を返して対処しようとすると、見透かしたように巴は左巻きの回転で敵の太刀を落とす。
相馬流花の型の一つ、山藤。二刀で扱うものとしての相馬流をすでに確立していた巴が用いたのは、一刀流ゆえの精密動作が可能にする技であった。
本来はこの状態から喉を突くのだが、武の先達は技の残心だけで制圧したという意図を示す。それに気付かないはずもなく、たった一瞬判断の遅れただけの義経は素直に降伏した。
「参りました」
「搦め手に弱い。まあ、美点だとは思うけどね。この辺にしとこうか、源さん」
「はい、ありがとうございましたっ!」
互いに刀を鞘へ納め、一礼を交わす。
男は太く傷のついた指を二本立てて、別れの挨拶をした。
「これ以上占拠してると、従者部隊の人まで指導しろとか言われそうだからね。また今度やろう」
「その時はぜひ、よろしくお願い申し上げる」
「そんじゃね、源さん」
疲労の色を毛ほどにも見せない修羅は、分厚い扉を空けて部屋を後にした。
取り残された義経は早速備え付けの木刀を取り出し、素振りを始める。
「義経も、もっと強くならねば!」
その瞳には、遠くない未来に幕を開ける木曾義仲との決戦が熱をもたらしていたのであった。
一方トレーニングルームの外では。
「……結局型稽古出来てねえじゃねえか!」
「前々から思っているがな。お前、バカだろ」
「否定できねえのが尚更腹立つ……」
「まあ、指導力があるのはいいことだがな」
源義経への指導につい熱が入ってしまったことを後悔して吠える修羅の背中を、史文恭が小突いていた。
2009年 7月 17日
期末考査全日程を終えた金曜日。
最上旭を先頭に、相馬巴と黛由紀江を加えた三名は七浜にあるショッピングモールを訪れていた。
ウキウキと楽しげなステップで揺れるロングヘアを見ながら、巴は隣から肩を叩かれるのに合わせて少し耳を寄せる。
「オラとまゆっち、お邪魔虫じゃね?」
「あまり言いたかないが、俺もそう思う」
恋人からデートと言付かっていた修羅は、後輩の分身へ渋い顔で同意を示す。
「ああ、そういえば相馬先輩。父から手紙を預かっていました。よければお納めください」
「大成さんから? 頂戴しよう」
由紀江から手渡された小ぶりな封筒は、裃の袂へ吸い込まれていった。
「父君とはよく手紙をやり取りするのかい?」
「はい。筆まめな方でして。たった今お渡ししたものも試験直前もらっていた手紙に同封されていたのですが、渡すタイミングがなく」
「まあ、ちょうどよかったってとこか。ありがと由紀江さん」
「なにしてるのー? 早く行きましょ」
旭からの呼びかけに、一歩で追いついた巴は出発前から気になっていたことを問いかける。
「ところで旭さん、今日は何を買いにこんなところへ」
「決まってるじゃない。夏休みといえば……水着よ!」
ごーごー! とどこか変なスイッチの入ったテンションで、旭将軍は小走りに階段へ向かった。
エスカレーターは、乗ると破損しかねないので巴が全力で止めた。
モールの3階、下着売り場。
マリングッズショップではなく、下着やナイトウェアを含めた女性用の衣料店に連れてこられた男は肩身を狭そうにしながら、ハンガーを両腕に三つずつひっかけられた姿で試着室の前に立っていた。
店員や他の女性客の視線が痛い中、巴はカップ数の多様な水着へ視線を落とす。
(シーと、エフと、ジー……)
2つずつ、そして3種類。健全なオスは煩悩を振り払おうとして、コンフィグレーションという英単語を脳裏に浮かばせる。
しかし、その現実逃避も長くは続かなかった。旭のせーのという声とともに三つ並んだ試着室のカーテンが開く。
「い、いかがでしょうか、相馬先輩」
可愛らしいスカイブルー、オフショルダーのビキニを着て、松風でおへそを隠しながらもじもじとする由紀江。
「由紀江。アピールポイントはもっと見せつけてあげないと。……隣の人みたいに。えいやっ」
ウエストを絞った黒いワンピースタイプの水着で、巴に向けてスカート部分を軽く振って見せながらモデルのごとく一回転して見せる旭。由紀江と同じくツインテールに黒髪を寄せ、白い光を反射させるうなじも強調されていた。
「ふ。どうやら私の一人勝ちか?」
最後に出てきたのは、布地の少ない三角白ビキニで、深い谷間も磨き上げられたプロポーションも惜しむことなくさらけ出した史文恭であった。
「サイズならまゆっちの大楽勝だと思ってたのによ……」
「あら松風。聞き捨てならないわね。というか、勝つ気だったらもっと背筋を伸ばしなさい。それっ!」
「ひゃあああっ!?」
無駄に洗練された足捌きで剣聖の娘の背後に回った旭がたぷたぷとおっぱいを持ち上げると、後輩は奇声を上げてさらに背中を丸めてしまった。
パステルカラーに身を包んだ由紀江は、涙目になりながら携帯ストラップの鼻先を褐色美女へ向ける。
「ひ、卑怯だっ! てか誰なんだよこのボインボインのエキゾチックビューティーはよっ!」
「史文恭。相馬巴の部下だ、以後よろしく頼む」
グレーの髪がかき上げられ、瑞々しい肢体が誇示される。曹の武術師範はしっかりと鍛えられた体幹が見て取れる勇ましい立ち姿を披露したかと思うと、一転して前かがみに胸を寄せて谷間を作った。
「こういう任務も要求されているぞ。夜な夜な好きに体を使われて……」
余裕の薄笑いと金の瞳と艶めく肌とを見せられた巴は、姦しい空間の中ようやく訪れた発言機会に簡潔な否定の言葉を返す。
「ない。命令した覚えもない」
「つまらんな。情婦の一人や二人増えたところで問題あるまいに」
「一体俺に何をさせたいんだよ」
「先日から言っているだろう。種を……」
「往来でそんなこと抜かすな!」
歯噛みする男、肩を竦める女。息の合ったやり取りを学生二人は遠巻きにジトりとした目で眺めていた。
「Wow、めっちゃ仲良しさんじゃんよ。っていうか種?」
「巴は認めないでしょうけど。あの人子供欲しがってるらしいわよ。羨ましいわよね」
「旭さんは旭さんでどの視点なんだよ……」
疲れ切った巴が肩をわずかに落としたところで、旭が軽く手を合わせて音を鳴らす。
「さて。じゃあ松風にはちょっと天界に帰ってもらってと」
「ああ、松風っ」
「うおおおライドオン旭パイセン、まさかの人馬逆転!?」
音もなく馬型ストラップは取り上げられ、木曽義仲の頭に載せられる。ちょうど分け目の位置に松風を置いた旭将軍は、巴御前へ漆黒の視線を突き刺す。
「では質問よ巴。この中で一番魅力的な女の子は?」
「旭さん」
至極真面目な顔で、相馬巴は断言する。ツインテールの片割れをくるくると指で弄びながら、水着ファッションショーの勝者は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「あら即答。珍しい」
「実際旭さんが一番綺麗だし、迷う余地ないよ」
「うふふ。あいむうぃなー」
「あはは」
可愛らしくガッツポーズを作る黒髪美少女に、修羅は普段の呑気さで笑顔を返す。
「ダシに使われてる気がします」
「同感だ、黛由紀江」
「言っとくけど、乱入してきたのはお前らの方だからな」
「……ほう」
悪態をついた青年に、曹の武術師範がその肩書に恥じないスピードで接近する。
そして、裃の懐へと抱き着くべく腕を差し込もうとした。
「ではこういうのは……っが、はっ!?」
しかし修羅は一歩踏み出して胸を合わせ、重心移動と手の先の動きだけで史文恭の体をひっくり返してみせる。リノリウムの床へとしたたかに生の肌を叩きつけられ、女は耐えきれずに呻く。
衣装掛け代わりにされていた太い腕からは器用にもハンガーは落ちておらず、カラフルな水着越しに褐色美女は見下ろされた。
「悪ふざけには容赦しないぞ」
倒れた部下に、次期当主は冷めた言葉と視線をぶつける。
「ふ、ふふ、それでこそ我が―――」
対する史文恭が身を翻し、勢いよく立ち上がろうとした、その時。
「―――っ!?」
「っちょ、おまっ」
元々先端部分しか隠せていなかったような三角ビキニがはらりと解ける。
そして男が水着で視界を隠した瞬間、好機とばかりに褐色美女は口元をニヤリと歪ませた。
「そらっ!」
「おわあああっ!?」
史文恭は水面蹴りで上司を床へ横倒しにさせる。宙を舞ったハンガーは由紀江が回収し、旭は旭で仁王立ちになった史文恭の白ビキニを結い直す。見事な連携プレーだった。
「わ、我ながらナイスキャッチ出来ました」
「よいしょっと。シブの胸ってずっしりしてるわね」
「ふん、そこで永遠に転がっていろ」
「いっ、てえ、頭が……」
もんどりうって患部を押さえる男を筆頭に大騒ぎする四人組だったのだが。
「お客様。ほかのお客様のご迷惑になっておりますので、ご退店願えますか」
「はい、すみません……」
控えめに乱入してきた店員へ謝罪し、巴持ちで水着八点のお買い上げとなって女の戦いは終わったのであった。
日が暮れ始めた駅構内で、史文恭を除いた三人は買い物袋を持って電車を待つ。
曹の武術師範は水着二着が入った袋を携えながら、
『私は中華街に寄ってから戻る。現地の協力者もいるのでな』
と簡潔に告げ、至る所から湯気立ち昇る街並みへと姿を消していっていた。
「史文恭さんとは一体なんだったのでしょうか……」
「あれはね由紀江さん、気にしなくていいよ」
「部下ってマジなのかYO、相馬パイセン」
「俺にもよくわからん」
後輩の疑問を疲労した巴はすげなく流した。その頭にはたんこぶが一つこさえられている。
旭将軍は熱を持った部分に手を伸ばし、慰めるように撫でた。
「あんまり意地悪しちゃダメよ、巴」
「意地の悪いのは向こうだ」
「子種くらいあげればいいじゃない。私は気にしないわよ?」
「またそんなこと言って……俺は旭さんにこそ気にしてほしいけどね」
「あら、どうして?」
心底不思議そうな顔をした恋人に、青年は呆れた表情を返す。
「彼氏が浮気なんて、嫌でしょ」
「ふふ、私はいいわよ? 世界中の女を手に入れた男の第一夫人、とか面白そうじゃない」
「俺が嫌だから却下。旭さんがいればいいさ」
他愛ない、しかしお互いに想いのこもった会話をしているとアナウンスが聞こえてきて、電車の到着を知らせるベルが鳴り響く。
ゆったりと電車に揺られて川神に戻ると、自分の分の水着が入った紙袋を持って由紀江が深々と頭を下げた。
「本日はありがとうございました。こんなに買っていただいて……」
「いいのいいの。後輩に財布出させらんないよ」
「男の子だものね」
「そういうこと。じゃあ由紀江さん、また学園で」
「はいっ! では、失礼しますっ!」
薫風のごとく走り出した由紀江の背中が見えなくなってから、最上旭は相馬巴の腕にそっと抱き着く。
「……もう一回聞くけど、水着、誰のがよかった?」
「旭さん」
「ほんとに?」
「本当」
「……そう」
二人はゆったりと歩き始め、僅かに預けられた体重を修羅は心地よく受け止める。
「じゃあ、帰りましょうか。私たちの家へ」
「うん」
「帰ったら水着でしましょうね」
「……うん」
いつも通りの、二人だった。