勇者にはなれない   作:高円寺南口

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10 されど彼は旅立たない

 御前試合の日から、一月が経過した。

 

 遠く東にそびえる山々は紅く染まり、空は青く澄み渡って、街の至る所で豊穣を祝う声が聞こえるようになってきた。秋も本格的に深まりつつある中、俺は何をしていたかというと、特段何もしていなかった。

 

 いや、厳密に言うと、全く何もしていなかった訳ではない。

 遅々としてではあるが、俺は俺なりにプロジェクトXの発動に向けて、入念な調査を開始していた。

 まず、中央大陸(セントレイル)へ渡る方法。

 

 島国であるネウストリアから、最も近い国といえば、ネウストリア南西部に位置する水の都ルナティアの対岸にある、都市国家アルルだ。

 より正確に言うなら、アヴァロニア諸侯国連合の一角をなす、都市国家アルルである。

 

 諸侯国連合の歴史は古い。

 今より四世紀ほど前、サヴァン6世の治世に、五つの有力な氏族(クラン)に大陸側の領土を分け与え、王国を守護する衛星国家群として独立させたのがその起源である。

 四世紀の間に何度か離合集散を重ね、現在はアンブロワーズ、アルル、トランシルヴェスタ、ザクソン、ガラテア、ノルカ・ソルカの六国から構成されている。

 

 また、サヴァン6世は、五大氏族が敵対し、抗争に転じることを防ぐため、諸侯国連合を束ねる元首として、新たに王の(くらい)を創設した。

 

 それが騎士王である。

 

 したがって、各国の諸侯は騎士王に忠誠を誓うと共に、最高君主(オーバーロード)たるネウストリア国王にも忠誠を誓うという、二重支配の形式が採用されている。

 

 騎士王という名前の響きから、さぞ偉そうな腰巾着という印象を受けるが、実態はそんなことないのが、この制度の滑稽というか、面白い所とはいえる。

 

 早い話が中間管理職で、下からは突き上げられ、上からは抑えつけられるという、何とも胃の痛いポジションなのである。特に時代が下るごとに、その傾向は顕著になった。

 これには王の選出方法が、当初の輪番制から、最高評議会による互選制に移行したことが、少なからず影響しているのだろう。

 

 ちなみに現在騎士王の地位には、北国ガラテアの首長、ロローナ・アナスタシア・ツェペシュが就いている。

 史上最年少の騎士王、おまけに史上三人目の女性ということで、就任当初は大いに話題になった。二次東征が終わって間もない頃だから、確か俺が十二か十三くらいの時だったかな……。

 

 まあ、そんなナンチャッテ歴史講座はどうでもよくて。

 人やモノ、カネの往来がある以上、そこには当然お決まりの交易ルートが存在する。つまり定期船だ。

 

 しかしこの定期船、値段がバカ高いのである。

 ネウストリアから一番近いアルルへの客船ですら、一等客室が100万フラン、二等客室が20万フラン、雑魚寝上等の三等客室ですら5万フラン……

 

 乗れる訳ないやろが。

 二周半くらい回って、世界から俺への「無職に励め」という熱いメッセージにすら感じる。

 

 いやわかるよ。

 ここ数年、戦争に敗北した辺りを境に、陸だけでなく海でも生物の凶暴化が進んで、船がポンポン沈没しては行方不明になってることくらい、俺でも知ってるよ。

 商人もアホじゃないから、ギルドを介して手練れの傭兵を雇ったり、大砲を積んだりして対策を講じ、そこで膨らんだ経費のしわ寄せが、結果として運賃に響いていることくらい、無職の俺でもわかるよ。

 

 でもなあ……

 

 いっそ商船に潜り込んで密航でもしてやろうかと考えたが、ついこないだ、大王イカの大軍に襲われた商船が抵抗むなしく海の藻屑に消えたというニュースを聞いて、やっぱりやめることにした。

 

 いやだって、まだ死にたくないし。

 ピンキリの商船と比べると、国の補助がガッツリ入る客船の方が、安全・安心度ははるかに高い。命は金で買えんからな……

 

 転移魔法? 

 無茶言うなよ。転移魔法は明確にイメージできる場所、つまり一度行ったところじゃないと飛べないし、そもそも現代の技術だと長距離移動はできない。

 

 まあそんな訳で、アルルに渡るには定期船を選ぶほかなく、当面の問題は金策となった。

 

 御託はいいからさっさと働けやと思い始めた諸君に、ここで一つ弁明をさせていただきたいのだが、俺が尻込みしている理由は、働きたくないという確固たる信念のほかに、実はもう一つある。

 

 俺、泳げないんだわ。

 

 要するにカナヅチ。おまけにひどく船酔いするタチで、ガキの頃、母さんに連れられて、アルルまでの商船に乗せてもらったとき、往復で十回リバースするという伝説を残した。ネロヴィング海峡の荒波は、俺にとって幼少時のトラウマなのだ。

 

 しかし、動かないことには始まらない。

 そうこうしているうちに、刻限の冬は足音を立てて迫ってくる。

 アヴァロニアの冬は厳しい。海面も一部凍結して、船の往来もぐっと減る。それまでに何とか、策を講じないと……

 

 まあ現実的な問題として、金の方はどうにかなると思っている。

 大航海時代に隆盛し、今やネウストリア第二の経済都市とまで言われている港街ルナティアまで行けば、俺のようなアンポンタン無職でも、仕事を選ばなければ、働き口はゴマンとあるはずだ。

 

 じゃあ何が足りないのかって?

 まあ覚悟だろうな。

 

 散々足掻いて、散々刃向かって、それでも成し遂げられなかった時が訪れるのが、怖くて仕方ないんだこの男は。

 その屈辱を味わうくらいなら、いっそ選ばないことを選んで、あの時腹を括っていれば俺の未来は変わっていたんだろうと妄想に身を焦がしては、無駄に年だけを重ね、可能性の海の中でひっそりと溺死していく方が、ずっと楽なんだろうと考えている自分がいる。

 

 早い話が、これ以上傷つきたくないのだ。

 

 いい年こいて情けないのは百も承知している。今まで向き合うことから逃げ続けてきたことの報いだと言われても仕方ない。

 いや、今さら他人に何を言われようと、それ自体は別にいいんだ。

 

 何より哀しくて腹立たしいのは、失うものが何もない程にまで落ちぶれたくせに、未だにそんなくだらないプライドが、自分の中に息づいていることだ。

 

 こんな無様な感情を抱くくらいなら、いっそ草木や花に生まれたかった。

 

 無機物に生まれていれば、こんな答えのない自問自答を繰り返すこともなく、あるがままに咲いて、あるがままに散っていけたんだろう。

 

 まあ草木や花が平等に成長して、平等に散っていくと思ってる時点で、自然界に土下座しろよって話だけどな。

 世の中には、咲かずに枯れる花もあるんですよ。

 

 窓の外、夜空に浮かぶ真円の月。

 一人部屋にこもって、今日も今日とて終わりのない堂々巡りの旅を続ける俺の元に、予期せぬ現実という名の客が訪れた。

 

 親父だ。

 

「おい、起きてるかバカ息子」

 

 ノックと共に聞こえた親父の低い声に、俺は当然の如く無視を決め込む。

 親父は構わず続けた。

 

「大事な話がある。一階まで下りて来い」

 

 

    *

 

 

 十五分後、親父の呼びかけに応じ、俺は一階へ向かうこととした。

 

 いつもならそのまま寝たふりでやり過ごすのだが、いい加減あの男にも俺の本心を伝えておかねばなるまい。ここらがいい頃合いだと思い、親父と一戦交えることを決意した。

 

 ちなみに十五分待たせたのは、素直に従うというポーズに抵抗があったからだ。君子はそれを深謀遠慮と言う。

 

 軋む階段。

 しんとした空間に、古ぼけた時計の秒針の音が響く。

 

 カウンターで食器の整理をしていた親父が、俺の気配に気付いて、こちらへ振り向いた。

 

「遅ぇんだよボケナス……とりあえず座れ」

 

 ロクにうなずきもせず、俺は客席の椅子に腰掛ける。開け放たれた窓からは、ゆるやかな夜風が吹き込み、微かに鈴虫の音色が聞こえた。

 親父はテーブルの角を挟んで、俺の隣の席へと座った。

 

 無言。

 

 お互い言うべきことなんて山ほどあるはずなのに、一向に口を開こうとしない、奇妙な沈黙。そこに気まずさや重苦しさを感じないのは、正常なのか異常なのか。

 

 同じ屋根の下で暮らしている者同士だから――なんて有り体の理屈が通らないほどには、俺たちの間には深い溝が横たわっているような気がした。

 同じ血が流れているという、猿でもわかる単純な事実が、その溝をより深い方向へいざなっているようにも感じる。

 

「ちょうどいい機会だ……俺もあんたに話がある」

 

 椅子に背を預け、遠くの方を見つめながら、俺は言った。

 

「俺は親父の跡を継ぐつもりはない。近いうちにこの家を出て、旅に出るつもりだ」

 

 親父がぴくりと眉根を寄せたのが、目の端で追えた。

 構わず、俺は言葉を紡いだ。

 

「言っておくが、これは昨日や今日決めた話じゃない。ガキの頃……母さんが生きてた頃から、ずっと夢見ていたことなんだ。魔導師ノルンが残した究極のグリモワール『アルス・ノトリア』を、この手で見つけ出す――あんたも知ってんだろ。ガキの頃は散々そう息巻いてたからな……大人になったら、ノルンのように世界を旅してみたいって。だから……その夢を果たすため、俺はこの家を出る。先のことはわからないが、当面はあんたの店を継ぐつもりはないよ」

 

 告げた言葉に、誇張もなければ偽りもない。

 どれだけ月日が流れても、決して消えなかった――いや、唯一消えずに残り続けた想いを、口にしただけだ。

 

 親父は両腕を組んだまま、しばし黙していた。

 やがて瞳を閉じ、大仰に息を吐き出す。

 

「急に何を言い出すかと思えば……勝手なことばかりほざきやがって」

 

 その声は怒りというより、諦めにも似た感情が混ざっていたように、俺には聞こえた。

 親父は次の瞬間、懐から一枚の紙切れを取り出し、テーブルの上に叩き付けた。

 

「これは何だ」

 

 示された文書に、俺は呼吸を止めた。

 

 支払督促状。

 

 文書には債務者として俺の本名がはっきりと記されており、債権者のサインは、「クライン ギルドマスター トラヴィス・クローバー」となっている。

 金額は100万フラン。

 指定した期限までに支払に応じないようであれば、国に調停を依頼する……

 

 根も葉もない借金の取り立てに、さすがの俺も動揺せずにはいられなかった。鼓動がいやに早まって、息が詰まる。

 咄嗟に顔を上げた俺を見て、親父はクロだと断定した。

 

「やはり心当たりがあるみたいだな……旅に出るだのなんだの抜かして、そのまま夜逃げでも図るつもりだったのか? ふざけるなこのバカ野郎が!」

「違う、俺はこんなの――」

「黙れ!!」

 

 親父の怒声が、はち切れんばかりにこだまする。

 

「一体、お前は何をやってるんだ? 散々自由にさせておいたツケが、この体たらくか? お前はどれだけ、俺をコケにすれば気が済むんだ!!」

「だから、違うって言ってるだろ! 俺はギルドに借金した覚えなんざない! これは何かの間違いだ!」

「間違いなら、どうしてこんなものが届くんだ! 相手はあのクラインだぞ……その辺のゴロツキとは訳が違うんだ。それに――」

 

 噛みしめるようにして、親父が言った。

 

「お前がたびたび、クラインの酒場に出入りして、マスターと付き合いがあったのは、俺だって知ってるんだ……どうするんだよ。お前のせいで、俺の商売にも影響が出るんだぞ! クラインを敵に回して、今のロゼッタで商売がやっていけると思ってるのか!!」

 

 頭ごなしなその言い草に、俺は怒りを通り越して失望を覚えた。

 

 結局、それかよ。

 事の真偽より、息子の心配より、自分のメンツがなお先に立つのか。本当にこの男は……

 

 くだらない。

 

「話にならんな。もういい……そうやって勝手にキレて、勝手に失望してろ」

 

 拳をきつく握りしめ、俺は席を立とうとする。その刹那だった。

 

「……俺だって、信じたいんだよ」

 

 ぽつりと、親父がそうこぼした。

 その声色は少し、震えているようにも感じた。

 

「母さんが死んで、あんなことがあって……俺はずっと、自分を父親失格だと思っていた。母さんも、唯一残った自慢の息子も、結果として何一つ守ることができなかった、最低の父親だって……。お前がこんな風になってしまったのは、決してお前のせいだけじゃない。ありもしない奇跡を信じて、お前を止めることができなかった、俺の弱さが原因なんだ……。

 だから、お前がもし自分の力で立ち上がろうとするときが来たら、その理由が何であれ、全力で支えてやろうと思ってた。そうすることが、俺のせめてもの償いだと……でも!!」

 

 親父はテーブルの上の督促状を、これでもかというくらいに殴りつけた。

 

「信じようとすればするほど、お前は俺の期待を裏切ろうとする! こんな風にだ!!」

 

 親父の目から、ぼたぼたと大粒の涙がこぼれ落ちた。白髪が目立ち、皺の増えた顔をくしゃくしゃにして、親父は泣いていた。

 

 その目を拭うこともなく、やがて親父は、俺の手を弱々しく掴んだ。

 

「なあ、もういいだろ……もう魔法は解けたんだ。今さら夢なんて、見させてくれなくていいから……頼むから、お前はお前の現実と向き合ってくれよ……! これ以上、母さんを哀しませるようなことはしないでくれ……」

 

 親父はうつむいたまま、こらえきれず嗚咽していた。涙がぽたぽたと落ちる音が聞こえて、後には何も続かなかった。

 

 やがて訪れる静寂が、耳に突き刺さる。

 音もなく、色もなく、ほんのかすかに残された月光さえも、今にも消えそうなくらいに儚い。

 

 母さんが死んで、夢破れたあの日から、俺がずっと見てきた世界だ。

 古ぼけた時計の針は、そんな風に置き去りにされた世界の片隅でさえ、じっと静かに時を刻み続けていた。

 

「……わかった。そこで待っててくれ」

 

 親父の手をそっと離すと、俺はまっすぐに告げた。

 

「あのふざけたマスターを叩き出して、今に身の潔白を証明してやる」

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