勇者にはなれない   作:高円寺南口

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11 お前がこの世界で何を想い、何を為すのかなんてどうでもいいから

 着の身着のままで家を飛び出した俺は、クラインの酒場へとひた走る。

 息が乱れようが、心が浮ついていようが、そんなことは関係なかった。ただただ、走った。

 

 店の前に到着すると、ガタイのいい鉄仮面の男が二人、門番のように入口に立っているのが目に入った。

 店のガードマンか? いつの間にそんなものを雇っていたのだろうかと疑問を覚えたが、考えるより早く、そいつらに話しかけた。

 

「マスターに話がある。通してくれ」

 

 門番は互いに顔を見合わせる。

 片方が店内に引き返すと、もう一方が尊大な口振りで俺に問うた。

 

「会員証はお持ちか?」

「会員証? 何だそれは」

「会員証がなければ、入店は認められんな」

 

 降って湧いたような話に、困惑する。ついこないだまで、そんなものなかったはずだ。

 

「いいから通してくれ。至急マスターに掛け合いたいことがあるんだ」

 

 鉄仮面は、上から下までじろりと検分するように俺を見ると、不承不承といった感じで口を開いた。

 

「悪いがこっちも仕事なんだ。会員証を持たぬ者は、誰であろうと通すなと厳命されている。お引き取り願いたい」

「……うっせえな」

 

 苛立ちを隠さず、俺は言った。

 

「通せって言ってんだよ! 俺は何としても、あの野郎に問いたださなきゃいけないんだ!」

 

 強引に割って入ろうとした俺を、男は制止する。胸ぐらを掴むと同時に、右足を勢いよく刈り取り、俺をそのまま地面に投げつけた。

 

「うぐ……!」

 

 寝転がる俺の首元に、男は剣をつきつける。

 そこへ、不意に紫煙の匂いが漂った。

 

「なんだよ、ずいぶん表が騒がしいじゃねえか」

 

 店の扉が開き、入口に立つ白髪の男を見て、我知らず奥歯を噛みしめた。

 

「マスター……てめぇ……!」

「ああ、誰かと思えば……ゴクツブシか」

 

 痛みを抑え、俺はすぐさま立ち上がる。そして奴へと詰め寄った。

 

「あんた、何なんだあの書状は……俺がいつ、あんたに借金をした! 事実無根の紙切れ送りつけて、一体どういうつもりなんだ!」

 

 噛み付いてくる俺を、マスターは顔色一つ変えず、じっと見つめた。

 ガードマンが間に入ろうとしたが、マスターはそれを制止し、口元から煙草を離して煙を吐いた。

 

「……勇者の仲間集めに付随する商売の上向きも、そろそろ底が見えてきた。ここらで少し、テコ入れを図ろうと思ってな」

「御託はいい。結論から話せ」

「なら話そう。お前の店には生贄になってもらいたいんだ。俺の、偉大なる野望のために」

 

 述べられた言葉に、茫然とする。感情が理解を通り越した。

 この男は、何を言ってるんだ……?

 

「俺はいずれ、ギルドの影響力を利用して、アヴァロニアを影から牛耳るつもりなのさ……いや、ギルドなんて言葉はもう古いな。会社(カンパニー)だよ。チンケなシノギはもう終わりだ。広範に出資を募り、莫大な資金を背景に、俺たちは隠然たる勢力としてアヴァロニアに根を張る」

「……」

「この夢を成し遂げる第一歩として、まずは足下をしっかり固めておく必要がある。ギルド『クライン』に逆らったバカが、どういう顛末を辿るのか、愚民どもに見せつけておく必要がある。そこで目を付けたのが、お前の店だ――」

 

 マスターは吸い殻を地面に捨てると、踏みにじるようにしてもみ消した。

 

「ゴクツブシのお前が、クラインに途方もない借金を抱えたことにして、お前の店を名実共にぶっ潰すんだ。商売度外視の、お前の店のシケた金入りじゃ、どうせ支払いには応じられない。後には、俺の忠実な飼い犬どもを居座らせて、クラインのシマを広げていくって算段だ……ああ、心配するなよ。要するにお前は、たまたま運が悪かっただけなんだ。何もターゲットはお前の店だけじゃない。他にも――」

 

 そこから先の言葉は、もう俺の耳には届いていなかった。

 さっきから俺の頭をぐるぐると回り続けているのは、ずっと昔の、久しく思い出すこともなかった昔の記憶だ。

 

 実家の一階。いつも騒がしかったそこには、陽気なローランに、無愛想に切り盛りする親父。そして、それを笑って見つめる母さんがいた。

 

 そしてその隣に……俺がいた。

 

「ふざけるな!!」

 

 (おもて)を上げると、俺はいきり立ってマスターの胸ぐらを掴んだ。

 

「お前に何の権利があって、俺の店を潰せるんだよ! 国を牛耳るだなんて、寝言は大概にしろ!! 第一、こんな証拠もない筋書き、国が認める訳がない……責任を問われるのは、俺じゃなくてあんたの方だ!」

 

 大声で吠える俺を繁々と観察して、一体何がおかしいのか、マスターは乾いた声で笑った。

 

「やれやれ……つくづくおめでたいアタマしてんだなてめェは。いいか? 国は、お前の言い分なんざこれっぽっちも信じようとしない。なぜなら――」

 

 肩に手を置くと、マスターが俺の耳元でささやいた。

 

「俺は社会的に信用のある人物で、お前はいい年こいて無職でゴクツブシの、どうしようもない屑だからだ」

 

 ぶつけられた言葉に、全身の血の気が引く思いがした。

 胸ぐらを掴んでいた、右腕の力が抜ける。

 

 甘かった。

 

 この男は、したたかな策士だ。この案を実行に移した時点で、すでにあらゆる証拠をでっちあげ、周囲への根回しも終えているに違いない。

 もう遅い。俺はまんまと踊らされた、哀れなピエロだったのだ。

 

「なあゴクツブシ。せっかくだからいいこと教えてやるよ」

 

 悄然とうつむく俺へ、マスターは追い打ちをかけるように言った。

 

「人は言葉の純粋な意味や正しさで、その価値を測るんじゃねえ。どこの誰がそれを口にしたかで、ようやくその重みを知るんだ……世間様に足を向けて、向き合うことから逃げ出したクソ無職のお前が、いかに崇高で立派な文句を語ろうとも、誰も聞く耳なんざ持たねえんだよ。

 人が言葉を選ぶように、言葉もまた人を選ぶんだ……身の丈に合わない台詞は、きっと誰の胸にも響かない」

 

 そこまで言うと、マスターは気の抜けた俺の右腕を払いのけ、襟元を正す。そして振り返り、店へと戻っていく。

 

 去り行く彼の背中を、俺は茫然と見つめることしかできなかった。

 これが奴へとすがりつく最後のチャンスだと頭ではわかっていても、言い様のない悔しさが全身を駆け巡っていても、足は一歩も動いてくれなかった。

 

 わずかに残った紫煙の苦い香りが、鼻腔をつく。

 やがて扉が閉まり、その音が無情に響いた。

 

 

    *

 

 

 マスターにあざむかれ、行き場をなくした俺は、藁にもすがる思いで、教会へと足を向けた。

 何かの解決になるとは思っていなかった。ただ、誰でもいいから俺の話を聞いてほしかった。

 

 墨のように黒く染まった空には星一つ見えず、雲が激しく逆巻いていた。

 

 教会の扉を開くと、ぎいっと音がして、奥の祭壇で祈りを捧げる女性の後ろ姿が見えた。アリシアだ。

 俺の気配に気付いて振り返ると、彼女はハッとして目を伏せた。何やらいつもと様子が違うが、構わず話しかけた。

 

「アリシアさん、実は――」

「知っています」

「……え?」

「すいません。詮索するつもりはなかったのですが……あなたの正体を、私は知ってしまいました」

 

 コツコツと、乾いた靴の音が、静かな聖堂に響く。

 身廊を進み、俺の三歩先で立ち止まると、彼女は不意に視線を下げた。

 

 その両肩が、にわかに震え出す。

 

「ひどいです……あなた、私をだましていたんですね……」

 

 今にも消え入りそうな声で、アリシアが言った。

 

「私はあなたを敬虔な信者だと信じていたのに……本当はロクに働きもせず、親御さんを困らせた挙げ句、ギルドに大量に借金を抱えていた人だなんて……こんなのあんまりです。ひどすぎますよ……うぅ」

 

 両手で顔を覆い、堪えきれないといった様子の彼女を目の当たりにして、俺は訳もわからず言葉を失っていた。

 どうして彼女が、そのことを……?

 

「違いますアリシアさん、借金のことは根も葉もないデタラメで……俺はむしろ被害者なんです! あのギルドマスターに、はめられただけで――」

 

 すぐさま歩み寄り、彼女の腕に触れた、そのときだった。

 

「気安く触んな」

「え?」

 

 ステンドグラスを通して稲光が射し込み、激しく雷鳴がとどろいた。

 彼女はすっと顔を上げると、次の瞬間、堕ちた天使のように微笑んだ。

 

「いい加減、目ェ覚ませよクズ」

 

 刹那、ドゴォ!! と腹部に穴があいたかのような、強烈な衝撃が俺を襲った。

 うめき声を上げるより早く、凄まじい勢いで後方へと吹き飛ばされる。入口の扉に全身を叩き付けられて、ようやく彼女に殴られたのだと悟った。

 

「あー、やっぱ面倒くさいわコイツ。トラヴィスからこっちに来るかもって聞いてたけど、まさか本当にノコノコやってくるとはね……事ここに至って、女に頼ろうとするとか、女々しいにも程があんだよ。とっとと手前で腹括れっつーの」

「ごほっごほっ…………つっ……!」

 

 食らった一撃の重みに、未だ立ち上がることさえできない。

 ただのワンパンではなかった。先ほどの一撃には、一流の拳闘士のみが使える「氣」が練り込まれていたような……俺もそれほど詳しい訳ではないが、神官である彼女が、どうしてそんなスキルを……

 

「おい町人A。これが真実だよ」

 

 俺の前で歩みを止めると、アリシアはその場にしゃがみ込む。そして俺の胸ぐらを掴んで、強引に引き寄せた。

 吐息がかかるほどの距離で、彼女と視線がぶつかる。

 

「今のこの世界に、アンタの味方なんて一人もいやしない――これは、正当な罰だ。勝手に絶望して勝手にあきらめて、立ち上がることすら拒否したお前に神が下した、厳粛にして公正なる審判だ」

 

 無慈悲な紫の瞳が光を失い、稲光と共に雷鳴が再度響いた。

 彼女はおもむろに視線を下げると、努めて冷淡な口調でこう告げた。

 

「可哀想にね。これが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――」

 

 告げられた言葉に、息が詰まる。

 心臓の鼓動が、いやに近くに感じた。

 

「お前……どうしてそれを……」

 

 弱々しい声で俺がそう呟くと、アリシアはすっと手を離す。

 立ち上がり、入口の扉を開けると、今度は俺の襟首を手荒につかんだ。そして物でも投げ捨てるかのように、教会の外へと放り出した。

 

「もう二度と、そのむかつくツラ見せんなよ。クソ無職」

 

 そしてアリシアは、力任せに扉を閉めた。

 一人残された俺の元へ、ぽつぽつと雨が叩き付ける。雨はすぐさま勢いを増し、雷鳴がこだまして、周囲の地面がみるみる水浸しになる。

 そんな突然の豪雨の中でも、俺は未だ立ち上がる(すべ)を持たなかった。

 

 すでに痛みはない。

 痛みもなく、文字どおり空っぽになった俺だけが、そこに取り残されていた。

 

 

    *

 

 

 居場所を完全に失った俺は、帰る場所もなく、南の城門でうずくまっていた。

 雨はなおも激しく降り続けている。俺は全身びしょ濡れになって、犬畜生みたいな姿になっていた。

 けれど、そんなことはもうどうでもよかった。

 

 さっきから脳内に繰り返し渦巻いているのは、マスターとアリシアの言葉だ。

 あれほどひどいことを言われても、反論どころかそれを正しいと認めてしまう自分がいる。そんな自分がいるのは、少なからず自覚するところがあったからだろう。

 

 そうさ。

 言われなくたって、とっくに気付いてた。だから、動けなかった。

 

 何もかもが、もう手遅れだってこと――

 

 旅に出たところで、どうせ何も変えられやしない。どこへ行っても、何を着飾っても、俺は俺でしかない。ここではないどこかへ逃げ出したから、自分を変えられるなんて、そんな虫のいい話があってたまるかよ。

 二人の言うとおりだ。今を先送りにして、向き合うことから目を背けたバカが語る夢は、他人の嘲笑を買う現実逃避でしかない。

 

 難儀な話だ。

 すがるものが過去しかない惨めさを思い知らされてもなお、幼い頃の始まり記憶が、頭の中にこびりついて離れることを許さない。

 

 魔法の世界に取り憑かれて魅了されて、四六時中魔法のことを考えては、自分の一生の全てをそれに捧げてもいいと思えるくらいの大切な何かを手に入れたことがたまらなく嬉しくて、そんな風に目を輝かせていたあの日の少年は、もう世界中探したってどこにもいない。

 

 そんなことはわかってる。

 

 わかってるのにどうして、俺の心から消えてくれないんだろう。

 今さらどうして、今よりずっと眩しかった頃の記憶を蘇らせては、まだやり直せるかもしれないだなんて、期待している自分がいるんだろう。そんな自分が自分の片隅で未だ呼吸をしていることに、言いようのない苛立ちと哀しみを覚える。

 

 親父は言った。

 魔法はもう解けたって。お前はお前の現実と向き合えって。

 

 でもごめん。やっぱり俺にはできない。

 だって、代わりなんて他にないから――

 

 情けないことに、こんな風に何もかも失って、喉元に鋭利な現実を突きつけられて、ようやく自分の本心と向き合えた。

 

 俺には魔法しかない。()()()()()()()()()()()()()()()()

 何もかもなかったことにして、別人のように人生をやり直すなんて、そんなのできっこない。

 

 魔力の大半を失って、この身が零落しようとなお、それが自分の本望だって、ようやく悟った。

 

 なあ、どうしたらいい……誰か、答えられるのなら答えてくれよ。

 

 消したくても消せない想いは、どうやったら忘れられる?

 どうやったら、俺は……

 

 

 

 降り続く雨。大戦士アレクの石像は、こんな荒天の中でもずっと地平をにらみ続けていた。

 もはや考える事もできなくなった俺の元に、見覚えのある人物が姿を現す。困ったことに、今俺が一番会いたくない人物だった。

 

「ようボケナス。探したぞ」

 

 雨よけの外套を被った親父は、膝を抱えてうずくまる俺をじっと見つめた。

 

「そのザマだと、手前の身の潔白は証明できなかったみたいだな。つくづく情けない野郎だ」

「……」

 

 俺は黙ったまま、親父と目を合わせなかった。

 沈黙が流れる。降り続く雨音だけが、二人の間に横たわった。

 

「どうした? このまま夜逃げを図るつもりだったんじゃねえのか? それとも何だ、まだ迷ってるとでも言うのか?」

 

 一向に口を開こうとしない俺を見て、親父は呆れたように嘆息する。

 そして左手に掴んでいた鞄と剣を、俺に投げつけた。

 

「持ってけよ泥棒。そいつは旅の必需品を詰めたものと……あとは、エルレインから渡すよう頼まれてた剣だ」

 

 ハッとして、俺は受け取った剣を見る。

 エルの本名である、エルレイン・ガーフィールドのイニシャルが刻まれた、白金(プラチナ)製の剣だ。

 

「テメェが旅に出るときに、渡してほしいって前から頼まれててな。ガキの頃、世話になった恩を返したかったんだと。まだまだ拙いけど、お前に使ってほしい一心で、精魂込めて打ったって言ってたぞ」

 

 エル、アイツいつの間にこんなものを……俺なんかのために……

 いや待て。ということは――

 

「親父……あんた俺が旅に出ようとしてたこと、知ってたのか?」

「……。別にエルレインに言われて知った訳じゃねえよ。テメェが大人しく宿屋の跡継ぎにおさまる気なんてないことくらい、十年前から知ってたわ。俺はお前のオヤジなんだぞ。なめんなボケ」

 

 親父は頭をぼりぼり掻きながら、面倒臭そうにそう言った。

 

「親に忠告されたくらいで、ましてあんなことがあったくらいで、素直にテメェの夢をあきらめるような器に育てた覚えはねえんだよ……。おら、貰うモン貰ったんなら、さっさとどこへでも行きやがれ」

 

 親父は俺の手を取り、無理矢理立ち上がらせると、背中をドンと押した。

 

「……いいのか?」

「あ?」

「俺は結局、自分の潔白を証明できなかったんだ。あんたに迷惑掛けたまま、自分だけ勝手に旅立つのは……」

「今さら何言ってんだこのボケナス」

 

 相変わらず口は悪いが、口調はけだるげないつもの調子で、親父が言った。

 

「迷惑なんざ、もう人生やり直さないと返せないくらい俺にかけてきただろうが。何を今さら聖人気取ろうとしてんだよ」

「でも、うちの店は――」

「あー、そんなもんどうにでもなんだろ。潰されたら潰されたで、またやり直せばいいだけの話だ。こちとらテメェの倍近く生きて、テメェの倍以上苦労してきてんだよ。今さら裸一貫に落とされるくらい、屁でもねえから、余計な心配すんなボケ」

「……けど」

「うるせえな! お前はギルドに借金したのかしてないのか、どっちだ?!」

 

 いきり立つ親父をじっと見て、俺は首を横に振った。

 

「……してない」

「ったく、それが聞けたら十分なんだよ。一々言わせんなバカたれが」

 

 相変わらず言葉足らずでメチャクチャだが、考えてみると、親父は昔からこうだった。変わったのはむしろ、俺の方なのか。

 やり方はさておき、この男がずっと俺をあきらめずにいてくれたのは、紛れもない事実だ。今さらそれを覆すつもりは毛頭ない、ということなのか……

 

 ずっと雨に濡れていたせいだろうか。身体の芯が震えて、少し熱くなった。

 

「すまない。ありがとう」

「気色わりィな。明日は空から槍でも降るんじゃねえのか」

「……いつか、必ず帰ってくるよ。俺も、本心はあんたと一緒だ。母さんを裏切るような真似だけは、絶対にしないと約束する」

 

 さすがに悪口の種も切れたのか、親父は珍しく何も言わなかった。

 鞄を掛け、太刀紐を結んで剣を佩くと、俺は一歩、二歩と水たまりを踏みしめて前へと進み、門の所で立ち止まった。

 

 そして告げる。

 

「行ってくる」

「……。行ってこいや。このバカ息子が」

 

 微かに震えたようにも聞こえたその言葉を餞別に、俺はもう振り返らず、その場から駆け出した。

 

 街の外に広がる平原を遮二無二走って、走って走って、息が切れてぬかるみに足を取られて転んでも、立ち上がってまた走って、ネウストリアの肥沃な大地を、俺は風のように駆け抜けた。

 

 降りしきる雨の先に、モンスターの姿が映る。

 

 小型のコボルトが二匹。

 俺は腰元の鞘から剣を引き抜き、絶叫にも近い雄叫びを上げて、奴らに突進する。

 

 不意を突いたせいか、初撃が上手く急所に入って、手前の一匹が血しぶきとともに地面に臥す。

 怒りに任せたもう一匹が、俺へと食らいつくも、俺は強引に剣を振り回した。斬るというよりは、もはや殴りつけるに近い。コボルトが弱々しい鳴き声を上げ、やがて気を失い、どさりと地面に倒れた。

 

 俺は激しく呼吸を乱し、剣を地面に突き刺して、それを支えにうなだれた。

 

「エルの奴、何考えてるんだよ……ずっと家に引きこもってた元魔術士に、剣なんて振り回せる訳ないだろ……くそ」

 

 冷えているはずの身体が、やたらと熱い。

 理由もなく頬を伝った雫の一滴が、妙に冷たいと感じるほどには、心は震えていた。

 

 不意に、前方で羽音が聞こえる。インプだ。コボルトの死臭を嗅ぎつけてきたに違いない。

 

「うるせえな……」

 

 顔を上げるや、俺は地面から剣を引き抜き、奴へと猛進した。

 

「うおおおおおおおおお!!!」

 

 ネウストリアの大地に、俺の絶叫がこだまする。

 降り続く雨の先に、まだ虹は見えなかった。


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